2015/1/19(月)の聖教
1、SGI発足の地 グアムが40周年を祝福 原点となった国際貿易センター隣接の道を「SGI平和の道」に2、SGI派遣団が米・下院議員と会見
本年1月26日を
準州知事が「ダイサク・イケダSGI感謝の日」
準州議会が「平和の世界王者の日」と宣言
【グアム16日】SGI(創価学会インタナショナル)発足の地であるアメリカのグアムで16日、発足40周年を祝賀する行事が盛大に開催された。グアム経済の中心都市タムニン市が、国際貿易センターに隣接する道路を「SGI平和の道」と命名。グアム準州のエディ・カルボ知事、ルイーズ・リベラ市長が列席し、銘板の除幕式が同所で行われた。また、同知事から、池田SGI会長とSGIの世界平和への一貫した努力と献身を讃え、本年1月26日を「ダイサク・イケダ博士とSGI感謝の日」とする宣言書が贈られた。さらに、準州議会がSGI会長夫妻を顕彰し、同日を「ダイサク・カネコ・イケダ 平和の世界王者の日」と宣言した。銘板の除幕式と両宣言書の授与式には、笠貫SGI主任副女性部長、横田同副女性部長が出席。アメリカSGIのナガシマ理事長をはじめSGIの代表が祝福した。(記事=制野大介、写真=笠松光一)
世界の憧れの天地・グアム。一年を通して多くの人々でにぎわう常夏の楽園。
しかし、第2次世界大戦では、戦火の渦と化し、島民を含む多数の犠牲者が出た。
残酷な戦争に苦しめられた地だからこそ、平和の大波を起こす尊き使命がある――。
1975年1月26日、51カ国・地域の代表がグアムに集い、国際貿易センターで第1回「世界平和会議」を開催。この時、生命尊厳の仏法の理念を掲げた世界的な組織として創価学会インタナショナルが発足した。
池田大作SGI会長は参加した友に、平和建設への断固たる決意で訴えた。
「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と。
以来40星霜――。
SGIは192カ国・地域へ発展し、人類の平和と幸福を目指す民衆の大連帯が地球を包む時代を迎えた。
今回、命名された「SGI平和の道」は、原点の地である国際貿易センターに隣接する。タムニン市評議会の全会一致をもって決議された。
リベラ市長が設置への思いを語った。
「平和、そして人々の幸福を目指した団体が、この地で誕生しました。SGIは地域社会の重要なパートナーです。SGIの皆さんと行動することは、私の喜びでもあります。その皆さんにとって、国際貿易センターは、かけがえのない場所です。ゆえに、市民が、この道を通ることで、世界の平和、そして自身の心の平和を考えてほしいと願い“平和の道”と名付けたのです。
2、SGI派遣団が米・下院議員と会見
【グアム16日】笠貫SGI主任副女性部長らSGI派遣団は知事官邸で16日、アメリカのマデレン・ボダーリョ下院議員と会見した。
同議員は、40年前、SGI発足時のグアム準州知事であったリカルド・ボダーリョ氏の夫人である。会見では、当時のSGI会長との出会いを述懐。「平和のためにSGIと手を携えていきたい」と期待を述べた。
3、今週のことば
家庭訪問・個人指導こそ
友の躍進のパワーだ。
「一」は「万」の母なり。
縁する一人に励ましを!
新たな人材を手作りで。
4、名字の言 「上り坂」と「下り坂」
坂の途中にある、地区部長宅で開かれる座談会。坂下から訪れる壮年が「毎月の座談会に、つえなしで参加したい」と新春の抱負を述べた。今や生活につえが手放せないが、座談会には、それに頼らずに参加したい、と▼昨年は坂の3分の2まで、つえを使わずに歩けた。今年は残り3分の1を制覇するという。「小さな目標ですが……」と控えめながら、言葉には決意がにじみ、真摯な求道心、燃える闘争心が光っていた▼人生は、さまざまなものに例えられるが、坂道もその一つ。上り坂の時は、苦労も多いが、一歩一歩に充実感、達成感がある。だが、何かでつまずき、下り坂と感じる逆境の時こそ、人間の真価は問われる▼下り坂の人生を通して、多くを学んだと語る医師の鎌田實氏は、上り坂の人生を送るには、「生きがい」や「目標」を持ち続け、「絆」を強くすることが必要と訴える(『下りのなかで上りを生きる』ポプラ新書)。学会の座談会には、生きがいを使命として見いだし、目標にまい進する友がいる。絆を結び合う同志がいる▼先輩の体験に勇気づけられ、未来へと伸びゆく若い力に触発される――そんな毎月の座談会で“信心の足腰”を鍛え、変転極まりない人生を、朗らかに、力強く勝利していきたい。(杏)
5、寸鉄
★ SGI発足の地グアムで40周年の慶祝行事。人間共和の大輪は192国に爛漫
★ 「法華経は種の如く仏はうへての如く」。妙法の種を友の心に!今日もまた
★ 大事業は20代、30代でやる決意で―恩師。若人よ 大胆に動け!後継らしく
★ アジアの安定へ日本の動きを国際社会が注視と。今こそ真の信頼の礎築け
★ 危険薬物には覚醒剤・麻薬以上に有害な物多し。脱命の魔物を断じて根絶
6、地平線を越えて SGI会長との心の絆 ハワイ ③
楽土に響く幸の調べ
「いい天気で、良かったね!」
陽光が明るく照らすハワイ文化会館。池田SGI会長は、敷地に入ってすぐ車を降りた。
1995年1月30日の昼下がり、ハイビスカスの花ややしの葉が、そよ風を受け、やさしく揺れる。
青空の下、「世界広布勇者の碑」の除幕式が行われた。全世界の創価班、牙城会、白蓮グループ、転輪会、金城会、白樺会、白樺グループ、設営グループをたたえる碑である。SGI会長の名と共に刻まれた碑文は、こうある。
「ここ平和の楽園ハワイの天地に 我が敬愛する君ら世界広布勇者の碑を建立す 以て その尊き労苦を顕彰し 悠久の幸と凱歌の人生を胸奥より 祈るものなり」
SGI会長は碑に向かって合掌した。
会館の中では、世界の会館・研修道場の管理者を記念する「礎会栄誉の碑」の除幕。草創から広布に尽くすメンバーに声を掛けた。
「懐かしいね」
「いつまでもお達者で! 健康で! 長寿で! 朗らかに!」
同文化会館の場所には、四半世紀にわたり広布の中心会場となったハワイ会館があった。勤行会やガーデンパーティーなど、SGI会長と同志の思い出が詰まる。新・文化会館の誕生後、SGI会長の訪門は初。館内にはメンバーの思いが掲げられていた。
「Welcome Home,Sensei(センセイ、お帰りなさい)」
☆☆☆
「苦労してハワイ広布を切り開いた“パイオニア”の方々が、センセイと会った時の笑顔は忘れられません」と振り返るキャロル・ペリカイさん。ハワイ第2総合方面の青年部長だった。
85年に、SGI会長と懇談する機会があった。母を亡くし、悲しみをぬぐいきれなかった当時。その気持ちに、SGI会長は寄り添う。
「お母さんは、あなたの心の中で、ずっと生きているんだよ。それが真の仏法なんだ」
この一言が胸に染み込み、前を向くことができた。
この95年のSGI会長の訪問でペリカイさんは、スタッフが集まる運営本部にいることが多かった。その“陰の一人”へ、SGI会長はワイキキの絵はがきに揮毫して贈った。
「幸福の
指揮をたのまむ
王女かな」
ペリカイさんは「センセイと同志の間に何の壁もありません。直接、心が触れ合っているのがハワイです」と喜ぶ。師の思いがこもる天地で今、ハワイ総合本部婦人部長として日々、友を励ます。
☆☆☆
文化会館でSGI総会が開かれた。拍手の中でSGI会長が入場。だが、壇上に向かわない。後方へ続く通路を歩き、参加者の間に入っていく。あいさつを交わしていく。どの顔にも笑みがこぼれる。
壇上に着くとマイクを握った。
「ハワイはこんなに陽気で、平和な場所なんだから、きょうは徹底して遊んで!」
ユーモアに爆笑が起き、場内がなごむ。
表彰や勤行が続き、「パラダイスコーラス」が合唱。
「一生忘れません。本当に素晴らしい!」
SGI会長は立ち上がって胸に手を当て、最大の敬意を表した。
スピーチでは、こう述べている。
「この一生で、断じて『絶対的な幸福境涯』を勝ち取らなければそんである。そのための今世の仏道修行である。いつかではない。今、戦いきることである。いかなる変化にあっても、頭(こうべ)を上げ、朗々と妙法を唱えながら、広宣流布という大目的に徹していくことである」
そして「わが愛するハワイの楽土に、永遠に平和あれ! 安穏あれ! 栄光あれ!」と呼び掛けた。
にぎやかなうちに総会が終わろうとした、その時。
「御礼に」
SGI会長は歩き出した。壇から降り、ピアノへ。湧き起こる歓声。鍵盤に向かうと、静寂に変わり、旋律が響く。
「荒城の月」
「熱原の三烈士」
さらに“大楠公”。
時にゆったり、時に力強く。目を閉じて聞く人。一節一節、うなずく人。歌詞を口ずさむ人もいる。
アメリカの軍関係者と結婚し、渡米してきた「戦争花嫁」をはじめ、日本人・日系人が多い。日米開戦後で差別や困難とぶつかり、歯を食いしばって広布を進めてきた。師匠が奏でる励ましの音色、懐かしい“故郷”の調べに、何人もが目元をぬぐった。
☆☆☆
ハワイ第1総合方面の副男子部長だったタカシ・ホリウチさん。会館の廊下で役員として立っていると、SGI会長が通った。
「どこで働いているの?」
握手しながら話し掛けるSGI会長。
「旅行社で働いています」
「そうか、頑張ってね!」
SGI会長は、自身の服のポケットに手を入れた。何かを贈れないかと探している。突然の出会いでも心を尽くす姿に、ホリウチさんは報恩を決意した。
ハワイ産業の柱は観光業。その競争の中で生きてきた。ホテルでツアーコーディネーターを務め、今は主にドライバー兼ガイドとしてオアフ島周遊ツアーを担当。
「師に誓った以上。何があってもこの世界で生きようと決め、やり抜いてきました」
人を笑顔にする仕事を誇りに、使命の道を走る。
☆☆☆
SGI会長の訪問をスタッフとして支えたジェラルド・オダさんは、大学生だった。
「みんながおなかをすかせていないか。心地よく過ごせているか──そうした配慮を間近で見て、同志のことを真っ先に考えるセンセイに、胸を打たれました」
広布の最前線に立つ両親のもと、学会の庭に育った。。青春の苦悩にぶつかり、大学を辞めようかと思った時、SGI会長の真心に奮起して卒業。保険会社への就職も勝ち取る。
長年、少年野球や高校野球を指導してきた。2001年にオアフ島で起きた愛媛県立宇和島水産高校の実習船沈没事故の後、ハワイと愛媛の交流少年野球大会が開催され、ハワイチームのコーチに。また2005年には「カル・リブケン世界少年野球大会」で優勝を果たす。
「野球の技術だけじゃなく、子どもたちに価値ある人生を生きてほしいと願い、指導しています。『一人一人が使命をもった大切な人なんだ』って伝えながら」
ダイヤモンドへツド総合本部長として学会活動に奮闘し、仕事も、社会貢献の青少年育成でも活躍。その原動力を、オダさんはこう語る。
「それが、センセイへの恩返しですから」
7、『新・人間革命』 第28巻 第1章「広宣譜」 (49)
米子までの車中で、「四国の歌」の歌詞は出来上がった。山本伸一の一行が、米子文化会館に到着したのは午後四時半であった。
伸一は峯子と共に、県幹部の案内で文化会館の構内を視察していった。数本の楠の前まで来た時、木にそれぞれ名前をつけてほしいと頼まれた。
彼は、「右近楠」「左近楠」「牧口楠」「戸田楠」などと命名し、最後の一本の前に立つと、県幹部の顔を見て語った。
「これは、『無名楠』とします。無名無冠の王者という意味ですが、次の会長が来た時に、名前をつけてもらうためでもあります」
皆にとって、予期せぬ言葉ではあったが、誰も深くは考えなかった。“会長は、山本先生しかいない”と思っていたし、そうではない学会など、考えられなかったからである。
伸一には、“広布の未来を展望し、しかるべき人材の流れができたならば、日本の創価学会の会長職は委ねて、自分は世界の広宣流布と平和のために、自由に、全力で走り回りたい”という強い思いがあった。
伸一の胸には、恩師・戸田城聖が故郷・厚田村の海を見ながら、語った言葉がこだましていた。
「君は、世界の広宣流布の道を開くんだ。構想だけは、ぼくが、つくっておこう。君が、それをすべて実現していくんだよ」「東洋に、そして、世界に、妙法の灯をともしていくんだ。この私に代わって……」
御聖訓には、「日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(御書五八九ページ)、「日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(同)とある。
伸一は、自身のその胸のうちを、何度か学会の首脳に打ち明けてきた。自分が会長を退いても、皆で責任を担い、日本の広宣流布の総仕上げをしてほしいとの思いからであった。彼は、世界広布の大空へ大きく飛翔する日を心に描きつつ、日本の組織を盤石なものとするために、全精魂を注いで各地を回っていたのである。
8、座談会 躍進の鐘を鳴らせ (5)地域に希望届ける無冠の友
全国で「新春配達員会」を開催
リーダーは無事安穏を深く祈念
吉井 全国で今、聖教新聞を届けてくださる配達員「無冠の友」の皆さんの“新春の集い”が、開催されています。
原田 池田先生が「広布の最大の功労者」とたたえられる、お一人お一人です。何度、感謝を伝えても言い過ぎることはありません。毎日毎日、本当にありがとうございます。
橋元 先生は言われています。日本中、世界中の人々に聖教新聞を読ませたい――「恩師・戸田城聖先生の御遺言を先頭切って実現してくださったのは、まぎれもなく皆様です」「日本中の同志を激励して回りたい――私に代わって師弟の熱願を叶えてくださっているのも、間違いなく私と不二の『無冠の友』です」と。
杉本 「無冠の友」をたたえ、先生が詠み贈られた句・和歌も数知れません。
「この地域 わたしが守りて 幸の道」
「広宣は 無冠の友の 足音に」
「はつらつと 今日も歩まむ 希望道」と。
原田 “希望・智慧・文化・勇気”を配達する無冠の友の皆さまが、一番、希望にあふれ、一番、勇気みなぎる人生を送っていけることは間違いありません。
杉本 配達という皆さまの真心の一歩こそが、まぎれもなく広宣流布の道を切り開いているのです。
正木 先生は、「晴ればれと 胸張り頼まむ 我が同志の 無冠の王者の 瞳忘れじ」と詠まれたこともあります。
原田 いかなる時も、先生と奥様の胸中から「無冠の友」の皆さまの奮闘が離れることはありません。
吉井 小説『新・人間革命』第10巻「言論城」の章には、その心境が綴られています。「山本伸一は、各地の配達員の奮闘を聞くにつけ、深い感謝の思いをいだき、合掌するのであった。彼は、配達員や取次店の店主らの無事故を、日々、真剣に祈り、念じていた」
正木 また、「全国の天気が、気がかりでならなかった。朝、起きて、雨が降っていたりすると、配達員のことを思い、胸が痛んだ。そんな日は、唱題にも、一段と力がこもった」とも書かれています。
原田 これが先生の思いです。
「寒風に 広布の英雄 忘るるな」
「祈りきれ 無冠の友の 無事安穏」
リーダーは、こうした先生の句を胸に刻み、厳しい寒さの中、走り抜かれる配達員の皆さまの無事故を、より一層、強く真剣に祈り抜いてまいりたい。
「仏の使い」を賛嘆
橋元 聖教新聞を購読している政治評論家の森田実氏も、配達員の皆さんの姿をたたえている一人です。
竹岡 森田氏の家の新聞受けには、毎日、早朝に聖教新聞が入ります。いつか、あいさつをせねばと思い、ある冬の寒い日でしょうか、森田氏は玄関で配達員の方を待たれていました。
橋元 その時の印象を、こう語っています。「なんとすっきりして、爽やかで、本当に立派な姿でした」
竹岡 ある時は、去っていかれる後ろ姿に向かい、御礼をされていたそうです。それを見ていたマンションの管理人さんから「何をされているんですか」と尋ねられ、答えたそうです。「仏さまの後ろ姿に、最敬礼しているんですよ」
吉井 日蓮大聖人は、けなげに広布の歩みを進める弟子をたたえて、「大地の善神は、あなたの足を大切に押しいただいて喜び、釈迦仏は、霊鷲山より、手を差し伸べて、あなたの頭をなでられることでしょう」(御書1394ページ、趣意)と仰せです。
原田 来る日も、来る日も、仏意仏勅の創価学会の機関紙である「聖教新聞」を届けてくださる、配達員の皆さまこそ、大聖人が深く賛嘆される「仏の使い」であることは、仏法の法理に照らし間違いありません。
人間性の美しき光
杉本 かつて、先生が配達員の皆さまに教えてくださった史実があります。その昔、ドイツの一都市に、質素な身なりをした一人の老人がいたそうです。
正木 彼は、はだしの子どもたちが、遊びたわむれる路上で、その子どもたちの喜々とした姿を楽しそうに眺めながら、しきりに何かを拾い、懐中に収めていたそうです。
杉本 それを見た警官が老人をとがめ、言葉荒く詰問しても、老人は笑って答えませんでした。そこで、警官は、強引に懐中を探ります。すると、出てきたのは、たくさんのガラスの破片だったのです。
正木 いたいけな子どもたちの足が傷付くのを防ぐため、慈愛あふれる行動をとっていた、その人物こそ、かの大教育者ペスタロッチでした。
杉本 先生はうたわれました。「我が愛する 無冠の同志も/少しでも早く……/ぬれないように……/広布の便りを/一人の友に届けゆく/細やかにして温かなる心配り/誠実と親愛/そのあなた達の心こそ/我が敬愛するペスタロッチにもまして/人間性の美しき光を放っている」と。
竹岡 本年、聖教新聞は配達員・販売店制度の発足から60周年、日刊化50周年という佳節を迎えます。
正木 聖教新聞は、「広宣流布を遂行する機関紙」と先生が断言された新聞です。私たちは、広布前進の確かな証しとして、本年も聖教の購読推進に取り組んでいきたい。
原田 特に、この1・2月も、聖教拡大を活動の柱に掲げ、長期購読を推進するなど、各地で工夫しながら、賢く愉快に広布拡大の道を歩んでいきましょう。
9、社説 躍進担う人材を育成 御書根本に新しい力の陣列を
新しい時代を担う、新しい人材の育成。あらゆる組織・団体が方途を模索し、挑戦を続ける共通のテーマであろう。
学会が草創以来の伝統としてきたのは、教学を通した人材育成である。戦後、学会の再建に臨んだ戸田城聖第2代会長は、入会間もないメンバーを対象に、自ら講義を担当した。崩れざる幸福境涯の確立のため、共に御書を拝し、一生を貫く信仰への揺るぎない確信を打ち込んだのである。
池田名誉会長も若き日から、戸田会長の膝下で御書の一文一文を生命に刻んだ。入会から日の浅い同志と一緒に御書を拝しつつ、人材の陣列を拡大していった。札幌・夏の陣、大阪の戦い、山口開拓闘争。日蓮大聖人の仏法の哲理を常に基軸とし、一人一人の信心の確信を強め、広布の前進と勝利のリズムを作り上げたのである。
2月8日と9日を中心に、本年初の「教学の日」が開催される。今年も、信心の確信を深め合う“剣豪の修行”のごとき教学研鑽に皆で取り組みたい。
御書を根本にした新しい力の創出――名誉会長は「随筆 我らの勝利の大道」で綴る。
「戸田先生も私も、『信心で掘り下げていく教学』で戦ってきた。だから学会は勝った。実践のなかで教学を学んだ学会員が堂々と勝ってきたのだ」
諸法実相抄に「行学の二道をはげみ候べし」(御書1361ページ)と仰せのように、教学研鑽は、信心の実践との「両輪の関係」にある。自行化他にわたる「行」が伴って初めて、仏法の正しい法理が厳然たる実証として現れることを忘れまい。
名誉会長が新来の友と仏法対話する場に居合わせたことのある同志は、「教学に基づいた深い確信が相手の心を打つのを目の当たりにしました」と語る。この体験がきっかけとなり、それまで以上に、真剣に御書を拝し、教学研鑽に取り組むようになったという。御書は、限りない智慧の泉である。
名誉会長は「大阪の戦い」を振り返り、個人個人の状況や行動に当てはまる御書を拝読し、実践の教学の重要性を伝えていった、と述べている。「燃え上がる求道の心。そして戦う師弟の教学が、勝利を開いた」と。
使命を自覚して立ち上がった一人が新たな一人を呼ぶ。こうした連帯が幾重にも連なってこそ新しい時代は築かれていく。その原動力の一つが教学だ。
御書根本に広布の新しい力を――この信念で、ともどもに躍進の歴史を開きたい。
10、きょうの発心 経王殿御返事 1124㌻ 【「共戦」「正義」の師弟の道進む】
御書 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ(四条金吾殿御返事、1143ページ・編880ページ)
通解 苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。ますます強盛な信心を貫いていきなさい。.
いかなる時も唱題し抜いていくことこそ最高の幸せである、との仰せです。
1975年(昭和50年)に入会した私たち一家は、脳溢血で半身不随となった父が車を運転できるまでに回復する姿を見て、御本尊の功力を実感。また同志の温かさを知りました。
大学2年の時、誕生したばかりの学会歌「広布に走れ」に勇気を頂きながら学会活動へ。79年2月には池田先生にお会いできる機会に恵まれました。先生の真剣なまなざしに、生涯、先生と共に、学会と共に、と誓いました。
婦人部になり、環境の変化に悩んだ時期もありました。しかし、師の指針を学び、先輩に指導を受けるなかで、自身の“壁”を実感。境涯革命を懸けて祈り、全てを乗り越えることができました。
師弟有縁の地・小岩で活動できることを誇りに、信心を通して教わった「創価の生き方」のままに行動し、「世界広布新時代 躍進の年」を晴れやかに勝利します。
◆ 東京・江戸川太陽区婦人部長 井戸 道代
11、この一節を胸に 行学に励む テーマ 勤行 自身の生命を鍛え磨く実践
私たち学会員は、朝晩、御本尊向かって、法華経の方便品と寿量品を読誦し、題目を唱えています。ここでは、日々の生活のリズムの根本であり、幸福境涯を開くための源泉である勤行について学びます。
Q なぜ、法華経の方便品と寿量品を読誦するのですか?
A 法華経の中でも重要な法理が説かれているからです。
法華経は何れの品(ほん)も先に申しつる様に愚かならねども殊に二十八品の中に勝れて・めでたきは方便品と寿量品にて侍(はべ)り(月水御書、御書1201㌻)
日蓮大聖人は仰せです。
「法華経は、どの品も先に申したように粗末ではありませんが、とりわけ28品の中でも勝れて立派な品は方便品と寿量品です」(御書1201㌻、通解)と。
法華経の中でも重要な法理が説かれているのが方便品と寿量品であり、大聖人は、この2品を読誦するべきであると教えられています。
方便品には「諸法実相」が説かれています。「諸法」とは、現実社会における全ての現象。「実相」とは究極の真理です。
「地獄界から仏界までの十界の衆生とその環境世界(諸法)は、全ての妙法蓮華経(実相)のあらわれです」(同1358㌻
趣意)
諸法実相が説かれたことにより、一切衆生が平等に成仏できることが理論的にほぼ明らかになりました。
寿量品の中心的な法理は「久遠実成」です。“釈尊が今世で初めて成仏した(始成正覚)”というこれまでの考え方を打ち破り、“釈尊は五百塵点劫という、はるか久遠の昔に成仏して以来、この娑婆世界に常住する仏である”ことが明かされました。久遠実成が説かれたことにより、久遠の過去から無限の未来まで、本来、だれもが仏であるという生命の真実が明らかになったのです。
Q 「朝晩の勤行の実践が大事だ」と教わりました。
A 御本尊に読経・唱題することで、本来、自身に具わる仏界の生命が涌現します。
深く信心を発して日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし何様(いかよう)にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり(一生成仏抄、御書384㌻)
仏法の目的は、いかなる困難にも揺らぐことのない絶対的幸福境涯(仏の境涯)を築くことにあります。そのための具体的な実践が勤行・唱題です。
御本尊は、宇宙の根源の妙法である南無妙法蓮華経を体現された御本仏・日蓮大聖人の御生命をあらわされたものです。御本尊を信じて読経し、題目を唱える時、自身に具わる最高の仏界の生命が顕れるのです。
大聖人は「深く信心を奮い起こして日夜、朝夕に、また怠ることなく自身の命を磨くべきです。では、どのようにして磨いたらよいのでしょうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということなのです」(御書384㌻、通解)と仰せです。勤行・唱え題のじつせんで、自身の生命が鍛え磨かれていくのです。
池田名誉会長は、「朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」(同737㌻)との一節を拝して、次のように綴っています。
「朝な夕な御本尊に向かい、朗々と勤行していく我らは、常に『仏と共に』生きていると、仏法は説くのだ。そして、瞬間また瞬間ね久遠の仏の大生命力が目覚め、厳然と顕れていくのである」(『池田大作全集』第137巻)
Q 体調が悪いときなどには勤行ができないこともあるのですが・・・・・。
A 一編の題目にも力があります。大切なのは「挑戦しよう」という心です。
一遍(いっぺん)此の主題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰(ここ)に集まる(聖愚問答抄、御書498㌻)
私たちが日々唱えている題目の功徳は無量無辺です。
「一遍この妙法蓮華経を唱えるならば、全ての人の仏性が皆呼ばれて、ここに集まります」(御書、498㌻、通解)
「題目を一遍唱える功徳は法華経を一部八巻を読む功徳と同じであり、十遍は十部、百遍は百部、千遍は千部読んだのと同じ功徳です」(同411㌻、趣意)
一遍の題目にも限りない功徳がある──。日蓮大聖人は、繰り返し、そう教えられています。
病気などで体調がよくない時には、無理して経文を読誦する必要はありません。
また、夜勤などのため、毎日決まった時間に勤行できない場合もありますが、それぞれの事情に合わせて、自分にとって最も価値的な時間帯に行っても全く問題はありません。
仏法の実践にあって肝要なのは、「本因妙の精神」であり、“今の一念と行動によって未来を主体的に変えていこう”“今日より明日へ”という、「向上」と「前進」の姿勢にほかなりません。
私たちにとって、「毎日、御本尊に真剣に祈っていこう!」と求道と挑戦の心を燃やすことこそ、人生を荘厳するための要諦なのです。
智慧の扉 十如是を3回読む理由
方便品の読誦の最後で「所謂諸法。如是相・・・・・如是本末究竟等」と3回繰り返して読む部分には「十如是」が示されています。
3回読むことには、、種々の意義がありますが、一例を述べると①御本尊に向かう自分自身が、そのままで仏の知恵をそなえている(報身)と見る読み方②御本尊に向かう自分自身が、そのままで仏の現実の振舞をあらわしている(応身)と見る読み方③御本尊に向かう自分自身が、そのままで仏の悟りの身の当体(法身)と見る読み方、です。
このように「わが身が尊い仏である」ことを三つの側面からたたえるために十如是を3回読むのです。
12、世界の体験プラザ 韓国SGI 尹盛鉉さん 大腸がん十大名医に選ばれる
「抜苦与楽」の治療を目指して
負担の少ない手術法を研究し普及へ
健康食品より生活リズムが重要
私は、世界レベルの医療インフラ(設備)を誇るサムソンソウル病院のがんセンターで、2003年から大腸がん専門の外科医として勤務しています。
11年、国際がん研究機関(IARC)が発表した調査によると、韓国人男性の大腸がん発病率は、アジアで最も高く、世界184カ国中でも4番目という結果が出ました。
そのため、韓国では大腸がんに効く健康食品が注目されていますが、私は、健康食品を次から次へと試すより、日々の生活のリズムを整える方が、よほど大事だと思います。
よく聞かれるのが「一日一回、バナナのような便が出ないと、健康とはいえないのでしょうか」という質問です。私は、決してそんなことはないと答えます。
トイレの回数は、1週間に2回でも1日数回でも、規則的で生活に支障がない限り、いずれも正常です。人それぞれ、食生活や生活のリズムが異なるからです。むしろ、腸の健康は、食べ物以上に、自律神経の影響を強く受けるのです。
一昨年、韓国で最大手間経済誌「毎日経済新聞社」が発表した「大韓民国がん征服報告書」で、私は大腸がん分野の十大名医の一人に選ばれました。
知らせを聞いた時、本当に驚きました。実は、それまで取り組んでいた、さまざまなプロジェクトが急きょ中止されることになり、仕事面だけでなく、生活面でも落ち込んでいたからです。
しかし、“韓国SGIのメンバーとして、池田先生の弟子として、決して負けられない、今こそ信心で立ち上がろう”と一念を定めた、まさにその時、選定の知らせが届いたのです。 医師として、ここまで歩んでこられたこと、また人のために尽くすという目標に向かって進めたことは、この信心のお陰だと強く感じています。
前向きな心で全てを乗り越え
私の母は1972年1月、経済苦と自身の病、そして子どもである私の病気を克服したい一心で、おばから勧められ、韓国SGIに入会しました。
母の唱題が100万遍に達したころ、全ての願いがかない、同年4月、家族全員で入会しました。私が小学2年生の時でした。
私は幼いころから体が弱く、よく病院に通いました。治療に当たった医師に憧れ、いつしか自分も医学の道を志すようになりました。
未来部では音楽隊として、さまざまな文化・体育行事に出演。学生部でも、勉学とともに、日々のSGIの活動に思い切り挑戦してきました。
89年、韓国屈指の名門・延世大学医学部を卒業。医師として経験を積みながら、2000年には大腸がん専門医の資格を取得することができました。
ところが2002年、思いも寄らない試練が立ちはだかりました。当時、勤めていた病院の先輩医師から専攻を「肝胆膵(肝臓。胆道、膵臓の総称)」に変えてはどうか。変えられないのであれば、別の病院に移ってもらうしかないと言われたのです。しかし、ここからまた、別の専門医の資格をとるのは容易ではありません。
御書や池田先生のスピーチ、学会指導を学び、かつてないほど題目をあげました。そして、こう思ったのです。
「がんは、外からウイルスや病原菌が入ってくるのではない。自分の体の中で生まれ、自分を苦しめる病だ。そしてそれに打ち勝つ力も、結局自分の中にある。今の状況も同じじゃないか」
試練の原因は外にではなく、全て自身の中にある──何があっても恐れなく、絶対に勝つという前向きな心があれば乗り越えられる、と決意を固めました。
翌年から専攻を「肝胆膵」に変えようと腹が決まった。大みそか。現在の病院から、「大腸がんの外来教授としてこないか」との電話がかかってきたのです。この仏法の不思議さ、すごさをあらためて感じた瞬間でした。
2007年には延世大学医学研究科(大学院)を終了し、医学博士号も取得できました。
病気は幸福になるための試練
今、私が取り組んでいるのは、患者への負担を最小限法に抑えた治療法(低侵襲)の研究と普及です。
がんを切除するための開腹手術は、どうしても患者への負担が大きくなりがちです。しかし、近年では、術後の痛みが少なく傷も目立たない腹腔手術の進歩が目覚ましく、特に大腸がんには向いています。
私は「低侵襲手術教育センター長」として、このような治療法の普及に努めています。世界各国の病院とも交流し、常に最高の医療水準を保ちつつ、学びたい人たちには国内外を問わず、広く門戸を開いています。
患者に接する時、心に刻んでいる、池田先生の指導があります。
「病気との闘いは、妙法に照らして、永遠の次元から見れば、すべてが幸福になり、勝利するための試練です。病気だから、不健康なのではありません」
「健康は、何があっても負けない自分自身の前向きな生き方の中にこそあるのです」
医療技術の進歩が加速する中、私たち医師は、つい病気の症状や、検査データの数値ばかりに目がいき、患者人のことを二の次にしがちです。
しかし、患者は尊貴な仏性をもった宝の存在であり、私の役割は、その患者自身が持つ力を引き出すことだということを、決して忘れないよう心掛けています。
そのためには、私自身が生命力を満々とたたえていないといけません。
現在、妻と共に、支部長・婦人部長として、日々の活動に取り組んでいます。支部の全てのメンバーが幸せになり、功徳をたくさん受け、座談会でその体験を語れる支部を目指しています。
2人の息子は、共に男子部のグループ長です。上の息子は現在、兵役についていますが、2人とも、5月の学会創立85周年記念の青年平和文化総会に参加できるよう挑戦しています。
今、診察する患者数が半日で70人を超える日もあります。
一人でも多くの大腸がん患者の痛みを取り除き、誠実な心、励ましの言葉で、患者に勇気と希望を送れる、「抜苦与楽」の医師を目指していきます。
【社会の情勢】
◆ テロ対処連携で一致 難民対策、円借款120億円 阿部首相とヨルダン国王
◆ 核問題で高官協議再開 欧米など6カ国とイラン
◆ 息吹きかけ肺がん診断 空気中ウイルスも検出 パナソニック
◆ 佐賀県 鳥インフル確認 7万羽殺処分