2014/12/18(木)の聖教
1、アルゼンチン国立トゥクマン大学アジア・アフリカ研究所が池田大作SGI会長に栄誉賞
南米アルゼンチン共和国の名門・国立トゥクマン大学のアジア・アフリカ研究所から、東洋哲学研究所の創立者である池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長に「栄誉賞」が贈られた。
東洋思想の普及と世界平和への貢献を讃えたもので、同大学で開かれた「法華経――平和と共生のメッセージ」展(両研究所とアルゼンチンSGIが共催)の閉幕式(11月29日)の席上、賞状が贈られた。
東洋哲学研究所が企画・制作した“法華経展”は、11月22日から8日間にわたり、国立トゥクマン大学の創立100周年の記念行事として盛大に開催。
人類の至宝ともいうべき仏教芸術や法華経の写本資料などを展示し、約2500人の教職員・学生らに深い感銘を与えた。
「この展示は、私たち市民社会、そして学生コミュニティーが求める平和と共生の理念を示してくださいました」と、アリシア・バルドン学長は閉幕式で感想を語った。
世界12カ国・地域の諸都市で行われ、諸経の王・法華経が放つ生命尊厳の哲学を伝えてきた同展。バルドン学長は続けた。
「法華経の精神は、ひとりでに伝わるものではありません。その陰には、堅固な意思と多大な努力によって、メッセージを発信し続ける人が必要です。それが池田博士であり、後に続くSGIの皆さんなのです」
バルドン学長をはじめ、大学関係者らが出席した閉幕式。同国SGIの代表に賞状が託されると、場内は大きな拍手に包まれた。
「栄誉賞」には「東洋の哲学的遺産の保護と世界的な普及に努めるとともに、平和と文化交流に尽力してきた」と記されている。
展示を要請したアジア・アフリカ研究所のリリアナ・パラシオス・デ・コシアンシ所長はあいさつした。
「アジアには、豊かな文明や文化、思想が生まれました。英知の最高峰である法華経の精神を広める池田博士の行動は、年を経るごとに、世界の平和に寄与することでしょう」
2、アメリカ・池田国際対話センターが記念行事 「デューイてい談」発刊祝賀講演会 文明間の対話のためのフォーラム
アメリカ東部マサチューセッツ州ケンブリッジに立つ平和研究機関「池田国際対話センター」(リチャード・ヨシマチ代表)が知性の連帯を広げている。
池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長とアメリカのデューイ研究の大家であるジム・ガリソン博士、ラリー・ヒックマン博士とのてい談集の英語版『教育とは人生それ自体――21世紀におけるジョン・デューイ』(日本語版は『人間教育への新しき潮流』第三文明社刊)が、このほど池田センターから発刊された。
日本、中国、トルコなどを訪問し、19世紀から20世紀にかけて米国のみならず各国の教育思想に影響を与えた大教育者デューイ。てい談では、その思想の哲学的意義に始まり、創価教育との共鳴や対話の力と民主主義などをめぐり、縦横に語らいが交わされていく。
てい談者のバージニア工科大学・ガリソン博士はジョン・デューイ協会元会長であり、南イリノイ大学カーボンデール校のヒックマン博士は現在、デューイ研究センター所長。共に米国を代表する研究者として知られる。
同書の発刊を祝賀する講演会が11月15日、ニューヨークのコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで晴れやかに行われた。
池田センターのヨシマチ代表のあいさつに続いて、ヒックマン博士、ガリソン博士がスピーチ。
ヒックマン博士は、「池田会長との対話は、重要な問題について新たな思索をする機会を与えてくれた」と述懐し、「教育の目的について牧口初代会長と池田会長は『幸福』と『価値創造』という言葉、デューイは『成長』という言葉で表現したが、その核となる発想は通底している」と言及。米国における大学教育の現状を概観し、3人が示した教育理念は近年、ますます重要性を増していると語った。
ガリソン博士は牧口会長の「美・利・善」の視点とデューイのプラグマティズム(実用主義)の観点を比較。どちらも、より多くの価値を生み出し、他者と自分が生み出す美を享受することこそ、人生の真価を測る基準であると主張していると洞察した。
また、これに先立つ14日にはSGIのニューヨーク文化会館でも講演会が行われた。
◇
一方、第11回「文明間の対話のための池田フォーラム」が9月27日、各界の学識者が参加し、池田センターで開かれた。
同フォーラムは、1993年に誕生したセンターが「新たな10年の歩みの第一歩」として2004年に始めたもの。以来、第一級の知性がSGI会長の思想と行動を論じる恒例行事となっている。
今回のテーマは「人間の尊厳――人権と平和構築の魂」。
シートンホール大学外交・国際関係学部長のアンドレア・バルトリ博士、ハーバード大学ケネディ政治大学院「カー人権政策センター」所長のチャーリー・クレメンツ博士、ブランダイス大学のマリ・フィッツダフ博士が基調講演した。
初めに、池田センターのケビン・マー・イベント部長があいさつ。平和の文化を構築するためには「人間の尊厳」に対する自覚が鍵であると述べた。
バルトリ博士は生命こそ人間に尊厳をもたらす源泉であるとした上で、生命の尊厳は、他の存在の尊厳と相関関係にあると指摘。互いの尊厳を認め合い、相関性を知ることこそ「共生」を実現する入り口であると語った。
続いて著名な人権活動家で医師のクレメンツ博士は、かつて英国のダイアナ妃が地雷で足を失った少女を抱きしめた際、少女の表情が変わり、尊厳を取り戻していった姿を見たと紹介。また、3カ月間ホームレスを体験した大学生が「皆の意識から除外され、突然、誰の目にも映らなくなってしまう」と語っていたエピソードに触れ、名前を呼ぶ、あいさつをするといった些細なことが、人間に尊厳を与えるものであると考察した。
最後にフィッツダフ博士は、人間には他者が何を感じているかを感知する神経細胞が存在するが、自分に同意しないものに対しては作用しないと言及。対話によってのみ違いを乗り越え、相手の思いを感知できるようになると論じ、対話を通して信頼と他者とのつながりを育み、平和な社会を構築していこうと語った。
終了後には、登壇者と参加者の活発な質疑応答が行われた。
3、わが友に贈る
大雪・暴風に厳重警戒。
焦らず無理せず
安全第一の行動を!
配達員はじめ全同志の
絶対無事故を祈る!
4、名字の言 自分で自分を諦めないかぎり、必ず人生にも春は訪れる。
東京の都心で14日に初雪を観測した。雪といえば、今年2月に首都圏を襲った記録的大雪は、記憶に新しい▼「しばらくぼうぜんとして、夢を見ているようでした」と振り返るのは、山梨で観光ブドウ狩り園を営む婦人。彼女の背丈ほども降り積もった雪はビニールハウスを倒壊させ、観光農園のブドウ棚を押しつぶした▼雪をかき出し、倒壊したハウスを片付けた。雪の重みで折れたブドウの枝を切り、傷ついた枝には「頑張ってね」と声を掛けながら手当てをした。無我夢中で動く彼女の心を支えたのは、家族であり、名誉会長が示した「地域の灯台たれ」との指針だった。「絶対に負けない」と決め、題目を唱えては自らを奮い立たせた▼再建計画が立たない農家も少なくない中、いち早く再起。収穫期を迎えたブドウはたわわに実り、毎日、観光客でにぎわった。雪害に屈しない姿は、テレビなどで大きく報道された。「これからも絶対に負けません!」と彼女は語った▼「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)ように、自分で自分を諦めない限り、必ず人生にも春は訪れる。それを思うと、寒風が肌を刺す冬も楽しい。同じように、“苦難こそ人間革命のチャンス”と勇気が湧く。信仰者とは、たくましき楽観主義者のことである。(側)
5、寸鉄
★ 会長の言葉は人間の精神的変革を世界規模で促す―詩人。地球新時代の光
★ 創価班・牙城会の大学校生が熱闘。創価の若師子よ! 勝って後継の証しを
★ 友情は人生を美しくする―作家。一つの出会いを大切に。颯爽と仏縁拡大
★ 組織での忘年会・新年会は厳禁。不信と事故の元。清浄な信仰の世界を守れ
★ 後部座席のベルト着用、未だ3人に1人。全席徹底を。破壊は一瞬なれば
6、地平線を越えて SGI会長との心の絆 ネパール㊦
仲良く!『SGI家族』の前進を
「荘厳なる自然の王者」ヒマラヤ。
「永遠なる精神の王者」釈尊。
池田SGI会長は、ネパール誇る二つの「最高峰」をそうたたえる。そして折に触れて、ヒマラヤのごとく強くあれと友を励まし、人生の指針を贈ってきた。
その歴史は、同国の友にとって最高の誇りであり、喜びとなっている。
1995年11月3日。SGI会長のネパール訪問4日目である。カトマンズでの行事を終えた会長は、郊外の丘に向かった。
つつましい生活の人々が暮らす村の一角。でこぼこの山道を抜けて、丘に到着した。
車を降りると、雪が晴れてヒマラヤの秀峰が姿を現わした。会長は夕焼けに染まる峰峰に向けて、カメラのシャッターを切った。
そのもとに、丘にいた20人ほどの子どもたちが集まってきた。身なりは貧しいが、瞳は宝石のように輝いている。
会長は語り掛けた。
「ここは仏陀が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。皆さんも同じです。すごいところに住んでいるのです。必ず、偉大な人になれるんです」
当時、高校生だったアミット・ランジットさんは述懐する。
「ネパールの人の多くは、自分たちの国を“小さく、貧しい国”と思っています。しかし先生は、そんな私たちに誇りと希望を送ってくださったんです」
彼は役員の一人として諸行事を支えた。わずかな時間だったが、会長との出会いもあった。その際、温かな感謝の言葉をかけられた思いでは、彼の胸に深く刻まれている。
彼の家族もまた、生涯忘れ得ぬ原点を築いた。当時、ランジットさんの自宅はSGI会長が訪れた丘のすぐ近くにあった。
“池田SGI会長に、人目でもお会いしたい”──母のビムラクシュミさんと妹のアルナさんは、玄関を出て、丘から帰る会長の車が近くを通るのを待った。
まだか、まだか・・・・・。やがて車が来た。
その瞬間、2人は両手を高々と、喜びいっぱいに振り上げた。車の窓を開け、手を振って母娘に応えるSGI会長──。
この出会いが、家族にとって前進の原動力となる。経済苦の時も、師の激励を思い起こし、「負けてたまるか」と立ち上がった。
ランジットさん自身も信心根本に就職難を乗り越え、名門大学の講師の職を勝ち取った。今、ネパールSGIの副教学部長として教学研鑽の運動を支えると共に、機関紙のための翻訳作業などに携わる。
“ヒマラヤの丘”での母娘との出会いから数年後──。日本にいたSGI会長は、当時のことを懐かしく振り返り、共の幸福を深く祈念した。
そのことを、家族と共に伝え聞いたランジットさん。「先生が、一瞬の出会いを覚えてくださったことに、本当に感動しました」
今、あの山道はきれいに舗装され、会長が立った丘は、地域でも有数の高級住宅地へと発展を遂げている。
☆☆☆
翌月11月4日。第1回ネパールSGI総会が開催された。ラミタ・バジラチャーリヤさん(副婦人部長)は、娘のプラティサラさんと共に参加した。
総会後には記念撮影が行われた。会場に到着した会長を、最初に迎えたのは“5人の少女”。その一人だった娘は、会長に大きな花束を手渡した。
真心の歓迎に会長は「ありがとう。日本で待っているよ!」と。
この時、バジラチャーリヤさんは「娘を広布の人材に育てよう」と固く誓う。娘と一緒に勤行・唱題することを日課とし、ネパール語の機関紙「ヒマリ・シャンティ」を読んだ感動を、折あるごとに伝えていった。
やがて娘は、優秀な成績を収め、アメリカの大学に進学することに。渡米前には、念願だった日本を訪れることもできた。現在は、カナダで信心根本に学問に励む。
母であるバジラチャーリヤさんも、現在、貧しい地域の発展と、女性の権利の向上に尽くす社会活動家として活躍する。
たとえば、電力不足が深刻な地域で多くの家に太陽光パネルが設置されたのは、彼女の訴えがあったからこそ。「一軒一軒を回り、真剣に対話をしました。一人を大切にする、SGIでの薫陶が生きていると実感します」と笑顔を輝かせる。
☆☆☆
「当時、まだ入会間もないメンバーも多くいました。それでも、皆が先生の激励に触れて、“なんて温かな師匠だろう”と感動を語り合ったんです」
そう振り返るのは、SGI会長訪問時に婦人部長を務めていた、アンジャリ・バスネット副理事長だ。
11月5日、SGI会長のネパール訪問最終日。バスネットさんは、空港へと出発するSGI会長を、ホテルで見送った。
会長は駆け付けた一人一人と握手を交わし、励ましを。バスネットさんには、「どうか、立派な広宣流布のリーダーになってください」と語り掛けた。
彼女は、この言葉を抱きしめて婦人部の友の激励に奔走。翌96年には部員数が倍増し、初の婦人部総会を開催するまでになった。
しかし、その後、苦難が彼女を襲う。2001年、心臓発作で倒れたのだ。
その場に居合わせたSGIメンバーの迅速な対応で病院に搬送され、一命を取り留めることができたが、翌年にも再び発作を起こす。
度重なる闘病。「大丈夫」と自分を励ましつつも、込み上げてくる不安・・・・・。
そんな時、SGI会長から、「バスネットさんの回復を私も祈っております」とのま心の伝言が届いた。
この言葉に彼女は奮い立つ。
「今こそ宿命転換の時だ!」と心を定め、「広宣流布のために、力をください」と強盛に祈った。
病状は少しずつ回復し、今では思う存分、学会活動に取り組めるように。国際交流期間の職員としても、信頼を広げる。彼女の姿は、同じように病と闘う友の大きな希望となっている。
☆☆☆
ネパールの友が今も深く胸に刻むのは、第1回総会での師の指針である。SGI会長は、訴えた。
「私たちは皆、兄弟です。ネパールは仲良く、どこまでも仲良く進んでください。そして、一人一人が、良き市民、良き国民として、『輝く存在』になってください」
同志の活躍の舞台は幅広い。医師もいる。教育者もいる。芸術・文化の世界にも人材が躍り出ている。
この多彩な人材群が「ネパール家族」として、異体同心の歩みを続けている。
明年は、SGI会長訪問20周年。サハナ・シュレスタ理事長は決意を語る。
「偉大な師匠と友に生き抜く人生こそ、最高の充実と幸福があります。私たちは池田先生と同じ心に立ち、どこまでも一人を大切にしながら、仲良く、明るく、ネパール広布の新時代を開いていきます」
7、『新・人間革命』 第28巻 第1章「広宣譜」(27)
山本伸一は、練馬の友に支部歌「北町広布」を贈ったこの七月八日、さらに学会歌の作成に取り組んでいた。方面歌「関西の歌」である。
関西広布の歩みは、疾風怒濤と絢爛たる勝利に彩られてきた。
一九五六年(昭和三十一年)五月には、伸一の指揮のもと、大阪支部一支部で一万一千百十一世帯という弘教を成し遂げ、広宣流布の“不滅の金字塔”を打ち立てた。また、同年七月、伸一が支援の責任者となった参院選では、当選は不可能との大方の予想を覆し、一般紙が「“まさか”が実現」と報じるほどの、奇跡的な大勝利を果たしたのである。
しかし、翌五七年(同三十二年)四月、参議院大阪地方区の補欠選挙では、学会が推薦した候補者が惜しくも敗れた。この支援活動では、選挙法の知識に乏しく、熱心さのあまり選挙違反をした会員が出てしまった。支援の責任者であった伸一は、七月三日、大阪府警の求めに応じて任意出頭し、公職選挙法違反という無実の容疑で捕らえられたのだ。
逮捕・勾留は十五日間に及んだ。過酷な取り調べが続き、検事は、遂に脅迫まがいのことまで言い始めた。伸一が罪を認めないのならば、会長の戸田城聖を逮捕すると言うのである。五七年の七月といえば、戸田の逝去の九カ月前であり、衰弱は既に激しく、逮捕は死にもつながりかねなかった。伸一はやむなく、ひとたびは一身に罪を被って、法廷で真実を明らかにしようと、心を決めたのだ。
民衆勢力の台頭を恐れる権力の魔性が、獰猛なる牙をむいて、学会に襲いかかってきたのである。正義は勝つ。いや正義なればこそ、断じて勝たねばならなかった。
七月十七日正午過ぎ、大阪拘置所から彼は釈放された。夕刻、戸田を迎え、中之島の大阪市中央公会堂で、大阪府警並びに大阪地検に抗議する大阪大会が開催された。川の対岸には、大阪地検のある建物が見える。
諸天の憤怒か、慟哭か、稲妻が雲を引き裂き、雷鳴が轟き、大粒の雨が降りだした。
8、座談会 世界広布新時代の旭日 (102)立正安国の大理想へ前進
広宣流布とは“わが地域の繁栄”
巧妙化する詐欺に要注意
吉井女子部長 14日に投開票された衆院選で、公明党は候補を擁立した北海道、東京、神奈川、大阪、兵庫の全9小選挙区で勝利しました。
杉本婦人部長 比例区でも、東北、南関東(千葉、神奈川、山梨)、東海(岐阜、静岡、愛知、三重)、九州・沖縄ブロックで議席増を果たし、前回から4議席伸ばした26議席を獲得しました。
竹岡男子部長 比例区の獲得票は、前回より約20万票多い数です。そして、全11ブロックで前回を上回る得票率も記録しています。
橋元青年部長 小選挙区と比例区を合わせると35議席となり、現行の小選挙区比例代表並立制となった1996年(平成8年)以降、最多議席となりました。
原田 晴れやかな大勝利、誠におめでとうございます。厳しい寒さの中、支援に奔走された全ての同志の皆さまに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
竹岡 引き続き、公明党は連立政権で力を合わせて、国民が期待する経済再生、デフレ脱却に全力を挙げてもらいたい。
原田会長 実感できる景気回復へ、これからが正念場です。「勝って兜の緒を締めよ!」――公明党は「生活者の視点」を堅持しながら、平和、人権、福祉の政党として、さらに支持者の期待に応える活動を展開してもらいたい。
「冥の照覧」は絶対
正木理事長 本年は牧口先生の殉教から70年。先師が実践された「立正安国」の道は今、大きく開かれています。
吉井 池田先生は13日付の小説『新・人間革命』「広宣譜」の章で綴られました。「広宣流布というのは、わが町を、そして社会を繁栄させていくことでもあります。仏法即社会であり、社会に立正安国の勝利の旗を打ち立てていくのが、仏法者の使命です」と。
原田 人類の平和と幸福を実現するのが、「立正安国」です。私たちは、自身の「人間革命」に挑みながら、さらに強く賢く「立正安国」という大理想に向かって進んでいきたい。
正木 そうした中、22日には、広布の要「統監部の日」を迎えます。
原田 本当に偉い人とは、どんな人か。池田先生は明確に言われています。「広宣流布という人類史に燦然と輝く我らの民衆運動には、最も大変な陰の労苦を厳然と担い、そして人知れずに皆を支えて、新たな前進の道を開いてくれている、最も偉大な方々がおられます」「わが統監部の皆さまであります」と。
橋元 時代の変化とともに、統監の作業も変化を遂げています。個人の情報の厳重管理も、いやまして求められています。
正木 広布の闘争を勝ち抜くためには、「正しい事実」を正確に把握し、的確に手を打ち続けていく必要があります。その要こそ、統監部の皆さまです。
原田 日頃の作業は地道で苦労も多いかと思います。しかし、「陰徳あれば陽報あり」(御書1178ページ)と仰せの通り、「冥の照覧」は絶対です。どうか、これからも、「一枚の統監カードは『一枚の紙』にあらず『一人の生命』なり」との永遠の指針のままに、崇高な使命の戦いをよろしくお願いします。
「無事故」の声掛け
吉井 先日、ニュースを見ていて、驚いたことがありました。いわゆる「おれおれ詐欺」など、振り込め詐欺による被害額が過去最悪を更新したそうです。
原田 信じられないことですが、これだけ社会全体で注意喚起しているにもかかわらず、その被害額は史上最悪になっています。
杉本 悪質な詐欺にだまされないよう、「撃退方法」を確認しておきましょう。
竹岡 まずは、息子を名乗る男から、「オレだけど、携帯が壊れて番号が変わったから」などと電話があった場合は、慌てず、たとえば、「お父さんの名前を言ってみて」や「お前、この前、来たのにどうしたんだい」などと答えるようにしましょう。
橋元 それから、「風邪気味で、いつもと声が違うんだ」と言う場合でも「生年月日を言いなさい」と応じたり、「会社の金をなくした」などと言われた時も、落ち着いて、一度、信頼できる人に相談してから対応するなどしましょう。
吉井 今は、警察官や会社上司、行政職員など、いろいろな人物のふりをして次から次へと登場し、あの手この手で、だましてくるケースもあります。
竹岡 その対処法として、たとえば、家の電話を常時、「留守番電話」にセットし、相手が確認できたら受話器を取るようにすることも勧められています。
杉本 特に、1人暮らしの高齢者の方などは、「振り込め詐欺対策として、お名前とご用件を確認しています。不審な電話はすぐに警察に通報します」と、留守番電話のメッセージを変えることも有効です。
橋元 もちろん、身内の方と緊急の場合の「合言葉」を決めておくことも大切です。しかし、今の詐欺は手が込んでいて、見抜きにくくなっています。
杉本 最近では、「私は一度、見破ったことがあるから大丈夫」と言っていた方が、被害に遭った例もあったそうですね。
正木 ともかく、「よく分からない人からの、お金の振り込みに関する連絡には一切、応じない」ことが一番です。
原田 犯罪の手口は日々、変化しています。絶対に「私は大丈夫」と過信せず、全員で声を掛け合いながら、無事故の日々を送っていきましょう。
9、社説 書類・情報管理を十分に 整理整頓ですがすがしい信念を
今年も残り2週間を切り、大掃除の時期を迎えた。
トイレや台所の清掃、衣類や書籍の片付けにとどまらず、あらゆるところでデジタル化が進んでいる現代では、書類やデータなど情報の整理・管理にも気を配っていきたい。
以前、本紙でデスク整理術を紹介したかたづけ士の小松易さんは「片付けると人生が変わる」と訴える。効率も上がり、意欲も高まり、仕事の質と量が格段にアップする。不要な物があふれる人は、書類などをデスクにしまう→押し込む→隠れる→忘れる、という負のスパイラルに陥りがち。そこから脱却するには、まず徹底的に整理して物を減らし、それから整頓に入ることだとアドバイスする。
領収書、請求書などの重要書類は、クリアケースなどを用意してファイリングしておくといい。保管する目的意識が明確になり、長期的な観点からも、必要以上の書類を管理する手間を省くことになる。
とりわけ注意を要するのが、名簿・帳簿はじめ、電話番号や住所、氏名など保護すべき個人情報が印字された書類だ。
今月4日、ある銀行が、個人情報の記載された小切手や税金の納付書などの画像データ約4万件を保存した記録媒体を誤って廃棄した、と発表した。こうした紛失や誤破棄の事故は後を絶たない。捨てる瞬間まで、本当に破棄してよいかを確認する意識を持つことだ。
整理に当たり、「捨て方」も重要になる。廃棄の際はシュレッダーなどで破砕し、確実に判読不能の状態にしよう。
整理して残す情報も、管理には細心の注意を払いたい。とりわけ日常で使用するパソコンやスマートフォンなど電子媒体の中身の管理は見落としやすい。
昨今は、悪意あるプログラムがサイト上に氾濫している。使用端末が不正プログラムやウイルスに感染すれば、あっという間にインターネット上に情報が流出してしまう。そうなれば、消去することはできないし、詐欺などの悪質な犯罪に利用されることもある。
ウイルス対策ソフトの導入、プログラムの順次更新などを欠かさず行おう。また、USBメモリーやSDカードなど外部記憶媒体の暗号化も必須といえる。
情報社会の現代を生きる私たちにとって、危機管理意識を持つことが無事故の出発点だ。
油断を排する責任感と「革命的警戒心」を持って、明「世界広布新時代 躍進の年」を、すがすがしく迎えたい。
10、きょうの発心 開目抄 234㌻ 【忍耐強く誠実に報恩の道歩む】
御書 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。.
いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
私は7人きょうだいの次男として、福岡・柳川の地に生まれました。青春時代は苦難の連続で生活は貧乏のどん底。一家離散の瀬戸際で、毎日が地獄のような日々でした。
その中で、地域の方から折伏を受け、1959年(昭和34年)8月2日、わが家に御本尊をご安置することができました。
私は定時制高校に通いながら、母を少しでも楽にさせたいと、昼は懸命に働き、学会活動にも全力。男子部の部長を務めていた時、聖教新聞販売店主として、新たなスタートを切りました。
85年2月25日、柳川に池田先生をお迎えした際、「会員の皆さん、配達員の皆さんを大事にするんだよ」「誠実に、忍耐強く頑張りなさい」との温かな師の激励に触れ、報恩の人生を誓いました。
昨年、“黄金の3年”の完勝に向け、私は率先垂範の戦いを決意。本年3月16日、個人折伏を実らせることができました。
明年、柳川は先生の訪問から30周年を迎えます。新たな師弟勝利の歴史を開いてまいります。
福岡・筑後県副県長 平川 初美
11、2015年(平成27年)未来部の活動
広布後継の人材の流れをさらに開こう!
2015年は、中等部と少年少女部が結成50周年の佳節を迎える。池田名誉会長の連載「未来の翼」「希望の虹」を共に学び合い、学会創立100周年を目指し、広布後継の人材拡大の流れをさらに開いていきたい。
また、高等部・中等部・少年少女部が仲良く集う「未来部員会」は、同世代の連帯を築く未来部育成の最重要の取り組みである。未来部員が企画・運営等で主体性を発揮し、次代を担う後継者としての自覚を深められるよう、未来本部長・21世紀使命会を中心に、各部が一体となって全力で励ましていきたい。
1 未来部員(高等部員・中等部員・少年少女部員)の取り組み
【未来部の7つの指針】
一、健康でいこう
一、本を読もう
一、常識を忘れないでいこう
一、決して焦らないでいこう
一、友人をたくさんつくろう
一、まず自らが福運をつけよう
一、孝行しよう
☆ 池田名誉会長から贈られた「未来部7つの指針」を胸に、師弟の精神を学び、後継の大ジュへと大きく成長するため、「①未来部時代に信仰の土台を築く ②創価後継の研さん目標に挑戦 ③各種コンクールに挑戦」に取り組んでいく。
2 家庭での信心の継承の取り組み
【SOKAファミリー・チャレンジ】
一、家族で勤行・唱題を行う
一、家族で座談会、本部幹部会(中継行事)、部員会に参加する。
一、家族で信仰体験や、わが家の広布史を語り合うなど、触れ合いの機会をつくる
☆ 信心の継承は家庭から始まる。各家庭で「SOKAファミリー・チャレンジ」に取り組み、祖父母から孫への信心の継承の流れを確実に進め、未来部世代の未入会家族の入会にも取り組んでいきたい。「未来部の日」は家族で、信仰体験や、わが家の広布史語り合うなど、ファミリー座談会のような触れ合いの機会をつくると共に、中継行事や部員会に参加していく。
3 各部一体での未来部育成への取り組み
【未来部育成の指針】
一、学会の庭で守り育む
一、未来の勝利を信じ祈る
一、創価の心を語り伝える
一、家族を温かく励ます
一、師弟の道を共に歩む
☆ 池田名誉会長の「未来部育成の指針」を胸に、未来部機関紙や聖教新聞掲載の「未来部育成のページ」を活用し、未来本部長(壮・婦)と21世紀使命会(男・女)を中心に、各部一体となって未来部育成に全力で取り組んでいく。
【社会の情勢】
◆ リニア新幹線着工 JR東海、27年開業向け指導
◆ 地方創生 先行自治体を支援 補正で2000億円を計上 政府
◆ 高浜原発「新基準満たす」 川内に続き2例目 規制委
◆ 訪日客、も年1300万人超 円安と免税拡大で過去最多
◆ バイク事故死 中高年で増加傾向 背景に「リターンライダー」