Quantcast
Channel: 日々感動の聖教新聞
Viewing all articles
Browse latest Browse all 201

2014/8/25(月)の聖教

$
0
0

2014/8/25(月)の聖教


1、札幌中央文化会館内に誕生 北海道文化センター

   北海道・札幌中央文化会館内に24日、「北海道文化センター」がオープンした。
 同センターは、池田名誉会長の平和行動を中心に、牧口・戸田両会長の足跡などを、貴重な品々とパネルで紹介する。創価の平和・文化・教育の思想や運動を、社会に発信する拠点になる。
 オープニングセレモニーでは、展示や施設を参加者に紹介。日下北海道長、池田副理事長があいさつした。
                         

 同センターの一般公開は9月1日(月)から。午前10時に開館し、平日は午後4時まで。土・日・祝日は、同8時まで。水曜日休館。



2、今週のことば

 「異体同心なれば
 万事を成じ」
 団結こそ希望の力だ。
 和楽の座談会から
 皆が勝利へスタートを!



3、名字の言 「もう」と諦めた瞬間、“負け”が決まる。「まだ」と立ち向かい続ける限り、勝負は続く。

  幼い兄弟がゲームをしている。覚えたての弟は、兄になかなか勝てない。この一戦も敗色濃厚。その表情から、「ああ、もうだめだ」と弟が言うかと兄は想像したが、実際、口にした言葉は意外だった。「ああ、まだだめだ」▼文字にすれば、「もう」と「まだ」のわずかな違いだが、思いは正反対だ。弟は全く諦めていない。負けん気をむき出しに、再戦に挑んだ弟が、ついに勝った。大喜びする弟に、兄もほほ笑んだ▼30年前の福島青年平和文化祭。男子部2000人の組み体操は、難易度の極めて高い、5段円塔ブリッジに挑戦した。本番1週間前の練習でも失敗続きだった。その時、男子部のリーダーが叫んだ。「全員が必死に練習を積み、きょうも、あらん限りの力を出して臨んだ。それでも失敗した。いよいよ、ここからが本当の勝負だ」▼友は不安や焦りをたたき出す祈りを重ね、一日一日を大切に心身を鍛えた。当日、5段円塔ブリッジは見事、成功した。友の心にも勝利の金字塔が打ち立てられた▼人生には必ず、歯を食いしばるしかない、苦しい上り坂の時がある。「もう」と諦めた瞬間、“負け”が決まる。「まだ」と立ち向かい続ける限り、勝負は続く。「決して諦めない勇気」。それを磨くための信心である。(城)



4、寸鉄

★  下半期の勝利へ列島各地で出発。新しき時代開く広布のドラマをここから
      ◇
★ 埼玉が励まし月間。地道な激励が団結の要。模範のスクラムで拡大に先駆
      ◇
★ 学会の目的は人類のために若い人を育てること―恩師。後継の育成に総力
      ◇
★ 達成する目標がないことは人生の悲劇―教育者。課題を明確に挑戦の一歩
      ◇
★ 携帯の電池切れで孤独を感じる人多しと。会って語る。絆結ぶ王道忘るな



5、名誉会長と共に 新時代を開く【31】  未来部は皆が希望の一番星

  広島はじめ京都、兵庫など各地の甚大な豪雨被害に、重ねてお見舞い申し上げます。救援・復旧作業が進み、一日も早く安穏な生活となられますよう念願しております。
  今こそ「変毒為薬」の法理を胸に、励まし合い、支え合って、一切を乗り越えゆかれんことを祈念してやみません。

                            *   *
〈未来部の友へ〉

  晴れた夏の夜空には天の川が広がり、無数の星々がきらめいています。人間も、一人一人が自分にしかない輝きを持っています。
  私が対談したブラジルの天文学者、ロナウド・モウラン博士は、「暗い時。苦しい時ほど、私たちの生命を、より輝かせるように努めていこう!」と呼び掛けていました。
 わが未来部は一人ももれなく、輝きわたる希望の一番星です。日蓮大聖人は、御本尊に真剣に南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むことが生命を磨くことになると教えられています(384㌻)
  題目は「負けじ魂」の源泉であり、勝利への最大の力です。
  若き日に、いろんなことに挑み、たとえ失敗しても、そこから立ち上がって、次の価値を創造していく。この不屈の挑戦が、「何でもこい!」という大きな自信となり、自分にしかない一番星の輝きとなります。今がその新たなスタートです。

                            *   *

  皆さんの成長こそ、わが創価家族の最大の希望です。
 私も、毎日、皆さん一人一人と、固く心の握手を交わし、一緒に青春の歌を歌いながら、全てを見守っています。
 どうか健康第一で! 絶対無事故で! 新時代の大指導者である君たちよ、友情のスクラムも朗らかに、生命の勝利の光で世界を、未来を照らしゆけ!



6、創大讃歌  創立者と築く学城 第5回  生涯学習の喜び

「学の光」で社会を照らせ」

  八王子の夏は暑い。
 強い日差しに木々の葉が照り映える8月上旬の創価大学。前期の授業は7月で終わり、夏休みに入っている。だが、あちこちに人影が多い。
 額に汗を浮かべ、駆け上がるように坂道を上る若者。学生ホールの前で談笑する婦人たち。つえを突きながら一歩ずつ踏みしめて歩く老紳士。全て創価大学生である。
 行われていたのは、通信教育部の夏期スクーリング。全国から約2700人、海外16カ国・地域からも52人の通教生が集った。
 宮城県に住む10代の女性。「スクーリングは、全世界の人々と触れ合える貴重な時間。猛暑に負けず勉学と友情の思い出を築きたい」
 兵庫県から参加した70代の婦人。「孫に負けずに勉強しないと。生涯青春やからね」と笑顔で。
 通信教育部は、本年度から新しいカリキュラムを採用。より質の高い教育を目指す。
 専任の教員が、正科生の学習相談に乗る「アカデミック・アドバイザー制度」。夏期スクーリング時の「レポート作成特別講義」。各地で実施する科目試験終了後の「学習相談会」。サポート体制が充実する。
  各科目の基礎を自宅にいながらDVDで学べる「メディア授業」の取り組みに、他大学の関係者が関心を寄せる。
 「『学生第一』の精神で、教職員が心を合わせて運営する創価大学でしか成し得ない」と。

もう一つの使命

 「5月16日は、重大な歴史の日となりました!」
 中央体育館にこだまする力強い創立者・池田名誉会長の声。
 1976年(昭和51年)5月16日、通信教育部の開学式が行われた。
 壇上に創立者の姿はない。通教生を何とか励ましたいとの思いで、テープにスピーチを録音して届けたのであった。
 ――「歴史の日」とまで呼んだ通教の開設は、創立者の悲願。創大が開学した71年、識者にこう語っている。
 「戦争で貧しかった国民の多くは、大学にはとてもいけなかった」「もう一度、勉強したいという高年の方に入学の機会を広げたい」「きっと実現させます。創価大学の使命の一つになる」
  そして迎えた通教の開学式。テープから気迫に満ちた声が響く。
 「私は学問の道を途中で断念せざるをえませんでした。そのかわり、恩師・戸田先生に、さまざまな学問を教えていただきました。それは文字通り、人生の師と弟子との間に“心”を“通”わせた教育でありました」
 「通信」という言葉に新たな意義を吹き込んだ。どれだけ離れていても、創立者と「信」を「通」わせて学んでいこう! 通教1期生は自覚を新たにした。

                                       ☆☆☆

 スクーリングのために創大へやってきた通教生たちを、創立者は真心で迎える。
  開設3か月後の8月18日。初の夏期スクーリングで授業が行われている教室を訪れた。
 「よく来たね。うれしいね!」
 突然の出会い。パッと笑顔が広がるる目を潤ませる人もいる。
 「君たちは、私と同じ黄金の道を歩む友なんだ。どんな労苦にも勇んで挑戦し、人生勝利の栄冠を勝ち取ってほしい!」
  その後、文系A棟の前へ向かう。
 「こっちにおいでよ」
 10人の通教生に手招きした。
 「母校を心から愛してください。守ってください。核となって発展させてほしいんだ」
  そばにいた教員が、この通教生10人のグループに命名をと依頼。創立者は、目の前にある像の台座を指さした。
  「『通信使命会』でどうだろうか」
 鍛冶職人と天使をかたどったブロンズ像。台座に創立者が贈った指針が刻まれている。
 「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」
 働きながら、あえて学びの道を進む。その労苦と使命をたたえた。

                                       ☆☆☆

  第9回「創大祭」の79年(昭和54年)11月3日。中央図書館の前に、人だかりがあった。輪の中心に創立者がいる。ある女子学生が声を上げた。
 「先生、この後、通教生大会があります!」
 「わかったよ」
 白百合合宿所(当時)での「全国通教生大会」。扉がいきなり開く。予定の合間を縫って駆け付けた創立者だった。
 「人生とは坂を上っていくようなものです。一挙上がっていくことはできない。一歩一歩上がっていくものです」
 「この」数年間で培った友情、キャンパスでの思い出、そしてキャンパスで刻んだこの軌跡というものを、人生向上への大きい糧としてくだされば、私は結構であると思います」
  通教を人生の糧に――創立者が願うのは、通教生の幸福である。

自身の財産に

 通信教育部が発行する機関誌がある。創立者はそのタイトルへの命名を請われ、即座に二文字で名付けた。
 「学光」
 常々語る。
 「学は光、無学は闇」
 「学の光をもって、わが人生を、そして、社会を照らしゆくのだ」

                                        ☆☆☆

  「創立者と生涯誉れの大道を!」
 大きな横断幕が夏の日に輝いた。
 1985年()昭和60年8月13日。通教生の祭典である第10回「学光祭」が、第1グラウンドで開かれた。
  創立者が到着し、グラウンドを一周。皆に手を振り、声を掛ける。応える参加者の手が、波のように揺れる。
  「通教常勝太鼓」の響き、ユーモアあふれる「新学光体操」、よさこい鳴子踊り、合唱・・・。
伸び伸びと演技を繰り広げていく。愛唱歌「学は光」は全員の大合唱。
 〽ああ我ら

          通教生
     ああ共々に
           学び征く・・・
  仕事や家庭の状況をやりくりして集った通教生たち。創立者のもと、創大で学ぶ喜びを歌声に乗せる。見守った創立者は、マイクを握った。
 「真剣に学問に励んでいる人は、知性が輝き、人格も磨かれる。人間完成の姿へと進んでいくものだ」
  「さまざまな事情で、卒業できない人もいるかもしれない。しかし、たとえ卒業できなくても、1年でも、2年でも、3年でも、勉強し、学問の道を歩んだということは、全て自分自身の財産となって永遠に輝きゆくのである。
 この日、廣田敏宣さんは、組体操の演目で3段円筒の頂上に立った。
 翌年、がんで父が他界。仕事と生活に全力を尽くすため、通教を断念せざるを得なかった。悔しかった。
 それから約20年。「お前は教師が向いているかもな・・・」。生前の父の一言が脳裏から離れない。もう一度、誓いを果たそう。再び通教の門をくぐった。
 40歳の再出発。通勤の電車、仕事の昼休みは全て勉強。家では眠気に負けないよう、立ったままで学んだこともあった。
 44歳で教員採用試験に合格。今、中学校で人間教育に取り組む。
 「創立者の言われた通り、苦労して学んだことがすべて自分の財産となって輝いています」

                                        ☆☆☆

  今月10日、中央教育棟のディスカバリーホールで根新世紀第13回(第38回)「学光祭」が開催された。
 集った老若男女の服装は多彩。華やかな会場の装飾も。派手な演出もない。だが皆が懸命に演技。熱気が会場を包んだ。
 大池栄一実行委員長は語った。
 「働きながら学ぶ挑戦を通して、創価教育の体現者に成長し、地域・社会で実証を示したい」
  名誉会長はメッセージを寄せた。
 「わが誉れの通教生の皆さんこそ、不撓不屈の探求によって、偉大な『ディスカバリー』すなわち『発見』を積み重ねている『創造的人間』の鏡なりと、私は心からの喝采をお送りしたい」
  通教出身の教員採用試験合格者は、13年連続で年間100人を超え、累計2880人となった。
 さらに、昨年度は難関の司法試験に通教出身者2人が合格。公認会計士、税理士をはじめ、多くの人材を輩出する。
  創大通教生が放つ「学光」が、現代社会を照らしていく。



7、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道61

  別海指導最終日の十六日、昼前には、青空が広がった。気温も二二度を超えた。
 北海道研修道場には、前夜に開催が決まった勤行会に参加するため、別海、中標津、標津、羅臼の友が、喜び勇んで集って来た。
 山本伸一と会うのは、初めてという人がほとんどである。役職がないために、幹部会等には参加したことのない壮年や青年、日ごろは留守を守っている年配者、幼子を連れた若い母親……。どの顔にも笑みが光っていた。なかには、未入会の友人の姿もあった。
 当初、予定していた研修道場での主要行事は、前日で終了していたため、ほんの一部の運営役員しか残っていなかった。そこで、最高幹部が、受付や場内の整理を担当することになった。伸一は、最高幹部らに言った。
 「さあ、合掌する思いで、仏子である皆さんをお迎えしよう。それが本来の姿だもの」
 やがて、勤行会が始まった。勤行、幹部あいさつなどのあと、伸一は語った。
 年配者には「長寿と悔いない充実した人生を」と念願。若い婦人部には「未来の宝である子どもさんを忍耐強く、立派に育てていってもらいたい」と望んだ。青年部には「毎日、少しでも御書を読む習慣をつけ、強い信心と求道心をもち、地域の立派なリーダーに」と指導。壮年部には「地域社会の柱である自覚を忘れず、御本尊とともに生き抜き、信仰と生活力、強い生命力で、一家を守りきっていただきたい」と訴えた。
 最後に、皆が研修道場を守り、尽力してくれていることに深謝し、共々に、一段と成長した姿での再会を約した。
 伸一は、あいさつのあとも、さらに参加者の中に入り、励ましの言葉をかけていった。
 連日の指導・激励で、彼の体は著しく疲労していた。しかし、それを、はね返す活力がみなぎっていた。人を懸命に励ます利他の実践によって、自らの魂が鼓舞され、勇気が、歓喜が、湧き上がるのである。
 北海道縁の思想家・内村鑑三は言明する。
 「自己に勝つの法は人を助くるにあり」(注)

--------------------------------------------------------------------------------
■引用文献
 注 「自己に勝つの法」(『内村鑑三著作集 第五巻』所収)岩波書店



8、座談会 世界広布新時代の旭日(71) 下半期を勢いよくスタート 

師弟不二の天地 信越
全員が広布最前線の主役!

 原田会長 広島や京都、兵庫など各地で局地的な豪雨により、甚大な被害が出ています。学会としても、対応に全力をあげています。

 正木理事長 現地では被災した会員・家族の皆さまの激励に懸命に当たっています。

 清水重臣信越長 私たち信越も、大きな災害の際、同志の皆さまからの真心の励ましが、どれだけ力になったか。一日も早い復旧・復興を真剣に祈念しています。

 原田 被災者の方に、心からお見舞い申し上げるとともに、引き続き二次災害等には厳重な警戒をしていただきたいと思います。

 全力で教学試験へ

 杉本婦人部長 さて、「世界広布新時代 開幕の年」の下半期のスタートです。

 原田 池田先生は、今年、来年と油断なく一切を勝ち切って、広布と人生の見事なる大勝利の総仕上げを飾っていくことが、本末究竟して等しく、創価の万代までの勝ち戦を決すると言われました。

 杉本 友好期間中に養った英気を存分に発揮し、まずは、間近に迫った「教学部初級試験・青年部教学試験3級」(9月28日)を大勝利していきましょう。

 正木 そして、11月に行われる教学部任用試験での「地区2人以上の合格者」の輩出に取り組み、後継の人材の拡大で本年を勝ち飾っていきたい。

  強固な魂の支柱を 

 清水美季信越婦人部長 この夏、池田先生は長野研修道場を訪れ、同志の安穏と世界の平和を祈念して、代表と勤行してくださいました。

 清水(重) 先生にとって長野は、恩師・戸田先生を偲ぶ場所であると思います。1957年(昭和32年)8月、先生は戸田先生の最後の夏を、共に長野で過ごされました。多くの識者が“戸田先生のことを語る池田先生の姿は常に青年”と言われますが、長野に来られる先生の姿に、師弟の峻厳さを学ぶばかりです。

 島田信越青年部長 93年(平成5年)、長野研修道場で小説『新・人間革命』の執筆を開始された8月6日は、「信越師弟誓願の日」でもあります。

 原田 研修道場初訪問から35年の佳節でもある、この8月、信越は記念の月間で、友好の拡大などに全力で取り組みましたね。

 清水(美) はい。池田先生・奥様への尽きせぬ感謝を胸に、青い空、白い雲、さわやかな風の天地を、全同志が走り抜きました。

 清水(重) 長野・軽井沢圏では、地区2世帯の弘教を達成。研修道場の地元・賢人地区でも、聖教新聞の大拡大を成し遂げました。

 島田 男子部も、この夏、“世界中のどこよりも勝利の結果を残そう!”と決意し合い、部2世帯の弘教を成就しました。

 原田 池田先生は信越の地で、師弟こそが仏法の根幹であるとして、語られました。「これが主であり、他の問題は従なのだ。魂の支柱が腐れば、正義の城は崩れてしまう。時流がどうあれ、社会がどう動こうと、師弟という柱は、ゆるがせにしてはならない」。私自身、日々、決意新たに、師弟の道に生き切ってまいりたい。

 島田 下半期の出発に当たり、信越は、さらなる弘教・拡大に挑戦し、師恩に報いていきます。

 清水(美) その柱は信越「黄金プロジェクト」です。

 清水(重) これは、①新入会者②新しい人材③壮年部5勇士(5人の活動者)④任用試験の受験者輩出のいずれかを達成したブロックを「黄金ブロック」として、たたえる運動です。

 島田 すでに多くの「黄金ブロック」が誕生。特に、壮年部5勇士が立ち上がった地域が多く、中には、数十年ぶりに会合に参加する方の姿も見受けられ、婦人部をはじめとした同志の喜びとなっています。

 正木 長野・アルプス栄光圏のあるブロックでは、皆の協力で、主体性をもって訪問・激励に励んだブロック長により、“壮年マンデー”という新たな取り組みが生まれたそうですね。

 清水(重) 足しげく激励に通った結果、日曜日を活動の中心としたこれまでの“壮年サンデー”だけでは、宿泊・飲食サービス業などの人が参加したくてもできないと分かったブロック長が、月曜日にも御書学習の機会などを設けた結果、たくさんのメンバーが立ち上がり、見事な5勇士を誕生させているのです。

 正木 また、ブロックには、全地域で、「ブロック黄金長」と呼ばれる総ブロック長がいて、圏長などのリーダーをはじめ、多くの副役職の友が、その役に就き、ブロックの躍進に尽力しているとも聞きました。

 原田 先日、私も訪れた新潟・佐渡圏では、すでに全ブロックが黄金ブロックとなり、皆が意気軒高であったことが、強く印象に残っています。

 清水(美) 下半期は、さらなる黄金ブロックの達成へ、全ブロック員が大成長するとともに、10月に各圏で行われる「新入会者大会」を目指して、新入会員と新たな活動者の育成にも全力を尽くしていきます。

 島田 次代を担う学生部の応援にも力を注ぎ、9月の「全国学生部大会」(本部幹部会)の中継行事で、日本一の結集を目指します。

 杉本 池田先生に、「信越は大関西と並んで、私が最も愛し、最も大切に思う師弟不二の天地」と言っていただいた信越です。

 清水(美) 「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」(御書1578ページ)の御聖訓を心に刻みながら、誓願の題目をさらに朗々と唱え、美しき信越で広宣流布の使命を果たし抜いてまいります。

 原田 常楽我浄にして常勝不敗なる世界一の創価の人材王国を築き上げ、師の期待に応えていかれることを念願しています。



9、社説 本紙「創刊原点の日」 読者に応える紙面充実へ前進

 どんな会社にも“原点”がある。企業理念を見失った時には、原点に立ち返ることで、その企業の責任や使命を再認識することができる。日々、挑戦の心を燃やし続け、多様な顧客のニーズに応えていくことも可能となろう。
 「社員は常に原点に立て」とは、弊社の基本理念の一つだ。無冠の友、通信員、新聞長など、本紙に携わる全ての方々の功労に支えられ、本年も8・24「聖教新聞創刊原点の日」を迎えることができた。
 7年前に制定された「創刊原点の日」の淵源は、64年前の“師弟の語らい”にさかのぼる。1950年(昭和25年)、当時の深刻な不況は、戸田第2代会長の会社経営をものみ込んだ。8月22日、事業の破綻が決定。その2日後、戸田会長は、最大の苦境に立たされる中で、若き池田名誉会長に語った。
 「一つの新聞をもっているということは、実に、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない。大作、よく考えておいてくれ」
 翌51年3月には、初の企画会が開催。そして4月20日、聖教新聞は産声を上げた。発刊当時の発行部数は5000部。10日に一度、2ページ建ての紙面だった。53年に週刊となり、65年に日刊化。その後、12ページ建てに。活字の大きさ、画像の質なども次第に改善され、読みやすい紙面へと発展を遂げた。
 名誉会長はかつて「創刊原点の日」に触れつつ、「聖教の発展を考えない日は、一日たりともない」と綴った。読者の期待に応え続けるため、時代がいかに変わろうとも、創価の師弟が紡いだ“創刊の精神”を決して忘れまい。
 今年5月、紙面が大幅に刷新され、新たな企画が始まった。列島各地に刻まれた三代会長の歴史を紹介する「わが町 わが誇り」、学会員の信仰の確信をルポ記事で綴る「生老病死を見つめて」、毎日カラーの12面企画……読者からは「聖教の新時代に、心が開けたようです」「読みたくなる新聞、友人に勧めたくなる新聞に感動」など、喜びの声が数多く届いた。創作絵本や漫画の連載も好評だ。
 「創刊原点の日」を記念して発表された新社歌「輝け! 聖教城」の歌詞には「ああ わが胸に 師匠あり 断じて綴らむ 父子の詩」とある。たえず原点に立ち返り、“胸中の師”と語り合いながら、紙面のさらなる充実に向けて、「8・24」から新たな前進を開始したい。



10、きょうの発心 開目抄、234ページ 

御書 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ(開目抄、234ページ・編464ページ)

通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。. 

【弘教で福運あふれる郷土へ】

 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。

 1978年(昭和53年)、池田先生と記念撮影させていただく機会がありました。この時、先生が語られた「福運だよ」との一言に奮い立ち、仏法対話に挑戦。直後に初めての弘教が実りました。
 以来、先生の正義、学会の真実を訴え、広大な天地を拡大に走り抜いたことが女子部時代の原点です。
 2012年、先生は小説『新・人間革命』で「厚田」の章を執筆してくださいました。当時、わが家は、夫の体調不良・失職の危機、父の病、私自身の乳がんなど、宿命の嵐の渦中でした。
 しかし、この連載に勇気を頂きながら、祈り、学会活動をするなかで、一つ一つ乗り越えることができました。今春から娘が創価大学に通うことができ、感謝でいっぱいです。
 北海道広布60周年の今、青年を先頭に広布拡大にまい進し、福運あふれる郷土にしてまいります。
北海道・札幌東総区婦人部長 花田 綾子



11、世界の体験プラザ  ブラジルSGI マリア・リゼッテ・ダ・シルバさん

 地域で愛されるチーズ会社を経営 「冬は必ず春」の母の凱歌
 

「これで人生が変わりますよ」

 人生の嵐に耐え、純真で勇気ある信仰を貫く女性門下に、日蓮大聖人は大確信を込めて励まされました。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(1253㌻)と。今、私は深い感謝の中で、この御文を心から実感しています。
  家庭不和と、高利貸しの取り立てにおびえる極貧の日々。前途には何の希望もなく、もはや自分の命を絶つことでしか、この苦しみを終わらせることはできないのではないか――。
 かつての私は、まさに苦悩のどん底でした。日銭を稼ぐ手立てといえば、自家製のチーズ作り。毎週それを抱え、地元の皆スジェライス州サン・ジョアン・デル・レイから南東へ数百㌔も離れたサンパウロまで売りに行っていました。
 1996年のことです。その日も、サンパウロ市内で、一軒一軒のドアをたたきながら、私はチーズを売り歩いていました。その一軒が、フランシスコさん夫妻のお宅だったのです。
  奥さんのテレジンニャさんは、とても明るい方でした。そして、彼女は私を一目見るなり、今まで誰も気づこうとしなかった私の深い苦悩をおもんばかるように声を掛けてくれたのです。
 「どうしたの? よかったら悩みを打ち明けてちょうだい」
 慈愛のこもった言葉に促されるように、私は自身の境遇や抱えている苦しい胸の内を全て話していました。
 すると彼女は「南無妙法蓮華経」を唱えることを教えてくれ、「これで人生が変わりますよ」と、確信を込めて言うのです。
 「本当にそんなことがあるのかしら?」
 さすがに最初は半信半疑でしたが、彼女の温かい笑みと誠実な人柄を信じて、娘のアニタと一緒に、唱題行の実践を始めてみました。すると、心の奥から力が湧いてくる感じがし、気がつくと、同じく貧困に苦しむ友人にこの信心の話を教えていきました。こうして私は、ブラジルSGIの一員となることができたのです。

一人立つ精神で広布開拓に挑む

 唱題を重ねるなか、私は自分自身が苦難に負けない“強い人間”になっていくのが分かりました。悪辣な高利貸しから銃を突き付けられ脅された時でさえ、言葉を尽くすことで、相手の心を動かすことができたのです。
  当初、地元にはほとんど同志がいませんでした。しかし、信心の素晴らしさを実感した私の祈りに呼応するように、一緒に活動に歩く婦人が現れ、励まし合って弘教に挑戦しました。一人また一人と信心する人が増え、いつの間にか3つのブロックにまで発展し、地区を結成することができました。
 全てを学会指導の通りに。唱題と折伏を根本に、意欲的に仕事に取り組み、工夫を凝らし、お客さんに明るく接するようにしていくと、チーズの売り上げが目に見えて上がっていきました。
 ローンに追われ、細々と営んでいたのが、わずかな歳月のうちに地域で最大のチーズ卸売業者へと発展。評判が評判を呼んで、今では乳製品とスイーツに特化した2軒の店舗も構えることができました。
  本当に、経済革命がかなったのです。それにも増して、私にとっての最大の勝利は、一家の和楽、なかんずく息子アレックスの蘇生を勝ち取れたことでした。
 わが家が窮乏にあえいでいたころ、息子は悪い仲間に引きずられ、麻薬問題や犯罪にまで巻き込まれていました。母親として何より恐ろしかったのは、このままでは、いずれ息子が若くして命を落としかねないという不安でした。
 彼が良き先輩と出会えるよう、人間革命に挑戦し、人々の幸福に尽くせる人間になれるよう、私は祈りに祈りました。胸が締め付けられるような思いで、泣きながら息子の帰宅を一晩中、待ったことも数知れません。
 春にならない冬はないのだ。息子を絶対に死なせない。誰の命も傷つけさせない。そう決めて、猛然と唱題し抜きました。

地域に広がるSGIの共感

  ついに、息子は悪い仲間と縁を切り、信心の世界に入ってきてくれました。創価学会の集いには励ましがあります。池田先生の指導には、希望があふれ、進むべき道が示されています。彼は、本当に見違えるように変わっていきました。
 2007年、息子は過去の自分のように、行き場を失っている子どもたちのための柔術教室を開きました。良き伴侶にも恵まれ、家庭を持ち、経営者として成功を収めました。孤児たちを支えるボランティア活動にも尽力。かつての荒れた青年が生き生きと社会に貢献する姿に、地域の人々も目を見張りました。
 私自身も、地域広布のために、さらに祈りと行動を重ねました。ブラジルは広大です。わが地域の広布の発展のために、どうしても個人会館を建設したいと思いました。
 簡単には進みませんでしたが、やはり祈りきる中、11年秋に、120人収容の個人会館をオープンすることができたのです。
  一方、より一層の地域貢献を決意した息子は、ミナスジェライス州のサンタクルス・デ・ミナス市議会議員に立候補し、何と同市の選挙史上最高の得票数で当選したのです。
 師匠の人間主義の思想を、さらに社会に広げたい。助け合い、思いやりのある社会を作りたい。息子はそう語っています。
 今や、わが家を含め、メンバー一人一人の人間革命のドラマを見てきた地域の方々が、SGIの理念に深い共感を寄せてくれています。池田先生の哲学を称賛する声も大きく広がっています。
 来し方を振り返り、“祈りとして叶わざるなし”の仏法であることを、しみじみと感じます。何があろうと師と共に、学会と共に、題目を唱え抜くならば、必ず一切は開ける――そう大確信で言い切れることに、感謝、感謝の日々です。



【社会の情勢】
 

◆ 32都道府県調査未了  全国52万カ所 土砂災害危険箇所
◆  インフラ整備計画を見直し 人口減少や老朽化 国交省方針
◆ サイバー走査 官民連携 警視庁、10月にも新機関設立
◆  従来型携帯 根強い人気 シンプル機能、低価格
◆ 育休パパ、制度に精通認知度上がれば取得者増にも 民間調査


Viewing all articles
Browse latest Browse all 201

Trending Articles