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信じ抜く 教育本部が開く未来


広布史・一覧

2014/8/11(月)の聖教

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2014/8/11(月)の聖教新聞

新聞休刊日 無冠の友の皆様いつもありがとうございます。

2014/8/12(火)の聖教

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2014/8/12(火)の聖教


1、創価中学・高校が第19回ディベート甲子園全国大会で日本一

  第19回「全国中学・高校ディベート選手権」(ディベート甲子園。読売新聞社、全国教室ディベート連盟主催)が8日から10日まで、東京・文京区の東洋大学で開催され、創価中学・高校(東京・小平市)の創価雄弁会と関西創価高校(大阪・交野市)のディベート部が出場。中学校の部で創価中が2年連続8回目、高校の部で創価高が7年ぶり6回目の日本一に輝いた。中高同時優勝は7年ぶり2回目の快挙である。関西創価高は同部でベスト8と健闘した。

              

 入念な準備。的確な立論。確かな観察力。鋭い反駁――勝敗を決したのは「総合力」。創価の特色である〝全員ディベート〟が光った全国大会だった。
 ディベートとは、一つの論題に対し、肯定側と否定側に分かれ、メリットとデメリットを論じ合い、その説得力を競うものである。
 今回の中学校の部の論題は「日本は捕鯨を禁止すべきである。是か非か」。
 創価中は決勝で灘中学校(兵庫)と対戦。これまでの議論を見直し、さらに新たな観点を盛り込んで挑んだ大一番では、否定側に回り、3対2で接戦を制した。「審判にも分かりやすく、深みのあるディベートだった」との講評が寄せられた。
 部長の榊原秀雄君(3年)は「信頼できる仲間と戦えたことがうれしい。創立者をはじめ、お世話になった方々に笑顔で勝利を報告したいです」と語った。
 一方、高校の部の論題は「日本は外国人労働者の受け入れを拡大すべきである。是か非か」。
 創価高の決勝の相手は千種高校(愛知)。否定側の創価高は、緻密な分析と鍛え上げた弁論力で、堂々たる主張を展開。4対1で全国制覇を成し遂げた。
 部長の坂本昭彦君(3年)は「創価中とダブル優勝を果たせて感動です。常に〝何のため〟という問いを持ち、物事を見極める力を磨き続けていきたい」と述べた。
 また関西創価高は準々決勝で東海高校(愛知)と対戦。善戦したが、わずかに及ばず、2対3で惜敗した。
 なお、創価中と関西創価高が大会を通じて最もコミュニケーション力が秀でていた学校に贈られる「ベストコミュニケーション賞」を受賞。「ベストディベーター賞」には創価中の荒木伸一君(3年)と創価高の園山幸一君(3年)が選ばれた。



2、わが友に贈る

 不規則な生活や
 偏った食事は
 体の不調の原因に。
 聡明な自己管理で
 心身共に充実の日々を!



3、名字の言  台風一過の甲子園。全国3917校中、予選を勝ち抜いたのは、49校。頂点へ激闘は続く。

  台風一過の甲子園。「誕生90年という節目の年。今、この場所に立てることを誇りに感じています」。栃木・作新学院の中村幸一郎主将が立派に選手宣誓した。「甲子園、その存在が、私たちを大きく成長させてくれます」▼全国3917校中、予選を勝ち抜いたのは、49校。頂点へ激闘は続く。試合ゆえに勝敗はつきものである。しかし、大舞台を目指した努力と友情こそが掛け替えのない宝であることを、振り返ったときに実感することだろう▼一方、英知の熱戦が展開されたディベート甲子園では、創価中学・創価高校がそろって全国優勝を成し遂げた。かつて創立者の池田名誉会長が東西の学園生に贈った和歌にこうある。「弁論は/世界に平和を/打ち立てる/最も正しき/法理なるかな」。メンバーの一人は「自分たちのやっている弁論が、創立者の目指す世界平和の力になっていくんだ」と思ったことが努力を続けていく原動力になったと語る▼目指す目標が大きければ、その分だけ大きな力を出せる。目標が崇高であれば、その分だけ、自らを厳しく鍛えることができる。それが青春の生命の素晴らしさであろう▼10年後、20年後の日本と世界を担っていく、頼もしい中高生たちの真剣な汗光る夏にエールを送りたい。(進)



4、寸鉄

★  SGIは社会に開かれた人間教育の学舎―教授。智慧と慈悲で調和社会を
      ◇
★ 教育原点の日。子供の幸福が平和の指標。聖業に尽くす教育本部の勇者よ
      ◇
★ 一つの種でも「植えぬれば多くとなり」と蓮祖。信頼の花園をわが地域に
      ◇
★ 国連「国際青少年デー」可能性の「若芽」を伸ばしゆけ!真心の励ましで
      ◇
★ 災害に強い街づくりへ日米の中高生が活発な議論 震災の教訓を世界で継承



5、信じ抜く 教育本部が開く未来 第3回 発達障害を見つめて
  (作業中)



6、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道50

  菅山勝司が、信心を始めた動機は、〝食べるのがやっと〟という生活から、抜け出したかったからである。未来には、なんの希望も見いだせなかった。また、もともと内気で、口べたであることに劣等感をいだき、それを克服したいとの、強い思いもあった。
 そんな彼を、男子部の先輩は、確信をもって励ましてくれた。
 「信心して学会活動に励んでいくならば、必ず生命力が強くなり、どこへ出ても恥ずかしくない立派な人材になれる。皆、そうなっているんだよ。それを人間革命というんだ。
 私たち青年の双肩には、日本の未来が、いや、世界の未来がかかっている。君には、この別海の地から、日本を、世界を担い、支えていく使命があるんだよ」
 力強い言葉に、彼は魅了された。自分の世界が、大きく開かれた気がした。
 青年の魂を覚醒させるのは、確信と情熱にあふれた生命の言葉である。
 菅山は、学会活動を始めた。当時、別海には、男子部員が四人しかいなかった。彼らは札幌支部の所属で、道東の活動拠点は釧路であった。経済的にも、時間的にも、釧路に行くことは難しく、四人で、たまに連絡を取り合うことしかできなかった。
 一九六〇年(昭和三十五年)九月、男子部の先輩から、釧路で男子部の会合が行われるという連絡の葉書が届いた。参加するのは無理だと思った。汽車賃がなかったからだ。
 葉書には、第三代会長の山本伸一先生のもと、学会は怒濤の大前進を遂げていることも記され、さらに、こう訴えていた。
 「環境に負けて、いつまでも会合に参加できないと言っていては、成長は望めません。困難を乗り越え、弱い自分に勝って、まず会合に参加することです。さあ、発心しよう。実行に移そう。そして、別海の中心にふさわしい人材に成長するのです……」
 「環境に負けて」という言葉が、深く心に突き刺さった。しかし、会合参加への心は定まらぬまま、当日が近づいていった。



7、みんなで学ぶ教学 新会員のための仏法入門 【6】広宣流布 世界広布新時代を共々に
 (作業中)



8、白ゆりの輝き 婦人部のページ 子どもたちとつくる平和な未来

  今月15日、69回目の終戦記念日を迎える。婦人部の女性平和委員会では、平和への願いを未来につなぐため、反戦出版、戦争証言DVD制作、展示活動など、草の根の平和運動を展開してきた。本年は「子どもの権利条約」の国連採択から25年。この意義を踏まえ、子どもたちの幸福を願い、新たな取り組みとして「子どもたちとつくる平和の文化フォーラム」を全国各地で開催。ここでは、各地のフォーラムでの3人の体験主張と、信心根本に地域・社会で輝くメンバーを紹介する新連載「朗らかに!―私の挑戦―」を掲載する。

★奈良・大淀町 大井敏子さん(支部副婦人部長)  “生きる力”育む読み聞かせ
★岐阜市 松田たか子さん(支部副婦人部長)団子店は小学生の“憩いの場”
★東京・八王子市 阿山京子さん(支部副婦人部長)自閉症の長男が美術展で表彰

◆朗らかに!私の挑戦 
 広島市南区 広島女性委員会総合委員長 品川敏子さん   “ヒロシマの心”を世界へ


【池田名誉会長の言葉から】

    本来、子どもたちには、無限の可能性があります。その瞳には、未来を創造しゆく希望の光が輝いている。それを大人たちが曇らせることがあっては、絶対になりません。
 師の戸田第2代会長も、よく語っておりました。「子ども未来の宝だ。未来からの使者と思って大事にしなさい」と。 (チョウドリ元国連事務総長との対談集『新しき地球社会の創造へ』)
  子どもの瞳の輝きに、国境はあるでしょうか。
 子どもの笑い声に、民族の違いがあるでしょうか。
 子どもの悲しみの涙に、宗教の違いがあるでしょうか。
 すべての子どもたちに平和を! これこそ、人類の悲願です。
 世界中のどの子どもにも、平和に生きる権利があります。  (『母と子の世紀(3)』)



【社会の情勢】 

◆ 日中外相、2年ぶり会談 関係修復へ糸口探る
◆  消費者心理 3カ月連続改善 7月、指数上昇幅は緩やかに
◆ 格安スマホ続々登場 シニア層や主婦らに人気
◆  ガザ再び72時間停戦 交渉再開、隔たり依然大きく

2014/8/13(水)の聖教

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2014/8/13(水)の聖教


1、生涯学習の模範 創価大学通信教育部夏期スクーリング始まる 創立者がメッセージと句

  創価大学通信教育部の「夏期スクーリング」が始まった。
 開講式は等か、東京・八王子市の創大記念講堂で行われた。
 これには、創立者の池田名誉会長がメッセージを寄せ、偉大なる学究と求道の友を賞讃。祝福の句を贈った。
 1976年(昭和51年)の開設以来、「生涯学習の模範」として輝かしい伝統を築いてきた通信教育部。現在、卒業生の連帯は1万7000人を超え、それぞれが使命の舞台で奮闘する。
  昨年は、最難関の司法試験に2人の通教出身者が初合格。また、実績を重ねる教員採用試験の合格者は13年連続で100人を突破した。
 さらに通信教育部では、2016年の開設40周年へ、本年度から新たな取り組みをスタートさせる。①DVDによるメディア授業の導入 ②時代のニーズに応える新カリキュラムの充実 ③専任教員らによる学習サポートの推進を通し、「学生第一」の教育環境を一段と整える。
 今回の夏期スクーリングには、のべ5000人が参加、海外からも16各国の友が集う。
 開講式では、田代理事長、花見通信教育部長があいさつ。馬場学長は「人間教育のキャンパスで良き学友と切磋琢磨し、大成長の日々に」と念願した。
 参加者からは決意の声が多く寄せられた。

 「高校卒業後、経済的理由で大学進学を断念せざるを得ませんでした。今回、40年越しの夢であった大学に通うことができ、感無量です。生涯、学びの人生を歩んでいきます」(60代男性、愛知)
 「創立者の温かな励ましに包まれ、新たな出発を切ることができました。また先日、一人娘が〝私も通教に挑戦したい〟と言ってくれました。親子そろって、卒業を目指し、頑張っていきたい」(70代女性、福岡)


◆夏期スクーリング開講式への創立者のメッセージ

“学の光”で地域社会を照らせ 
発明王エジソン「考えながら働くことほど楽しいことはない」

 尊き学びの「黄金の汗」光る、伝統の夏期スクーリング、誠に誠にご苦労さまでございます。
 台風など悪天候が続くなか、日本全国はじめ、遠く海外からも、本当によく集ってくださいました。多忙なところ、懸命にやりくりして参加されていることも痛いほど分かっております。偉大な学究と求道の大情熱に、心から喝采を送りつつ、私も八王子のキャンパスで、皆さんと一緒に学び合う思いで一切を見守っております。
 全力で講義に望んでくださる先生方、また真心からサポートしてくださる職員の方々、いつもいつも、ありがとうございます。
 常に瑞々しい生命の輝きは、どこから生まれるか。
 それは、向学の挑戦でありましょう。
 常に新鮮なる価値創造の光は、どこから広がるか。それは、学び続ける努力ではないでしょうか。
  今、東京富士美術館では「発明王エジソン展」が開催されていますが、エジソンもまた、弛まず学び続けた、偉大な挑戦の人でした。
 その生涯において、蓄音機や白熱電球をはじめ、およそ1300の発明を成し遂げ、世界を明るく照らしたことは、皆さんもご存じの通りです。
  学校に通ったのは小学校のわずか3カ月だけで、あとは全て、働きながら学び抜き、学びながら働き抜いた、崇高な労学一体の人生でした。若くして、耳が不自由になるという試練にも遭いました。
 しかしエジソンは、朗らかに語っています。
 「人間にとって考えながら、働くことほど楽しいことはない」と。
  白熱電球の発明では、実に1万回以上も失敗を重ね、周囲からも、もうやめた方がいいと呆れられたほどでした。けれども、人の人培、何十倍もの挑戦と努力、創意工夫で、“生みの苦しみ”を突破していったのです。
  晩年、自ら築き上げてきた研究所が火事に見舞われた時も、「自分はまだ67歳でしかない。あすから早速、ゼロからやり直す覚悟だ」「意気消沈などしているヒマはない」と、新たな開拓に奮い立っていったのです。
  目指しゆく山が高ければ高いほど、その途上は苦しく厳しい。その分、やがて眼下に広がる光景は、より壮大に、より荘厳に開かれていくものでありましょう。
 どうか、私と同じ誇り高き使命と充実の登攀に挑みゆかれる通教の皆さんは、不撓不屈の負けじ魂と、明朗快活なる創価の心を明々と燃やしながら、最高に意義ある価値創造の光を放っていってください。
  たとえ、どんな地味なようであっても、皆さんの“学の光”こそが、不滅の光です。一家眷属を、地域社会を、世界を赫々と照らしゆかれることは、絶対に間違いありません。
 暑い日が続きますので、疲れをためないよう、水分と休憩、睡眠を十分にとって、聡明にお願いします。
  結びに誉れの通教生に、

  挑み勝て
      歓喜の命の
            学光道

 と贈り、私のメッセージといたします。
 わが不二の学友・通教生に、健康あれ! 幸福あれ! 栄光あれ!


2、わが友に贈る

 尊き使命の天地で
 社会貢献に率先する
 地域部・団地部に感謝!
 人間の絆を広げゆく
 希望の灯台と輝け!


3、名字の言  感動体験は人格形成に多大な影響及ぼす。

  昇ったばかりの太陽が暑い一日を予感させた、今月4日の早朝。全国未来部夏季研修会に参加する一人の男子高等部員が宿泊先の創価大学・宝友寮の中を歩いていた。午前5時だった。「起床時間まで、まだ余裕があるよ」とスタッフが声を掛けると、早起きの理由を教えてくれた▼宮城から参加した彼は、父親を亡くしていた。研修会で〝親がいない人は、私がお父さんだよ〟との池田名誉会長の言葉に出あい、涙を流して成長を決意。寮内に創大生が掲げていた名誉会長の言葉を、メモして回っていたのだ。午前5時は、本紙の配達をしていた父が起きる時刻だった▼若き日の感動体験は、人格形成に多大な影響を及ぼす。そうした感動は、①行動する②人生を探索する③本物と出あう④異質なものと出あう⑤つらさを乗り越える――ことから生まれる、との教育報告もある▼未来部の研修会には、その全てが詰まっていた。全国から集った友との触れ合い、思いをぶつけ合う懇談、苦難を乗り越えた体験発表、御書講義、名誉会長の指導の研鑽……。「3日間で、17年間の人生が変わりました」と語る友も▼「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びる」と名誉会長。無限の可能性を秘めた若き友の挑戦を支えたい。(速)


4、寸鉄

★  会長は模範の生き方示し教育の真髄を体現―博士 師の如く人間王者の道を
      ◇
★ 「葛飾女性の日」。堂々と勝つしかない! 全てにこの心意気で朗らかに前進
      ◇
★ 青年部の平和署名運動に反響。核兵器の魔性と戦う連帯拡大。未来の為に
      ◇
★ 緊急時に除細動器使える市民―まだ3割強。命を救う知識と備え日頃から
      ◇
★ 公明党が若者の雇用促進へ政策提言。若い世代の声を聞き積極支援を急げ



5、響き合う魂 SGI会長の対話録 第45回 インド ナラヤナン元大統領

  世界中の全ての瞳から涙をぬぐい去りたい

  「世界が寝静まるとき、夜半の鐘が鳴ると同時に、インドは生命と自由に向かって目覚めるだろう」
  1947年8月14日の夜。デリーの国会議事堂で、ネルー初代首相が演説した。「仏教発祥の国」インドが独立する8月15日が、間もなく訪れようとしていた。
 同じ14日の夜、東京の一隅で、一人の青年の運命が決した。
 19歳の池田SGI会長が座談会に出席し、恩師・戸田城聖第2代会長と出会ったのである。
 SGI会長は記した。
 「『月氏の国』インドの民衆が、自由に対して目を開こうとしていた時、私は『太陽の仏法』の光を初めて浴びた。私の若き生命も、また、目を覚ましたのである」
  日付が15日に変わると、インドの町という町に、歓呼の波が起った。だが、晴れがましい舞台に、独立の父・ガンジーの姿はなかった。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の殺し合い、インドとパキスタンに分離しての独立を憂えたからである。
 独立前後、“誰を大統領にしたいか”と問われ、ガンジーは答えた。“最下層の庶民の中から選びたい”
  インドのカーストにより、最下層の「不可触民」と虐げられてきた人々を、ガンジーは「ハリジャン(神の子)」と呼んだ。「不可触制の根底からの根絶」を、生涯の目標に掲げた。
 不可触民から大統領を──マハトハの夢は、独立50年後に実現することになる。97年7月、第10代大統領にK・Rめナラヤン氏が就いたことによって。
 新大統領は、就任演説で語った。「私には国父マハトハ・ガンジーの声が聞こえます。ガンジーの悲願は『全ての人々の瞳から涙をぬぐい去りたい』でした」

                                       

 池田SGI会長が、デリーの大統領府にナラヤン氏を表敬したのは、就任の3カ月後、97年10月22日だった。
 「大統領ご就任、おめでとうございます!」
 「池田会長、よく来てくださいました。お会いできて本当にうれしい」
 これがすでに3度目の出会い。友情は79年2月9日、SGI会長がネルー大学を訪れた時にさかのぼる。
  同大学の副総長として、学生たちと一緒にSGI会長を迎えたのが、ナラヤン氏だった。
  「きょうは“一日教授”でいてください」と語りかける氏に、「いえ、“一日学生”です」と応じたSGI会長。
 平和、教育交流を論じ、日本語専攻の女子学生による「さくら」や「春が来た」の合唱に、共に手拍子を送った。
 この出会いは、氏に強い印象を残した。95年12月、副大統領としての来日が決まると、SGI会長との会見を希望した。
 東京の聖教新聞本社で16年ぶりに再会し(3日)、「次はインドで」と約束。それが大統領府を舞台に実現したわけである。
 氏は、7人きょうだいの4人目として生まれた。
  ガンジーがつくった「ハリジャン奨学金」で、勉強を続けた。ケララ州のトラバンコール大学を首席で卒業するが、出身のゆえか、希望の職を得られずジャーナリストの道を選んだ。
  記者時代、氏は、ガンジーにインタビューする機会を得た。
  その日は折あしく、口をきかない「沈黙の日」であったが、ガンジーは、あがりっぱなしの新米記者に、書面で答えてくれた。
  加えて、「あの青年に昼食を食べさせてあげなさい」と。
 青年を思うガンジーの「心」が、幼いころから差別に苦しんできた氏の命を揺さぶった。
 そして、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスへの留学から帰国した氏を、外交官に引き立ててくれた恩人が、ネルー初代首相であった。
 氏は中国、米国などの大使を歴任し、外相、副大統領をへて、国会・州議会議員ら約4900人の95%という圧倒的支持で、大統領に就任したのである。

                                       

 会見でSGI会長は、長編詩「永遠なるインド 新世紀の夜明け」を手渡した。
 「ありがとうございます。池田会長は偉大なる思想家であり、著作家であり、詩人です。私はいつも、池田会長の著作を熟読しているのです」と大統領。
 SGI会長が、「世界が学ぶべきスピーチでした」と就任演説に触れると、「池田会長の著作を読んで、そこからアイディアを引き出しているのです」と。
  「次はぜひ創価大学で」。SGI会長の提案に応え、2004年10月、氏は、夫妻で八王子市の創大キャンパスに赴いた。死去の1年前のことである。
 苦闘続きの青春時代にガンジー、ネルーの励ましを受けたからであろう。学生や、聖教新聞本社で、SGI会長と共に歓迎した未来部員、青年部員──若い人々を見つめる氏の瞳は、いつも優しかった。
 「私がうれしいのは、SGI会長に続く多くの青年がいることです」「青年たちに、新たな機会、新たな希望、そして新たな挑戦を与えなければなりません」と語っていた氏。
 SGI会長は「大統領に会うと、いつも青年の話になる」と振り返った。
  青年のために。その心が燃えている人もまた、永遠の青年である。


6、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道51

 釧路で男子部の会合が開かれる前日、菅山勝司は、牛の餌になる牧草を刈り取りながら、迷い続けていた。
 釧路までは列車で三時間ほどである。この時、彼は、一円の金もなかった。
 “来いと言ったって、どうやって行けばいいんだ……”
 空を見上げては、ため息をついた。
 作業着のポケットに入れた、会合開催の葉書を、何度も取り出しては読み返した。
 そのたびに、〝行くべきではないか……〟という思いが、強くなっていった。
 夕方、家に戻ると、ゴロリと横になった。釧路の先輩たちの顔が、次々と浮かんだ。
 〝待っているよ!〟〝信じているよ!〟〝立ち上がるんだ!〟――そう言っているように思えた。彼は、起き上がった。
 〝そうだ! 自転車で行けばいいんだ! 環境に負けていていいわけがない。皆と会い、山本先生のこともお聴きしたい〟
 そんな気持ちが、心のなかで頭をもたげた。
 〝今から出れば、間に合うだろう……〟
 自転車にまたがると、迷いを振り切るように、思いっきりペダルを踏んだ。舗装されていない道が続く。木の根っこにタイヤを取られないよう、ハンドルを強く握り締める。
 辺りには、街灯も人家の明かりもない。月も、星も、分厚い雲に覆われていた。自転車のライトの明かりだけを頼りに、必死にペダルを漕ぎ続けた。走るにつれて、息が苦しくなっていった。
 しかし、彼は、〝俺に期待を寄せ、待ってくれている先輩がいるんだ。負けるものか!〟と自分に言い聞かせた。
 足に力がこもる。額から汗が噴き出す。
 自分を信じてくれている人がいれば、勇気が湧き、力があふれる。その〝信〟をもって人と人とを結び、互いに育み合っていく人間共和の世界が創価学会である。
 四、五時間、走り続けた。
 ピシャッと、冷たいものが顔に当たった。彼は、漆黒の空を見上げた。雨であった。


7、社説  可能性を伸ばす夏休み 親子の語らいが希望の心育む

 夏休みも後半に入った。〝若芽〟の子どもたちは、挑戦の汗を滋養に、ぐんぐん成長する。子どもたちと有意義な時間を過ごしながら、かけがえのない家族との大切な思い出を一つ一つ刻んでいきたい。
 東京富士美術館(八王子市)で開催中の「発明王エジソン展」には連日、多くの親子連れが訪れる。発明品の数々に目を見張る一方、母ナンシーの家庭教育にも感動が広がっている。
 好奇心旺盛で疑問をぶつけてばかりの少年エジソンは、教師の手に余り、3カ月で小学校を退校処分に。母親が自ら個人教授を行う。疑問にとことん付き合い、一緒に学び、発見する喜びを教えていった。「成功するまで、絶対にあきらめない」エジソンの姿勢は、母子の触れ合いの中に育まれた。
 インドの詩人タゴールは10代の初め、父に連れられ、大旅行へ。ヒマラヤの峰を仰いで父は星座や天文学を語り、自然への愛を教えた。後に、暴力の渦巻く時代に抗い、生命の賛歌を謳ったタゴールは「父は死ぬまで、わたしたちの自立への道を妨げなかった」(森本達雄訳)と、真理を求める生き方を学んだことに感謝している。
 〝何があっても、お父さん、お母さんは自分を信じてくれている〟との安心感は、子どもの可能性を伸ばす土台となる。そうした〝親子の絆の結晶〟ともいえる思い出を、胸に抱く人生は幸福だ。
 池田名誉会長は語る。「幼い日に刻んだ思い出は『生涯の宝』であり、『心の糧』だ。孤独の時には友となり、苦難の時には支える力となります」と(『池田大作全集』第62巻)。
 家族の思い出は、心と心の触れ合いから生まれる。特に日ごろ接する時間の少ない父親は、積極的に心の交流に努めたい。子どもの夢を聞いたり、親が幼少時代の夢を話したりと、希望あふれる語らいを弾ませたい。
 とはいえ、思春期を迎えた子どもは、親の問い掛けに素直に答えてくれない場合もある。その際、親が自分を語り、今、生きている人生を語ることが有効だという(菅原裕子著『10代の子どもの心のコーチング』PHP文庫)。
 立派な話をする必要はない。成功も失敗も、ありのままに語るのがいい。苦しかった時、信仰や人生の師の励ましに支えられたという体験談は、わが子の心に永遠の宝を残すに違いない。
 子どもたちと〝宝の思い出〟を刻み、豊かな心とみずみずしい感性を育てたい。



8、今日の発心  聖人御難事 1190㌻
  

御書 ただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議わるからんは一定とをもへ(聖人御難事、1190㌻・編1209㌻)

通解 ただいちずに思い切りなさい。善い結果になるのが不思議であり、悪い結果になるのが当然と考えなさい。. 

【苦難への挑戦が生命を鍛える】

 熱原の法難の渦中、難を乗り越える〝覚悟の信心〟を促された一節です。

 1973年(昭和48年)、自身の原点となる中野兄弟会の結成式に参加。翌年、決意新たに高知に帰郷し、苦闘の日々のなかで同志と共に拝した忘れ得ぬ御書が本抄です。
 78年12月、宗門事件の嵐が吹き荒れるなか、池田先生は高知指導に訪れてくださいました。
 先生が「各分野の一流を目指してほしい。その意味からも青年期に定めた信条を生涯貫いていただきたい」と語られたことは、今も私の生命に焼き付いています。
 79年、本紙販売店主となり、同時に結婚。男子部本部長として広大な地域を広布に走りました。同時期、義父の病が悪化。そんな時、先輩がこの御文を通して指導してくれたのです。
 私は〝苦難に挑み続けるからこそ生命は鍛えられる〟と確信。直面していた困難と闘い抜くことができました。
 2006年、義父が他界。自身に鍛えの機会を与えてくれた義父に本当に感謝しています。原点を忘れず、生涯、師恩に報いてまいります。
高知牧口県長 村上吉廣



【社会の情勢】 

◆ 広島、神戸など名乗り 2016年主要国首脳会議サミツト
◆  日航機墜落から26年 遺族ら御巣鷹で慰霊
◆ 日本観光へ熱い視線 米国人訪問者が最多ペース
◆  人道支援団を派遣  ウクライナ東部へ大統領表明
◆ エボラ熱対策 未承認薬の投与容認 WHO

2014/8/14(木)の聖教

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2014/8/14(木)の聖教                            

1、トルコ・イスタンブールで戸田平和研究所が上級研究員会議

  トルコのイスタンブールで8、9の両日、戸田記念国際平和研究所の上級研究員会議が行われ、ケビン・クレメンツ総合所長を中心に、混迷深まる世界で平和と共存の潮流を高めるための研究プロジェクトの推進について討議した。10日には、同研究所の主催で「音楽と平和構築」に関する会議を開催。オリビエ・ウルバン所長が、対立を乗り越え、人間と人間の心を結びつける音楽の力の重要性を訴えた。(記事・写真=水野博史)
 戸田記念国際平和研究所が2010年からスタートした研究プロジェクト「関わり合うことと対話」は、各地で深まる対立の状況を踏まえ、問題解決の方途とともに、平和な社会の基盤を築くためのアプローチを多角的に探究するもの。
 4回目となった今回の上級研究員会議は、11日からイスタンブールで開幕した国際平和研究学会(IPRA)の総会に先駆ける形で開催。戸田平和研究所が創立20周年を迎える2016年に向け、今後の研究プロジェクトの方向性を検討する会議となった。
 会議では、シリアでの紛争、イスラエルとパレスチナとの紛争、イラクやウクライナをめぐる情勢、東アジアで高まる緊張など、世界が直面する深刻な問題をめぐって討議を。
 事態の悪化を招いてきた悲観的な要素を分析する一方で、和解と共存を求める市民の動きなどの希望的な要素に着目し、暴力と憎悪の連鎖を断ち切るために、政治の主眼を一人一人の苦しみを取り除くものに向け直す「政治の再人間化」が重要になることを確認。平和と共存の世界への軌道を敷くために、「国連などの国際機関の強化」に加えて、「他者の痛みへの想像力と、時代を切り開く創造性を持った若い世代の育成」が欠かせないことについて、活発に意見交換を行った。
 その後、スベレ・ルードガルド氏(ノルウェー国際問題研究所元所長)、アイリーン・バビット氏(アメリカ・タフツ大学教授)、チャイワット・サーシャ=アナンド氏(タイ・タマサート大学教授)の3人の上級研究員が、これまでの研究の成果を報告した。


2、南米ボリビア・サンタクルス市の高校で「青春対話」学ぶセミナー 池田大作SGI会長夫妻に感謝

  南米ボリビア・サンタクルス市の「11月16日高校」(マグダレナ・チャンビ校長)で、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長の著作『青春対話』を学ぶセミナーが開催された。同書は、SGI会長が主に高校生の世代に向け、青春の悩みや、「国際人って何?」「文学との語らい」「人権って何?」などをテーマに語り掛けたもの。
 セミナーは同校の全生徒650人を対象に、本年4~6月にかけて6回行われ、活発な対話を交えて“人生の羅針盤”となる同書を読み合った。
 生徒からは、次のような感想が寄せられた。「今は勉学に励み、将来について深く思索すべき時であると感じました。また、自分の意志を貫くことの大切さを知りました」
 「すばらしいセミナーでした。自分を大切に思ってくれる両親や教員の話に、もっと耳を傾ける必要があると痛感しました」
 「人のため、社会のために役に立つ人に成長しようと決意しました。また、青春時代が重要な時であることに気付きました」
 セミナーの開催にあたっては、ボリビアSGIが協力。こうした平和・文化・教育の運動をリードする池田SGI会長夫妻に対し、同校から感謝状が贈られた(7月21日)。
 授与式には、全校生徒と教職員らが出席。チャンビ校長から感謝状が託されると、万雷の拍手が響き渡った。
 チャンビ校長は語った。「教育こそが『平和の文化』『共生の社会』を実現する原動力です。池田会長の珠玉の書は、こうした教育の使命を教えてくれるのです!」


3、わが友に贈る

 家族と地域を守り
 社会の荒波と戦う
 壮年部の友よ!
 どこまでも健康第一で
 創価の人間王者と光れ!


4、名字の言  一人一人の「幸福」を離れて、平和はない。

  旧暦7月の伝統行事である七夕を、8月に行う地域も多い。先日訪れた岩手県のJR盛岡駅では、利用者が短冊に願いを書いて、つるせるよう、構内に笹飾りが置かれていた▼静かに揺れる短冊には、「おじいちゃん、おばあちゃんが長生きできますように」「○○君の病気が治って、学校に来られますように」と。願い事を一つだけ書くとしたら、壮大な夢よりも、心から願わずにはいられない思いを記すのが、人間というものなのだろう▼「戦時下の手紙~家族へ、友へ~」という企画展を盛岡てがみ館で見た。ある青年は30歳で戦死する直前、「お母さんの事をお願ひ致します」と家族に宛てた。幼子の成長を、この目にできない男性は、妻の労苦をねぎらいつつ、体の弱い息子が東北の冬を越せるか、と案じていた。展示には、兵士の看護要員として、わが子を残して戦地へ赴いた女性の手紙もあった▼「聖戦」「大東亜共栄圏」等の“大義”を口実に駆り出され、死と隣り合わせの日々を生きざるを得なかった人々。その、ささやかだが、切実な家族への思いが、戦争の実相と平和の尊さを語り掛けてくる▼一人一人の「幸福」を離れて、平和はない。「世界の平和と一切衆生の幸福」をさらに深く祈念し、誓いたい。(白)


5、寸鉄

★  戸田第2代会長と名誉会長の出会いの日。不二の師弟こそ広布発展の本因
      ◇
★ 「関西・師弟原点の日」 世界が仰ぎ見る常勝の共戦譜。後継の陣列を拡大
      ◇
★ 一つの誓いが生命を若く保つ―詩人。青春の心意気で進む多宝の友を見よ
      ◇
★ 書物には過去のあらゆる賢者の声が満ちている―先哲。古典の知恵に学べ
      ◇
★ お盆に賑わう学会の墓園 「題目の光無間に至りて即身成仏」。慈悲の大光


6、随筆 民衆凱歌の大行進 【10】正しき人生とは

    「自他共の幸福」の大道を歩め 生死の闇を照らす太陽を胸に

  台風11号の甚大な被害に、重ねて心からお見舞い申し上げます。
 災害との闘いが続くなか、大切なわが宝友の無事安穏を、さらに一切の変毒為薬を、いやまして祈り抜いております。

                                       

 広宣流布の大師匠たる戸田城聖先生に、私が初めてお会いしたのは、二度目の終戦の日を迎えようとする前夜であった。昭和二十二年の八月十四日のことである。
 この時、十九歳の私には、どうしても知りたい命題があった。それは、「正しい人生」とは」という一点である。そして遂に、この問いをぶつけることのできる信念の大哲人に巡り会えたのだ。
 先生の答えは、誠に明快であった。
  「人間の長い一生には、いろいろな難問題が起きてくる」と語られ、なかんずく「生老病死」という根本問題が正しく解決されなければ、真の正しい人生はあり得ないと結論された。
 先生は私に「日蓮大聖人は、この人生の難問題、すなわち生命の本質を解決してくださっている」「実践してごらんなさい。青年じゃありませんか」と、力強く勧めてくださった。
 私は戸田先生を信じ、十日後の八月二十四日に入信した。
 以来六十七年。この上ない「正しい人生」を、師と共に、同志と共に歩み抜くことができたと、感謝は尽きない。

 最極の
    信仰 持(たも)ちて
      敢然と
    正しき軌道を
      進み勝ちゆけ


命のある限り

 生まれる苦しみ。老いる苦しみ。病む苦しみ。死にゆく苦しみ・・・。
 誰人も避け得ぬ「生老病死」という現実にあって、生命と宇宙を貫く大法則に則って前進する旅が、いかに心強いか。
 私たち夫婦の忘れ得ぬ白樺グループ・白樺会(看護師の集い)の先駆の女性は、重い病と闘う病床にあっても、常に御書を拝した。とりわけ心に刻んでいた一節がある。
 「命のある限り、南無妙法蓮華経と唱え抜いて死んでいくならば、その生命は、釈迦・多宝・十方の諸仏に瞬時に包まれる。そして、無数の諸天善神に守護されながら、確かに寂光の宝土へと送り届けられるのである」(五〇五㌻、趣意)
  この仰せのままに、命の炎が燃え尽きるまで、妙法を唱え抜き、夕日が真っ赤に燃え上がるように使命を果たして、安らかに霊山へ旅立たれた。ご家族も後継の道を立派に勝ち進んでおられる。
 イギリスの大歴史家とインビー博士も、生死の苦悩から救われるためには、「何らかの宗教を持つ以外に方法はないと信じます」と強調されていた。さらに、「他人への愛や他人の幸福に対する思いやり」「自己を超えた何ものかを求めるように導くことによって、自己中心性から脱却させてくれる精神」が必要である、と。
 まさに永遠不滅の妙法を抱き、目の前の一人を励まし、広布の大ロマンに生きる。創価の友の姿そのものではないか。

常楽我浄の輝き

 法華経では、生命尊厳の象徴として、壮麗なる宝塔が涌出する。
  「御義口伝」には、この宝塔の四つの面とは、「生老病死」のことなりと仰せである(七四〇㌻)。我らが一身の生命の宝塔は、実は、生老病死をもって荘厳されていると言われるのだ。
 我らが妙法を唱えて生き抜く時、生老病死の流転の人生が、そのまま「常楽我浄」の香風に包まれていくのである。
  皆、生身の人間である。体調を崩すこともある。年とともに、思うように体も動かなくなる。
 しかし、わが生命そのものが、最も尊極なる宝塔である。何があっても題目さえ離さなければ、人生の四季折々に全てを「常楽我浄」へ転じつつ、自他共に宝塔を輝かせ切っていけるのだ。
  そもそも法華経には、仏も「少病少悩」と説かれている。その意義を踏まえて、戸田先生は闘病中の人に語られた。
 「衆生は皆、病気を抱えている。その衆生を励まし救うには、仏自身も病気を持っていないと、つきあいにくいのです」
 あえて自ら病や悩みを引き受け、勝ち越えて、皆を勇気づけ、力づけていくというのである。
 妙法の力用は絶大である。私たちには、その証明者である“多宝”の大先輩がいらっしゃる。
  聖教新聞では、「生老病死を見つめて」という連載が始まっている。
 「死を受け入れる」という難しいテーマに取り組み、大きな反響が寄せられていると伺った。
  記事で、白樺会の友の言葉が紹介されていた。
 「私は、“自分が受け持つ患者さんに出会えたことを感謝しよう”と常に心がけてきました」「感謝の心があれば、亡くなっていく患者さんを包んでいける。臨終を恐れる患者さんの心境も、変えていけるのです」
  本来、感謝される側が感謝の心に立つ。永遠の生命観の上から、祈りと真心で献身する。何と深遠な志であろうか。白樺の方々、またドクター部の振る舞いこそ、現代医学の光明なりと信ずる。

追善回向の本義

 この八月十五日、青年部主催の「世界平和記念戦没者追善勤行法要」、また東日本大震災の被災地・東北をはじめ、全国各地で「諸精霊追善勤行法要」が営まれる。
 広宣流布の途上に逝いた同志や家族、縁ある方々に対し、最大の感謝を込めて追善回向熱依然の題目を送っていきたい。
  回向とは、自分自身が仏道修行で積んだ功徳善根を、他者に回らし向けることである。私たちが毎日の勤行と学会活動に励むこと自体が、尊い追善回向の儀式となる。
 愛する方々と死別した悲しみは、容易に癒えるものではない。だが、生きている時も、四六時中、一緒にむいられるわけではないであろう。
 ところが、妙法で結ばれた故人の生命は、瞬時も離れず、わが胸奥に一体不二である。自分が朗々と唱えゆく題目が、そのまま故人を福徳で包みゆく力となる。自分が希望に燃えて前へ踏み出すことが、故人の未来を照らしゆく光となるのだ。
 亡くなられた方々も、生きている方々も、共に歓喜し幸福になる。これが、偉大なる仏法の追善回向の本義である。

護り支える誇り

  日本は今、急速な高齢社会を迎え、介護に当たる方も多い。老老介護などの現実も深刻であり、地域をあげ、社会全体で知恵を合わせ、力を合わせていくべき最重要の課題である。
  時代の変化に呼応し、学会の男子部は、介護・福祉に従事する集い「妙護グループ」を発足し、社会貢献の人生を誇り高く歩んでくれている。
  介護の心労は計り知れない。その人知れぬ苦闘を描いた名作に、アメリカのエレナ・ポーターの『スウ姉さん』がある。
 主人公のスウ姉さんは、母親を亡くして、父親の介護や弟妹の世話などに追われ、自らの夢も、諦めざるを得なかった。
 だが、その中で「いちばんの幸福は人に頼られ、人から求められること」と目覚めるのだ。皆に愛情と励ましを送り続けるという生きがいに──。
 尊き生命を守り支える労苦は、何と尊貴な輝きを放っていることか。
  日蓮大聖人は、家族の介護に尽くした女性を労い、讃えられる御聖訓も留めてくださっている。
  ともあれ、三世永遠の次元から、「陰徳あれば陽報あり」(一一七八㌻)との因果の理法を深く確信していただきたい。

広布の大理想へ

  現代は「死を忘れた文明」といわれる。生死という苦悩から目を逸らすことは、生命軽視の温床となり、ひいては人間への無関心を助長する。
 私が入信まもなく拝して、深く胸を打たれた「如説修行少」には、「代は義農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ」(五〇二㌻)と仰せであられる。
 日蓮大聖人は、戦乱のない平和世界、災難にも負けない民衆の連帯、そして人類が生死の苦悩を打開し、幸福長寿の人生を謳歌しゆく時代を志向されて、広宣流布の大理想を私たちに託してくださったのである。
 私たちが共に語る仏法哲理こそ、生死の闇を照らす太陽となる。私たちが広げる助け合いの絆こそ、共生の社会建設の土台となるのだ。
 本年は第一次世界大戦の勃発から百年。今こそ、人類の宿命を転換し、「平和の百年」を創り開いていく時である。
 生命尊厳の思潮を全地球に広げる主役は我ら!
 誉れも高く、自他共の幸福を築きゆく、正しき人生の道を前進しよう!
 地域の同志と、仲良く朗らかに、励まし合いながら!  世界の同志と、希望のスクラムも固く!

    生命の
      生老病死の
        鍵 持てり
   常楽我浄の
          世界開けや

(随時、掲載します)


7、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道52

  雨脚は、次第に激しさを増していく。しばらく行くと、道の傍らに何かが、うずたかく積まれているのがわかった。干し草の山だ。菅山勝司は、自転車を止めて、潜り込んで雨をしのいだ。ほどなく雨はあがった。
 また、自転車を漕ぎ始めた。喉が渇くと、道端に生えていた山ブドウを食べた。
 やがて夜が白々と明け始めた。朝霧のなかに、釧路の街が見えた。
 “もう少しだ。みんなと会える!”
 彼は安堵した。すると、途端に全身から力が抜け、どっと疲労に襲われた。自転車を止め、道端の草むらに横になり、背筋を伸ばした。そのまま眠り込んでしまった。
 太陽のまぶしさで目を覚ました。二、三時間、眠っていたようだ。疲れは取れていた。
 再び、勢いよく自転車のペダルを踏んだ。市街に入ったのは、午前八時ごろであった。
 一晩がかりの、百キロを大幅に上回る走行であった。菅山の顔は、汗と埃にまみれていたが、心は軽やかであった。自らの弱い心を制覇した“求道の王者”の入城であった。
 男子部の会合では、全参加者が、この“別海の勇者”を、大拍手と大歓声で讃えた。
 彼らは、菅山の姿に、男子部魂を知った。北海の原野に赫々と昇る、太陽のごとき闘魂を見た。感動が青年たちの胸を貫いた。
 この会合で菅山は、当時、男子部の最前線組織のリーダーであった「分隊長」に任命されたのである。
 その夜、彼は、別海に向かって、再び自転車を走らせた。体は軽く、足には力がこもった。ほおは、感動と決意で紅潮していた。
 別海の天地で、一人の青年が、久遠の使命を自覚し、立ち上がったのだ。地域で、家庭で、職場で、最初の一人が立ち、そして、万朶と咲き薫る花のごとく、陣列を広げていく。それが、広宣流布の不変の原理だ。
 酪農の仕事には、時間的な制約が多い。しかし、菅山は“断じて環境に負けまい”と、真剣に題目を唱え、仕事を手際良くこなし、学会活動の時間をつくった。


8、座談会 世界広布新時代の旭日 【68】不戦と平和誓う8月15日

強き善の連帯の拡大を

 原田 台風や大雨などの影響で、各地に大きな被害がありました。被災された方々へ、あらためて、深くお見舞い申し上げます。

 橋元 大雨については、自治体などが公開している「ハザードマップ(被害予測地図)」を事前に確認しておくことが有効です。

 竹岡 マップには、どの地域が、浸水や土砂災害等の危険性が高いか、河川が増水した場合に、どの橋なら安全に渡れるかなどが、詳細に記されています。

 正木 ぜひ、各家庭や地域で、“わが家・わが地域の避難経路”を明確にしておきましょう。

 竹岡 大雨の際は一部の立体交差道路も危険です。

 杉本 鉄道や道路の下を通る、そうした掘り下げ式の地下道では、突発的に発生する大雨の影響で、あっという間に冠水する恐れがあります。車を運転中、大雨に遭遇したら、低い場所は避けましょう。

熱中症には要注意

 竹岡 また、まだまだ暑い日が続きます。誰にでも発症の恐れがあり、重症化すると生命に及ぶ危険もあるのが、熱中症です。

 正木 特に、急に暑くなる日は注意が必要です。高齢者の方は、「喉が渇かなくても、小まめに水分を補給」「部屋の温度を適宜、計測」を心掛けましょう。

 杉本 晴天時、地面に近いほど気温が高いことも知っておく必要があります。

 吉井 つまり、幼児は、大人が感じる以上に、高温の環境にいるわけですね。

 杉本 そうです。たとえば、東京都心で気温が32・3度だった時、幼児の身長に近い50センチの高さでは、気温は35度を超えていたそうです。

 正木 小さなお子さまがいる家庭はもちろん、未来部員と関わる機会が多い方も、十分に注意を払っていただきたいと思います。

 原田 先日の「御書とともに」で池田先生は、日蓮大聖人が四条金吾に送られた、「家へ帰る時には、先に人を館に入れて戸の脇、橋の下、馬小屋の後ろ、高楼など、いっさい暗い所を見させてから入りなさい」(御書1175ページ、通解)との御文を通し、次の指針を示されました。「大聖人は、敵に付け狙われている四条金吾に、幾度も繰り返し注意なされた。その御注意は一つ一つ具体的であり、これほどまでにというほど、こまやかである。これが『百千万億倍・御用心』という信心の姿勢である。『このぐらい』とか、『いつもこうだから』などの、心の隙や慢心を排したい。絶対無事故で、悔いなき価値の日々であれ!」

 正木 皆で声を掛け合い、注意を促しながら、絶対無事故の日々を送っていきましょう。

あきらめとの闘争

 吉井 終戦から69年の8月15日を迎え、青年部主催の「世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」が東京で厳粛に執り行われます。

 竹岡 先生の提案で始まった、この法要も本年で42回目となり、青年が世界の戦争犠牲者の追善と、不戦・平和への決意を新たにする機会となってきました。

 橋元 青年部は今、「平和の連帯」拡大月間(9月8日まで)の真っ最中です。「SOKAグローバルアクション」の一環として、核時代平和財団などの国際NGO(非政府組織)が推進する「Nuclear Zero(核兵器廃絶)」キャンペーンに呼応した、核兵器廃絶を求める署名運動に取り組むなど、平和に対する“あきらめ”“無力感”を打ち破る闘争に、真剣に挑んでいます。

 吉井 「弱き『善』は、常に強き『悪』に敗れてきた。この宿命を転換してこそ恒久的な『平和』がある。そのためには『強き善』『悪とは徹底して戦い、勝つ善』の勢力と連帯を広げていく以外にない」――これが池田先生の信念です。

 原田 その通りに、青年部を先頭に、平和・文化・教育の団体として、社会を善の方向へ導く運動を力強く推し進めてきたのが、創価学会です。

 橋元 たとえば、今回の核廃絶の署名を青年部に呼び掛けた、核時代平和財団のクリーガー会長は、こう称賛の言葉を寄せています。“学会青年部は、かつて核廃絶を目指す「アボリション2000」の署名活動で多大な貢献をされ、「青年の力」を証明されました。それゆえ私は、今回の「Nuclear Zero」への皆さんの参画に、なおのこと興奮しています”と。

 吉井 「青年と共に、大胆に!」――これが平和運動において、重要になるとも語っていました。

 橋元 その意味で現在、青年部が推進する、被爆・戦争体験を聞く「平和の誓い」フォーラムや、広島・長崎・沖縄の代表らによる「3県平和サミット」などは、世界の識者も頼もしく見つめる大切な運動です。

 原田 9月7日には世界の青年部の代表が一堂に会し、広島で「SGI(創価学会インタナショナル)青年平和会議」も開催されます。

 杉本 池田先生は、本紙連載の「光の言葉 幸福の曲」の中で、こうも記されました。「だれが見ていようといまいと、黙々と友情を広げている人々、友を励まし続けて生きている民衆こそが、『暴力なき社会』を現実に創造しているのではないだろうか。その無名の人々こそが、世界史の流れの先端にいる」

 原田 夏季友好期間に、楽しく朗らかに友情の対話を広げる私たちこそ、“世界の平和を築き上げる誉れの勇者だ!”との誇りを胸に、きょうも、自分史に残る悔いなき一日一日を送っていきましょう。



9、社説  14日“師弟の出会いの日”  弟子の自覚が広布の未来開く

  1947年(昭和22年)8月14日、19歳の池田名誉会長は、東京・蒲田の座談会で戸田城聖第2代会長と初めて出会う。それから3年後、2人は創価学会の運命を決する日々を迎える。
 名誉会長の小説『人間革命』第4巻「秋霜」の章には、事業が挫折し、絶体絶命の状況にあったそのころの戸田会長の苦闘が、膝下にあった青年・山本伸一の姿とともに描かれている。戸田のもとには常に山本伸一青年がいた。
 「戸田と伸一という師弟がつくった、この期間の秘史のなかに、その後の創価学会の、発展と存在との根本的な要因があったといえよう」――「この期間」とは、学会の理事長を辞任せざるをえなくなった戸田城聖を、山本伸一が守り抜いた日々のことである。
 「戸田の会長就任以後の飛躍的な学会の前進と、その没後における急速な躍進も、すべて、その源を尋ねるならば、ひとえに大聖人の仏法の偉大さによることはもちろんであるが、この苦難の歳月の間に、既に決定的な種子の育成がなされていたといえる」
 「また不思議なことだが、この期間に、誰の手も借りることなく、不純な心をいだく学会の幹部は、ことごとく自然に淘汰されていったといってよい」
 嵐が真の信仰を鍛え上げる。
 「聖教新聞」の着想も「戸田大学」の個人教授も、この期間の出来事である。ちょうどこの時期、山本伸一が戸田に贈った一首の和歌が、創価学会の根本精神を言い表している。
 「古の奇しき縁に仕へしを人は変れど われは変らじ」
 たとえどれほどの苦境に陥っても、周りの人々がどれほどの心変わりをしようとも、弟子としての私は変わらない――人の世にあふれる「二心」を拒否し、一人の弟子として生き抜く山本伸一の苦闘が、師である戸田城聖の前途を切り開き、やがて創価学会総体の未来をも切り開く「種子」となった。
 蒲田支部の「二月闘争」や「山口開拓指導」にせよ、「夕張炭労事件」や「大阪事件」にせよ、『人間革命』に綴られたこれらの山本伸一の闘いは、師匠と誓った「われは変らじ」という一言を、目に見える現実の形にしていく挑戦だったといえよう。
 「弟子の自覚」こそ、「師弟」という関係の価値を限りなく豊かにしゆく、最も大切な「種子」である。私たちはこの「師弟の方程式」を、新しい時代を開く力の源泉にしていきたい。


10、今日の発心  四条金吾殿御返事 1151㌻ 

御書 だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし(四条金吾殿御返事、1151ページ・編975ページ)

通解 檀那(弟子)と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなもので、叶うわけがない。. 

【師の指導通り実践し弘教を成就】

 師弟の心を合わせた祈りが肝要である、と戒められた一節です。

 生きがいを模索していた青年時代に、姉の勧めで入会。以来、福祉関係の仕事に就きたいと思っていた私にとっての「福祉」の内容が、「一人一人への励まし運動」に変わりました。

 体が弱かった私も、信心を通し、今では朝から本紙の配達ができるまでに元気になりました。師と同志に支えられてのことで、感謝の思いでいっぱいです。
 昨年12月、広宣流布大誓堂での誓願勤行会に参加し、弘教の誓いを立てました。私は、8人きょうだいのなかでも未入会だった姉の一人に仏法対話を。池田先生の「大切なことは『真心が通じますように』との祈りです」との指導を胸に、姉の幸福を祈りました。
 そして本年2月、折伏を成就することができたのです。実に40年にもわたる対話の結実でした。師の指導通りに実践すれば、最高の結果が出ることを確信しました。
 自身の生命を永遠に飾りゆく“心の財”を積んでいくことを指針として、8月24日「壮年部の日」「池田先生の入信記念日」をお祝いするため、さらなる折伏・弘教に前進してまいります。
愛知・尾張栄光県壮年部長 坪田 晴夫



【社会の情勢】 

◆ GDP年率6・8%減 駆け込み反動で消費急落 4~6月期
◆  学校通じスマホにルール  「家庭の話し合い重要」自治体など主導し指針
◆ お盆の帰省がピーク 高速、空港、JR混雑
◆  国民レベルで交流拡大 韓国安保線略

2014/8/15(金)の聖教

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2014/8/15(金)の聖教


1、アメリカ創価大学に14期生が入学 世界各国から最優秀の英才

  世界平和のリーダーを育むアメリカ創価大学(SUA)に栄光の14期生が入学した。
 新入生歓迎のレセプションが6日、カリフォルニア州オレンジ郡アリソビエホ市にある同大学の創価芸術センターで晴れやかに行われた。
 これには、創立者の池田SGI(創価学会インタナショナル)会長がメッセージを贈り、祝福。有意義な学問の探究と対話を重ね、自らを錬磨しながら、「自他共の生命に平和の砦を築きゆけ」と万感の期待を寄せた(2面に全文を掲載)。
 希望に燃えてSUAの門をくぐった103人の英才たち。チェコ、スロバキア、スリランカから初の留学生もいる。固い握手を交わし合う友の笑顔は、地球文明のパイオニア(開拓者)の誇りに満ちあふれていた。
 「ウェルカム(ようこそ)! きょうから私たちは創価ファミリーです!」
 スコット・バウアー学生自治会委員長が歓迎のあいさつを述べると、場内は拍手と歓声に包まれた。
 在学生が作った祝賀の映像が上映された後、アサワ副学長が創立者のメッセージを代読。続いて、3人の代表が抱負を語った。
 ブルガリア出身のガリア・ゼコーヴァさんは、高校卒業後、一度は観光関連の仕事に従事。だが、他者との関わり合いの中で、異なる思想や価値観を学ぶ意欲が湧いた。「多様性の豊かなSUAで、友と学び合い、自身の世界観を広げたい」と瞳を輝かせた。
 インドで生まれ育ったヒデオ・ダイコクさん。工学分野の大学に進むつもりだったが、世の中に大きく貢献するには、幅広い知識と創造性が不可欠だと考え、SUAの道を選んだ。「社会や人間のあり方に光を当てるこの大学で、21世紀をリードする教養を培います」と力を込めた。
 アマンダ・ボラレッサさんはアメリカの出身。高校では人権について学ぶクラブに所属し、貧困など社会問題の多くが、人間によって引き起こされたものだと痛感した。「人々の福祉の向上のため、人類の幸福のために学び抜きます」と意気込みを語った。
 最後に、ハブキ学長が、世界から集った宝の俊英たちの前途にエールを送った。



2、SUA入学レセプションの創立者のメッセージ

愛する14期生よ 強くあれ   歴史を創る指導者に
「戦争の100年」から「平和の100年」へ

 一、親愛なる14期生の皆さん、アメリカ創価大学(SUA)に、ようこそ!
 晴れの入学、誠におめでとうございます。
 最優秀の英才である皆さんが、世界の数ある大学の中からSUAを選び、勇んで集ってくれました。創立者として、これほど光栄な、これほど嬉しいことはありません。
 かけがえのない宝の俊英を送り出してくださったご家族の皆様方にも、心からの御礼とお祝いを申し上げます。
 いつも学生を温かく励ましながら、その限りない可能性と力を引き出してくださる教員の先生方、職員の皆様方も、本当にありがとうございます。
 人類の“希望”であり、新たな“地球社会のリーダー”たる栄光の14期生を、どうかよろしくお願い申し上げます。
 この5月、SUAは節目となる10期生を社会へと送り出しました。先輩たちが築いた「第一の10年」の良き伝統の上に、14期生の皆さんは、さらなる発展と飛翔の「第二の10年」を、誇りも高く切り開いていってください。
 今日の門出にあたり、一人ももれなく、最高に有意義な学生生活を送られることを心から念願し、次の3点について訴えておきたい。

人間を信じよ

 一、第1に、「自他共の生命に平和の砦を築きゆけ」ということであります。
 本年は、第1次世界大戦が勃発してから100年となります。
 SUAは、生命尊厳の思想を根本とし、人類の平和と幸福に貢献する世界市民を育む大学です。世界史の大きな節目に入学した皆さんは、「戦争の100年」を「平和の100年」へと転換しゆく崇高な使命を担われた一人一人であると、私は見つめております。
 世界の恒久平和の実現のために、最も地道にして、最も確実な道とは何か──。
 それは、大科学者アインシュタイン博士が「我々は、自らの心を変え、勇敢に声を発することによってのみ、他者の心を変えることができる」と語ったように、わが生命の中に、勇敢なる「平和の心」を鍛え上げていくことでありましょう。
 一人の人間生命の変革は、わが家庭、わが地域、わが社会を変革し、やがて人類の未来をも変えていく。
 わが生命に燃え上がらせる信念と情熱の炎こそが、一人、また一人と友の生命を輝かせながら、人類の前途を明るく照らしていくのです。
 世界的な物理学者で、核兵器の廃絶のために戦い抜かれた、パグウォッシュ会議の指導者ロートブラット博士も、SUAの平和の理念に心から共感してくださった一人です。2001年10月、同時多発テロの直後に、1期生を前に講演してくださいました。この時、博士は、93歳になろうとしていました。
 博士は、私との対談の中で、こう語っておられました。
 「私は、人間は内在的に“善”であると信じます。これが最初から私を支えてきた哲学であり、この信条があればこそ、平和のために戦うことができたのです」(『地球平和への探究』潮出版社)と。
 平和を願い、愛する心。それは誰人の生命にも、厳然と輝いています。この人間生命への深い信頼を基盤として、世界市民の“善”の連帯を世界に広げていきたい──これが、私たち創価の人間教育の出発点であります。皆さんが、この4年間、多くの有意義な探究と対話を重ね、自らを錬磨しながら、自他共の生命に「平和の砦」を築きゆかれんことを、強く念願してやみません。
 一、第2に申し上げたいのは、「不屈の大情熱で知性の宝剣を磨き抜け」ということであります。
 私が対談した大歴史学者のトインビー博士が洞察した通り、人生も、社会も、文明も、試練からの挑戦に応戦していくなかにこそ、成長があり、発展があり、創造があります。
 博士ご自身も、第1次世界大戦が起きた際、向学の志高き25歳の青年でした。この時、取り掛かっていた著作『ヘレニズム』の執筆は、戦渦によって中断を余儀なくされたのです。
 しかし、戦争という時代の「野蛮な大変動」も、博士の探究の炎までは消せなかった。若き博士は、大著『歴史の研究』をはじめ、営々と執筆作業を続けます。
 そして、『ヘレニズム』が出版の日の目を見たのは、第1次大戦から40年以上が経った時でした。
 探究への不屈の大情熱を失わない限り、学問の可能性は、限りなく開かれています。
 皆さんの大学生活も、順風満帆な時ばかりではないかもしれません。しかし、嵐の時、悲運の時や、思うようにいかない時があっても、心は晴れ晴れと未来を志向し、粘り強く、挑戦を続けゆくことです。
 「負けない人」が勝利者です。最後まで前進し続ける人に、勝利の栄冠は輝くのであります。
 世界人権宣言の起草者の一人としても有名な、アメリカの人権の母エレノア・ルーズベルトの言葉を、私は皆さんに贈ります。
 「私が深く確信すること。それは“私たちの歴史は、私たちが創っている”ということです。歴史がどのような方向に進むかは、私たちの選択によって決まります。その選択は、人々の持つ思想、信念、価値観、そして夢から生まれてくるのです」

友のために勝て

 一、3点目に、私は、「開かれた心で、世界に友情の翼を広げよ」と申し上げたい。
 世界との友情こそ、私が人生を賭けて信じ、君たちに託しゆく平和の翼です。
 私が今、対談を進める、著名な経済学者で香港中文大学の劉遵義博士は、博士の父君が、友情について語った言葉を紹介されていました。
 それは、「友のために、もうひと踏ん張りの努力をすべきだ」との信念です。誠に美しい言葉であると、深い感銘を受けました。
 博士の父君は、一切の妥協を許さない、厳格な人柄であった。しかし、友人に対しては、常に丁寧で、礼儀正しく、それでいて気さくに接しておられた。そして常に、もっと友のために努力しよう、という信念の持ち主であられたというのです。
 仏典には「人のために火を灯せば、自分の前も明るくなる」との一節があります。友のために行動する、その真心と誠実が、自らの人間性を輝かせ、赫々たる未来を照らし出していくのです。
 14期生の皆さんは、世界の各地から集われた、不思議なる縁(えにし)の学友です。どうか、互いに支え、励まし合いながら、さらなる友情の翼を、世界に広げていってください。私は、このアリソビエホの美しきキャンパスで、皆さん一人一人が最高に充実した価値ある大学生活を送られますことを、心から祈り、見守っております。
 最後に、「愛する14期生よ、強くあれ! 悔いなき向学の青春を勝ち抜け!」と申し上げ、祝福のメッセージといたします。



3、三世永遠の和楽の園 お盆でにぎわう 墓園・納骨堂

  学会の墓園は、三世永遠の和楽の園――お盆を迎え、全国の墓地公園、納骨堂、会館で諸精霊追善勤行法要が行われている。
 榛名山の麓にあり、赤城山や日光連山などを一望できる、はるな池田記念墓地公園(群馬・渋川市)。
 13日、同県藤岡市から訪れた墓参者は「毎年来ていますが、いつもきれいに整備され、眺めも素晴らしい。すがすがしい気持ちで故人をしのぶことができました」と語った。
 阿讃山地の豊かな緑に包まれる四国池田記念墓地公園(香川・三木町)も、家族連れの墓参者でにぎわっている。昨秋、同園内に建設された四国の歌「我等の天地」(山本伸一作詞)の歌碑を訪れる人も多い。
 池田名誉会長の「由来文」には、一切の嵐を勝ち越えて広宣流布に人生をささげた友をたたえる言葉が刻まれている。



4、わが友に贈る

 夏は信心継承の好機!
 親子で勤行・唱題を。
 じっくりと話を聴き
 家族の広布史を語ろう。
 一日一日を有意義に!



5、名字の言  「誰一人、死にたくて死んだわけではありません」

  都内の大学祭に足を運んだ時のこと。沖縄から戦争体験者を招き、「ありったけの地獄」といわれた沖縄戦の実態を伝えていた▼テーマは「継生」。「継承」の間違いかと思いきや、戦争を知らない学生たちが、戦争体験を「継いで」「生きる」との強い思いを込めてつくった言葉だった▼昨年8月の沖縄取材を思い出した。15歳の時に沖縄戦を体験した婦人が、未来部員5人に戦争体験を語った。沖縄戦等で犠牲になった24万人以上の名前が刻まれた「平和の礎」でのこと。婦人は2人の名前を手で触った瞬間、「ごめんね」と泣き崩れた。戦火を免れるために故郷を離れる際、防空壕に残した親戚の姉妹の名前だった▼ぼうぜんと立ち尽くす5人に、婦人は静かに訴えた。「誰一人、死にたくて死んだわけではありません」「ここに刻まれた方々の〝声なき声〟を、全世界の人に伝える使命があるから、私は生きているのです」「皆さんが私の戦争体験を受け継ぎ、次の世代につなげてください。そのときが私自身の終戦日です」▼婦人の体験を聞いた未来部員は「沖縄の根底からの叫びを聞いた」と語った。戦争を追体験することが、一人一人の心に「平和の砦」を築く。69回目の「終戦の日」――自らが「継生」の人でありたいと思う。(川)

6、寸鉄

★  終戦の日。戦没者の追善と恒久平和を祈念。不戦の大潮流を我らの対話で
      ◇
★ アメリカ創価大学に14期生が入学。英才よ、世界市民の揺籃で学びに学べ
      ◇
★ 勇猛精進し給え!仏法は実行だよ。精進だよ―牧口先生。青年の心で挑戦
      ◇
★ 女性の存在が輝けば人類の知恵と幸福は倍増する―作家。創価の友が先駆
      ◇
★ 介護事業所の56%「人手不足」と。高齢社会を支える柱だ。待遇改善急げ



7、若き奔流 SGIの青年部 シンガポール 獅子の国の柱と光る社会貢献のスクラム 

   
発展続ける都市国家シンガポール。多民族が共存する同国でシンガポール創価学会は、調和と共生の思想を広め、社会から大きな信頼を勝ち得ている。その先頭に立つ青年部の活動について、3人のリーダーに聞いた



8、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道53

 酪農家の朝は早い。午前五時には、牛舎を掃除し、牛に配合飼料を食べさせ、搾乳して牧草を与える。搾乳は日に二回。その間、季節ごとに、牧草地に肥料をまいたり、牧草を収穫したりするなどの作業がある。それ以外にも、自給のための畑仕事などもあり、するべきことは山ほどある。
 菅山勝司は、経済的にも苦闘を強いられていた。郵便配達や板金工場などのアルバイトをし、必死になって働きながら、学会活動に励んだ。五分、十分が貴重だった。
 一九六一年(昭和三十六年)、彼は、学会の組織にあって、男子部の「班長」を経て、地区の男子部の責任者である「隊長」の任命を受けた。別海の男子部は百二十人になっていた。
 菅山の活動の足も、自転車からオートバイへと変わっていた。百キロ、二百キロと走る日も珍しくなかった。〝この人を育てようと思ったら、何日でも通い続ける〟というのが、彼の信条であった。
 六四年(同三十九年)、学生部員であった青年が教員となり、中標津の小学校に赴任してきた。広大な地域と厳しい自然は、彼の学会活動への意欲を萎えさせた。
 菅山は、その彼のもとにも、七十キロの道のりを、毎日、バイクで通い続けた。
 語らいを続けて一週間目。会合を終えて、彼の家に駆けつけた。戸を叩いても返事はない。〝せっかく来たのだから待ってみよう〟と、玄関の前に腰を下ろし、御書を開いた。季節は四月である。周囲には雪が残り、外気はまだ、肌を刺すように冷たい。
 教員の青年は、既に就寝していたのだ。数時間が経過した。青年は目を覚まし、窓から玄関を見た。白い息を吐きながら座っている人影があった。ドキリとした。菅山だった。
 〝寒気のなか、待ってくれていたのだ!〟
 「菅山さん!」
 思わず、叫んだ。その目に、涙があふれた。
 二人は語り合った。菅山の思いやりと真剣さに打たれ、青年は立ち上がった。凍てた友の心を溶かすものは、炎の情熱だ。



9、社説  きょう、終戦の日 民衆の熱と力で平和の砦築く

 きょう15日は、69回目の「終戦の日」。全ての戦没者へ追善の祈りをささげるとともに、幾多の民衆に犠牲を強いた戦争の惨禍を想起し、恒久平和への誓いを新たにしたい。
 本年は、第1次世界大戦の勃発から100年の節目を刻む。欧州各地では、不戦を誓う式典が相次いで開催された。だが、世界を見渡せば、今なお暴力の悲劇は後を絶たない。グローバル化の急速な進展で人や物の往来が加速する一方、国家間の利害の衝突や、民族・文化間の摩擦による緊張は高まっている。
 「大量殺戮の世紀」と呼ばれる20世紀は、敵対国の脅威に対する備えを第一義とした結果、不信と恐怖が互いの溝を広げ続け、際限のない軍拡競争を生んだ。翻って21世紀も10余年をへた今、国際社会の前には、貧困や環境問題はじめ、国境を超えた地球規模の問題群が表れている。こうした人類共通の課題に挑む共闘作業こそ、対立を越えて「戦争のない世界」を構築しゆく確かな方途であろう。
 二つの大戦を目の当たりにしたノーベル平和賞受賞者のジョセフ・ロートブラット博士は、人類が第3の千年を生き残るために「平和を願うならば、平和の準備をせよ」と語った。そして、次代の青年に「自分は人類のために全力を尽くし働いていると、心の底から言えるように」(『地球平和への探求』潮出版社)と呼び掛けた。
 学会青年部では現在、「平和の連帯」拡大月間(9月8日まで)と銘打ち、核兵器廃絶の署名や、被爆・戦争体験を聞く「平和の誓い」フォーラムなどを行っている。また、きょう15日、「世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」を厳粛に執り行う。9月には、世界の青年部が一堂に会し、広島で「SGI(創価学会インタナショナル)青年平和会議」を開催する。
 池田SGI会長は、平和学者ケビン・クレメンツ氏との対談の中で語った。
 ――過去の歴史を知識として習得するだけでは、時代が戦争と暴力の方向へ再び大きく傾きかけた時にその負の重力に打ち勝つための力を結集させることはできない。生命、人権を脅かす問題に対し、連帯して行動する波動を堅実に広げることこそ、社会変革の源泉につながるに違いない、と。
 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」。座して平和を願うのではなく、私たち民衆の熱と力で、人々の心に永遠に崩れぬ平和の砦を築いていきたい。



10、今日の発心 四条金吾殿御返事、1143㌻
 

御書 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ(四条金吾殿御返事、1143㌻・編880㌻)

通解 苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。ますます強盛な信心を貫いていきなさい。. 

【いかなる時も誓願の題目で!】

 いかなる時も唱題し抜いていくことこそ最高の幸せである、との仰せです。

 7歳の時に母と入会し、念願の創価女子高校(当時)に進学。そして1979年(昭和54年)、創価大学に入学しました。創大祭に父を招いた時のことです。先生とお会いする機会に恵まれた父は、生命力あふれるお姿に感銘を受け、「きょうから題目を唱える」と決意。12年の時を経て、晴れて父も入会することができたのです。
 そんな折、母が病魔に倒れました。家族で唱題し抜いた翌年、母は一家和楽を見届け、所願満足で霊山へと旅立ちました。
 女子部時代、折伏に悩んだ時も唱題に励み、弘教が実りました。婦人部となり、生まれた長女に先天性の心臓病が。この時も懸命に祈り、手術も成功し、娘は本年、元気に成人を迎えました。
 これからも誓願の題目を根本に、本陣・新宿婦人部の誇りを胸に活動に励んでまいります。
東京・新宿総区副婦人部長 島田美紀

【社会の情勢】 

◆ きょう69回目 終戦記念日 武道館で戦没者追悼式
◆  機械受注8・8%プラス 6月
◆ 農水産物輸出 10%増加 和食ブーム追い風
◆  危険ドラッグ 110番通報7割増し 1~7月期 警視庁
◆ アパート活用などの「みなし仮設」活用を 大震災の反省踏まえ検討 内閣府
◆ 辺野古沖合にブイ設置 埋め立て海域を設定 沖縄防衛局

2014/8/16(土)の聖教

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2014/8/16(土)の聖教


1、大震災の被災地 宮城 岩手 福島はじめ全国で厳粛に諸精霊追善法要

青年部 世界平和祈念戦没者法要
池田名誉会長が東北の同志にメッセージ

 69回目の「終戦の日」を迎えた15日、青年部主催の「世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」が、東京・信濃町の広宣会館(本部別館内)で開催された。
 戦没者法要は、池田大作名誉会長の提案で1973年(昭和48年)から始まり、今年で42回目。戦争の全犠牲者の冥福を祈り、平和建設の決意を深めてきた。
 また、東日本大震災の被災地である宮城・岩手・福島をはじめ全国の会館や墓地公園等では「諸精霊追善勤行法要」が営まれた。
 大震災で亡くなられた全ての方々、広宣流布の途上に逝かれた全同志と家族・親族、友人、先祖代々の追善回向を厳粛に行うとともに、戦没者法要の意義も込められた。

  

 東北での勤行法要には、名誉会長がメッセージを寄せた。
 名誉会長は、日蓮大聖人が、白馬のいななきを聞いて生命の威光勢力を増した大王の故事を通し、最愛の父を亡くした女性門下を励まされた御聖訓(御書1424ページ)を拝読。「偉大な東北の皆様方が朗々と唱える題目の大音声こそ、白馬のいななきが大王を蘇らせた如く、生死を超えて縁する方々の生命を包み、成仏せしめ、蘇生せしめていくことは、絶対に間違いありません」と力を込めた。
 さらに東北家族には「何ものにも負けない変毒為薬の信心」「この世で最も強く美しい異体同心の心の絆」があると強調した。



2、わが友に贈る

 各地の行事で熱演する
 音楽隊・鼓笛隊の皆様
 本当にありがとう!
 心を潤す希望の妙音に
 皆が感動! 皆が喝采!



3、御書とともに Ⅱ 名誉会長が指針を贈る 【24】正法伝持の人は「国宝」

御文 伝持の人無れば猶木石(もくせき)の衣鉢(えはつ)を帯持(たいじ)せるが如し(顕仏未来記、508㌻)

通解 (経典があっても)仏法を持(たも)ち、伝えていく人がいないので、それはちょうど木像や石像が法衣を着て、鉢を持っているようなもので、何の役にも立っていない。

【同志への指針】

 後継を育てることは、未来を創ることだ。
 学会の後継育成は、世界平和の種を植えることだ。
 広布の人材が増えれば、地球上の悲惨を減らせる。
 未来部の使命は、あまりにも大きい。
 正法を伝持し、皆を照らす人は「国宝」ともいえる。
 ならば、伝持の人を育てる人も「国宝」なり。いな。「世界第一の宝」である。



4、名字の言  厚田の小・中学校の校長から図書が不足していると聞いた戸田会長は、その場で贈書を約束。名誉会長の手配により、わずか帰京10日後に寄贈された。

   北海道石狩市の厚田区で、約30年間、婦人部員らが「読み聞かせ運動」を行っている。彼女たちに今年、市から「教育功労章」が贈られた▼同区には昔から書店がない。学校以外には図書館もなかった。子どもたちの良書との出合いを応援しようと、ボランティアで活動を開始。今も毎週、地元の小学校で読み聞かせをしている▼この活動が始まった理由が、もう一つある。1954年(昭和29年)8月、池田名誉会長が戸田第2代会長と共に北海道を初訪問した時のこと。厚田の小・中学校の校長から図書が不足していると聞いた戸田会長は、その場で贈書を約束。名誉会長の手配により、わずか帰京10日後に寄贈された。贈られた書籍を収めた本棚は「戸田文庫」と命名され、子どもたちに親しまれた▼戸田文庫の本を読んで育った子どもたちは、やがて親になった。その中に先の婦人部員がいた。戸田文庫に感謝を込めて始めたのが、先の読み聞かせ運動だった。「今回の表彰も、戸田文庫あったればこそ」と語った▼厚田は、戸田会長の故郷である。名誉会長も「第二の故郷」との思いで、さまざまな地域貢献の行動を続けてきた。良き書は良き心を育む。その源には、60年にわたって貫かれてきた、深い師弟の心がある。(鉄)



5、寸鉄

★  御書には人類の危機を転じる道が―博士。知性も賛嘆。わが心肝に染めよ
      ◇
★ 己に勝つことこそ最上の勝利―文豪。朝が要だ。朗々たる勤行から出発!
      ◇
★ 各地で交通混雑。行動は決して無理せず焦らず。絶対無事故で充実の夏に
      ◇
★ 若い時にやれば…1位は勉強と。挑戦に遅すぎる事なし! 生涯向上の心を
      ◇
★ 不登校の小中生、前年比7千人増。深く寄り添い励ましを。大人の責任で



6、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道54

  菅山勝司は、一九六五年(昭和四十年)、男子部の支部の責任者である「部隊長」となり、九月二日、学会本部で山本伸一から部隊旗を受けた。彼は、闘魂を燃え上がらせた。
 菅山が担当したのは、別海をはじめ、中標津、標津、羅臼、標茶、弟子屈まで広がる広大な地域であり、面積は福岡県に匹敵した。
 ここを“戦野”に走りに走った。三百数十人で出発した陣容は、一年後、四百七十人へと拡大する。彼の地道で粘り強い行動と精神は、後輩たちに脈々と受け継がれていった。
 「別海」の名が、一躍、全国に轟いたのは、七〇年(同四十五年)十二月、「開拓」をテーマに行われた第十九回男子部総会であった。
 席上、酪農家を志し、東京から新天地・別海に移住した杉高優が、苦節八年で得た勝利の歩みを、体験発表したのである。
 ――希望にあふれて入植し、結婚する。彼は、入会していたが、真面目に信心に励もうという決意は全くなかった。当初、酪農は順調だった。しかし、三年続いた冷害で牧草などの飼料が不足し、十頭いた牛のうち五頭を失う。大自然の非情な力を呪った。また、二歳の長男も事故で他界したのだ。
 絶望のなかで、“信心だけは忘れてはいけないよ”との、母親の言葉を思い起こす。
 その杉高のもとへ、学会の先輩が、往復約百キロの道のりを、厳寒のなか、バイクで激励に通い続けた。中標津で小学校の教員をしている、あの青年であった。杉高は、真心と情熱に打たれ、信心で立とうと心を定める。
 経営を立て直すために、祈りに祈り、努力と工夫を重ねた。農場は約四十三ヘクタールに増え、生まれた牛は、皆、高値のつくメンタ(雌牛)で、乳牛は三十頭にもなった。
 また、男子部大ブロック長となった杉高は、先輩が自分にしてくれたように、地道に訪問指導を続けた。メンバーは、一人、二人と立ち上がり、二十三人の部員全員が座談会に出席するまでになったのだ。
 入魂の個人指導が伝統として継承されてこそ、地域広布の未来は燦然と輝く。



7、生老病死を見つめて 死を受け入れる ④
「自らの宿命と戦え 自らの運命と戦え 信仰者らしく 地湧の戦士らしく」(
作業中)



【社会の情勢】 

◆ 恒久平和に誓い新たに 東京で戦没者追悼式 69回目の終戦記念日
◆  中小企業64・5%賃上げ 前年度から7・7%増加 経産省調査
◆ 核軍縮進世界築く 積極的対話で課題解決 公明党
◆  マリキ首相続投断念 イラク、政局混迷脱却へ一歩
◆ 隠れた「郷土料理」探せ 和食保護図る 全国に発信 農水省


2014/8/17(日)の聖教

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2014/8/17(日)の聖教


1、サンデーリポート 北海道・厚田の発展 池田名誉会長の初訪問から60周年

恩師の故郷に 幸福の花園を!

   池田名誉会長が戸田第2代会長に同伴し、北海道の厚田を初めて訪れたのは1954年(昭和29年)8月16日のこと。厚田は戸田会長が少年時代を過ごした思い出深き場所であった。この訪問から60周年。恩師の故郷の繁栄を願い、行動してきた名誉会長と、厚田の発展の軌跡を追った。

  「この海と厳しい自然が、ぼくを育ててくれたんだ」
  60年前、日本海の荒海が打ち寄せる厚田の浜辺で、戸田第2代会長は、26歳の池田名誉会長に語る。そして続けた。
 「海の向こうには、大陸が広がっている」「世界に、妙法の灯をともしていくんだ」
 厚田への師弟旅。その帰路、戸田会長は愛弟子に、こうも語り残した。
 「おれの故郷である北海道を大切にしてくれ」
 世界広布と故郷の発展という恩師の願い。名誉会長は、それを遺言と受け止めた。

 

 60年前、師弟が宿泊したのは、戸田会長の縁者が営んでいた戸田旅館。現在も、戸田住さん(副白ゆり長)が切り盛りしている。
 「戸田先生と池田先生の歴史が刻まれた旅館ですから、大切に守っていきたい」
 名誉会長は2度目の厚田訪問(1960年8月)の折にも、この旅館に足を運び、数十人ほどの同志と懇談した。
 厚田は自身が世界への旅立ちを誓った舞台と語り、「どうか、皆さんで力を合わせて、私に代わって、ここに幸福の花園を築いてください」と望んだ。
 名誉会長は恩師の故郷のことを各地で語り、文章につづり、「厚田村」の詩も詠んだ。
 その心に触れ、厚田を訪れる学会員の中に、戸田旅館を宿とする友も多かった。
 飯田俊雄さん(副本部長)は、そうした全国の同志と触れ合うにつれ、名誉会長から厚田に生きる使命を教えられているとの思いが募った。
  飯田さんは、旅館近くで喫茶店を始めた。その店には後に、名誉会長が訪れた。
 コーヒーを口にして一言。
 「戸田先生にも飲んでいただきたかったな」
 恩師への深い思いを感じた。
 名誉会長の厚田訪問は11度。その間、学会員であるなしにかかわらず、一人一人と会い、原点をつくっていった。
  「世界広布の先駆を走るのは厚田です。その誇りを池田先生が与えてくださいました」と、厚田支部の小野寺美世支部婦人部長。昨年には、支部内の地域のうち6割の世帯に、本紙の購読推進を果たした。

 

 11度の訪問の中でも、とりわけ地域貢献の扉を開いた出来事として、厚田の同志があげるのは、73年(昭和48年)9月8日の「村民の集い」である。
 多くの村民が参加した催しには、、名誉会長も出席。図書贈呈をはじめ、厚田のために尽くそうとする名誉会長の姿に村民が直接触れたことで、地域と学会の垣根が、一気に低くなったという。
  学会が開いたこの集いは、翌年も行われ、3回目からは地元観光協会の主催になった。
 今でも「厚田ふるさとあきあじ祭り」として続けられ、地域の絆を強める場となっている。
 元厚田村商工会会長の澤田富男さんは、「学会の方々は、地域のために献身的に働いてくださる。交流する中で、心から実感しました」と。
 厚田がさらに発展する契機になったのは77年(昭和52年)10月、戸田記念墓地公園のオープン。
 厚田を訪れる人の約7割が、墓園への来園者。特に園内の8000本の桜は、道内屈指の桜の名所として知られ、毎年、多くの人々でにぎわう。
  石狩観光協会の大川修司代表理事は語る。
 「墓園は厚田を支えています。全ては、池田名誉会長が厚田のことを、世界に発信してくださっているおかげです」
 墓園に勤めていた佐藤幸恵さん(県副総合婦人部長)には、忘れ得ぬ思い出がある。90年(平成2年)7月、名誉会長と一緒に、一人の来賓を見送った時のことである。
  名誉会長と共に深く礼。来賓を乗せた車が遠ざかり、佐藤さんは頭をあげた。
 しかし、名誉会長は頭を下げたまま。優しい声で「最後まで、お客様をお見送りするんだよ」と。そして名誉会長は、車が見えなくなるまで、その姿勢を崩さなかった。
  「墓園を通して信頼が広がっているのは、池田先生が、墓園に来られる一人一人を真心を尽くして迎えるよう、一つ一つ教えてくださったからです」

 

 2005年(平成17年)10月、「厚田村」は、隣接の石狩市、浜益村と合併し、「石狩市厚田区」になった。
 直前に行われた閉村式。村は、厚田の栄誉村民である名誉会長に招待状を出した。出席はできなかったが、村が用意したのは、来賓側ではなく、「村民側」の1番目の席であった。
 当時の村長だった牧野健一さんは「池田先生あっての厚田。村への貢献を考えれば当然のことでした」と振り返る。
 2010年(平成22年)には根牧野さんら地元の名士によって、小説『新・人間革命』の1節が刻まれた「平和への誓い」の碑が厚田公園内に建立された。
 生命うるおい、日本海の潮騒も涼やかな厚田の夏。戸田第2代会長から名誉会長へと託された故郷への思いが、輝いている。



2、名誉会長と共に 新時代を開く 【30】友情を結べ!開かれた心で

  よき友情を広げゆくことは、人生の大きな喜びである。
 広布に生きる皆さんこそ、人間共和の太陽であり、友好の全権大使である。仏法の真髄は、人の振る舞いにあるからだ。
 近隣の友と出会う。「いつもお世話になります」 「お元気ですか」「お体を大切に」──何か一言、添えるだけでも、心が通う。久しぶりに会う古い友にも、初めての新しい友にも、励ましの声、温かな声を分け隔てなく掛けていくことである。
 悩める友に、大誠実を尽くす。皆が喜ぶように力を注ぐ。慈悲があれば、智慧は、いくらでも出てくる。「あなたのことは忘れない。どんなことも相談してほしい。私も相談したい」という心のゆとり、心の広さをもっていきたい。
 信じ合える心の絆は、人生の宝だ。善き友が多い人こそ、最も富める人であろう。

  *   *

 日蓮大聖人は、「一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である」(御書758㌻、通解)と述べられ、平和と幸福の大法を残された。
 世界にも、国家にも、個人にも、「悲惨」という文字が使われない時代を──これが恩師・戸田先生の願いであった。
 全同志に功徳を受けきった生活をさせたい。全世界に向かって「創価の友の勝利の姿を見よ」と誇り高く訴えたい──これが恩師にとって総仕上げの戦いであった。
 師は叫ばれた。
 「一人として功徳を受けない者はない、みな功徳を受けているという実証輝く、信心の闘争をしようではないか」
 私も、ただ祈るのは、友の幸福であり、世界の平和である。
 道は遠いようでも、一人また一人と、開かれた心で語り、共に希望に生きる。その友情の広がりに永遠平和の直道がある。



3、わが友に贈る

 車での移動は
 絶対に無事故で!
 尊き使命の人生だ。
 決して油断せず
 安全第一の運転を。



4、名字の言  児童養護施設。日本では3万人以上の子どもたちが暮らしている。

  さまざまな事情で、親と暮らせない子どもたちが住む児童養護施設。日本では3万人以上の子どもたちが暮らしている。アジア各国のドキュメンタリーで有名な刀川和也監督が、国内の一つの施設に8年間、通い続け、作った映画「隣る人」の上映会に参加した▼困難を抱える子どもたちと、「家族」のように接する保母さん(保育士)たちの交流。終始、たくさんの観衆がハンカチを目に当てている。上映後、大阪で子どもたちの支援ボランティアをしている婦人が懐かしい思い出を語っていた▼――子どものころ、近くに児童養護施設があった。通っている小学校のクラスには、施設から来る子どもたちがいて、友だちになった。その施設の寮に暮らす若い保母さんがいた。お姉さんのように慕われていた。私のこともかわいがってくれた。ピアノも教えてくれ、寮の小さな部屋に習いに通った▼思い出を語った婦人は創価学会員。そのお姉さんは、未来部の担当者でもあった。寮から自転車を走らせて、いつも未来部員の家を訪ねてくれていた▼子どものとき、そばにいて、励ましてくれた大人の存在は、いつまでも温かい思い出として、人の心に残る。未来部の、そして地域の子どもたちに寄り添う、そんな「私」でありたい。(哉)



5、寸鉄

★   SGIは思想性と行動性備えた社会貢献の模範―博士。人類のために邁進
      ◇
★ 「全部、人で決まる。一人の人間で決まる」恩師。一人立ってこそ青年なり
      ◇
★ きょう文芸部結成の日。破邪顕正のペンの勇者よ 師の大言論闘争に続け!
      ◇
★ 氷河減少の原因の7割、人間社会の活動―研究。環境保全へ文明の舵切れ
      ◇
★ 土砂災害の危険箇所、全国各地に52万カ所と。防災・減災へ公明が牽引を



6、座談会 希望大陸の広布広がる  コートジボワールに幸福の波  
(作業中)



7、社説  未来部で各種コンクール “挑戦する心”たたえ自信育む

  創価学会未来部の夏の伝統である各種コンクール――。31日に迫った締め切りに向けて、中・高等部員は「読書感想文コンクール」(未来ジャーナル主催)に挑み、少年少女部員は「きぼう作文コンクール」(少年少女きぼう新聞主催)と「少年少女希望絵画展」(少年少女部主催)に全力で挑戦中だ。
 とはいえ、鍛えの夏を過ごす未来部員たちにも、それぞれ悩みや葛藤がある。親や担当者の一人一人が、彼らに寄り添い、その声に耳を傾け、思いや情熱に共感しつつ、子どもたちが自信を深めることができるよう、真心の励ましを送りたい。
 世界桂冠詩人の池田名誉会長は小学1年生の時、初めて書いた作文を担任の先生に褒めてもらった。それが自信になり、詩や小説を書く原点になったと綴っている(『新・人間革命』「若芽」の章)。未来部時代の激励を胸に深く刻み、現在、教育・経済・芸能など各界の第一線で活躍する同志も多い。
 子どもたちの“挑戦する心”と、それをたたえる言葉が、彼らの可能性を開くのである。
 感想文や作文を書く際には、自身の感じたこと、考えたことを率直に綴ることが大切だ。学校の成績の良い生徒が心に響く文章を書くとは限らない、と教育部の友が語っていた。もちろん上手な文章を書く努力は必要だが、「自分の思いを届けたい、知ってほしいという素直な心が強いほど、読み手の琴線に触れる言葉を生み出し、何か大切なことを教えてくれます」と。
 大阪に住む男子中等部員の一人は、仮死状態から奇跡的に生を受けたが、生後から重度の障がいがある。成長しても発作が止まらず、会話もままならない。2009年(平成21年)から、母、きょうだい、自身と相次ぎ入会。以来、学会家族の温かな励ましを受けながら育った。
 小学5年生の12年(同24年)、弟と一緒に「きぼう作文コンクール」に初挑戦し、「チャレンジ賞」に。昨年は、弟や妹と共に応募し、「きぼう賞」に輝く。“やればできる”との自信をつけたころ、発作が治まった。今春、中学校に入り、今回の「読書感想文コンクール」に初めて応募した。
 名誉会長は、後継の友に「どこまでも、私たちは一緒なんです。私と、また良き友、良き先輩、良き後輩と共に、一歩一歩、勝利へ向かって歩いていくんです」と呼び掛けた。
 希望の翼で使命の大空を飛びゆく未来部員と共々に、大成長の夏を過ごしたい。



8、今日の発心  寂日房御書  902㌻ 

御書 夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法・是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり(寂日房御書、902ページ・編1206ページ)

通解 およそ人間の身を受けることはまれである。すでにまれな人身を受けている。また、あいがたきは仏法であるが、これもあうことができた。同じ仏法の中でも法華経の題目にあいたてまつり、結局、南無妙法蓮華経の題目の行者となった。. 

【妙法に出合えた感動胸に躍進】

 人間として生まれ、仏法に出合い、しかも妙法を実践できる身となったことの尊さを教えられています。

 生後まもなく養女に出された私は、青春時代、肉親に縁がない自身の宿業に悩みました。
 しかし、1972年(昭和47年)、大阪・堺での記念撮影会において池田先生にお会いした時のこと。先生は「ご両親を大切に!」と呼び掛けてくださいました。その瞬間、心がスッと救われたのを覚えています。肉親、養親への感謝が湧いたのです。以来、妙法に巡り合えた感動を胸に、常勝関西で思う存分、戦い抜きました。
 結婚を機に転居が続きましたが、どの地にあっても同志と共に広布に走り抜いてきました。3人の子どもも創価大学を卒業し、使命の舞台で活躍しています。
 男子部、女子部を先頭に、鹿島広布の人材城を構築し、世界広布新時代を躍進してまいります。
茨城・鹿島県総合婦人部長 坂ノ上清子



【社会の情勢】
 

◆ 次世代車 普及へ規制緩和 水素ステーションの立地規制緩和 政府
◆  女子目線の防災グッズ 各地で活動広がる
◆ 緑化基準26年ぶり改定 街路樹のツツジなくても可 国交省方針
◆  変わり種マラソン人気 「夜間走」「給スイカ所」など

2014/8/18(月)の聖教

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2014/8/18(月)の聖教


1、広布60周年 北海道が1万人の青年大会 名誉会長がメッセージ

  北海道広布60周年を記念する「三代城創価青年大会」が17日、札幌市南区の真駒内セキスイハイムアイスアリーナで開催され、全道から1万人の青年が意気軒昂に集い合った。これには、池田名誉会長が祝福のメッセージを寄せ、求道の情熱に燃えて、新たな希望の道を開拓しゆく北海道青年部の大行進を心から讃えた。

幸福の連帯で反映の郷土を

 一人一人が自身の課題に挑戦し、勝利して迎えた青年大会。
 池田名誉会長は祝福のメッセージを寄せた。その中で名誉会長は、北海道青年部の前進を心から賛嘆。
 さらに「北海道を照らし、世界を照らす。希望の太陽たれ!」「今いる使命の場所で、自分自身のため、父母のため、友のため、地域社会のため、北海道のために、わが生命を限りなく輝き光らせながら、素晴らしい幸福の連帯を広げ、繁栄の郷土を築き上げていってください」と念願した。
 大会では、音楽隊・鼓笛隊の演奏・演技などの後、大平久美子さん、鈴木光男さんの信仰体験が映像を交えて紹介された。
 青年部の合唱、「三代城青年勝利太鼓」の力強い演奏に続いて、北海道広布史の映像企画「三代城の誇り」を上映。女子部と少年少女がそれぞれ合唱した。
 橋元青年部長。吉井女子部長があいさつした。 



2、今週のことば

 「信心即生活」である。
 油断や慢心を戒めよ!
 全宇宙の財宝にも勝る
 「一日の命」を
 賢者として生きゆけ!


3、名字の言  閉鎖寸前に。その危機を救ったのが小さなサカサクラゲだった。

  家族連れで、にぎわう水族館。近年の人気者はクラゲだ。ふわり、ふわりと気ままに漂う姿に何とも癒やされる▼6月にリニューアル・オープンした山形の加茂水族館は、世界一のクラゲの展示数を誇る。今でこそブームの火付け役として有名だが、十数年前までは小さな、ありふれた水族館だった▼来場者が減り続け、閉鎖寸前に。その危機を救ったのが、小さなサカサクラゲだった。展示したところ意外にも好評で、経営回復のきっかけに。同館の村上龍男館長はかつて、本紙の「トーク」で「もし、設備や人材に恵まれていたら、今の加茂水族館はないだろうな。問題点が出るたびに、知恵を絞りながら前進することで、力をつけてきたんだから」と語った▼この話題に、思うことが二つある。取るに足らないと思える存在にも、生かせる道があるということ。ノーベル化学賞を受賞した下村脩博士は、85万匹ものオワンクラゲを採取し、今日の生命科学の研究に欠かせない緑色蛍光タンパク質を発見している。もう一つは、クラゲのヒットは偶然だけではなく、与えられた条件の中で最大限の知恵と努力を振り絞ってこそ生まれた、ということだ▼人間、学ぼうと思えば、どんな存在からも学べる。クラゲがそれを教えてくれる。(朋)



4、寸鉄

★  創価の運動こそ世界平和を目指す光り輝く模範―博士。颯爽と対話の道を
      ◇
★ 栃木県青年部の日。さあ拡大の大旋風を!誓いに生き抜く若師子が澎湃と
      ◇
★ 偉い人とは皆を敬う人―戸田先生。陰で戦う友を大切に。そこに幹部の力
      ◇
★ 4割が夏バテを実感と。食事・休息を賢く。過度な冷房も注意。健康長者に
      ◇
★ 絶えぬ危険薬物の乱用。毒気深入の世相。邪悪を許さぬ社会の目こそ良薬



5、信じ抜く 教育本部が開く未来 第4回 創造性を開花させる図工の力

手作りおもちゃが結ぶ笑顔の輪

 盆が明けると思い出す。セミの声が遠く聞こえる部屋で一人、カレンダーを横目で見つつ、手つかずの宿題に四苦八苦した少年時代の夏休みを──。
 手先が不器用で、特に苦しんだのが「自由工作」だっただろうか。今回の取材は、いつもより少し緊張した。
  元小学校教諭の渡辺正枝さん(総京都副総合教育部長)は、“図工の先生”歴35年。宇治市の小学校教育研究会で20年以上にわたり図工部長を務めたという。定年退職後もその技術と経験を生かし、各地で「手作りおもちゃ展」や「おもちゃ講習会」を開いている図工教育のスペシャリストなのだ。
 ご自宅にお邪魔した時も、ちょうど地域の子どもたちが集まっていた真っ最中。
 「記者さんも一緒に作ります?」
 最も恐れていたことを・・・渡辺さんの笑顔に背中を押され、ペンをはさみに持ち替えて、図工の“特別夏季講習”が始まった。

「今も昔も子どもの願いは同じ “わくわく”を見つけたいのよ」

不正解がない

 「いいんですよ、そんなに肩に力を入れなくても」
 渡辺さんが机に並べた材料は、使い終わったトイレットペーパーの芯や牛乳パック、スーパーのチラシや輪ゴムなど、身近なものばかり。これで簡単に“動く仕掛け”のあるおもちゃを作れるらしい。
  「そりゃあ、上手下手はあるでしょうけれど。手作りおもちゃには正解も不正解もないんですから」
 思い出深い授業があるという。小学2年の児童を対象に、工作の発表会を企画した。テーマは「転がる」。何でもいいよ、転がるおもちゃを作ってごらん──。
 どちらかといえば不器用で、「図工が苦手」だという男の子。額に汗を浮かべつつ、紙皿を貼り合わせて「車輪」を作った。両輪をつなぐために、竹串を刺そうと試みるも、うまく水平に通せない。斜めに刺さった竹串を見て友だちが笑う。「これじゃ走らないよ」。だが渡辺さんは「いいのよ」と優しく見守った。
  発表の時間、傾斜を使って走らせたその車輪が、“予想外”の動きを見せた。
 カタカタカターッ!
 期せずして歓声が湧く。
 「何これ、面白い!」
 「すごいじゃん!」
  「どうやって作ったの!?」
 これまた予想外の反響に照れくさそうな男の子。渡辺さんはその手を取った。「君しか作れない世界でたった一つのおもちゃね」
 以来、その児童は図工が大好きになり、他の教科にも積極的になったという。
 図工に不正解などない。大人の意識では測れない、子どもの自由な発想から生まれる驚きと感動を楽しもう。創造性を開花させるきっかけを見つけ出そう──これが渡辺さんの信条だ。

知恵を生む祈り

 「子どもは“動くもの”“仕掛けのあるもの”が大好き。図工以外の教科の授業でも一役買うんですよ」
  ハサミをサクサク動かしながら、渡辺さんが言う。
 今では90種類500点を超えるおもちゃの代表作「天才ロボットくん」を見せてくれた。
 おでこの穴に質問カードを入れると、瞬時に、答えが書かれたカードが口から出てくる。「オーストラリアの首都は?」「キャンベラ」といった具合に。
 タネも仕掛けも、もちろんある。質問カードの裏面には、あらかじめ答えが書いてある。カードを入れると、ロボットくんの頭の中でくるりと反転し、答えの面が表になって出てくるようになっ ているのだ。
 「授業が騒がしい時や、質問しても児童の手が挙がらないときに、助けてもらったわ。「きょうの社会科の先生は天才ロボットくんです。みんなの質問を受け付けまーす」って(笑い)」
 あっという間に子どもたちは夢中になる。そして、知らず知らずのうちに授業に引き込まれていく──。
  こうした知恵は、どうすれば出てくるだろう?
 「やっぱり『祈ること』でしょうか。どうすればみんなが楽しく学べるか、真剣にお題目をあげながら考えていると、いろんなアイディアが湧いてくるんです』
  おもちゃ好きの子どもの心を捉えた説話が、法華経にも登場する。譬喩品の「三車火宅の譬」だ。
  ある長者の屋敷が炎に包まれた。中には大勢の子どもたちが残っている。だが「火事だ!」と叫んでも、遊びに夢中になって出てこない。屋外に導くため、父は一計を案じて説得する。
“君たちが大好きなおもちゃである羊の車、鹿の車、牛の車が外にあるからそれで遊びなさい”
  喜んで家の外に飛び出した子どもたち。しかし父が与えたのは、それよりも、はるかに素晴らしい大白牛車であった。父は子どもたちを救うとともに、無上の宝を授けたのである──。
 授業と火事と。次元は全く異なれど、知恵を生み出した源泉は同じでだろう。「子どもたちのために」という強い思いである。

故郷への恩返し

 定年退職して7年。開催したおもちゃ展や講習会は20回以上。京都だけでなく、要望を受けて愛知まで飛んだこともある。そこまで頑張れる理由とは?
 「池田先生に誓ったことなんです」。この時ばかりは、渡辺さんのハサミの手がピタリ止まった。
 小学校の教員になって間もない昭和51年1月12日。宇治市を訪れた池田名誉会長と懇談の機会があった。
 当時、悩んでいたことがある。私に教員の仕事は向いているのだろうか、と。
 迷いを察したかのように名誉会長は笑顔で言った。
 「教育が大事だよ。あなたの後に100人、200人、500人と平和の人材が連なっていくのだから」
  瞬間、心に決めた。教育を“仕事”として捉えるのではなく、自分の“生き方そのもの”にしよう──と。
  昨年春、郷里の舞鶴市大俣で手作りおもちゃ教室を開いたのも、故郷に恩返しがしたい一心だった。
 人口200人に満たない山村地域。企画した当初は「近所のおばあちゃんが3人来たら大成功や。それとも鹿やイノシシにでも見てもらうんか」と笑われた。
 それでもいい。一人でも喜んでくれるなら──ふたを開けてみると、53人もの来場者が。滅多に見掛けない子どもの姿まで。県外に嫁いだ娘さんが、実家の田植えの手伝いで帰省していたところ、わが子を連れて来たという。老いも若きも時を忘れて、おもちゃ作りを楽しんだ。
  「ぜひ」と請われて今年も開き、大盛況。「2020年の東京オリンピックまで毎年、続けるつもり」と渡辺さんは、ほほ笑む。
 手作りおもちゃを通して結ばれた笑顔の輪。定年後に交流が始まった人の数は2000人を超える。
 展示を開催した地域の子どもから「見よう見まねでおもちゃを作ったよ」と誇らしげな写真が届いたり。かつての教え子から「私も教員になりました」と、うれしい報告を受けたり。
 確かに感じる。人を思いやり、物を大切にする優しい心が、一人、また一人と広がっていることを。
  「教育が大事──先生のおっしゃるとおりでした」

【編集後記】 「できた!」。渡辺さんの自宅で工作に取り組んでいた児童が声をあげた。完成したのは「どっかん花火」。紙筒の間を通した割り箸を出し入れすることで、色紙で作った“花火”が咲いたり消えたりするおもちゃだ。
 最近の子どもたちは、精密で高価なおもちゃを買ってもらうことも少なくない。果たして素朴な手作りおもちゃを気に入るかと心配したが・・・皆、とても楽しそう。
 「今も昔も、子どもは“わくわく”するものを見つけたいのよ」と渡辺さん。それを自分の力で作れると分かったら、大人でもわくわくしますね──そう、不器用な記者でも作れたように。(宮)



6、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道55

   第十九回男子部総会で大きな感動を呼んだ杉高優の体験談をもとに、学会本部では映画を製作した。タイトルは「開拓者」である。
 作品を観賞した山本伸一は言った。
 「別海から、こうしたすばらしい体験が生まれる背景には、皆を励まし、指導してきた“信心の開拓者”が、必ずいるはずだ」
 伸一の眼は、陰で黙々と友を支えるリーダーに向けられていた。その“信心の開拓者”こそ菅山勝司であった。伸一は、万感の思いを込めて、試練の道を開き進んできた菅山の敢闘を讃える一文を、書籍に記して贈った。
 伸一の励ましに、菅山は泣いた。
 “こんな俺のことまで、気にかけてくださり、賞讃し、励ましてくださる! 
 先生にお応えしたい。地域に、もっと信心の実証を示したい。地域にあって模範となるような、充実した酪農経営をしよう”
 そう決意はしたが、諸設備を充実させる資金は、いたって乏しかった。借金をすれば、自分の首を絞めることになる。離農者の多くは、過剰投資による借金苦が原因であった。
 彼は、少ない自己資金を最大限に活用するために、牛舎も、サイロも、すべて自分の手で造ることにした。祖父が植林していた原木の伐採から始め、製材や加工、建築などを独力で学びながら、作業を開始した。周囲の人びとは、奇異な目で菅山を見ていた。
 大気も凍る厳寒の原野を、友の激励のために、バイクで駆け巡ってきた菅山には、その建設作業が苦労とは感じられなかった。
 真実の信仰をもって、生命の鍛錬を重ねた人は、人生の、また、社会の、あらゆる局面で、驚くほど大きな力を発揮していく。
 「人生は強さにおける、また強さを求めての訓練である」(注)とは、北海道で青春を過ごした新渡戸稲造の信念の言葉である。
 建設の槌音が小気味よいリズムを奏で、希望の鼓動となって、別海の天地に響いた。
 家族の応援も得て、一九七三年(昭和四十八年)に、三年がかりで約四百平方メートルの牛舎が出来上がった。
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■引用文献
 注 「編集余録」(『新渡戸稲造全集 第二十巻』所収)佐藤全弘訳、教文館



座談会 世界広布新時代の旭日 【69】世界の北陸は常に新たな飛躍を

師と心合わせて弘教拡大!
勇気の対話が友に希望送る

 杉本婦人部長 本年は、北陸広布60周年。さらに、4・28「石川の日」「富山の日」40周年、8・24「北陸青年部の日」、8・26「北陸の日」30周年、そして、3・20「北陸婦人部の日」20周年と、北陸にとって、大きな節目の年です。

 原田会長 この佳節を折伏でお祝いしようと、北陸の同志は懸命に対話拡大に挑み、現在までに、石川では地区平均1世帯、富山では1・5世帯の弘教が実っていますね。

 横山北陸婦人部長 特に際立つのが、一家の長年の夢であった、ご主人や父親の入会です。

 原田 40年、50年来の祈りが結実したドラマも数多く伺っています。多くの同志が、「大法弘通慈折広宣流布」との学会の使命をあらためて自覚し、池田先生との縁深き年に新たな出発を切ろうと、勇気の対話に挑んだ結果ですね。

 横山 はい。たとえば、富山のある支部では、地区副婦人部長が結婚50年目にして、ご主人を入会に導きました。その折伏が支部内に波動を呼び、ブロック1の弘教を達成しています。

「リーダー率先」で

 本郷北陸長 県や総県のリーダー率先の折伏も多く結実しています。その歓喜は組織中に広がり、対話拡大への勇気を呼んでいます。

 上倉北陸青年部長 青年部でも同様で、県の男子部長や女子部長が弘教を実らせているケースも多くあります。

 本郷 富山の旭日立山県では、ブロック1世帯の弘教が間近となりました。幸せになってもらいたい友を明確にし、皆で懸命に唱題に励んでいる結果です。

 杉本 ここでは、県女子部長も7・19「女子部結成記念日」に2人へ折伏を実らせるなど、喜びが大きく広がっているそうですね。

 正木理事長 石川では、ある新入会の壮年部員の話が話題を呼んでいますね。壮年の入会は昨年1月のこと。職場の同僚に仏法の話を聞いた奥さんから、入会の相談をされた壮年は、「私も一緒に信心をする」と言い、夫妻で人生の新たな出発を切ります。

 本郷 その後、壮年にがんが見つかります。しかし、壮年は信心により、病気に立ち向かう勇気を得ていました。「なぜ、そんなに勇敢なのですか?」と院内で知り合った方々に問われると、自身の信仰への確信を語っていたそうです。

 正木 退院を機に、顔見知りになった方々とは別れますが、ある方は、壮年に言われた信心のことが頭から離れず、地域の学会員宅を訪れ、入会。今も懸命に題目を唱えている人が多くいるそうですね。

 原田 歓喜の弘教こそが、友の心に希望の灯をともすことを物語る素晴らしいエピソードです。

 本郷 5年連続で折伏を実らせている、石川の72歳の副支部長の話も波動を呼んでいます。しかも、折伏した青年が本年、2人の同世代の友を入会に導き、その喜びは二重、三重に広がっています。

 横山 富山では、この7月、全地域で地区総会を開催しました。地区で10人を超える友人が参加する地域も多くありました。

 本郷 ある地区部長は、一人一人に招待状を手渡す中、16人の友人を地区総会に招くことができました。

より大きな自分に

 横山 いよいよ、間近に迫った、8月24日の石川・富山の創価青年大会へ、壮年・婦人部も一丸となって、さらに力強く応援していきます。

 原田 30年前のこの日、北陸を訪れた池田先生と、当時の青年部員は生涯の原点を築きました。

 上倉 今回の青年大会には、30年前に先生と出会った青年の子ども世代も多く出演します。今再び、池田先生と共に新たな出発を切る集いにしてまいります。

 原田 北陸創価学会のホームページ内には現在、主に青年を対象にしたスマートフォン専用サイト「核兵器のない世界への入口」が開設されていますね。

 上倉 はい。これは「SOKAグローバルアクション」の一環として、核兵器廃絶の運動を広めるために開設されたものです。第3章の「核兵器なんてバカげてる!」まで配信され、同世代の友に平和の連帯を大きく広げる対話の“ツール”となっています。

 杉本 北陸では、この夏、未来部育成の運動も活発ですね。石川では、パイオニア勤行会との名称で、夏休みに未来部員と一緒に勤行・唱題に挑戦する機会を30年以上続けている地域も多くあると聞きました。

 上倉 その中でたくさんの人材が誕生しています。たとえば、創価大学の広報誌「SUN」の最新号の表紙には、5人の学生が登場していますが、このうちの2人が北陸の出身です。

 横山 いずれも、国際的な人材を育成するためのプログラムに選抜された学生で、北陸の友の大きな喜びになっています。

 正木 ともあれ、御書には、「師子の声には一切の獣・声を失ふ虎の影には犬恐る、日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし、法華経のなき所にこそ弥陀念仏はいみじかりしかども南無妙法蓮華経の声・出来しては師子と犬と日輪と星との光くらべのごとし」(1393ページ)と仰せです。

 原田 「世界の北陸たれ!」との池田先生の指針のままに、常に新たな挑戦をし、常に新たな飛躍を期し、より大きな自分と、より大きな世界とを目指す北陸へと、共々に精進していきましょう。



8、社説  伝統の教学研修会 欧州に伸びゆく求道の若き力

  「私はウクライナとの国境から近い地域に住んでいるんですが、ウクライナ東部での武力衝突の影響で、多くの市民がロシアに逃れてきています。女性も子どもも、着の身着のままで、本当に悲惨です。一刻も早く、この争いを終わらせたい」
 ロシアSGI(創価学会インタナショナル)の女子部の友が、こう語っていた。
 先月下旬、イタリアで開催された欧州教学研修会での懇談の際だ。ウクライナからの参加者も同席していた。「SGIの同志として、一緒に平和の実現を祈っていこう」――皆で、そのことを確認し合った。
 欧州には多数の国家や民族が共存する。こうした多様性は欧州の魅力である一方、差異や利害の対立は、幾多の戦争の原因ともなってきた。
 現在、EU(欧州連合)として欧州の一体化は進みつつあるが、民族間の対立や経済格差など、直面する課題も多い。
 4日間にわたって開催された教学研修会には、31カ国から500人の友が集った。そのうち6割が青年部というフレッシュな顔ぶれだった。
 池田SGI会長の『法華経の智慧』『開目抄講義』などを教材として行われた三つのテーマの講義、4回の質問会など、研修は合計10時間に及んだ。しかし、参加者の求道と情熱の息吹は最後まで場内に満ちあふれていた。
 不軽菩薩の実践を通して、仏法の「生命尊厳の哲学」を学んだ、ポルトガルの女子学生部の友が語っていた。
 「自分が毎日行っている地道な学会活動こそが、生命尊厳の哲理を世界に広げ、平和を築きゆく力なのだと、深く確信できました」
 参加者一人一人が仏法の法理を学ぶとともに、実践の大切さを確認し、創価の師弟の精神を深める有意義な集いとなった。
 研修の合間には、あちこちで懇談の花が咲き、決意の歌声が広がった。青年たちの多くは、出身国の違いを超えて、英語で語り合う。直面する課題や信仰体験、決意などを共有する中で、友情と信頼の連帯は大きく広がった。この絆は生涯の財産となるだろう。
 欧州SGIは「欧州は一つ、センセイと共に!」をスローガンとして前進する。この言葉の通り、師弟の精神を中心とした強き団結が育まれている。「御書根本」「師弟不二」で発展を続ける欧州は、世界広布の新時代をリードする模範である。



9、今日の発心  御義口伝 727㌻ 

御書 無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり(御義口伝、727ページ・編1573ページ)

通解 無上とは南無妙法蓮華経のことであり、無上の中でも極無上なのである。 . 

【使命の天地で「最高の人生」歩む】

 法華経の一節、「無上宝聚 不求自得(無上の宝聚は 求めざるに自ら得たり)」の「無上」について教えられています。

 「最高の人生とは何か。それは広宣流布に生きる人生です」――1982年(昭和57年)2月の東京・港区総会で、池田先生は御義口伝のこの御文を通して指導してくださいました。折しもそれは、その前年に発表された「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を暗記し、私が学会活動に懸命に挑戦している時でした。この指導と長編詩が、私の原点であり、人生の指針になっています。
 結婚後、10年近く未入会だった妻と娘も、創価家族の温かさに包まれ、晴れて入会。私の弟、妹、母も同志となり、一家和楽の家庭を築くことができました。
 昨年、妹が末期がんで他界。“同じような苦しみを味わっている人の力になりたい”と語っていた妹の姿と、同志の励ましに、悲しみで打ちひしがれそうだった私の心は、感謝と感動で満たされました。
 今、私は、使命の天地である港区を駆けながら、さまざまな苦難と闘う友に、精魂込めて励ましを送る日々に挑戦しています。港の同志と心を一つに、師と共に「最高の人生」を歩んでまいります。
東京・港太陽区長 小野 正則



10、世界の体験プラザ 韓国SGI 朴賢榮さん 伝統楽器・伽耶琴の奏者・指導者

    生命が奏でる人間讃歌の調べ 固有の音楽文化を世界に発信

韓国の心を感じる響き

  伽耶琴(カヤグム)は、韓国の伝統音楽「国楽」に欠かせない楽器の一つです。12~25本の絹糸を張った弦楽器で、6世紀ごろには完成したといわれています。
 水がいっぱいに満ちた壺の中に、一滴の朝露が落ちる──。伽耶琴の音色を、私はそんな風に感じています。
 私は現在、韓国の中部にある忠清北道・清州市の国楽団で、この伽耶琴の奏者を務めています。
 また、忠清国楽芸術団の指揮者・ロサ伽耶琴アンサンブルの音楽監督、全州芸術高等学校の講師などを歴任。さらにまた、数年前には、自身が音楽監督を務める「賢&弦・伽耶琴アンサンブル」を立ち上げ、若手演奏家の育成と国楽の普及に努めています。
 「KーPOP(ポップ)」と呼ばれる韓国の若者の音楽が世界的なブームになっています。それに加え、韓国では、伝統音楽を「KーMUSIC(ミュージック)」と位置づけて、力を入れて、さまざまな取り組みがなされています。
 国や文化の違いを超えて、人と人とが互いを理解し合っていく上で、音楽の持つ力は計り知れません。わが国固有の音楽に込められてきた“心”を、世界の人々に感じていただきたい。その一心で、私も今「KーMUSIC」の魅力を伝えようと、自分にできる精いっぱいを尽くす日々です。
  今年に入ってからも、プロモーション・ビデオの撮影、アルバムの制作発表、講演会と、寸暇を惜しんで走り抜いてきました。せんだって、日本の放送局とも契約を交わすことができました。
            

最高の人生を生きる力

  わが家が韓国SGIの信仰を始めたのは、祖父母の代からです。
 私が学会っ子として、幼いころから素直に御本尊に手を合わせていました。同じように、伽耶琴を始めたのは6歳からです。
  本格的に創価学会のことを学び、信仰を深めていく転機になったのは、志望する国立大学の芸術科を目指して、演奏技術を磨いていた高校3年生の時です。あと1年、大学進学を前にした一番大事な時期でした。腕や指に痛みが走り、思うような演奏ができなくなってしまったのです。
 整形外科に通い、物理療法を試し、演奏方法も変えてみました。ですが、原因不明でどうすることもできません。長い間、あれほど一生懸命に努力してきた伽耶琴だったのに。小学生以来、さまざまなコンクールで数々の賞を取ったことが思い起こされました。
 もう演奏者として生きることはできないのか。不安と悔しさ。万事休したと投げやりになる私に、信心強盛なおばが、確信に満ちた励ましの声を掛けてくれたのです。「唱題しかないよね」と。
 諦めの気持ちを払いのけるように、真剣に御本尊に向かいました。唱題を重ねる中、「何のため」の演奏かを自身に問い、音楽や国楽に対する思いが深くなっていきました。
 技術ではない、心だ。勇気や励ましを送る音色を、この手で奏でたい──そんな強い一念での祈りに変わったのを境に、痛みが徐々になくなり、演奏ができるようになったのです。遅れを取り戻すように、練習に力が入りました。
 そんなある日、入学準備のためにレッスンを受けていた伽耶琴の塾に、志望大学の教授がやって来ました。塾の生徒たちの演奏を聴きたいというのです。
 全ての演奏を聴き終えた教授に「あなた、こちらに来て」と呼ばれました。訳が分からずドギマギしながら教授の前に進み出ると、「私よりもあなたが、うちの大学で教授になる方がいいくらいだ」と言われたのです。
 思ってもいなかった言葉に、私はただただ涙があふれて仕方ありませんでした。この信心の力はすごいと、心の底から実感できたのです。まさに「変毒為薬」でした。挫折や苦悩を乗り越えた分、演奏に豊かさや広がりが生まれたのです。
 結局、大学には特待生として合格。以来、このことは私の原点となり、誰に対しても迷いなく「仏法は最高の人生を生き切っていく力です」と語れる自分になりました。

努力を重ね基本に徹する

 国楽の演奏者にとって必要なのは、「天賦の才能」よりも「努力の歳月」だと私は思っています。
 若い奏者たちにいつも言うのは、「伝統」「基本」に徹することの大切さ。そして、自身の生命を磨くこと。
 なぜなら、楽器の演奏には、それを奏でる人の心と人間性が、隠しようもなく、にじみ出てしまうものだからです。
 池田先生は「汝自身が、無限にして無窮の美の価値を創造しゆく当体です。難を受け、試練を乗り越えながら、人々のために尽くし抜く生命は、誇り高き人間讃歌を、不滅の人生の名画を創り残していくことができます」(『ジャズと仏法、そして人生を語る』)と語られています。
 私は、音楽と仏法の信仰には、深く通じ合うものがあると、常々感じています。自分が苦悩と闘い、絶望を打ち破った奇跡があってこそ、人々に勇気と希望を届けることができるのです。
  忍耐強く努力を重ねる。基本の鍛錬に徹しきる。そして、誰かのために行動する。人間として、音楽家として、一番大切なことを、私は創価学会の信仰から学んできました。
 私が信念を持って教えてきた生徒たちは、大きく飛躍しています。昨年の教え子たちからも、国立大学の首席、次席で合格者が出るなど、そろって優秀な結果を示してくれました。
  その人の演奏を聴けば、その人の思いが分かります。そこから自然と、家庭の話、生き方の話、仏法の話へとつながっていきます。うれしいことに、演奏仲間や教え子の何人かが、創価学会に入会し、新しい人生を歩み始めています。
 これからも、どこまでも一人の人を大切に、相手の苦悩に寄り添い、希望と確信の対話を重ねていこうと思います。
 いよいよ怠りなく自身を磨きながら、いつの日か、仏法の人間主義を奏でる、そんな伽耶琴の楽団を創立したいと夢見ています。


【社会の情勢】 

◆ 消防団協力の会社優遇 公共工事入札など 23府県152市町村
◆  避難指示、10月解除 福島県・川内村
◆ 外国人情報の分析強化 東京五輪に備え新組織設置 法務省方針
◆  犬と猫、殺処分ゼロ目前 飼い主説得 熊本

2014/8/19(火)の聖教

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2014/8/19(火)の聖教


1、文明の十字路・イスタンブールで国際平和研究学会が総会 戸田研究所の代表が発表

  国際平和研究学会(IPRA)の創立50周年を記念する総会が、トルコのイスタンブールで11日から15日(現地時間)まで開催され、約500人の研究者が平和をめぐる様々な課題を討議した。これには、ヨハン・ガルトゥング博士ら著名な平和学者とともに、戸田記念国際平和研究所のケビン・クレメンツ総合所長が招聘を受け、全体会で講演を。同研究所のオリビエ・ウルバン所長は「芸術と平和」に関する分科会で研究発表を行った。
 第1次世界大戦の開戦から100年の節目を迎えた今、多くの市民が犠牲になったヨーロッパをはじめ、各地で追悼の式典や歴史の教訓を胸に刻む催しが行われている。
 国連の潘基文事務総長も先月、「殺戮の世紀に終止符を打ち、平和な時代を築く取り組みに立ち返ろう」と呼び掛けたが、今回、第1次世界大戦で戦場にもなったトルコで「平和のための結束――普遍的価値による持続可能な平和の構築」をテーマに開催されたIPRAの総会は、まさにその時代変革の潮流を形づくる英知を結集する場となった。
 11日午前に行われた開会式で、IPRAのネスリン・ケナール、イブラヒム・シーガ・ショウの両事務局長が、50年にわたるIPRAの活動の意義を振り返り、世界が直面する多くの深刻な課題に立ち向かうために、平和研究のネットワークをさらに力強いものにしていきたいとあいさつ。
 続く全体会では、IPRAの生みの親の一人である平和学者のガルトゥング博士が講演を。各地で激化する紛争に対する深い憂慮の念を示し、憎悪と暴力の渦から抜け出すためには、紛争で苦しむ人々の痛みに寄り添った和解の模索が重要になると述べた。
 その後、15日まで、人間の安全保障や軍縮をめぐる全体会の開催とともに、人権、環境、紛争解決など、平和問題に関する多様なテーマをめぐって、それぞれの分科会でセッションが行われた。
 このうち、12日の全体会では、戸田平和研究所のクレメンツ総合所長が「暴力の代償と平和の利益」と題して講演。第1次世界大戦から100年を経た現在も、各地の紛争で子どもたちを含む多くの市民が犠牲となっている状況に警鐘を鳴らし、この深刻な危機を打開するためには、「平和と非暴力は単なる一つの選択肢ではなく、何としても確立しなければならない緊急かつ必須のものとなっている」と訴えた。
 また、13日の「芸術と平和」の分科会では、ウルバン所長が研究発表を。ハワイの近代史をたどりながら、ハワイの人々が尊厳を取り戻すために音楽が果たした役割について言及。歌に込められた人々の思いを具体的に紹介し、文化の息吹が社会に及ぼす影響について語った。
 このほか、戸田平和研究所の新井立志研究員が、「紛争解決と平和構築」の分科会で発表を行い、紛争や対立の膠着状況を打ち破るには、冷戦時代に東西対立の緊張緩和を目指して進められた「ヘルシンキ・プロセス」のような、信頼醸成のための機能的な共存を図る取り組みが重要な意義を持つと強調。
 また創価大学平和問題研究所の玉井秀樹所長が、「安全保障と軍縮」の分科会で、「日本における人間の安全保障の課題」について発表を行った。
 かつて、IPRAの創立に深く関わった平和学者のエリース・ボールディング博士は、戸田平和研究所の創立者・池田SGI会長との対談集の結びで、こう訴えていた。
 「人間は、現在のこの時点だけに生きる存在ではありません。もし自分をそういう存在だと考えるならば、今、起こっている事柄にたちまち打ちのめされてしまいます」
 だからこそ、現在を基点に“過去の100年”と“未来の100年”をつなぐ「200年の現在」の視点に立って生きることが大切になる――と。
 その意味で今回のIPRAの総会は、「戦争の100年」から「平和の100年」へ、不戦の世紀の建設を期すものとなった。



2、メキシコ テチャルタ・デ・モンテネグロ市 池田大作SGI会長に顕彰状

  メキシコ・ハリスコ州のテチャルタ・デ・モンテネグロ市(セルヒオ・ベラスケス・エンリケス市長)から池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長に顕彰状が贈られた。
 晴れの授与式は7月26日、同市の文化センターで、同16日から11日間にわたって行われた環境展示「希望の種子――持続可能性のビジョンと変革へのステップ」(SGIと地球憲章インタナショナルが企画・制作)の閉幕式の席上、盛大に開かれた。
 同市は、同国の首都メキシコシティから約470キロに位置。今回、小中学生を中心に人口の2割にあたる市民が「希望の種子」展を観賞した。
 同展に深い感銘を受けたベラスケス市長は、SGIの平和・文化・教育運動をリードするSGI会長への顕彰を決定。市長が署名した顕彰状には「(SGI会長の)世界の平和、持続的な発展、人間の相互理解への功績を讃える」と明記されている。
 式典には、市長代理として同市のイスマエル・ロドリゲス・エルナンデス文化局長が出席。「『希望の種子』展は間違いなく、市民に大きな影響を与えました」と感動の面持ちで語った。
 ロドリゲス文化局長から、同国SGIのリオス理事長に顕彰状が託されると、万雷の拍手が湧き起こった。
 続いてSGI会長が2012年6月に発表した環境提言に関する講演も行われ、SGIの多角的な取り組みの様子が紹介された。
 ロドリゲス文化局長は感謝を述べた。
 「この展示は、地域開発において何が大切なのかを私たちに問い掛けてくれました。開催に尽力してくださったSGI会長をはじめとする皆さまに、深く感謝申し上げます」


3、わが友に贈る

 生命尊厳の大哲学を
 一人また一人と
 語り広げよう!
 それが真実の
 平和を築く王道だ。



4、名字の言  子どもは皆、〝実感の巨匠〟なのかもしれない。周りの世界、そして目に映る大人の〝真の姿〟を、実に的確に捉えているものだ。

  昨年の今ごろ、ある未来っ子はワクワクしながら画用紙に向かった。「少年少女希望絵画展」への応募作品。題材は決まっていた。叔母に赤ちゃんが生まれたのだ▼数日後、完成した絵を、集まった親族の前で広げた。一同の感嘆の声……と同時に爆笑が起こった。感じたままを描いた、赤ちゃんを抱く笑顔の叔母。その目の下に、濃い茶色で、出産という大仕事を終えた証しの「くま」が描き込まれていた▼フランスの巨匠セザンヌの絵について、「腕のいいアニメーターにとっては許し難いと思えることがすべて出揃っている」と、映画監督の高畑勲氏は語っている。遠近法の狂い、建物や人物のゆがみ、塗り残し。それでも「驚くべき『実感』がひしひしと伝わってくることに感嘆せざるをえない」と(『一枚の絵から 海外編』岩波書店)▼子どもは皆、“実感の巨匠”なのかもしれない。周りの世界、そして目に映る大人の“真の姿”を、実に的確に捉えているものだ。親子の接触が多くなる夏休み。親や周囲の大人がどんな行動をしているか、子どもはじっと見ている▼現代中国画の大家・方召りん画伯は、「今日の絵は今日だけの試み、明日はまた新しい試みであるべきです」と。子どもと共に、大人も毎日、成長の夏を。(洋)

5、寸鉄

★  明年、被爆70年。次世代の継承が最重要の課題。魂伝える青年の使命深く
      ◇
★ 心は工なる画師の如し―仏典。大理想を抱け。全ての変革は「心の革命」から
      ◇
★ 景気回復見込みで学生の採用活発と。就職活動の友よ執念と強気で勝て!
      ◇
★ 20代の4割が農漁村への定住願望「ある」と。仕事創出など政治が後押しを
      ◇
★ 臨時福祉給付金を装った詐欺に注意!「ATMに行って」は全てうそと銘記


6、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道56

  菅山勝司は、牛舎に次いで、サイロ、二階建てのブロック造りの住居を完成させた。
 農機具も中古を購入し、自分で修理をしながら使った。飼料も自給に努め、牧草を研究し、栄養価の高い草を育てた。
 見事な黒字経営となった。人びとの奇異の目は、感嘆と敬意の目へと変わった。
 開墾も進め、六十ヘクタールの牧草地をもつようになり、当初、数頭にすぎなかった牛が、搾乳牛五十頭、育成牛二十頭にまでになった。牛乳の衛生管理にも努力を重ね、優秀賞も受けるにいたったのである。

 別海の北海道研修道場で、山本伸一は、菅山に尋ねた。
 「地域が広いから、活動も大変でしょう」
 「走行距離は計算していませんが、オートバイ六台、車は五台を、乗りつぶしました。別海の幹部は、皆、そのぐらい走っていると思います。メンバーと会うためでしたら、零下二○度ぐらいは、なんでもありません」
 活動の帰りに吹雪になり、土管の中で一夜を過ごした人や、部員宅を訪問し、吹雪のために三日も帰れなかった人もいるという。
 別海での活動は、大自然との闘いなのだ。
 「私は、『人間革命の歌』の『吹雪に胸はり いざや征け』の一節が、大好きなんです」
 菅山は、こう言って微笑んだ。
 「まさに、その通りの実践だね」
 それから伸一は、同行の幹部に語った。
 「誰が広宣流布を進めてきたのか。誰が学会を支えてきたのか――彼らだよ。健気で、一途で、清らかな、菅山君たちのような“無名無冠の王者”であり、“庶民の女王”だ。
 ある人は貧しく、ある人は病身で、辛く、厳しい環境のなかで、時に悔し涙を流し、時に慟哭しながら、御本尊を抱き締め、私と共に広宣流布に立ち上がってくださった。自ら宿命の猛吹雪に敢然と挑みながら、友を励まし、弘教を重ねてこられた。その方々が、広宣流布の主役です。末法出現の地涌の菩薩です。学会の最高の宝なんです」



7、この一節を胸に行学に励む テーマ 広宣流布の大願

  〽誓いの青年よ 出発は今 広布の大願 いざや果たさん・・・。新学会歌「誓いの青年よ」を歌いながら前進する創価の友。今回は、日蓮大聖人から創価学会へと受け継がれている「広宣流布の大願」について学びます。

全ての人を仏の境涯に 大聖人の御遺命を実践


Q 広布といってもなかなか実感がわきません。

A 御書を根本とした、日々の学会活動そのものが広布の尊い歩みです。

御文 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし(諸法実相抄 1360㌻)

 日蓮大聖人は、ご自身の妙法弘通の実践についてこう仰せです。
 「はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えましたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのです。未来もまたそうでしょう」(諸法実相抄 1360㌻、通解)
  「本物の一人」が立ち上がり、地道な挑戦を積み重ねるなかで一人また一人へと正法を弘めていく――。広宣流布の方程式はいつの時代も変わりません。
 学会の歴史を振り返ってみても、一対一の対話によって民衆の連帯が拡大し、今や創価のネットワークは世界192カ国・地域にまで広がっています。
 池田名誉会長は、広宣流布について「この万年に続く『世界の平和』と『人類の幸福』への大遠征も、地道な一歩、執念の一歩を積み重ねていく以外にない」「同志への励ましの“ひと声”であり、友人との真心こもる対話の“ひと声”である。自らの勇気の関わりから、次の一人また一人へと、立ち上がる生命のスイッチが入る。まず一人立つ。そこから全ては始まるのだ。これが『人間革命』即『広宣流布』の鉄則である」と綴っています。
 仏法対話をはじめ、御書を根本とした日々の学会活動が、広宣流布への尊い歩みなのです。


Q 創価学会の目的は、広宣流布であると教わりました。

A 万人の幸福と世界の平和こそ、日蓮大聖人の願いです。

御文 大願とは法華弘通なり(御義口伝 736㌻)

  最高の経典である法華経の、薬王菩薩本事品第23には、「広宣流布」について次のように説かれています。
  「私(釈迦)が入滅した後、末法において、全世界に正法を広宣流布して、断絶させてはならない」(法華経601㌻、通解)
  広宣流布の「広宣」とは“広く宣べる”こと、「流布」とは“広く世に行きわたる”ことを意味します。
 “正法を弘めて、万人を仏の境涯に導き、平和と安穏の社会を築いていく”――。法華経に予言された「広宣流布」は、仏の何よりの願いです。
 釈尊滅後の末法において、広宣流布の実現のために立ち上がられたのが、日蓮大聖人です。
 具体的には、末法において万人の成仏を実現する正法、すなわち南無妙法蓮華経の仏法を確立し、弘めることで、万年にわたる全人類救済の道を開かれました。
 大聖人は、妙法の広宣流布について「大願とは、法華弘通のことです」(736㌻、通解)と断言されています。
 法華経に示され、日蓮大聖人の願いである「広宣流布」こそ、創価学会の目的なのです。


Q 今まさに悩みの真っただ中にいるのですが・・・。

A 広布に生き抜いていけば、必ず境涯を開くことができます。

御文 法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし(十字御書 1492㌻)

  人生の途上には、さまざまな困難や苦悩がありますが、いかなる課題をも前進のエネルギーに変えていけるのが、私たちの信心の醍醐味なのです。
  御書を繙くと、日蓮大聖人が、多くの門下に対して、妙法を信じて広布に生き抜けば必ず境涯を開いていけると教えられていることが分かります。
 「法華経を信ずる人は幸を万里の外から集めるでしょう」(1492㌻、通解)
 「(妙法蓮華経が己心の法であるという)この趣旨を深く信じて妙法蓮華経と唱えれば、一生成仏は全く疑いないのです」(384㌻、通解)
 池田名誉会長は、次のように述べています。
  「『広宣流布の大願』と『仏界の生命』とは一体です。だからこそ――この誓いに生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる。この誓いを貫く時、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく湧き出でてくる。この誓いに徹し切る時、どんな悩みも変毒為薬し、宿命をも使命へと転じていける。これが、創価の最極の同志であります。これが、学会の無敵の陣列であります」
  広布の大願に生き抜くことこそ、あらゆる悩みを変毒為薬するための要諦なのです。


【智慧の扉】 勤行の御祈念文

 私たちは、朝晩の勤行の御祈念文の「広宣流布祈念」において、広宣流布の大願成就と、創価学会の万代の興隆を御祈念しています。
 現代において、広宣流布を具体的に進めている団体は、創価学会をおいてほかにありません。ゆえに学会の興隆を御祈念します。
 また、牧口常三郎初代会長、戸田城聖第2代会長、池田大作名誉会長(第3代会長)の、全生命をかけた広布の実践があったれ場こそ、今日の世界広布の基盤は確立しました。ですから、創価三代の会長を広宣流布の指導者として仰ぎ、その指導を実践していくことを誓うことが、広宣流布の誓いになります。




8、池田名誉会長が贈る 勝利の人間学 第58回 新入会の友よ 朗らかに!(2014.8.20付 創価新報)

焦らずに粘り強く

 新入会の皆さんは、不思議にも、今この時に躍り出てきた地涌の菩薩である。どれほど深遠な宿縁と、偉大な使命を帯びた方々か。
 67年前、私も新入会の一青年であった。戸惑うこともあった。家族の反対もあった。
 しかし、戸田城聖先生の「青年らしく勉強し、実践してごらん」との言葉を信じて、勤行も、教学も、折伏も、一つ一つ先輩に教えてもらいながら挑戦していった。
 その体験から、皆さんに申し上げたいことは、ともかく「焦らないで」「粘り強く」ということである。
 すぐに祈りが叶う場合もあれば、すぐには叶わない場合もある。しかし「冥益」といって、時が経てば経つほど、すべて良い方向に進んできたことが、必ず実感できるものだ。
 ゆえに、御書の通り、何があっても題目を忘れず、学会と共に前進していただきたい。
 希望に燃えて、人生に勝つための信心である。自分自身が勝利者となり、一家眷属も幸福に栄えさせていくための仏法である。
 新入会の皆さんが、自分に勝ち、社会で勝ち、人生を勝ち切って、「信心してよかった」と思えるよう、私も毎日、祈っている。

善き友、善き同志と共に

 御書に「たすくる者強ければたうれず」(1468㌻)と仰せの通り、信心を続けていく上で大切なのは、同志とのつながりである。
 分からないことがあれば、何でも率直に、周囲の同志や先輩に聞いていただきたい。
 また、忙しくて、なかなか会合に出られない時や、思うように題目があげられない時こそ、気後れしたり、遠慮したりしないで、同志と連絡を取り合っていくことである。
 少しでもつながっていこう! その心をもって、同志という善縁にふれていくなかで、生命力が増す。ここに、何ものにも負けずに、成長と向上の青春を謳歌しゆく道がある。
 新入会の友のニューパワーで、広宣流布、すなわち世界の平和と人類の幸福へ、朗らかにニューウェーブを起こしてくれ給え!



【社会の情勢】 

◆ 健康産業育成へ新基金 経産省、地域活性化策まとめ
◆  訓練と仕事の両立難しく、充足率は7割 予備自衛官
◆ 超富裕層 税逃れ監視 国税局に専従チーム発足
◆  食器洗い乾燥機 6年で火災53件 長期使用は点検徹底を
◆ モスクワから物資搬入 ウクライナ人道支援 4か国合意

2014/8/20(水)の聖教

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2014/8/20(水)の聖教


1、創価大学通信教育部 新世紀第13回学光祭

創立者が祝福のメッセージ贈る
気高き「生涯学習」の大道を

 創価大学通信教育部の新世紀第13回(第38回)「学光祭」が19日、東京・八王子市の創大中央教育棟・ディスカバリーホールで開催され、全国各地、また海外16カ国・地域から夏期スクーリングに参加した学友の代表らが集い合った。これには、創立者の池田名誉会長が祝福のメッセージを贈り、気高き「生涯学習」の大道を歩む友の学業の成就と人生の大勝利を念願した)。



2、新世紀第13回学光祭 創立者のメッセージ 
(作業中)




3、平和な世界は我らの手で イギリス アメリカが求道の集い

  イギリスSGI(創価学会インタナショナル)の「一般講義」が7月29日、ロンドン郊外のタプロー・コート総合文化センターで行われた。
 福田男子部総合教学部長が御書講義を担当。「人間主義の哲理を学んで実践し、次の100年を平和の世紀に」と訴えた。同SGIのハラップ理事長があいさつした。
 参加者からは次のような声が寄せられた。
 「生命尊厳の哲学を語り広げ、イギリス広布の新時代を開いていきたい」(マヘンドラ・パテル総合方面長)
 「平和をつくるのは、私たち青年の使命であると決意を新たにしました。イギリスから世界広布の潮流を起こしていきます」(アシュレー・クラウダー女子部長)
 アメリカSGI学生部の研修会は8月8日から11日まで、フロリダ自然文化センターで開催。世界に不戦の楔を打ち、21世紀を万人が輝く世紀とするための方途は――全米から集ったメンバーは昼夜を分かたず研鑽し、語り合った。
 御書講義では宿命転換や生死の問題について学習。代表の体験発表を通し使命に生きる人生の喜びを学んだ。さらに、2030年までに「核兵器のない世界」を目指す同部の対話運動についても議論を。各方面の研究発表に続き、エリック・リーカー学生部長、マヤ・オオノ女子学生部長は、原爆投下から70年となる明年に核兵器廃絶を求める国際社会の合意を生み出すべく、今いる地域・キャンパスで、生命尊厳の思想と核兵器の悲惨さを訴えていこうと述べた。



4、わが友に贈る

 「父母に孝あるべし」
 親孝行できる人が
 偉大な人だ。
 わが言葉と振る舞いで
 感謝の心を伝えよう!



5、名字の言 日蓮大聖人は「あまりに人が自分をほめる時は、『どんなふうにでもなろう』という心が出てくるものである。これは、『ほめる言葉』から起こるのである」(1359㌻、通解)と仰せだ

 「天才だ!」。将棋好きの大人たちを悩ませる「詰め将棋」の正解手順を小学1年生が当てると、嘆声があがった。将棋の先生にたたえられたのは、幼き日の米長邦雄永世棋聖。「私は生まれて初めて『天才』と言われた。以後、数えきれないくらい『天才』と呼ばれたが、このときほどの重みはない」▼実は米長少年は、詰め将棋のルールすら分かっていなかった。“当てずっぽう”の正解である。だが、「将棋を知らなくて答えを出したのなら、なおいい。天才だ!」と、先生は繰り返した。すっかりその気になった米長少年は、「天才」の名に恥じないよう努力を重ねたという(『人生 一手の違い』祥伝社)▼誰もが、いかようにもなれる可能性を秘めている。だが、自分ではそれを、なかなか信じ切れないもの。その“不信”を打ち破る確信の一言が、人生を大きく開いていく▼日蓮大聖人は「あまりに人が自分をほめる時は、『どんなふうにでもなろう』という心が出てくるものである。これは、『ほめる言葉』から起こるのである」(御書1359ページ、通解)と仰せだ▼子どもたちと接する時間が増える、この季節。その分、あらも目につき、ついしかりたくなる。そこを我慢し、大げさに褒めるくらいが、ちょうどいい。(明)



6、寸鉄

★  創価大学で学光祭。「学は光、無学は闇」。弛まぬ探究心で生涯向上の人に
      ◇
★ 旧き良き友忘る事なく心に永遠に留めたし―詩人懐かしい友と対話深めよ
      ◇
★ 未来部担当者の奮闘に深く感謝。宝の子らを育む聖業。信心の思い出を。
      ◇
★ 「事故なく鎌倉に御帰り候事悦びいくそばくぞ」。安全・無事故を最優先で
      ◇
★ 清涼飲料水の飲み過ぎは糖尿病の危険増。若者にも拡大と。夏こそ要注意



7、わが町わが誇り 宮崎総県 南国の暑夏 共戦の握手

  「太陽の国」宮崎は暑い。“暑さの密度”が違う。1978年(昭和53年)の夏は、ひときわの酷暑だった。
  その宮崎に、池田名誉会長は飛んだ。狂った宗内の学会攻撃の嵐が、各地で吹き荒れた。
 8月9日から12日まで、宮崎市の宮崎平和会館を中心に、共に勤行し、スピーチし、大淀川を見つめながら語らい、そして近隣を激励に歩いた。
 友を守りに守るために――。

                                       

 名誉会長は9日に宮崎入りすると、夜には広布功労の友らとの勤行・懇談会に出席。
 翌10日も、午後に熊本・大分・宮崎の合同幹部会、夜には宮崎支部結成20周年の記念幹部会館と、途切れることなく指導・激励に当たった。
  当時、創価大学3年だった織田道明さん(本部長)は折よく帰省中。名誉会長の訪問を知り、創大の仲間と連絡を取り合い、宮崎平和会館に駆け付けた。
 「宮崎の創大生も頑張っていると、ご報告したい。ただ、それだけでした」と織田さん。
 ところが、創大生たちは、会館に隣接する個人会館に案内された。
 学生たちに、カレーライスを運んできてくれたのは、池田香峯子夫人だった。驚き、恐縮しながら食べると、今度は、一切の会合を終えた名誉会長が姿を現した。
  「よく集まってくれたね」「皆、私のつくった大学に来てくれて、ありがとう」
 「宮崎を頼むよ」
 その声の温かみを、小田さんは今も思い出す。
 「素朴なカレーの味。名もなき学生を信じてくれた先生。私も、庶民として庶民のために生き抜こうと決めた瞬間でした」
  小田さんは今、本部長、総県国際部長として、同志の激励の最前線に立つ。
 ――翌11日は、自由勤行会となった。県内各地から友が詰め掛け、1回の予定が5回にも。
  名誉会長は述懐する。
 「私は、全員と共戦の握手をする思いで、そして全員に勝者の宝冠を捧げる思いで、激励に激励を重ねた」
  当時、高校2年の中川芳彦さん(副本部長)は、串間市から両親と参加した。
 大粒の汗を流しながら語り、ピアノまで演奏する名誉会長の姿に衝撃を受けた。“ここまでして励まされるのか”
  創大進学を決意し、一浪の末に11期生として入学。八王子のキャンパスで青春の原点を築いた。
  82年(昭和57年)秋、名誉会長と懇談する機会が。
  「私は宮崎が好きだ。生きたいな。君の家にも行ってみたい」。師匠の宮崎への思いを知り、帰郷を決意。小学校の教員となり、総県教育部書記長として活躍している。
 当時、男子部員の田端豊士さん(圏本部長)は、2張のテントをトラックに乗せ、門川町をたった。続々と集まるメンバーを日差しから守るため、会館の駐車場に、大量のテントを張ることになったのである
 テントでは、勤行会の参加者にスイカが振る舞われた。テントもスイカも、友を気遣う名誉会長の提案だった。
  「“どこまでも一人を大切にする”という先生の心を強烈に感じました。そのお役に立てたことが、誇りです」
  “師匠と同じ心で”と決め、地区部長、支部長、本部長、圏長と、広布の第一線を駆け抜けてきた日々に悔いはない。
 運営役員だった山下真さん(副圏長)の役目は、そのスイカをひたすら切ることだった。5回目の勤行会に参加し、テントを返却。
 一息つこうと、会館近くでメンバーが営む喫茶店に、仲間と寄った。そして、席のゲーム機で遊び始めた時である。
 「やあ!」。なんと、名誉会長の声だった。
 腰に根蚊取り線香の缶を下げている。会館周辺を歩く途中、立ち寄ったのである。
  その場で、さまざまな激励の指示を、幹部に出す時の真剣な目。青年たちの輪に加わり、声を掛ける時の温かい目。その変化の鮮やかさが、山下さんには忘れられない。
 山下さんらが、遠慮して喫茶店から出ようとすると、「おっ、帰るのかい」と名誉会長。
 歩み寄り、ぐっと山下さんの手を握った。「退転してはいけないよ!」
 「ハイ!」。山下さんは、腹の底から声を振り絞り、両手で、名誉会長の手を握り返した。
  78年の訪問で、名誉会長は何度も“退転してはいけないよ”と呼び掛けた。翌年4月の第3代会長辞任の報に接し、友は、名誉会長の深い心に、思い至るのである。
 生涯、学会と共に。
 生涯、師匠と共に。
 これ以上、崇高で、充実した、幸福な人生があるだろうか。
 あの夏を思い出として刻む宮崎の同志は、それを知っている。



8、この時に誓う 【6】須崎関東婦人部長 8・14「関東の日」  


敢闘精神で二十一世紀の勝利を開く

  8月14日――戸田先生と池田先生の“師弟の出会いの日”は、誉れの「関東の日」でもあります。2000年(平成12年)8月、群馬多宝研修道場で行われた関東最高協議会で決めていただきました。
 「関八州を制するものは天下を制す」との心意気のままに、「21世紀の勝利は、関東の池田門下が開け!」との、池田先生の限りないご期待と受け止めています。
 埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木の5県からなる関東は、それぞれの県に歴史と伝統、そして誇りがあります。先生は、その良さを生かしながら進むために、団結の大切さを、繰り返し教えてくださいました。
  2007年(平成19年)5月8日、埼玉池田研修道場に訪問してくださった折にも、「異体同心でなければならない。その根幹が師弟である」と明確に語られています。
 師弟を叫び抜く!
  師弟に生き抜く!
 これこそ団結の要であり、絶対に忘れてはならない精神です。

常に同志のために

 「私は変わらないよ」
 1979年()昭和54年4月24日、聖教新聞社で第3代会長辞任の会見を終えた先生は、本社の受付担当に言われました。私もその一人でした。
 どんな立場になろうと、先生の眼差しは常に愛する同志に向けられている。その姿を、受付の仕事に携わる中で、何度も目の当たりにしてきました。それは、宗門側から、“会合で指導してはいけない”との理不尽な要求があった第1次宗門事件の渦中でも、全く変わりませんでした。
 ある時は、会員の悩みに親身に耳を傾け、真心からの励ましを。また、ある時は、同志のためにと、何枚もの色紙に揮毫をしておられたこともありました。
 そのような日々の中で、私自身も原点をつくっていただきました。
 目の前で一枚の色紙に「使命」と書かれ、「これで戦うんだよ!」と。
 当時は、自分に自信が持てず、仕事や学会活動に行き詰まりを感じていました。温かな励ましに包まれ、“何があっても師と共に生きよう。それが私の使命だ!”と、心の底から決意することができました。
 そして、ある懇談の折に、「先生と学会を守れる人間になります」と自身の誓いを述べると、「それは学会の組織で戦うことだよ」と教えてくださったのです。
 この言葉を抱きしめ、婦人部では、副ブロック担当員(現在の副白ゆり長)から、一つ一つ真剣に取り組んできました。そして、最前線を走りながら、先生の言葉の真意を実感してきました。
  あるご年配の多宝界の方から言われたことが、胸に焼き付いています。
 「私は、先生とお会いしたことは一回もありません。でも毎日、先生のことを祈っています。私は、先生と一緒に御本尊の前に座っていると思って戦ってきました」
 創価の父母たちは、歯を食いしばりながら、純真に先生を求めて戦っています。
 だからこそ、そのような方々を全力で守ることこそ、広宣流布を拡大し、先生にお応えしていく道であると確信しています。

挑戦の一歩を!

  かつて先生は、関東の心ともいうべき「敢闘精神」について、教えてくださいました。
 「『敢闘』とは、『敢えて闘う』と書く。『敢えて』挑戦するのだ。『敢えて』一歩を踏み出すのだ」と。
 激務の合間を縫って、友の中に飛び込み、全精魂を注いで励ます。思えば、この敢闘精神の模範を示してくださったのは、池田先生でした。先生の激闘があったからこそ、今の関東があるのだと感謝は尽きませ
 今こそ、敢闘精神を赤々と燃え上がらせ、素晴らしき第一線の同志と共に、世界一の「仲良き人材のスクラム」を築いてまいります!。



9、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道57

  山本伸一は、六月十四日夕刻には、北海道研修道場開設五周年を記念する勤行会に出席した。開会前、彼は、屋外で参加者を出迎え、集って来た、根室、厚岸の二本部のメンバー一人ひとりに声をかけた。
 「ようこそ! お会いできて嬉しい」
 「本当にご苦労様です」
 「お達者で! ご長寿をお祈りします」
 肩を抱き、握手を交わし、そして、共に記念のカメラに納まる。〝今しかない!〟と、必死の思いで、伸一は、皆を激励し続けた。
 開会となった勤行会で、彼は訴えた。
 「一人の人を、心から慈しみ育てようとする慈愛の精神に立った行動によってのみ、自身の信心の功徳を無量に開花させていくことができるんです。大切なことは、自行化他にわたる実践です。その行動を、勇んで起こされた皆様方にこそ、日蓮大聖人の大精神が脈打っていると、断言しておきます」

 この勤行会終了後、伸一は、峯子と共に、標津町を訪れた。学会員が経営する食堂で、地元の功労者らと懇談するためであった。
 体調不良に悩む支部長には、健康管理の基本を語るとともに、信心の在り方について懇々と語っていった。
 「まず、題目を唱え抜いていくことです。
 広宣流布という最も崇高な大目的を心にいだき、わが使命を果たし、走り抜くために、“健康な体にしてください”と祈ることです。そこに大生命力が涌現するんです。
 学会のすべての役職には、広宣流布推進のための重責がある。その役職を全うしていくことは大変かもしれない。しかし、あえて労苦を担っていくなかに、より大きな功徳があり、宿命の転換もあるんです。
 役職を疎かに考えてはなりません。幸福への、わが使命の大道ととらえ、勇気と情熱をもって活動していくことです」
 伸一は、真剣だった。烈風に一人立ち、妙法の旗を掲げて、懸命に戦う同志である。一瞬に全生命を注ぐ思いで、彼は指導した。



10、社説  各部一体で若き友を応援 心弾む「創価ファミリー大会

  この夏、未来部の成長を応援する「創価ファミリー大会」が全国各地で、にぎやかに開催されている。大成功と無事故の運営に尽力くださっている壮年・婦人部、男女青年部の皆さまに、心から感謝申し上げたい。
 創価ファミリー大会には、未来部員が家族や地域の同志と一緒に集う。それは「家族の絆」や「師弟の絆」を確認するとともに、「地域の絆」を強める好機でもあろう。
 中国方面では今夏、「平和」をテーマに掲げて大会に集い合っている。
 明年は、広島への原爆投下、太平洋戦争の終結から70年。戦争を経験した世代の高齢化と体験の風化が指摘される。
 こうした時代の中にあって、未来部員が池田名誉会長の思想と行動を学び、戦争と核兵器のない世界を築く主体者として、ふるさとに脈打つ「平和の心」を受け継ぐ一人一人に、との強い願いを込めた取り組みだ。
 壮年部員が語る戦争体験を聞き、「命を大切に」と誓ったメンバーがいた。原爆ドームと広島平和記念資料館を訪れて歴史を学び、「絶対悪」である原爆について研究発表した少女部員もいた。島根県の松江圏では、未来部員が家族と「私にとっての平和」をテーマに語り合って大会に参加する予定だ。
 中国方面は全国に先駆ける取り組みとして、3年前から、未来部員が家族と一緒に集い合う「ファミリー勤行会」を続けてきた。未入会の家族や友人も、ファミリー勤行会に集う光景が広がっている。
 パラシュートは、つながれた何本ものロープに支えられることにより、浮力を得て、滑空することができる。同じように、子どもたちも、世代を超えた多くの創価家族との触れ合い、つながりや支えがあってこそ、未来の大空を目指して心豊かに成長できるものだ。
 「子どもは、学会の庭で育てていきなさい」とは戸田城聖第2代会長の言葉である。
 この言葉を受けて、名誉会長は、学会には「一人一人が自身の可能性に目を開き、確かな自信と安心と希望を得ていくための励まし」と「人間として生きていく上で、最高の誇りと自覚をもつことができる哲理」があると述べる。

 今週末を中心に「創価ファミリー大会」を開催する地域も多い。夏の太陽を浴びて逞しく成長する子どもたちの姿に広布の未来を描きつつ、この「励まし」と「哲理」を、私たちが未来部員にしっかり伝え、託していきたい。



11、今日の発心  最蓮房御返事、1343ページ 

御書 されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし(最蓮房御返事、1343ページ・編481ページ)

通解 それゆえ、私達が住んで、法華経を修行する所は、いずれの所であっても、常寂光の都となるであろう。 . 

【使命の舞台で幸福の旗高く!】

 妙法広布の信行に励む人の住所は、いずこであっても仏国土である、と御教示されています。

 第2東京(当時)の地で活動していた女子部時代、白蓮グループの一員として立川文化会館に着任した際、池田先生に激励していただく機会がありました。
 当時、会長を辞任され、大変な状況だったにもかかわらず、先生は慈愛あふれる励ましを送ってくださいました。生涯、師と共に生き抜く原点を刻みました。
 結婚後は、夫の仕事で各地を転々と。この御文を抱きしめ、多くの試練を乗り越えてきました。娘が不整脈により仮死状態で生まれたこと、支部婦人部長の時に夫が過労で病床に伏したこと――。しかし、先生と同志の励ましのおかげで、宿命転換できました。夫は健康を回復し、娘も元気に成長。創価の学びやを卒業し、広布後継の道を歩んでいます。
 かつて池田先生は山梨で、“自分がいる使命の場所で、勝利と幸福の旗を打ち立てるのだ”と指導されました。甲府常勝県の指針である「甲府即広布」を胸に、広布拡大に走り抜いてまいります。
山梨・甲府常勝県婦人部長 内藤 慶子



【社会の情勢】
 

◆ 農村の買い物弱者支援 代行、移動販売に補助 農水省方針 
◆  夏野菜高騰、台風で品薄 きゅうり2倍以上も
◆ 三角点10年後「引退」か GPSの発達 国土地理院
◆  惑星の名前を一般公募 史上初、ネット投票 IAU

2014/8/21(木)の聖教

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2014/8/21(木)の聖教


1、シンガポール独立記念式典 SGIの友が政府の要請で出演 20年連続29回目

  大人も子どもも赤い服を身にまとい、シンガポールカラー一色に染まった観客席。
 迫力の航空ショー、有名歌手の共演、国歌斉唱……。会場の熱気がぐんぐん高まる。
 式典の雰囲気が最高潮を迎えると、メーン演目が始まった。
 ――シンガポールは1965年8月9日に独立した。
 資源の乏しい小さな国土(面積は東京23区とほぼ同じ)で、多様な民族が言葉や文化の差異を超え、繁栄の道を切り開いてきた「人材立国」である。
 独立記念式典は、シンガポールに暮らす人々が同じ「シンガポーリアン」として、心一つに国の発展を祝う一大イベントである。
 今回のテーマは、「OUR PEOPLE, OUR HOME」(私たちの人々、私たちのふるさと)。
 81年の初出演以来29回目、95年からは20年連続の出演となるSSAは、4部構成からなるメーン演目の第1部を担当した。
 赤・黄・青・緑・紫の5色のグループに分かれたSSAの壮年・婦人が、音楽に合わせて隊列を変化させていく。最後は、5色が入り交じり、シンガポールの国土の形に。多様な民族・文化が融和する同国を表現した。
 また、次代をつくる青年が躍動した第4部には、SSAの音楽隊・鼓笛隊が登場。晴れの舞台で、勇壮なメロディーと華麗な演技を披露した。



2、広島で大規模な土砂災害 対策本部を設置 被災状況の確認に全力

  これに対し学会本部では、原田会長を本部長とする災害対策本部を設置。中国方面(本部長=篠原中国長)と総広島(本部長=福原総広島長)の災害対策本部と連携を密にしながら、安否確認、被災状況の掌握等に全力を挙げている。
 引き続き、対策本部では厳重な警戒を呼び掛けるとともに、被災した会員・家族等への激励に当たっている。



3、中国大使館一行が創価文化センターへ

  一行は、創価学会の歴史についての展示等を観賞。歓迎した谷川副会長は、池田大作名誉会長の日中友好への信念と行動を紹介した。
 王暁渡公使は「名誉会長と創価学会の皆さまの平和行動への認識を一層深くしました」と述べ、両国のさらなる友好交流を望んだ。
 また一行は、創価世界女性会館も訪れた。



4、御書とともに 名誉会長が指針を贈る Ⅱ 【25】師弟共戦の人生に誉れ

御文 法華経は末法の始め五百年に弘まり給ふべきと聴聞仕(つかまつ)り御弟子となると仰せ候事、師壇となる事は三世の契り種熟脱の三益別に人を求めんや

通解 (お手紙の中に)  “法華経は末法の始めの五百年に弘まると承って御弟子になりました”とあるが、師匠となり、弟子となることは三世にわたる契りである。(法華経に説かれる)下種益・熟益・脱益の三益の法理も別の人に求めてはならない。

【同志への指針】

  大聖人の法門を聞き、弟子になると決意した門下に、師弟は「三世の契り」であり、正しき師匠を離れて成仏はありえないと仰せである。
  仏法は師弟の宗教である。師にめぐりあい、師と共に誓願の人生を歩む以上の福徳はない。戸田先生とお会いして67年。不二の心で生き抜いた広布の人生は晴れやかだ。そして、後継の弟子が二陣・三陣と続いてくれている。



5、わが友に贈る

 尊き陰の尽力ありて
 広布の連帯は拡大!
 友の幸福のため
 地道に祈り、歩き
 語る人に最大の賞讃を!



6、名字の言インドの初代首相・ネルー。獄中から愛娘のインディラに手紙を送った。その数197通。

  娘が14歳の誕生日を迎えた。だが父は、贈り物も、直接、声を掛けることもしてやれない。せめて手紙を書くことにした▼父とは、インドの初代首相・ネルー。独立闘争に身を投じて獄中にいた時、愛娘のインディラに手紙を送った。満足に教育を与えてあげられない娘のために、世界史をつづる。その数197通。手紙は後に、名著『父が子に語る世界歴史』となり、娘も父の心を継いで首相になった▼北海道・中標津町に、曽祖父の代から続く老舗旅館を営む男子部員がいる。彼の父が亡くなった時、遺品から、男子部員の大学受験前に掲載された、小欄の切り抜きが見つかった。内容は、不登校を乗り越えて大学進学を勝ち取った未来部員の話題で、「『うちの子には、無理では』などと、少しでも思ったらダメ」とある▼掲載当時、受験を勧める父に、男子部員は反発することもあった。そんな彼を信じ続け、生きる力をくれた父。どんな思いで記事を見ていたのだろうと、感謝がこみ上げてきた▼創価青年大会を機に、多くの友が信心に立ち上がった。その理由を聞いた中に、「学会について語る父が、かっこよく見えたから」という答えがあった。子を思う気持ち、誇りをもって信念を貫く姿に勝る贈り物はない。(鉄)



7、寸鉄

★  国家式典に同志が出演。多様性の国に輝く団結の舞!SGIは平和の要に
      ◇
★ 人間が人間に与える力は無限―文豪。さあ対話へ。草の根こそ社会変革の鍵
      ◇
★ 「正法をひろむる事は必ず智人によるべし」。教学試験受験者と共々に研鑽
      ◇
★ 健康な人は睡眠が7時間前後―調査。規則正しい生活を。知恵と工夫から
      ◇
★ 夏休み終盤、海と山での事故に注意。天候・体調の軽視は命取り!油断な



8、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道58

  懇談会には、経済苦と格闘している大ブロック長もいた。彼の経営していた水産加工の工場は、前年、アメリカとソ連が自国の漁業専管水域を二百カイリとし、実施に踏み切ったことから大きな打撃を受けた。
 経営は不振となり、やむなく工場を畳み、山菜を採って塩漬けにしたものなどを販売し、生計を立てていた。
 子どもは六人で、息子二人が創価大学に在学しており、末の娘は、まだ小学校の三年であった。彼は、「この子も、やがて創価の学舎で学ばせたい」と、歯を食いしばり、奮闘していたのである。
 山本伸一は、大ブロック長に語った。
 「ここから、子どもさんを創価大学に送り出してくださったんですね。ありがとう。
 親御さんのその真心は、必ずお子さんに通じます。皆、立派に育ちますよ。苦労したご一家から、偉大な民衆の指導者が出るんです。息子さんとは、遠く離れていても、お題目を送ってあげれば、生命はつながります。
 また、商売は、工夫・研究しながら、地道に頑張っていくことです。どうにかなるだろうなどと、甘く考えてはいけません。信用と信頼を、着実に勝ち得ていくことが大事です」
 皆が過酷な状況のなかで、懸命に信心に励み、勝利の実証を勝ち取る。その積み重ねが難攻不落の創価の大城を築いてきたのだ。
 伸一は、なんとしても、この一家を応援したかった。個人的に、一斗缶に入った山菜の塩漬け二十缶を購入した。
 「製品ができた時に、少しずつ送ってくだされば結構です。急ぐ必要はありません。
 ともかく、何があっても、絶対に、信心の道を見失ってはなりませんよ」
 「一人の人が、この一家が立ち上がれば、標津まで来た意味はある」
 伸一は、真剣勝負の激励を続けた。学会員が営む喫茶店にも足を運び、対話を重ねた。
 彼の背筋に悪寒が走った。体が震えた。
 この日、研修道場に戻って体温を測ると、三八度五分であった。



9、座談会 世界広布新時代の旭日〈70〉

歓喜に満ちた生き方を説く仏法   前進の積み重ねが勝利の人生   

誓願の北陸は広布の太陽たれ

本郷北陸長 北陸の全同志に、うれしい発表があります。今秋から北陸のブロック長の呼称を「誓願長」とすることが決定しました。大変におめでとうございます!

山上北陸男子部長 池田先生が作詞された北陸の歌のタイトルは、「ああ誓願の歌」。北陸にとって、「誓願」とは、師匠との誓いです。

折戸北陸女子部長 先生は教えてくださいました。「『誓』とは、歴史をつくる『力』である。『誓』とは、暗闇を照らす『光』である。『誓』とは、邪悪を破する『剣』である」と。

本郷 今後、誓願長を対象に、小説『新・人間革命』を研鑽する「誓願塾」を開講。さらに、訪問・激励週間を設け、支部や地区のリーダーらと誓願長が、メンバーのもとを訪れる機会を増やしていきます。

横山北陸婦人部長 さらに、ブロックで毎年1人以上の任用試験受験者の輩出を目指すなど、広布最前線のブロックの充実を図ります。

原田会長 白ゆり長と共に、地域広布をリードする誓願長の皆さまの奮闘を心から願っています。

共感広げる友人葬

杉本婦人部長 北陸婦人部では現在、30代・40代を中心に、「喜多国コスモス大学校」を開校していますね。

横山 仕事をもつ女性も多く、思うように学会活動の時間が取れずにいた方も少なくありません。そうした方々が、小説『新・人間革命』などを読み深める中で、学会の歴史に感銘し、活動に取り組むようになっています。

杉本 あらためて、師の偉大な足跡を学ぶ大切さを感じずにはいられません。

横山 婦人部ではまた、10年以上前から、「スクラム10運動」を推進し、10人の真の友人の拡大に挑戦してきました。石川では今、各部が、この運動に取り組み、着実に友情の輪が広がっています。

原田 北陸は昔、「高志の国」と呼ばれていました。先生は、その史実を通し、北陸は「高き志の国」にと呼び掛けられました。

杉本 北陸には、「信心の志」高き女性が多くいます。婦人部の皆さんと接する中で実感します。

原田 「念仏王国」といわれる旧習深い地で、広宣流布を進める苦労は、いかばかりか。〝現実を離れて幸福はない。一歩一歩の前進の積み重ねこそ勝利の人生である〟との「歓喜に満ちあふれた生き方」を繰り返し教えてくださる池田先生の言葉に、深い意義を感じてなりません。

横山 その言葉の意味を心から実感するのが、友人葬です。北陸では、友人葬に参列して、学会への入会を希望される方が、本当にたくさんいます。

折戸 先日も、富山県内で要職に就かれていた方が、友人葬への参列を機に学会へ入会されました。その方は、「題目の音声」に感動し、「多くの参列者が、故人の生前をしのび、一心に唱題する姿」に心を打たれたそうです。

本郷 先日、私は、他宗教を信仰していた32歳の青年と対話をする機会がありました。彼も題目の力強い音律に感動して入会。現在、唱題に励む中で、青年大会の練習にも真剣に取り組み、人生の課題の解決へ前進を開始しています。

 

「現実変革」の信仰

山上 男子部が懸命に折伏に取り組む中でも、学会の信仰が、いかに現実を変革しゆく力ある教えであるかを実感します。今、北陸では部2世帯を超える弘教ができていますが、多くの新入会者が、唱題行の功力に感動しています。

本郷 その男子部の弘教をリードするのが富山常勝県です。地区1世帯の弘教が達成できていますね。

山上 爆発的な弘教・拡大が成就している一番の要因は、壮年・婦人部のリーダーの方々が、弘教に挑む男子・女子部メンバーのことを、自身のこと以上に、真剣に祈ってくださっているからです。

本郷 ある支部の活動者会での出来事です。ヤング男子部のメンバーが仏法対話に行ったものの、思うような結果を出せず、悔しさを皆の前で語りました。それを聞いていた支部長が、「自身の祈りで、何としても青年に勝利を!」と決意。以来、激励を続け、そのメンバーは見事な結果を出すことができました。

折戸 富山常勝県では、女子部の活動者も4倍に増えています。また、石川のある地域では、支部で7人の女子部員が青年大会に出演する所もあります。これも、各部一体の団結による結果です。

横山 池田先生は、これまで4度、北陸に長編詩を贈ってくださいました。そのタイトルは、「山河遥か 北国の詩」「魂の黎明 永遠なる栄光の道」「太陽は昇る! 栄光の北陸に!!」「大北陸に幸福の旭日よ 輝け!」です。

本郷 私は、このタイトルを見ていると、北陸に広宣流布の太陽が昇っていくことを示されているように思えてなりません。

山上 北陸は古くから文化が栄え、教育にも力を入れてきた地域です。

折戸 来春には、北陸新幹線も開業し、東京―金沢間が最短約2時間半で結ばれるなど、北陸にとって歴史転換の年となります。

原田 「妙とは蘇生の義」(御書947ページ)、「法華経は『活の法門』」を心に刻み、「世界の北陸」との指針のままに、北陸広布の新たな伝統と歴史を築かれることを念願しています。

 

10、社説  健康第一に 価値創造の日々を

  創価学会の牧口常三郎初代会長は「歩く人」だった。広宣流布の活動に、率先して歩いた。そのため、下駄の歯はすぐにすり減ったという。〝幸福の第一条件は健康であり、そのために価値創造の活動を第一とする〟――これが牧口会長の信条であった。
 気温が下がり、新涼に近づくとされる「処暑」(明後23日)も近い。盛夏の疲れが出るころでもある。体調を崩しやすい、季節の変わり目に入っていく。油断せず、引き続き、暑さ対策や体調管理に具体的な工夫を心掛けたい。小まめな水分補給、十分な睡眠、規則正しい生活。基本を怠らないことが肝要だ。
 健康を考えるとき、思い出す言葉がある。取材の折、80歳を越えた関西に住む婦人部員がくれたアドバイスだ。「『頑健な体に』って祈らなあかんで。広宣流布は大変やからね!」
 自分もそう祈り、病魔に打ち勝ってきたという。「5回目の成人式」となる100歳を目指している、と語ってくれた。
 さらに話を伺うと、毎日、行動予定がびっしり。同志の相談に乗り、青年部員と一緒に折伏に臨む。地域の子育てボランティアにも携わっているという。
 その心には、「大阪の戦い」で若き日の池田名誉会長と共に広布の金字塔を築いた思い出が輝く。早朝の御書講義から毎日を元気に出発した。「池田先生は、ささっと歩きはる。颯爽としてはった。私は今も先生と一緒に行動してる。実際に会う、会わないとちゃいますねん」
 体験談に聞き入っている間、何度も出てきたのが「使命感」という言葉。「何のために健康になりたいのか。それが大事」と。師と共に、広布という価値創造の目標へ進む。若々しい活力の源泉は、そこにあった。
 「学会活動は最高の健康法」と名誉会長は語っている。
 会合に参加する。友の激励に歩く。弘教に励む。「そこには常に『行動』があります。しかも法のため、友のため、社会のための『献身の行動』です」と。
 また、「歩いた分だけ福運が積める、社会に尽くせる、友人が増える――広宣流布の軌道こそ、最高の『幸福の軌道』『健康の軌道』なのです」とも。
 自他共の幸福を願い、世界の安穏を祈って行動する学会活動は、自身と社会を健康に導く。
 間もなく本年後半の活動が始動する。人生を幸福と勝利で飾るための一日一日だ。「広布のため」との誓いを忘れず、師と共に、価値創造の一歩一歩を、健康第一に重ねたい。



11、今日の発心  兄弟抄、1083ページ
 

御書 各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし(兄弟抄、1083ページ・編684ページ)

通解 あなた方兄弟は、かなり法華経を信じてきたので、過去世の重い罪を現世に責めいだされているのである。それは例えば鉄を念入りに鍛え打てば内部の疵が表面に現れてくるようなものである。. 

【病によって信心の力を実感】

 強盛な信心によって過去世の罪業を責めいだし、わが生命を鍛え、輝かせていけると仰せです。

 幼いころ、急性腎臓炎にかかり、生死の境をさまよったことがありました。両親の祈りで一命は取り留めたものの、これが病魔との闘いの始まりでした。
 創価高校・大学で1期生として学び、社会へ。しかし、男子部時代に重度の若年性高血圧症を発症。肺結核、大腸炎も患いました。その後も結石の激痛や不整脈に悩まされ、50歳の時には脳梗塞の危険が指摘されました。
 手術を伴う入院は5回。自身の宿業に悩みましたが、題目を唱え、先生のご指導や御書を学ぶなかで、「病気を通して信心を教えていただいているのだ」と感謝できるように。現在は教員として元気に教壇に立つとともに、広布にまい進しています。
 「創立者と卒業生は永遠に不二である」との言葉を生涯の指針とし、大好きな狭山県の同志と励ましの人生を歩んでまいります。


【社会の情勢】 

◆ 広島広範囲で土砂崩れ 36人死亡、未明に記録的豪雨
◆  7月貿易赤字9640億円  6・6%縮小、輸出3カ月ぶり増
◆ 図書館・美術館 魅力アップめざす 地域再生へ後押し 総務省
◆  訪日客過去最多127万人 中国最多、韓国も増加 7月 観光局発表
◆ ガザ停戦協議が決裂 イスラエルとパレスチナ

2014/8/22(金)の聖教

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2014/8/22(金)の聖教


1、SOKAチャンネルVODに新番組 音楽隊にかける青春

  SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に新番組が追加された。
 タイトルは「心揺さぶる希望の旋律~音楽隊にかける青春」。
 本年、結成60周年の佳節を迎えた音楽隊は、どんな時も師と共に、同志を鼓舞し、地域を潤す音色を響かせてきた。
 各種コンクールでも輝かしい実績を残すなど、いまや全国有数の音楽団体へと発展。しかし、その華やかな活躍の陰には、仕事との両立など、執念の努力があった。
 番組では、東日本大震災の被災地で行われた「希望の絆」コンサートの模様や、奮闘する隊員の姿を紹介。信仰を根本に勇気と希望の旋律を奏で続ける“創価の楽雄”の軌跡を追う。
 15分。VODが利用できる会館等で、きょうから視聴できる。



2、わが友に贈る

 人類の宝である
 未来部を育成する
 担当者に心から感謝!
 皆様こそ新時代の建設を
 支える大功労者だ。



3、名字の言  マンホールはなぜ丸いのか。完全な円と円周率。

 街で見掛けるマンホールは、なぜ丸いのか。ちゃんと理由があるそうだ▼もし四角形だったら、対角線の長さが一辺の長さより長いため、ちょっとふたをずらすと、重い鉄の塊が穴の中に落ちてしまう。他にも、工事中にコロコロと転がしやすいなど、円の特徴が生かされている▼生活の至る所に円形は見つかるが、どこまで正確な円になるかは、円周率を何桁まで使うかによる。宇宙の旅から帰還した小惑星探査機「はやぶさ」には、16桁の円周率がプログラムされた。仮に3桁の「3・14」だったら、軌道に15万キロの誤差が生じるという。指輪の工房では3桁、砲丸の工場では10桁、陸上競技場のトラックでは5桁の円周率を使っているそうだ(桜井進著『面白くて眠れなくなる数学』『面白くて眠れなくなる数学プレミアム』PHP研究所)▼完全無欠の円では、円周率は、小数点以下が無限に続く。円という有限のものが、円周率という無限を宿していることは、考えてみれば不思議だ。私たちの信じる妙法の「妙」とは「不思議」という意味であり、「円教」と説かれることを思い起こす▼命には限りがある。その有限の命が秘めた無限の可能性を引き出すのが、信行の実践。壮大な挑戦に生きる人生の幸福をかみしめる。(申)



4、寸鉄

★  SGIの力強く継続的な平和運動こそ宗教者の鑑―博士。人類貢献の潮流
      ◇
★ 青年よ、生命力を旺盛にせよ―恩師。世界広布は私から! この気概で挑戦
      ◇
★ 全国の受験生、頑張れ! 一日一日、自分に勝つ。努力と執念で栄冠つかめ
      ◇
★ 携帯電話、子どもの半数が所有と。巧妙な犯罪は身近に。危機意識高めよ
      ◇
★ 被災地の中学生、神戸で会議。「まさかの備え」が重要と。教訓は未来へ



5、羽ばたけ未来へ 英知を磨く創価学園 人格を育む寮・下宿

   東京都関西の創価中学・高校では、日本各地や海外から集った寮生(男子)・下宿生(女子)が鍛えの青春を送っている。ここでは、関西校「金星寮」の生活の様子と、東京校の下宿生「栄光会」の中心者・松尾優美さん(高校3年)の声を紹介する。

関西 金星寮の一日 多彩な個性の中で

 青々とした山に抱かれた関西創価中学・高校(大阪・交野市)。市街を見渡す小高い場所に金星寮は立つ。約130人が暮らす。
 1学期が終わりに近づいた7月のある朝、午前7時。
 「起床時間でーす!」
 静寂を破る放送。数人の生徒が「おはようございまーす!」と各部屋を回る。眠い目をこすり、寮生たちが出てきた。
 「金星の間」で集会。点呼を取り、体調不良者がいないかチェックする。一日の確認事項に「はい!」と返事が起る。最後には全員で寮の指針を暗唱した。
 「金星寮 この中より 日本の指導者が 世界の指導者が 合掌」
 「紳士たれ」
 創立者・池田名誉会長から贈られたものである。毎朝、自覚を新たにする。
 食堂で朝食。隣のビクトリー寮の高校野球部員もやってくる。栄養ある食事が育ち盛りを支える。
 そして制服に着替え、皆が玄関を出て行った。
 放課後──。
  クラブなど課外活動がない生徒は、夕食まで思い思いに過ごす。部屋で勉強や読書に励む姿。服を抱えて洗濯場へ向かう姿がある。ラウンジで科学誌を読んだり、チェスを楽しんだり。食堂からはギターやベースの音が聞こえる。
 午後7時ごろまでに入浴と夕食をすませ、掃除と夜の集会。やがて2時間の学習時間となり、寮はしんと静まりかえった。廊下には「金星寮 夏の陣」と題するグラフの掲示。この学習時間に加え、どれだけ学んだか競い合っている。
 その後は自由時間。部屋でペンを握り続ける受験生、ラウンジで家族に電話する生徒もいる。別の部屋では、クラブや趣味について話が弾む。
 多感な年ごろ。将来や人間関係など悩みもある。寮の仲間は相談相手であり、苦楽を分かち合う同志。「いろんな個性がぶつかるから、自分に向き合える。自分が変われるチャンスがある」という。寮は人格と友情育む場である。
 金星寮の中心者・西川剛君(高校3年)は「創立者の慈愛に包まれて寮生活を送る中、今は力を付ける時。皆で勉強やクラブなどに頑張り、他人のために行動できる人になっていきたい」と語る。
 就寝時間。明かりが消え、一日が終わる。こうして、かけがえのない3年間、6年間が刻まれていく。

生徒が語る「下宿」の魅力
心強い“姉妹”の絆  労苦が尊い財産に

 創価高校に合格し、住む下宿が決まった後、私の家に6通の手紙が来ました。
  「受験、頑張ったね」「待ってるね」・・・。
  私が入る下宿の先輩たち全員からの手紙でした。初めて親元を離れて、知人が誰もいない東京に行く不安の中、本当に心強かったです。
  入学当初は、なかなか下宿生活になれませんでした。いろんなルールがあり、実家みたいに自由にできないからです。でも、同じ部屋の先輩は毎日、「きょうは、どうだった?」と優しく気遣ってくれました。私を注意するときでさえ、「あなただったらできるから一緒に頑張ろうね」といってくれます。
 今、最高学年となり、私も先輩たちのように後輩を第一に考え、同じ目線に立って、皆を支えてあげたいです。
 高校時代から、身の回りのことを自分でやるというのは大変ですが、貴重な経験であり財産です。親のありがたさを身に染みて感じます。
 たくさんの励ましをくださる創立者、下宿主の方、支えてくださる皆さんに感謝の思いでいっぱいです。
 寝食を共にしながら24時間、創立者のもとで学ぶのが、下宿生「栄光会」の誇りです。学園のそれぞれの場所で輝く栄光会生に、いつも触発を受けています。“姉妹”の絆を強め、何があっても負けない青春を進んでいきます。



6、父子の詩 創立者と育む四季 【5】光る青春の汗
 

目標に向かって生き生きと

  小雨がやんだ東京・創価学園の第1グランド。黙々とタイヤを引いて走る生徒たちがいた。
  1989年(平成元年)7月16日、創立者・池田名誉会長が出席して、第22回「栄光祭」が行われた。
 終了後、創立者は小学校へ。隣接のグランドで走り込む姿が見える。自主練習中の高校サッカー部員だった。フェンス越しに声を掛ける。
 「すごいね。自分が得するね。丈夫になるからね」
 記念撮影を提案。横に並ぶ姿を見つめて「皆、いい体格だな」。汗まみれの部員に、清々しい笑顔が光る。
 栄光祭だけじゃなく自分たちの激励まで・・・。皆が決意を深め、都大会を躍進した。創立者のもと心身を鍛え抜く精神は、今に受け継がれる。

                                         ☆☆☆

 各クラブの活躍を喜ぶ創立者。「文武両道の伝統を胸に、皆がそれぞれの目標に向かって、晴れ晴れと生き生きと、自身の成長のために、愛するわが学園の栄光のために、にぎやかに奮闘している」
 この夏も数々の全国大会に出場。今月10日、「ディベート甲子園」の表彰式は歓声とどよめきが続いた。
 中学校の部・優勝、創価中学校。高校の部・優勝、創価高校。ベストディベーター賞は中学・高校の部とも学園生。ベストコミュニケーション賞は創価中と関西創価高校。次々と贈られる知の栄冠。
 創価高校「創価雄弁会」の部長は「正邪を見極め、民衆を守る人材になる──雄弁会は創立者との誓いを果たす場です」と熱を込めた。
 きょうも、学園生がクラブ活動に汗を流す。それぞれの決意を胸に秘めて。



7、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道59

 別海滞在三日目の十五日、山本伸一の熱は、いくらか下がっていた。
 この日は、午後一時前から、釧路圏と道東圏の支部長・婦人部長らが参加し、北海道幹部会が開催された。
 幹部会では、出来上がったばかりの、支部長・婦人部長バッジの授与式が行われた。全国で初めてとなる授与である。
 このバッジは、支部制発足の際に製作が発表されたもので、桜の花びらのなかに八葉の蓮華がかたどられていた。
 伸一は、全支部長・婦人部長待望のバッジを、風雪に耐えながら、求道の炎を燃やしてきた、日本本土の最東端の地で戦う凜々しきリーダーたちに、まず授与しようと、首脳幹部に提案。決定をみたものである。
 授与式の折、彼は自ら、代表の背広の襟にバッジをつけた。大拍手が起こった。
 伸一は、この極寒の地方で妙法を唱え、弘め、懸命に激励に走るわが同志に、地涌の菩薩の出現を実感していた。その瞳に、濁世を照らす尊貴なる仏の慈光を見る思いがした。
 伸一は、別海訪問初日、愛する友に、万感の思いを込めて歌を贈っている。  

 別海の 天地を走る 友ありき
      幸の風をば 共々おくらむ
 

 幹部会のあいさつで彼は、「我等が居住の山谷曠野皆皆常寂光の宝処なり」(御書七三四ページ)の御文を拝して訴えた。
 「どこであろうが、私たちが御本尊を持って、広宣流布のために活躍するところは、即常寂光の宝処であり、仏国土となるのであります。したがって環境がどうあれ、自分が今いるところこそ、人間革命、宿命転換の場所であり、仏道修行の道場なのであります。そして、そこが、幸福の実証を示していく舞台なんです。
 どうか、今いる場所で勝ってください。信頼の大樹に育ってください。それが、大仏法の正義の証明となるからです」



8、社説  個性を尊重し生かす時代 多様性が社会を豊かにする

  ――世界には、さまざまな種類の樹木や薬草が茂っている。それぞれに名前が違う。形も異なる。厚い雲が空を覆って大地に雨を降らせ、草木を潤す。草と木は、それぞれの性質に従って生長し、実をつけ、花を咲かせる。
 仏教経典には寓意に満ちた譬喩が数多く用いられている。
 中でも法華経は、「七譬」と呼ばれる七つの譬えがあり、教えが展開される。冒頭の話もその一つ。「薬草喩品」に説かれる「三草二木の譬え」である。
 教えを受ける人々の資質・能力は、もともと、大地の草木のように多様である。仏は、その多様性を十分に理解した上で、雨のように等しく慈悲を注ぎ、自分と同じ境涯に導く――このような趣旨だ。
 この譬えに言及した池田名誉会長は、「人間の多様性を認めるところから、仏の説法が出発している」点に着目する。「個性を愛し、個性を喜び、個性を生かそうとする――それが、仏の慈悲であり智慧です」と。
 人は皆、それぞれに違う。一人として全く同じ人はいない。だからこそ、その人でなくてはならない個性があり、魅力が光る。役割も生まれる。多様性が豊かさをもたらす。
 国や民族、個人の次元に至るまで、「違い」は「対立の因」として捉えられる場合も多い。だが「人間」「生命」という共通項に立てば、多様性と個性を尊重し合う「調和の因」にも転換できるはずだ。
 私たちの日常の活動においても、役割や経験、思いの強さ等は一人一人違う。互いに学び、補い合おうとする挑戦の中に人間的な成長はあるものだ。ゆえに、自分から進んで声を掛け、対話する。人から学び、人の魅力を見いだし、たたえる。そういう懐の深さを皆が持ちたい。
 創価の連帯は今、世界192カ国・地域に広がる。人種・言語・歴史・文化・風習等、それぞれに異なる人々が支え合い、生き生きと信仰活動に励む。その様子を、ある識者は「現代の奇跡」とも称賛する。発展を続ける欧州の青年リーダーが語っていた。「他者との違いを認め、一人一人の個性を生かし、人生をありのまま輝かせる仏法の哲学、つまり相手を否定しない生き方が共感を得ているのだと思います」
 多様性が調和する社会とは、一人一人の個性が豊かに彩る人間の花園ともいえる。個々の差異が社会を輝かせる「彩」となり、平和と共生を創り開く時代へ、創価の人間主義の道を快活に進みたい。



9、今日の発心  経王殿御返事 1124㌻ 

御書 此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)

通解 この曼荼羅(御本尊)をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。. 

【病気克服の体験で同志に激励を】

 唱題によって、どんな病にも負けない境涯を築けるとの慈愛の励ましです。

 35年前、職場の研修中に突然、体に激痛が走りました。診断の結果は「多発性関節リウマチ」。時を選ばず容赦なく襲ってくる痛みに、歩くこともできない日々が続きました。そんな時、女子部の先輩に教わったのが、この御文です。「あなたには、あなたにしかできない使命がある」――人生に絶望していた私の心に光が差し込みました。
 以来、真剣に唱題に挑戦しながら、痛みが和らいだ時は、学会活動に取り組んできました。発症から15年、子どもも産めないと言われていた私でしたが、2人の子宝に恵まれました。今では、元気いっぱい活動できる体になりました。信心を教えてくださった池田先生や同志の皆さま、両親、家族に感謝でいっぱいです。
 私の使命は、自身の体験を多くの人に語り、励ましを送ることだと確信しています。わが総区のスローガン「笑顔と和楽の此花区」を胸に、異体同心の団結で、和楽の人材城を築いてまいります。
大阪・此花総区婦人部長 堀部 春代



【社会の情勢】 

◆ 二次災害警戒捜査続く 死者39人、不明43人に 広島土砂災害
◆  振り込め詐欺の摘発者 未成年増加、2割越す  警察庁
◆ 人口減地域 雇用交付金配布へ 都道府県に300億円
◆  海洋ごみ回収、対策強化 環境省方針
◆ エボラ熱 医療関係者160人感染、80人超死亡

2014/8/23(土)の聖教

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2014/8/23(土)の聖教


1、アルゼンチン リオ・ガジェゴス市議会が全会一致で決定 SGI会長に最高賓客賞

人間主義の哲学を掲げ
平和・文化・教育に貢献 証書

 南米・アルゼンチン共和国のサンタ・クルス州にあるリオ・ガジェゴス市議会から、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長に「最高賓客証」が贈られた。人間主義の哲学を掲げ、世界の平和・文化・教育運動に尽力してきた功績を讃えるもの。授与式は8日、同市の国立南パタゴニア大学で行われた環境展示「希望の種子――持続可能性のビジョンと変革へのステップ」(SGIと地球憲章インタナショナルが企画・制作)の開幕式で挙行され、市議会のホルヘ・ガレカ副議長らが出席した。

 首都ブエノスアイレスから、広大な南米の国土を南下すること約2000キロ。南米大陸の南端に程近いリオ・ガジェゴス市はサンタ・クルス州の州都である。人口は9万5000人を数える。
 この地でもSGIの友は「良き市民」として、社会貢献活動を展開してきた。2010年には「核兵器廃絶への挑戦」展を開催し、共感と信頼を大きく広げた。このほか、同市と連携し、平和・文化・教育分野でのさまざまな取り組みを重ねている。
 今回のSGI会長への顕彰は、市議会の全会一致で可決した。決定に関わったガレカ副議長は語った。
 「わが市のSGIメンバーの存在が、決定の大きな要因でした。歓喜と希望あふれるメンバーの姿……。池田SGI会長がリードしてきた平和運動の偉大さを感じずにはいられなかったのです」
 グラッソ議長らが署名した「最高賓客証」の証書には、「(SGI会長は)人間主義の哲学を掲げ、平和・文化・教育へ絶大な貢献をされた」と記されている。
 国立南パタゴニア大学のホールで開催された授与式――。
 国立ブエノスアイレス大学や国立コルドバ大学で総長を務めた、池田大作国際平和研究センターのフランシスコ・デリッチ所長のほか、市議会議員や大学の教授ら多数の来賓が祝福に駆け付けた。
 ガレカ副議長から、アルゼンチンSGIの代表に、証書と記念盾などが託された。
 続いて、「希望の種子」展のテープカットが行われた。
 観賞した大学関係者からは、「ぜひ一人でも多くの学生に足を運んでほしい」「環境問題とその解決策への深い理解を促す展示」といった共感の声が寄せられた。同展は明24日まで開かれる。



2、わが友に贈る

 伸びゆく若き力こそ
 未来の勝利の光だ。
 行学錬磨に励む
 男女青年部の成長を
 全力で応援しよう!



3、名字の言  エジソンの活躍は、息子を信じ抜いた母ナンシーなくして考えられない

  東京富士美術館の「発明王エジソン展」が、家族連れでにぎわっている(今月31日まで)▼エジソンは1300もの発明をしたが、それをはるかに上回る失敗をした。だが、彼は失敗を恐れなかった。電球の発明に取り組んだ時のこと。1万回もの失敗に驚く友人に、「オレは一回も失敗なんかしてないよ。うまくゆかない方法を一万も見つけたんだ」(ヘンリー幸田著『天才エジソンの秘密』講談社)と。失敗にくよくよせず、意味を見いだそうとする姿勢が成功を生んだ▼彼の人生自体が、幼少から“失敗”続き。小学校を3カ月しか通わず、その期間すら、教師から心ない言葉を浴びせられた。彼の活躍は、息子を信じ抜いた母ナンシーなくして考えられない。母は言った。「いい子になったら、言うことを聞いたらというような条件をつけたことはありません。ありのままのトーマスを愛しました」(同)▼池田名誉会長は「家庭は、子どもを守り、正しく育んでいく『安心の港』」と語る。家族や周囲の「信じ抜く」関わりがあって、子どもは可能性の帆を広げ、大海へこぎ出せる▼エジソンの発明への情熱は、それを育んだ人の愛情の強さの表れでもある。目を輝かせて展示を見つめる親子の姿に、発明王と母の絆が重なった。(由)



4、寸鉄

◆  会長の哲理は社会の幸福に尽くす全体人間育む―識者。尊き貢献の人生を
      ◇
◆ 全国で楽しくファミリー大会。未来部は皆、大使命の友。「創価家族」一体で
      ◇
◆ 偉大な理想に忠実たれ。そこに自由と幸福あり―文豪。誓願の人に栄冠!
      ◇
◆ 夏の火災に注意。冷房器具の長期使用や線香が原因と。賢明に夏を越えよ
      ◇
◆ ネットで使う暗証番号、安全のためには8文字以上が必須。自らの責任で



5、人類的課題へ英知を結集 創立18周年を迎えた戸田記念国際平和研究所

  今年で創立18周年を迎えた戸田記念国際平和研究所。「地球民族主義」や「原水爆禁止宣言」などの戸田第2代会長の平和思想を原点に、人類が直面する諸課題の解決を目指し、平和研究のネットワークを広げてきた。ここでは、トルコ・イスタンブールでの上級研究員会議(8、9日に開催)で討議された研究プロジェクトの成果と今後の取り組みとともに、オリビエ・ウルバン所長が勧める「池田SGI会長の平和哲学」に関する研究プロ時得句とについて紹介する。

◆ 非核地帯創設に向けた信頼醸成 クレメンツ総合所長
◆ 紛争予防と国連の役割 バビット上級研究員
◆ アラブ地域の平和と民主化 ルードガルド上級研究員
◆ 東アジアの若いと非暴力 チャイワット上級研究員


◇ 池田SGI会長の平和哲学に関する研究  ウルバン所長

  2008年に戸田平和研究所の第2代所長に就任して以来、オリビエ・ウルバン所長が「平和と芸術」の研究プロジェクトとともに取り組んできたのが、「池田SGI会長の平和哲学」に関する研究である。
 2009年11月の東京での会議や、2010年2月のチュニジアでの国際会議などで研究発表を行う中、同年3月に『池田大作平和哲学──対話・変革・地球市民』と題する研究書籍を発刊した。
 SGI会長の平和哲学について、「内なる変革」「対話」「地球的視野に立った市民意識」の観点から体系化を試みたもので、世界平和アカデミーのフィシャー所長から、「この研究書は、他の思想家と比較しながら、平和の哲学への池田氏の貢献を解説するもので、我々を、戦争と悲惨のない地球文明へと進ませるものである」との評価が寄せられている。
  またウルバン所長は、SGI会長が1983年以来、毎年発表を続けてきた平和提言の内容をまとめた『新しき人類社会と国連の使命──池田大作 平和提言選集』の編さんに取り組み、日本語版が昨年11月に、英語版が今年2月に発刊。2月にニューヨークの国連本部で行われた出版記念シンポジウムで国連関係者らを前に同書の意義を語った。
 現在は、SGI会長が世界平和のために重ねてきた対話に関する研究を進めており、6月にはロンドンで行われた学術会議で、「行動する仏教──池田大作の哲学と対話の実戦」とのテーマで発表を。
 その内容に対し、「池田会長によって達成された日本と中国の友好理解に続き、“草の根交流”の思想を、他の国々の間にも適用していくことは大変に有益である」(英ブラッドフォード大学のオリバー・ラムズポサム名誉教授)との声が寄せられている。



6、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道60

  幹部会に引き続いて、北海道研修道場の広場で、「燎原友好の集い」が行われた。空は晴れ、鮮やかな緑の光彩が目に染みた。
 合唱あり、勇壮な空手の演武あり、民謡踊りあり、和太鼓の演奏あり、野点ありの、楽しいひと時となった。
 山本伸一は、終始、皆の輪の中に入り、対話を重ねた。婦人部の合唱団の名前をつけてほしいと頼まれれば、「白夜合唱団」と命名。さらに、皆が喜んでくれるならと、自らピアノを演奏した。また、参加者が釧路から貸切バスを連ねて来たことを知ると、運転手の労をねぎらい、野点の席に招くのであった。
 伸一は、多くの参加者と、直接、語り合い、握手し、共にカメラに納まった。
 “全員に、忘れ得ぬ思い出をつくってもらいたい。発心の原点としてもらいたい”と、一期一会の思いで奮闘したのである。
 そして、峯子と一緒に、バスを見送った。
 「ご苦労様! お元気で! 必ずまた、別海にまいります」
 参加者は、「先生! 先生!」と、口々に叫びながら、腕もちぎれんばかりに手を振るのであった。彼もまた、最後のバスが見えなくなるまで、盛んに手を振り続けた。
 この夜、伸一は、標津町の学会員が営む食堂に足を運び、地元のメンバーと懇談した。
 その折、一人の壮年が、懸命に訴えた。
 「先生、お願いがあります! 私は、こうして先生にお目にかかることができましたが、まだまだ、お会いできない人が、たくさんおります。どうか、そういう人たちが、お会いできる機会を設けてください」
 「わかりました。それは、私の望みでもあります。明日、札幌に戻りますので、出発前に勤行会を行うことにしましょう。正午に研修道場へ来ることができる方は、全員、お呼びください」
 ビクトル・ユゴーは叫んだ。
 「黙ってはならない、疲れてはならない、止ってはならない」(注)――力の限り、語り、動き、戦い続ける。そこに、広布の前進もある。

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■引用文献
 注 「追放」(『ユーゴー全集第九巻』所収)神津道一訳、ユーゴー全集刊行会=現代表記に改めた。



7、教学研鑽の伝統 「行学の二道」に励む 鍛錬の日々

  創価学会は教学研鑽を原動力に発展してきました。その取り組みの一環として、今秋、「教学部初級試験・青年部教学試験3級」「教学部任用試験」が行われます。ここでは池田名誉会長の指導を紹介し、学会の伝統として継承されている教学研鑽に望む姿勢について確認します。

日蓮仏法の生命哲学を 信心の骨格に

 ──御書を拝読する場合は、まず“真実、真実、全くその通りでございます”との深い思いで、すなわち、信心で拝し、信心で求め、信心で受け止めていこうとすることが大事です。(『新・人間革命』第6巻「若鷲」)

「信」をもって拝する

  信心を深めるために教学はあります。物事を信心の眼で捉えられるようになることが教学研鑽の目的です。
  そのために、まずは御書の一節一節を、「その通りである」と信じ、読んでいくことが大事です。法華経に登場する釈尊の弟子、智慧第一といわれた舎利弗ですら、知識や知能によって仏法を理解したのではなく、信心によって解脱しました。「仏法の根本は信を以て源とす」(1244㌻)です。
  仏法には「無疑曰信」という言葉があります。「疑い無きを信と曰う」と読み下し、“心の中に疑いがない状態を信という”との意味です。日蓮大聖人は無疑曰信の重要性を説かれました。
 「無疑──疑いがない」は「不疑=疑わない」とは異なります。仏法は、信心を求めるゆえの疑いを否定しません。むしろ、より深く知りたいと疑問を持つことは、信の深まりへのステップになります。
 その上で、はじめは分からなかったことが、生命の実感として分かるようになること、「疑いがない」状態になっていくことが「無疑」です。
 もとより、疑いといっても、信を深めるためのものですから、いろいろなことがあっても、信ずる心を奮い起こしていこうとの努力が大切なのはいうまでもありません。
  御書は、信の重要性を強調する御指南に満ちています。
 教学を、無疑曰信の信心の糧にしていきましょう。

   ──日蓮大聖人の仏法は、「人間」を最高に強く賢くし、「心」を豊かに鍛え上げる「生命変革の哲理」です。御書の一文字一文字は、人間の根源の力を引き出すための仏の金文字です。御書の一編一編に、「わが弟子を、民衆の一人ひとりを、何としても、勝たせずにおくものか!」との御本仏の御慈愛の叫びが轟き渡っています(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻「佐渡御書」)

一文一句を大切に

  戸田第2代会長は御書の「発刊の辞」に、次のように記しています。
 「純真強盛な信心に基き、行学の二道を励むと共に如説の折伏行に邁進して来たが、剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」
  剣豪が技を磨くような真剣勝負の姿勢で御書拝読に臨むこと、それが創価学会の伝統です。決して緩慢な姿勢で御書の本文に接してはなりません。御本仏のお言葉の一文一句をもないがしろにしない──。その心が、自身を鍛錬します。
 御書には、「法華経の文字は一字一字が全て仏です。しかし、私たちの肉眼には、ただの文字と見えるのです」(1025㌻、趣意)とあります。
 日蓮大聖人が法華経の一文字一文字を大切にされたお心が拝されます。
 また、大聖人はこうも述べられています。
 「此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし」(1448㌻)
  ここでは、果てしなく続く苦悩を「生死の大会」と譬えられています。仏の言葉を一文一句でも身読すれば、苦しみの境遇を乗り越えることができると教えられているのです。
  御書の一編、一節、一句、一文字を抱きしめて、広布の実践に打って出ていきましょう。

──大聖人の御書のどこか一節を、自らのものとして体得し、実証し、確信できた人は強い。(中略)
 どの御書の一節でも良い。悩みと格闘し困難と戦いながら、深く心に刻み、祈り、身で読み切っていく──これが、創価学会の「実践の教学」の真髄です。(『希望の経典『御書に学ぶ』第2巻「妙一尼御前御消息」)

実践のなかで体得

  創価学会は「実践の教学」で広布を伸展させてきました。御書は、身口意の三業で拝していくことが重要です。すなわち、御書の仰せの通りに生き抜こうと決意し、人にも語り、実践し抜いていく──。理念と実践は一体でなければなりません。
 法華経には、末法の法華経の行者が「及加刀杖」(刀や杖で打たれる)、「悪口罵り」(悪口を言われ。罵られる)、「数数見ひん出」(権力によって何度も追放される)などの難を受けると説かれています。
 これら経文の通りに日蓮大聖人は迫害を受けられました。それゆえ、大聖人は仰せです。
 「ただ日蓮一人がこれらを読んだのである」(203㌻、趣意)
  つまり、大聖人が法華経を身をもって読まれた、ということです。“身をもって読む”ことを「身読」ともいいます。 身読とは、ひとごととして、また昔話としてではなく、自分のこと、現在のこととして御書を拝し、わが人生の闘争に立ち向かうことです。「この仰せの通りだ」「この御文は今の自分に頂いたものだ」と深く生命に刻み、強盛な信心で、新たな広布の戦いを起こしていくことです。
 大聖人のごとく、法華経の精神を実践する中で体得すること。それが、一生成仏を実現する直道です。                                  

  ──研鑽に当たっては、ぜひ、「直接、御書を繙く」ことを心掛け手ほしい。講義録や解説などは、あくまで補助にすぎない。御書の本文を読まずに、「分かったつもり」になることが一番怖い。
 少々苦労しても、王道を行くことだ。直接、御所と格闘する刻苦奮闘こそが、信心の合格者への大道である。(2005年10月13日付、「随筆人間世紀の光」〈牧口先生の御書〉)

御文に直接触れる

  教学試験の受験者に対する池田名誉会長の指導です。この前後で名誉会長は、牧口初代会長が使用していた「御書」に書き込まれた研鑽の“証し”を紹介されています。
 「ぼろぼろになった表紙を開くと、それこそページを繰るごとに、朱線や鉛筆の書き込みが目に飛び込んでくる。二重線もあれば、傍点もある。重要な一節が四角く囲まれている。複数のペンの書き込みがあったり、難解な御文の余白に『検討』『再検討』と記されたページもある。何度も、何度も研鑽されたことがうかがえる。(中略)『行者とは何ぞや』『折伏』『大願』『諸難』『現罰の有無』等の書き込みが、連祖の御精神に肉薄せんと格闘するかのようにひしめいていた」
 牧口会長が、御書の本文に体当たりで臨んでいたことがうかがえます。
  日興上人は「わが門流においては、御書を心肝に染め、極理を師から受け伝えて、そのうえで、もしも暇があるならば、天台の法門を学ぶべきである」(1068㌻、通解)と書かれました。
 天台の法門とは、天台大師が法華経を解説したものですが、あくまで御書根本に進むこと。つまり、日蓮大聖人の仰せの通りに実践していく中で、御書を心肝に染めていくこと、それが広宣流布の正道です。
 御書の本文を拝読し、大聖人の魂に触れ、それによって信心を奮い立たせていきましょう。



【社会の情勢】 

◆ 今夏の大雨を「平成26年の豪雨」と命名 気象庁
◆  宅配便、再配達抑制へ CO2削減で対策検討 国交省
◆ 書店の雑貨売り場進化 改装で洗練、ネットに大功
◆  二輪車の復活へ総力 若者離れに歯止め 自治体やメーカー


2014/8/24(日)の聖教

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2014/8/24(日)の聖教


1、フィリピン 名門イースト大学が決定 池田大作SGI会長に名誉人文学博士号

   きょう8月24日、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長の入信67周年を迎えた。全民衆の幸福を願い、不断の闘争へと出立した原点の日である。同志の連帯は今や、192カ国・地域に広がり、その人間主義の大運動をリードするSGI会長の行動に、讃嘆はやまない。このほど、SGI会長の長年にわたる平和貢献を讃え、フィリピン共和国の名門イースト大学から、「名誉人文学博士号」の授与が決定した。同大学理事会の席上、満場一致で決議され、エスター・A・ガルシア総長の自筆署名が記された決定通知が届けられた。

2、わが友に贈る

 大境涯を開く信心だ。
 行学の二道に徹すれば
 全てに感謝できる自分
 負けない自分に変わる。
 人間革命の大道を進め!

3、名字の言   師匠が「針」、弟子は「糸」と、池田名誉会長は語った。針は着物ができれば不要になる。後に残った糸に価値がある。

  将棋の世界では、弟子が師匠と対局して勝つことを「恩返し」という。弟子が師匠を超えていくことは何よりの“孝行”であろう▼“自分以上の人材に!”は、学会の後継者育成の合言葉。この夏、創価ファミリー大会をはじめ、工夫を凝らした取り組みが各地で行われている▼三重では、「未来っ子わくわく広場」が盛況だ。幼児から少年少女部までの子をもつ家族が参加し、牛乳パックを使った工作や手遊び、ダンスなど、“親子一体”の企画に挑戦。参加した未入会の父が、わが子の笑顔や学会員の温かい振る舞いに心を打たれ、入会を希望するエピソードも▼「どうしたら小学校1年の息子が学会を好きになりますか?」。きっかけは、ある夫妻からの教育部員への相談だった。“それなら、会館で親子の思い出をつくってみてはどうでしょう”。教育部員がアイデアを出し合い、集いを企画した。楽しい時間に満足し、「学会っていいところだね!」と、瞳を輝かせる子が増えた▼師匠が「針」、弟子は「糸」と、池田名誉会長は語った。針は着物ができれば不要になる。後に残った糸に価値がある。私は、糸を残すための針になる――と。若き友が、平和と幸福の社会を織り成すことを信じつつ、師と同じ心で育成に取り組もう。(靖)



4、寸鉄

★   名誉会長の入信記念日を世界が慶祝。妙法流布の激闘に感謝。弟子よ続け
      ◇
★ きょう壮年部の日。一家・社会の頼もしき黄金柱。わが誓いの道を堂々前進
      ◇
★ 「日蓮さきがけしたり」幹部は一人立つ勇者に! 率先垂範こそ学会精神だ
      ◇
★ 在宅介護、3割が「続けられない」と。希望の幸齢社会へ!公明よ対策急げ
      ◇
★ 各地で甚大な豪雨被害。被災した皆様に心からお見舞い。引き続き警戒を



5、座談会 希望大陸の広布を語る 新世紀の一番星 コートジボワール

 2996人の友に御本尊が授与された「5・3」記念総会の模様や、女性の活躍が話題になった、7月度SGI研修会の参加者による“コートジボワール座談会”(17日付)。今回は、研修会の感動や、“信仰体験の力”などについて語り合う

勝利の喜びも闘いの労苦もなんでも語る! 体験こそ力なり 

   ――地涌のスクラムを勢いよく広げるコートジボワールSGIは、今や、アフリカのみならず、世界広布新時代の“一番星”ですね。

 ギギ支部長  ありがとうございます! 私たち自身も、わが国の広布の進展を強く実感しています。実は私は、3回もの仏法との“出会い”によって、入会することができたんです。

 ビオプル婦人部本部長  はじめて伺いました。どういうことでしょうか?

 ギギ支部長 最初は22歳の頃です。学生寮の隣の部屋に住む友人が、凛とした姿で唱題しているのを見て、直感的に「私もやってみたい」と思ったんです。しかし間もなく、寮が離れ離れになり、実践することはできませんでした。2度目の出会いは大学卒業後です。別の友人から折伏を受けましたが、当時は仕事もなく、心がすさんでおり、聞く耳を持ちませんでした。
 さらに6年後、難関の試験に挑戦していた時のこと。親戚から渡された仏法の書籍に、「生命の永遠性」について記されており、夢中で読み進めました。わが国には根さまざまな土着の宗教がありますが、どれも呪術的な“まじない”のようなものです。人間の生き方や生命の根源的なあり方を教えるようなものではありません。私は、この仏法に、真の幸福の道があると確信しました。3度目の出会いによって、信心を始めることができたんです。

あなたの結果を見て決めるわ!

 ――そんなに多くの仏縁が身近にあるとは! コートジボワール社会における、創価の連帯の広がりを感じますね。

 ギギ支部長  もう少し、よろしいでしょうか。私の妻は、もともと、キリスト教徒でした。「1緒に信心しよう」といっても、「あなたの祈りの結果を見てから決めるわ!」と、とても理にかなった一言(笑い)。
  こうなれば自分の姿で示すしかないと、1日に時間の唱題を軸に猛勉強。実に10度目の受験で、最難関の国立行政学院の試験に合格することができました。そして、感謝の題目を唱えていると、背後から静かに唱和する声が聞こえてきました。合格までの一部始終を間近で見ていた妻が、何も言わずに、一緒に手を合わせていたのです。その姿を見て、胸に熱いものが込み上げました。

 コフィ総合本部青年部長  まさに“体験こそ力”ですね。私たち青年部も、自分自身が実証を示して、その信仰体験を自信満々に語っていこうと約し合っています。皆、座談会などで、戦いの労苦から勝利の喜びまで、全てを包み隠さず語り、そこから共感のうねりを広げています。“体験に勝る力なし”ということを、メンバーは実戦の中で感じているんです。

 ンゲッサン総合本部長  私にも根かけがえのない体験があります。1999年12月、一家に宿命の嵐が吹き荒れました。一人息子が、遺伝性の重い病気を発症したのです。全身に痛みが走り、常に貧血状態。走ることもできません。「息子さんは長く生きられないでしょう」との医師の宣告が、冷たく刺さりました。唯一の光であった信心を抱きしめるように、家族一丸となって唱題に力を込めました。
 その後、さまざまな人が諸天善神となって、優れた治療を受けられる環境が整い、良い薬も手に入ったのです。今では、走ったり、自転車に乗ったりできるように。まだまだ医療技術が発展途上のわが国において、本当に福運に恵まれた出来事でした。

 ビオプル婦人部本部長  機関誌に掲載される体験談も、皆の信心の糧になっていますね。今回のSGI研修会で訪れた東京・立川の同志の体験談からも、大きな勇気をもらいました。

創大生の歓迎に 創立者の心感じた

同志を迎える真心に感動

――今回の交歓会は、立川文化会館での交流座談会をはじめ、教学の研修会、それに創価大学・創価学園の訪問等、とても充実したものでしたね。

 ンゲッサン総合本部長 私は高校の教師をしていますので、創価教育の現場を見ることができ、特に感動しました。わが国の子どもたちに多大な影響をあたえるのはテレビや映画などで、尊敬できる人が身近に存在しないのが実情です。「こんな人になりたい」「あの人が指示した道に進もう」と思える、模範の人物が近くにいないのです。
 しかし、創価の学舎には、素晴らしい仲間、人間性豊かな教師陣、そして、最高の創立者がいます。私は今回、自分自身が、子どもたちにとっての良き「教育環境」になっていかねばならないと痛感しました。“子どもの幸福”に尽くせる教育者に、必ずなっていこうと固く決意しました。

 ビオプル婦人部本部長 習いたてのフランス語で一生懸命話し掛けようとする、生徒や学生たちのけなげな姿に感涙しました。その振る舞いや言葉に、歓待の真心や、世界に貢献できる人に成長しようという情熱が満ちており、一人一人の中に、“創立者の心”が脈打っていることを感じました。
 また、立川文化会館などでお会いした皆さまも、少しでも心を結び合おう、信心の息吹を伝えようとしてくださり、“同志を迎えるとは、こういうことなのか”と感銘しました。こうした姿を通して、私たちは確かに、池田先生の心を感じ、原点を築くことができたと確信しています。

一人一人の友を最大に大切に!

 リ支部長  同志の皆さま交流する中で、「当起遠迎当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」を実践する尊き心を教えてもらいました。私はありがたくも、今回が5度目のSGI研修会への参加になりますが、2009年秋の出会いを思い出しました。
 第1回は全国青年部幹部会に参加した時のことです。池田先生はスピーチの途中、私たちを壇上に呼んでくださり、「遠くから来てくれて、本当にありがとう」と、立ち上がって、胸に手を当て、旧知の友を迎えるように励ましてくださったのです。まさに、「当起遠迎当如敬仏」の精神を自ら示しておられました。

 コフィ総合本部青年部長  池田先生は今回の研修会で、私たち参加者に「一人一人の友を最大に大切にしながら、仲良く朗らかに、大いなる希望と幸福の大道を勝ち開いてください」とメッセージを贈ってくださいました。
 一人一人を最大に大切に――端的な一言ですが、これが世界広布の新時代を切り開く食堂であると、命に深く刻みました。そして、今回出会った同志の皆さまの姿を通して、そのことの大切さを教えていただいたように感じます。

 ビオプル婦人部本部長 これまでアフリカでは、SGI研修会で池田先生との原点を築いたメンバーが、祖国の友にその感動を何度も何度も語り、大きく希望を広げてきました。私たちもこれからが勝負です。自分自身が率先して動き、一人の青年に、一人の悩める友に、力の限り励ましを送ってまいります。

 リ支部長  どこまでも池田先生と共に、平和と幸福の「アフリカの世紀」を開いていこう! イタイドウシン(異体同心)で!  ピクトワール(勝利)を!(完)



6、社説   生き生きと! 広布と社会の柱に きょう24日「壮年部の日」

   「ここ一番 頼りになるのは 壮年部」「薫風起こし 走り止まらぬ 壮年部」――本紙の「新・生き生き川柳」に寄せられた句である。ともに、いぶし銀の存在感が光る壮年への称賛といえよう。
 きょう8月24日は「壮年部の日」(1976年制定)。そして、池田名誉会長の入信記念日である。
 名誉会長は、昨年の8月24日付の本紙「随筆 我らの勝利の大道」に記している。
 「私は、あの『八・二四』の『誓い』を原点として、ただただ師匠・戸田先生に喜んでいただきたい一心で広布に生き抜いてきた。『壮年部の日』を、学会として、この日に定めたのも、わが盟友たる壮年部には、私と同じ心で断固と進んでほしかったからである」
 「わが盟友」「私と同じ心で」との呼び掛けに、“広布と社会の柱”と頼む壮年への限りない期待と信頼の深さが、うかがえる。
 厳しい社会情勢の中、歯を食いしばり、仕事と学会活動の両立に、懸命に取り組む壮年がいる。さらに、「地域のために」と誠実第一に力を尽くす壮年がいる。いずれも頼もしき“黄金柱”の存在だ。
 埼玉県のある壮年メンバーは、長年にわたり地域の役員を担ってきた。その傍ら、パトロール隊を立ち上げ、地元の安全・安心づくりに尽力。周囲の協力を得て、これまでに内閣総理大臣表彰をはじめ幾度となく顕彰され、同じ活動に取り組む人々のモデルとされる隊にまで発展させた。その壮年いわく、「学会で学んだことが、全て生きてくる」。
 小説『新・人間革命』には、次のように綴られている。
 「壮年部の方々は、社会人として力ある存在になっていただきたい。周囲から『さすがに信心している人は立派である』と言われ、信頼を勝ち取っていくことが、広宣流布なんです」(「正義」の章)
 信心を根本として、その力を社会のあらゆる局面で発揮していく。そのことが、いよいよ求められている。
 もちろん、置かれた状況は一人一人違うであろう。しかし、大切なことは「随力弘通」である。それぞれが、目の前の課題に対し、常に力を尽くしていく。その着実な前進の先に、新たな未来が開かれ、広布の伸展があることを忘れまい。
 意義深き師弟の記念日である「壮年部の日」から、新たな決意で出発をしていきたい。



7、きょうの発心   陰徳陽報御書、1178ページ

御書 陰徳あれば陽報あり(陰徳陽報御書、1178ページ・編1097ページ)

通解 陰徳があるならば、陽報がある。 . 

【苦難を転重軽受で乗り越え】

 人知れず善行を行えば、必ず善い報いを受けることができる、と教えられた一節です。

 1969年(昭和44年)、夏季講習会で、男子部が野外大集会を開催。終了後、池田先生は丘の上から手を振って「いつまでもお元気で」と何回も呼び掛けてくださいました。私は、思わず涙を流し、生涯、先生と共に広布に生き抜くことを誓いました。
 男子部時代、この御金言を胸に、仕事と学会活動の両立に挑戦。時には寝る間も惜しんで働いたこともありましたが、全て良き思い出になっています。
 30歳から聖教新聞の販売店主に。33年間、配達員の皆さまと苦楽を共にしてきました。その間、水腎症による右腎臓の摘出手術や、大きな交通事故に遭遇するなど、数多くの苦難を転重軽受し、乗り越えてきました。
 3人の子どもは皆、創価の学舎を卒業。現在、長女はヤング・ミセス県委員長として、長男は中国語を生かして会社で、そして次女は小学校の教員として、それぞれ後継の道を歩んでいます。
 今年は、富山研修道場(当時)に先生をお迎えした84年8月25日から30周年です。大仏法に巡り合えた感謝を忘れず、創立100周年を目指し、師弟共戦の誓いを果たしてまいります。
富山創価県総合長 山本 久信



8、親が子に語る物語 ハトをたすけたおうさま 命の本当の重さを知る人に

【おうちの方へ】

今回の「親が子に語る物語」で取り上げた「尸毘王」は、インドに生まれた釈尊の過去世の姿です。
 「大荘厳論」巻12や「菩薩本生髪論」巻1などに説かれています。
 帝釈天と毘沙門天は、タカとハトに化身して、尸毘王が菩薩として精進し、本当に仏道を求めているかを試そうとします。それとは知らずに王は、懐に逃げ込んだハトを助けるために、自らの身を差し出してハトを助けました。
 この尸毘王の不惜身命の行動については、仏教遺跡や仏塔などに刻画され、広く知られています。
  私たちは、あらゆる弱者や生き物を守る「勇気」の大切さを、子どもたちに訴えていきましょう。



【社会の情勢】
 

◆ 国立公園「おもてなし」 東京五輪へ外国人対応 環境省
◆  「老後の生活」健康や収入見通しなどで不安感じる  内閣調査室
◆ ゲリラ豪雨予測強化へ 研究機関と連携し技術開発へ 政府
◆  ボランティアも終結 懸命の捜索 死者49名、不明41名 広島土砂災害
◆ 8月25日は「交番の日」 設置140年 地域住民と対話増やす 警視庁
◆ 校舎の活用を徹底  安全重視、別施設は送迎支援 厚労省方針

2014/8/25(月)の聖教

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2014/8/25(月)の聖教


1、札幌中央文化会館内に誕生 北海道文化センター

   北海道・札幌中央文化会館内に24日、「北海道文化センター」がオープンした。
 同センターは、池田名誉会長の平和行動を中心に、牧口・戸田両会長の足跡などを、貴重な品々とパネルで紹介する。創価の平和・文化・教育の思想や運動を、社会に発信する拠点になる。
 オープニングセレモニーでは、展示や施設を参加者に紹介。日下北海道長、池田副理事長があいさつした。
                         

 同センターの一般公開は9月1日(月)から。午前10時に開館し、平日は午後4時まで。土・日・祝日は、同8時まで。水曜日休館。



2、今週のことば

 「異体同心なれば
 万事を成じ」
 団結こそ希望の力だ。
 和楽の座談会から
 皆が勝利へスタートを!



3、名字の言 「もう」と諦めた瞬間、“負け”が決まる。「まだ」と立ち向かい続ける限り、勝負は続く。

  幼い兄弟がゲームをしている。覚えたての弟は、兄になかなか勝てない。この一戦も敗色濃厚。その表情から、「ああ、もうだめだ」と弟が言うかと兄は想像したが、実際、口にした言葉は意外だった。「ああ、まだだめだ」▼文字にすれば、「もう」と「まだ」のわずかな違いだが、思いは正反対だ。弟は全く諦めていない。負けん気をむき出しに、再戦に挑んだ弟が、ついに勝った。大喜びする弟に、兄もほほ笑んだ▼30年前の福島青年平和文化祭。男子部2000人の組み体操は、難易度の極めて高い、5段円塔ブリッジに挑戦した。本番1週間前の練習でも失敗続きだった。その時、男子部のリーダーが叫んだ。「全員が必死に練習を積み、きょうも、あらん限りの力を出して臨んだ。それでも失敗した。いよいよ、ここからが本当の勝負だ」▼友は不安や焦りをたたき出す祈りを重ね、一日一日を大切に心身を鍛えた。当日、5段円塔ブリッジは見事、成功した。友の心にも勝利の金字塔が打ち立てられた▼人生には必ず、歯を食いしばるしかない、苦しい上り坂の時がある。「もう」と諦めた瞬間、“負け”が決まる。「まだ」と立ち向かい続ける限り、勝負は続く。「決して諦めない勇気」。それを磨くための信心である。(城)



4、寸鉄

★  下半期の勝利へ列島各地で出発。新しき時代開く広布のドラマをここから
      ◇
★ 埼玉が励まし月間。地道な激励が団結の要。模範のスクラムで拡大に先駆
      ◇
★ 学会の目的は人類のために若い人を育てること―恩師。後継の育成に総力
      ◇
★ 達成する目標がないことは人生の悲劇―教育者。課題を明確に挑戦の一歩
      ◇
★ 携帯の電池切れで孤独を感じる人多しと。会って語る。絆結ぶ王道忘るな



5、名誉会長と共に 新時代を開く【31】  未来部は皆が希望の一番星

  広島はじめ京都、兵庫など各地の甚大な豪雨被害に、重ねてお見舞い申し上げます。救援・復旧作業が進み、一日も早く安穏な生活となられますよう念願しております。
  今こそ「変毒為薬」の法理を胸に、励まし合い、支え合って、一切を乗り越えゆかれんことを祈念してやみません。

                            *   *
〈未来部の友へ〉

  晴れた夏の夜空には天の川が広がり、無数の星々がきらめいています。人間も、一人一人が自分にしかない輝きを持っています。
  私が対談したブラジルの天文学者、ロナウド・モウラン博士は、「暗い時。苦しい時ほど、私たちの生命を、より輝かせるように努めていこう!」と呼び掛けていました。
 わが未来部は一人ももれなく、輝きわたる希望の一番星です。日蓮大聖人は、御本尊に真剣に南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むことが生命を磨くことになると教えられています(384㌻)
  題目は「負けじ魂」の源泉であり、勝利への最大の力です。
  若き日に、いろんなことに挑み、たとえ失敗しても、そこから立ち上がって、次の価値を創造していく。この不屈の挑戦が、「何でもこい!」という大きな自信となり、自分にしかない一番星の輝きとなります。今がその新たなスタートです。

                            *   *

  皆さんの成長こそ、わが創価家族の最大の希望です。
 私も、毎日、皆さん一人一人と、固く心の握手を交わし、一緒に青春の歌を歌いながら、全てを見守っています。
 どうか健康第一で! 絶対無事故で! 新時代の大指導者である君たちよ、友情のスクラムも朗らかに、生命の勝利の光で世界を、未来を照らしゆけ!



6、創大讃歌  創立者と築く学城 第5回  生涯学習の喜び

「学の光」で社会を照らせ」

  八王子の夏は暑い。
 強い日差しに木々の葉が照り映える8月上旬の創価大学。前期の授業は7月で終わり、夏休みに入っている。だが、あちこちに人影が多い。
 額に汗を浮かべ、駆け上がるように坂道を上る若者。学生ホールの前で談笑する婦人たち。つえを突きながら一歩ずつ踏みしめて歩く老紳士。全て創価大学生である。
 行われていたのは、通信教育部の夏期スクーリング。全国から約2700人、海外16カ国・地域からも52人の通教生が集った。
 宮城県に住む10代の女性。「スクーリングは、全世界の人々と触れ合える貴重な時間。猛暑に負けず勉学と友情の思い出を築きたい」
 兵庫県から参加した70代の婦人。「孫に負けずに勉強しないと。生涯青春やからね」と笑顔で。
 通信教育部は、本年度から新しいカリキュラムを採用。より質の高い教育を目指す。
 専任の教員が、正科生の学習相談に乗る「アカデミック・アドバイザー制度」。夏期スクーリング時の「レポート作成特別講義」。各地で実施する科目試験終了後の「学習相談会」。サポート体制が充実する。
  各科目の基礎を自宅にいながらDVDで学べる「メディア授業」の取り組みに、他大学の関係者が関心を寄せる。
 「『学生第一』の精神で、教職員が心を合わせて運営する創価大学でしか成し得ない」と。

もう一つの使命

 「5月16日は、重大な歴史の日となりました!」
 中央体育館にこだまする力強い創立者・池田名誉会長の声。
 1976年(昭和51年)5月16日、通信教育部の開学式が行われた。
 壇上に創立者の姿はない。通教生を何とか励ましたいとの思いで、テープにスピーチを録音して届けたのであった。
 ――「歴史の日」とまで呼んだ通教の開設は、創立者の悲願。創大が開学した71年、識者にこう語っている。
 「戦争で貧しかった国民の多くは、大学にはとてもいけなかった」「もう一度、勉強したいという高年の方に入学の機会を広げたい」「きっと実現させます。創価大学の使命の一つになる」
  そして迎えた通教の開学式。テープから気迫に満ちた声が響く。
 「私は学問の道を途中で断念せざるをえませんでした。そのかわり、恩師・戸田先生に、さまざまな学問を教えていただきました。それは文字通り、人生の師と弟子との間に“心”を“通”わせた教育でありました」
 「通信」という言葉に新たな意義を吹き込んだ。どれだけ離れていても、創立者と「信」を「通」わせて学んでいこう! 通教1期生は自覚を新たにした。

                                       ☆☆☆

 スクーリングのために創大へやってきた通教生たちを、創立者は真心で迎える。
  開設3か月後の8月18日。初の夏期スクーリングで授業が行われている教室を訪れた。
 「よく来たね。うれしいね!」
 突然の出会い。パッと笑顔が広がるる目を潤ませる人もいる。
 「君たちは、私と同じ黄金の道を歩む友なんだ。どんな労苦にも勇んで挑戦し、人生勝利の栄冠を勝ち取ってほしい!」
  その後、文系A棟の前へ向かう。
 「こっちにおいでよ」
 10人の通教生に手招きした。
 「母校を心から愛してください。守ってください。核となって発展させてほしいんだ」
  そばにいた教員が、この通教生10人のグループに命名をと依頼。創立者は、目の前にある像の台座を指さした。
  「『通信使命会』でどうだろうか」
 鍛冶職人と天使をかたどったブロンズ像。台座に創立者が贈った指針が刻まれている。
 「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」
 働きながら、あえて学びの道を進む。その労苦と使命をたたえた。

                                       ☆☆☆

  第9回「創大祭」の79年(昭和54年)11月3日。中央図書館の前に、人だかりがあった。輪の中心に創立者がいる。ある女子学生が声を上げた。
 「先生、この後、通教生大会があります!」
 「わかったよ」
 白百合合宿所(当時)での「全国通教生大会」。扉がいきなり開く。予定の合間を縫って駆け付けた創立者だった。
 「人生とは坂を上っていくようなものです。一挙上がっていくことはできない。一歩一歩上がっていくものです」
 「この」数年間で培った友情、キャンパスでの思い出、そしてキャンパスで刻んだこの軌跡というものを、人生向上への大きい糧としてくだされば、私は結構であると思います」
  通教を人生の糧に――創立者が願うのは、通教生の幸福である。

自身の財産に

 通信教育部が発行する機関誌がある。創立者はそのタイトルへの命名を請われ、即座に二文字で名付けた。
 「学光」
 常々語る。
 「学は光、無学は闇」
 「学の光をもって、わが人生を、そして、社会を照らしゆくのだ」

                                        ☆☆☆

  「創立者と生涯誉れの大道を!」
 大きな横断幕が夏の日に輝いた。
 1985年()昭和60年8月13日。通教生の祭典である第10回「学光祭」が、第1グラウンドで開かれた。
  創立者が到着し、グラウンドを一周。皆に手を振り、声を掛ける。応える参加者の手が、波のように揺れる。
  「通教常勝太鼓」の響き、ユーモアあふれる「新学光体操」、よさこい鳴子踊り、合唱・・・。
伸び伸びと演技を繰り広げていく。愛唱歌「学は光」は全員の大合唱。
 〽ああ我ら

          通教生
     ああ共々に
           学び征く・・・
  仕事や家庭の状況をやりくりして集った通教生たち。創立者のもと、創大で学ぶ喜びを歌声に乗せる。見守った創立者は、マイクを握った。
 「真剣に学問に励んでいる人は、知性が輝き、人格も磨かれる。人間完成の姿へと進んでいくものだ」
  「さまざまな事情で、卒業できない人もいるかもしれない。しかし、たとえ卒業できなくても、1年でも、2年でも、3年でも、勉強し、学問の道を歩んだということは、全て自分自身の財産となって永遠に輝きゆくのである。
 この日、廣田敏宣さんは、組体操の演目で3段円筒の頂上に立った。
 翌年、がんで父が他界。仕事と生活に全力を尽くすため、通教を断念せざるを得なかった。悔しかった。
 それから約20年。「お前は教師が向いているかもな・・・」。生前の父の一言が脳裏から離れない。もう一度、誓いを果たそう。再び通教の門をくぐった。
 40歳の再出発。通勤の電車、仕事の昼休みは全て勉強。家では眠気に負けないよう、立ったままで学んだこともあった。
 44歳で教員採用試験に合格。今、中学校で人間教育に取り組む。
 「創立者の言われた通り、苦労して学んだことがすべて自分の財産となって輝いています」

                                        ☆☆☆

  今月10日、中央教育棟のディスカバリーホールで根新世紀第13回(第38回)「学光祭」が開催された。
 集った老若男女の服装は多彩。華やかな会場の装飾も。派手な演出もない。だが皆が懸命に演技。熱気が会場を包んだ。
 大池栄一実行委員長は語った。
 「働きながら学ぶ挑戦を通して、創価教育の体現者に成長し、地域・社会で実証を示したい」
  名誉会長はメッセージを寄せた。
 「わが誉れの通教生の皆さんこそ、不撓不屈の探求によって、偉大な『ディスカバリー』すなわち『発見』を積み重ねている『創造的人間』の鏡なりと、私は心からの喝采をお送りしたい」
  通教出身の教員採用試験合格者は、13年連続で年間100人を超え、累計2880人となった。
 さらに、昨年度は難関の司法試験に通教出身者2人が合格。公認会計士、税理士をはじめ、多くの人材を輩出する。
  創大通教生が放つ「学光」が、現代社会を照らしていく。



7、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道61

  別海指導最終日の十六日、昼前には、青空が広がった。気温も二二度を超えた。
 北海道研修道場には、前夜に開催が決まった勤行会に参加するため、別海、中標津、標津、羅臼の友が、喜び勇んで集って来た。
 山本伸一と会うのは、初めてという人がほとんどである。役職がないために、幹部会等には参加したことのない壮年や青年、日ごろは留守を守っている年配者、幼子を連れた若い母親……。どの顔にも笑みが光っていた。なかには、未入会の友人の姿もあった。
 当初、予定していた研修道場での主要行事は、前日で終了していたため、ほんの一部の運営役員しか残っていなかった。そこで、最高幹部が、受付や場内の整理を担当することになった。伸一は、最高幹部らに言った。
 「さあ、合掌する思いで、仏子である皆さんをお迎えしよう。それが本来の姿だもの」
 やがて、勤行会が始まった。勤行、幹部あいさつなどのあと、伸一は語った。
 年配者には「長寿と悔いない充実した人生を」と念願。若い婦人部には「未来の宝である子どもさんを忍耐強く、立派に育てていってもらいたい」と望んだ。青年部には「毎日、少しでも御書を読む習慣をつけ、強い信心と求道心をもち、地域の立派なリーダーに」と指導。壮年部には「地域社会の柱である自覚を忘れず、御本尊とともに生き抜き、信仰と生活力、強い生命力で、一家を守りきっていただきたい」と訴えた。
 最後に、皆が研修道場を守り、尽力してくれていることに深謝し、共々に、一段と成長した姿での再会を約した。
 伸一は、あいさつのあとも、さらに参加者の中に入り、励ましの言葉をかけていった。
 連日の指導・激励で、彼の体は著しく疲労していた。しかし、それを、はね返す活力がみなぎっていた。人を懸命に励ます利他の実践によって、自らの魂が鼓舞され、勇気が、歓喜が、湧き上がるのである。
 北海道縁の思想家・内村鑑三は言明する。
 「自己に勝つの法は人を助くるにあり」(注)

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■引用文献
 注 「自己に勝つの法」(『内村鑑三著作集 第五巻』所収)岩波書店



8、座談会 世界広布新時代の旭日(71) 下半期を勢いよくスタート 

師弟不二の天地 信越
全員が広布最前線の主役!

 原田会長 広島や京都、兵庫など各地で局地的な豪雨により、甚大な被害が出ています。学会としても、対応に全力をあげています。

 正木理事長 現地では被災した会員・家族の皆さまの激励に懸命に当たっています。

 清水重臣信越長 私たち信越も、大きな災害の際、同志の皆さまからの真心の励ましが、どれだけ力になったか。一日も早い復旧・復興を真剣に祈念しています。

 原田 被災者の方に、心からお見舞い申し上げるとともに、引き続き二次災害等には厳重な警戒をしていただきたいと思います。

 全力で教学試験へ

 杉本婦人部長 さて、「世界広布新時代 開幕の年」の下半期のスタートです。

 原田 池田先生は、今年、来年と油断なく一切を勝ち切って、広布と人生の見事なる大勝利の総仕上げを飾っていくことが、本末究竟して等しく、創価の万代までの勝ち戦を決すると言われました。

 杉本 友好期間中に養った英気を存分に発揮し、まずは、間近に迫った「教学部初級試験・青年部教学試験3級」(9月28日)を大勝利していきましょう。

 正木 そして、11月に行われる教学部任用試験での「地区2人以上の合格者」の輩出に取り組み、後継の人材の拡大で本年を勝ち飾っていきたい。

  強固な魂の支柱を 

 清水美季信越婦人部長 この夏、池田先生は長野研修道場を訪れ、同志の安穏と世界の平和を祈念して、代表と勤行してくださいました。

 清水(重) 先生にとって長野は、恩師・戸田先生を偲ぶ場所であると思います。1957年(昭和32年)8月、先生は戸田先生の最後の夏を、共に長野で過ごされました。多くの識者が“戸田先生のことを語る池田先生の姿は常に青年”と言われますが、長野に来られる先生の姿に、師弟の峻厳さを学ぶばかりです。

 島田信越青年部長 93年(平成5年)、長野研修道場で小説『新・人間革命』の執筆を開始された8月6日は、「信越師弟誓願の日」でもあります。

 原田 研修道場初訪問から35年の佳節でもある、この8月、信越は記念の月間で、友好の拡大などに全力で取り組みましたね。

 清水(美) はい。池田先生・奥様への尽きせぬ感謝を胸に、青い空、白い雲、さわやかな風の天地を、全同志が走り抜きました。

 清水(重) 長野・軽井沢圏では、地区2世帯の弘教を達成。研修道場の地元・賢人地区でも、聖教新聞の大拡大を成し遂げました。

 島田 男子部も、この夏、“世界中のどこよりも勝利の結果を残そう!”と決意し合い、部2世帯の弘教を成就しました。

 原田 池田先生は信越の地で、師弟こそが仏法の根幹であるとして、語られました。「これが主であり、他の問題は従なのだ。魂の支柱が腐れば、正義の城は崩れてしまう。時流がどうあれ、社会がどう動こうと、師弟という柱は、ゆるがせにしてはならない」。私自身、日々、決意新たに、師弟の道に生き切ってまいりたい。

 島田 下半期の出発に当たり、信越は、さらなる弘教・拡大に挑戦し、師恩に報いていきます。

 清水(美) その柱は信越「黄金プロジェクト」です。

 清水(重) これは、①新入会者②新しい人材③壮年部5勇士(5人の活動者)④任用試験の受験者輩出のいずれかを達成したブロックを「黄金ブロック」として、たたえる運動です。

 島田 すでに多くの「黄金ブロック」が誕生。特に、壮年部5勇士が立ち上がった地域が多く、中には、数十年ぶりに会合に参加する方の姿も見受けられ、婦人部をはじめとした同志の喜びとなっています。

 正木 長野・アルプス栄光圏のあるブロックでは、皆の協力で、主体性をもって訪問・激励に励んだブロック長により、“壮年マンデー”という新たな取り組みが生まれたそうですね。

 清水(重) 足しげく激励に通った結果、日曜日を活動の中心としたこれまでの“壮年サンデー”だけでは、宿泊・飲食サービス業などの人が参加したくてもできないと分かったブロック長が、月曜日にも御書学習の機会などを設けた結果、たくさんのメンバーが立ち上がり、見事な5勇士を誕生させているのです。

 正木 また、ブロックには、全地域で、「ブロック黄金長」と呼ばれる総ブロック長がいて、圏長などのリーダーをはじめ、多くの副役職の友が、その役に就き、ブロックの躍進に尽力しているとも聞きました。

 原田 先日、私も訪れた新潟・佐渡圏では、すでに全ブロックが黄金ブロックとなり、皆が意気軒高であったことが、強く印象に残っています。

 清水(美) 下半期は、さらなる黄金ブロックの達成へ、全ブロック員が大成長するとともに、10月に各圏で行われる「新入会者大会」を目指して、新入会員と新たな活動者の育成にも全力を尽くしていきます。

 島田 次代を担う学生部の応援にも力を注ぎ、9月の「全国学生部大会」(本部幹部会)の中継行事で、日本一の結集を目指します。

 杉本 池田先生に、「信越は大関西と並んで、私が最も愛し、最も大切に思う師弟不二の天地」と言っていただいた信越です。

 清水(美) 「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」(御書1578ページ)の御聖訓を心に刻みながら、誓願の題目をさらに朗々と唱え、美しき信越で広宣流布の使命を果たし抜いてまいります。

 原田 常楽我浄にして常勝不敗なる世界一の創価の人材王国を築き上げ、師の期待に応えていかれることを念願しています。



9、社説 本紙「創刊原点の日」 読者に応える紙面充実へ前進

 どんな会社にも“原点”がある。企業理念を見失った時には、原点に立ち返ることで、その企業の責任や使命を再認識することができる。日々、挑戦の心を燃やし続け、多様な顧客のニーズに応えていくことも可能となろう。
 「社員は常に原点に立て」とは、弊社の基本理念の一つだ。無冠の友、通信員、新聞長など、本紙に携わる全ての方々の功労に支えられ、本年も8・24「聖教新聞創刊原点の日」を迎えることができた。
 7年前に制定された「創刊原点の日」の淵源は、64年前の“師弟の語らい”にさかのぼる。1950年(昭和25年)、当時の深刻な不況は、戸田第2代会長の会社経営をものみ込んだ。8月22日、事業の破綻が決定。その2日後、戸田会長は、最大の苦境に立たされる中で、若き池田名誉会長に語った。
 「一つの新聞をもっているということは、実に、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない。大作、よく考えておいてくれ」
 翌51年3月には、初の企画会が開催。そして4月20日、聖教新聞は産声を上げた。発刊当時の発行部数は5000部。10日に一度、2ページ建ての紙面だった。53年に週刊となり、65年に日刊化。その後、12ページ建てに。活字の大きさ、画像の質なども次第に改善され、読みやすい紙面へと発展を遂げた。
 名誉会長はかつて「創刊原点の日」に触れつつ、「聖教の発展を考えない日は、一日たりともない」と綴った。読者の期待に応え続けるため、時代がいかに変わろうとも、創価の師弟が紡いだ“創刊の精神”を決して忘れまい。
 今年5月、紙面が大幅に刷新され、新たな企画が始まった。列島各地に刻まれた三代会長の歴史を紹介する「わが町 わが誇り」、学会員の信仰の確信をルポ記事で綴る「生老病死を見つめて」、毎日カラーの12面企画……読者からは「聖教の新時代に、心が開けたようです」「読みたくなる新聞、友人に勧めたくなる新聞に感動」など、喜びの声が数多く届いた。創作絵本や漫画の連載も好評だ。
 「創刊原点の日」を記念して発表された新社歌「輝け! 聖教城」の歌詞には「ああ わが胸に 師匠あり 断じて綴らむ 父子の詩」とある。たえず原点に立ち返り、“胸中の師”と語り合いながら、紙面のさらなる充実に向けて、「8・24」から新たな前進を開始したい。



10、きょうの発心 開目抄、234ページ 

御書 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ(開目抄、234ページ・編464ページ)

通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。. 

【弘教で福運あふれる郷土へ】

 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。

 1978年(昭和53年)、池田先生と記念撮影させていただく機会がありました。この時、先生が語られた「福運だよ」との一言に奮い立ち、仏法対話に挑戦。直後に初めての弘教が実りました。
 以来、先生の正義、学会の真実を訴え、広大な天地を拡大に走り抜いたことが女子部時代の原点です。
 2012年、先生は小説『新・人間革命』で「厚田」の章を執筆してくださいました。当時、わが家は、夫の体調不良・失職の危機、父の病、私自身の乳がんなど、宿命の嵐の渦中でした。
 しかし、この連載に勇気を頂きながら、祈り、学会活動をするなかで、一つ一つ乗り越えることができました。今春から娘が創価大学に通うことができ、感謝でいっぱいです。
 北海道広布60周年の今、青年を先頭に広布拡大にまい進し、福運あふれる郷土にしてまいります。
北海道・札幌東総区婦人部長 花田 綾子



11、世界の体験プラザ  ブラジルSGI マリア・リゼッテ・ダ・シルバさん

 地域で愛されるチーズ会社を経営 「冬は必ず春」の母の凱歌
 

「これで人生が変わりますよ」

 人生の嵐に耐え、純真で勇気ある信仰を貫く女性門下に、日蓮大聖人は大確信を込めて励まされました。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(1253㌻)と。今、私は深い感謝の中で、この御文を心から実感しています。
  家庭不和と、高利貸しの取り立てにおびえる極貧の日々。前途には何の希望もなく、もはや自分の命を絶つことでしか、この苦しみを終わらせることはできないのではないか――。
 かつての私は、まさに苦悩のどん底でした。日銭を稼ぐ手立てといえば、自家製のチーズ作り。毎週それを抱え、地元の皆スジェライス州サン・ジョアン・デル・レイから南東へ数百㌔も離れたサンパウロまで売りに行っていました。
 1996年のことです。その日も、サンパウロ市内で、一軒一軒のドアをたたきながら、私はチーズを売り歩いていました。その一軒が、フランシスコさん夫妻のお宅だったのです。
  奥さんのテレジンニャさんは、とても明るい方でした。そして、彼女は私を一目見るなり、今まで誰も気づこうとしなかった私の深い苦悩をおもんばかるように声を掛けてくれたのです。
 「どうしたの? よかったら悩みを打ち明けてちょうだい」
 慈愛のこもった言葉に促されるように、私は自身の境遇や抱えている苦しい胸の内を全て話していました。
 すると彼女は「南無妙法蓮華経」を唱えることを教えてくれ、「これで人生が変わりますよ」と、確信を込めて言うのです。
 「本当にそんなことがあるのかしら?」
 さすがに最初は半信半疑でしたが、彼女の温かい笑みと誠実な人柄を信じて、娘のアニタと一緒に、唱題行の実践を始めてみました。すると、心の奥から力が湧いてくる感じがし、気がつくと、同じく貧困に苦しむ友人にこの信心の話を教えていきました。こうして私は、ブラジルSGIの一員となることができたのです。

一人立つ精神で広布開拓に挑む

 唱題を重ねるなか、私は自分自身が苦難に負けない“強い人間”になっていくのが分かりました。悪辣な高利貸しから銃を突き付けられ脅された時でさえ、言葉を尽くすことで、相手の心を動かすことができたのです。
  当初、地元にはほとんど同志がいませんでした。しかし、信心の素晴らしさを実感した私の祈りに呼応するように、一緒に活動に歩く婦人が現れ、励まし合って弘教に挑戦しました。一人また一人と信心する人が増え、いつの間にか3つのブロックにまで発展し、地区を結成することができました。
 全てを学会指導の通りに。唱題と折伏を根本に、意欲的に仕事に取り組み、工夫を凝らし、お客さんに明るく接するようにしていくと、チーズの売り上げが目に見えて上がっていきました。
 ローンに追われ、細々と営んでいたのが、わずかな歳月のうちに地域で最大のチーズ卸売業者へと発展。評判が評判を呼んで、今では乳製品とスイーツに特化した2軒の店舗も構えることができました。
  本当に、経済革命がかなったのです。それにも増して、私にとっての最大の勝利は、一家の和楽、なかんずく息子アレックスの蘇生を勝ち取れたことでした。
 わが家が窮乏にあえいでいたころ、息子は悪い仲間に引きずられ、麻薬問題や犯罪にまで巻き込まれていました。母親として何より恐ろしかったのは、このままでは、いずれ息子が若くして命を落としかねないという不安でした。
 彼が良き先輩と出会えるよう、人間革命に挑戦し、人々の幸福に尽くせる人間になれるよう、私は祈りに祈りました。胸が締め付けられるような思いで、泣きながら息子の帰宅を一晩中、待ったことも数知れません。
 春にならない冬はないのだ。息子を絶対に死なせない。誰の命も傷つけさせない。そう決めて、猛然と唱題し抜きました。

地域に広がるSGIの共感

  ついに、息子は悪い仲間と縁を切り、信心の世界に入ってきてくれました。創価学会の集いには励ましがあります。池田先生の指導には、希望があふれ、進むべき道が示されています。彼は、本当に見違えるように変わっていきました。
 2007年、息子は過去の自分のように、行き場を失っている子どもたちのための柔術教室を開きました。良き伴侶にも恵まれ、家庭を持ち、経営者として成功を収めました。孤児たちを支えるボランティア活動にも尽力。かつての荒れた青年が生き生きと社会に貢献する姿に、地域の人々も目を見張りました。
 私自身も、地域広布のために、さらに祈りと行動を重ねました。ブラジルは広大です。わが地域の広布の発展のために、どうしても個人会館を建設したいと思いました。
 簡単には進みませんでしたが、やはり祈りきる中、11年秋に、120人収容の個人会館をオープンすることができたのです。
  一方、より一層の地域貢献を決意した息子は、ミナスジェライス州のサンタクルス・デ・ミナス市議会議員に立候補し、何と同市の選挙史上最高の得票数で当選したのです。
 師匠の人間主義の思想を、さらに社会に広げたい。助け合い、思いやりのある社会を作りたい。息子はそう語っています。
 今や、わが家を含め、メンバー一人一人の人間革命のドラマを見てきた地域の方々が、SGIの理念に深い共感を寄せてくれています。池田先生の哲学を称賛する声も大きく広がっています。
 来し方を振り返り、“祈りとして叶わざるなし”の仏法であることを、しみじみと感じます。何があろうと師と共に、学会と共に、題目を唱え抜くならば、必ず一切は開ける――そう大確信で言い切れることに、感謝、感謝の日々です。



【社会の情勢】
 

◆ 32都道府県調査未了  全国52万カ所 土砂災害危険箇所
◆  インフラ整備計画を見直し 人口減少や老朽化 国交省方針
◆ サイバー走査 官民連携 警視庁、10月にも新機関設立
◆  従来型携帯 根強い人気 シンプル機能、低価格
◆ 育休パパ、制度に精通認知度上がれば取得者増にも 民間調査

2014/8/26(火)の聖教

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2014/8/26(火)の聖教


1、シナノ企画新作DVD「HumanStory3」が完成

  シナノ企画の友好対話シリーズ№3の新作DVD「Human Story3――誓いを貫く勇気」(写真)が完成した。
 あらゆる人々に学びの道を開く創価大学の通信教育部。本作の主人公は、その教員として奮闘する壮年だ。
 非行に走った少年時代。中学卒業後、理容師として働きながら、夜間高校に学んでいた。ある時、母から創価大学の設立構想が発表されたことを聞く。
 題目をあげる母の後ろ姿に、彼は「しっかり信心すれば、その大学の教授になれるか」と聞いた。母を困らせたいだけの無理難題だった。しかし母は振り返って「あなたならなれます」と言い切った。
 以来、唱題や勉学への挑戦を開始。学生部夏季講習会で池田名誉会長に決意を伝えた。「必ず創価大学の教授になります」――。
 師との誓いの人生を生き抜く、一人の弟子の物語である。
 13分、1028円(税込み)。日本語字幕表示付き。大手コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「ローソンネットショッピング ロッピー」で注文、購入できます。



2、音楽隊・鼓笛隊が各地で熱演

  音楽隊・鼓笛隊が23・24日、東京、長野、愛知をはじめ、各地のパレードやフェスティバルに出演し、演奏・演技を朗らかに披露した。また「サマーマーチングフェスティバル2014」(日本マーチングバンド協会主催)が千葉の幕張メッセで行われ、鼓笛隊の創価シャイニングスピリッツ、創価グランエスペランサが出場。創価シャイニングスピリッツが「ハイサウンド賞」に輝いた。音楽隊の創価ルネサンスバンガードがエキシビションとして登場し、イベントのフィナーレを飾った。



3、関西吹奏楽団が方面の吹奏楽コンクールで金賞 全国大会へ

  音楽隊の関西吹奏楽団(吉村陽一楽団長)が24日、滋賀県の守山市民ホールで開かれた第64回「関西吹奏楽コンクール」(主催=関西吹奏楽連盟ほか)に出場した(写真)。
 伊勢敏之氏の指揮で、「三つのジャポニスム」(真島俊夫作曲)などを演奏し、金賞を受賞。10月19日に新潟市で行われる全国大会への出場を勝ち取った。
 吉村楽団長は、「信心の戦いに一人一人が挑戦し抜いて、当日を迎えることができました。支えてくださる方々への感謝を胸に、『日本一』の楽団を目指します」と決意を語った。



4、わが友に贈る

 さあ 新たな前進へ
 目標を明確に!
 深き決意の祈り
 具体的な行動が
 広布発展の原動力だ。



5、各部代表者会議行う 名誉会長がメッセージ 題目の師子吼で進め!

  世界広布新時代第10回の各部代表者会議が25日、東京・新宿区の常勝会館で開催された。
  これには、池田名誉会長がメッセージを贈り、広島、京都、兵庫など、豪雨による甚大な被害を受けた地域の方々にお見舞いを述べるとともに、救援・復旧に先頭に立って懸命に尽力しているともに、深く感謝した。
  そして、「多事多難な時代にあって、日蓮大聖人の仰せの通り、『災い』をも『幸い』に転じゆく根源の力が妙法であり、その微動だにせぬ依怙依得宅となっていくことが、広布のリーダーである。辛労は尽きないけれども、一切が『立正安国』の不屈の大闘争だ。『能忍(能く忍ぶ)』という仏の心で、万事をよろしく頼みます」と語った。
 続いて、名誉会長は入信記念日の「8・24」を迎えるたびに、心新たに拝してきた「御義口伝」の「師とは師匠授くるところの妙法・子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり」(748㌻)の御聖訓を拝読。
  「師弟不二といっても、所詮、師匠と弟子が、同じ心で、広宣流布の戦いを起こすこと以外にない。勇敢に声を上げ、叫ぶ以外にない」と力を込めた。
 さらに、「いよいよ後半戦が始まり、わが同志は労苦を厭わず、行動を開始してくれている。その一人一人を心より尊敬し、最大に大事にしながら、元初の誓いのままに、歓喜踊躍して広布拡大の戦いを起こそう! 私も毎日、全同志に題目を送っている。共に題目の師子吼を、勇気凛々と轟かせ、満々たる折伏精神で戦い、進もうではないか」と力説した。
 最後に、全世界、また、未来まで模範と光る、はつらつとして清々しい振る舞いで、そして、明るく仲の良い団結で、新しい勝利の歴史を築いていっていただきたいと念願し、メッセージを結んだ。

 原田会長は、地道な訪問激励に徹する中で、広布拡大の突破口は開けると強調。リーダー率先の行動で創価の万代までの勝ち戦を決する前進を開始しようと語った。



6、名字の言   広島カープの赤は「戦う色」。苦難に屈しない広島の負けじ魂の色だ。

 広島カープの本拠地マツダスタジアムで22日、土砂災害後、初となる試合が行われた。完璧なピッチングを見せた前田健太投手はじめ、被災地のファンに勇気を届けたいとの選手の気迫が伝わってきた▼球団創設は原爆投下から4年後の1949年(昭和24年)の秋。戦前から広島商や広陵など高校野球の名門を擁した野球どころの市民にとって、プロ野球チームの誕生は、壊滅的な破壊から立ち上がる何よりの希望となった▼ただし、他球団のような強固な財政基盤を持たない市民球団ゆえの苦労は続き、球場前にカンパを募る「樽募金」が置かれた時代もある。戦力補強もままならなかったが、だからこそ、才能豊かな若い選手をスカウトして、名選手に鍛え上げる人材育成が球団の伝統となり、魅力にもなっている▼75年(同50年)、帽子とヘルメットを紺から赤に変え、「赤ヘル」旋風を巻き起こし、初のリーグ優勝を飾った。赤は「戦う色」。苦難に屈しない広島の負けじ魂の色だ▼池田名誉会長も昨年の中国新聞への寄稿で「広島の復興と歩みを共にしてきた『市民球団』カープには、どこにも負けない郷土愛と不屈の闘魂が真っ赤に燃えている」とエールを送った。励ましの赤い炎が、心から心へと広がることを祈りたい。(進)



7、寸鉄

★  会長の偉大さはどこまでも師を敬う精神に―饒宗頤氏。生涯青春の師弟道
      ◇
★ きょう北陸の日、30周年。誠実一路の広宣の友よ!万代に輝く人材の大城を
      ◇
★ 御義口伝「師子吼とは仏の説なり」。雄弁こそ勝利の力。青年よ勇み対話へ
      ◇
★ 指導主義が学会の伝統。幹部は幸福の軌道を指さし導け。先駆の実証で!
      ◇
★ 生活水準の低下感じる人が増加と。政治は実感伴う景気対策に知恵尽くせ



8、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道62

  勤行会を終えた山本伸一は、直ちに車で北海道研修道場を出発した。
 札幌に戻るため、再び百四十キロの道のりを、釧路空港へと走った。海岸沿いの国道に出ると、北方四島の一つである国後島が見えた。沖縄本島よりも大きな島で、標津から二十四キロほどの距離にある。
 伸一は、島影を見つめながら、日ソの平和条約の締結と領土問題の解決のため、一民間人として尽力していこうと決意しつつ、心で唱題した。
 海岸沿いを北上した車は、標津町で左折し、国道二七二号線に入った。道の左右には、広々とした牧草地帯が続いていた。車は、緩やかなアップダウンを繰り返しながら、緑の大地を貫く国道を快走していった。釧路に行くには、中標津町を抜け、再び、別海町に入ることになる。
 伸一たちは、往路に立ち寄った西春別の個人会館を再び訪問することにしていた。近隣の会員たちが集まると聞いたからだ。
 車が、西春別に隣接する上春別へ入った時、同乗していた田原薫が言った。
 「この国道沿いに、雑貨店とドライブインを営む、谷沢徳敬さんという壮年とお母さんがおります。雑貨店の二階を、会場に提供してくださっています。
 母親の千秋さんは、七十代後半ですが、大変にお元気で、ドライブインの方を、すべて切り盛りされているんです。草創期から、地道に地域広布の開拓に取り組まれてきた、強い求道心をおもちの方です。
 このお母さんは、『山本先生をわが家にお呼びしたい。それが私の夢です』と言われ、ずっと祈ってこられたそうです」
 伸一の胸に、感謝の思いがあふれた。
 「ありがたいことです。御礼のごあいさつに伺いましょう。申し訳ないもの……」
 誠実は、即行動となって表れる。
 どんなに疲れていようが、機会を逃さず、全力で友を励ます――彼の、そのひたぶるな生き方が、創価の絆をつくり上げてきたのだ。



9、紙上セミナー  生活に生きる仏教 病苦に立ち向かう人間革命の生き方
  (作業中)



10、希望の虹 第6回 作家 樋口一葉  (2014.9.1付 少年少女きぼう新聞)

みんな「いいところ」ある

 いよいよ2学期が始まったね。
 夏休みは、なごりおしいものだけど、秋もまた、楽しい、充実の季節です。スポーツにも、読書にも、勉強にも、一番いい季節です。
 だから何か一つ、今学期は、これをがんばってみようというものを決めて、スタートしたら、どうだろうか。その挑戦が、大きな成長のチャンスになることでしょう。
 自分かいいなと思えるものでいいんだよ。好きなことや、とくいなことは一人一人ちがうからね。
 みんな、自分だけの、自分にしかない「いいところ」が必ずある。それも、いっぱいあるんだ。
 江戸時代から明治時代に大きく変わった世の中で、「 自分の『いいところ』は、いろいろなお話を作って、文章を書くこと」と気づいた、一人のに女性がいました。
 樋口一葉という人です。五千円札に印刷されているから、みなさんも顔を見たことがあるかもしれません。
 一葉は「小説」を、いくつも書き、日本文学の名作を残しました。その作品は、もともとは、むかしの言葉づかいで書かれていますが、小学生向けに読みやすくした本もあります。

                  * * *

 樋口一葉は、今から140年ほど前の1872年(明治5年)、東京で生まれました。私たち創価学会の初代会長である牧口常三郎先生は1871年の生まれなので、一葉よりも一つ年上です。
 一葉とはペンネームで、本名は奈津。「なっちゃん」です。
 家庭のつごうで、住む家を何度も変えねばなりませんでした。
 4歳から9歳の少女時代、また本格的に小説に取り組んだ、18歳から亡くなる24歳までのほとんどの時期を、現在の東京・文京区でくらしました。
 文京区は、私にとって若き日から、多くの友と「前進」を合言葉に学会活動に走った、なつかしい天地です。ああ、このあたりで、樋口一葉が家族と暮らし、一生けんめいに小説を書いていたんだと、思いをめぐらせたこともあります。
 なっちゃん、すなわち一葉は、勉強が大好きでした。小学校を卒業したら進学して、ちっと勉強したいと願っていました。でも、そのころは「女性に学問はいらない」と考える人が多い時代でした。裁ほうや料理がに上手になって、早く結婚して家庭をつくることがよいといわれていたのです。
 一葉のお母さんも、そういう考えを持っていたので、一葉は進学させてもらえませんでした、深く悲しんでいる一葉を見て、お父さんは、学校のかわりに「和歌」を勉強する塾に通わせてくれました。
 「和歌」というのは、主に、ひらがなで数えて、「5文字・7文字・5文字・7文字・7文字」というルールに合わせ、自然や気持ちなどを表現する、目本の伝統的な詩です。言葉がリズムにのって、心から心に、すっと届きます。
 私も、人生の師匠である戸田城聖先生から、はげましの和歌をいただきました。私からも、先生に決意と感謝の和歌をおくりました。

                   * * *

 14歳で和歌の塾に通い始めた一葉はすぐ気がつきました。生徒がみんな、きれいな着物を着た、お金持ちや有名な家のおじょうさんだったのです。人力車に乗ってくる人もいました。
 一葉も、せいいっぱい、身なりをととのえましたが、まわりの人たちのような、はなやかな着物は、家にはありませんでした。
 一葉は落ちこんでしまいました。しかし、自分を塾に通わせてくれているお父さんや、苦労して育ててくれているお母さん、また、妹のことを思いました。
 着ているものでは、人間のねうちは決まらない!──一葉は、気持ちをきりかえて、一生けんめいに勉強を続けました。
 みんなが、一年のうちで一番きれいに着かざってくる新年の歌の会にも、一葉はお母さんが用意してくれた、古着をぬい直した着物で出席しました。そして、60人以上の出席者の中で、すばらしい和歌を作り、みごとに第1位の成績をとったのです。
 このことで、一葉は自信を持つことができました。しっそな身なりをしていても、少しもはずかしくありませんでした。自分には、すばらしい和歌を作ることができるというっいいところ」がある。そう思った一葉は、自分の長所をもっともっと伸ばして、物語を書く仕事をしたいと考えたのです。
 じつは、彼女の時代には、そういう仕事をしている女性は、まだ一人もいませんでした。一葉は、日本の女性で初めての「職業作家(小説を書くことを仕事にして生活する人)」なのです。

                   * * *

 新しい時代の先頭に立つ人は、きまって苦労の連続です。一葉にもその後、お兄さんとお父さんがつづけて亡くなるなど、たくさんの苦難がありました。書くだけでは家をささえられず、ほかにも仕事をしなければなりませんでした。
 それでも彼女は「負けじ魂」を燃やしました。たくさんの本を読みたかったので図書館に通い、学びに学んで、すばらしい物語を書きつづけました。
 有名な『たけくらべ』という作品は、下町で、みんなよりも少し年上の男の子や女の子が成長していく姿をえがいたものです。一葉は、大変な生活のなかで見たり聞いたりしたことを、物語に生かしていきました。苦しいことや悲しいことも、ぜんぶ宝物に変えていったのです。
 彼女は残念ながら、24歳の若さで、病気で亡くなりました。でも、そのみじかい人生のなかで、のちの時代まで人々に愛される、自分にしか書けない作品を生み出したのです。

                   * * *

 樋口一葉は、こんな言葉を残しています。
 「この世に生をうけた人間は、貧富貴賤(貧しかったり豊かだったり、身分や位か高かったり低かったり」の違いはあっても、すべて同じ人間であることには変わりはない」
 その通りです。
 仏法では、「桜梅桃李」という言葉があります。「桜、梅、桃、李、どれも花の形はちがうけれど、それぞれが、それぞれにしかない美しさを持っている」という意味です。
 そして、その美しさを最大に自分らしくかがやき光らせていく力が、正しい信心なのです。
 みんな、それぞれに「いいところ」があります。だから、自分と人をくらべてうらやましく思う必要などありません。
 がんばっても、がんばっても、なかなか、うまくいかない。自分の「いいところ」なんて分からない──そんな時は、題目を唱えてみてください。題目を唱えれば、元気が出てきます。自信がつきます。そして、よし、がんばってみようという勇気がわいてきます。
 「ありのまま」に悩み、祈り、また胸をはって挑戦していく──そうすることで、自分の心がみがかれる。心の中の宝物が光っていく。きみの、あなたの「いいところ」が、必ず見えてくるのです。
 みなさんの「いいところ」は、たくさんある。友だちにも「いいところ」がたくさんある。だから、仲よく、はげましあって、その「いいところ」を大いに伸ばしていってほしいんだ。
 「いいところ」とは、何かができることだけではありません。
 失敗をおそれない「勇気」があれば、すごいことです。
 お父さんやお母さん、まわりの人のことを「思いやる心」を持っていれば、それもまたすばらしいことです。
 樋口一葉は“心にはダイヤモンドがある”とも言っています。
 みんなも、自分の心のダイヤモンドを見つけよう!
 そして、そのダイヤモンドを大事にして、キラキラと、かがやかせていこうよ!

樋口一葉の言葉は、『完全現代語訳 樋口一葉日記』高橋和彦訳(アドレエー)から。参考文献は、真鍋和子著『樋口一葉』(講談社)。樋口一葉著『たけくらべ』(集英社)。



11、未来の翼 第6回 不屈の都 モスクワ    (2014.9.1付 未来ジャーナル)

君よ、貴女よ、負けじ魂の名優たれ!
春の来ない冬はない。苦しくとも粘り強く、自分を鍛え上げよ

 モスクワ大学のキャンパスがある「雀が丘」の展望台からは、壮大なスケールの首都の街並みが一望できます。
 ロシアの大文豪トルストイの名作『戦争と平和』にも、この「雀が丘」の近くからモスクワの街を眺めた様子が描かれています。
 「すべてが薄い澄んだ大気のなかで、目の痛むほどかがやき、胸は秋の香りの高い空気を吸い込んでたくましくなり……」と。
 そう、秋は、トルストイがいうように、「香りの高い空気」を大きく深呼吸しながら「たくましく」伸びていく季節だね。皆さんも、この秋、心も広々と、一回りも二回りも「たくましく」成長していってください。
 私には、世界都市モスクワで育った、多くの素晴らしい友人たちがいます。その一人、宇宙飛行士のセレブロフ博士は、病弱だった少年時代に、スポーツに挑戦して心身を鍛え、さらに勉学にも励んで、数学や物理のオリンピックに出場しました。
 博士は、「一人ひとりの素質は粘土のようなもの」で、「それを次第に形につくり上げていくのが『努力』です」と語られています。
 皆、それぞれの課題に挑み、自分自身をじっくりとつくり上げていく「努力の秋」そして「充実の秋」にしていこうよ!

 私がモスクワを初めて訪れたのは、ちょうど40年前――1974年の秋9月のことでした。今のロシアがまだ、ソビエト連邦(ソ連)だった時です。
 第2次世界大戦後、世界は、アメリカを中心とした資本主義の西側諸国と、ソ連を中心とした社会主義の東側諸国に、大きく二分され、激しく対立していました。いわゆる東西の「冷戦」(冷たい戦争)と呼ばれる時代です。両陣営の“壁”を象徴する「鉄のカーテン」という言葉もありました。
 西側陣営である日本にとって、ソ連はいわば「敵国」。ソ連に関する正確な情報はほとんどなく、多くの日本人が“冷たい”“怖い”というイメージを抱いていました。
 こうした状況は、日本にとっても、ソ連にとっても不幸なことだと、私は考えていました。“ソ連が怖い”のではなく、本当は、“知らないことが怖い”のだと。
 だからこそ私は、ソ連の人々の素顔を、自らの目で確かめ、多くの人に伝えたいと思ったのです。
 ソ連に行く前には、「宗教者が、宗教否定の国へ何をしに行くのか」などの批判の声が巻き起こりました。当時、ソ連と中国も対立を深めていたので、私が中国に続いてソ連を訪問することも、なかなか理解されませんでした。私は迷わず、「そこに人間がいるから、行くのです」と答えました。

 平和を願う、同じ人間に会いに行く──これが私の決心でした。
 その初訪ソの折、とある街中で結婚式を終えたばかりの若い二人に出会いました。後に「雀が丘」でも同じ光景を見掛けたことがありますが、ロシアでは新婚の二人で名所を回る習慣があるのです。
 すると突然、同行してくれていたモスクワ大学の方々が、「にがいぞ、にがいぞ!」と“声援”を送りました。初々しい夫婦に、わざと「にがい」と言って、ますます「あまく」仲よくさせる──ロシアの人々の愉快な慣習と温かな心に触れ、私も妻と一緒に、心から祝福の拍手を送りました。
 こうした人間味あふれる情景を、日本の人たちに伝えたい。それが私の偽らざる真情でした。
 「人間」こそ、一切の根本です。
 平和も、文化も、教育も、人間から始まり、人間に帰るのです。この「人間主義」のバトンを、後継の皆さんに受け継いでもらいたい。私は、そう強く願っています。

 ロシアは、ユーラシア大陸を横断する、世界で一番面積の大きい国です。それは日本の約45倍、海面を除いた地球の面積の8分の1に当たります。
 また、この大地は、人類の宝ともいうべき芸術・文化を生み出してきました。特に19世紀には、音楽ではチャイコフスキー、文学ではプーシキン、トルストイ、ドストエフスキーなど、世界的巨匠が次々と活躍しました。
 私も若き日から、こうした巨匠たちの傑作に親しんだ一人です。ロシアの芸術作品に表現された、人間への限りない愛情と信頼、生命の讃歌と深い精神性に、私は胸を熱くしたものです。
 これまで6度、ソ連・ロシアを訪れてきましたが、母なる大地に育まれた、おおらかで情に厚く、辛抱強いロシアの人々の素顔に、何度も心温まる思いがしました。
 ロシアの人々にとって、20世紀は激動の時代でした。ロシア革命、2度の世界大戦、そして独裁政権による粛清(方針に反する者を排除すること)──それでも明日への希望を失わず、民衆は断固として前進してきました。
 トルストイは、皆さんと同年代の時、日記にこう綴っています。
 「忍耐と勤勉。そうすればぼくの欲するすべてのものを得るであろうと確言」
 忍耐ほど、自分を鍛え上げてくれるものはありません。「粘り強さ」こそ勝利を開く秘訣なのです。
 たとえ今、どんなに苦しくとも、春の来ない冬がないように、それが永遠に続くことはありません。だから断じて負けてはいけない。戦い続ける人が、必ず勝利します。
 日蓮大聖人は「仏を能忍(難をよく忍ぶ人)と名づけるのである」 (御書935㌻、通解)と仰せになられました。
 世界が渇望する人間主義の未来を担いゆく皆さんです。一人も残らず、かけがえのない使命を持った君たち、貴女たちです。それだけに、試練も苦難も多い。
 ゆえに、この「能忍(よく忍ぶ)」という一点を、心に留めておいていただきたいのです。
 40年前、ロシアには、SGIのメンバーは一人もいませんでした。今、モスクワをはじめロシアの大地には、地涌の菩薩が躍り出て、社会に貢献しています。
 世界最高峰の学府・モスクワ大学と創価大学の間では毎年、交換留学生の往来を重ねています。

 ナターリヤ・サーツさんも、私と妻の大切な友人です。
 サーツさんは、世界初の「子どものためのオペラ劇場」である「国立モスクワ児童音楽劇場」を創設し、総裁を務めた方です。
 最初の出会いは1981年5月。「雀が丘」から、ほど近い児童音楽劇場で、「ナターシャおばさん」と慕われるサーツさんが、笑顔で迎えてくれました。
 大きな身振り手振りで、あふれ出る感情を表現される姿は“天真爛漫な少女”のようでした。私と妻の間に入って手を取り、自ら素敵な劇場を案内し、ご自慢の子どもたちを紹介してくださいました。
 サーツさんは、9歳でお父さまを亡くされました。さらに最愛のご主人も独裁政権によって粛清され、自身も「人民の敵の妻」として5年間、強制収容所に入れられました。美しい栗色の髪は、瞬く間に白くなってしまいました。
 最大の心の支えだったお母さまも、空爆で亡くなりました。お母さまは被弾した後も、サーツさんの舞台衣装を抱えて友人の家までたどり着き、絶命されたのです。
 収容所から出た後、その友人宅を訪れたサーツさん。夜、お母さまが息を引き取ったというソファに横になり、静かに目をつぶっていると、お母さまの夢を見たそうです。夢の中で、お母さまは語り掛けました。
 「歌うのよ、ナターシャ、何があっても歌うのよ。人生って、それは楽しいものなんですから」
 サーツさんは、絶望の淵から顔を上げました。いかなる困難にも、度重なる悲しみにも、負けることなく、前へ進みました。そして、子どものための芸術活動に献身する人生を歩み抜いたのです。
 サーツさんは語っています。
 「何でも簡単にできたことは一度だってなかった。常に困難があって、むしろそれをのり越えるのが好きだ」と。

 サーツさんが心掛けていた「困難を勝ち越える知恵」があります。
 それは──つらくて仕方がない時は、もう一人の自分が舞台に立っている姿を想像すること。そして、あたかも自分が演出家のようになって、舞台上の自分にウインクしながら、「ちょっぴりやっかいになってきちゃったね。さあ、ナターシャ、あなたがどうやってここを切りぬけるか、みものだわ」と語り掛けるという方法です。
 人生、そして青春は「劇」です。
 楽しい出来事もあれば、思わぬハプニングもある。苦闘の時期や胸躍る大逆転の瞬間、時にはほっと一息つく幕間もあるでしょう。いろいろあるから、おもしろい。
 だから、君がつらい時、貴女が苦しい時こそ、それは、「さあ、ここからだ!」「いよいよ勝負の時が来た!」という“青春勝利の舞台の見せ場”なのです。
 大聖人は、苦難にも負けずに前進する弟子の戦いを、「未来までの・ものがたり」(御書1086㌻)と讃えておられます。
 最高の妙法を持《たも》つ皆さんの奮闘は、必ずや未来の後輩が、世界の人類が、「あの人の負けじ魂の劇を見よ!」と仰ぎ見る物語となっていくのです。

 冷戦を終結させた元ソ連大統領のゴルバチョフ氏と初めてお会いしたのは、1990年7月27日のことです。
 この時、大統領の日本初訪問の実現が危ぶまれていました。モスクワのクレムリン宮殿で、私は開口一番、「きょうは、大統領と“けんか”をしに来ました! 火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう。人類のため、日ソのために!」と切り出しました。
 するとゴルバチョフ氏は、一気に表情を崩し、はずむ語らいの中で、その次の年の“桜の咲くころ”に日本を訪問したいと希望を語られました。トップニュースとして、世界に発信されました。
 翌年の4月、氏はその約束を守り、ソ連の最高指導者として初の訪日が実現し、両国にとって歴史的な友好の春が花開きました。
 後年、その氏を、わが関西創価学園にライサ夫人と共にお迎えできたことも、金の思い出です。(97年11月)。氏と共に茨の道を歩んだ夫人が語られた言葉を、学園生たちも大切にしています。
 人生には、さまざまな痛手を受けることがあります。心の傷が癒えないこともあります。必ずしも夢のすべてを実現できるわけでもありません。しかし『達成できる何か』はあります! 何か『実現できる夢』は必ずあるのです!
 だから、最後に勝利する人とは、たとえ転んでも、立ち上がり、再び前に進む人です」
 わが人生という舞台で、自分が誇れる「何か」を残せば、たとえ途中がどうであろうと、それは勝利劇です。へこたれないで朗らかに、わが使命を信じ抜き、戦いのドラマを最後まで演じ切った人が真の勝利者です。君たち、貴女たちの「名演」が、どれだけ多くの世界の友を鼓舞し、勇気づけていくことでしょう!
 さあ、君たち、貴女たちにしか綴れない、「自分自身の物語」の幕が上がりました。
 名俳優の君、名女優の貴女の負けじ魂の舞を、父母も、創価家族も、私も、そして、未来の地球の若人たちも、大喝采を送りながら、見つめています。

トルストイの言葉は、トルストイ著『戦争と平和』藤沼貴訳(岩波文庫)、『トルストイ全集18 日記・書簡』中村融訳(河出書房新社刊)。セレブロフは、、アレクサンドル・セレブロフ/池田大作著『宇宙と地球と人間』(潮出版社刊)。サーツは、『私か見つけた「青い鳥」 ナターリヤ・サーツ自伝』斎藤えく子訳(潮出版社刊)から。



【社会の情勢】 

◆ 底上げ進み地域差縮小 沖縄の小学校改善目立つ 学力テスト
◆  スマホ「1日4時間以上」中3の1割、成績に影響
◆ 激甚災害指定を表明 首相、土砂災害の広島視察
◆  クロマグロ乱獲に「警報」 消費者にも周知 水産庁方針

2014/8/27(水)の聖教

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2014/8/27(水)の聖教


1、御書とともに 名誉会長が指針を贈る Ⅱ 【26】 世界は哲学のリーダーを待望

御文 南無妙法蓮華経の南無とは梵語・妙法蓮華経は漢語なり梵漢共時に南無妙法蓮華経とは云うなり(御義口伝 708㌻)

通解 南無妙法蓮華経の南無とは梵語(古代インドの言葉)であり、妙法蓮華経は漢語である。梵語と漢語が合わさって、南無妙法蓮華経というのである。

【同志への指針】

 学生部の友と学び会った一節である。日蓮大聖人の仏法は「梵漢共時」であり、全世界の文化を尊重する。これが一閻浮提を照らす創価の道である──こう決意した俊英たちが皆、立派な指導者に育ってくれた。
 今、世界広布新時代に集った、宿縁深き男女学生部の英才たちよ! 次の50年を頼む。人間主義の力あるリーダーを世界が待っている。



2、わが友に贈る

 声の力は偉大だ。
 弾む声、温かな声で
 友の心に勇気と
 希望の光を送ろう!
 大生命力を燃やして!



3、名字の言  「学会活動を通して、世界の平和を心より願える自分になっていうた」

  核時代平和財団などが推進する「Nuclear Zero(核兵器廃絶)」キャンペーンの呼び掛けに応え、青年部が核廃絶の署名運動に取り組んでいる▼ある男子部員と一緒に勤行した時のこと。心ゆくまで唱題し、御祈念文に入った。男子部員がめくった経本の一ページ。「世界の平和と一切衆生の幸福のために」の一文に、太く赤い線が引かれていた▼傍線の理由を聞くと、「以前は自分のことを考えるだけで精いっぱいでした。でも、学会活動を通して、世界の平和を心から願える自分になっていた。その感謝を忘れないように」と、彼が言う。職場の同僚に核廃絶の意義を語ったところ、快く署名に応じてくれた、と笑顔を見せた▼「何を祈っているかが、その人の境涯」という池田名誉会長の言葉を思い起こす。個人的な悩みの解決を祈っていた自分が、いつしか友の幸福を思い、社会の安穏を願うようになる。一青年の変化に、尊い「人間革命」の実証を見る思いがした▼署名を呼び掛けた、核時代平和財団のデイビッド・クリーガー会長は、学会青年部こそ「世界平和の最大の希望」と期待を寄せる。自らがエゴの壁を破る生命変革に挑戦し、胸中に確かな平和のとりでを築く青年の連帯を、さらに広げたい。(険)



4、寸鉄

★  SGIはアジアの国や人を対話で結んだ―博士。世界平和へ民衆の絆強く
      ◇
★ 総秋田「女性の日」20周年安心と喜び多き安喜多の人材城!地域で友情拡大
      ◇
★ 「時間を浪費するな!今大事なことを見極めよ」恩師。朝の祈りから出発
      ◇
★ 成人の5%、500万人超が賭事依存症の疑い。人生狂わす病。社会で克服を
      ◇
★ 夏の疲れを残さずに。上手に睡眠。体調を整えて。賢い暮らしで健康博士に



5、信じ抜く教育本部開く未来 第5回 共に「不登校」を乗り越える

  青年教師は激怒した。
 子どもたちに対して、というよりも、この教室をどんよりと覆っている「他人の苦しみへの無関心」という大きな闇に対して──。
 小学校教諭の横山和伸さん(総兵庫男子青年教育者委員長)は、夏休みが明けた2学期から、この6年生のクラスを受け持った。
 前任の教師が体調を崩すほど“荒れている”と聞いていたが・・・想像以上だった。
 チャイムが鳴っても席に着かない。胸をえぐるような悪口が、挨拶代わりに飛び交う。
 心優しい子ほど肩身の狭い思いをしなければならない現実。光一君(仮名)という児童が1学期から学校に来られなくなっていた。
 9月のある授業中。クラスの(ボス格)の剛君が(仮名)が嘲るように言った。「きょうも来てへんのか。ええなあ!  あいつは学校休めて」。その瞬間、普段は温厚な横山さんの声が、怒気を含んだ語調に変わった。
  「その言い方を何や!  光一君がどんだけ苦しんでるか、分からへんのか!!」
 騒がしかった教室が一転、静まりかえる。
 しばしの沈黙──横山さんは深く息を吸い込み、ゆっくりと次の言葉を継いだ。
 「先生も昔、不登校やッたんや」

「みんなで笑って卒業しようや かけがえのない友達やんか!」

 6畳の自分の部屋が、生活空間の全てだった。
 カーテンを閉め、明かりもつけず、息を殺して布団にくるまっている日々。家の電話が鳴るたびに、体の震えが止まらない。高校3年の横山さんは家から一歩も出られなくなっていた。1994年のことである。
 原因は、いじめだった。始まりは地元の中学校に入ったころから。同級生から殴る蹴るの暴力を加えられるようになった。帰り道では荷物持ちをさせられた。
 仕返しを恐れて学校にも相談できず、ひたすら耐え抜いた3年間。私立高校に進学し、“これで解放される”と安堵したのも束の間──中学時代のいじめの主犯格が、横山さんを家から連れ出しては執拗にいじめ続けたのである。
 今になって「親には打ち明けられなかったのか」と問う人もいるが、答えに窮してしまう。当時、父・昇さんは消防士。母・明子さんは小学校教諭。人に尽くし、多忙を極めている両親に心配をかけまいとする“子どものいじらしさ”が、相談することを躊躇させたのかも知れない。男のプライドもあったと思う。
 「試験が近いから、友達の家で勉強してくる」などと嘘をついては、会いたくもない“友達”のもとへ向かうしかなかった。 
 それでも、隠しきれない事件が発生する。横山さんが別の友人に「もうアイツとは会いたくないんや」と漏らしたことが、いじめの主犯格の耳に入り、あごを複雑骨折する重傷を負わされてしまったのである。
 両親は、今まで気づけなかったことを泣きながらわが子に詫び、抱きしめた。「父さんと母さんは和伸の見方だから。何があっても絶対に守るから!」
 親に知ってもらえて安心した部分もある。が、それ以上に恐怖と不信感が横山さんの心を支配していた。殴られた痛みより、友人が告げ口したことが何十倍も痛かった。
 「何で自分だけ、こんな思いをせなあかんねん」「生まれてこんかったら良かった」──横山さんは、部屋に閉じこもった。

「大丈夫やから」

 たった一人、心を許せる同級生がいた。高校に入学してすぐできた親友・北野恵介さん。横山さんと同じ学会の高等部員だった。
 横山さんの両親も、恵介さんの両親である俊生さん・さゆみさん夫妻には「和伸が悩んでいるみたい」と、よく相談していたらしい。
 夫妻は、横山さんをわが子のように大事にしてくれた。夫妻が営む理髪店に髪を切りにいくのも、横山さんの楽しみだった。気さくな2人が織りなす軽妙な“夫婦漫才”に、おなかを抱えて笑う。いじめを忘れられるひとときだった。
 時に、自暴自棄になり、「どうせオレは」と将来を悲観しても、さゆみさんは「よっこん君(横山君)なら大丈夫やから」と、ありのままの自分を受け止めてくれた。それだけで不思議に勇気と自信が湧いてきた。
 だから、部屋に閉じこもった時も、心のどこかに、「恵介がおる。恵介の父ちゃん、母ちゃんがおる」という思いがあった。
  もちろん、家族の支えがあったことは言うまでもない。一方で家族という近しい関係ゆえ、互いに、つい感情的になってしまうこともある。そんな時、家族以外にも自分のことを理解してくれる人が、たった一人でもいるならば、励ましの一言があるならば──。
 かろうじて高校を卒業した横山さんは、香川県の大学に進学した。そこで出会った学生部の同志から、信心のすごさを、人生の師匠の偉大さを学んだ。
 横山さんは夢を持った。「師匠のように子どもを励ませる教育者になりたい」
  昔の仲間は笑った。「ろくに学校にも行かず、勉強もできんかったオマエが?」
 だが、さゆみさんは応援してくれた。「よっこん君なら絶対いい先生になれるで! 大丈夫やから!
 そのさゆみさんが突然、病に倒れた。がんだった。
  大学3年だった横山さんは、香川から兵庫の病院にお見舞いに駆けつけた。
  闘病中にも来る人来る人を励まし、弘教まで実らせたさゆみさん。命燃え尽きるとするその瞬間まで、笑顔だった。「よっこん君、ありがとな・・・頑張りや」
 横山さんは涙をこらえ、約束した。「オレ、絶対に教師になるから・・・!」
  大学卒業後、創価大学の通信教育部へ。寝食を忘れて学び抜き、小学校教諭の免許を取得したのである。

「排」から「拝」へ

 「せやから、うちのクラスのみんなにも、苦しんでいる友達に寄り添える人になってもらいたいんや」
 教壇で全てを語り終えたとき、横山さんは、自分でも気づかずに泣いていた。
 人の苦しみを笑うような人間が、幸せになれるわけがない。この子たちを、そんな大人には絶対させたくない──その必死の思いが通じたのだろうか。児童たちも皆、泣いていた。
 横山さんは、ほほ笑んだ。
 「みんなで笑って卒業しようや。かけがえのない、大切な友達やんか」
 その日から児童が変わり始めた。だが心配だつたのは、あの剛君のことだ。
 クラス一の荒くれ者。彼が教室の重たい空気をつくっていたことは否めない。
 「この子さえいなければ・・・」そんなあらぬ思いを抱いたことがないと言えば、ウソになる。ゆれる心を振り払うように、横山さんは御本尊に向かった。
  どんな時も祈り続けることができたのは、亡き祖母・藤本ことさんの思い出があったからかもしれない。
 題目もひと筋の人だった。「お題目に間違いはない。必ず祈りは叶うんやで」
 そう言いながら、朝な夕な、縁する全ての人の幸福を祈り続けていた祖母。
 横山さんは心に期した。
 「祖母のように祈り続けよう。さわみさんのように剛君を信じ続けよう」
 始めたことがある。放課後の剛君との語らい、そして交換日記だ。
 最初は口を開いてもくれない。日記には一行も書かれていない。それでも笑顔で関わり、励ましの言葉を綴り続けた。「剛君の気持ちに、心から寄り添える自分にしてください」と真剣に祈りながら──。
 すると、ぽつりぽつりと話を始めてくれた。日記にも文字を走らせてくれた。
 「先生、あのな・・・」
  どうやら家族との関係で悩み、一人、寂しい思いを抱えていたらしい。それだけに、この“特別なやり取り”が、剛君にとっては何よりうれしかったという。
 剛君は変わった。「クラスのためなら、何でもやるわ! オレも、横山先生に助けてもらったから」
 クラス一の荒くれ者が、一躍、クラスを盛り上げるリーダーになった。
 この子さえいなければと“排除”するのではなく、「この子がいるからこそ自分も成長できるんだ」という感謝の思いへと変わる。“礼拝”するように尊敬できる自分になる。
  「排」から「拝」へ──教師の一念が変われば、クラスも必ず変わっていく、

体育館の放送室

 不登校の子どもは、学校そのものに極度の不安を覚える。朝、無理して学校に行こうとすると発熱や腹痛に襲われることさえある。“行かない”のではない。“行けない”のだ。
 横山さんは「安心できる学級づくり」を心掛けた。不登校の児童に、ただ復学を求めてはいけない。誰も心から「行きたい」と思える学級をつくらなければ。ゆえに、児童たち自身の手で理想のクラスを築き上げることが重要だ。
  もともと光一君と仲の良かった数人の児童が、率先して動いてくれた。朝や放課後に自宅まで顔を出してくれたり、メールや手紙を通して「みんながいつでも待っているからね」とメッセージを伝えたり。
  クラスの雰囲気が変わってきたことを感じたのだろう。3学期になると、光一君は放課後だけ、学校に顔を出すようになった。
  そこで何をしたかといえば、卒業式の予行演習だ。横山さんが校長役を務め、仮の卒業証書を手渡す。
  「つらかったら無理せんでもええんやで。本番が終わった後、個別に証書を渡すことだってできるんや」
 そう気遣うと、光一君は首を横に振った。みんなと一緒に出たいから──と。
 授業中の教室の前まで来たことも一度や二度ではない。だかあと一歩で断念してしまう。皆が祈るような思いで光一君に励ましの手紙を綴り、再会を待った。
 迎えた卒業式。紅白幕が張り巡らされた体育館のフロアに、彼の姿は、ない。卒業生の視線は、舞台袖にある「放送室」に注がれている。窓はカーテンに覆われていて外からは見えない。だが誰もが知っていた。あの中に、制服姿の光一君が座っていることを──。
 「卒業証書、授与!」
  光一君の名前が読み上げられると、校長は縁台から離れ、放送室へ。他の誰にも見られない証書の授与。全員が心で拍手を送った。
 式典終了後。もう待ちきれないとばかりに、児童たちは放送室に駆け込んだ。
 「卒業おめでとう!」「やったね!」「会いたかったよ!」
 横山さんが、手持ちのカメラを取り出した。光一君と、光一君を囲む子どもたちが見せた、今までで一番の笑顔、笑顔、笑顔──。
 「みんな、ほんまにありがとう」。そうつぶやき、シャッターを切った。



6、わが町に誇り 宮城 名取市閖上(ゆりあげ)  師弟の絆こそ最高いの「心の財」

  宮城県名取市の閖上は、仙台市の南、名取川の河口にある漁港の町である。東日本大震災で壊滅的な被害を受け、3年5ヶ月後の今、更地に夏草が生い茂る。
  震災当時の閖上支部は組織の再編で、「閖上池田支部」となった。新しい土地で人生の再建へ歩む共も多い。だが、故郷の姿は変わっても、心には消えない宝がある。「信心」であり、人生の師匠と刻んだ思い出だ。
 1982年(昭和57年)8月22日、第1回宮城平和希望祭に出席した池田名誉会長は翌23日、仙台空港へ向かう途中、閖上に立ち寄った。功労者の南雲周蔵さん・はつゑさん夫妻(共に故人)宅を訪れるためである。
 夫妻は鮮魚店を営み、2階を個人会館として提供していた。
 正午前、名誉会長を乗せた車が店の前に止まった。「いつも、ありがとう。いいお店だ」
 出迎えた一家と握手し、記念撮影。店内を一回りし、2階の会場へ。そこには「閖上は全てに勝利してまいります」との垂れ幕があった。当時の、そして今も変わらぬ同志の誓いである。
 「商売はどうですか」と尋ねる名誉会長。繁盛していると聞くと、「すごいね」と喜んだ。
 「町の名士になってください」と、地域に根を張ることが、広宣流布の道であることを語った。
  この励ましを胸に、一家は広布と地域貢献の道を走ってきた。
 鮮魚店は長男の勝征さん(副支部長)・優子さん(支部副婦人部長)夫妻に引き継がれ、大きく発展。2007年には、調理師になった勝征さんの長男・慎一さん(男子地区リーダー)と、料理店をオープン。全国から客が訪れる盛況だった。
 だが、店も家も、大津波で、なくなった。
 閖上の町自体、震災の前月には7000人だった人口が、現在は2500人を下回る。しかし、日曜・祝日には朝市が開かれるなど、少しずつ、息を吹き返している。
 夫妻は現在、市内の借り上げ住宅に、慎一さん家族と共に暮らす。「たくさんのお客さまが、今も『食べたい』と言ってくださいます。いつか店を再建したい」と夫妻は夢を語る。その日を目指し、勝征さんは魚介の冷凍品の仕入れと納品の仕事を始めた。慎一さんは、日本料理店で働いている。
 2人の再出発が決まった3年前の震災直後の春、裕子さんは、名誉会長に手紙を出した。
 すると伝言が届いた。
 “今の道をまっしぐらに進みなさい。必ず変毒為薬する時が来るから。安堵する時が来たら、一緒に万歳を叫ぼうよ”
 裕子さんは言う。「何もなくなったけど、私たちには信心が、池田先生との絆があります。家族が一つになつて、前向きに生きていきます」
 生まれも育ちも閖上という橋浦治さん(副圏長)も、自宅を流失。今年2月、市内の借り上げ住宅から、一戸建て住宅に転居した。各地に点在する閖上の同志を訪ねては、励ましてきた。今も頻繁に連絡を取り合う。
  外では気丈に振る舞っていても、じっくり話を聞くと、避難生活の苦悩を語る友は多い。特に、家族を亡くした人の悲しみは、癒えるどころか、深まっていると感じる。
 「励ますというより、聞くことです。皆、話を聞いてもらいたいんです。思いを口にするだけでも心が落ち着くんです」
 一方で、新天地で頑張っている知らせを耳にすると、喜びもひとしお。妻の京子さん(婦人部副本部長)が言う。「会合で体験発表したり、同志の牽引役になっていたり、活躍の様子を聞くと、本当にうれしい」
 震災当時の閖上支部、現在の閖上池田支部で、支部長・支部婦人部長を務める加茂正幸さん・仁子さん夫妻。
  震災翌日から、同志の安否確認に歩き続けた。
 自身は、家族も自宅も無事だつたが、それが逆に、心苦しかった。「どうして助けてあげられなかったのか」と。
 その分まで、対話と励ましに徹してきた。
 私たちは「心の財」を積む方法を知っている。だから頑張ろう。希望を持とう──何度、涙で語り合ったかも知れない。
 その中で、学会の会合に参加したり、聖教新聞を読む友人も増えてきた。「広宣流布の総仕上げは、東北健児の手で」──名誉会長の指針を、今こそ実現するときと、夫妻は決意する。
 名誉会長の訪問32周年を記念する閖上池田支部の総会が今月24日、岩沼文化会館で開かれた。それぞれ、状況は違うが、誓いは一つだ。
 「先生との絆こそ、最高の宝」「つらい思いをした分、閖上は、最高に幸せになります!」



7、この時に誓う 【7】清水信越長 長野研修道場訪問35周年 


  世界広布の電源地の誉れ

  池田先生が、戸田先生と最後の夏を過ごされ、万代の広宣流布を開く構想を語り合われた地は、浅間山を望む長野でした。1957年(昭和32年)8月のことです。
  池田先生は後年、この時の思い出を教えてくださいました。
 「(戸田先生が)学会も将来、このように天地で夏期研修会を行いたいとの希望を、私に語られたのである。それは、牧口先生の夢でもあった」
  まさに、その地に完成した長野研修道場こそ、創価三代の“夢の結晶”です。
  この道場に、池田先生が初訪問されたのは、35年前の79年(昭和54年)8月20日。宗門と反逆者による陰謀の嵐が吹き荒れており、先生が会長職を辞して、わずか4ヶ月後のことでした。
 先生は語られました。
 「私の声が創価学会の声だよ。私の声が鳴り響いている限り、創価学会は大丈夫だ」
 師の変わらぬ毅然とした姿に触れ、暗く沈んでいた同志の心に、希望の火がともったのです。
 道場内では、3000人の同志と記念撮影を。一人一人を抱きかかえるように、温かく励ましてくださいました。
 以来、先生は、毎年のように長野研修道場を訪れ、戸田先生との誓いを果たすように、夏期研修会を開催。信越の同志と数多くの原点を築いてくださったのです。
 そして今月も、お元気な池田先生と奥様を長野研修道場にお迎えし、32回目となる夏期研修会を行うことができました。
 信越に対して、特別な思いを寄せてくださる先生。共に勤行をさせていただく中で、この誉れの宝土で戦える喜びを、あらためて実感しました。

影の人を大切に

  創価の正義を叫べ!
  青年が模範と光れ!
  先生は夏期研修会の一回一回を、真剣勝負で臨まれています。私自身、82年(昭和57年)から運営役員として携わり、その激闘の様子を眼に焼き付けてきました。
 朝には、朗々としていた先生の声が、夕方にはかすれていたこともありました。それだけ渾身の指導を重ねておられたのです。
 その激務の合間を縫って、役員にも激励を送ってくださいました。
 「私は“影の人”なんだ。いつも舞台裏で、一身をなげうって、戸田先生を支えた。広布の戦いを支えた。だから私は、影の人の苦労が、よく分かる。影の人を大事にしなくてはいけないよ」と。そして、その言葉を自らの行動で示してくださったのです。
 ある時は、「ここが心臓部だね」と、運営本部の部屋まで来て、声を掛けてくださいました。また、ある時は、一緒に散策をしながら、万般にわたる指導をしてくださったこともありました。
 一人でも多くの友と会う。そして目の前の一人に、今できる限りの励ましを送っていく。ここに広布前進の要諦があることを、先生から直接、教えていただいたことは、私の生涯の財産です。

模範の人材城を

 道場内に設置されている、会館守る会を顕彰する碑には、「この地こそ われらか地涌の蘇生の宝土 各国の友 来訪し 永劫の共戦譜つづりゆく 世界広布の輝ける電源地なり」との言葉が刻まれています。
 道場での師の薫陶を胸に、創価の友が世界へと羽ばたいていく。この“生命錬磨の大城”を擁する信越こそ、「世界広布新時代」を切り開いていく使命と責任があると決意しています。
 6年前の8月、先生は、私たち信越の同志に、万感の期待を寄せてくださいました。
 「『長野を見よ!』
  『新潟を見よ!』
 そう満天下に示しながら、堂々たる人材城を築いてもらいたい」と。
  池田先生に育てていただいた信越との誇りも高く、後継の青年と共に、拡大の金字塔を打ち立ててまいります。



8、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道63

  谷沢千秋の子息・徳敬は、四十代半ばの壮年であった。初夏の太陽が照りつける国道を見ながら、ワイシャツ姿で雑貨店の店番をしていた。すると、乗用車が止まった。一人の男性が息を弾ませて駆けてきた。顔見知りの北海道長の高野孝作であった。
 「谷沢さん! 山本先生が来られたよ」
 徳敬は、高野の言っていることの意味が、のみ込めなかった。
 「はあ?」と、聞き返した時、山本伸一の「おじゃましますよ」と言う声がした。
 「よ、ようこそ、おいでくださいました」
 口ごもりながら、彼は答えた。
 「徳敬さんですね。いつも、お世話になっています。お母さんの千秋さんは、いらっしゃいますか」
 「それが、この先の個人会館に行っております。あそこで、山本先生をお迎えするのだと言って、喜んで出ていきました」
 「そうですか。では、このあとで、お会いできますね。ところで、お仕事は順調ですか」
 「……頑張っております」
 徳敬は、母の千秋と共に、この雑貨店とドライブインを経営していたが、どこか、力を注ぎ切れぬものがあった。
 もともと彼は、雑貨店を継ぐつもりなど全くなかった。獣医を志し、十勝にある農業高校の畜産科に学んでいたが、胸膜炎にかかってしまった。進路の変更を余儀なくされ、教員の免許を取り、小学校の教壇に立った。だが、雑貨店を営む父が腎臓病で倒れた。不本意ながら、自分が店を継ぐしかなかった。
 獣医への夢が破れた悔しさと悲哀を、夜ごと酒で紛らせた。アルコール依存症になり、入退院を繰り返した。
 経済的な困窮はなくとも、精神が満たされなければ、魂は飢餓にさいなまれる。心を豊かに、強くするなかに、人生の幸福はある。
 そのころ彼は、帯広にいた兄の勧めで、藁にもすがる思いで入会した。
 父も、母も、続いて信心を始めた。一九六〇年(昭和三十五年)のことであった。



9、社説  下半期を清新な息吹で   座談会の勢いが広布の勢い

  今月開かれる、学会の座談会には、夏季友好期間に多くの思い出を刻んだメンバーが集い合う。それぞれの〝夏の挑戦〟を伝え、健闘をたたえ合いながら、心新たに出発したい。
 座談会は、いわば励ましの花園だ。広布の使命に生き抜く同志が語らう座談の場は、人生勝利への〝生命触発の場〟ともいえる。後継の友らは、信心の先輩たちが語る「妙法の蘇生のドラマ」に触れ、発心する。座談会は、新たな旅立ちの舞台ともなろう。
 広布拡大の推進力が心通う伝統の座談会にあることは、昔も今も、そして未来も決して変わらない。
 今年の上半期、中部方面では地区1人の新入会者が誕生。青年を中心に、弘教拡大の歓喜が幾重にも広がる。愛知の西一宮勇光圏・明地地区では本年、3人の女子部の友が弘教を実らせた。友人が心を開き、入会を決意したのは、座談会場だ。
 同地区では、女子部一人一人の成長と、その友人たちの幸福を真剣に祈り続けてきた。信心の喜びを語り、互いに励まし合う創価家族に触れ、座談会に参加した友人は心を動かされた。「こんなに温かい世界があるんだね」と。
 同じく愛知の中川王者区・中島支部では今月、男子部の新リーダーが数多く誕生。その陰には、青年の育成に心血を注ぐ壮年部の同志のドラマがあった。支部で青年部座談会を開催し、壮年・男子が力を合わせ、参加を呼び掛けてきたのだ。
 未来は今にあり。青年部のリーダーも、平和の陣列に加わった新入会の友も、青年学会を担い立つ使命深き勇者である。世界広布の伸展はひとえに、一人一人の成長にかかっている。人材の大河を広げるには地道な訪問激励を重ねることが大切だ。
 地道でなければ、偉大な事業を成し遂げることはできない。地道でなければ、難攻不落の城を築くことはできない――この戸田第2代会長の言葉に触れつつ、池田名誉会長は綴った。
 「地道といえば、座談会ほど地道な戦いはない。しかし、だからこそ崇高なのである。だからこそ不滅なのである。小さな、小さな、この庶民の集いから、善と正義と連帯をば、地域へ、社会へ、世界へと広げていくのだ。最前線の座談会の勢いが、そのまま、学会の広宣流布の勢いである」(「随筆 人間世紀の光」)
 今年の下半期も、青年層を中心に対話拡大の波を起こし、常に清新な息吹みなぎる創価の連帯を築いていきたい。



10、今日の発心  曾屋入道殿御返事 1025㌻ 

御書 心の師とはなるとも心を師とせざれ(曾谷入道殿御返事、1025㌻・編675㌻)

通解 わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない。. 

【師匠の心をわが心として勝利へ】

 自身の弱い心に負け、弱い心を師として従ってはならない、と教えられた御文です。

 私は学会員の親友に折伏された際、〝池田先生を師匠と決めて人生を歩もう〟と語る姿に心打たれ、入会しました。人生の哲学を求めていた時でした。入会して偉大な師匠や御書を知り、同志と学会活動に励むうち、人生観が大きく変わったことを実感。先輩から「何かあったら自分の心の考えではなく、師のお心に近づいていく人生を」と激励されました。
 1972年(昭和47年)3月19日、池田先生をお迎えしての千代田区の記念撮影会が学会本部で行われました。その場で「千代田七百五十人会」(現在は七百六十人会)が結成。先生の温かい振る舞い、千代田を愛してくださる一言一言に触れ、師匠との原点を作ることができました。
 支部長として活動するなか、自宅の老朽化が大きな悩みに。〝千代田で戦う使命があるのなら〟と、妻と真剣に祈り抜き、区内のマンションに転居。現在、地元町会の副会長として、妻と仲良く地域の発展・繁栄に奔走しています。
 本年は先生の千代田文化会館訪問から30周年の佳節。青年の心意気で、幸福と勝利の歴史を築いてまいります。
東京・千代田区主事 中島宗一



【社会の情勢】 

◆ 民法 法定利率に変動制 制定120年大改正 法制審
◆  「健康への深刻な脅威」 WHO、電子たばこ規制勧告
◆ 地域雇用創出に366億円 31兆円超 15年度予算概算要求
◆  津波高 日本海地震で初想定 北海道で最大23・4㍍
◆ 土石流、時速100㌔超か 広島土砂災害

2014/8/28(木)の聖教

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2014/8/28(木)の聖教


1、南インド・ガンジー非暴力開発センター主催 池田大作SGI会長の記念提言をテーマに討論会

  南インド・ケララ州の州都ティルバナンタプラムの「マハトマ・ガンジー非暴力開発センター」にある「池田価値創造センター」のイケダホールで21日、池田大作SGI会長の第39回「SGIの日」記念提言「地球革命へ価値創造の万波を」(本年1月発表)をテーマに討論会が開催された。
 ガンジー非暴力開発センターの主催による討論会は、インドの著名な社会運動家で、ガンジー研究評議会議長のN・ラダクリシュナン博士の提案で実現。昨年に引き続いて実施されたものである。
 歓迎あいさつで博士は、1983年から続くSGI会長の平和提言に言及。「毎年、国連に提出される平和提言は、国連や各国政府の関係者、平和・人権運動家にも広く学ばれているものです。今、世界が池田博士の思想を求めているのです」と力強く語った。
 主賓であり弁護士のV・S・ハリーンダラナーツ氏が、平和提言の内容を紹介した後、インド創価学会を代表して5人のメンバーが登壇。「世界市民の教育」「レジリエンス(社会を回復する力)の強化」「核兵器の廃絶」などをテーマに、提言について意見を述べた。
 ガンジー主義者が参加者の半数以上を占める中、代表してケララ大学元教授のM・K・ガンガダラン氏、ケララ州ハリジャン福祉協会会長のゴピーナタン・ナヤール氏らが、平和提言に対する称賛と共感の言葉を寄せた。
 最後に討論会の講評に立ったラダクリシュナン博士は、次のように訴えた。
 「池田博士の平和提言には、平和への深き誓願と、真剣なる英知の闘争が脈打っています。この提言に触れることで、自身の平和への意識が高まり、勇気と情熱を抱くことができるのです!」



2、わが友に贈る

 友のための行動は
 全てが心の財と輝く。
 「あの人がいたから」
 そう讃えられる
 誇り高き人生を!



3、名字の言  長さ3㌢の鉛筆とガンジー。 一つのもの、ささいな言葉の奥にも「心」がある。

  アメリカ創価大学(SUA)を卒業後、日本で数年間を過ごしたイギリスの友が、母国へ帰ることになった。「最後に一度、行ってみたい」と、彼女が足を運んだのは北海道の厚田だった▼戸田第2代会長は、この地で少年時代を過ごし、夕張・真谷地で小学校の教員となった後、20歳で上京する。いったん厚田に戻り東京へたつ朝、母から手渡された手縫いのアツシのはんてんは、その後の生活で身も心も温める一枚となった▼先の彼女が在学中、大学を支援する人々から、学生にと、毛織の外衣や肩掛けが寄贈された。大きな真心に包まれ、彼女は、冷え込む朝夕も勉学への挑戦を重ねてきたのだった▼今月、14期生が入学したSUAのキャンパスには、インドのガンジーの像が立つ。かつて創立者の池田SGI会長は、ガンジーの逸話を紹介した。――独立運動で各地を回っていた時、一人の少年が鉛筆を寄付した。長さ3センチほどのそれを、ガンジーはずっと大切にした。〝小さな鉛筆でも、子どもにとって大事なものだ。そうした国民の「思い」を忘れて、私の政治活動はあり得ない〟と▼一つの物、ささいな言葉の奥にも「心」がある。その「心」を感じ、自らも心を尽くして応えていく中に、人間としての崇高な生き方がある。(蹴)



4、寸鉄

★ 「一の師子王吼れば百子力を得て」。偉大な歴史も一人から。勝利の方程式
      ◇
★ 初級・3級試験まであと1カ月。受験者頑張れ!挑んだ分、自身の財産に
      ◇
★ 総千葉青年部が拡大月間を前進。勇んで友好対話へ!君こそ新時代の旭日
      ◇
★ 新たな道をつくる活力が今を特別な時間にする―哲人。広宣の人生に充実
      ◇
★ 「自分の将来は明るい」高校生64%と。この希望を大きく育む社会を皆で



5、開所25年を迎えた イギリス、タプロー・コート総合文化センター

  イギリスSGIのタプロー・コート総合文化センターが本年、開所から25周年の佳節を迎えた。地域に開かれた「友情の庭園」「平和の城」として輝きを増す同センター。その様子を写真とともに紹介する。

 タプロー・コートを訪れたのは7月下旬。
 日差しは強いが、空気は乾いており、涼風が肌に心地よい。
 庭園を歩けば、ハーブの香りが身を包む。色とりどりの可憐な花々は、訪れた人々を、おとぎの国へといざなうようだ。
 敷地にはリンゴなど、さまざまな果樹も。緑鮮やかな草の上には、優雅に歩む馬の姿も見える。ここでは、蜂蜜も作られている。

                            ☆☆☆

 タプロー・コート総合文化センターが立つのは、ロンドンから西へ約40㌔のテムズ河畔の丘陵。この地には、紀元前から人々が生活を営んでいたとされる。
 近現代では、王室の居城にも近いことから、エドワード7世らイギリスの歴代国王はじめ、チャーチルなど歴代首相ら各界の名士が訪れている。

                             ☆☆☆

  この歴史ロマン輝く館が修復を施され、イギリスSGIのセンターとして装いを新たにしたのは、1989年の5月。開所式には池田SGI会長が出席した。
  「地域に解放していこう」「“文化の城”にしよう」──会長の提案を受け、これまで市民に開かれた数々の行事を開催。多くの人々が同センターを訪れ、「憩いの広場」として親しまれている。

                             ☆☆☆

  今年は、第1次世界大戦の勃発から100年の節目。
 当時、タプロー・コートを所有していたデズボラ卿の2人の子息も、戦地で命を落とした。また、この建物は、大戦中、王立カナダ病院の看護師たちの寄宿舎として用いられている。
 現在、センターでは、第1次世界大戦当時の人々の服装や新聞報道の様子などを展示。多くの若者が戦死し、「一つの世代がなくなった」と言われる戦争の悲惨さを伝えるとともに、平和の尊さを訴えている。

                             ☆☆☆

  幾多の歴史の流転を見つめてきたタプロー・コート。
 今、この館は生命尊厳の哲理を地域へ、社会に広げゆく「平和の城」として、新たな光を放っている。



6、小説『新・人間革命』第27巻第4章  求道64

  創価学会に入会した母親の谷沢千秋は、息子の徳敬以上に、真剣に信心に励んだ。
 彼女は、秋田県の生まれで、幼少期に両親と共に北海道へ渡った。小樽、函館、札幌などを転々とした。十三歳の時に両親と生き別れになり、北見の親戚の家に身を寄せた。愛情、温かい家庭とは、無縁な青春時代であったといってよい。
 十八歳で結婚したものの、夫は病弱であった。肝臓、腎臓、心臓……と病み、入退院の連続であった。生活費の大半は、医療費に消えた。家計は、いつも火の車であった。
 ”自分の人生は、なぜ、不幸にまつわりつかれているのか……”
 そんな疑問が頭をよぎった。草原の上に広がる果てしない大空を見ながら、”翼があれば、何もかも捨てて、どこかに飛んでいってしまいたい”と思うこともあった。
 そのうえ、柱と頼む息子の徳敬が、アルコール依存症になってしまったのだ。千秋の心は、来る日も、来る日も、暗雲に閉ざされていた。
 そのなかで、日蓮大聖人の仏法と巡り合ったのである。「必ず宿命は転換できる」「誰もが幸福になるために生まれてきた。それを実現できるのが仏法である」――その話に、彼女は、信心にかけてみようと決意した。
 懸命に唱題した。「聖教新聞」に掲載されている山本伸一の指導を貪るように読み、弘教にも挑戦した。六時間、七時間と歩いて、仏法対話や同志の激励に出かけた。
 信心を始めると、家業の雑貨店の客が減っていった。学会への偏見に基づく流言飛語を真に受けた人たちが、店に来なくなってしまったのである。
 “難だ! 御書に仰せの通りだ!”
 彼女の胸には、むしろ、仏法への確信と、歓喜の火が燃え盛った。
 彼女は、日々、心で伸一に語りかけた。
 ”先生! 私は負けません。必ず幸せになってみせます。どうか、ご安心ください!”
 師弟の道は、わが胸中にある。



7、座談会 世界広布新時代の旭日【72】「後継の宝」の育成に全力 青年革命の模範と輝け

  清水(重) 8・6「信越師弟誓願の日」と8・24「信越青年部の日」を記念する信越の月間(31日まで)では、後継の未来部の育成と青年部の折伏・弘教にも全力を注いでいます。

 杉本 未来部育成において、信越は、先駆的な取り組みを行ってきた地域の一つですね。

 峯村 現在、各地で行われているファミリー大会やファミリー勤行会なども、すでに十数年前から自発的に開催していました。

 野上 夏休みになると、支部や本部の単位で、全未来部員が集まり、各リーダーも一緒になって、家族と共に勤行・唱題に挑戦。その取り組みを継続して行うことで、育成の流れは着実になり、未来部から青年部への移行もスムーズです。

 原田 そうした中で、年長の未来部員が、年下の面倒を見る伝統が生まれ、人材育成の大きな流れも確立しているのですね。

 清水(重) はい。たとえば、長野の木曽圏では「木曽家族」といわれるほど、壮年・婦人部の面倒見が良く、青年部も未来部も大いに成長を遂げています。

 峯村 この8月も、スイカ割りなどの楽しい企画を行い、夏休みの課題・宿題などに挑戦する「未来塾」を開催し、大反響でした。

 清水(美) 新潟の西圏では、圏独自で夏の絵画展を開催。入会・未入会に関係なく、地域の恒例行事の一つになりつつあります。

 清水(重) この圏では今年、教育部、国際部、芸術部等が力を合わせ、未来部員のための「いろいろワークショップ」を開きました。ここでは、たとえば、芸術部の方が、「絵を描くためには、興味を引き出すことが大事」と、ザリガニなどを用意し、自由に絵を描いてもらっていました。

 野上 担当者の方は、企画の立案や実行を、中・高等部員に任せていたそうですが、少年少女部員が、中心となった中・高等部員についていこうとする姿に、今後の部員会の在り方が見えたとも語っていました。

 原田 未来部員の自主性を育むことが、未来部育成において、どれだけ重要かを物語る大切な話です。

やり遂げた”喜び”

 清水(重) 信越の青年大会は、2県の特色がそれぞれ存分に生かされた、素晴らしい集いでした。

 峯村 全国の先駆を切って5月に開催された長野の青年大会では、多くの新たなメンバーが立ち上がり、その後、折伏にも挑戦。大会の映像を見た友人が続々と入会しています。

 杉本 長野の青年大会の様子は聖教新聞でも大きく報じられ、全国に大きな波動を起こしていました。

 野上 今月、行われた新潟の大会も圧巻でした。ここでは、「会友」と「新入会者」だけで合唱団が構成されました。

 清水(美) 会友の方も何度も会館に通いながら、切磋琢磨し、迎えた本番は、皆がやり遂げた喜びを実感していました。

 野上 「学会に入り、自分を変えたい。成長したい」「いつも前向きな皆さんの生き方と友を励ます温かな”空気”に感銘しました。私も仲間に加わりたい」など、今、学会に入会される人も多く誕生しています。

 原田 新潟では青年大会を目指し、壮年・婦人部も聖教の大拡大をやり抜き、各部一体で青年の集いを、お祝いされていましたね。

 峯村 女子部では、孫、姪の立場から、祖父母や、おじ・おばに真心の弘教を達成した方がいます。女子部員の真っすぐで純粋な心に触れ、入会される姿に、あらためて「女子は門をひらく」(御書1566ページ)との一節を命に刻みました。

 野上 男子部も多くの友が折伏を成就して集い、「生涯、池田先生の弟子として生き抜く誓いの場となりました!」と力強い決意を語っていました。

 原田 「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(同1361ページ)です。自行化他にわたって、妙法弘通に生きる青春が、無量の福徳を積むことは間違いありません。

「婦女一体」の前進

 峯村 信越でも婦女一体の取り組みは活発で、本部幹部会の中継行事に、女子部員の9割近くが参加した圏もあります。

 杉本 長野のある圏副婦人部長は、女子部を応援する「すずらん長」として、女子部と同じ目線で激励を続け、多くの人材を輩出。折伏の場でも大活躍していると伺っています。

 清水(美) 現在、新潟の弘教拡大をリードする中越栄光圏では、教学を根幹に前進しています。地区婦人部長全員で『開目抄講義』を研鑽するなどし、信心の確信を一層深める中で、楽しく折伏に挑戦。女子部の弘教も進んでいます。

 杉本 ”あったかいわ”が合言葉の信越婦人部は、「相手に会って」「相手に合った」「温かい」会話、さらに「温かい輪を」との意義のもと、励ましの連帯を内外に広げていますね。

 清水(美) 池田先生は、「ありがとうは〈奇跡の言葉〉である。口に出せば、元気が出る。耳に入れば、勇気がわく」と綴られました。私たちは、この指針を心に刻み、”あったかいわ”運動に取り組んでいます。

 原田 先生は信越に、「青年革命の模範」「人材輩出の偉大な地涌の天地」と言われました。師弟不二の誓願を立て、黄金の人材山脈の構築へ、さらなる勢いで走り抜いていかれることを強く期待しています。



8、社説  あす「国際部の日」 光放つ“信頼のネットワーク”

  先月の総東京青年大会では、在日外国人部のメンバーで、首都圏在住の英語を話す友の集い「東京インタナショナル・グループ」の青年部員が、各国の伝統音楽に合わせ、ダンスを披露した。そのステージは、民族や言語の違いを超えて世界を結ぶ創価の連帯を表現していた。
 世界広布を担いゆく若人たちの躍動する姿に、多くの友らが未来の希望を感じたという。
 あす29日は「国際部の日」。1968年(昭和43年)8月29日、来日した海外メンバーの通訳や翻訳に携わる友を、池田名誉会長が激励。学生部の「近代羅什グループ」(男子)と「近代語学グループ」(女子)を結成したのが淵源である。
 71年には「国際部」が発足。現在までに「通訳翻訳部」「国際ボランティア部」「国際交流部」「在日外国人部」の4部で構成される「国際本部」へと発展した。同部の友は世界を舞台に活躍するとともに、国内では未来部育成にも力を注ぐ。
 グローバル時代の到来で、社会環境は大きく変わった。情報通信技術の発達に伴い、今では「いつでも」「どこでも」「誰とでも」瞬時につながる時代を迎えた。その一方、国家・人種・宗教間の争いは、なお絶えない。彼我を分かつ「心の壁」はまだまだ厚い。
 平和と信頼の連帯を世界に広げるには、「国際人」の要件を問い続けることが大切だ。
 名誉会長は96年6月、米コロンビア大学ティーチャーズカレッジでの講演で、世界市民の要件を示した。その一つが”互いが差異を尊重し、理解を深め合いながら、それを成長の糧にしていく勇気”である。互いを単に認め合う「消極的な寛容性」にとどまらず、他者と交わり、個々の違いを認め合いながら、人間性を磨いていく――この「積極的な寛容性」を志向する勇気こそが「心の壁」を打ち破る力となるのだ。
 ”誰ともつながりうる”社会は、逆に言えば”嫌な人とはつながる必要がない”ということ。ネット上では、価値観や考え方の似た人とつながりがちだ。それは、情報ネットワークを基盤とするグローバル社会の落とし穴といえる。信頼を深め合う「一対一の対話」が要請されるゆえんでもあろう。
 相手の善性を信じ抜き、共々に、豊かな人間性を輝かせていくのが、仏法の説く生き方だ。それを実践し、社会の閉塞感を打ち払う国際本部の同志こそ、まさしく国際人であり、世界広布新時代の先駆者である。



9、今日の発心  衆生心身御書 1591㌻
 

御書 法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給う(衆生身心御書、1591ページ・編1468ページ)

通解 法華経という経は随自意といって、仏の御心を説かれたのである。. 

【“戦い続ける心”で宿命を転換】

 法華経は仏が仏界に随って説いた教えであるので、たとえ理解は及ばなくても、妙法を唱えていけば、無量の功徳を受けていけるとの教えです。

 学会2世として育ち、1992年(平成4年)に結婚。夫婦で学会活動に励んできました。
 しかし、仕事で多忙な夫が体調を崩し、退職を余儀なくされることに。先輩の励ましを受け、夫の回復と経済的な課題の克服を懸けて唱題に挑戦。そんな94年3月、東京牧口記念会館で開催された「東北栄光総会」に参加しました。その席上、池田先生が拝されたのが、この御文です。さらに、戦い続ける心が「仏」であると指導を。その言葉に、”今こそ宿命転換を”と一念を定めました。
 夫婦で祈り、勇気の対話に挑戦するなか、友人への弘教が結実。そのころから夫の体調も回復に向かい、1年間の闘病を経て再就職を果たすことができました。
 震災より3年5カ月。東北に慈愛あふれる励ましを送り続けてくださる先生・奥様、そして日本の、世界の同志の皆さまへの感謝は尽きません。9月12日「若林総区の日」を大勝利で迎え、この天地に難攻不落の人材城を築いてまいります。
宮城・若林総区婦人部長 鈴木 薫



【社会の情勢】 

◆ 奨学金 無利子枠3万人増 低所得世帯に支援拡充 文科省
◆  指定難病に110疾患選定 対象120万人へ拡大
◆ ガザで長期停戦成立
◆  「個人情報削除」詐欺が急増 「公的機関なのる、注意を」 国民生活センター
◆ 危険ドラッグ 初の検査命令 4都府県で一斉立ち入り 厚労省

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