2014/8/16(土)の聖教
1、大震災の被災地 宮城 岩手 福島はじめ全国で厳粛に諸精霊追善法要
青年部 世界平和祈念戦没者法要
池田名誉会長が東北の同志にメッセージ
69回目の「終戦の日」を迎えた15日、青年部主催の「世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」が、東京・信濃町の広宣会館(本部別館内)で開催された。
戦没者法要は、池田大作名誉会長の提案で1973年(昭和48年)から始まり、今年で42回目。戦争の全犠牲者の冥福を祈り、平和建設の決意を深めてきた。
また、東日本大震災の被災地である宮城・岩手・福島をはじめ全国の会館や墓地公園等では「諸精霊追善勤行法要」が営まれた。
大震災で亡くなられた全ての方々、広宣流布の途上に逝かれた全同志と家族・親族、友人、先祖代々の追善回向を厳粛に行うとともに、戦没者法要の意義も込められた。
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東北での勤行法要には、名誉会長がメッセージを寄せた。
名誉会長は、日蓮大聖人が、白馬のいななきを聞いて生命の威光勢力を増した大王の故事を通し、最愛の父を亡くした女性門下を励まされた御聖訓(御書1424ページ)を拝読。「偉大な東北の皆様方が朗々と唱える題目の大音声こそ、白馬のいななきが大王を蘇らせた如く、生死を超えて縁する方々の生命を包み、成仏せしめ、蘇生せしめていくことは、絶対に間違いありません」と力を込めた。
さらに東北家族には「何ものにも負けない変毒為薬の信心」「この世で最も強く美しい異体同心の心の絆」があると強調した。
2、わが友に贈る
各地の行事で熱演する
音楽隊・鼓笛隊の皆様
本当にありがとう!
心を潤す希望の妙音に
皆が感動! 皆が喝采!
3、御書とともに Ⅱ 名誉会長が指針を贈る 【24】正法伝持の人は「国宝」
御文 伝持の人無れば猶木石(もくせき)の衣鉢(えはつ)を帯持(たいじ)せるが如し(顕仏未来記、508㌻)
通解 (経典があっても)仏法を持(たも)ち、伝えていく人がいないので、それはちょうど木像や石像が法衣を着て、鉢を持っているようなもので、何の役にも立っていない。
【同志への指針】
後継を育てることは、未来を創ることだ。
学会の後継育成は、世界平和の種を植えることだ。
広布の人材が増えれば、地球上の悲惨を減らせる。
未来部の使命は、あまりにも大きい。
正法を伝持し、皆を照らす人は「国宝」ともいえる。
ならば、伝持の人を育てる人も「国宝」なり。いな。「世界第一の宝」である。
4、名字の言 厚田の小・中学校の校長から図書が不足していると聞いた戸田会長は、その場で贈書を約束。名誉会長の手配により、わずか帰京10日後に寄贈された。
北海道石狩市の厚田区で、約30年間、婦人部員らが「読み聞かせ運動」を行っている。彼女たちに今年、市から「教育功労章」が贈られた▼同区には昔から書店がない。学校以外には図書館もなかった。子どもたちの良書との出合いを応援しようと、ボランティアで活動を開始。今も毎週、地元の小学校で読み聞かせをしている▼この活動が始まった理由が、もう一つある。1954年(昭和29年)8月、池田名誉会長が戸田第2代会長と共に北海道を初訪問した時のこと。厚田の小・中学校の校長から図書が不足していると聞いた戸田会長は、その場で贈書を約束。名誉会長の手配により、わずか帰京10日後に寄贈された。贈られた書籍を収めた本棚は「戸田文庫」と命名され、子どもたちに親しまれた▼戸田文庫の本を読んで育った子どもたちは、やがて親になった。その中に先の婦人部員がいた。戸田文庫に感謝を込めて始めたのが、先の読み聞かせ運動だった。「今回の表彰も、戸田文庫あったればこそ」と語った▼厚田は、戸田会長の故郷である。名誉会長も「第二の故郷」との思いで、さまざまな地域貢献の行動を続けてきた。良き書は良き心を育む。その源には、60年にわたって貫かれてきた、深い師弟の心がある。(鉄)
5、寸鉄
★ 御書には人類の危機を転じる道が―博士。知性も賛嘆。わが心肝に染めよ
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★ 己に勝つことこそ最上の勝利―文豪。朝が要だ。朗々たる勤行から出発!
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★ 各地で交通混雑。行動は決して無理せず焦らず。絶対無事故で充実の夏に
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★ 若い時にやれば…1位は勉強と。挑戦に遅すぎる事なし! 生涯向上の心を
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★ 不登校の小中生、前年比7千人増。深く寄り添い励ましを。大人の責任で
6、小説『新・人間革命』第27巻第4章 求道54
菅山勝司は、一九六五年(昭和四十年)、男子部の支部の責任者である「部隊長」となり、九月二日、学会本部で山本伸一から部隊旗を受けた。彼は、闘魂を燃え上がらせた。
菅山が担当したのは、別海をはじめ、中標津、標津、羅臼、標茶、弟子屈まで広がる広大な地域であり、面積は福岡県に匹敵した。
ここを“戦野”に走りに走った。三百数十人で出発した陣容は、一年後、四百七十人へと拡大する。彼の地道で粘り強い行動と精神は、後輩たちに脈々と受け継がれていった。
「別海」の名が、一躍、全国に轟いたのは、七〇年(同四十五年)十二月、「開拓」をテーマに行われた第十九回男子部総会であった。
席上、酪農家を志し、東京から新天地・別海に移住した杉高優が、苦節八年で得た勝利の歩みを、体験発表したのである。
――希望にあふれて入植し、結婚する。彼は、入会していたが、真面目に信心に励もうという決意は全くなかった。当初、酪農は順調だった。しかし、三年続いた冷害で牧草などの飼料が不足し、十頭いた牛のうち五頭を失う。大自然の非情な力を呪った。また、二歳の長男も事故で他界したのだ。
絶望のなかで、“信心だけは忘れてはいけないよ”との、母親の言葉を思い起こす。
その杉高のもとへ、学会の先輩が、往復約百キロの道のりを、厳寒のなか、バイクで激励に通い続けた。中標津で小学校の教員をしている、あの青年であった。杉高は、真心と情熱に打たれ、信心で立とうと心を定める。
経営を立て直すために、祈りに祈り、努力と工夫を重ねた。農場は約四十三ヘクタールに増え、生まれた牛は、皆、高値のつくメンタ(雌牛)で、乳牛は三十頭にもなった。
また、男子部大ブロック長となった杉高は、先輩が自分にしてくれたように、地道に訪問指導を続けた。メンバーは、一人、二人と立ち上がり、二十三人の部員全員が座談会に出席するまでになったのだ。
入魂の個人指導が伝統として継承されてこそ、地域広布の未来は燦然と輝く。
7、生老病死を見つめて 死を受け入れる ④
「自らの宿命と戦え 自らの運命と戦え 信仰者らしく 地湧の戦士らしく」(作業中)
【社会の情勢】
◆ 恒久平和に誓い新たに 東京で戦没者追悼式 69回目の終戦記念日
◆ 中小企業64・5%賃上げ 前年度から7・7%増加 経産省調査
◆ 核軍縮進世界築く 積極的対話で課題解決 公明党
◆ マリキ首相続投断念 イラク、政局混迷脱却へ一歩
◆ 隠れた「郷土料理」探せ 和食保護図る 全国に発信 農水省