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2014/8/13(水)の聖教

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2014/8/13(水)の聖教


1、生涯学習の模範 創価大学通信教育部夏期スクーリング始まる 創立者がメッセージと句

  創価大学通信教育部の「夏期スクーリング」が始まった。
 開講式は等か、東京・八王子市の創大記念講堂で行われた。
 これには、創立者の池田名誉会長がメッセージを寄せ、偉大なる学究と求道の友を賞讃。祝福の句を贈った。
 1976年(昭和51年)の開設以来、「生涯学習の模範」として輝かしい伝統を築いてきた通信教育部。現在、卒業生の連帯は1万7000人を超え、それぞれが使命の舞台で奮闘する。
  昨年は、最難関の司法試験に2人の通教出身者が初合格。また、実績を重ねる教員採用試験の合格者は13年連続で100人を突破した。
 さらに通信教育部では、2016年の開設40周年へ、本年度から新たな取り組みをスタートさせる。①DVDによるメディア授業の導入 ②時代のニーズに応える新カリキュラムの充実 ③専任教員らによる学習サポートの推進を通し、「学生第一」の教育環境を一段と整える。
 今回の夏期スクーリングには、のべ5000人が参加、海外からも16各国の友が集う。
 開講式では、田代理事長、花見通信教育部長があいさつ。馬場学長は「人間教育のキャンパスで良き学友と切磋琢磨し、大成長の日々に」と念願した。
 参加者からは決意の声が多く寄せられた。

 「高校卒業後、経済的理由で大学進学を断念せざるを得ませんでした。今回、40年越しの夢であった大学に通うことができ、感無量です。生涯、学びの人生を歩んでいきます」(60代男性、愛知)
 「創立者の温かな励ましに包まれ、新たな出発を切ることができました。また先日、一人娘が〝私も通教に挑戦したい〟と言ってくれました。親子そろって、卒業を目指し、頑張っていきたい」(70代女性、福岡)


◆夏期スクーリング開講式への創立者のメッセージ

“学の光”で地域社会を照らせ 
発明王エジソン「考えながら働くことほど楽しいことはない」

 尊き学びの「黄金の汗」光る、伝統の夏期スクーリング、誠に誠にご苦労さまでございます。
 台風など悪天候が続くなか、日本全国はじめ、遠く海外からも、本当によく集ってくださいました。多忙なところ、懸命にやりくりして参加されていることも痛いほど分かっております。偉大な学究と求道の大情熱に、心から喝采を送りつつ、私も八王子のキャンパスで、皆さんと一緒に学び合う思いで一切を見守っております。
 全力で講義に望んでくださる先生方、また真心からサポートしてくださる職員の方々、いつもいつも、ありがとうございます。
 常に瑞々しい生命の輝きは、どこから生まれるか。
 それは、向学の挑戦でありましょう。
 常に新鮮なる価値創造の光は、どこから広がるか。それは、学び続ける努力ではないでしょうか。
  今、東京富士美術館では「発明王エジソン展」が開催されていますが、エジソンもまた、弛まず学び続けた、偉大な挑戦の人でした。
 その生涯において、蓄音機や白熱電球をはじめ、およそ1300の発明を成し遂げ、世界を明るく照らしたことは、皆さんもご存じの通りです。
  学校に通ったのは小学校のわずか3カ月だけで、あとは全て、働きながら学び抜き、学びながら働き抜いた、崇高な労学一体の人生でした。若くして、耳が不自由になるという試練にも遭いました。
 しかしエジソンは、朗らかに語っています。
 「人間にとって考えながら、働くことほど楽しいことはない」と。
  白熱電球の発明では、実に1万回以上も失敗を重ね、周囲からも、もうやめた方がいいと呆れられたほどでした。けれども、人の人培、何十倍もの挑戦と努力、創意工夫で、“生みの苦しみ”を突破していったのです。
  晩年、自ら築き上げてきた研究所が火事に見舞われた時も、「自分はまだ67歳でしかない。あすから早速、ゼロからやり直す覚悟だ」「意気消沈などしているヒマはない」と、新たな開拓に奮い立っていったのです。
  目指しゆく山が高ければ高いほど、その途上は苦しく厳しい。その分、やがて眼下に広がる光景は、より壮大に、より荘厳に開かれていくものでありましょう。
 どうか、私と同じ誇り高き使命と充実の登攀に挑みゆかれる通教の皆さんは、不撓不屈の負けじ魂と、明朗快活なる創価の心を明々と燃やしながら、最高に意義ある価値創造の光を放っていってください。
  たとえ、どんな地味なようであっても、皆さんの“学の光”こそが、不滅の光です。一家眷属を、地域社会を、世界を赫々と照らしゆかれることは、絶対に間違いありません。
 暑い日が続きますので、疲れをためないよう、水分と休憩、睡眠を十分にとって、聡明にお願いします。
  結びに誉れの通教生に、

  挑み勝て
      歓喜の命の
            学光道

 と贈り、私のメッセージといたします。
 わが不二の学友・通教生に、健康あれ! 幸福あれ! 栄光あれ!


2、わが友に贈る

 尊き使命の天地で
 社会貢献に率先する
 地域部・団地部に感謝!
 人間の絆を広げゆく
 希望の灯台と輝け!


3、名字の言  感動体験は人格形成に多大な影響及ぼす。

  昇ったばかりの太陽が暑い一日を予感させた、今月4日の早朝。全国未来部夏季研修会に参加する一人の男子高等部員が宿泊先の創価大学・宝友寮の中を歩いていた。午前5時だった。「起床時間まで、まだ余裕があるよ」とスタッフが声を掛けると、早起きの理由を教えてくれた▼宮城から参加した彼は、父親を亡くしていた。研修会で〝親がいない人は、私がお父さんだよ〟との池田名誉会長の言葉に出あい、涙を流して成長を決意。寮内に創大生が掲げていた名誉会長の言葉を、メモして回っていたのだ。午前5時は、本紙の配達をしていた父が起きる時刻だった▼若き日の感動体験は、人格形成に多大な影響を及ぼす。そうした感動は、①行動する②人生を探索する③本物と出あう④異質なものと出あう⑤つらさを乗り越える――ことから生まれる、との教育報告もある▼未来部の研修会には、その全てが詰まっていた。全国から集った友との触れ合い、思いをぶつけ合う懇談、苦難を乗り越えた体験発表、御書講義、名誉会長の指導の研鑽……。「3日間で、17年間の人生が変わりました」と語る友も▼「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びる」と名誉会長。無限の可能性を秘めた若き友の挑戦を支えたい。(速)


4、寸鉄

★  会長は模範の生き方示し教育の真髄を体現―博士 師の如く人間王者の道を
      ◇
★ 「葛飾女性の日」。堂々と勝つしかない! 全てにこの心意気で朗らかに前進
      ◇
★ 青年部の平和署名運動に反響。核兵器の魔性と戦う連帯拡大。未来の為に
      ◇
★ 緊急時に除細動器使える市民―まだ3割強。命を救う知識と備え日頃から
      ◇
★ 公明党が若者の雇用促進へ政策提言。若い世代の声を聞き積極支援を急げ



5、響き合う魂 SGI会長の対話録 第45回 インド ナラヤナン元大統領

  世界中の全ての瞳から涙をぬぐい去りたい

  「世界が寝静まるとき、夜半の鐘が鳴ると同時に、インドは生命と自由に向かって目覚めるだろう」
  1947年8月14日の夜。デリーの国会議事堂で、ネルー初代首相が演説した。「仏教発祥の国」インドが独立する8月15日が、間もなく訪れようとしていた。
 同じ14日の夜、東京の一隅で、一人の青年の運命が決した。
 19歳の池田SGI会長が座談会に出席し、恩師・戸田城聖第2代会長と出会ったのである。
 SGI会長は記した。
 「『月氏の国』インドの民衆が、自由に対して目を開こうとしていた時、私は『太陽の仏法』の光を初めて浴びた。私の若き生命も、また、目を覚ましたのである」
  日付が15日に変わると、インドの町という町に、歓呼の波が起った。だが、晴れがましい舞台に、独立の父・ガンジーの姿はなかった。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の殺し合い、インドとパキスタンに分離しての独立を憂えたからである。
 独立前後、“誰を大統領にしたいか”と問われ、ガンジーは答えた。“最下層の庶民の中から選びたい”
  インドのカーストにより、最下層の「不可触民」と虐げられてきた人々を、ガンジーは「ハリジャン(神の子)」と呼んだ。「不可触制の根底からの根絶」を、生涯の目標に掲げた。
 不可触民から大統領を──マハトハの夢は、独立50年後に実現することになる。97年7月、第10代大統領にK・Rめナラヤン氏が就いたことによって。
 新大統領は、就任演説で語った。「私には国父マハトハ・ガンジーの声が聞こえます。ガンジーの悲願は『全ての人々の瞳から涙をぬぐい去りたい』でした」

                                       

 池田SGI会長が、デリーの大統領府にナラヤン氏を表敬したのは、就任の3カ月後、97年10月22日だった。
 「大統領ご就任、おめでとうございます!」
 「池田会長、よく来てくださいました。お会いできて本当にうれしい」
 これがすでに3度目の出会い。友情は79年2月9日、SGI会長がネルー大学を訪れた時にさかのぼる。
  同大学の副総長として、学生たちと一緒にSGI会長を迎えたのが、ナラヤン氏だった。
  「きょうは“一日教授”でいてください」と語りかける氏に、「いえ、“一日学生”です」と応じたSGI会長。
 平和、教育交流を論じ、日本語専攻の女子学生による「さくら」や「春が来た」の合唱に、共に手拍子を送った。
 この出会いは、氏に強い印象を残した。95年12月、副大統領としての来日が決まると、SGI会長との会見を希望した。
 東京の聖教新聞本社で16年ぶりに再会し(3日)、「次はインドで」と約束。それが大統領府を舞台に実現したわけである。
 氏は、7人きょうだいの4人目として生まれた。
  ガンジーがつくった「ハリジャン奨学金」で、勉強を続けた。ケララ州のトラバンコール大学を首席で卒業するが、出身のゆえか、希望の職を得られずジャーナリストの道を選んだ。
  記者時代、氏は、ガンジーにインタビューする機会を得た。
  その日は折あしく、口をきかない「沈黙の日」であったが、ガンジーは、あがりっぱなしの新米記者に、書面で答えてくれた。
  加えて、「あの青年に昼食を食べさせてあげなさい」と。
 青年を思うガンジーの「心」が、幼いころから差別に苦しんできた氏の命を揺さぶった。
 そして、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスへの留学から帰国した氏を、外交官に引き立ててくれた恩人が、ネルー初代首相であった。
 氏は中国、米国などの大使を歴任し、外相、副大統領をへて、国会・州議会議員ら約4900人の95%という圧倒的支持で、大統領に就任したのである。

                                       

 会見でSGI会長は、長編詩「永遠なるインド 新世紀の夜明け」を手渡した。
 「ありがとうございます。池田会長は偉大なる思想家であり、著作家であり、詩人です。私はいつも、池田会長の著作を熟読しているのです」と大統領。
 SGI会長が、「世界が学ぶべきスピーチでした」と就任演説に触れると、「池田会長の著作を読んで、そこからアイディアを引き出しているのです」と。
  「次はぜひ創価大学で」。SGI会長の提案に応え、2004年10月、氏は、夫妻で八王子市の創大キャンパスに赴いた。死去の1年前のことである。
 苦闘続きの青春時代にガンジー、ネルーの励ましを受けたからであろう。学生や、聖教新聞本社で、SGI会長と共に歓迎した未来部員、青年部員──若い人々を見つめる氏の瞳は、いつも優しかった。
 「私がうれしいのは、SGI会長に続く多くの青年がいることです」「青年たちに、新たな機会、新たな希望、そして新たな挑戦を与えなければなりません」と語っていた氏。
 SGI会長は「大統領に会うと、いつも青年の話になる」と振り返った。
  青年のために。その心が燃えている人もまた、永遠の青年である。


6、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道51

 釧路で男子部の会合が開かれる前日、菅山勝司は、牛の餌になる牧草を刈り取りながら、迷い続けていた。
 釧路までは列車で三時間ほどである。この時、彼は、一円の金もなかった。
 “来いと言ったって、どうやって行けばいいんだ……”
 空を見上げては、ため息をついた。
 作業着のポケットに入れた、会合開催の葉書を、何度も取り出しては読み返した。
 そのたびに、〝行くべきではないか……〟という思いが、強くなっていった。
 夕方、家に戻ると、ゴロリと横になった。釧路の先輩たちの顔が、次々と浮かんだ。
 〝待っているよ!〟〝信じているよ!〟〝立ち上がるんだ!〟――そう言っているように思えた。彼は、起き上がった。
 〝そうだ! 自転車で行けばいいんだ! 環境に負けていていいわけがない。皆と会い、山本先生のこともお聴きしたい〟
 そんな気持ちが、心のなかで頭をもたげた。
 〝今から出れば、間に合うだろう……〟
 自転車にまたがると、迷いを振り切るように、思いっきりペダルを踏んだ。舗装されていない道が続く。木の根っこにタイヤを取られないよう、ハンドルを強く握り締める。
 辺りには、街灯も人家の明かりもない。月も、星も、分厚い雲に覆われていた。自転車のライトの明かりだけを頼りに、必死にペダルを漕ぎ続けた。走るにつれて、息が苦しくなっていった。
 しかし、彼は、〝俺に期待を寄せ、待ってくれている先輩がいるんだ。負けるものか!〟と自分に言い聞かせた。
 足に力がこもる。額から汗が噴き出す。
 自分を信じてくれている人がいれば、勇気が湧き、力があふれる。その〝信〟をもって人と人とを結び、互いに育み合っていく人間共和の世界が創価学会である。
 四、五時間、走り続けた。
 ピシャッと、冷たいものが顔に当たった。彼は、漆黒の空を見上げた。雨であった。


7、社説  可能性を伸ばす夏休み 親子の語らいが希望の心育む

 夏休みも後半に入った。〝若芽〟の子どもたちは、挑戦の汗を滋養に、ぐんぐん成長する。子どもたちと有意義な時間を過ごしながら、かけがえのない家族との大切な思い出を一つ一つ刻んでいきたい。
 東京富士美術館(八王子市)で開催中の「発明王エジソン展」には連日、多くの親子連れが訪れる。発明品の数々に目を見張る一方、母ナンシーの家庭教育にも感動が広がっている。
 好奇心旺盛で疑問をぶつけてばかりの少年エジソンは、教師の手に余り、3カ月で小学校を退校処分に。母親が自ら個人教授を行う。疑問にとことん付き合い、一緒に学び、発見する喜びを教えていった。「成功するまで、絶対にあきらめない」エジソンの姿勢は、母子の触れ合いの中に育まれた。
 インドの詩人タゴールは10代の初め、父に連れられ、大旅行へ。ヒマラヤの峰を仰いで父は星座や天文学を語り、自然への愛を教えた。後に、暴力の渦巻く時代に抗い、生命の賛歌を謳ったタゴールは「父は死ぬまで、わたしたちの自立への道を妨げなかった」(森本達雄訳)と、真理を求める生き方を学んだことに感謝している。
 〝何があっても、お父さん、お母さんは自分を信じてくれている〟との安心感は、子どもの可能性を伸ばす土台となる。そうした〝親子の絆の結晶〟ともいえる思い出を、胸に抱く人生は幸福だ。
 池田名誉会長は語る。「幼い日に刻んだ思い出は『生涯の宝』であり、『心の糧』だ。孤独の時には友となり、苦難の時には支える力となります」と(『池田大作全集』第62巻)。
 家族の思い出は、心と心の触れ合いから生まれる。特に日ごろ接する時間の少ない父親は、積極的に心の交流に努めたい。子どもの夢を聞いたり、親が幼少時代の夢を話したりと、希望あふれる語らいを弾ませたい。
 とはいえ、思春期を迎えた子どもは、親の問い掛けに素直に答えてくれない場合もある。その際、親が自分を語り、今、生きている人生を語ることが有効だという(菅原裕子著『10代の子どもの心のコーチング』PHP文庫)。
 立派な話をする必要はない。成功も失敗も、ありのままに語るのがいい。苦しかった時、信仰や人生の師の励ましに支えられたという体験談は、わが子の心に永遠の宝を残すに違いない。
 子どもたちと〝宝の思い出〟を刻み、豊かな心とみずみずしい感性を育てたい。



8、今日の発心  聖人御難事 1190㌻
  

御書 ただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議わるからんは一定とをもへ(聖人御難事、1190㌻・編1209㌻)

通解 ただいちずに思い切りなさい。善い結果になるのが不思議であり、悪い結果になるのが当然と考えなさい。. 

【苦難への挑戦が生命を鍛える】

 熱原の法難の渦中、難を乗り越える〝覚悟の信心〟を促された一節です。

 1973年(昭和48年)、自身の原点となる中野兄弟会の結成式に参加。翌年、決意新たに高知に帰郷し、苦闘の日々のなかで同志と共に拝した忘れ得ぬ御書が本抄です。
 78年12月、宗門事件の嵐が吹き荒れるなか、池田先生は高知指導に訪れてくださいました。
 先生が「各分野の一流を目指してほしい。その意味からも青年期に定めた信条を生涯貫いていただきたい」と語られたことは、今も私の生命に焼き付いています。
 79年、本紙販売店主となり、同時に結婚。男子部本部長として広大な地域を広布に走りました。同時期、義父の病が悪化。そんな時、先輩がこの御文を通して指導してくれたのです。
 私は〝苦難に挑み続けるからこそ生命は鍛えられる〟と確信。直面していた困難と闘い抜くことができました。
 2006年、義父が他界。自身に鍛えの機会を与えてくれた義父に本当に感謝しています。原点を忘れず、生涯、師恩に報いてまいります。
高知牧口県長 村上吉廣



【社会の情勢】 

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