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2014/8/17(日)の聖教

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2014/8/17(日)の聖教


1、サンデーリポート 北海道・厚田の発展 池田名誉会長の初訪問から60周年

恩師の故郷に 幸福の花園を!

   池田名誉会長が戸田第2代会長に同伴し、北海道の厚田を初めて訪れたのは1954年(昭和29年)8月16日のこと。厚田は戸田会長が少年時代を過ごした思い出深き場所であった。この訪問から60周年。恩師の故郷の繁栄を願い、行動してきた名誉会長と、厚田の発展の軌跡を追った。

  「この海と厳しい自然が、ぼくを育ててくれたんだ」
  60年前、日本海の荒海が打ち寄せる厚田の浜辺で、戸田第2代会長は、26歳の池田名誉会長に語る。そして続けた。
 「海の向こうには、大陸が広がっている」「世界に、妙法の灯をともしていくんだ」
 厚田への師弟旅。その帰路、戸田会長は愛弟子に、こうも語り残した。
 「おれの故郷である北海道を大切にしてくれ」
 世界広布と故郷の発展という恩師の願い。名誉会長は、それを遺言と受け止めた。

 

 60年前、師弟が宿泊したのは、戸田会長の縁者が営んでいた戸田旅館。現在も、戸田住さん(副白ゆり長)が切り盛りしている。
 「戸田先生と池田先生の歴史が刻まれた旅館ですから、大切に守っていきたい」
 名誉会長は2度目の厚田訪問(1960年8月)の折にも、この旅館に足を運び、数十人ほどの同志と懇談した。
 厚田は自身が世界への旅立ちを誓った舞台と語り、「どうか、皆さんで力を合わせて、私に代わって、ここに幸福の花園を築いてください」と望んだ。
 名誉会長は恩師の故郷のことを各地で語り、文章につづり、「厚田村」の詩も詠んだ。
 その心に触れ、厚田を訪れる学会員の中に、戸田旅館を宿とする友も多かった。
 飯田俊雄さん(副本部長)は、そうした全国の同志と触れ合うにつれ、名誉会長から厚田に生きる使命を教えられているとの思いが募った。
  飯田さんは、旅館近くで喫茶店を始めた。その店には後に、名誉会長が訪れた。
 コーヒーを口にして一言。
 「戸田先生にも飲んでいただきたかったな」
 恩師への深い思いを感じた。
 名誉会長の厚田訪問は11度。その間、学会員であるなしにかかわらず、一人一人と会い、原点をつくっていった。
  「世界広布の先駆を走るのは厚田です。その誇りを池田先生が与えてくださいました」と、厚田支部の小野寺美世支部婦人部長。昨年には、支部内の地域のうち6割の世帯に、本紙の購読推進を果たした。

 

 11度の訪問の中でも、とりわけ地域貢献の扉を開いた出来事として、厚田の同志があげるのは、73年(昭和48年)9月8日の「村民の集い」である。
 多くの村民が参加した催しには、、名誉会長も出席。図書贈呈をはじめ、厚田のために尽くそうとする名誉会長の姿に村民が直接触れたことで、地域と学会の垣根が、一気に低くなったという。
  学会が開いたこの集いは、翌年も行われ、3回目からは地元観光協会の主催になった。
 今でも「厚田ふるさとあきあじ祭り」として続けられ、地域の絆を強める場となっている。
 元厚田村商工会会長の澤田富男さんは、「学会の方々は、地域のために献身的に働いてくださる。交流する中で、心から実感しました」と。
 厚田がさらに発展する契機になったのは77年(昭和52年)10月、戸田記念墓地公園のオープン。
 厚田を訪れる人の約7割が、墓園への来園者。特に園内の8000本の桜は、道内屈指の桜の名所として知られ、毎年、多くの人々でにぎわう。
  石狩観光協会の大川修司代表理事は語る。
 「墓園は厚田を支えています。全ては、池田名誉会長が厚田のことを、世界に発信してくださっているおかげです」
 墓園に勤めていた佐藤幸恵さん(県副総合婦人部長)には、忘れ得ぬ思い出がある。90年(平成2年)7月、名誉会長と一緒に、一人の来賓を見送った時のことである。
  名誉会長と共に深く礼。来賓を乗せた車が遠ざかり、佐藤さんは頭をあげた。
 しかし、名誉会長は頭を下げたまま。優しい声で「最後まで、お客様をお見送りするんだよ」と。そして名誉会長は、車が見えなくなるまで、その姿勢を崩さなかった。
  「墓園を通して信頼が広がっているのは、池田先生が、墓園に来られる一人一人を真心を尽くして迎えるよう、一つ一つ教えてくださったからです」

 

 2005年(平成17年)10月、「厚田村」は、隣接の石狩市、浜益村と合併し、「石狩市厚田区」になった。
 直前に行われた閉村式。村は、厚田の栄誉村民である名誉会長に招待状を出した。出席はできなかったが、村が用意したのは、来賓側ではなく、「村民側」の1番目の席であった。
 当時の村長だった牧野健一さんは「池田先生あっての厚田。村への貢献を考えれば当然のことでした」と振り返る。
 2010年(平成22年)には根牧野さんら地元の名士によって、小説『新・人間革命』の1節が刻まれた「平和への誓い」の碑が厚田公園内に建立された。
 生命うるおい、日本海の潮騒も涼やかな厚田の夏。戸田第2代会長から名誉会長へと託された故郷への思いが、輝いている。



2、名誉会長と共に 新時代を開く 【30】友情を結べ!開かれた心で

  よき友情を広げゆくことは、人生の大きな喜びである。
 広布に生きる皆さんこそ、人間共和の太陽であり、友好の全権大使である。仏法の真髄は、人の振る舞いにあるからだ。
 近隣の友と出会う。「いつもお世話になります」 「お元気ですか」「お体を大切に」──何か一言、添えるだけでも、心が通う。久しぶりに会う古い友にも、初めての新しい友にも、励ましの声、温かな声を分け隔てなく掛けていくことである。
 悩める友に、大誠実を尽くす。皆が喜ぶように力を注ぐ。慈悲があれば、智慧は、いくらでも出てくる。「あなたのことは忘れない。どんなことも相談してほしい。私も相談したい」という心のゆとり、心の広さをもっていきたい。
 信じ合える心の絆は、人生の宝だ。善き友が多い人こそ、最も富める人であろう。

  *   *

 日蓮大聖人は、「一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である」(御書758㌻、通解)と述べられ、平和と幸福の大法を残された。
 世界にも、国家にも、個人にも、「悲惨」という文字が使われない時代を──これが恩師・戸田先生の願いであった。
 全同志に功徳を受けきった生活をさせたい。全世界に向かって「創価の友の勝利の姿を見よ」と誇り高く訴えたい──これが恩師にとって総仕上げの戦いであった。
 師は叫ばれた。
 「一人として功徳を受けない者はない、みな功徳を受けているという実証輝く、信心の闘争をしようではないか」
 私も、ただ祈るのは、友の幸福であり、世界の平和である。
 道は遠いようでも、一人また一人と、開かれた心で語り、共に希望に生きる。その友情の広がりに永遠平和の直道がある。



3、わが友に贈る

 車での移動は
 絶対に無事故で!
 尊き使命の人生だ。
 決して油断せず
 安全第一の運転を。



4、名字の言  児童養護施設。日本では3万人以上の子どもたちが暮らしている。

  さまざまな事情で、親と暮らせない子どもたちが住む児童養護施設。日本では3万人以上の子どもたちが暮らしている。アジア各国のドキュメンタリーで有名な刀川和也監督が、国内の一つの施設に8年間、通い続け、作った映画「隣る人」の上映会に参加した▼困難を抱える子どもたちと、「家族」のように接する保母さん(保育士)たちの交流。終始、たくさんの観衆がハンカチを目に当てている。上映後、大阪で子どもたちの支援ボランティアをしている婦人が懐かしい思い出を語っていた▼――子どものころ、近くに児童養護施設があった。通っている小学校のクラスには、施設から来る子どもたちがいて、友だちになった。その施設の寮に暮らす若い保母さんがいた。お姉さんのように慕われていた。私のこともかわいがってくれた。ピアノも教えてくれ、寮の小さな部屋に習いに通った▼思い出を語った婦人は創価学会員。そのお姉さんは、未来部の担当者でもあった。寮から自転車を走らせて、いつも未来部員の家を訪ねてくれていた▼子どものとき、そばにいて、励ましてくれた大人の存在は、いつまでも温かい思い出として、人の心に残る。未来部の、そして地域の子どもたちに寄り添う、そんな「私」でありたい。(哉)



5、寸鉄

★   SGIは思想性と行動性備えた社会貢献の模範―博士。人類のために邁進
      ◇
★ 「全部、人で決まる。一人の人間で決まる」恩師。一人立ってこそ青年なり
      ◇
★ きょう文芸部結成の日。破邪顕正のペンの勇者よ 師の大言論闘争に続け!
      ◇
★ 氷河減少の原因の7割、人間社会の活動―研究。環境保全へ文明の舵切れ
      ◇
★ 土砂災害の危険箇所、全国各地に52万カ所と。防災・減災へ公明が牽引を



6、座談会 希望大陸の広布広がる  コートジボワールに幸福の波  
(作業中)



7、社説  未来部で各種コンクール “挑戦する心”たたえ自信育む

  創価学会未来部の夏の伝統である各種コンクール――。31日に迫った締め切りに向けて、中・高等部員は「読書感想文コンクール」(未来ジャーナル主催)に挑み、少年少女部員は「きぼう作文コンクール」(少年少女きぼう新聞主催)と「少年少女希望絵画展」(少年少女部主催)に全力で挑戦中だ。
 とはいえ、鍛えの夏を過ごす未来部員たちにも、それぞれ悩みや葛藤がある。親や担当者の一人一人が、彼らに寄り添い、その声に耳を傾け、思いや情熱に共感しつつ、子どもたちが自信を深めることができるよう、真心の励ましを送りたい。
 世界桂冠詩人の池田名誉会長は小学1年生の時、初めて書いた作文を担任の先生に褒めてもらった。それが自信になり、詩や小説を書く原点になったと綴っている(『新・人間革命』「若芽」の章)。未来部時代の激励を胸に深く刻み、現在、教育・経済・芸能など各界の第一線で活躍する同志も多い。
 子どもたちの“挑戦する心”と、それをたたえる言葉が、彼らの可能性を開くのである。
 感想文や作文を書く際には、自身の感じたこと、考えたことを率直に綴ることが大切だ。学校の成績の良い生徒が心に響く文章を書くとは限らない、と教育部の友が語っていた。もちろん上手な文章を書く努力は必要だが、「自分の思いを届けたい、知ってほしいという素直な心が強いほど、読み手の琴線に触れる言葉を生み出し、何か大切なことを教えてくれます」と。
 大阪に住む男子中等部員の一人は、仮死状態から奇跡的に生を受けたが、生後から重度の障がいがある。成長しても発作が止まらず、会話もままならない。2009年(平成21年)から、母、きょうだい、自身と相次ぎ入会。以来、学会家族の温かな励ましを受けながら育った。
 小学5年生の12年(同24年)、弟と一緒に「きぼう作文コンクール」に初挑戦し、「チャレンジ賞」に。昨年は、弟や妹と共に応募し、「きぼう賞」に輝く。“やればできる”との自信をつけたころ、発作が治まった。今春、中学校に入り、今回の「読書感想文コンクール」に初めて応募した。
 名誉会長は、後継の友に「どこまでも、私たちは一緒なんです。私と、また良き友、良き先輩、良き後輩と共に、一歩一歩、勝利へ向かって歩いていくんです」と呼び掛けた。
 希望の翼で使命の大空を飛びゆく未来部員と共々に、大成長の夏を過ごしたい。



8、今日の発心  寂日房御書  902㌻ 

御書 夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法・是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり(寂日房御書、902ページ・編1206ページ)

通解 およそ人間の身を受けることはまれである。すでにまれな人身を受けている。また、あいがたきは仏法であるが、これもあうことができた。同じ仏法の中でも法華経の題目にあいたてまつり、結局、南無妙法蓮華経の題目の行者となった。. 

【妙法に出合えた感動胸に躍進】

 人間として生まれ、仏法に出合い、しかも妙法を実践できる身となったことの尊さを教えられています。

 生後まもなく養女に出された私は、青春時代、肉親に縁がない自身の宿業に悩みました。
 しかし、1972年(昭和47年)、大阪・堺での記念撮影会において池田先生にお会いした時のこと。先生は「ご両親を大切に!」と呼び掛けてくださいました。その瞬間、心がスッと救われたのを覚えています。肉親、養親への感謝が湧いたのです。以来、妙法に巡り合えた感動を胸に、常勝関西で思う存分、戦い抜きました。
 結婚を機に転居が続きましたが、どの地にあっても同志と共に広布に走り抜いてきました。3人の子どもも創価大学を卒業し、使命の舞台で活躍しています。
 男子部、女子部を先頭に、鹿島広布の人材城を構築し、世界広布新時代を躍進してまいります。
茨城・鹿島県総合婦人部長 坂ノ上清子



【社会の情勢】
 

◆ 次世代車 普及へ規制緩和 水素ステーションの立地規制緩和 政府
◆  女子目線の防災グッズ 各地で活動広がる
◆ 緑化基準26年ぶり改定 街路樹のツツジなくても可 国交省方針
◆  変わり種マラソン人気 「夜間走」「給スイカ所」など


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