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2014/11/25(火)の聖教

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2014/11/25(火)の聖教

1、難攻不落の三代城を永遠に 北海道広布60周年を大躍進

大空知総県が大会 原田会長が出席

 北海道の同志に朗報! 「小樽問答」「札幌・夏の陣」から60周年の佳節を迎える明年、新たに3会館が着工されることが決まった。
 新宝城は、小樽県の中心会館である新「小樽文化会館」、太平洋総県および苫小牧池田・苫小牧戸田県の中心会館の新「苫小牧平和会館」、道南戸田県をはじめ近県の友の広布の城となる「道南文化会館」である。

2、しなの合唱団が金賞 全日本合唱コンクール全国大会

  音楽隊結成60周年を荘厳! しなの合唱団が23日、香川県高松市・アルファあなぶきホールで開かれた第67回「全日本合唱コンクール全国大会」(主催=全日本合唱連盟、朝日新聞社)の「大学職場一般部門 同声合唱の部」に出場。見事、2年連続3度目の「金賞」と、「香川県教育長賞」に輝いた。
 女声と男声の競演が繰り広げられる「同声合唱の部」。強豪10団体が、個性の際立つ歌唱でしのぎを削った。
 しなの合唱団の強みは、エネルギッシュな声の勢いと、大河のように太く包容力のある響きだ。
 笹口圭吾氏の指揮、前田勝則氏のピアノで、課題曲「日まわりの歌」に続き、自由曲は「男声合唱とピアノのための『五つのモノローグ』」から2曲。谷川俊太郎氏の詩に、信長貴富氏が曲を付けた作品で、男の願望や葛藤を描く。
 前半は、冒頭から総勢73人の“声の束”が圧倒する。後半は16分音符の速いリズムを刻みながら、終盤へと、音の激流を練り上げた。“苦闘を突き抜けた先に輝く、大いなる未来”――そんなメッセージを感じさせる好演だった。
 今年は、しなの合唱団が飛躍を遂げた年。きっかけは、東日本大震災の被災地で行ってきた「希望の絆」コンサートである。3月から、福島や宮城の仮設住宅など20会場以上で演奏会を重ねてきた。
 当初は“自分たちの歌が被災者の心に届くのか?”、そんな不安や葛藤に襲われた。
 だが、“今こそ音楽隊の使命を果たす時”と腹を決めた。池田名誉会長が東北の同志に贈った指針を皆で読み、同苦の心を学んだ。移動のバスでも必死に練習した。自信はない。でも、目の前の一人のために精いっぱい歌おう――。
 演奏を終え、被災者から送られた拍手と歓声、そして涙。この時、団員は気付いた。大事なことは“心で歌うことだ”。
 そして何より皆を成長させたのは、本年春、名誉会長と音楽隊が共に作り上げた新学会歌「誓いの青年よ」。初演を担った団員の心は一つになった。「断じて師恩に応える!」
 今回、つかんだ全国大会「金賞」の栄冠。分部光一団長は語った。
 「池田先生をはじめ支えてくださった全ての皆さまに勝利の報告をすることができました。これ以上の喜びはありません!」

3、わが友に贈る

  創価の柱たる
 大関東の友よ!
 不屈の敢闘精神と
 模範のスクラムで
 幸福の楽土を築け!

4、名字の言  視点を変える

 地域の問題を協議する会議でのこと。議論が進まず、中心者が一つの提案をした▼往々にして、主張を言いっぱなしにしてしまうのが現状。そこで「会議を“話し合いの場”ではなく“聴き合いの場”にしてはどうでしょう」と。“聴く”ほうに軸足を置いて話し合うと、会議は実りあるものになった。視点を変える発想の妙を教えられた▼会社の営業で、悪戦苦闘する男子部員がいた。先輩同志の励ましで、今こそ信心、と祈るようになり、学会活動にも挑戦。ある日、「断られる回数を目標にしよう!」と決めた。すると厳しい応対にもひるまなくなり、訪問件数も増え、契約が取れるようになった▼誰しも壁にぶつかることがある。その時、どう乗り越える方法を見つけるか。「勇気をもって、ぶつかっていくことだ。動けば、おのずから、視点は変わる」と池田名誉会長はアドバイスを送る▼仏法は「煩悩即菩提」「難即悟達」を説く。マイナスをプラスに転じる、いわば視座と発想の転換である。そして「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(御書732ページ)と仰せのように、苦境を開き、転換するために、妙法の実践がある。真剣な祈り、勇気の行動――その中から、限界を突破するための知恵は、無限に湧いてくる。(江)

5、寸鉄 

★  会長の人間主義が文明を永遠の発展に導く―博士 平和世紀の太陽は燦たり

★ 開拓の勇者・中国方面の友が正義の大行進!歴史を開く凱旋を一人一人が

★ 「軍には大将軍を魂とす」幹部の勢いで決まる。強気で拡大!勇気の万波を

★ 一番大事な事を見極め最優先せよ―恩師。協議は価値的に。ぱっと現場へ

★ 家計支え経済全体の活性化進める公明の視点が不可欠―識者。断固応えよ

6、わが町わが誇り  広島 呉平和圏・呉東平和圏 執念の祈り電光石火の行動

  “呉が呼んでいる。呉の同志が待っている。よし、行こう!”
 池田名誉会長の広島・呉の初訪問は急きょ決まった。1975年(昭和50年)11月11日の午後。広島市の広島文化会館で、呉の同志が来訪を祈り待っていることを聞き、決断した。
 「『今』という時は、二度と来ることはない。ゆえに、機会を逃さぬ、電光石火の行動が大事なのだ」──小説『新・人間革命』第22巻・命宝の章に、当時の心情が描かれている。
  訪問は、一婦人の執念の祈りから生まれた。
 呉総合本部(当時)の中心者だった竹下牽子さん(総県婦人部主事)。
 夫の一馬さん(総県主事)と共に、後に圏長・圏婦人部長も務める。呉広布の功労者の一人だ。
 午後4時前、呉会館の隣にある会場に、名誉会長を乗せた車が止まった。同会場と近くの公園、呉会館にも、多くの同志が集まっていた。
 公園に集った同志の歓声と涙顔。手を振って応えた名誉会長は、会場に入り、そこをぎっしり埋めた同志に語った。
 「きょうは、呉の皆さんの題目の力に、ひきつけられて来ました」
 「皆で力を合わせ、世界一明るく、仲のよい、功徳に満ちた呉創価学会をつくっていこうではありませんか!」
 会場を後にした名誉会長。車が、ドアを開けてまっていた。
 それを見た牽子さんはあわてて「先生!  呉会館はこちらです」と、名誉会長の腕を引っ張った。帰ってしまうのではと心配し、呉会館の同志にも会っていただきたい、と必死だった。
 「分かっているよ」
 名誉会長はその一途な心を喜び、「夫婦でよく頑張ってくれたね」と、功労をたたえた。
 名誉会長は、訪れた呉会館でも2度、勤行会を開く。この訪問が、後の第1次宗門事件を乗り越える原動力となった。
 名誉会長が第3代会長を辞任した翌年の80年(昭和55年)から、呉は5年連続で、中国方面トップの弘教を達成。反転攻勢の牽引力となる。
 名誉会長が呉に2度目の訪問を果たすのは、その5年目、84年(昭和59年)10月26日のことである。呉平和会館に着いた名誉会長は、青年部などを激励し、記念植樹。続いて、各部のリーダーらと記念撮影を行った。
 その中にいた原田紀夫さん(副総県長)は、17年前の師匠との出会いを思い出していた。
 67年(昭和42年)7月、呉市内で、豪雨による土砂災害がガ発生。生き埋めの一家の救出に向かった原田さんは、再び襲った土砂に飲み込まれた。
 九死に一生を得たが、共に救助活動をした同志らの死に直面し、大きな悲しみを背負った。
  退院した原田さんは翌8月、男子部の夏季講習会に参加する。名誉会長は、被災直後から遺族や被災者に矢継ぎ早の激励を送ったが、重ねて、原田さんを抱きかかえるように迎えてくれた。
 「大変だったね。よく頑張った!」と名誉会長。自分の前に置かれたジュースを渡した。
 原田さんが一口だけ飲もうとすると、「全部、飲んでいいんだよ」。
 涙にむせぶ原田さんに言った。「これからどんな苦境にあっても、必ず幸せになれる。だから、頑張るんだよ!」
 その師の言葉が、原田さんの人生を支えた。
 2度のがんを克服。経営する運送会社も、倒産の危機を乗り越え、社員40人を擁するまでに。
 3人の娘も、全員が広布の庭で存分に活動。原田さんは本年7月に新居を構え、1階を広布の会場に提供している。
 桧和田ヨシ子さん(支部副婦人部長)も、84年の訪問で、忘れ得ぬ思い出を築いた一人。10月26日午後、名誉会長が、桧和田さんの営む喫茶店に立ち寄ったのである。
 名誉会長は「とてもおいしかったです。この味は忘れないよ。一生、覚えておくよ」と。
 そして「誰からも好かれる人間、お店にしていってください」。
 この日を原点に、桧和田さんは活動に励み、店も連日、多くの客でにぎわうようになった。
 一緒に激励を受けた長女の新地節子さんは今、総県副婦人部長。店は2年前に閉めたが、一家で歩んだ学会一筋の道は、同志の希望と光る。
 “呉よ、心臓部たれ”──名誉会長は、先駆の行動で、広布の全体を動かすことを、いつも呉に期待してきた。
 84年の訪問から30年。呉が動けば、広島が、中国が、全国が動く! その誇りと決意が今、呉にはみなぎっている。

7、この時に誓う 谷川副会長 【11】  「11・18」から新たな挑戦

  本年は初代会長・牧口先生の殉教から70年。
  192カ国・地域に日蓮仏法の光りが広がり、広宣流布大誓堂に全国、全世界の同志が集い来ています。その姿を見る時、初代・牧口先生、第2代・戸田先生の誓願を継ぎ、果たしてこられた池田先生への報恩感謝の思いが湧いてまいります。
 同時に、一人の池田門下として思います。
 “あの偉大な師匠のようになれるはずがない”と思ってしまうならば、それは、謙虚に見えるが、実は、卑屈であり、仏教の師弟不二の精神への侮りとさえいえる。
 未熟で弱い自分であるけれども、“あの偉大な師匠のように”と誓い、自身をなげうって戦う中に弟子の道がある、と。

背後の人にまで心を砕く

 先生の一日は、朝、起きた瞬間から、同志への激励です。
  たとえば、聖教新聞に目を通せば、写真に写った方に激励を送られたり、掲載された地域に伝言を贈られたりします。
 車に乗れば。運転手に声を掛け、本部に着けば着任中の役員に励ましを送られます。しかも激励は、会った人に対するだけではありません。ご家族にまで気を配られる。
 一人の背後にいる人まで“立体的”に見て、心を砕く。何度も、そのお姿を拝見してきました。
  私自身、創価中学・高校の在学中から、卒業・大学進学、就職と、人生の節目に、これほどまでにという激励をいただいてきた一人です。
 1984年(昭和59年)、学生部長だった私は、先生の関西指導の運営役員に就きました。
 関西では、草創からの功労者の近況を調べて一覧にしていました。先生は、関西文化会館に到着されるや否や、その名簿をご覧になり、大変な勢いで激励の手を打たれていきました。
 その際、名簿に載っていない方のお名前が出てくるのです。地元の幹部も分からない。しかし、調べてみると確かにいらっしゃる。先生は大阪への車中から、既に関西の同志のことを考えておられたのだと思いました。
 同じ年、和歌山から大阪に戻られる特急電車に同乗した時のことです。
  途中の停車駅で、利用客の邪魔にならないよう、ホームの端で待っている少年少女たちがいました。動き出した車両から、それを見つけた先生は全力で手を振られ、その後も、子どもたちへの激励の指示を出し続けられました。
 それは大阪に着くまで続いたと記憶します。「先生は常に、どうやったら同志を励ませるのかを考えておられる」と知りました。

先頭を切る

 私が男子部長に就任した直後、青年部幹部会で、青年部の目標を発表する機会がありました。すると先生は間髪を入れず言われました。「本当にできるのか?」
 「私は師匠である戸田先生の前でお誓いしたことの、ただの一つもできなかったことはない、本当にできるのか?」
 「やります!」とお答えしましたが、原稿を読み終えると、「それで?」と言われます。
 ところが、もう読む原稿がないる困り果てましたが、腹を決め「すべての戦いに私が先頭を切ってまいります!」と申し上げると、「そうだ!」と言ってくださいました。
 青年部時代の先生は、戸田先生が逝去される直前、“7年間で300万世帯の陣列”という目標を示された時、「はい。成就いたします。ますます勇気がわきます」と即答されているのです。
  幹部会は、全国の会館に中継されていました。
 師匠に誓ったことは必ず成し遂げるのが学会精神であると、私自身、そしてすべての青年部員に教えてくださったのです。
  「11・18」から、世界広布新時代を開く、新たなる戦いの火ぶたは切られました。池田先生に薫陶を受けてきた私たち門下の熱と力でね断じて勝利してまいります!

8、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (7)

  牧口初代会長、戸田第二代会長は一人立つことによって、現代における広宣流布の新たな流れを開いた。その事実のうえから、山本伸一は、「諸法実相抄」講義で、慈折広布を実現させゆく師子の精神を訴えたのである。
 ところが宗門は、その文言をもって、あえて、学会では日蓮大聖人と初代、二代の会長を同一視しているとして、極めて歪んだ見方の質問をよこしたのである。
 また、伸一が、戸田は獄中にあって、唱題のなかで、「法華経を色読され、地涌の菩薩の棟梁としての開悟をされた」と語ったことについても、こう尋ねてきた。
 「地涌の菩薩の棟梁とはいうまでもなく上行菩薩であります。すると戸田前会長は上行菩薩として自身を開悟しその行を行じたのですか。そうなると大聖人は必要ないことになりますね」
 伸一が、戸田を、「地涌の菩薩の棟梁」と述べたのは、「在家における折伏弘教のうえの指導者」という意味からであった。また、戸田自身が、自らを「地涌の菩薩の棟梁」と言っている。戸田は、その自覚に立って、戦後、広宣流布にただ一人立ち、会員七十五万世帯の弘教の指揮を執ったのである。
 この戸田の戦いについて、法主の堀米日淳は、「その方々を会長先生が末法に先達になって呼び出されたのが創価学会であろうと思います。即ち妙法蓮華経の五字七字を七十五万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」(注)と賞讃している。ここに述べられた「その方々」とは、六万恒河沙の大士即ち地涌の菩薩のことである。伸一は、それも踏まえ、戸田が戦後日本の混乱した時代にあって、会員七十五万世帯達成という未曾有の正法流布の指揮を執った事実のうえから、「地涌の菩薩の棟梁」と述べたのである。
 現代にあって、さまざまな法難に遭い、不惜身命の覚悟で広布を進めている人こそが「地涌の菩薩」であり、その指導者は「棟梁」ではないのか! そうでなければ、どこに、「地涌の菩薩」の出現があるのか!
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■引用文献

 注 「創価学会第十八回総会御講演」(『日淳上人全集 上巻』所収)日蓮正宗仏書刊行会=現代表記に改めた。

9、座談会 世界広布新時代の旭日 【96】開幕の年」の本年 総仕上げの時

要諦は「団結」と「スピード」

「大衆とともに」貫け公明党結党50年

 吉井 全国で学会伝統の「教学部任用試験」が実施され、大成功で終えることができました。

 杉本 多忙な中、挑戦された受験者の皆さま、また一人一人を支えてくださった皆さま、役員・担当者をはじめ、全ての方々に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 正木 今回の任用試験をきっかけに、新たに立ち上がった同志が、「世界広布新時代の主役」として輝けるよう、さらに全力で励ましていきたい。

 原田 いよいよ、1年の総仕上げの時を迎えました。「世界広布新時代 開幕の年」を断固として勝ち飾り、明「躍進の年」へ、勇猛果敢に対話拡大に打って出たい。そして、創価の万代の勝利を開いていきましょう!

ゴールまで全速力

 竹岡 本年も残り少しとなりました。かつて池田先生は、わずか10日間で日本一の折伏を成し遂げ、歴史を動かした「札幌・夏の陣」を通し、勝利の要諦について教えてくださったことがあります。それは、①団結②スタートダッシュ③中心者の鋭き一念です。

 橋元 第1の要諦は、「団結」。「戦いが短ければ、短いほど、気を引き締め、結束しゆくことだ」と。

 第2の要諦は、「スタートダッシュ」。「先んずれば人を制す」「先に手を打った方が、必ず勝つ」と。

 そして第3は、「中心者の鋭き一念」。「同志の必死の奮闘の一切を勝利に直結させるとの一念」「絶対に勝つという一念」です。

 原田 「短期決戦は、ゴールまで全速力で走り抜く」ことが鉄則です。「始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん」(御書1440ページ)との御聖訓を胸に、友のため、法のため、社会のため、平和のために走り抜いていきましょう。

 正木 一人一人が信心の戦いを通して、人間革命・宿命転換を果たせるよう、共に祈り、励まし合っていきたい。

 杉本 足元の地域での地道な草の根の行動から新時代は開かれます。今いる場所から友好を拡大し、民衆の幸福と平和の実現へ、自他共の幸福の連帯を大きく広げていきましょう。

小さな声を政策に

 橋元 さて、国会では、今月21日に衆議院が解散し、総選挙が12月2日公示・14日投票の日程で実施されることになりました。

 正木 今回の総選挙は、与党の進める経済対策・財政再建の路線をさらに推し進めるのか、それとも、具体的な経済政策を提示できない野党に委ねるのか。日本の行く末を左右する「政権選択」の選挙です。

 竹岡 ①法律に明記されていた来年10月の消費税引き上げを見送る。②消費税を10%に再増税する時期を2017年4月にする。③再増税と同時に軽減税率を導入する――今回の選挙では、この3点の是非が問われています。

 橋元 景気をどう改善して国民生活を守るか。また、社会保障などの取り組みも、待ったなしです。

 原田 学会は中央社会協議会で、公明党から寄せられた衆院選での比例区への支持依頼について検討・協議し、比例代表での「公明党」の支持を決定。また、小選挙区公認候補9人への支持依頼についても、北海道・東京・神奈川・大阪・兵庫の社会協議会で支持を決定しています。

 橋元 今月17日、公明党は結党50年の大きな節目を迎えました。「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」――公明党はこの立党精神をこれからも貫き通してもらいたい。

 正木 まずは議員、家族が先頭に立って戦い、国民に尽くし抜く政治を実行してもらいたい。それでこそ、支持者は懸命に応援してくださいます。

 原田 公明党には、立党精神に基づき、地域に深く根差した、比類なき議員の「ネットワーク」があります。これまでも、この公明党の「チーム力」で国政、地方政治において数多くの実績を積み重ねてきました。

 吉井 早稲田大学政治経済学術院の北川正恭教授も次のように語っています。

 「私が公明党を高く評価し、期待している点の一つが、約3000人の国・地方議員が模範的な団結を見せ、組織政党として一貫性を保っていることです」(公明新聞11月17日付)

 竹岡 公明党が目指している「軽減税率の導入」は、まさに「ネットワーク」を通じて、国民の「小さな声」を集め、生活者の視点に立って反映した政策です。

 原田 公明党は、自民党だけでは受け止めきれない民意をくみ取り、一人の声を政治に届けてほしい。

 杉本 聖学院大学学長の姜尚中氏は、次のように期待を寄せています。

 「50年間ぶれずに一貫して『中道』を掲げた政党は、公明党しかない。中道というのは、AとBを足して2で割るというものではなく、いわば“王道を行く”ということだ」(同4日付)

 吉井 さらに姜氏は、「唯一、『この政党だったら託せる』と言える政党。それが今の公明党の立ち位置ではないか」(同)とも語っています。

 正木 政治を安定させる連立与党の要として、「景気経済の再生」や「東日本大震災からの復興の加速化」など、日本が直面する諸課題の打開に向け、公明党への期待は大きい。

 原田 不変の立党精神をどこまでも貫き、公明党は「中道主義」「人間主義」の旗を高らかに掲げ、日本の未来を切り開いてほしい。

10、社説  “第三の居場所”で光る 男性も勇んで“地域デビュー”を

  厚生労働省の調査によると、昨年の日本人の平均寿命は男性80・21歳、女性86・61歳で、男性が初めて80歳を超え、女性も4年ぶりに過去最高を更新したことが分かった。
 「高齢人生」を「幸齢人生」へ――。定年後の人生を、いかに充実したものとしていくか。ダイヤ高齢社会研究財団の主任研究員・澤岡詩野氏は、本紙のインタビューで「家庭でも職場でもない“第三の居場所づくり”の必要性」を訴える。
 “第三の居場所”とは、「人とのやりとりがあって、楽しく居心地のよさを感じる」場所のこと。
 澤岡氏の調査によると、75歳以上の企業退職者の多くが、70代半ばから80歳までに社会活動を部分的に中止する一方、「身体的・肉体的に負担の少ない」「徒歩・自転車で通える近場」の活動を継続している特徴が見られたそうだ。

 地域に根ざした人との触れ合い、つながりを築く新たな一歩が、定年後の人生をさらに豊かなものにするといえよう。
 また、内閣府による2013年(平成25年)度「高齢者の地域社会への参加に関する意識調査」では、「健康・スポーツ」「趣味」「地域行事」などの活動に参加したい人の割合は、60代で8割、70代で7割、80代で5割強との結果だった。
 さらに、それらの活動に参加した人を対象とする調査では、体操や歩こう会、ゲートボールなどの「健康・スポーツ」や、俳句や詩吟といった「趣味」の分野において、9割以上が満足と回答している。理由として「新しい友人を得ることができた」「生活に充実感ができた」などが挙げられた。
 本年8月に本紙に掲載された神奈川県の壮年は、68歳までコンピューター関連会社に勤め、退職後、自治会の区長に就任。次々と寄せられる相談に耳を傾け、課題の解決に奔走する。「相談されるって、ありがたいことですよ。“皆さんに喜んでもらえる”ということは、“地域に恩返しできるチャンスをいただいている”こと」と語る。
 「人のため、地域のため」との思いが生きがいになり、“第三の居場所”をさらに輝かせ、充実させる。
 日蓮大聖人は「年は・わかうなり福はかさなり候べし」(御書1135ページ)と仰せだ。広宣流布という大目的を掲げ、開かれた心で、わが地域へ一歩踏み出すところに、生きがいに満ちた豊かな「幸齢人生」の舞台は広がる。

11、きょうの発心  御義口伝 781㌻ 【偉大な師と広宣流布の大道進む】

御書 法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり(御義口伝、781ページ・編1627ページ)

通解 (法華経の行者が)法華経を受持する所を「当詣道場」というのである。この娑婆世界を去って、極楽浄土等のほかの国土へ行くことではない。「道場」とは十界の衆生の住所(娑婆世界のこと)をいうのである。. 

 私たちが御本尊を受持し、信心・唱題に励む場所が寂光土となる、との一節です。

 母と妹が入会したころ、わが家は家庭不和を抱えていました。誰も信じることができなかった私は、信心に反発し、入会を拒み続けました。
 やがて社会人となり、仕事の悩みに直面。その時に同僚から折伏を受けました。私は、三重研修道場がオープンした1976年(昭和51年)に入会。以来、素晴らしい同志に恵まれ、学会活動の大切さを徹底して教わりました。
 78年、第1回三重文化合唱祭に参加。その席上、池田先生の慈愛あふれる振る舞いに接し、師と広宣流布の大道をと誓いました。
 度重なる転職や、子どもの不登校、経済苦、4年前には自身の右目の失明などがありましたが、この御文を胸に乗り越えてきました。
 三重広布55周年、「三重の日」の淵源から40周年の本年、「幸福輝く世界一の心の大長者たれ」との指針を胸に、人材城を築いてまいります。
三重王者県壮年部長 田中 康彦

【社会の情勢】 

◆ エボラ対応病院整備へ 空白県、早期実施の方針
◆  自動車部品・ヘッドライト盗難急増 カーナビは被害減少
◆ 公明は中小企業応援 「責任もち政策を実現」山口代表強調


2014/11/26(水)の聖教

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2014/11/26(水)の聖教


1、前進の調べを高らかに! 音楽隊が各地で熱演

  音楽隊が23日、各地で熱演した。
 創価ルネサンスバンガード・ジュニアは、東京・町田市での第5回「木曽オールスターズフェスティバル」に出演。学会歌などを情熱込めて演奏した。
 創価和歌山ブルーイーグルスは、和歌山市の和歌山ビッグホエールでの第15回「マーチングバンド・バトントワリングフェスティバル in WAKAYAMA」に参加。青年が民衆と共に立ち上がる姿を生き生きと表現し、惜しみない拍手に包まれた。



2、御書とともに Ⅱ名誉会長が指針を贈る 【37】苦難を跳ね返す生命の力

御書 先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦をうくべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦しみぱっときへて

通解 過去世の重い業が今生では尽きずに、来世に地獄の苦しみを受けるところを、今生にこのような重い苦しみにあえば、地獄の苦しみがぱっと消えて・・・。

【同志への指針】

 どんな苦悩にも断じて負けない。絶対に克服できる。究極の正義に生き抜く生命が、不幸になどなるわけがない。
 「転重軽受」は、苦難を跳ね返す真髄の力を明かした希望の法理だ。
 太陽が昇れば、闇は消え去る。強盛なる信心を貫く中で、苦悩が「ぱっ」と消える時が必ずある。一番、自らを悩ませる難問が、一番、境涯を躍進させゆく転機となるのだ。



3、わが友に贈る

 「小事つもりて大事」
 日々の小さな勝利を
 堅実に積み重ねよう!
 地道な努力と執念が
 人生に勝つ要諦だ!



4、名字の言  生きるのに苦労は尽きなくても、生きること自体に感謝を見いだす人は、幸福を開いていける。

  ミステリー作家の夏樹静子さんは、格好のトリックやネタを探す苦労は尽きなくても、書くこと自体に喜びがあると言う。「今日も自分は小説が書けるんだ、今日も自分は原稿用紙に文字を書けるんだと思うと、嬉しいな、ありがたいなと思います」(『作家の決断』文春新書)▼「書く」を「生きる」に置き換えてみる。生きるのに苦労は尽きなくても、生きること自体に感謝を見いだす人は、幸福を開いていける▼明年、米寿を迎える婦人部員は「人を励ますのが生きがい」と話す。見るからに若々しい。先日、婦人の自宅を、友人と一緒に訪ねた。部屋の壁、台所、トイレにまで「希望」と書いた紙が張ってある。「どこを見ても『希望』を見いだせるように」と。理由を尋ねると、同じようにして自身を奮い立たせた同志の体験に倣ったという▼明るい婦人だが、実は息子の病など、人知れず苦労と闘っていた。「だからこそ、毎朝、目が覚めるたびに“きょうが始まった”と感謝します。“よし!”と決意します」▼不幸より幸福の量が多いから幸福、などと人生を「てんびん」で量るより、苦難が大きい分、それを乗り越える喜びも大きいと、負けないで進む強さを持ちたい。希望は自ら創り出すもの。希望から幸福は生まれる。(城)



5、寸鉄

★  恩師「肉声こそ最大の言論じゃないか!」。勇気の声で新時代の暁鐘鳴らせ

★ 栄光の三代城・北海道が勇戦。師弟の縁深き友よ。満々たる開拓魂胸に走れ

★ 人材の大東北よ本領発揮の時だ!不屈の人間力で圧勝を。世界が祈り待つ

★ 「できるだけやる」というのは弱さの露呈―偉人。誓願は断じて貫いてこそ

★ 「賢人は安きに居て危きを歎き」。災害等の備え万全に。まず身の周りから



6、地平線を越えて SGI会長との心の絆 台湾 ㊦

信頼の園に 平和と文化の花は爛漫

  婦人部が中心となって後継の未来部・青年部の育成に全力を注ぐ台湾SGI。台湾では日本と同様に少子化が進んでいる。
 2011年、婦人部に「育才部」が発足。未来部育成はもちろん、婦人部が大学院生を含む学生部の活動も支えるようになった。
 「婦人部が、まず池田先生の未来部・青年部への指導を真剣に学んでいます」と語るのは、婦人部の呉青蓉書記長。
 池田SGI会長の著作である『青春対話」や『希望対話』などの学習会を婦人部で開催し、若き友に師匠の心を伝えながら励ましを送っていく。
  家族から離れて暮らす学生部員には一人一人に担当がつき、信心の激励をはじめ、食事や健康面など日常生活にも気を配る。
 ある学生部員は、「まるで本当のお母さんのようです」と。この「愛心ママ」と呼ばれる“第二の母”の真心に包まれて学生たちは成長する。
  創価家族の中で育った青年部員は、地域の未来部員たちを弟・妹のようにかわいがり、大切にしている。
 呉さんは語る。
 「かつて婦人部員が面倒を見てきた未来部員が学生部員になり、今度は後輩の未来部員を育成します。世代を超えた“励ましの循環”ができているんです」
  彼女にとってのSGI会長との原点は、2007年11月、SGI研修会で来日中、大阪で行われた本部幹部会だ。
 当時、結婚したばかりで、慣れない生活にさまざまな不安を抱えていた。その中での研修会への参加。SGI会長が若き日に広布拡大の金字塔を築いた関西の地で、師との出会いを刻んだ。
 「池田先生と共に、最高の人生を歩むことができる――そのことに大きな喜びと深い安心感を覚えました」
 この本部幹部会で会長は語った。
 「皆様方の『勇気』と『努力』と『忍耐』、そして、『信念』と『正義感』によって、つまり、妙法の偉大なる『信心』によって、創価学会は大発展した」
 「信心強盛な婦人部の皆さんが大事である。婦人部がおられなければ、学会の勝利はない」
 呉さんは新たな決意を胸に台湾に戻り、「一人でも多くの人に先生の真実の姿を伝えたい」と家庭訪問に徹した。さらに各界の識者にも、半世紀にわたる会長の世界的な平和行動を語り、SGIへの理解を広げてきた。
 「今の目標は、次の世代の育成です・小学校から大学院生まで、一人も残らず広布の人材に育てていきたい」

                                  ☆☆☆

 青年部のリーダーも、社会で大きく信頼を広げている。男子部長の林澤さんは新竹市の名門・精華大学の副教授として活躍する。む
 2008年、留学先のアメリカで電気工学の博士号を取得した後、請われて同大学の教員に。しかし、研究者同士の競争は熾烈だった。思うような成果が上がらずに苦しんだ時期もあった。副教授への昇進試験に失敗したこともあった。
 「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1912㌻)との御聖訓を胸に、昼は研究に打ち込み、夜は悩める友のために奔走した。
 必死の努力と真剣な唱題が身を結び、2012年、大学から「電資院(電気情報学部)傑出教学賞」及び「学術卓越教員賞」を受賞。さらに国際的な一流専門誌に昨年は5編、本年も3編の論文が掲載された。
  研究だけではない。教員として、林さんは学生の教育にも情熱を注ぐ。「研究第一」が彼のモットーだ。
 授業では、学生たちが“自分で学ぶ力”を育めるようディスカッションを重視する。テストも毎週実施。学生からは「厳しい」との声も上がるが、「それが学生のためですから!」。
 結果、林さんはこれまで、学生アンケート等で選ばられる「教授卓越賞」を2度、受章。学生から感謝の声が多く寄せられている。
 林さんのSGI会長との初の出会いは1988年、10歳の時。創価大学に留学していた叔父とともに、会長との懇談会に参加した。
 途中から駆け付け、出席した会長は一人一人に丁寧にあいさつし、励ましを送った。
 林さんは、会長の慈愛に満ちたまなざしが今も忘れられない。「忙しい中、時間を割いて来てくださったんだと、子ども心にうれしく思いました」
 その後日本で参加した本部幹部会などで、師の姿をまぶたに焼き付けた。
 林さんの座右の暑は寝SGI会長の「若き日の日記」。事業の挫折で苦境に陥った師匠を守るために奮闘する弟子の姿と真情が、ありのままに綴られていて、一文一文が胸に迫ってくる。
 「名もない青年だった池田先生が、戸田先生のもとで苦闘を重ねながら戦い抜かれて、世界広布の道を開き、、SGIを築かれました。」そうした姿を思い描くたびに“自分も続こう、断じて勝とう!”と奮い立つんです」
 たとえ会えずとも、師匠は台湾の友をいつも温かく見守ってくれている。
 かつて見た師の優しいまなざし、満々たる生命力を思い出しながら、林さんは、今いる場所で信心の実証を示し、人生の勝利をと誓う。

                                  ☆☆☆

  厳しい“冬”の時代を超え、喜びの“春”を迎えた台湾SGI。仏法の人間主義に基づいた平和・文化・教育の活動への共感と称賛は今、全土に広がっている。
  台湾SGIはこれまで台湾の内政部から18回連続の「社会優良団体賞」、そして12回連続の「優良宗教団体賞」を受賞。
 また、SGI会長の卓越したリーダーシップをたたえて、台湾の多数の自治体から「名誉市民」などの称号、12の大学から名誉学術称号が授与されている。
 厳冬の中で不屈の魂を赤々と燃やし続け、台湾全土に咲いた勝利の笑顔の花々――。
 尊き同志を讃えて、池田SGI会長は詠んだ。

 仏法の
平和と文化の
 台湾は
    勝ちたり笑顔の
        心嬉しや

  半世紀にわたって結ばれた、師との強靭な「心の絆」。それは、未来へ厳然と受け継がれている。



7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」 (8)

  宗門は、学会が初代会長の牧口常三郎を「先師」と呼んでいることも問題にした。「日興遺誡置文」では、日蓮大聖人を「先師」としているにもかかわらず、牧口のこともそう呼ぶのは、「大聖人と牧口会長は同じ意味になるのですか」と質問してきたのだ。
 学会では、第二代会長の戸田城聖と初代会長の牧口を区別するために、戸田を「恩師」とし、牧口を一般用語としての「先師」と呼んできたにすぎない。
 宗門の、こうした質問の背景には、学会は「会長本仏論」を立てているとの曲解と邪推があったのである。
 この点について、末法の御本仏は日蓮大聖人お一人であり、それは、「末法万年にわたって変わらぬ根本義」であることを再確認した。そして、「日蓮大聖人が末法御出現の御本仏であることを、折伏をもって世界に知らしめてきた」のが、半世紀にわたる学会の苦闘の歴史であったことを訴え、こう述べた。
 「日常の自行において、また化他行において、すべて日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、日蓮大聖人の魂をとどめられた御本尊を信心の根本対境とし、日蓮大聖人の仏法の広宣流布を実践の大目的としてきたのが、学会精神の骨髄である。故に、学会には本来、会長本仏論などということは絶対にない」
 末法という“時”もわからず、長い間、釈尊を仏とするのが日本人の仏教観であった。そのなかで、かくも多くの民衆が日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、御本尊根本に広宣流布に邁進しているのは、牧口、戸田に連なる創価の師弟が、それを叫び抜いてきたからだ。
 この事実をもってしても、会長本仏論なるものが、妄想の産物であり、学会攻撃のための口実であることは明白であろう。
 「悪人はねじけた作り話を言いひろめて、潔よいひとを傷つけ、しかも誓ってそれは本当だと言うだろう」(注)
 これは、古代ギリシャの詩人ヘシオドスの言葉である。正義の人を陥れようとする悪人の手口は、今なお一緒である。
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■引用文献
 注 ヘシオドス著「仕事と日々」(『世界人生論全集1』所収)真方敬道訳、筑摩書房



8、社説 インフルエンザ等に注意 健康第一で本年の総仕上げを

  首都圏のインフルエンザ患者数が、昨シーズンより速いペースで増加しているという(16日現在)。これから寒さが増し、空気も乾燥する季節。風邪やノロウイルスなどへの対策も含め、健康管理にはいっそう注意したい。
 風邪やインフルエンザを予防するには、その原因となるウイルスや細菌が鼻、口、喉などから体内に侵入するのを防ぐことが肝心だ。
 予防の基本は「うがい」「手洗い」「マスクの着用」――。
 「うがい」はよく耳にするだけに軽く考えがちだが、侮れない。京都大学の研究によれば、水うがいをした人は、うがいをしない人と比べて、風邪の発症が4割も少なかったという。
 「手洗い」は、ドアノブやつり革などを介した手から口への接触感染の予防に有効だ。「マスクの着用」は、咳・くしゃみによる飛沫感染を防ぐ。周囲にうつさないためにも励行したい。
 体内の免疫力を高めることも大切。ポイントとなるのは「睡眠」「栄養」「保温」である。
 睡眠中、体内では、古い細胞を新しい細胞に替えたり、ストレスに対応したりするためのホルモンが分泌される。いわば、疲れた体の“補修”だ。多忙な中でも、睡眠時間を捻出し、疲れをためないよう工夫したい。
 栄養面では、ビタミンA・B群・Cが粘膜強化、疲労回復、免疫力強化に効果があるといわれる。ホウレンソウ、小松菜、白菜などの葉物や、ミカン、ユズといったビタミン豊富な旬の食材も取り入れ、バランスの良い、規則正しい食事を心掛けたい。
 冷えは禁物だ。体を冷やすと交感神経の働きでリンパ球が減少し、抵抗力が落ちるという。
 万一、体調を崩してしまった場合は決して無理をせず、十分な休養を取ることだ。インフルエンザが疑われる場合は、早めに医療機関を受診したい。
 また、適度な緊張感は全身の神経を刺激し、抵抗力を高めるという。「宇宙にいる時は、絶えず緊張しています。緊張している時は、風邪になりにくい」とは、ロシアの元宇宙飛行士・セレブロフ博士の言葉である。「絶対に風邪をひかないぞ」との緊張感を持ち、その上で具体策を講じれば、予防効果も高まろう。
 仏法は、はつらつと生きゆく知恵を教える、生命の「健康法」だ。慌ただしい年の瀬を迎えるが、朗々たる唱題で生活のリズムを整え、生命力を満々とたたえつつ、本年の総仕上げを健康第一・絶対無事故で飾ろう。



9、きょうの発心  立正安国論、26㌻ 【確固たる目的に生き抜く!】

御書 蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ(立正安国論、26ページ・編163ページ)

通解 小さな青バエも駿馬の尾につかまって万里を行くことができ、葛は大きな松の木にかかって千尋に伸びることができる。. 

 小さい存在であっても、妙法を信じ、広布に邁進することで、大きく境涯革命できると仰せです。

 1957年(昭和32年)、入会して間もなく、先輩がわが家を訪問。「あなたの人生観は何ですか?」と質問されました。即答できなかった私は、先輩の人生観を尋ねました。先輩は「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」との「青年訓」の一節を引いて人生観を語り、この御文を教えてくれたのです。
 それからというもの、学会活動が楽しくなり、つらい時もこの御文を生命に刻んで、勇気と希望を持つことができました。
 64年、学会本部で部隊長(当時)の任命を受けました。さらに66年には、民主音楽協会の職員に。その直後、妻が出産の際に出血多量で意識不明となったのです。非常に危険な状態でした。しかし、同志の題目に支えられ、一命を取り留めました。その時に生まれた娘は現在、神奈川・横浜で中学校の教員に。その後に生まれた息子も創価大学で磨いた語学力を生かし、社会で奮闘しています。
 広布万代の礎を築く大事な今、後継者の育成に全力を注ぎ、師弟勝利の実証を示してまいります。

福岡栄光県副県長 野口九州男



【社会の情勢】 

◆ 11月景気判断、据え置き 企業収益1年ぶり上方修正
◆  腎臓の立体組織作成  移植再生医療に期待 岡山大など
◆ 老朽原発の廃炉後押し 会計制度見直しに後押し 経産省
◆ 障がい者虐待2659人に 家族から8割 厚労省調査

2014/11/27(木)の聖教

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2014/11/27(木)の聖教


1、イタリア・スペイン・ドイツで教学試験
 

  欧州SGI(創価学会インタナショナル)では今、大教学運動が活発に展開されている。イタリア、スペイン、ドイツの教学試験が今月を中心に開催された。
 イタリアでは23日、日本の任用試験にあたる「グレード1」と中級試験の「グレード3」が、ミラノ池田平和文化会館をはじめ首都ローマなど103会場で行われ、1万2000人を超える友が挑戦した。
 ある女子部員は「受験を決意してすぐに、仕事と家族の問題が重なりましたが、御書根本に立ち向かうことができました。試験を通して、信心を深めることができたと実感しています」と語った。
 スペインの任用試験は同日、スペイン文化会館をはじめ36会場で実施された。
 同国では新会員の拡大に伴い、2006年から毎年、教学試験を開催している。
 今回は、受験者のうち、約8割が入会2年未満のメンバー。広布と人生の最高峰へ、行学の二道に励みゆく誓いを新たにした。

 本年、ドイツ語訳の御書が発刊され、教学研鑽の息吹が高まるドイツでは2日、全国20会場で任用試験を実施した。
 また、中級試験が8、9の両日、ドイツ文化会館で行われ、スイスやルクセンブルクからも求道の受験者が集った。



2、わが友に贈る

 勇敢なる大中部は
 広布先駆の一番星!
 諸天を動かす
 強き信力・行力で
 堅塁城に栄光の旗を!



3、名字の言  ベルリンの壁、〝越えられないもの〟〝変えられないもの〟の象徴であった。

 世界を分断したベルリンの壁が崩壊し、今月で25年。先日、記念式典でドイツのメルケル首相が語った。「変革を求める市民の勇気がなければ、ベルリンの壁が崩壊することはなかった」▼「市民」の中心は若者だった。ある時、旧東ドイツのライプチヒで、宗派を超えて「平和の祈り」をささげた後、民主化を訴える行進をするようになる。回を重ねるたびに参加者は増え、7万人に拡大した▼彼らの合言葉は「われわれこそが人民だ」。人間として人間の権利を堂々と訴える――それは、冷戦下の共産圏では特別なことだった。市民は平和的な対話を呼びかけ、治安部隊との衝突を回避。非暴力の無血革命は〝ライプチヒの奇跡〟ともいわれた▼〝21世紀も22世紀も残るだろう〟とされた壁は、冷戦の象徴であり〝越えられないもの〟〝変えられないもの〟の象徴であった。それは、人の心にも築かれていたといえる。無力感の壁が崩れたこと自体に、意義がある▼「信仰の要諦も 一念の転換にあり/歴戦の騎士の勲功の矢のごとく/鍛え抜かれた一念の力/それが すべてを変えるのだ」。池田SGI会長が統一後のドイツを初訪問した際、友に贈った長編詩の一節である。民衆の勇気ある行動が結集するとき、打ち破れない壁はない。(鉄)



4、寸鉄

★  SGIは個の変革による社会の変革を志向―学者 人間革命は平和の新思潮

★ 神奈川、静岡が一気呵成の猛攻! 大聖人有縁の天地に正義の勝鬨轟かせよ

★ 恩師「師子は吼えてこそ師子である」。沈黙は敗北。青年よ敢然と叫べ!

★ 一切の力は民衆の中から起こるのだ―文豪。人間を信じ励ます創価は無敵

★ 振り込め詐欺等に関わる未成年者が増加。未来の宝食い物にする極悪撲滅



5、核兵器の非人道性会議に向けSGI会長が寄稿 国際通信社IPSが配信
  (作業中)



6、響き合う魂 SGI会長の対話録 第51回 フィリピン共和国 ラモス元大統領


共に行こう! 我々には建設すべき世界がある

  「フィリピンを愛するすべての人に呼び掛けます。立つのは今だ!」 明日では遅すぎる!」
 ラジオから、ラモス将軍の振り絞るような声が聞こえた。
 1986年2月23日の早朝。マルコス腐敗政権の退場を求める民衆の声に呼応し、将軍は、エンリレ国防相らと共に、乾坤一擲の勝負に出た。
 「私たちは民衆のために働きたいのだ。自分たちは死んでもかまわない。命を捨てて戦う」
 わすか500人で基地に立てこもり、独裁者側の大軍を向こうに、反旗を翻した。
 兵力の計算では、とても勝負にならない。だが、民衆が基地を取り囲んで守った。「人間バリケード」である。
  ラモス将軍らの決起で、歴史は、なだれを打って動いた。
 民衆が、マニラの通りを埋め尽くす中、独裁者の一族は亡命。コラソン・アキノ政権が誕生する。
 アキノ大統領は、池田SGI会長も91年に会見した。民主の女性リーダー。ラモス氏は6年間、参謀総長、国防相として彼女を支えた。
 氏が大統領選に勝利し、就任したのは92年6月。マニラを訪問したSGI会長が、大統領府のマラカニアン宮殿を表敬したのは、その約1年後、93年の5月10日だった。
 「大統領、ご就任1周年、おめでとうございます!」「“働く大統領”として、高い支持を得ていらっしゃいますね」
 SGI会長の張りのある声が響いた。
 「感謝します。お会いできてうれしいです。ありがとうございます!」とほほ笑む大統領。
 だが、その眼光は鋭く、口調は歯切れが良い。朝は6時、7時から深夜まで、フル回転でフィリピンの安定と経済発展のために働くリーダーの、活力を発散させていた。
  ラモス大統領は、青年にこんなメッセージを贈っている。
 「私たちが大学を出た当時のスローガンは『さあ! 共に行こう。我々には勝ち取るべき世界がある』であった。今日、私はあえて言いたい。“今、青年が叫ぶにふさわしいスローガンは『さあ! 共に行こう。我々には建設すべき世界がある』である”と」
  SGI会長は、会見でこの言葉を引き、一人の友人として、語った。「私は、貴国の未来を信じます。自分たちの力で、自分たちの歴史を勝ち取った貴国の民衆パワーを尊敬します」
  共に28年生まれの同い年。国も立場も違うが、平和と民衆の幸福に身を捧げてきた。

                                    

 2度目の出会いは、む98年2月9日。マニラは独立100周年に湧いていた。フィリピンは94年から97年に4~5%のGDP(国内総生産)成長率を維持し、貿易額は92年の約3倍に増えていた。大統領の指導力のたまものである。
 大統領は、反政府勢力とも果敢に対話を進めていった。
  ミンダナオの自治拡大を求めるイスラム勢力「モロ民族解放戦線」との間に、和平協定を結び、10万人以上の犠牲者を出したといわれる武力紛争に、解決の道を開いた。
 交渉で、話し合うべき項目は123もあった。一つ一つ解決し、交渉成立に4年をかけた。果敢な決断力に加え、大統領は粘り強く事態を前に進める対話力、忍耐力を兼ね備えていた。
 だからこそ、大統領は、世界を結ぶSGI会長の「対話」の足跡を高く評価していた。
  2度目の出会いとは、マニラの国際会議場で行われた、SGI会長への「リサール国際平和賞」の授与式であった。
 大統領は、激務の合間を縫って出席。SGI会長に懸章と記章を親授し、「推挙の辞」を手渡したのである。
  式典の最後に登壇した大統領は、リサール協会の最高評議会をはじめ、約2500人の列席者を前に、祝辞を述べた。
 「池田大作博士が『平和の人』であり、地球規模で相互理解を推進しておられることは“証明ずみ”の事実です」
 「池田博士という“模範”によって、多くの人々が心を動かされ、博士の“模範”に続きゆくことを、私たちは期待しようではありませんか!」

                                       

 3度目の語らい3日後の2月12日、再びマラカニアン宮殿で。大統領に創価大学の「名誉博士号」が贈られた。
 4度目は同年10月29日。大統領を退いた氏が、アメリタ夫人と創価大学を訪問。重ねて同大学の「名誉教授」に就任した。
 「私は『一民間人』となりましたが、市民こそ、大統領よりも重要な立場だと思っています」。ラモス氏の一言に、SGI会長が鋭く応えた。「まさに“黄金の一句”です!」
  「人生の総仕上げにおいて、一番大切なことは?」。SGI会長が聞くと、氏は、ちゃめっ気たっぷりに、「妻と平和に暮らすことです」と。
 そして真剣に答えた。「若い世代に、何らかの遺産を贈ることが大切です。池田博士は、(創価大学という)偉大な大学を贈られました」
  2000年3月23日、東京牧口記念会館で5度目の会見。10年後の10年6月19日、氏はふたたび創価大学を訪れている。自身が会長を務める「ラモス平和開発財団」から、創大に図書を贈呈するためであった。
  「民主主義にとって、一番大事なポイントは?」
 SGI会長が聞いた時、元大統領は即答している。「民衆に力を与えていくことです。市民が自分の能力を向上させるチャンスを与えることです」
 民衆のために、青年のために――共闘は今も続いている。



7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (9)

  宗門からの質問には、男子部の区幹部が、「日蓮大聖人直結の創価学会」と記したことを取り上げて、大聖人直結とはどういう意味かを尋ねるものもあった。法主の存在を否定するのかという趣旨を含んだ問いである。
 これは、御本尊に南無し奉り、境智冥合することを述べたものであり、法主の存在自体を否定するものなどではない。
 僧たちは、「教義の逸脱」だとして、学会を攻撃する材料となる文言を、躍起になって探し出そうとしていたのである。
 山本伸一が、「創価仏法」という言葉を使ったことに対しても、「創価仏法とは何ですか。日蓮正宗の仏法の外にあるのですか」と尋ねてきた。
 伸一は、折伏・弘教のため、社会に仏法を展開するとともに、実践の教学の意義を込めて、「創価仏法」との表現を用いたのだ。
 また、「創価」すなわち価値創造とは、幸福の創造にほかならない。したがって、幸せを築き上げるための仏法という意味で、使ってきたのである。
 さらに、教学部幹部が、「日蓮大聖人の生命哲学」と表現したことに対しても、宗門は、これは「『日蓮大聖人の仏法』というべきであります」と言ってきた。
 仏法の法理を、「生命論」や「生命哲学」として論じていくことで、広く人びとが仏法を理解する素地をつくることができる。仏法の展開のためには、時代に対応しながら、さまざまな現代の哲学、科学の成果を踏まえ、わかりやすく論じていくことが不可欠だ。
 仏法を、いかに時代に即して展開していくか――それは、広宣流布を推進するうえで、最重要のテーマといえよう。その責任を放棄し、努力を怠れば、広宣流布の道は閉ざされてしまうことになる。
 だからこそ、学会では、そこに最大の力を注いできたのだ。その着実な努力があったからこそ、世界の指導者、識者も、日蓮仏法に刮目し、共感を寄せ、世界宗教へと発展してきたのである。
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■語句の解説

小説『新・人間革命』語句の解説 ◎境智冥合/観ずる対象(境)と、それを観ずる智慧(智)とが、深く融合していること。



8、座談会  世界広布新時代の旭日(97) 12月2日 小説「人間革命」執筆開始から50年

師弟の道で自身の広布史を

公明は「軽減税率」実現に全力

 吉井 12月2日で小説『人間革命』の執筆開始から50周年となります。

 原田 1965年(昭和40年)の連載開始の前年に聖教新聞社に入社した私は、第1巻から第3巻までの編集担当をさせていただきました。池田先生が激務の合間を縫って、まさに命を削るように、一枚一枚の原稿を執筆する姿が、今も胸に焼き付いています。

 正木 先生は、この50年、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(御書1618㌻)との日興遺誡置文の精神のままに、皆に勇気と希望を送ろうと筆を執ってこられました。感謝の念は尽きません。

 吉井 27日付で小説『新・人間革命』の連載は5433回となり、『人間革命』の1509回と合わせると、6942回となります。『新・人間革命』だけでも、日本一の連載回数であり、その記録を更新し続けられています。

 杉本 先日は、一昨年6月から昨年7月まで掲載された『新・人間革命』第26巻が発売され、好評を博しています。

 原田 その中の「奮迅」の章には、このような一節があります。「広宣流布の前進には〝時〟がある。その一つ一つの〝時〟を逃すことなく、全力で仏道修行に励み抜いてこそ、自身の使命を果たし、一生成仏することができる」

 杉本 時を捉え、眼前の戦いに全精魂を傾けていくことが大切なのですね。

 原田 先生は今も、全同志と毎日会って対話をする思いで『新・人間革命』を連載されています。歴史的な「世界広布新時代 開幕の年」の掉尾を飾るべく、私たちは、〝『新・人間革命』と共に師弟で勝った!〟といえる自身の広布史を綴っていきましょう。

「政権選択」の選挙

 橋元 さて、衆議院解散後、12月2日公示、14日投票の衆院選へ、各党が舌戦を展開しています。

 竹岡 衆院選は、どの政党に政権を託すか、いわゆる「政権選択選挙」です。

 橋元 ゆえに私たち有権者の一票は直接、今後の政治に反映されます。

 吉井 2年前の民主党政権時代に比べ、自民・公明の政権によって、株価は2倍に上がりました。これは約7年ぶりの回復です。

 正木 ほかにも、有効求人倍率がバブル崩壊後の最高値を更新し、高校生の求人倍率も6年ぶりに1倍を超え、求人数が求職者数を上回りました。

 竹岡 自公連立政権の経済対策によって、緩やかですが景気が回復していることは明らかです。

 正木 今後は、その効果を中小企業や地域経済、家計に波及させていくことが大切です。

 竹岡 たとえば先日も、政府、労働者(連合など)、使用者(経団連など)の代表で構成される「政労使会議」が開催されました。この会議は昨年9月から公明党の主導で実施され、経済界に賃上げを要請した結果、今春、過去15年間で最高の賃上げにつながり、一定の成果を得ています。

 橋元 ここでは重ねて、大企業に対して、中小企業への取引価格の引き上げも要請されており、その効果が期待されています。

 杉本 公明党は、消費増税に伴い、実施された「簡素な給付措置」の対象拡大や上乗せで、家計を温めることも約束しています。

国民の8割が賛成

 原田 今回の選挙は、明2015年10月に予定していた消費税率10%への引き上げを、2017年4月に延期することを、国民に問う選挙です。

 杉本 消費税は、将来の社会保障を確実にしていくための財源となるものです。これは公明党が2012年の3党合意にあって、安易な増税を許さない立場から、「消費税の使い道を社会保障に限定する」との条件を示したことによって実現したものです。

 正木 一方で、消費増税は、所得に関係なく、同じ税率が掛かるため、国民生活全体に多大な影響を与えます。

 吉井 そこで公明党が強く訴えてきたのが、「軽減税率」の実現です。

 杉本 増税の〝痛み〟を和らげるため、食べ物や飲み物など、私たちが毎日使う生活必需品には、税率を標準より低く抑える「軽減税率」を導入しようとする主張です。

 原田 ただし、これには、税収の減少や事務負担の増加などの課題があります。そんな中、公明党は、軽減税率を一貫して訴えてきた「唯一の政党」として、粘り強い協議を進めてきました。いわゆる軽減税率をすでに導入している韓国を訪ね、いかにして混乱なく運用されているかも詳細に調べています。

 橋元 そして20日には、自民、公明両党による税制協議会が開かれ、17年4月の再増税時の導入に向け、具体的な検討が始まっています。

 原田 国民の8割が、導入を求めているのが、軽減税率です。この実現にどこよりも本気なのは、公明党です。

 竹岡 東京大学の神野直彦・名誉教授は語っています。「公明党は、家計を支援していくことで経済全体の活性化を進めていく視点を持った政党であることを評価していますし、自民党と違う視点を持った公明党が政権内にいる意味は大きいと感じています」と。

 原田 「いまこそ、軽減税率実現へ。」とのポスターのキャッチコピーのままに、国民の暮らしを守るため、公明党は全力で戦い抜いてもらいたい。




9、社説 中国青年代表団が来日 日中友好の未来開く新たな絆

  「偶然にも、中日の首脳会談後、初の青年訪日団となりました。新たな青年交流の『第一陣』です。青年の力で両国の未来を切り開きたい」――今月来日した、中国青年代表団団長の万学軍・中華全国青年連合会(全青連)主席補佐は語った。
 全青連が派遣した同団は今月11日から10日間、創価学会青年部の招聘で、東京、四国、関西を訪問。歓迎の集いが各地で行われた。
 創価大学の「周桜」前の集いでは、学生たちの歓迎の〝お返しに〟と、代表団で国家一級歌手である淮梓倫氏が「母」の歌を日本語で披露した。その見事な歌声に拍手が湧いた。
 淮氏は語った。「中国にも『百善孝為先』――百ある善い事の中で親孝行が第一――という言葉があります。両国には共通する部分が多い。文化交流を通し、両国は必ず分かり合えると信じています」
 四国研修道場では、代表団が法被と鉢巻きを身に着け、未来部、青年部らと共に阿波踊りに興じた。終了後、混然一体となった場内には笑顔と歓声がはじけた。参加した未来部員からは「中国の方はとても友好的で、代表の人が日本語を話したときはとても驚きました」「優しい笑顔と温かい振る舞いが心に残りました」等の声があった。
 互いを「知らない」ことが偏見や不信感の温床となる。〝中国人〟ではなく〝中国の○○さん〟と言える、顔の見える関係をつくることが、崩れざる友好の第一歩である。
 団員の一人は、次のように感想を述べた。「情熱あふれる歓迎に胸がいっぱいです。中国人も日本人も〝人のつながり〟を大切にする民族です。今回のように互いが顔を合わせ、心を通わせる交流が大事です。創価学会の青年部と接し、中日友好の思いを強くしました」
 池田名誉会長が築いた友好の「金の橋」。それは、周恩来総理・トウ穎超夫妻はじめ、一人また一人と友情を結び、心を通わせるドラマに彩られている。
 本年は、名誉会長の初訪中及び周総理との会見から40周年の節目を刻む。また、学会青年部と全青連との間で最初の交流議定書が交わされて30年目を迎え、明年からは新たな10年の交流が始まる。
 名誉会長は日中国交正常化提言を振り返り綴った。「私は、あえて『友情』と言った。国交といい、外交といっても、絶対に忘れてならないのは、根本の人間の交流であるからだ」
 心を結ぶ交流が、両国の未来を切り開くことを期待したい。



10、きょうの発心  祈祷抄、1351㌻ 【真剣な唱題で一家の宿命を転換】

御書 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈祷抄、1351㌻・編519㌻)

通解 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りの叶わないことは絶対にない。. 

 法華経の行者の祈りは必ず叶うと仰せです。

 私の原点は、1966年(昭和41年)1月、人材グループ「五年会」の淵源となった全国高等部員会に参加し、池田先生にお会いしたことです。学会歌の指揮を何度も執られる先生の姿から温かな慈愛が伝わってきて、生涯、師匠にお応えできる信心を貫く決意を固めました。
 結婚後、経済苦や自身の胆石症の手術、息子の交通事故、夫の心臓の手術と、宿命の嵐が次々とわが家を襲いました。そのたびに御書のこの一節を何度も拝読し、題目を唱え抜き、宿命転換することができました。この間、温かい励ましを送り続けてくださった先生、そして同志の真心に感謝の思いでいっぱいです。
 12・18「足立の日」を未曽有の友情の拡大で荘厳し、先生の足立初訪問から60周年となる明2015年を晴れ晴れと迎えてまいります。
東京・足立総区副婦人部長 遠藤作喜子



【社会の情勢】 

◆ 障がい者雇用率1・82% 大企業は法定2%超える
◆  家電回収で数値目標 不正輸出、不正投棄を防止
◆ 衆院選小選挙区 自民、公明9人を推薦
◆ 13年参院選は違憲状態 最高裁、一票の格差4・77倍で

2014/11/28(金)の聖教

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2014/11/28(金)の聖教


1、中南米SGIの友が創立の月を躍進

  中南米の各国SGI(創価学会インタナショナル)が11月、11・18「学会創立記念日」84周年を祝賀する集いを盛大に開催した。
 アルゼンチンの大会は16日、首都ブエノスアイレスのアルゼンチン平和講堂で。カプフェル男子部長、サノ女子部長が折伏・教学・未来部育成を柱に明年を躍進しようと強調。フェルナンデス理事長は「一人ももれなく歓喜と希望に満ちた人生を」と望んだ。
 ペルーの幹部会は同日、首都リマのペルー文化会館で。男女青年部の代表2人が活動報告。ファーレス理事長は「池田先生が、1966年3月の初訪問の際に示された『題目』『教学』『持続の信心』を胸に、広布拡大の勝利史をつづろう」と呼び掛けた。
 ドミニカ共和国SGIは同日、4会場で大会を。このうち首都サントドミンゴのドミニカ共和国文化会館での集いでは席上、新女子部長にマサエ・コマツさんが就任。ファミリア理事長は、同志の奮闘をたたえ、「師の期待に応える一人一人に」と念願した。



2、わが友に贈る

 広宣流布は言論戦!
 「声仏事を為す」だ。
 確信の励ましと
 真実の叫びで
 社会に希望を送れ!



3、名字の言  団結は、一人一人が全力を出し、使命を果たす時に、真価が発揮される。

  「襷」という字は、中国生まれの漢字ではなく、日本で考案された「国字」である。襷は元来、神事に使われていたようだが、やがて、労働の際に着物のたもとが邪魔にならないようにする実用品となった。これも日本発祥の競技「駅伝」では、次の走者へつなぐ「タスキ」として使われる▼明年初め、「創価大学」のタスキが初めて箱根路を駆ける。以前、関東学連選抜の一員として創大生が出場したが、大学名のタスキではなかった。この幅6㌢ほどの布に、多くの人の、さまざまな思いが込められている▼駅伝は抜きんでた少数の活躍だけでは決して勝てない。皆が、この一歩、次の一歩と、悔いなく自分の力を出し尽くしてこそ栄冠は輝く。団結は、一人一人が全力を出し、使命を果たし抜く時に、その真価が発揮される▼それを私たちは、箱根駅伝予選会での創大の“全員駅伝”に学んだ。4年生が後輩を励ますため、競技中、自身のスタミナと引き換えに、後方から声を掛け続けた勇気にも感動した。励ました選手も、励まされた選手も共に、最後は力の限り走り切った。その執念が、粘りが、僅差での勝利を呼び寄せた▼団結と励まし、勇気と執念――広布と人生の坂道、悪路を乗り越え、勝ち飾る要諦もまた、ここにある。(杏)



4、寸鉄
 

★  「大願ををこせ」と蓮祖。広布後継の師子に恐れなし。使命の道を堂々進め

★ 火の国・大九州よ! 戦いは先陣の勢いで決まる。正義の対話で勇敢に拡大

★ 他人に与える喜びは一層輝いて戻ってくる―文豪 自他共の幸福の法理待望

★ 東北被災地で初の「潮流発電」実験。価値生む英知の挑戦。社会で後押し

★ 魂の独立記念日。学会は世界宗教に。偽法主の邪宗門は隠滅。現証は歴然



5、わが町わが誇り 福岡市東区 大九州の本陣 先駆の師子

  「九州の本陣」──九州池田講堂と九州文化会館は福岡市東区に立つ。
 同区には、黒田官兵衛ゆかりの名島城跡、「漢委奴国王」の金印が発見された志賀島がある。
  1972年(昭和47年)9月、池田名誉会長は志賀島を訪れている。
 歴史と広布のロマンの天地。しかし、両会館が建つ前、その一帯は「田畑が広がるばかりの土地でした」と、地元に住む長谷川初恵さん(県副婦人部長)は笑う。
 87年(昭和62年)5月13日、名誉会長が建設中の講堂を視察。同年10月に完成すると、時を合わせるように、周辺の地域も大発展を遂げていった。
 88年(昭和63年)3月にJR柚須駅が開業。マンションが林立していく。小・中学校が開校し、病院、郵便局、大型商業施設も整備。講堂を6度、訪れている名誉会長も、来訪のたびに、発展を喜び、地域の同志に励ましを送ってきた。
 甲斐文康さん(副支部長)は、講堂のある松田3丁目3区の自治会長。「講堂は、地域の方々からも感謝されています」
 自治会総会などを講堂の会議室で開催。折々の地域行事には、駐車場が提供される。きびきびと警備にあたる創価班、牙城会への信頼も厚い。「地域に尽くすことが、“本陣を守る”ことになります」と、甲斐さんは貢献の決意を語る。
  先の長谷川さんが講堂で名誉会長と出会ったのは、93年(平成5年)5月24日。名誉会長の滞在の最終日だった。
 次男の直人さんを幼稚園に送った後、講堂を訪れた長谷川さん。すると、これから勤行会が開かれるという。
 午後1時30分。「さあ一緒に勤行しよう!」。名誉会長が入場した。
 勤行を終えると、友のもとへ。婦人部の友を“子どもを大学に”“子どもを福運ある人に”と励ました。
 講堂を後にしたのは1時50分。出発の直前まで激励は続いたのである。
  長谷川さんの次男・直人さんには、先天性の高度両感音性難聴の障がいがあった。
 だが長谷川さんは、名誉会長の励ましに、夫の直樹さん(副区長)と共に“この子を大学に”と決意。創価大学へ送り出した。直人さんは今、東京で会社員。男子地区リーダーとして後継の道を走る。
 東区のもう一つの牙城・福岡東文化会館にも、師の足跡が刻まれる。
 90年(平成2年)9月25日、当時の管理者・中川原一男さん(副区長)は、朝の清掃を終えたころ、突然、名誉会長の来訪を告げられた。
  あわてて外に飛び出すと、車中に笑顔の名誉会長夫妻。「何かやっているのですか?」。名誉会長が、車で埋まる駐車場を指した。婦人部の友が唱題に集まっていた。
  香峯子夫人が続けた。
  「ここは団地が多いですね。ここに住む会員の皆さんは、会館ができて、さぞ喜んでいらっしゃるでしょうね」
 「その通りです!」と中川原さん。名誉会長がうなずき、香峯子夫人がほほ笑んだ。この直後、電光石火で婦人部の友に激励が届けられた。
 この日、名誉会長は詠んだ。「偉大なる 連続勝利の 九州は 先駆の道をば 師子の如くに」
  「いざ戦い!」となれば、炎となって先駆を切るのが九州。今、その誉れの本陣・東区の友が、師子と立つ時は来た。



6、この時に誓う 【12】 新名九州長 1994年 5万人の第九 

報恩の勝利で“歓喜の凱歌”を

  「九州は勝ったね! 完璧だった」
 今から20年前の1994年(平成6年)11月23日。「アジア青年平和音楽祭」が福岡ドームで開催されました。池田先生に出席いただき、5万人の九州青年部がベートーベンの「第九」を熱唱したのです。
 会場には、この日を目指し、仕事や学会活動、自身の宿命との闘争を勝ち越えた青年の熱気が満ちていました。広い会場で4パートの混声合唱がそろうことは困難でしたが、5万人の歌声は見事に解け合い、巨大なドームを揺るがし、開いた屋根から、晴れわたる青空へと轟いていきました。
 先生は、立ち上がって拍手を送ってくださいました。「いまだに合唱の響きが耳に残っているよ。よく一つになれたね」。全員の努力を最大にたたえてくださった師の言葉に、ね州青年部長として喜びに震えたのが、昨日のことのようです。

常に広布の先頭

  “苦難を突き抜け、歓喜に至れ”──数々の苦難を乗り越えた楽聖ベートーベンが「第九」に込めた思いは、そのまま私たちの決意に重なりました。
 わが九州の永遠の使命とは「先駆」。それゆえか、広布を阻む障魔との闘争にあってもね九州は絶えず、攻防の前衛にありました。あの大分等を激震地とした宗門事件、離島・対馬を襲った陰険な日顕宗の策略・・・。
 激戦にあっても後継の松明を担った九州青年部は、微動だにしませんでした。それは師が一貫して先駆の青年を励ましてこられたからでした。
 私自身も激励を受けた一人です。90年(平成2年)9月、霧島での「第2回男子青年部幹部会」。登壇を控えた私に先生は、「新時代を感じさせる話を。聡明で、皆が納得し“よし、やろう!”と決意できる話をしなさい」と、心を砕いて教えてくださいました。
 会合前日、九州の青年を交えた懇談で語られた言葉も忘れられません。
 「祈るんだ。真剣勝負だ。広布のため、“仇討ち”の心で祈れば、絶対に叶う」「自分の魂がどこにあるかだ。戦った人間は光ってくる。人生は“20年の勝負”だ」
 九州の津々浦々に、こうした先生の魂こもる大激励と、厳愛に奮い立った同志との共戦の歴史が、深く、鋭く刻まれてきました。
  長編詩「先駆の火の国 九州の連戦連勝の詩」には、こう綴られています。「先駆の九州は 苦難を突き抜けて すべてに勝利した。 ゆえに世界中で どこよりも 歓喜の大合唱をする 資格があるのだ」
 “創立65周年には5万人、70周年には10万人で「第九」の合唱を”との師の提案を、九州の弟子が実現した誉れは、未来永遠に消えることはありません。

会長就任55周年へ

 20年前。先生がドームを後にされた折には、美しい夕景が広がっていました。「この50年で、一番素晴らしい夕日だ」と言われたと伺いました。
 この年は、初代会長・牧口常三郎先生が殉教されて50年の節目でした。思えば「第九」は、創価の連帯を世界に広げ、先師と恩師の仇を討ってこられた先生にとって、“半世紀の凱歌”ではなかったか──。私は、美しい師弟のドラマを荘厳した天空の演出とともに、深い感動を覚えずにはおれませんでした。
 勝利を信じ、待ってくださる師の存在が、どれほどありがたいか! 弟子として、勝って、その大恩に応えること以上の喜びはありません。
 本年秋、九州の各総県や県・圏で「アジア創価青年大会」を開催。新しい使命と力を担った若人が、“4度目の第九”を歌い上げました。
 明年の第3代会長就任55周年へ、乾坤一擲の総決算を、九州の弟子の連帯と正義の師子吼で、断じて勝ってみせる!  今、火の国の闘魂が熱く燃えます。



7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」 (10)

  学会は、宗門の質問について審議を重ね、系統立てて整理しながら、誠心誠意、回答をまとめていった。宗門からは、学会の回答が納得できるものであれば、各寺院での学会攻撃を収めることができるとの話もあった。
 学会の首脳たちは、異常な事態に早く終止符を打って、会員を守ることこそ、第一義であると考えていた。したがって、以前からの学会の考えを確認したうえで、誤解を招きやすい表現があったならば、宗門の指摘を受け入れようとの姿勢で臨んだ。
 学会は、ただひたすら和合を願い、真摯に対応したのである。
 ほどなく、日達法主からは、学会の回答を了解した旨の連絡があった。
 この回答は「教学上の基本問題について」と題して、「聖教新聞」六月三十日付の四面と、『大白蓮華』八月号に掲載し、全会員に周知徹底を図ることになったのである。
 これで各寺院での理不尽な学会批判は終わるはずであった。しかし、この時も、学会攻撃をたきつける讒言が流された。宗門を利用して一攫千金を企て、暗躍した反逆者の謀略であった。
 多くの僧が、学会の誠実な回答を逆手に取り、ここぞとばかりに、陰湿な中傷を繰り返した。紙面になった「教学上の基本問題について」を使い、誤りが明らかになったとして、責め立ててきたのだ。
 学会攻撃は収まるどころか、暴圧は増していった。彼らは、衣の権威を振りかざして、「学会では成仏できない」などと迫り、檀徒づくりに狂奔していったのである
 伸一は、仏子である学会員の苦しみを思うと、“なんとしても会員を守り抜かねばならない”と、自らに言い聞かせた。
 また、何よりも大切なことは、広布破壊の謀略に紛動されない、創価の真正の勇者を育むことであると痛感していた。
 “わが同志よ。烈風吹かば、いよいよ、信心の火を、広宣流布に生き抜く創価の闘魂を燃え上がらせるのだ!”



8、社説  “善き友”をもつ人は幸福 友情は人生を豊かに潤し彩る宝

 もうすぐ師走。年賀状の準備も気になり始める時季だ。
 昨年、ある企業が実施したアンケートでは、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の普及に伴い、「年賀状を出す人」「出す枚数」は年々、減少傾向にあるが、「年賀状は必要」と答えた人が3年連続で8割を超えた。その9割以上の人が「手書き箇所」を必ず設けているとも。
 書簡のやりとりが少なくなってきている今日。「肉筆による便り」は、普段よりも一歩深い心の通い合いを感じさせる。SNSでも手書きでも、大切なのは相手を思う誠意と真心であろう。どうすれば相手が喜ぶか。その思いの深さ、厚みが、心から心に響き、友好を広げる源泉にもなる。年賀状など時候のあいさつは、近隣・同郷・同窓など、近しい関係性をたどりながら新しい友人との縁を広げていくきっかけにもなるだろう。
 忙しない時季だからこそ、計画的に時間を作り、真心を尽くして友情を深めたい。
 「古い友人と仲良くし、新しい友人をつくれ」とは、トルコ建国の父ケマル・アタチュルク初代大統領のモットーである。私たちは、人と人のつながりの中で成長し、創造し、貢献し、生きがいを得る。どんなに地位や財産があり、才知に恵まれていたとしても、何でも語り合える友のいない人生は寂しい。
 仏法は、何よりも「友情」を重視する。ある時、弟子の阿難が釈尊に質問した。「友情を広げることは仏道修行の“半ば”を成就したに等しいと思うのですが」。釈尊は答えた。「われらが善き友をもち、善き仲間と共にあるということは、実にこの仏道の“全て”なのである」「なぜかならば、善き友をもち、善き仲間と共にあってこそ、正しい修行の道を歩むことが期待できる」
 「友情の拡大」即「仏道修行の大道」である。「幸福への直道」である。人間関係が広がれば、境涯も仏縁も広げられる。真の友情で結ばれた善き友は、人生を豊かに潤し、彩る、かけがえのない生命の宝であろう。
 池田名誉会長は「久しぶりに会う古い友にも、初めての新しい友にも、励ましの声、温かな声を分け隔てなく」と述べている。胸襟を開いて接していけば、相手の心はいつか必ず開く。
 「いつもお世話になります」「お元気ですか」「お体を大切に」。心を込めた“一声”から始めよう。その一歩から信頼と友情が広がり、地域にも新鮮な活力をもたらすに違いない。



9、きょうの発心  佐渡御書 957㌻ 【師弟誓願の祈りと行動で勝利へ】

御書 悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし(佐渡御書、957ページ・編472ページ)

通解 悪王が正法を破ろうとする際、邪法の僧等が悪王に味方し、智者を滅ぼそうとする時、師子王のような心を持つ者は必ず仏になることができる。. 

 権力の魔性との闘争においては、師子王のような勇気ある信心が大事であることを教えられた御文です

 1981年(昭和56年)5月、私は、大学の寮の先輩から折伏を受け、入会しました。84年、池田先生が出席された第1回新潟青年平和文化祭に出演。翌日の勤行会でも先生にお会いし、信心の原点を築くことができました。
 就職後は、仕事と学会活動の両立に挑戦。これまで何度も転勤を繰り返しましたが、そのたびに多くの同志に恵まれ、勇気の信心を教えていただきました。報恩感謝の思いで日々、活動しています。
 先日、義母が他界。信心一筋の人でした。その臨終の相を見て信心の素晴らしさを実感しました。
 日蓮大聖人が流罪された佐渡を擁する第1新潟総県に対し、先生は随筆で「原点の新潟市。王者の佐渡」と呼び掛けてくださいました。わが総県のスローガン「師弟誓願の祈りと行動で 皆が人材! 皆が成長! 皆で勝利を!!」を胸に、新潟広布60周年の本年から明年へ、連続勝利の歴史をつづってまいります。
第1新潟総県長 市村 浩二



【社会の情勢】 

◆ 生活守る5本柱 公明党重点政策(マニフェスト)を発表
◆  空き家ガイドライン作成 撤去・修繕の基準策定へ 国交省
◆ 「和紙」無形遺産に決定 伝統継承の取り組みを評価 ユネスコ
◆ OPEC原産見送りか 原油価格下落もサウジ生還
◆  ルーター悪用が急増 サイバー攻撃、新手口に注意 警察庁

2014/11/29(土)の聖教

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2014/11/29(土)の聖教


1、本陣・東京 北・足立 原田会長と躍進の集い

  広宣流布の旗高く、本陣・東京が躍進!

 北総区の本陣長(ブロック長)・白ゆり長大会が28日、東京戸田記念講堂で力強く開催された。
 「広布の北極星」と輝く、喜び多き「喜多区」の友。集いでは、小沢昭雄さんが活動報告し、山崎総区長、細野同婦人部長が「誓願の祈りと行動で、創価の正義を満天下に示そう」と力説した。
 永石東京婦人部長の後、池田副理事長は苦難を突き抜け、歓喜の前進をと呼び掛けた。
 金田東京総合青年部長があいさつした。一方、足立戸田区・江北常勝区の大会は同日、足立文化講堂で。「東京の王者」足立の誇りを胸に”足で立つ”伝統が光る足立。会合では、西口総区青年部長の後、竹内総区長、佐渡同婦人部長が「異体同心の団結で常勝不敗の快進撃を」と訴えた。金沢総東京長、川原婦人部書記長が使命の友をたたえた。
 両会合に出席した原田会長は、創価の未来は弟子の心意気で決まると強調。御書の「日蓮一度もしりぞく心なし」(1224ページ)を拝読し、勇敢に動き語り、新時代の扉を勝ち開こうと念願した。



2、アメリカ・ラスクルーセス市が「ダイサク・イケダ世界平和の日」を制定

 アメリカ南西部ニューメキシコ州ラスクルーセス市(ケン・ミヤギシマ市長)が、2014年11月18日を「ダイサク・イケダ世界平和の日」に制定。宣言書の授与式が14日、市内のニューメキシコ州立大学で挙行された。
 雄大な山々や広大なリオグランデ川など、豊かな自然に恵まれる同州。近年は人口増加が著しく、全米でも特に人種の多様性に富んでいる。「寛容性を重んじ、多様な文化の融合と差異の尊重を推進する」ことを謳う同市で、SGI(創価学会インタナショナル)の友は「良き市民」として生命尊厳の思想を語り広げてきた。
 今回の式典も、同大学主催の教育会議に合わせてSGIが催した非暴力啓発運動「ビクトリー・オーバー・バイオレンス(暴力に打ち勝つ)」の展示会場で行われた。
 教員、学生、地元市民らが見守る中、初めにオルガ・ペドロサ市会議員が、宣言書を朗読。”対話と一人の変革が世界平和の原動力である”という池田大作SGI会長の信念をたたえるとともに、「池田氏を範として、30年以上にわたり平和・文化・教育という共通のビジョンを築くために行動をつづけてきたSGIの業績」を、授与理由として紹介した。
 そして「ダイサク・イケダ世界平和の日」の制定が発表されると、会場は大きな拍手に包まれた。
 ペドロサ議員は「これからもSGIの皆さまと共に歩んでいきたい」との共感の言葉を述べた
 またヒスパニック商工会議所のサンチアゴ・ソト理事は、非暴力の思想を社会に広げるSGIの運動を「アメリカの青少年たちに学んでいってほしい」と語った。



3、わが友に贈る

「師子の心」燃える
 中国方面の同志よ
 今こそ未来を開く
 誉れの開拓闘争を!
 平和の大連帯を築け!



4、名字の言  「宗教は始めにして経済は終わりなり」内村鑑三

  労働人口の減少等の制約条件に加え、GDPが2期連続で減少する今、経済の建て直しが国民的議論の中心にある▼「行き詰まったら原点に返れ」とは牧口初代会長の教え。具体策は政治の仕事として、本質から考えたい。参照したいのは内村鑑三の言葉だ。「経済の背後に政治あり、政治の背後に社会あり、社会の背後に道徳あり、道徳の背後に宗教あり。宗教は始めにして経済は終りなり」(『内村鑑三所感集』岩波文庫)▼内村は昭和5年、創価学会の創立の年に世を去ったが、その後の日本の歩みは、社会の興廃の底流に思想・宗教があるとする彼の言に、符合するかに思える。国家神道に国民を糾合した戦前の日本は、ついに破滅した。戦後の高度成長の歩みの中、それを支える庶民に希望を与えたのは、創価学会の運動であり、「人間革命」の思想であった▼内村は『代表的日本人』に日蓮大聖人を挙げた。権力と対峙する「勇気」を尊敬したからだが、一方でこう書いた。「所謂『佛敵』には極めて瑕借なかった彼は、貧しきもの悩めるものに接する時、人として最も柔和なる人であった」(岩波文庫)▼創価学会の根本精神も、真っすぐここに連なる。民衆を励まし民衆を強くする運動こそが、社会の繁栄の基盤をつくる。(飛)



5、寸鉄

★ 「多くの人に見て候へ」と大聖人。友に会い、友と語る―妙法流布の黄金則

★ 大四国の勇者が決意満々の船出!創価栄光の夜明けへ、悔いなき日々を!

★ 「地区」は勝利の最重要の砦だ。地区部長・婦人部長を中心に団結! 心一つに

★ 善い思想も実行しなければ、よい夢と同じ―哲人。立正安国へ行動また行動

★ 企業の障がい者雇用が過去最高と。万人輝く平等社会を! 公明が更に牽引



6、名誉会長と共に 新時代を開く 【42】皆さまの前進こそ世界の希望

〈関西の友へ〉

  間もなく、阪神・淡路大震災より20年。全世界に希望と勇気を送る兵庫そして大阪の奇跡の大復興を、私はあらためて讃歎申し上げたい。
  その姿こそ、東日本大震災からの復興へ歩む東北と全国の同志にとって、何よりの励ましとなるに違いありません。
  御本仏のお約束の通り、「極楽百年の修行」に勝る大功徳が、一日また一日、皆さん方の生命に無量無辺に積まれ、「陰徳陽報」の大勝利の実証が厳然と現われることを祈り、そして確信しつつ、題目を送り続けております。

                               *  *

  昭和31年の「大阪の戦い」で、一番苦しい局面にあって、私と関西の父母たちが共々に身読した御聖訓があります。
 「各各(おのおの)師子王の心を取り出して・いかに人をどすとも をづる事なかれ、師子王は百獣におぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干(やかん)のほうるなり日蓮が一門は師子の吼(ほ)るなり」(御書1190㌻)との一節です。
 いかに過酷な試練が襲いかかろうとも、絶対に怯まない。一人一人が「師子王の心」を取り出して、正義を勇敢に叫び切る。そして何ものをも恐れず、何ものにも負けない金剛不壊の団結で、人類の悲劇の流転を大転換しゆく民衆の大城を、私たちは築き上げてきたのです。
 我らが負けじ魂で悪戦苦闘を突き抜けて進んだ分だけ、仏縁は広がり、人材が育つ。社会は栄え、世界の希望となる。
 どうか、題目を唱え抜き、「信心しきったものが必ず勝つ」──この常勝腐敗の金字塔を、従藍而青(じゅうらんにしょう)の誇りも高く、断固と永遠に輝かせていってください。
 幸福勝利の「春の曲」を轟かせながら、最高に晴れ晴れと、新年を迎えようではありませんか!  体を大事に!  風邪をひかれませんように。



7、ここに使命あり たゆまざる水の如く 埼玉・新座市  

前へ前へと信じる道を

  “まるで別世界”とは、このことか。
 高層マンションが立ち並ぶJR新座駅南口から、歩いて15分。交通量の多い国道の254号線(川越街道)を脇道に入った途端、思わず足を止めてしまった。
 「野火止用水」の流れに沿いながら、クヌギやコナラ、シラカシなど、背の高い木々が茂る林道が延々と続いている。
 柔らかな木漏れ日に誘われて歩き出そうとすると、背後で「ポトン、ポトン」と乾いた音が。
 振り返り、視線を落とせば、かわいいドングリが一つ、二つ。木から落ちてきたのだろう。秋から冬への衣替え。季節の移ろいを感じつつ、ひとすじの清流が潤す緑道を散策した。
 埼玉県新座市。「都会の便利さ」と「田舎の心地よさ」を兼ね備えた街、という表現がよく似合う。
 この“水の道”を、実は牧口初代会長も歩いたことがある。
  1913年(大正2年)春、郷土研究の集い「郷土会」の例会で、民俗学者の柳田国男氏らと共に、野火止用水の利用状況を調査するためだった。
  牧口会長が仏教者として日本の軍部政府の横暴に抵抗し、獄死したのは、その31年後の44年(昭和19年)11月18日。今からちょうど70年前の秋である。

                                        ◆◇◆

  「牧口先生が野火止にお越しになった当時は、今よりもっと、緑があふれていたんでしょうね」
  一色勝昭さん(副支部長)は静かに言う。「こう見えて、新座の緑地も減ってきているんですよ」
 7年前に、ボランティア団体「パークフレンズ」立ち上げた。1500坪もある児童遊園に花壇をつくり、四季折々の花を植え続けている。
 当初は「そんなこと意味があるのか」と、心ない言葉を言われたこともあったという。誠実に対話を重ね、理解を広げた。
  冬を越え、植えた種が花を結んだ春。「きれいだねえ」と、道々にも、笑顔、笑顔、笑顔の花が。
  「花こそ心よ」(御書597㌻)── 一色さんが花に託すのは「美しい故郷を残したい」との心、そして新座を「幸せな街に」という情熱だ。
 心を打つものは、心である。活動を共にする仲間は19人に。「子どもにきれいな花が見せられる」と、公園は家族連れでにぎわい、交流の場ともなっている。
  「地域貢献を貫きたい」と一色さん。「新座市環境保全協力員の会」副会長としても、毎月2回の地域清掃から、タバコのポイ捨て防止運動、雑木林の保全活動に至るまで、その行動力は72歳とは思えない。
 「一日一日を悔いなく、全力で──池田先生に学んだ生き方ですから!」

生きた証とは

 夕刻、新座市内の小学校から帰宅する児童たちの安全を守るためね通学路に立つ「防犯パトロール」のグループがある。学校や警察と連携をとりながら、平日の下校時、交代でパトロールに当たっている。
 ひときわ大きな声と笑顔で子どもたちを迎えているのが高橋妙子さん(圏副婦人部長)だ。
 「お帰りなさーい!  気をつけてね」。西日に頬を染めながら、児童一人一人にほほ笑みかける。「みんな孫みたいにかわいくて、仕方にいの」
 一方で、子どもを取り巻く環境の“寂しい変化”も感じるという。
 新座がまだ“田舎”だったころ。住民は老いも若きも、ほとんどが顔見知り。だが都市化とともに、そんなつながりも希薄になってしまった。
 「だから今こそ、私たちが一層、心を尽くしていかなきゃ」。高橋さんの切実な思いは、祈りに変わり、行動となって表れる。
 たとえば──児童たちの表情や挨拶の声に、寂しさや不安の色が見え隠れする“一瞬”を見逃さない。
  時に優しく声を掛ける。かといって、すぐ言葉を返してくれるわけではない。“続ける”のだ。祈りを。笑顔を。声掛けを。
 その真剣さが伝わるのだろう。下校時、児童が駆け寄ってくるようになった。
 「ネコちゃんの具合が悪いの」と心配げな女の子。「友だちとケンカしちゃったさ」と困り顔の男の子。さながら“子ども何でも相談室”だ。
 高橋さんは、友人からも悩みを打ち明けられることが多い。
 人間関係の行き詰まり、病気の苦しさ、愛する人との死別の悲しみ・・・。
 「必ず、乗り越えられるよ!」。そう励ませるのは自身もまた、3度の大病を始め生老病死の嵐を乗り越えてきたから。
 今年で入会51年。たゆみなき“水の信心”を貫いてきた。
  平らな水の流れではない。嵐の中の激流が大きな岩にぶち当たり、その岩をも乗り越えていくような“怒濤の信心”だ。
  原点の一つは、73年(昭和48年)9月に行われた第1回埼玉県幹部会。永遠の指針「鉄桶の団結」を確認し合った集いである。
 席上、池田名誉会長は、“愛する埼玉”の同志に訴えた。
 「自身の輝ける歴史は、労苦と敢闘によってつくられる。それを、どれだけもつかが人間の財産であり、生きた証しとなる。ゆえに忍耐と勇気と明朗さをもって、広布の開拓に喜々として取り組み、自身の人間革命の歴史をつくっていただきたい」
 師との誓いをひとすじに──高橋さんの誠実さに触れ、学会に入会した友は91人にものぼる。本年も2人の友人が、共に“人間革命の道”を歩み出した。

わが町の後継者

  地域のために──その信念は、後継の青年たちの胸にも脈々と流れ通う。
 坂本爽夏さん(女子地区リーダー)は、美術系の◇デザインなどを学びながら、イラストレーターを目指している。
 ほんの数年前まで「将来の夢なんてなかった」──いや、なかったのは夢ではなく、“自信”だったかもしれない。
 幼いころから絵を描くのが好きだった。家族や友達の誕生日ともなれば、必ず、お祝いの手紙を書き、季節の花などのイラストを添えるのが常だった。
 だがいつしか、他人と比べて一喜一憂するようになり、自信が持てなくなっていく。中学卒業後、明確な目標もないまま、アルバイトを続けた。
 転機は姉に引っ張られ、女子部の会合に参加するようになってからだ。
 「爽夏ちゃんにしか果たせない使命が絶対にあるんだよ」。華陽姉妹の温かな励ましに顔を上げた。
 定時制高校に学び、現在の専門学校へ。企業のマスコットやチラシのデザインを任されることも。3年前から携わっている町内会の夏祭り用ポスターは、特に好評だ。祭りの参加者も増えたという。
 荒渡暖仁さん(男子部部長)は、評判の獣医師。昨年、異例の若さで動物病院の院長に抜てきされた。現在は県外に完成した病院を任され、同じく院長として活躍している。
 ここまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。人との関わりが苦手で、ふさぎ込んだ高校時代。獣医師として就職した最初の病院でも、人間関係がうまくいかず、職を失った。
  励ましてくれたのは、学会の同志だった。「宿命に負けちゃあいけない」と。
 祈った。弘教にも挑戦した。自身の人間革命を実感し始めた時、先輩医師から「うちで働かないか」と声を掛けられたのである。 
 獣医師として今、心に期していることがある。それは動物の声なき声に、心配する飼い主の真情に耳を傾けること。「そう思えるようになったのも、あの時の苦労があったから」

                                        ◆◇◆

  野火止の緑道を歩きながら、信念に殉じた先師の歴史に、再び思いを馳せる。
  牧口会長と共に野火止を訪れた柳田国男氏は、太平洋戦争後、こう旧友を述懐した。
 「熱心に戦争反対論や平和論を唱えるものだから、陸軍に睨まれて意味なしに牢屋に入れられた。妥協を求められたが抵抗しつゞけた為め、牢の中か、又は、出されてすぐかに死んでしまつた」
  1954年(昭和29年)1月。26歳の池田大作青年は、牧口会長の著書『価値論』を携えて、東京の柳田国男邸を訪れている。
  先師の十回忌にあたり、戸田第2代会長の手で補訂・再版された同書を、名代として届けるよう命を受けたのである。
  学者として、エリート官僚として、功なり名を遂げた柳田氏に、感じるものはあっただろうか。
 牧口会長の獄死を、悲運の生涯と見る向きもあったのだろう。
 だが、しかし──。
  人は、何かを為すために生まれてくる。なれば人間の真価とは、その人の使命を我が使命とし、誓いの道を広げ行く「後継者」を育てたか否かで、決まるとは言えまいか。
  牧口会長には、戸田会長がいた。戸田会長には、不二の弟子たる池田名誉会長がいた。そして──。
 新座の男女青年部が緑道を歩き、続々と集まってきた。本年の掉尾を飾る勝利に向け、誓いのカメラに納まるためである。
 かつて名誉会長は、埼玉の地で語った。「学会精神の真髄を、埼玉青年部は、厳然と受け継いでいただきたい」と。
 新座、そして大埼玉の全同志は走り抜く。たゆまざる野火止の清流のごとく、前へ前へと、自らの信じる道を。



8、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」(11)

 聖教新聞紙上に「教学上の基本問題について」が発表された六月三十日の夜のことである。学生部結成二十一周年を祝賀する記念幹部会が、東京・荒川文化会館で盛大に開催された。
 参加者のなかには、学生部が結成された一九五七年(昭和三十二年)に生まれたメンバーも少なくなかった。集った学生たちは皆、学生部の誕生は、師の山本伸一が権力の魔性との激しい攻防戦を展開している渦中であったことに、深い意義を見いだしていた。
 人間を抑圧し、支配しようとする、あらゆる権力の魔性との、壮絶なる永遠の闘争――それが広宣流布の道である。
 創価の学徒たちは、伸一の魂を受け継ぎ、民衆を守り、広宣流布の先駆の使命を果たし抜こうとの決意に燃えていた。
 司会が記念幹部会の開会を宣言すると、雷鳴のような大拍手が場内を包んだ。
 学生部書記長の押山和人、女子学生局長の町野優子のあいさつに続いて、学生部長の浅田茂雄が登壇した。
 浅田は、会長の伸一が、全精魂を注いで、新学生部歌「広布に走れ」を作詞作曲してくれたことを述べたあと、歌の完成にいたるまでの経過を語っていった。
 「先月の六月度学生部幹部会で、新学生部歌の制作を発表したところ、全国各地から、多くの歌詞が寄せられました。なかには、六十六歳になる婦人が寄せてくださった歌詞もありました。そうした皆様方の情熱と真心に支えられ、制作委員会のメンバーが一丸となって歌の案を作り上げました。しかし、まだ非常に検討の余地のあるものでした。
 一昨日、この案をお持ちし、山本先生にご覧いただきましたところ、先生は、『私が歌を作って、諸君に贈ります。みんなのために、後世に残る学生部歌を作ってあげたいんだ』と言われ、その場で作詞してくださいました。そして、何度も推敲され、お忙しい合間を縫って、作曲もしてくださいました!」
 誰もが、伸一の深い思いを感じた。



9、12月度 男子部「御書活動者会」研鑽のために  一生成仏抄

 わが生命を磨き抜け 環境をも変える題目の功力
  (作業中)



【社会の情勢】
 

◆ 本格的な景気回復へ 公明党 衆院選マニフェスト㊤ 
  ①地方創生、経済再生に全力  ②社会保障と教育の充実

◆  与党が衆院選共通公約 7項目で重点政策を構成
  ①経済再生の実現 ②地方創生・女性の活躍推進 ③社会保障など安心の確保 ④東日本大震災からの復興と防災・減殺対策 ⑤原発・エネルギー対策 ⑥積極的平和外交の推進 ⑦衆院の選挙制度改革と定数削減

◆ 衆院選小選挙区 公明、自民192人を推薦

◆ 失業率、3・5%に改善 女性の就業増加 総務省

◆  原産見送り、原油急落 加盟国の足並みに乱れ OPEC

2014年11月のブログに掲載された見出し一覧

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2014年11月のブログに掲載された見出し一覧

2014/11/30(日)の聖教

1、池田名誉会長 光の言葉 幸福の曲  行動!もっとも重要な時は「今」
2、タイ国立メージョー大学が放送 池田大作SGI会長の思想を伝えるラジオ番組
3、台湾高校教科書がSGI会長の言葉を掲載
4、わが友に贈る 
5、名字の言   池田名誉会長は「対話とは、相手から学ぶことである。そこには相手への尊敬がある。だから語り合う言葉が生まれる」と。
6、寸鉄
7、世界市民の誓い 我らワールドシチズンズ(13)タイ・ヤング壮年部副責任者 モンコン・ピエンピッタックキットさん 「法華経の兵法て」で突き破れ!
8、社説 現実の中へ! そこに幸福がある 12月2日は「文芸部の日」
9、きょうの発心 開目抄、234 ㌻ 【経済苦の試練通し信心深める】

【社会の情勢】 

◆ 国民の安全・安心守る 公明党・衆院選マニフェスト ㊦
    ①復興加速化と防災・減殺対策 ②政治・行財政の改革断行確実に ③平和と繁栄の対外関係築く
◆  運動好き、「得意」も増加 文科省の全国体力テスト
◆ 空から初日の出、富士山 各社が相次ぎ旅行商品開発

2014/11/29(土)の聖教

1、本陣・東京 北・足立 原田会長と躍進の集い
2、アメリカ・ラスクルーセス市が「ダイサク・イケダ世界平和の日」を制定
3、わが友に贈る
4、名字の言  「宗教は始めにして経済は終わりなり」内村鑑三
5、寸鉄 
6、名誉会長と共に 新時代を開く 【42】皆さまの前進こそ世界の希望
7、ここに使命あり たゆまざる水の如く 埼玉・新座市  前へ前へと信じる道を
8、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」(11)
9、12月度 男子部「御書活動者会」研鑽のために  一生成仏抄
 わが生命を磨き抜け 環境をも変える題目の功力

【社会の情勢】 

◆ 本格的な景気回復へ 公明党 衆院選マニフェスト㊤ 
  ①地方創生、経済再生に全力  ②社会保障と教育の充実
◆  与党が衆院選共通公約 7項目で重点政策を構成
  ①経済再生の実現 ②地方創生・女性の活躍推進 ③社会保障など安心の確保 ④東日本大震災からの復興と防災・減殺対策 ⑤原発・エネルギー対策 ⑥積極的平和外交の推進 ⑦衆院の選挙制度改革と定数削減
◆ 衆院選小選挙区 公明、自民192人を推薦
◆ 失業率、3・5%に改善 女性の就業増加 総務省
◆  原産見送り、原油急落 加盟国の足並みに乱れ OPEC

2014/11/28(金)の聖教

1、中南米SGIの友が創立の月を躍進
2、わが友に贈る
3、名字の言  団結は、一人一人が全力を出し、使命を果たす時に、真価が発揮される。
4、寸鉄 
5、わが町わが誇り 福岡市東区 大九州の本陣 先駆の師子
6、この時に誓う 【12】 新名九州長 1994年 5万人の第九 
報恩の勝利で“歓喜の凱歌”を
7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」 (10)
8、社説  “善き友”をもつ人は幸福 友情は人生を豊かに潤し彩る宝
9、きょうの発心  佐渡御書 957㌻ 【師弟誓願の祈りと行動で勝利へ】

【社会の情勢】 

◆ 生活守る5本柱 公明党重点政策(マニフェスト)を発表
◆  空き家ガイドライン作成 撤去・修繕の基準策定へ 国交省
◆ 「和紙」無形遺産に決定 伝統継承の取り組みを評価 ユネスコ
◆ OPEC原産見送りか 原油価格下落もサウジ生還
◆  ルーター悪用が急増 サイバー攻撃、新手口に注意 警察庁

2014/11/27(木)の聖教

1、イタリア・スペイン・ドイツで教学試験 
2、わが友に贈る
3、名字の言  ベルリンの壁、〝越えられないもの〟〝変えられないもの〟の象徴であった。
4、寸鉄
5、核兵器の非人道性会議に向けSGI会長が寄稿 国際通信社IPSが配信 
6、響き合う魂 SGI会長の対話録 第51回 フィリピン共和国 ラモス元大統領
共に行こう! 我々には建設すべき世界がある
7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」
8、座談会  世界広布新時代の旭日(97) 12月2日 小説「人間革命」執筆開始から50年
9、社説 中国青年代表団が来日 日中友好の未来開く新たな絆
10、きょうの発心  祈祷抄、1351㌻ 【真剣な唱題で一家の宿命を転換】

【社会の情勢】 

◆ 障がい者雇用率1・82% 大企業は法定2%超える
◆  家電回収で数値目標 不正輸出、不正投棄を防止
◆ 衆院選小選挙区 自民、公明9人を推薦
◆ 13年参院選は違憲状態 最高裁、一票の格差4・77倍で

2014/11/26(水)の聖教

1、前進の調べを高らかに! 音楽隊が各地で熱演
2、御書とともに Ⅱ名誉会長が指針を贈る 【37】苦難を跳ね返す生命の力
3、わが友に贈る
4、名字の言  生きるのに苦労は尽きなくても、生きること自体に感謝を見いだす人は、幸福を開いていける。
5、寸鉄 
6、地平線を越えて SGI会長との心の絆 台湾 ㊦
信頼の園に 平和と文化の花は爛漫
7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」 (8)
8、社説 インフルエンザ等に注意 健康第一で本年の総仕上げを
9、きょうの発心  立正安国論、26㌻ 【確固たる目的に生き抜く!】

【社会の情勢】 

◆ 11月景気判断、据え置き 企業収益1年ぶり上方修正
◆  腎臓の立体組織作成  移植再生医療に期待 岡山大など
◆ 老朽原発の廃炉後押し 会計制度見直しに後押し 経産省
◆ 障がい者虐待2659人に 家族から8割 厚労省調査

2014/11/25(火)の聖教

1、難攻不落の三代城を永遠に 北海道広布60周年を大躍進
2、しなの合唱団が金賞 全日本合唱コンクール全国大会
3、わが友に贈る
4、名字の言  視点を変える
5、寸鉄 
6、わが町わが誇り   広島 呉平和圏・呉東平和圏 執念の祈り電光石火の行動
7、この時に誓う 谷川副会長 【11】「11・18」から新たな挑戦
8、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (7)
9、座談会 世界広布新時代の旭日 【96】開幕の年」の本年 総仕上げの時
10、社説  “第三の居場所”で光る 男性も勇んで“地域デビュー”を
11、きょうの発心  御義口伝 781㌻ 【偉大な師と広宣流布の大道進む】
【社会の情勢】 

◆ エボラ対応病院整備へ 空白県、早期実施の方針
◆  自動車部品・ヘッドライト盗難急増 カーナビは被害減少
◆ 公明は中小企業応援 「責任もち政策を実現」山口代表強調

2014/11/23(日)の聖教

1、ニューヨークで世界市民フォーラム 国際通信社IPSが主催 SGIなどが後援
2、女性に対する暴力撤廃の国際デー記念 スペインSGIが講演会
3、わが友に贈る
4、名字の言 「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ」
5、寸鉄 
6、名誉会長とともに 新時代を開く 【41】「躍信」の明年へ さあ出発!
7、中国青年代表団が来日 万台の友誼へ 各地で心温まる交流
先人の志を継ぎ友好の橋を 万団長
8、社説  SGIの友が前進 縦横無尽に人間交流の舞台を
9、きょうの発心 寂日房御書、903 ㌻ 【師の恩に報い地域広布にまい進】
10、親が子に語る物語 人々を救った金色王

【社会の情勢】 

◆ 公明党 九小選挙区、渾身の訴え  短期決戦。猛ダッシュ
◆  ふるさと雇用 給与半額を助成 都会から移住促進へ支援 政府
◆ 「美」感じると脳が活性化 医療分野へ応用も期待 ロンドン大
◆ 長野市など震度6弱

2014/11/22(土)の聖教

1、新時代の一番星 ニュージランド 広布50周年の祝賀総会を盛大に
2、誓いの各部代表者会議 信心の団結で勝て
3、わが友に贈る
4、名字の言  「弱いつながり」を大切にすることが、自身の新たな可能性の発見、成長につながる。
5、寸鉄 
6、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」(5)
7、紙上セミナー 生活に生きる仏教 自然治癒力を高め健康人生を
 万人の幸福のための妙法
 日蓮大聖人 “法華経は心身の諸病の良薬”

【社会の情勢】 

◆ 公明党 大勝利へ勇躍出陣 衆院解散 12月2日公示、14日投票
◆  地方創生関連法が成立 政府、人口減少対策本格化
◆ 巡視船増やし一斉摘発 アカサンゴ密漁で指示 国交相
◆ 不法移民500万人を救済 制度改革で権限行使 米大統領

2014/11/21(金)の聖教

1、御書とともにⅡ名誉会長が指針を贈る【36】無上の哲学を学ぶ誇り
2、わが友に贈る
3、名字の言  病室という閉じた空間にいるせいか、文面から、まるで送り主が目の前に現れる感じさえして、とても勇気づけられた。
4、寸鉄 
5、ここに使命あり 千葉市花見川区 永遠に変わらぬ美しさ
幸福の花よ咲け 友の心に わが街に
6、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」
7、社説  働き方から社会を変える わが職場を価値創造の舞台に
8、きょうの発心  経王殿御返事、1124㌻ 【親の闘病で深めた信心の確信】

【社会の情勢】 

◆ 公明党 緊急経済対策を提言  家計支援など7本柱64項目
◆  軽減税率、17年度導入 「10%と同時めざす」で合意 与党税制協
◆ 指導要領全面改正へ 英語教育、充実図る  20年度以降
◆ 衆院選向け新ポスター いまこそ、軽減税率実現へ

2014/11/20(木)の聖教

1、ブラジル クリチバ文化会館 晴れやかに開館記念式典
2、南アフリカ大使が創大へ
3、わが友に贈る
4、名字の言  「全てに意味がある」は、「全てに意味を持たせる」強さ。
5、寸鉄 
6、11・18「創価学会創立記念日」特集㊦
インタビュー 牧口初代会長の殉教70年に寄せて 米デユーイ研究センター所長 ラリー・ヒックマン博士
軍国主義との不屈の闘争 正義の精神は未来まで輝く
7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」(3)
8、座談会 世界広布新時代の旭日【95】婦女一体で躍進の門を開く
9、社説  スマホ利用者が増加  身近に潜む危険・犯罪に注意
10、きょうの発心  呵責謗法滅罪抄 1132㌻ 【何があっても負けない人生を】
11、池田名誉会長が贈る 勝利の人間学  第64回 世界広布は我らが実現

【社会の情勢】 

◆ 公明党  衆院選第一次公認を発表 9選挙区完勝、比例区大勝利へ 一致団結
◆  法律・条約の成立ラッシュ 危険ドラッグ規制強化など
◆ 経済界に賃上げ要請 政労使会議
◆ 訪日外国人 過去最多 1100万人 1~10月期

2014/11/19(水)の聖教

1、創価学会創立記念日 世界広布の峯へ誓いの出発 
牧口初代会長の殉教70年 追善法要
2、わが友に贈る
3、名字の言  「幸福感は伝播する」ハーバード大学・クリスタキス教授
4、寸鉄 
5、創価学園「英知の日」への創立者のメッセージ 
わが夢に向かって 英知の翼で羽ばたけ   学べ!幸福と平和のため
6、11・18「創価学会創立記念日」特集㊥  師弟の実践が生命の想像力を開花
インタビュー 牧口初代会長の殉教70年に寄せて 宗教学者ニコライス・ガイヤ博士
7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」(2)
8、社説  人材を育む励まし 友に悩み、友に学び、友に動く
9、きょうの発心  兄弟抄 1084㌻ 【御書根本に“不屈の心”築く】

【社会の情勢】 

◆ 首相表明 21日に衆院解散 消費税10%17年4月へ先送り
◆  首相、経済対策の検討指示 消費喚起へ地域商品券
◆ 燃料電池車、日本勢が先行
◆ 西の島 一年で8倍超 続く噴火

2014/11/18(火)の聖教

1、きょう11月18日学会創立記念日 新たなる正義の凱歌を 池田大作SGI会長が祝賀の和歌
2、「11・18」慶祝の声 十和田市立新渡戸記念館 新渡戸常憲館長
3、創価学園で「英知の日」記念行事 創立者がメッセージと卒業指針
4、わが友に贈る
5、名字の言  初代、2代の夢を継いだ第3代の名誉会長によって、創価教育の大城は今、世界に広がる
6、寸鉄 
7、11・18「創価学会創立記念日」特集㊤ 
初代牧口初代会長殉教70年 死身弘法の魂に不滅の光彩
地球を包む価値創造の思想学会は現代の比類なき存在 ロケッシュ・チャンドラ博士
8、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」 (1)
9、この一節にを胸に行学に励む テーマ 報恩 恩を知り恩に報いる人生を
10、女子部のページ 御書を学び“躍進の門”を開こう!

【社会の情勢】 

◆ 公明党が結党50年  「大衆と共に」の精神貫く
◆  GDP年率1・6%減 2期連続マイナス成長 7~9月速報値
◆ 東証反落、終値517円安

2014/11/17(月)の聖教

1、あす学会創立の日 世界が創価を讃嘆
2、北海道 羽幌町で農漁村 ルネサンス体験主張大会
3、わが友に贈る
4、名字の言  特高警察の監視下でも、信仰の喜びが語り合われていた「座談会」。
5、寸鉄 
6、第8回本部幹部会で紹介された、名誉会長の指針 広宣流布の「生命の勲章」は永遠
7、座談会  世界広布新時代の旭日(94) 一人立つ!こそ創立の精神
8、社説  世界市民を育む人間教育の大光 平和を築く人材の学城
9、きょうの発心 四条金吾殿御返事、1143 ㌻ 【苦難には絶対に意味がある!】
10、第8回本部幹部会  活動体験 アメリカSGI アディン・ストラウス壮年部長
一人から一人の励ましのネットワークを  創価家族のスクラムは世界一!
11、世界の体験プラザ イギリスSGI クリストファー・ネンバードさん
失読症を克服しダンス・セラピストに 差別のない社会のため貢献したい
子どもたちを支援するチャリティーも

【社会の情勢】 

◆ 世界経済、成長引上げ 各国が改革推進で一致 G20宣言
◆  安全保障の連携強化 日米豪首脳が共同声明文
◆ 自治体独自の条例奏効 危険ドラッグ規制改正、ネット販売店撤退

2014/11/16(日)の聖教

1、光の言葉 幸福の曲 「11・18」から前進 わが生命に幸福の宮殿を
2、南アフリカで求道の研修会
3、ロシアで初の教学試験
4、わが友に贈る
5、名字の言 「すみません」と 「ありがとう」
6、寸鉄 
7、社説  きょう「国際寛容デー」 そあ対話を!「善の拡大」のため
8、きょうの発心  開目抄 234㌻ 【強き信心の一念で病苦を克服】

【社会の情勢】 

◆ 各国経済課題を議論 阿部首相、政策の成果アピール  G20開幕
◆  視覚障がい者と映画を 情景、字幕はイヤホンの映写施設オープン 都内
◆ 天気から食品需要予測を 廃棄とCО2削減目指す 気象協会
◆ 地銀純利益3・6%減 依然高水準、主要20行の中間決算

2014/11/15(土)の聖教

1、ドミニカ共和国・ダハボン市 池田大作SGI会長に顕彰状 ブラジル・サンベルナルド・ド・カンポ市は香峯子夫人に「市民功労賞」[
2、わが友に贈る
3、名字の言  「転んでも 転んでも 私は立ち上がる 行くぞ この道どこまでも」と。
4、寸鉄 
5、世界市民の誓い 我らワールドシチズンズ 【12】ブラジル総合方面女子部長 プリシラ・デ・ソウザ・フェイトザさん 庶民のための弁護士として
6、随筆 民衆凱歌の大行進【14】行学で飾る創立の日
 喜び勇んで友の中へ 民衆の中へ! 対話拡大に躍進する青年を皆で讃歎
7、生老病死を見つめて  「老い」と向き合う② 所願満足とは最後まで生き抜くこと

【社会の情勢】 

◆ 震災時、放置者を撤去 破損補償、大雪も対象に 改正法成立
◆  消費再増税、6人賛成 「軽減税率必要」との意見も
◆ 大学生の内定率68% リーマン前にほぼ回復
◆ 再犯者率、平成最悪46・7% 犯罪白書
◆  糖尿病4億人に迫る  日本十位 中印で深刻化 14年

2014/11/14(金)の聖教

1、九州合同トーハン会 池田名誉会長に特別顕彰牌
2、御書とともに Ⅱ 名誉会長が指針を贈る  師弟の絆は三世に輝く
3、わが友に贈る
4、名字の言  いざという時、人は傍観者になりがち
5、寸鉄 
6、わが町わが誇り 大阪・岸和田 不離の同志か 兄弟か
7、きょう発売 小説『新・人間革命』第26巻のあらすじ 
 我が生命に「信心の王城」を築け!
8、11・18「創価学会創立の日」記念 世界広布新時代第8回本部幹部会
 ◆会則の教義条項を改正 世界宗教の基盤を確立 原田稔会長
  ◆創価女性の連帯こそ平和の砦 杉本しのぶ婦人部長

【社会の情勢】 

◆ 日中韓首脳会談を希望 ASEANプラス3で 韓国大統領が表明
◆  所在不明児なお141人 追跡調査で9割超が判明
◆ 世界初彗星に着陸成功 欧州の無人探査機
◆ デイサービス 時間延長を提案 介護と仕事の両立後押し 厚労省

2014/11/13(木)の聖教

1、中華全国青年連合会が派遣 中国青年代表団を歓迎
2、わが友に贈る
3、名字の言  抽象的な誰かでなく、目の前にいる〝一人〟のために――そこに〝万人〟の心を揺さぶる力が躍動する。
4、寸鉄 
5、座談会   世界広布新時代の旭日(93)偉大な使命の広布の先駆者
6、社説 可能性と個性の花は祈りで開く 子どもの未来を信じ抜く
7、きょうの発心  佐渡御書、957㌻ 【師子王の心で苦難を克服】

【社会の情勢】 

◆ 「あいち・なごや宣言」採択 環境・防災教育の国際会議 ユネスコ
◆  米中、温室ガス抑制合意 米国26~28%削減を表明
◆ ASEAN首脳会議が開幕 共同体の協力関係など議論 ネピドー

2014/11/12(水)の聖教

1、大分・佐賀 九州各地で誓いの青年大会
2、わが友に贈る
3、名字の言  池田名誉会長は「壮年部の皆さまは、はつらつと、若々しく、率先して『皆のために行動する』人生を送っていただきたい」と期待を寄せた。
4、寸鉄 
5、SGI会長 英字紙・ジャパンタイムスに寄稿 
ESD(持続可能な開発のための教育)ユネスコ世界会議が開催
教育で内発的な力の開花を 変革は目覚めた一人から!
6、地平線を越えてSGI会長との心の絆 台湾 ㊥
 社会の繁栄へ! よき市民として輝け
7、社説  きょう「女子部の日」 希望の対話を広げる華陽の友
8、きょうの発心  立正安国論、26㌻ 【徹して一人を励ます師に感激】

【社会の情勢】 

◆ 自由貿易圏へ工程表 APEC首脳会議が閉幕
◆  米中、協力拡大を模索 「新たな段階」へ 米中首脳会談開始
◆ 東証終値1万7000円台 海外市場で円安進行
◆ 社会保障給付108兆円 年金給付伸び、過去最高 12年度 厚労省
◆  アルツハイマー発症前に判定 血液から原因たんぱく量検査

  2014/11/11(火)の聖教

1、池田大作名誉会長 来日中の海外の友を激励
2、ESD(持続可能な開発のための教育)ユネスコ会議
3、わが友に贈る
4、名字の言  大災害や大事故・事件などが心の傷となって起る、PTSD(心的外傷後ストレス障害)とPTG(心的外傷後成長)。
5、寸鉄 
6、第1回「世界女性平和会議」(11月6日) 池田SGI会長夫妻のメッセージ
輝き光る幸福勝利の金舞を 女性の誓願と団結が平和開く
7、教学 御供養の意義  仏・教団を敬う気持ちの表れ  「真心」に偉大な福徳が輝く

【社会の情勢】 

◆ 日中首脳 対話強化で一致 両政府合意沿い関係再構築
◆  プーチン氏訪日は来年 平和条約締結へ議論進める 日露一致
◆ ESD(持続可能な開発のための教育)の世界会議開幕 名古屋
◆ 体内時計 細胞分化と密接 京都府立医大
◆  APEC 首脳会議始まる

2014/11/10(月)の聖教
新聞休刊日 無冠の友の皆様、いつもありがとうございます。

2014/11/9(日)の聖教

1、11・18「創立の日」万歳! 世界広布新時代第8回本部幹部会 SGI総会
民衆の歓喜と凱歌の大行進を

2、世界広布新時代第8回本部幹部会  名誉会長がメッセージ
師弟の正義の魂を永遠に 
18日付から連載を開催 小説『新・人間革命』第18巻第1章広宣譜

世界の創価家族と共に躍進! 師子奮迅の大生命力を燃やせ
永遠の『月桂冠』を君に
御聖訓  「悪は多けれども一膳に勝つことなし」  平和と勝利の道を走り抜け
3、今週のことば
4、名字の言  東北が穀倉地帯となったのは、何百年にもわたる、たゆまぬ努力のたまもの。
5、寸鉄 
6、社説  秋の全国火災予防運動 防災力を高める近隣付き合い
7、きょうの発心  陰徳陽報御書 1178㌻ 【広布の活動の中で宿命の転換を】

【社会の情勢】 

◆ 自由貿易圏、研究を開始 APEC閣僚会議で共同声明
◆  燃料費の補助を検討 円安対策で地方支援 政府
◆ インフラ交付金 地域差を設定へ 老朽化対策の自治体優先
◆ 地銀再編 一気に加速 人口減、経済縮小に危機感

2014/11/8(土)の聖教

1、ブラジル・アマゾナス州教育委員会から池田大作SGI会長に最高栄誉メダル
2、民衆の凱歌を高らかに 音楽隊・鼓笛隊が全国で熱演
3、わが友に贈る
4、名字の言  新渡戸稲造博士が、哲学者のソクラテスを尊敬する理由の一つに挙げたのも「続ける」ことだった。
5、寸鉄 
6、全国県長会議 副会長23氏が誕生 世界広布の誓願に燃えて出発!
7、、「創価学会会則 教義条項」の改正について  全国県長会議から 原田稔会長
世界広布新時代へ更なる飛翔
日蓮仏法の本義に基づいた会則改正  自行化他の実践で「人間革命」を成就
8、2015年(平成27年)の活動  テーマ「世界広布新時代 躍進の年」

【社会の情勢】 

◆ 日中首脳、北京で会談へ 政治的信頼関係の構築へ
◆  APEC閣僚会議開幕 「自由貿易圏」具体化を議論
◆ 日豪EPA 来年初にも発行 牛肉の関税は段階的下げ
◆ 川内原発 再稼働、県が同意
◆  「忘れられる権利」検討 ヤフー、有識者会議を設置
◆ 税金無駄遣い2830億円 13年度 会計検査院

2014/11/7(金)の聖教

1、ロシア民族友好大学から池田大作SGI会長に「名誉博士号」
2、ロシア民族友好大学「名誉博士号」SGI会長の謝辞
 英知と友情と創造の炎を燃やし 地球社会の平和な未来を照らせ
 世界の青年が団結しゆく潮流を
3、第1回世界女性平和会議 40カ国・地域の友が一堂に
4、SGI秋季研修会が開講 各国代表者会議行う
5、わが友に贈る 
6、名字の言 小さなレコード店、書店が、次々と開店しだした。その多くに共通した特徴がある。
7、寸鉄
8、社説時代を開く「民衆の意志」 世界結ぶ「精神のシルクロード」を
9、今日の発心 四条金吾殿御返事、1163 ㌻ 【永遠に続く嵐も苦難もない!】

【社会の情勢】 

◆ 認知症の国家戦略策定 国際会議で支援拡充表明 首相
◆  東北6県で防災訓練 米豪共同、津波想定 自衛隊
◆ 閲覧で別サイトに誘導 国内の「com」アドレス
◆ サイバー基本法が成立 政府内に戦略本部を設置
◆ 臨床研究、法規制へ 高血圧治療薬ディオバン事件受け 厚労省検討会

2014/11/6(木)の聖教

1、アメリカ創価大学でノーベル平和賞受賞者リーマ・ボウイー氏が講演
2、ブラジルからサンバのリズム!民音 スルル・ナ・ホーダ公演がスタート
3、わが友に贈る
4、名字の言  膝をつき合わせて学び合う、その“体温”こそが、忘れ得ぬ心の宝となる。
5、寸鉄 
6、わが町わが誇り 山形太陽県  福運の王国 笑顔の理想郷
7、花は心 木は命 第8回 大阪・泉州の菊   常勝師弟の誉れと光りぬ
8、座談会 世界広布新時代の旭日【92】絶対無事故へ万全の備えを
9、社説  教学任用試験に挑む友 御書根本で友に幸福の人生開く
10、今日の発心  一代聖教大意400㌻ 【“勝利劇の主人公”へ人間革命】 
11、池田名誉会長が贈る 勝利の人間学 第63回 地涌の底力を発揮せよ!

【社会の情勢】 

◆ 共和、過半数を奪還 民主惨敗、オバマ政権苦境 米中間選挙
◆  認知症の国際会議開催 ケアと予防めぐり論議
◆ 夏期賞与 23年ぶり伸び 3・1%増
◆ 「津波防災」で初会議 政府
◆ 卸販売で3人逮捕 危険ドラッグ

2014/11/5(水)の聖教

1、岡山で「希望の種子」展 開幕式に市長、大学学長らが出席 来賓「社会変革への道筋示す展示」[
2、御書とともにⅡ 名誉会長が指針を贈る 【34】今いる場所こそ寂光土
3、わが友に贈る
4、名字の言  ヒマラヤ、王者の峰が姿を現わしたのは、一瞬の出来事。SGI会長の来訪を祝福しているようだった。
5、寸鉄 
6、社説  きょう「男子部の日」 平和への道開く創価の青年力
7、今日の発心  種種御振舞御書 912㌻ 【万代の勝ち戦を決する闘争を】

【社会の情勢】 

◆ 東証2日で1200円高 円安進み、一時113円後半
◆  消費税の点検会合開始 賛否分かれる
◆ 10年で無国籍者ゼロに  各国へ対策強化促す UNHCR
◆ 老朽化団地、集約が可能 UR法改正案提出 国交省
◆ ウォームビズ本格開始

2014/11/4(火)の聖教

1、幸福の凱歌を満天下に 北九州・長崎・鹿児島などで青年大会
2、わが友に贈る
3、名字の言  自分を信じ、勝利を待ってくれる人がいる。
4、寸鉄 
5、地平線を越えて SGI会長との心の絆 台湾 ㊤ 「冬は必ず春に!」苦闘を越え前進
6、11月度座談会御書 南条殿御返事 広布のための真心に無量の福徳
7、未来部育成のページ 皆で機関紙を学ぼう
8、希望の虹 ~世界の偉人を語る~ 第8回 科学者 キュリー夫人
9、未来の翼 ~世界が君を待っている~ 第8回 シンガポールのビル群

【社会の情勢】 

◆ 今日から点検会合 消費増税で有識者聴取 政府
◆  経産省「再稼働に理解を」 川内原発
◆ EU、銀行同盟向け一歩 欧州中銀に監督一元化
◆ 携帯3社「違い」をアピール 独自端末や新機能で競う
◆ 日本人特有の未知要因 肝細胞がんで発見

2014/11/3(月)の聖教

1、神奈川池田記念講堂が開館 神奈川県歌「ああ陽は昇る」記念プレートを除幕
2、第38回広布文化賞 11・3「創価文化の日」記念し、代表16氏に
3、今週のことば
4、名字の言  相手の何げない表情やしぐさから、気持ちをくみ取り、的確な言葉を見つける。
5、寸鉄 
6、座談会  世界広布新時代の旭日(91) 男子部よ時代の壁を破れ!
7、社説  和食文化を考える 暮らしを豊かに彩る感謝の心
8、今日の発心 四条金吾殿御返事、1181 ㌻ 【誓願の道を堂々と歩み抜く】
9、新会員のためにQ&A 【34】創価の由来について
10、11月の広布史 
11、世界の体験プラザ 香港SGI 蔡 偉倫さん 病を乗り越え、アパレル仲介業で社会復帰 苦しみの中に充実と価値がある

【社会の情勢】 

◆ 気温上昇「2度未満可能」 各国に対策強化迫る IPCC
◆  滋賀原発 国の防災訓練実施 地震も想定
◆ 高速道と商業施設直結 簡易IC活用、全国に普及 国交省方針

2014/11/2(日)の聖教

1、池田名誉会長 光の言葉 幸福の曲 芸術は人間を結び世界を結ぶ
2、児童虐待からの再生 第8回平和の文化講演会 お茶の水女子大学 内田伸子名誉教授
3、アルゼンチンで学生総会 ノーベル賞受賞者 エスキベル博士が講演
4、創価女子短期大学 アグネス・チャンさんが来訪
5、わが友に贈る
6、名字の言 池田名誉会長「民衆の幸福のために、すべての哲学と知性を総動員する社会をつくらねばならない」と。
7、寸鉄 
8、社説  きょう2日「創価班の日」 師弟共戦の創立の月を先駆
9、今日の発心  開目抄 234㌻ 【白樺の心で善のスクラムを拡大】

【社会の情勢】 

◆ 五輪 合宿誘致7割が計画 自治体、「おもてなし」も強化 時事通信調査
◆  販売停止、全国一律に 危険度ラック規制めぐり 与党素案
◆ 「妻は家庭」反対49% 賛成上回る 内閣府調査
◆ 環境・防災教育の普及へ 国際会議
◆ 米宇宙旅客機が墜落 試験飛行中2人死傷

2014/11/1(土)の聖教

1、創価大学は人間教育の世界的拠点 2015年4月 工学部が理工学部に
2、カナダ ラバル大学学長 創大を訪問 名誉博士号を授与
3、わが友に贈る
4、名字の言  「一人でもいい、やります」。
5、寸鉄 
6、名誉会長と共に 新時代を開く 【40 】響け!希望と慈愛の曲
7、池田華陽会御書 30編に学ぶ 上野殿御返事(竜門御書)㊦
 広布の大願を胸に最高に尊い人生を  (作業中)

【社会の情勢】 

◆ 日銀、追加緩和を決定 デフレ脱却へ「量的・質的」後初
◆  拉致の過去調査「不十分」 北朝鮮事実上認める 政府説明
◆ 地方創生 政策パッケージ示す 雇用創出支援など 政府方針
◆ SIMロック来年5月解除 携帯各社へ要請 総務省
◆ 福島第1・1号機 建屋カバー取り外し 飛散防止剤の効果確認へ

2014/11/30(日)の聖教

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2014/11/30(日)の聖教


1、池田名誉会長 光の言葉 幸福の曲  行動!もっとも重要な時は「今」

最も重要な時はとは、いつか。
それは「今」である。
最も必要な人とは、だれか。
それは
「今、出会っている人」である。
そして、最も重要なことは、何か。
それは
「今、出会っている人に
善をなすこと」である。

    ***

人を奮い立たせるのは
自分の行動である。
行動の裏づけをもった
魂の叫びであり、声である。
スピードは
「リーダー率先」の証である。
リーダーに、魔を寄せつけぬ
生命の気迫があるからこそ、
スピードが生まれるのだ。
どうすれば、
あの友を勇気づけられるか。
この友の奮起を促すことができるか。
時を逃さず、迅速に手を打ち、
行動することが。

    ***

「仏法は勝負」である。
人生は闘争である。
勝負である以上、
勝利する以外にない。
一日一日、
自分らしく勝利していく。
その繰り返しに、
三世にわたる幸福と勝利の軌道が
厳然と築かれていく。

   ***

たとえ分野が異なっても
「行動者」同士は話が通じる。
反対に「傍観者」「見物人」には
責任感がない。
人生の主体者でないゆえに
真の充実も幸福もないであろう。
「行動する人間」には
当然、苦労も大きい。
無責任な批判も多い。
しかし、
生命の底からの充実と満足は
その人のものである。

 1983年6月、池田名誉会長は、スペインの首都・マドリードを訪れていた。マヨール広場で羽を休めていた鳥たちが、にわかに羽音を立てて舞い上がった。
 生あるものは、瞬間、瞬間が行動であり、戦いである。この厳然たる宇宙の法則を、名誉会長のカメラが切り取って見せた。
「大作は、隼のようだな。」恩師・戸田第2代会長は評した。若き日から、名誉会長は、迅速第一で友を励まし、中傷に反撃し、平和の潮流を広げてきた。「スピード」こそ誠実の証明、「行動」こそ責任感の表れであった。
 ナポレオンいわく「二時間でできることに二日もかけるようなことは絶対にしない」(長塚隆二訳)。電光石火の行動で、今、自身の黄金の歴史を開いていきたい。



2、タイ国立メージョー大学が放送 池田大作SGI会長の思想を伝えるラジオ番組

 タイの名門・国立メージョー大学のラジオ局による、池田大作SGI会長の思想と哲学を紹介する番組「人生に価値創造」が、放送開始から10周年を迎え、祝賀の行事が10月18日、タイ北部のチェンマイ市内で行われた。
 2004年9月に始まった同番組は、同大学のテープ元学長の要請により実現。番組の開始以来、市民や学生のリスナーから賛同の声や質問などが数多く寄せられ、好評を博している。
 また、ラジオ局の放送地域も、当初のチェンマイから隣接地域を含むエリアに拡大。より多くの人々に“希望の哲学”が届けられるようになった。
 祝賀会でテープ元学長は、「メージョー大学のラジオ局が開局してから11年になります。今回、10周年を迎えたSGI会長の番組と共に歩んできたと言っても過言ではありません」「皆さまが番組を通して、人々に心の糧を与えてくださることに感謝しています」と語った。



3、台湾高校教科書がSGI会長の言葉を掲載

  台湾の高校・高等職業学校の教科書『健康と看護』上巻(写真)に、池田大作SGI会長の著作『「第三の人生」を語る』の抜粋が掲載された。

 同教科書を発刊したのは、台北に本社を置く泰宇出版株式会社。主に高校の教材や進学のための学習参考書を扱っており、公・私立学校から定評がある。
 同教科書には、「日々休まず生命をその光ではぐくみ、輝き照らす『太陽』のような人生を、人に温かみをあたえられるような人生を、朗らかに生きたい」などのSGI会長の言葉が引用されている。
 仏法に基づく人生観が、青少年の心を大きく包みゆくことだろう。



4、わが友に贈る
 

 「誠実」に語れば
 友情が広がる。
 「真剣」に話せば
 信頼が深まる。
 勇んで対話の最前線へ!



5、名字の言   池田名誉会長は「対話とは、相手から学ぶことである。そこには相手への尊敬がある。だから語り合う言葉が生まれる」と。

  詩人の長田弘氏が、ジャンルや世代の壁を超えた11人との対話をまとめた『問う力』(みすず書房)。氏が、その経験を通して実感したのは、対話を豊かにするのは、「話す」よりもむしろ「聴く」ことだったという▼自分の主張を相手に理解させ、同意してもらおうとするだけでは、「対話」にならない。長田氏は「対話」を、互いの言葉を手がかりとして、ゆっくりと考える時間を共にし、分け合う方法――と考察している(『なつかしい時間』岩波新書)▼甲南大学の井野瀬久美惠教授に話を聞いた。教授は、創価学会が「対話」を最重要視することに触れつつ、「『対話』は、女性が力を発揮できる分野」と強調した。その理由として、「対話」には「辛抱強さ」が求められるが、それは女性の特質でもある――と。創価の運動の広がりは、女性を先頭に、地域に根を張った、地道で粘り強い「草の根の対話」があればこそだろう▼「対話」は「議論」とは違う。「双方向」で成り立つ。うまく話せなくても、じっくり聞ける人こそ対話の名手だ▼池田名誉会長は「対話とは、相手から学ぶことである。そこには相手への尊敬がある。だから語り合う言葉が生まれる」と。共に学び、共に成長する対話の喜びを味わいたい。(芯)



6、寸鉄

★  「行動だけが歴史である」詩人。大胆また大胆に! 百日に匹敵する一日刻め

★ 創価の堅塁・中部が痛快なる躍進!全員が新時代開く勝利の一番星と輝け

★ 世界平和原点の地・沖縄が模範の友情拡大!凱旋の歌と歓喜の舞を共々に

★ 「公明党の支えがなければ復興は進まなかった」福島県知事。日本の柱と

★ 流感が流行の兆し。嗽・手洗い等、予防万全に。健康第一で本年の総仕上げを



7、世界市民の誓い 我らワールドシチズンズ(13)タイ・ヤング壮年部副責任者 モンコン・ピエンピッタックキットさん 「法華経の兵法て」で突き破れ! 


◆いつ入会したのですか?

 1979年、14歳の時です。母と共に入会しました。
 子どもながらも、生き生きとした学会の方々と触れ合ううちに、人生の捉え方が変わっていったことを覚えています。学会の成績が良くなく、“自分の力はこんなものだろう”と半ば諦めていましたが、学会員の姿に触れて、心に灯がともされたのです。
  題目を唱えると、「自分を変えたい」との漠然とした気持ちが、「必ず変えられる」との確信に変化していきました。
 徐々に成績が向上。高等専門学校で学んだ後、証券会社に入社することができました。
 社会人になってからは、男子部員として一歩も引かず友の激励や対話拡大に奔走。時間をやりくりして、牙城会、創価班の着任(タイでは両方の人材グループに所属することもある)にも挑戦しました。
 そうした中で、池田先生がタイを訪問された際、役員として出会いを刻むことができました。人生の原点と輝いています。

◆信仰体験を教えてください。

 仕事で信頼を勝ち取り、大きな実証を示してきたことです!
  現在、社長を務める大手投資会社傘下の金融会社で、2007年、莫大な額の不良債権の回収を任されました。どうすれば債務者が回収に応じてくれるのか、深く悩みました。
 いまこそ「法華経の兵法」しかない。そう覚悟を決めて御本尊に向かうと、「時間がかかっても、顧客に誠実を尽くそう」と決意が定まりました。
 同僚たちを励まし、1万2000人の債務者のもとへ、一人また一人と訪問。すると、その行動を鏡で映すかのように、相手も誠意を尽くしてくれるように。2年後には、全ての不良債権を回収。上司や同僚から深い信頼を寄せてもらえるようになったのです。
 ほかにも、妹の事故や娘の受験など、人生の幾山河を、信心根本に乗り越えてくることができました。
 “強盛な祈りと行動で破れない壁はない”――それが、偽らざる私の確信です。

◆タイでの学会活動の様子は?

  私は今、壮年部の副本部長と、ヤング壮年部の全国副責任者を務めています。王城会として会館厳護にも携わっています。
 平日はバンコクを中心に動き、土日はバスや飛行機で、タイ北部のヤング壮年部の激励に走っています。
 ヤング壮年部は月一回、バンコクで会合を開催。200人ほどのメンバーが元気に集います。
 私は、テレビ画面を使って小説『新・人間革命』のポイントを発表するなど、池田先生の指針をできるだけ分かりやすく伝えようと工夫しています。
 多くの壮年部員に共通するのは、仕事や経済的な悩みです。そうしたメンバーには、できるだけ具体的に、自分自身の体験を通してアドバイスするよう心掛けています。“体験にまさる力なし”です。

◆ 仏法に無駄はないし言われますが、本当にその通りでする。

 そうです!過去の苦労にもすべて意味があったのだとねしみじみとかみしめています。 私は本年、壮年部の同志にこう呼びかけてきました。「目前の課題から逃げてはいけません。正面から向かい合いましょう」「確信の題目を唱えれば、どんな壁も乗り越えられます!」と――。
 私自身も会社の経営などに関する悩みは尽きませんが、「冬は必ず春となる」との大確信を燃やして、広宣流布の大道を歩んでまいります!



8、社説 現実の中へ! そこに幸福がある 12月2日は「文芸部の日」

 第2次宗門事件が勃発する直前、池田名誉会長が「言論は永遠、権力は無常」と呼び掛けたエピソードがある。
 中国の春秋時代。ある国の崔杼という臣下が王を殺し、最高権力者に成り上がった。その国の太史(歴史を記す役人)は「崔杼、其の君を弑す」と書いた。「弑す」とは謀反を意味する。「主君を殺した反逆者」という批判に怒った崔杼は、その太史を殺してしまう。
 後を継いだのは殺された太史の弟たちだった。1人目の弟も2人目の弟も、兄と同じ言葉を書き、処刑された。3人目の弟も太史になり、彼もまた「崔杼、其の君を弑す」と書く。ついに崔杼は諦め、「弑す」の一言は歴史に残った。実は命懸けの兄弟の話を聞き、地方に住む史官たちも「真実を残そう」と都に集まっていた(『春秋左氏伝』)。
 「私も書く」「殺されても書く」。捨て身の言論人たちの一念が歴史を正した。名誉会長は訴える。「史官たちは勝った。殺された三人の兄弟も、万世に不朽の名を残した」「だれの目に敗北と見えようと、彼らは『魂の勝利者』であった。やがて事実は後継の同志の手で見事に証明された。『真実の人』が『権威の人』に勝ったのである」(『池田大作全集』第75巻)
 史官たちにとっては「書く」ことが「生きる」ことだった。名誉会長が「言論戦」に言及する時、そこには常に「行動」の土台がある。
 インド独立の父ガンジー。「歩きに歩いた『行動の人』であった。あたたかく民衆に語りかける『声の人』であった。と同時に、たゆみなく書き続ける『ペンの人』であった。彼は生涯で一千万語を書いたという。合計六年近くも過ごした獄中でもペンを手放さなかった」(同第87巻)
 迫害の末、不滅の『神曲』を綴ったダンテ。名誉会長は青年部に「青年もまた、一人のダンテにならねばならない」と語る。ペンと口と行動で「現実の中へ!、人間群の中へ!、時代の最前線へ! と走りゆかねばならない。現実の中へ!――。これこそが、ダンテの一貫した精神であった」(同第77巻)と。
 池田名誉会長は50年前の12月2日、沖縄で小説『人間革命』の執筆を始めた。『人間革命』こそ、戦争の現実を見定めた師弟による、大いなる闘争の記録である。12月2日を「文芸部の日」と定めた意義も、この一点にあろう。「現実の中へ!」。これを合言葉に、さらなる新しい言論の舞台を切り開きたい。



9、きょうの発心 開目抄、234 ㌻ 【経済苦の試練通し信心深める】

御書 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ(開目抄、234ページ・編464ページ)

通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。. 

 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。

 私が社会人になって2年目の時、父の会社が倒産。仕事にも学会活動にも身が入らなくなり、悶々とした日々を過ごしました。
 そんな時、男子部の先輩に誘われ、先輩の家を訪問。仏壇の脇に、墨痕鮮やかに大書きされたこの御文を見て、衝撃を受けました。
 倒産と向き合うのはつらいことでしたが、苦難のたびにこの御文を心でそらんじ、負けてはいけないと自分に言い聞かせました。
 多忙な部署で企画課長の任を受けたころ、山形和楽県長に。庄内の地で思う存分、活動できたのは、3度の転居によってさまざまな地域の同志と接してきた経験と、父の倒産という最大の試練を30年越しに乗り越えた体験があったからです。妻と同志、それに苦難自体に感謝しています。
 山形和楽県壮年部の同志と共に、一人一人を励まし、地域広布に走ってまいります。
山形和楽県本部長 三浦 久次



【社会の情勢】
 

◆ 国民の安全・安心守る 公明党・衆院選マニフェスト ㊦
    ①復興加速化と防災・減殺対策 ②政治・行財政の改革断行確実に ③平和と繁栄の対外関係築く
◆  運動好き、「得意」も増加 文科省の全国体力テスト
◆ 空から初日の出、富士山 各社が相次ぎ旅行商品開発

2014/12/1(月)の聖教

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2014/12/1(月)の聖教


1、ブラジル 自然と共生する環境都市ゴヨエレ市 池田大作SGI会長夫妻を名誉市民に

発議者 社会貢献の青年を育む人間主義の哲学に感銘

 ブラジル・パラナ州のゴヨエレ市から池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長夫妻に「名誉市民」称号が贈られた。平和・文化・教育への世界的な貢献を讃えたもの。授章式は11月18日、同市議会議場で盛大に挙行。ルイス・ロベルト・コスタ市長、ジョゼ・トヘス・ダ・シルバ副市長、ヴァルテル・フェルナンデス・マルチンス市議会議長、全市議会議員、ブラジルSGIの友らが祝福した。

 「イデオロギーの堅氷を融かしながら/鎖された国境の扉の開幕に先駆ける/無名の 庶民の家庭の娘たち/君らこそ 無冠の外交使節だ/偽りなき まことの平和の天使だ」
 授章式の席上、今回の発議者の一人であるネイデ・サンフェリッセ・ブロジオ・セナ市議が、SGI会長が鼓笛隊に贈った詩「平和の天使」を高らかに読み上げた。
 ゴヨエレ市は、パラナ州の州都クリチバから北西約530キロに位置。市の名称は、先住民の言葉で「清らかな水」「澄んだ水」を意味する。その名の通り、豊かな自然と共生する環境都市である。
 市の持続的な発展のためには、次代を担う青年の育成が欠かせない。しかし、その方途とは?――セナ市議も頭を悩ませていた一人であった。
 そんな時、地元のメンバーを通じ、SGIのことを知った。
 「SGIの歴史や、SGI会長が世界192カ国・地域に開いた人道の闘争を知るほどに、尊敬の念が深まっていったのです」
 さらに、「平和の天使」として社会に希望を送る鼓笛隊の活躍に注目したという。
 1963年8月、わずか数人で発足したブラジルのノーヴァ・エラ(新世紀)鼓笛隊。半世紀を経た今、同鼓笛隊は4000人を超える陣容へと大発展した。行政等からの要請を受け、独立記念日行事や各地の式典に出演している。
 多くの青年、特に女性が、SGI会長の人間主義の哲学を学び、社会で活躍している姿に、セナ市議は目を見張った。“SGI会長の哲学こそ、求めていた答えだ!”
 セナ市議は、マルチンス議長と共に、市議会にSGI会長夫妻への「名誉市民」称号の授章を発議。厳正な審査を経て、全会一致で決議された。
 授章式でセナ市議は感動の面持ちで語った。「『創価学会創立記念日』という意義ある日に、SGI会長夫妻を顕彰でき、大変にうれしく思います」
 続いて、コスタ市長が力を込めて語った。
 「世界的な偉業を成し遂げてこられたSGI会長夫妻を名誉市民としてお迎えでき、大変に光栄です。日々、“良き市民”として平和と社会の発展に寄与されている地元SGIの方々にも、心より感謝します。SGI会長夫妻とSGIのさらなるご繁栄とご活躍をお祈り申し上げます」
 コスタ市長から代理のブラジルSGIのコウサカ理事長に証書が手渡されると、大きな拍手に包まれた。



2、インドのムンバイ ベンガルールで池田大作SGI会長の平和提言セミナー

「諸課題への意識を啓発」
「人生の価値創造の力に」

 精神の大国・インドの各都市で、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長が本年1月に発表した「地球革命へ価値創造の万波を」と題する「SGIの日」記念提言をめぐるセミナーが活発に行われている。
 10月11日には、南インドの州都ベンガルールで、11月14日には、西部の商業都市ムンバイで開催。同国を代表する各界の識者が、SGI会長の平和思想と行動について論じ合い、共感の輪が広がった。
 このうち、ムンバイのセミナーは、インド創価学会(BSG)とタタ社会科学研究所が共催し、ネルーセンターで実施された。
 セミナーでは、BSGのレディ名誉副議長の開会の辞に続き、4人の識者が登壇。
 国連事務総長室のキショール・マーンッディヤン元政務局長は、「池田博士の平和提言は、今まさに世界で起こっていることについて言及されていますが、根本は13世紀の仏教の改革者である日蓮の精神に貫かれています」「博士の提言を読み、さまざまな問題を考え、そして、それをこの場だけで終わらせず、身近なところで価値創造をしていくことが大切なのです」と力説した。
 次いで、ムンバイの外交方針シンクタンクであるゲートウェイ・ハウスのニーラム・デオ所長は、平和提言で繰り返し主張されてきた「核兵器の廃絶」に共感を寄せた。
 そして「池田博士が平和提言で提唱する“核兵器廃絶サミット”の開催は、核の脅威に直面する世界にとって、力強いメッセージとなっているのです」と強調した。
 駐ムンバイ・カナダ総領事のリチャード・ベイル氏は、青年の教育とエンパワーメント(内発的な力の開花)に言及。特にインドでは、目の前の諸課題に対する意識を高めることが重要であり、教育の分野の男女格差の解消など、平和提言に述べられた池田博士の理想をいかにして実現していくか考えていきたいと述べた。
 タタ社会科学研究所災害管理センターのジャクリーン・ジョセフ博士は、レジリエンス(社会を回復する力)の構築について語り、「池田博士は、誰人もレジリエンスと無関係ではないと述べています。それは、力を合わせて希望の未来を実現したいという人間本来の欲求に根差しているものだからなのです」と考察した。
 講演の後、マーンッディヤン元政務局長の進行でパネルディスカッションが行われた。



3、今週のことば

  法華経の兵法の真髄は
 「勇気ある信心」だ。
 自信満々と語り切れば
 仏縁は大きく広がる。
 常勝破竹の勢いで進め!



4、名字の言  御書に「すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(1190㌻)と。

  団地の広場で、子どもたちがテニスボールで壁打ちをしていた。「最近、急に増えて。きっと錦織選手の影響ですよ」と、あるお母さん▼男子テニスの世界ランク5位になり、話題をさらった錦織圭選手。その躍進を支えるコーチのマイケル・チャン氏にも注目が集まった。まだコーチに就く前に、2人はテレビ(WOWOWプライム)で対談。ある大会の決勝で、錦織選手が世界王者のフェデラー選手に完敗した時の話題になった▼チャン氏の話は厳しかった。「あなたはひとつ大きなミスを犯しましたね」「あなたはこう言いました。『フェデラーと決勝で対戦するなんてワクワクします』と」。昔から憧れの選手だった世界王者と対戦するだけで、満足してしまったことを見抜いたのだ。「『優勝するのはお前じゃない! 俺だ!』という気持ちでなければ戦う前に負けています」▼ともに強豪を倒してきた者同士が対する決勝戦。実力は僅差のはずなのに、大差のつくことが、各競技の大会で間々ある。“ここまできた”と満足してしまった側に、勝算は既にないということだろう▼御書に「すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(1190ページ)と。人生の勝負哲学も、最後まで“攻め”に徹する執念が、鉄則中の鉄則である。(朋)



5、寸鉄
 

★  一年を締めくくる師走。わが新時代の躍進の舞台は眼前。勇み広布に走れ

★ 大関東に対話の旋風。関八州を制する者は日本を制す。師子奮迅の闘争を

★ 茨城の友が幸福勝利へ大前進。正義の声を力強く。乾坤一擲の今こそ総立ち

★ 信心でいかなるものにも必ず勝てる―恩師。心の壁を破れ!確信の唱題で

★ 失業率が改善。女性の就業も増加。経済再生へまったなし。公明よ全力を



6、随筆 民衆凱歌の大行進 【15】  「人間革命」執筆五十年
  朗らかに綴れ偉大な民衆の勝利劇 平和と幸福の勝利は今ここから!
  (作業中)



7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (12)

  学生部長の浅田茂雄は、感無量の面持ちで叫んだ。
 「ここで、山本先生に作詞作曲していただきました新学生部歌『広布に走れ』の歌詞を発表させていただきます。

 一、広き曠野に 我等は立てり
   万里めざして 白馬も堂々
   いざや征かなん 世紀の勇者
   我と我が友よ 広布に走れ  

 二、旭日に燃えたつ 凜々しきひとみ
   慈悲と哲理の 学徒の誉れ
   ああ革新の 英知は光る
   我と我が友よ 広布に走れ  

 三、今ほとばしる 大河の中に
   語り尽くさなん 銀波をあびて
   歴史を創るは この船たしか
   我と我が友よ 広布に走れ」

 大拍手が沸騰し続けた。
 さらに浅田は、伸一が、作詞の作業を進めるなかで学生部に示した、「全員が人材である」などの三指針を発表した。
 「私どもは、これからは、この『広布に走れ』と、先生が贈ってくださった指針を、深く胸に刻み、歌声も高らかに、悩める友に勇気と希望を与え、『広布前駆』の使命を、力の限り全うしていこうではありませんか!」
 ここで、オーケストラ、合唱団とともに、全員で「広布に走れ」を大合唱した。“慈悲と哲理の学徒”たちは、広宣流布の万里をめざす誓いを、雄渾に歌い上げたのである。
 続いて、副会長のあいさつ、歴代学生部長ら学生部草創の歴史を築いてきた功労者の表彰等が行われ、山本伸一のスピーチとなった。
 彼は、“無名の庶民の団体”である創価学会のなかから、かくも多くの知勇兼備の英才が育ちつつあることが嬉しかった。
 エリートの最大の要件は、社会の底辺に生きる人びとの心を知り、庶民の守りを最優先する信念と哲学をもつことである。



8、座談会 世界広布新時代の旭日(98)勇気の生命が金剛の境涯開く

「やらんかな!」の決意で大前進

公明党暮らし守る豊富な実績

 原田 師走12月となりました。全国の友が今、「やらんかな!」の決意で立ち上がり、本年を総仕上げしようと大前進しています。

 橋元 池田先生は先日、「いざという時に『やらんかな』の勇気で戦う生命は、金剛不壊の大境涯を開くことができる。大変であるからこそ、大福運を積むこともできるのです」と教えてくださいました。

 竹岡 「信心の世界だけは、ありがたいことに、いささかの無駄もありません」とも先生は言われています。

 原田 全てを信心で捉え、信心の戦いを起こしていく時、人間革命・宿命転換の道も開かれます。

 吉井 日蓮大聖人は仰せです。「白馬がいななくのは、我らが唱える南無妙法蓮華経の声である。この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等が、どうして、色つやを増し、輝きを強くされないはずがあろうか。どうして我らを守護されないはずがあろうかと、強く強く思われるがよい」(御書1065ページ、通解)と。

 杉本 私たちの唱える題目は諸天善神を揺り動かす無量無辺の力があります。

 原田 強い信心があれば、破れない壁はありません。いかなる状況であろうとも、白馬が颯爽と大草原を疾駆するような朗々たる題目を唱えていけば、たとえ目には見えなくとも、その願いをかなえるために、全宇宙が動いていきます。

 杉本 祈りから全ては始まります。どんなことも、御本尊に誓い、祈り抜いていくことです。

 正木 年末に向かって、何かと慌ただしくなりますが、皆で声を掛け合いながら、絶対無事故の日々を送っていきたい。

 原田 インフルエンザが流行する時季でもあります。マスクの着用、手洗い・うがいの励行、適度な休養とバランスの良い栄養摂取を心掛け、皆で最高に晴れやかな「躍進」の新春を迎えていきましょう。

「公示後に決める」

 正木 さて、2日に公示となる衆院選。各党の選挙公約(マニフェスト)が出そろいました。

 橋元 公示以降、私たち有権者は、ライン、フェイスブック、ツイッターなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で、政策や実績の情報発信、そして投票依頼が可能になります。昨年7月の参院選から可能になった、いわゆるネット選挙です。

 吉井 若い世代の人にとって、なじみの深いツール(道具)を使って、政治の未来を語り合うことができるわけですね。

 橋元 私たちが支援する公明党には、「危険ドラッグ」の規制強化のための法律の制定をはじめ、若者の雇用支援のための画期的な法律の提言、若者に過酷な労働を強いる、いわゆる「ブラック企業」を見分けるための離職率の公表など、数多くの若者支援の実績があります。

竹岡 公明党が携帯電話の「番号ポータビリティー(持ち運び)制度」を実現したことは有名ですが、来年5月に原則解除となる携帯電話のSIMロックについても、一部で話題です。これにより、利用者の利便性の向上が図られ、一層のサービスの充実も期待されています。これも公明党の実績です。

 正木 前回(2012年)の衆院選での調査(明るい選挙推進協会)によると、小選挙区、比例区ともに、3人に2人が公示後に投票先を決めたそうです。

 杉本 ということは、今から、投票先を決める人が多いわけですね。

 正木 そうです。しかも6割以上の人が、候補者や党の政策や主張を考慮し、投票先を決めたそうです。

 杉本 政権与党として生活に根差した実績が豊富で、庶民のために働いてくれる公明党の魅力を大いに語っていきたいですね。

議員は国民の公僕

 原田 マニフェストで公明党は、「地方創生」「社会保障と教育の充実」「東日本大震災からの復興と防災・減災対策」「政治・行財政の改革」「安定した平和と繁栄の外交」を重点政策に掲げました。

 正木 たとえば、軽減税率はもちろんのこと、個人消費を喚起するために、住宅ローン金利の引き下げや、住宅エコポイントの復活による住宅取得支援などを明記しています。

 吉井 寒冷地・過疎地や社会福祉施設などへの灯油・ガソリン等の購入補助についても言及しています。

 杉本 また、消費再増税を先送りしている間も、社会保障の充実の促進を訴え、この3年で28万人分の施設を整備する待機児童について、約40万人に拡充することを強調しています。

 吉井 引き続き、震災復興の加速化を最優先にすることも表明しています。

 竹岡 清廉な政治を目指す公明党らしく、いわゆる「政治とカネ」についても盛り込まれ、秘書など会計責任者への政治家の監督責任を強化し、公民権停止や失職などの罰則を科すようにとも提唱しています。

 橋元 私欲で離合集散を繰り返す“政治屋”には国民が辟易しています。

 竹岡 政治家は国民の公僕です。公明党の議員は国民のために働き、信頼される政治家になってほしい。

 原田 「大衆とともに」との原点を貫いたからこそ、公明党は結党50年を迎えました。次の50年への初陣となる今回の戦いも、国民が望み、国民が喜ぶ生活者のための政治の実現へ、断じて勝ってもらいたい。



9、社説 皆が人材! 皆が宝の使命の人 新しい友と心一つに前進

 先月23日に実施された「教学部任用試験」では、全国1517会場に13万人の求道の友が集い、研鑽の成果を発揮した。
 受験者の多くは、新入会員や新たな活動者、高等部員ら、広宣流布の陣列に加わるフレッシュな人材である。信心の先輩と膝を突き合わせて御書の御文や「日蓮大聖人の御生涯」「世界広布と創価学会」などを学んだ一人一人の胸に、“生涯不退の信心”の原点が刻まれたことは間違いない。
 役者を目指す31歳の青年が、学会の芸術部員である先輩の「自分の夢を実現する直道がここにある!」との確信あふれる言葉に触れて入会したのは本年6月のこと。以来、先輩と共に学会活動に励み、このたびの任用試験にも挑戦した。
 「十界論」を学ぶ中で、“自分は縁に紛動されやすいからこそ、唱題を根本に、何ものにも揺るがぬ幸福境涯を開いていこう”と一段と決意を深くした。
 芝居の稽古の現場でも、一人一人の長所を見つけ、たたえる“皆の潤滑油”のような存在に成長。先月行われた舞台を大成功で飾り、任用試験にも合格することができた。後輩が変わっていく姿に、紹介者も「自分が入会した時の感動を、あらためて味わう思いです」と顔をほころばせる。
 こうした新メンバーの感動の声は枚挙にいとまがない。その生命の躍動は、周囲の友の心にも波紋を広げていく。
 池田名誉会長は綴っている。
 「信心の歓喜こそ、あらゆる拡大の源泉である。歓喜する新会員の心には、無限の可能性を開く力がある。喜びに溢れた友の一言は、百万言の理論に勝り、人の心を揺さぶっていく」(『池田大作全集』第136巻)
 思えば、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」で、広布史に燦然と輝くドラマを綴った同志の多くも、入会して日の浅い新会員であった。若き日の池田名誉会長の師子奮迅の激励行により、広布に生き抜く喜びを実感した同志の歓喜が連鎖し、1万1111世帯の弘教という広布拡大の金字塔を打ち立てたのだ。
 「御義口伝」には、「共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し」(御書734ページ)と。新会員と“共に祈り”“共に行動し”“共に学び合う”なかに、幸福の花園は大きく広がる。
 「全員が宝の使命の人」との確信を胸に、今回、任用試験に挑戦した新たなメンバーと心一つに前進し、ともどもに成長する日々を重ねていきたい。



10、きょうの発心 御義口伝、784 ㌻ 【誓願の祈りで拡大の実証を!】

御書 桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり(御義口伝、784ページ・編1630ページ)

通解 桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの当体を改めず、そのままの姿で無作三身(本来ありのままの仏)と開きあらわしていくのである。これが一切を摂めることであり、(無量義の)「量」の義である。. 

 個性を最大に生かし、自分らしく輝いて幸福になる道を説いているのが仏法です

 1981年(昭和56年)、病で母を亡くしました。深い悲しみのなか、同志の励ましが希望に。自分らしく頑張ろうと決意できました。
 84年9月、神奈川青年平和音楽祭に出演。参加者を激励される池田先生を目の当たりにし、弟子として生き抜くと誓いました。
 結婚後、夫が慢性B型肝炎に。しかし、2年の闘病の末、完治。義父母の支えもあり、現在、夫婦共に広布のために思う存分戦っています。感謝でいっぱいです。
 昨年、西横浜総県婦人部長の任命を受けました。広宣流布大誓堂完成の年に新たな使命を頂き、身の引き締まる思いです。
 本年は師が「正義」と「共戦」の揮毫を認められてから35年、神奈川青年平和音楽祭から30年の佳節。神奈川池田記念講堂も誕生しました。総県婦人部のスローガン「誓いの道を 朗らかに前進! 平和と幸福の拡大 西横浜婦人部」を胸に、誓願の祈りを根本に拡大の実証を示していきます。
神奈川・西横浜総県婦人部長 亀崎美菜子



11、世界の体験プラザ  ドイツSGI レオナルド・ドリチッチ
 逆境があったから今の自分がある 演奏家の個性引き出す匠の名器
  (作業中)



【社会の情勢】
 

◆ 「経済の好循環」続ける 社会保障、道筋目指す 山口代表が党首討論で強調
◆  認知症、在宅介護を支援 報酬見直しで厚労省方針
◆ 就活繰り下げ9割対応 全国の企業、文科省が調査
◆ 研究進み長期療養可能 偏見不安67%  きょう世界エーズデー


2014/12/2(火)の聖教

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2014/12/2(火)の聖教


1、きょう 池田大作SGI会長の小説「人間革命」執筆50周年 恩師の偉業を世界に宣揚

 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」――この冒頭から始まる小説『人間革命』の執筆を、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長が開始してから、きょう2日で50周年を迎えた。
 恩師・戸田第2代会長の偉業を世界に宣揚し続けた半世紀。民衆勝利の大叙事詩は世界へ、そして未来へと、「平和の光」を放ち続けている。
 1964年(昭和39年)の12月2日、沖縄本部(当時)で書き始められた小説『人間革命』は、翌65年(同40年)の本紙新年号から連載がスタートした。
 以来、「法悟空」のペンネームで28年余にわたってつづられ、93年(平成5年)2月11日に、連載回数1509回(全12巻)で完結。続く小説『新・人間革命』も合わせると、本日付で6946回となり、日本一の新聞連載回数を更新し続ける大長編小説である。
 国内だけでも5000万部を超えるベストセラーであり、インドの作家やジャーナリスト約1000人が加わる「調和を目指す作家フォーラム」は2003年、小説『人間革命』に「20世紀を代表する名著賞」を贈った。
 『人間革命』は小説だけでなく、映画や劇画、アニメなど多くの媒体で紹介され、それぞれ大ヒットを記録。『新・人間革命』のラジオ朗読は、放送3000回を超えた。
 さらに各国語でも翻訳され、『人間革命』は英語、スペイン語、韓国語、中国語など合わせて9言語。『新・人間革命』は、これに4言語を加えた計13言語で出版されている。
 小説の冒頭の言葉を刻んだ記念碑も、アメリカのグアムやハワイ、韓国の華川郡、モンゴルのチョイバルサン市、そして北海道の石狩市厚田区など各地に立つ。
 『人間革命』『新・人間革命』はまた、壮年・婦人・青年部の各種大学校等で読了運動が展開されるなど、宿命に立ち向かい、広布に走る日本中、世界中の同志に、勇気と希望を送り続けている。
 メキシコSGIのリオス理事長にも、忘れ得ぬ思い出がある。
 「1992年10月に行われたメキシコの本部幹部会の席上、私は聖教新聞に掲載されたばかりの『人間革命』第12巻『寂光』の章を読み上げました。戸田先生が病床で山本伸一に『メキシコへ行った夢を見たよ』と語られた部分です。
 その時の同志の歓喜の声は、今も耳に焼き付いて離れません。
 恩師の夢を実現するため、池田先生がメキシコを訪問されたのは1965年8月。明年は50周年の佳節です。
 メキシコの友は『人間革命』『新・人間革命』を糧として、自身の人間革命を、社会への学会理解を、大きく前進させてきました。“師弟の国”の誇りも高く、異体同心の団結で新たな歴史を切り開きます!」
 かつて池田SGI会長はつづった。
 「生命の続く限り、私は書き続ける。正しい仏法とは何か。正しい人生とは何か。そして、何が歴史の『真実』か。人間にとって『正義』の戦いとは何かを。そこに、人類の未来を開く、一筋の道があるからだ」(『新・人間革命』第1巻「あとがき」)
 師弟の真実を残すための、師子奮迅の言論闘争は続く。



2、ブラジル・サンパウロに誕生 戸田先生総合教育センター

  ブラジル・サンパウロ市内に立つ総合教育施設が、同市議会の満場一致の決議で「戸田城聖先生総合教育センター」と命名された。
 乳幼児教育から初等教育までを担い、地域のスポーツ・文化振興にも寄与する総合的な教育環境を備える。
 発議者のジウソン・バヘート市議は命名理由をこう語る。「戸田第2代会長は世界平和の模範です。その行動に学びたいのです」
 命名式は11月25日、同センター講堂内で。
 池田大作SGI会長がメッセージを寄せ、「真の教育者は青年を自分以上に偉く育てようとします。戸田先生は、青年をこよなく愛し、信じ、励まし続ける大指導者でありました」と強調。両国の友好をさらに深め、広げながら、青年の熱と力を最大に引き出す「人間教育の大道」を、共々に進みたいと念願した。
 サンドラ・ホカートセンター長は語った。
 「戸田会長の精神は直弟子の池田会長によって受け継がれています。その精神こそが、より良き社会の建設に必要なのです!」



3、わが友に贈る

 新しい時代を
 開くのは青年!
 若き情熱と力を
 世界が待望している。
 敢然と一人立て!



4、名字の言   「人間ばかりでなく、社会も、世界も動かしていくのが文学だ」と。 

  聖教新聞本社の展示室に、新聞の枠組みの中に鉛の活字がぎっしり並ぶ「組版」が置いてある。本紙は1988年まで活版印刷だったが、その“証し”だ。今はコンピューター制作だが、かつては、人が一文字ずつ活字を拾い、それを組んだものから鉛版を作って刷った▼池田名誉会長も若き日、東京・新橋の印刷会社に勤めた。一つ一つの活字は鉛の塊にすぎないが、それが組み合わされ、文章になって印刷されると、人の心を動かす力を持つ。「文字通り、活字は生きている。文字は偉大な生命を持っている」▼この思いを、当時通っていた夜学の校長に話すと、たいそう褒めてくれた。「その通りだよ。トルストイを見るがいい。ユゴーを見るがいい。人間ばかりでなく、社会も、世界も動かしていくのが文学だ」▼この時、名誉会長の胸に“いつか文をもって、世界中の人々に語り掛けたい”という大志が宿った。「忘れられない思い出」として随筆に記されている▼「われわれは、人生における最大の精神的恩恵を書物に負うている」(北御門二郎訳)――トルストイが、エマソンの箴言として書き留めた言葉だ。50年にわたる小説『人間革命』『新・人間革命』の執筆の戦いに感謝し、自身の人間革命の勝利劇をつづっていきたい。(川)



5、寸鉄
   

★「人間革命」執筆50周年。民衆の蘇生と勝利の劇。君も征け! 師弟の大道を

★ 北海道・大空知総県、留萌創価県が大激戦! 新時代開く冬の陣を勝ちまくれ

★ 「日蓮一度もしりぞく心なし」御聖訓。臆病は敗北だ。師子王の勇気を出せ

★ 危険ドラッグの新検査法の開発進展と。奪命の魔物根絶へ社会の総力結集

★ 衆院選公示。公明よ日本の為に大いに働け。我らは政策と人物で堂々支



6、小説『人間革命』執筆50周年特集   


 
人間とはかくも偉大なり! 広宣流布の大ロマンの叙事詩

【人間革命と私】

◆起稿の天地・沖縄の使命と確信 総沖縄長 桃原 正義さん◆

  50年前の今日12月2日――。私は当時、琉球大学の一年生。この日、池田先生が小説『人間革命』を執筆された旧・沖縄本部にいました。学生部の会合があったのです。
  「やあ! 沖縄学生部、やってるな!」
 会合の途中でした。池田先生が入ってこられたのです。そして、力説されました。「沖縄の出身であることを誇りとし、日本を、世界を背負うような大人材が出なくてはならない」
 終戦から19年。沖縄は米国の施政権下の“外国”で、戦争の爪痕は色濃く残っていました。私は正直、沖縄出身を誇りに思える心境ではありませんでした。しかし、先生の言葉が、わが使命を自覚する“人生の転機”となりました。
 先生はこの時、『人間革命』の筆を起こされたことを口にされませんでした。私がそれを知るのは後日のことですが、私たち青年に『人間革命』の主題でもある「宿命を使命に帰る」生き方を打ち込んでくださったのです。
 なぜ、先生は沖縄で起稿されたのか――それは、先生が沖縄を初訪問された1960年(昭和35年)7月にさかのぼります。南部戦跡で、県民の4人に1人が犠牲となった凄惨な地上戦を追体験された先生は、すさまじい迫力で言われました。「残酷だ! 戦争ほど残酷なものはない!」
 先生は述懐されています。「いずこの地で一枚目を書こうかと考えていた。そして、もっとも日本列島の中で、悲惨と苦汁をなめた沖縄の地でしたためたいと思ったのである」と。
 先生はまた、「戦争ほど、残酷なものはない・・・・・」から始まる冒頭に「心を砕いた」といわれています。
 『人間革命』は恩師・戸田先生の伝記小説です。その恩師の生涯は、日本社会の運命を背景とした時に浮き彫りになります。池田先生は、戸田先生の人生の最大の転機となった出獄を、「敗戦間近な日本の運命」に重ね合わせて書き出されました。「敗戦間近な日本の運命」――この象徴が冒頭に結実し、その冒頭を沖縄で書かれた。それは、沖縄の「宿命を使命に変える」との一大宣言に思えてなりません。
 起稿から半世紀――。
 沖縄は世界が憧れる「平和と歓喜の幸福島」になりました。「一番苦労したところが、一番幸福になる」仏法の法理を満天下に示しました。先生は、この沖縄の姿を「日本最初の広宣流布の地帯」とたたえてくださいます。
 戦争の要塞と化した沖縄を平和の要塞に変える。そのためには、そこに住む人々の境涯が変わるしかありません。人間革命の戦いはこれからも続きます。

◆自分自身の生き方を定めた原点  歌手 山本リンダ◆

 池田先生、小説『人間革命』の執筆開始50周年を、心からお祝い申し上げます。
 私が初めて『人間革命』を読んだのは、モデルとして駆け出しのころでした。仕事に向かう電車の中で、聖教新聞紙上に掲載される「人間革命」を一生懸命学んだことを鮮明に覚えています。
 特に「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない・・・・・」で始まる「人間革命」の冒頭の一節に衝撃を受けました。
 私の父は、私が1歳の時に朝鮮戦争で亡くなりました。
 母の深い悲しみを知り、幼いころから、“父を奪った”戦争に対する憎しみを感じていた私にとって、「広宣流布こそ平和の大道」であることを『人間革命』で学んだことが、自身の生き方を定める大きな原点となっています。
 池田先生は『人間革命』『新・人間革命』の中で、さまざまな境遇にある学会員さんの人間革命の姿を通し、“人としての生き方”“本当の幸せとは何か”を事細かに教えてくださっています。
 私たち芸術部員に対しても、『新・人間革命』(第13巻「光城」の章)の中で、つづってくださいました。
  芸術部の「ヤング・パワ―」の結成を通し、「有名になることも、人気があることも、ある場合には、大事であるかもしれない。しかし、それが、そのまま実力ではない」と指摘され「自身の永遠の幸福を築くために、信心が大事なんです」――と。
 浮き沈みが激しい芸能界で、目先の地位や名声に翻弄される人も少なくありません。
 人と比べて自分を卑下したり、おごり高ぶってはいけない。信心の実践こそ、自分の心を磨き、真の意義ある人生を築く最高の財産であることを、『人間革命』を研鑽する中で、私たち芸術部員は深く心に期しています。
 今、聖教新聞に掲載される『新・人間革命』と共に、広布にまい進できることに感謝の思いでいっぱいであります。
 これからも、師と共に「最高峰の人生」を歩める喜びをかみしめ、生涯、人々に勇気と希望を贈る“創価の華”と生き抜いていきます。

◆勝利の一日のスタートを切り力  メジャーリーグ投手 岩隈久志さん◆

  地元シアトル(アメリカ)にいても、遠征に行っても、小説『新・人間革命』は、聖教新聞の公式ホームページで欠かさず読んで、一日のスタートを切ります。
 心に残る池田先生の言葉は必ずコピーし、携帯電話に保存して読み返します。
 「山本会長」がメンバーに語り掛ける言葉は、いつの間にか池田先生の声となって、心に響いてきます。“負けるな! 必ず乗り越えられる! 勝て!”と。私にとって先生の言葉は、自分自身を、もう一歩、前に進ませる力なのです。
 登板に向けて気持ちを高めていく中で、言葉にならない“勝つ!”という思いが、先生のおかげで自分の言葉になります。気持ちが明快な言葉となると、心がスッと定まります。たとえマウンドで何が起きても、ぶれることなく“断じて勝つ!”という心で投げ続けることができるのです。
 さらに、先生の言葉には、いつも「何のため!」があります。
 今シーズン、負け試合が続いた時のこと。“結果はそれなりに出している”――言い訳が心にありました。“こんなに頑張っている・・・”。そんな半端さを打ち破ってくれたのも、先生です。
  わが身をささげきってメンバーのために尽くし抜く「山本会長」の姿に、自分は何のために野球をやっているのか、アメリカで投げているのか。自分のためだけだったら、ここまで野球を続けてこられなかったと思います。東北の皆さん、そして応援してくださる方々の大恩に応えたい。どこまで自身の力を発揮できるのか。メジャーリーグに挑戦した原点に立ち戻り、以前に増して、試合に挑んでいけたのです。
  執筆を続けてくださる先生に心から感謝します。勝利をもって応えていく決意です。

◆「12・2」に始まった大闘争の意味 エッセイスト 橋出たよりさん◆

  先日、沖縄へ。コートの襟を立てて羽田から飛行機に乗り込むも、那覇空港に降り立つと、別世界。初冬とは思えないほど温かく、明るい日差しで満ちていました。
 この沖縄の地で、池田先生が小説『人間革命』の執筆を開始された1964年(昭和39年)12月2日――50年前の記念すべき朝も、青空が見える天気であったと伺っています。
 沖縄に地上戦という悪夢をもたらした太平洋戦争。その発端となった真珠湾攻撃の指示は、軍の大本営から連合艦隊の機動部隊に対し、「ニイタカヤマノボレ1208」という暗号文で伝えられました。奇しくも、この暗号文が発信された日は、41年(昭和16年)12月2日とされています。
 その日を起点に戦争へと動き出した歴史の歯車を平和の方向へと巻き直すためのペンによる大闘争を、23年後の同日、沖縄から開始されたということに、桂冠詩人・池田先生の深く透徹した眼差しを感ぜずにはいられません。そして「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」という最初の2行こそ、ありったけの力を込めてならされた人類への警鐘ではないかと拝します。
  「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」という大きなテーマは、50年たった今、さらに一層、私たちにとって本当に大切なこととして、胸に響き続けています。そのことを難しい言葉ではなく、戸田第2代会長を主人公とした素晴らしい小説として激務の中、つづられ、教えてくださったことに、あらためて感謝の思いでいっぱいであります。
 と同時に、恩師の真実を師弟不二の心で描き切られた池田先生の闘争に学び、私もまた文芸部員として自分自身の人間革命を、との決意を固くしています。
 今回、沖縄国際平和会館にて、先生が執筆を開始された小豆色の文机を拝見することができました。湿度が高く、保管が難しい沖縄で、その机は大切に修復され、きれいな状態で和室に。50年前、池田先生が原稿用紙を広げられ、起筆された瞬間に思いをはせ、胸がいっぱいになりました。



命を削る半世紀のペンの戦い


 「先生と共に生き、先生の目的のために死のうと決めた」「その時から、先生のお気持ち、お考えが、鮮明に心に映じはじめた」――池田名誉会長は戸田第2代会長との日々を語った。「事実」から、どこまで「真実」を見出せるかは境涯で決まる。小説『人間革命』は、名誉会長でなければかけない一緒だった。今日まで続くペンの戦いを紹介する。

執筆への道程

  「『人間革命』のこの原稿は 
  わが師 戸田城聖先生の真実の 
  広布への大ロマンにして
    弟子 池田大作が
     確かに書き留めしもの也
    一切の避難と謀略の言を
  信ずること勿れ
  わが門下に深く留む」

  これは、池田名誉会長の揮毫である。
   きょう、執筆開始から50年――師匠の伝記を書き残すことは、名誉会長の青春時代からの誓いであった。
  『人間革命』は、もとは戸田第2代会長が妙悟空のペンネームで書いた小説の題名。1951年(昭和26年)4月20日付の本紙創刊号から、3年余にわたり連載された。
 「小説を書いたよ」。原稿をポケットに入れ、うれしそうに話す師を見て、池田青年の心に、熱いものが迸った。“私もまた、いつの日か、続『人間革命』ともいうべきものを書かねばならない”
  戸田会長の渾身の指揮、それを一心に支えた若き日の名誉会長の激闘によって、広布は急速に進展する。だが、それと比例するように、世間が師に浴びせる中小と誹謗の嵐もまた、勢いただならぬものがあった。
 その中で、恩師の真実を残したいとの思いは募った。54年(昭和29年)8月、戸田会長の故郷である北海道・厚田へ同道した旅で、決意は一段と強まる。
 “自分のことを一から十まで書き表すことなど、できないものだ――逝去の8カ月前、57年(昭和32年)”8月に長野・軽井沢で聞いた恩師の言葉で、誓いは不動のものとなった。
 翌58年(昭和33年)4月2日、戸田会長は逝去。
 64年(昭和39年)4月、恩師の七回忌法要で、執筆が発表されたのである。

法悟空の登場

  「戦争ほど残酷なものはない・・・・・」
 同年12月2日、名誉会長は沖縄で執筆を開始した。この地こそ、「権力の魔性」の権限である戦争の惨禍を最も被った地であり、一人の人間革命から始まる人類の宿命の転換が、小説のテーマであるからだ。
 65年(昭和40年)1月1日付の三面を飾った「黎明一」。「やせ細った中年の男」戸田城聖が、東京・中野の豊玉刑務所を出獄する場面が描かれた。
  戸田会長の「人間革命』は獄中の悟達、すなわち「地涌の菩薩」の使命の自覚で終わっており、この書き出しには、続編執筆の意義が象徴的に表現されている。
 「出獄後の先生の人生は、この獄中の決意の実践であり、その歩みの中にこそ、人間革命の具体的な方途が示されている」(第12巻「あとがき」)からである。
  ペンネームは、戸田第2代会長の「妙悟空」に対し「法悟空」とした。その由来を名誉会長をつづった。「仏法では『妙』は本源、『法』は現象。『妙』は仏界、『法』は九界」「いわば、『妙』は師、「法」は弟子ということになる」
  
怒涛の中で

  本紙は65年7月に日刊化され、小説の掲載も週3日から7日に。執筆は、同志の激励、国内外の識者との会談など、激務の中で進められた。
 70年(昭和45年)には、いわゆる言論問題が勃発。避難の集中砲火を浴びた。体調を崩した時にも口述をテープに吹き込んで、執筆は続けられた。
 また第9巻の原稿には、香峯子夫人が口述を記したものが多い。その際、夫人が使用した小さな机は「香峯子机」と呼ばれる。
 第10巻の連載が終了した78年(昭和53年)8月からは、2年間の休養を余儀なくされた。
 悪侶と反逆者の結託による第1次宗門事件が起こり、79年(昭和54年)4月に第3代会長を辞任。学会の師弟の絆は分断されようとしていた。その時根名誉会長の反転攻勢は、ペンによって開始される。「このままでは同志がかわいそうだ。連載を開始しよう。そのための非難は、私が一身に受ければよい」
 80年(昭和55年)8月、第11巻「転機」の章から、連載は開始される。

日々、戸田先生との対話  「不二の道」を歩み続ける

完結、新連載へ

  連載はその後、世界広布の進展に伴う、海外訪問や識者との語らいの激増によって、長期にわたる休載もあった。
 そして91年(平成3年)5月3日、第11巻「大阪」の章から、完結へ向かって連載が進み始める。
 「人間革命』を通して、学会の隷属化を図る宗門の陰謀は打ち砕かれ、学会こそが、仏意仏勅の広宣流布の団体であることが明らかにされていった。
 全12巻の脱稿は92年(平成4年)11月24日。
 戸田城聖が心血を注いで育てた分身の弟子・山本伸一が、第3代会長に就任。青年部に胴上げされ、勇壮に踊り跳ねる場面で、筆が置かれた。
 「我が恩師『戸田城聖先生に捧ぐ』 弟子 池田大作」と、名誉会長は記した。
 最終回の掲載は翌93年(平成5年)2月11日。恩師の生誕の日である。
 名誉会長はブラジルでリオデジャネイロ連邦大学の名誉博士号授与式に臨んでいた。席上、万感を込めて語った。「尊き称号を、私は最大の誉れとし、わが恩師に捧げたいと思います」
  そして同年8月6日、広島の原爆投下の日に、軽井沢で『新・人間革命』の執筆を開始する。連載は11月18日にスタートした。
 「平和ほど、尊きものはない・・・・・」
 会長に就任した山本伸一が、海外訪問の第一歩として、ハワイへ飛び立つ場面から始まる。『新・人間革命』は、山本伸一かを中心に、弟子たちが後継の道を歩み、広げていく歴史を描いていく。
  執筆に込めた思いを、名誉会長は第1巻の「はじめに」と「あとがき」につづっている。
 「恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の『弟子の道』を書き残さなければならない」「広宣流布の聖業に献身し抜いてくれた同志のことを、断じて書き記しておきたかった」
 日々、恩師と対話し、同志の前進と勝利を願いながらの不二の旅路は、今も続いている。



7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (13)

  記念幹部会で山本伸一は、学生部結成二十一周年を心から祝したあと、海苔製造業を営んでいた父が、「これからの時代は、学問を積まなければやっていけないなあ」としみじみと語っていた思い出から、話を始めた。
 そして、時代の変化に対応し、生き抜いていくには、あらゆる分野で学問が不可欠であり、広宣流布を推進していくうえでも、学識と英知を身につけた人材が、重要な役割を担っていくことを述べた。
 さらに、学会の未来を展望しつつ、こう力説した。
 「私どもにとって、最大の未来の節となるのが、二十一世紀であります。
 この時こそが、諸君の本舞台です。現在の勉学も、訓練も、仏道修行も、その本舞台に躍り出ていくためにあることを、決して忘れないでいただきたい。ゆえに、どんなに苦しかろうが、歯を食いしばって努力し、頑張り抜き、自分を磨き上げていただきたい。
 二十一世紀の本舞台に、どれだけ優秀な大勢の指導者を輩出できたかによって、その後の二十二世紀、二十三世紀への流れも決定づけられていってしまう。その意味において私は、二十一世紀こそ、われわれの勝負の時であると申し上げておきたいのであります」
 次代を担う主人公となるのは青年だ。
 「世界の変革をはやめるには きみの、またきみの手が不可欠だ」(注)とは、詩人ブレヒトの言葉である。
 伸一の胸中には、恩師・戸田城聖の、「二百年先をめざせよ」という指針が常にあった。そのために、まず、十年、二十年というプロセスを見すえ、年々、月々、日々の勝利に、全力を注ぎ尽くしていったのである。
 遠大な未来構想の成就も、“今”を勝つことから始まる。当面する一つ一つの課題に全精魂を傾け、断固として挑み、誇らかな勝利の旗を打ち立てるのだ。今日の苦闘は明日の希望となり、未来の栄冠となって、われらの頭上に燦然と輝く。今こそ、わが生涯を荘厳する、激闘の珠玉の歴史を創るのだ。
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■引用文献
 注 「連帯性の歌」(『ブレヒト詩集』所収)野村修編訳、飯塚書店



8、小説『人間革命』執筆50周年特集  
 論苑 小説『人間革命』『新・人間革命』に学ぶ  生命変革の法理
  (作業中)



9、小説『人間革命』執筆50周年特集   識者から共感の声
  (作業中)



10、未来部のページ 温かな励ましを送ろう

  12月に入り、受験生にとっては、最後の追い込みとなる「直前期」になりました。今回の「未来部育成のページ」では、これまでに連載してきた「教育本部のアドバイス」等から、この時期の受験生への関わりのポイントをまとめました。併せて「心に希望の語らいを」を掲載します。

【心に希望の語らいを】

 担当者の皆さんには、本当に、いつもいつも、お世話になっています。感謝してもしきれません。皆さんの心の中に燃えている「師弟の魂」が、そのまま未来部の友に自然と伝わっていきます。
 心から心に通じていくのです。魂が魂に共鳴するのです。
 仕事に忙しい中でも疲れている時にも、学会精神を燃やして、メンバーを激励するために足を運ぶ。自分が悩みを乗り越えながら、メンバーの相談にのり、共に祈る。これ以上、尊い人材育成の実践が、どこにあるだろうか。
 その行動が、その祈りが、「師弟の魂」あふれる闘いです。若く生命に伝わらないわけがない。
 創価学会の未来を、私とともに、常に私と同じ心で見つめてくれているのが、未来部の担当者の皆様方です。      (『未来対話』247、248㌻)



【社会の情勢】 

◆ 実感ある景気回復へ 対案なき野党に問う 党首討論で公明・山口代表
◆  企業の設備投資5・5%増 7~9月、GDP上方修正も
◆ 振り込め詐欺 過去最高 1~10月で被害額293億円 警察庁

2014/12/3(水)の聖教

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2014/12/3(水)の聖教


1、民音が海外派遣公演 中国 韓国で友好の曲

  さあ世界に友好の曲を響かせよう!――国内で活躍する芸術団体やアーティストを海外に派遣する「民音芸術団」の中国公演(主催=中国人民対外友好協会ほか)が11月17日から19日、北京などで開催された。また、新たな取り組みとして、世界と日本の青年音楽家たちの交流を目的とする「Min-On Global Music Network」がスタート。韓国と日本の音楽家で結成された「韓日青年音楽交流団」の公演が11月24、26日の両日、ソウルなどで行われた。

 清華大学での公演のフィナーレ。テンポのよい阿波踊りに合わせて、客席の学生たちが一緒に踊り出した。そこに、違いを超えて、心と心を結ぶ文化の力が光を放っていた。
 「民音芸術団」の中国公演が北京の清華大学(17日)と外交学院(18日)、天津外国語大学(19日)で、「日本の詩情 四季光彩」をテーマに開催された。
 同芸術団は、「日本太鼓 TAKERU」、舞踊団「若竹」、「民族舞踊聚団NIPPON」をはじめ、津軽三味線奏者の葛西頼之さん、笹川皇人さんら一流の芸術家で構成され、伝統芸能などを披露。また、観客がステージ上で銭太鼓の舞踊、三味線と太鼓の演奏などの手ほどきを受けながら、日本文化を体験できるコーナーも設けられた。
 参加した学生は「日本の舞踊、演奏を初めて見ました。想像していたものとは全く違う情熱的で迫力あるステージに感動しました」と語った。
 一方、韓国では、「韓日青年音楽交流団」が「ビューティフル・フレンズ・コンサート」と題し、昌原大学(24日)と、ソウルの崇実大学(26日)で公演した。同交流団には、両国の優れた若手演奏家16組が参加。
 学生からは「出演者の表情がにこやかで、心の温もりを感じました。韓日友好のため、今後もこうした機会をつくってほしい」などの声が寄せられた。



2、御書とともにⅡ 名誉会長が指針を贈る 【日々の「発迹顕本」を】

御書 日蓮といゐし者は去年(こぞ)九月十二日子丑(ねうし)の時に頸(くび)はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年(かえるとし)の二月・雪中(せっちゅう)にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず (開目抄 223㌻)

通解 日蓮と名乗った者は、去年(文永8年)9月12日の深夜、子丑の時に頸をはねられた。これは、その魂魄が佐渡の国に至って、年が改まって2月、雪深い中で記して、有縁の弟子に贈るのであるから、難は恐ろしいようであるかが、法華経の行者にとっては、恐ろしいものではない。

【同志への指針】 

  「発迹顕本」とは、凡夫の身に久遠の仏界の境地を顕すことである。仏法は「人間」が主役だ。戸田先生は「久遠の凡夫」とも言われた。ありのままの人間の生命に、いかなる大難をも乗り越える無限の力が具わっている。
 一日一日、題目を朗々と唱え、わが胸中に「勇気の炎」を燃やし、何ものも恐れずに進む。ここに、我らの発迹顕本の道がある。



3、わが友に贈る

 わが北海道の使命は
 広布誓願の実現なり!
 今こそ師子の底力で
 新たな地涌の拡大を!
 求道の信心を貫け!



4、名字の言  「『できる』と思ったらできます。『できない』と思ったらできません」

  北海道中央部を走る芦別国道沿いの赤平市に、世界で三つしかない「無重力実験塔」がある。マグネット製造を手掛ける会社が、本業の傍ら建設した宇宙開発施設だ▼開発を始めて今年で10年。同社のロケットは高度8300㍍まで到達し、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の実験にも使われるように。人工衛星の打ち上げも成功させ、実験施設には、NASA(米航空宇宙局)など、世界中の研究者が見学に訪れる▼同社の全従業員は17人。国からの補助もない。そんな小さな町工場が「『できる』と思ったらできます。『できない』と思ったらできません」(植松努著『NASAより宇宙に近い町工場』ディスカヴァー・トゥエンティワン)と、挑戦を続ける。その気概は、「はやぶさ2」に勝るとも劣らない▼半世紀前、月に人間を送る「アポロ計画」を発表したのは、ケネディ米大統領だった。人類初の人工衛星の打ち上げから、わずか数年。彼は「我々は月に行くことを選択した」「それは、容易だからではなく、困難だからである」と語った▼「勝つこと」をわが使命と定めた勇者にとって、困難な環境は、むしろ自身を鼓舞する。いわんや、広布という大理想を抱く私たちには、苦難は喜びであり、最高のチャンスである。(鉄)



5、寸鉄
 

★  恩師「攻めることが肝心なのだ」。攻撃精神こそ勝利の魂。痛快に駆け巡れ

★ 神奈川の保土ケ谷・旭に勇者あり!正義なれば断じて勝つ―誓いの炎赤々

★ 茨城・つくばが怒濤の追い上げ。ここからが勝負。歓喜の凱歌の勝鬨を必ず

★ 朝晩の冷え込み厳しく。無冠の友の献身に感謝。幸福の直道を健康第一で

★ 自転車の信号無視や酒気帯びは「危険行為」に―警察庁。油断で人生壊すな



6、父子の詩 創立者と歩む四季 【8】 交野の錦秋 美しい環境で自分を
つくる

  目の前の景色に、創立者・池田名誉会長は声を上げた。
 「きれいだね! 素晴らしいよ」
 1973年(昭和48年)。大阪・交野の創価女子中学・高校(当時)を訪れ、生徒たちと散策した。
 開校後、初めて迎えた秋。茶、紅、朱、橙、黄金、黄、黄緑・・・・・。温かな色彩のグラデーションをまとう木々。深緑と紅葉が調和する山々。青空の下。陽光を浴びた一葉一葉は、いっそうまぶしい。
  明くる日、創立者夫妻は、キャンバスを奥まで巡った。学園を囲む田園風景が目に入る。涼風になびくススキ、刈り取り後の田んぼ、静かに響く虫の声さえも、清少納言が“野は交野”と謳った大地を飾る。夫妻は、顔をほころばせた。
 翌年秋、校内に自然公園が整備され、創立者は語った。
  「恵まれた環境の中で何よりも大切なことは『自分をつくる』ことである」
 「よい環境で育った人は、10年、20年先になると違いが出てくるんだ」

                                 ☆☆☆

 関西創価中学・高校には、桜、蛍、蓮、鯉、白鳥、竹林、萩、さざんかの保存会がある。春夏秋冬、折々の趣のある環境の中で、生命の輝きに触れ、青春期を過ごす。
 今、キャンパスは日に日に晩秋の風情を濃くしている。
 色づく山の上から朝日が差す登校時間。静かな校内に箒(ほうき)を手にした人影があった。生徒が自発的に、道やピロティの落ち葉を掃いている。創立者の思いが詰まった学園をきれいに守ろう、と。
  心美しき生徒の姿もまた、交野の錦秋に彩りを添える。



7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (14)

  山本伸一の語調に、熱と力がこもった。
 「諸君は、それぞれ、偉大な特質、才能をもっているでありましょう。しかし、生涯、信心という一点だけは見失ってはならないし、絶対に退転するようなことがあってはならない。
 人間の宿命、幸福の確立、あるいは生死といった根本問題は、科学や政治、経済などの次元だけでは、解決することはできない。その問題を解決し、事実のうえで崩れざる幸福生活を確立していく道は、宇宙の根本法則を説いた、日蓮大聖人の仏法以外にないからであります。
 『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』(御書二三二㌻)との、大聖人の仰せを深く心に刻み、生涯、広宣流布の大道を歩み抜いていただきたいのであります。
 では、その具体的な実践とは何か――。
 社会において各分野の第一人者となって活躍していくのは当然のこととして、学会という広宣流布の組織のなかで、なんらかのかたちで責任ある立場に就き、懸命に活動を推進していくということです。
 皆の幸せを願って、広布の責任を担い、組織活動に励んでいる人の祈りは、やはり強い。生命力も旺盛である。また、学会の後輩や地域の人びとの幸福のために献身していくことは、妙法のリズムに乗ることであり、それこそが、大福運を積んでいく仏道修行であります。そのなかに、人間革命があり、自身の宿命転換も加速していくことを知っていただきたい。
 社会に出れば、立場上、存分に学会活動できない時期もあるかもしれない。しかし、その時が大事なんです。〝今こそ正念場である〟と腹を決め、友と励まし合い、活動に参加しようという努力を忘れないでほしいんです。全員が組織に付き切って、学会のリーダーに育っていってください」
 仏意仏勅の学会の組織なくして広宣流布はない。組織から離れれば、自行化他の信仰の正道を踏み外すことになる。



8、12月度座談会御書 法華証明抄 信心を奮い起こして成仏の道を
  (作業中)



【社会の情勢】
 

◆ 衆院選公示 14日投票 公明党 必ず勝利し政治を前へ 
 今こそ『軽減税率』を実現 山口代表ら力強く訴え
◆  笹子トンネル崩落事故から2年 遺族ら献花、追悼式
◆ ベア2%以上を要求 連合、春闘方針決定

2014/12/4(木)の聖教

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2014/12/4(木)の聖教


1、アルゼンチンの名門国立トゥクマン大学で法華経展

  東洋哲学研究所が企画・制作した「法華経――平和と共生のメッセージ」展が11月22日から同29日まで、アルゼンチン共和国のサン・ミゲル・デ・トゥクマン市にある名門、国立トゥクマン大学で行われた(主催=同研究所、同大学哲文学部地理学科アジア・アフリカ研究所、アルゼンチンSGI〈創価学会インタナショナル〉)。22日の開幕式には、同大学のアリシア・バルドン学長をはじめ大学関係者らが出席。法華経が人類に残した不滅の精神遺産を観賞した。

 2006年の香港を皮切りに、これまでネパールやインド、イギリスなど世界12カ国・地域で開かれてきた〝法華経展〟。今回は、9・10月に行ったアルゼンチンのサルバドール大学での同展を観賞した、トゥクマン大学アジア・アフリカ研究所のリリアナ・パラシオス・デ・コシアンシ所長の要請で実現したもの。 
 アルゼンチンの人々にとって、地球の反対側にあるアジアで生まれた法華経。
 会場には、ロシア科学アカデミー東洋古文書研究所が所蔵する貴重な写本の複製や『インド国立公文書館所蔵 ギルギット法華経写本――写真版』をはじめとする「法華経写本シリーズ」、また仏教芸術の品々など、人類の至宝が並ぶ。
 民族や文化などの差異を超え、人類は必ず一つになれる――〝諸経の王〟が放つ力強いメッセージに触れ、観賞した人々に深い感動が広がった。
 同国屈指の総合大学として本年、創立100周年を迎えたトゥクマン大学。アリシア・バルドン学長は、今回の展示の意義を次のように語った。
 「法華経が教え、SGIが基盤とする平和と共生の精神は、人類が求めてやまない永遠の発展への極めて重要な道標となるものです。私どもの大学では、これまで数多くの展示を行ってきましたが、創立100周年の意義深き佳節に、このような展示を開催できることは、名誉であり、誇りです」
 開幕式では、晴れやかにテープカット。大学関係者は展示を観賞した後、次のように語った。
 「法華経は、私どもに豊かな智慧を与えるだけでなく、それを実践する中で、日々の前進への糧となるものであると学びました」(哲文学部のサンティアゴ・ブリス副学部長)
 なお、11月29日の閉幕式では、サルバドール大学東洋学部のカルロス・マヌエル・ルア学部長が講演。混迷する現代世界に法華経を実践し、広めてきた池田SGI会長の功績について語った。



2、世界的なジャズピアニスト ハービー・ハンコックさん 自叙伝が届く
  (作業中)



3、わが友に贈る

 朝が勝負だ!
 決意の題目で
 勇気と智慧を湧かせよ!
 日々の課題に挑み抜き
 勇猛精進の歴史を綴れ!



4、名字の言  初代ハヤブサ「月以外の天体に着陸した探査機が地球に戻る」。そして、ハヤブサ2が飛び立った。

 生命の起源の手掛かりとなる有機物や水を求めて―。小惑星探査機「はやぶさ2」が宇宙へ飛び立った。「1999 JU3」と呼ばれる小惑星に到着し、石や砂を採取して地球に持ち帰るという、6年間、約52億キロの旅の始まりだ▼2003年に打ち上げられた「初代はやぶさ」の教訓を踏まえて、さまざまな改良が加えられた。しかし、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の川口淳一郎教授が「技術的な完成度は初代より高いが、見えない問題の対策を取ることはできない」(産経新聞)と語る通り、未知の困難が待ち受けることだろう▼初代はやぶさも、約2カ月間も通信が途絶えたり、姿勢制御不能に陥ったりするなど、相次いで深刻なトラブルに見舞われた。”人工惑星”として活用され続ける予定だった本体も大気圏に突入して燃え尽きるなど、全てがうまくいったわけではない▼満身創痍の中、「月以外の天体に着陸した探査機が地球に戻る」という世界初の快挙を成し遂げた事実に、多くの人が自分の人生を重ね、勇気をもらったのだ▼人は、いかようにも偉大になれる。それが創価の「人間革命」の哲学である。大きな目標を掲げ、艱難辛苦を越えて前に進む。その一歩一歩に充実があり、幸福があり、生きている証しがある。(明)



5、寸鉄

★ SGIには「対話主義」の気風が漲る―韓国識者 平和の世紀を我らの声で

★ 東京の北・足立区が大奮戦! 本陣が勝てば全国が勝つ。共に感激の握手を

★ 広島・岡山・山口・鳥取・島根が歴史に輝く拡大! 勇気の大音声で押し捲れ

★ 振り込め詐欺の被害額が最悪。「私は大丈夫」の慢心破れ。確認・相談こそ

★ 日の入り時、車の点灯は2割と。冬期は早めに。絶対無事故の一念込めて



6、創大讃歌  創立者と築く学城 第8回 学生主体の伝統 自主の中に躍動と建設

  創価大学・中央教育棟内にある教室は、晩秋の寒さを吹き飛ばすような熱気に満ちていた。
  11月上旬のある日。教室で行われていたのは、学生自治会の新任役員による活動方針の説明会。授業を終えた多くの学生が集まり、登壇者の話に耳を傾ける。
 説明が終わると、次々に質問の手が挙がった。
  「より多くの学生に大学建設に携わってほしいと思っていますが、どうすべきですか」
  「留学生がもっと学部生と交流するために、何かイベントなどは開催できないでしょうか」
 真剣な表情。あふれ出る情熱。「自分たちが大学をつくる」という力強い決意が、言葉になってほとばしる。
  司会を務めた大沢香織さん(経済学部4年)は、この会を企画・運営するメンバーの一人。
 これまで、創大生と創価学園生との交流を推進する学生団体「創価一貫教育連絡事務所」で活動してきた。4年生となった本年、残りの学生生活を大学の発展のために尽くしたいと考え、スタッフになった。
 「学生自治の精神を、より多くの創大生に伝えることが、未来の大学建設にとって大切だと思ったんです」
 彼女をはじめ、多くの4年生がこれらの催しの運営を担う。大学の将来を考える機会として、学生に呼び掛けた結果、5日間で500人を超える学生が参加。多くの建設的な意見が寄せられた。
 「学生主体」
 開学前から、創立者・池田名誉会長が何度も訴えてきた創価大学の精神である。

必ず勝ちなさい

 1960年代後半から、世界各国で吹き荒れたスチューデント・パワーの嵐。
 日本でも学生と大学当局との対立は激化し、多くの大学が抗争の場となった。
 創価大学が開学したのは71年(昭和46年)。こうした時代にあって、創立者は学生を信じ、その設立構想で宣言した。
 「創価大学は、学内の運営に関しても、学生参加の原則を実現し、理想的な学園共同体にしていきたい」
  以来、創大では、草創期から、学生が主体的に大学建設に関わってきた。学生、理事会、教員、職員の代表が、共に大学の運営方針を話し合う「全学協議会」のほか、学費や大学行事の運営などについて全学生で決議する「学生大会」、学生自らがテーマや講師などを決める「自主講座」などは、その表れである。
  ある時、創立者は、自主講座を運営する学生に綴った。
 「自主の中にのみ 創造と躍動と建設がある」
 「学生主体」の実現のために、誰よりもエールを送ったのは創立者だった。時にはクラブ活動に励むともと一緒に汗を流し、時には人生の指針を揮毫し、またある時は学生の中に飛び込んで、皆が大学建設の主役として活躍できるよう、渾身の励ましを続けた。

                                   ☆☆☆

 バトミントン部で主将を務めた宮崎宣弘さん。在学中はクラブ活動を自らの創大建設の場と決め、練習や後輩育成に取り組んだ。
 1979年9月16日、部活の仲間と大学内の喫茶店で休憩していると、突然、部員が駆け込んできた。
  「池田先生がみんなを呼んでいる!」
 皆、慌てて店の外に出た。目の前に、創立者。宮崎さんは報告した。
  「先生、もうすぐ秋の大会があります!」
 「そうか、頑張りなさい! 必ず勝ちなさい」
 臨んだバトミントンのリーグ戦。結果は最下位。悔しかった。試合で果たせなかった勝利の誓い。ならば、人生で果たすんだ!
 卒業後、大手建設会社に就職。職場で奮闘するなか、後輩からリーグ優勝を果たしたとの連絡が入る。今度は自分が仕事で勝つ番と決め、大学で培った主体性と責任感を武器に“自分が創大の代表”との自覚で懸命に働いた。
 宮崎さんは、同社の開発事業本部で部長を務め、現在は、関連会社の常務取締役として活躍している。

第二の草創期

 開学から30年、創立者は21世紀に入ってからの時期を「第二の草創期」と呼んだ。何度も創価大学を訪れ、学生一人一人と直接、触れ合っていった。
 ある時は、教員や学生と共に語り合った。
 「創価大学は、学生のためにある。
 学生の成長と使命の実現のためにある。
 ゆえに、教員の皆さんは、学生を最大に大事にし、学生の薫陶に全魂を注いでいただきたい」
 この『学生第一』の教育こそ、牧口先生、戸田先生の精神であり、創価大学の永遠の魂でなければならない」
 またある時羽は、学生への思いを、スピーチに込めた。
 「諸君には、断じて幸福になってもらいたい。人生の勝利者になってもらいたい。
 そのためであれば、私は何を犠牲にしてもかまわない。そう心に決めて、私は、これまで生きてきたし、これからも変わることはない」
  「『学生根本』の精神を創価大学の永遠の指針としていっていただきたい!」
 さらに自ら筆を執り、学生に贈った。
  「後継の
      君たちのために
        戦い生きて来た。
      必ず後につづけ!」
  創立者の心に呼応して、学生たちは建学の精神に立ち返り、新時代の大学建設に力を注いでいった。

                                    ☆☆☆

 2006年(平成18年)10月7日、創立者に対し、中国・北京師範大学から名誉教授称号が授与された。世界の大学・学術機関から贈られた、創立者への200番目の名誉学術称号となった。
 この歴史的な壮挙を、学生の総意としてお祝いしたい──創大生たちは真剣に語り合った。
 そして11月4日に、創立者の「英知の栄冠200記念祝賀祭」を開催することを決めた。
  開催まで時間は無い。急ぎクラブ団体に出演を呼び掛ける。大会を間近に控えた団体もあった。だが、創立者に感謝を示したいと、出演を快諾してくれた。
  当日、学生の思いを受け、創立者は会場に足を運んだ。
  演技を見守り、拍手し、時に立ち上がって、熱演にエールを送る。
 演目の終了後、創立者は、自身の左胸に着けていたバッジを外した。
 「このバッジを、学生の代表に差し上げたい」
 静まる場内。金色に輝く創価大学のバッジが学生の胸に着けられと、万雷の拍手が湧いた。
 「創価大学を頼むよ!」
 学生たちの目を見つめ、何度も何度も語り掛ける創立者。
 帰りの車中からも伝言を寄せた。
 「本当に立派でした。真心が光っていました。皆の真心が伝わってきました。本当にありがとう! 新しい創価の太陽が昇りました!」
 さらに、和歌を贈っている。
 先月15日にも創大を訪れた創立者。愛する創大生にエール送り、陽光輝くキャンパスをカメラに収めた。その真心は、大学建設の主体者として奮闘する学生たちの胸に、深く刻まれた。
  学生自治会中央執行委員長の石黒正光さん(文学部3年)は語る。
 「創立者は40年以上にわたって、変わることなく学生を励まし続けてくださっています。さらなる発展へ、私たち一人一人が“若き創立者”との思いで、新たな創大建設に挑戦していきます」



7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (15)

  山本伸一は、学生部員には、全員、人生の勝利者になってほしかった。幸福を満喫した所願満足の人生を歩んでほしかった。
 彼は、叫ぶように訴えた。
 「諸君のなかには、さまざまな苦悩を抱えて悶々としている人もいると思う。そして、いつか、苦悩など何もない、今とは全く異なる、きらびやかな人生が開けることを、欲している人もいるかもしれない。
 しかし、人生は、永遠に苦悩との戦いなんです。悩みは常にあります。要は、それに勝つか、負けるかなんです。何があっても負けない自分自身になる以外に、幸福はない。
 どんなに激しい苦難が襲い続けたとしても、唱題しながら突き進み、乗り越えていく――そこに、真実の人生の充実と醍醐味があり、幸福もあるんです。それが、本当の信仰の力なんです。
 その試練に立ち向かう、堅固な生命の骨格をつくり上げるのが、青年時代の今です。学会の世界にあって、進んで訓練を受け、自らの生命を磨き鍛えていく以外にないんです。
 二十一世紀の大指導者となる使命を担った諸君は、苦悩する友人一人ひとりと相対し、徹して励まし、仏法対話し、友を触発する指導力、人間力を、仏法への大確信を培っていってください。
 戸田先生は、青年たちに、常々、『次の学会を頼む』と、最大の期待を込めて言われていた。私は、そのお言葉通りに歩んできたつもりであります。
 同様に、今度は、諸君の番です。私は、万感の思いを込めて、『二十一世紀を頼む!』と申し上げておきたい。
 妙法の世界一の学徒集団として、人間味あふれる創価家族の、期待の後継者として、どこまでも仲良く、民衆のため、庶民の幸福のために生き抜き、新しき世紀を築いていっていただきたい。
 諸君の英知と情熱に限りない期待を寄せつつ、重ねて『二十一世紀を頼む!』と申し上げ、私の祝福のあいさつといたします」
--------------------------------------------------------------------------------
■語句の解説

◎所願満足/願いや誓いが満たされること。



8、座談会 世界広布新時代の旭日 (99)今日も私は勝った! の毎日を

 正木 教学部任用試験の結果が発表されました。池田先生は常々、言われます。挑戦された全員が「信心の勝利者」であると。これが永遠に変わることのない創価の哲学です。

 橋元 思い起こせば、不可能を可能にした昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」も、池田先生と関西の同志は、御書を徹して拝し、大勝利しました。

 竹岡 しかも、その同志の多くが、入会まもない”新しい力”でした。

 原田 御書を根本に”新たな力”で勝つ!――これが、常勝の方程式です。ゆえに、今回の任用試験に挑戦した方々は皆が、新時代の”大阪の戦い”に連なる誉れの同志です。

 吉井 任用試験で学んだ御文の中に、「賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)とあります。

 橋元 人生には、思いもよらぬ「難所」にさしかかることがあります。

 杉本 しかし、その時こそ、”さあ、もう一歩で、希望が見える。未来が開ける。勝利の旭日が昇る!”――そう心に決めて、ひたぶるに祈り、動き、前へ前へと進むことです。

 原田 それこそが「賢者の道」です。苦難が大きいほど、さらに大きな自分へと成長できます。大変であればあるほど、いよいよ強盛な信心を奮い起こして前進してまいりたい。

 竹岡 私は今、池田先生がよく言われている戸田先生の言葉を思い出します。「戦いとは、最後に『本当に楽しかった』と言えるまでやるのだ」

 原田 そうです。中途半端では悔いが残るだけです。一度、「やる!」と決めたならば、死力を尽くすことです。油断と慢心を排し、一人立つことです。

 正木 先生は先日の随筆で、「”自分は今日も勝った”という毎日を、確実に積み重ねていくのだ!」と呼び掛けられました。

 杉本 大切なのは一日一日を大事にして、一歩一歩着実に歩みを進めていくことですね。

 原田 師と心を合わせれば、限りない勇気が湧いてきます。誉れ高き師弟の道で、私たちは断じて勝利の日々を送っていこう。

子育て支援に真剣 

 橋元 さて、衆院選の投票日(14日)が迫ってきました。期日前投票も始まり、メディアの報道もがぜん、熱を帯びています。

 吉井 今回の選挙で国民が注目するポイントは、「年金・医療・介護・子育て」などの社会保障が最多で、続いて「景気対策」などであるという調査もあります(毎日新聞)。

 正木 つまり、国民は、生活に密着した政策を注視しているわけですね。

 杉本 その分野で数々の実績を挙げるとともに、具体的な政策を掲げているのが公明党です。

 吉井 たとえば、少子高齢化の時代にあって、子育て支援にも最も真剣に取り組んできました。

 杉本 今や多くの人が知っている「マタニティマーク」。これも公明党の実績です。

 橋元 また、本年3月には、「ベビーカーマーク」を制定し、お母さんたちがベビーカーを押して公共交通機関を気兼ねなく利用できるよう、準備を整えています。

 吉井 さらに、妊婦健診の公費助成、出産育児一時金の拡充、子どもの医療費の助成など、数え上げればきりがありません。

 杉本 子育て世代にとって、公明党が積み重ねてきた政策は、今の生活に欠かせないものとなっています。語り合えば語り合うほど、多くの人が、このことを実感してくれます。

 議員の密接な連携

 竹岡 こうして公明党が、庶民目線の政治を断行できるのは、二つの大きな理由があると思います。まずは、全国に3000人いる、国と地方の議員のネットワークです。

 原田 地方議会に議員がいない政党では絶対にできない「民意を聴く力」が公明党にはあります。先日も、東京・小笠原諸島沖などで頻発するサンゴ密漁問題を受け、違法操業する外国船への罰金を、大幅に引き上げる議員立法が成立しました。

 竹岡 これも市区町村と都道府県と国の議員の密接な連携により、なし得たことです。小笠原村の村長も”公明党の素早い対応に深く感謝している。公明党の議員は村民に寄り添い、苦労を理解してくれている。今後も期待している”と語っていました。

 原田 全議員が一つのチームになって、国民の意見を政治に反映できるのは公明党だけです。

 竹岡 それから、「合意形成能力」です。そもそも、50年前、公明党は、大企業でもなく、労働組合でもない、中小企業で働く方や、商店主、主婦など、まさしく生活者、庶民の声を受け止め、政治に届けるために誕生しました。

 正木 その原点があるからこそ、不毛な対立に終始することなく、「国民のため」との視座をもって、与党間のみでなく、相手が野党であっても、粘り強く対話を続け、合意形成の役割を担ってきたのです。

 橋元 そうした点について、ジャーナリストの田原総一朗氏も「一般大衆に根差した公明党は、とても魅力のある政党」と評価しています。

 原田 私利私欲ではない、国民のための政治を実現する政党はどこか。今回の衆院選、有権者は、この視点で各党を見つめている。公明党は国民本位の実績と政策を力の限り、訴え抜いてもらいたい。



9、社説  あす、周・池田会見40周年 新しき時代を誠心の対話で開く

 1974年(昭和49年)12月5日、中国・北京の305病院で周恩来総理と池田名誉会長の会見が行われてから、あす5日で40周年となる。
 長年、ジャーナリストとして日中関係を見てきた工学院大学孔子学院の西園寺一晃学院長は「お二人がいなかったなら、日中友好の歩みはいまよりもずっと遅れていたに違いありません。それほど、お二人の貢献は傑出したものなのです」と。両者の対談は、この一度だけ。時間にして約30分だが、その重大な意義は時の経過とともに深みを増している。
 当時、周総理を取り巻く環境は厳しいものだった。政治的な内憂外患を背負い、自身の病状も深刻だった。医師団は〝会見すれば命の保証はできません〟と反対。だが総理は「池田会長には、どんなことがあっても会わねばならない」と譲らない。
 総理はなぜ、生命の危険を冒してまで、この会見を重視したのか。南開大学周恩来研究センターは「池田会長と創価学会が中日友好事業に果たした傑出した貢献は、最高位のものであったと評価していた」と分析。その貢献の第一として、68年9月に名誉会長が発表した「日中国交正常化提言」を挙げている。
 日本は65年ごろからアメリカの反共包囲網への同調を強め、中国では66年に文化大革命が勃発。名誉会長の提言は、両国の貿易関係が途絶えるかどうかの瀬戸際の状況下で発表された。
 今こそ「民衆対民衆」の視点に立って現状を打開すべきと主張した提言を、周総理は高く評価した。会見での言葉には、名誉会長に日中友好の未来を託そうとする期待感が強くにじみ出ている。「20世紀の最後の25年間は、世界にとって最も大事な時期です。お互いに平等な立場で助け合い、努力しましょう」
 会見から約1年後、周総理は78歳で逝去した。総理との〝約束〟を実現するため、名誉会長が最も心血を注いだのは青年交流だった。その一つの結晶が、30年に及ぶ中国最大の青年団体「中華全国青年連合会(全青連)」と学会青年部の交流である。先月11日、全青連の派遣した中国青年代表団が来日。代表団の万学軍団長は語った。
 「『人民奉仕』の崇高な人格をもたれたお二人の会見が、次の40年、さらに100年と、両国の友好に多大な影響を与えていくと確信します」
 周総理と池田名誉会長が共に願い、誓い合った日中友好と世界平和。その深き思いは世々代々、両国の青年たちに託され、未来を照らしていく。



10、きょうの発心  兵衛志殿御返事 1090㌻ 【たゆみなき実践で人材城を構築】

御書 いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし(兵衛志殿御返事、1090ページ・編795ページ)

通解 どのようなことがあっても、少しも信心が弛んではならない。いよいよ声を張り上げて責めていきなさい。. 

 どんなことがあっても、弛むことなく、広布に邁進していくように、と励まされた一節です。

 学生時代に折伏を受け、妙法に巡りあいました。創価の庭で育てていただくなかで、元来、引っ込み思案の性格でしたが、学会の正義を堂々と語れる自分へ成長することができました。
 男子部時代、銀行の仕事と学会活動の両立に悩みました。しかし、同志から激励を受け、たゆまずに挑戦。今、新たな職場で信心根本に全力を尽くしながら、活動にも東奔西走しています。
 また、壮年部で地区部長の任命を受けた際、地区婦人部長をはじめ、地区の皆さんとスクラムを組み、この御文のままに折伏精神を燃やし、対話に挑みました。その結果、地区で年に10世帯の弘教を結実。これが信心の原点になっています。
 わが県は、スローガン「――栄光の2030年へ――仲良く朗らかに! 世界に光る青年学会を!! 師弟勝利の金沢王者県」を掲げ、拡大に挑戦しています。尊敬する同志の皆さんと共に、また青年を先頭に、誉れ高き勝利の人材城を築いていきます。
石川・金沢王者県長 石田 智



11、池田名誉会長が贈る 勝利の人間学 第65回 勇んで楽しく行動を!

希望と目標と強い祈りで

 かけがえのない青春の一日一日である。
 悔いなき歴史を創りゆくには、希望に燃え、具体的な目標を掲げて、強い祈りを貫くことだ。そして祈りの通り、行動することである。
 若いのだから、思い切って大胆に動こう!
 行動なくして結果は出ない。祈って、カラを破って、打って出るのだ。動いた分だけ、生命は躍動する。目標を勝ち取れる。
 「行躰(ぎょうたい)即信心」が、日蓮仏法である。
 「行躰」とは「行動」である。法のため、友のため、社会のために「動く」ことこそ、身で法華経を読んでいる姿なのだ。全部が、大福運となって、自分自身に還ってくる。

広布とは「執念」の戦い

 広宣流布は、永遠に仏と魔との闘争である。善の勢力と連帯を広げゆく挑戦である。
 いかなる勝負も、勇気と執念で決まる。
 途中で弱気になり、あきらめてしまえば、勝てない。ひとたび行動を起こしたならば、最後まで根気よく、やり遂げていくことだ。
 日蓮大聖人は、大きな試練に立ち向かう門下に「今まで生きて有りつるは此(こ)の事にあはん為なりけり」(御書1451㌻、「弥三郎殿御返事」)と仰せである。そして、「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入(い)りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(同)と教えてくださっている。
 正義の中の正義に生きゆく地涌の菩薩が守られないわけがない。朗々と題目を唱えに唱え、あらゆる仏天を揺り動かして、勝利の道を勇敢に前進していくのだ。

賢者の喜びに燃えて

 学会活動の中での労苦は、すべて仏になるための修行である。一つの無駄もない。
 ゆえに、身も心も、生き生きと弾ませて、楽しく実践していくことだ。
 御書には「賢者はよろこび」(1091㌻、「兵衛志殿御返事」)と示されている。喜び勇み立つ心が、一切を開いていく。これが「一念三千」である。
 広布の父母(ちちはは)たちが寄せる絶大なる信頼に、青年よ、断固と応えてくれ給え!
                  2014年12月3日付創価新報より


【社会の情勢】
 

◆ はやぶさ2 打ち上げ成功  6年の旅
◆  国連総会が核廃絶決議 日本主導、共同提案国は最多
◆ フリースクール 財政支援を検討 文科省
◆ 世界気温 過去最高も 14年
◆  JR仙山線 停電で300人封じ込め 大荒れの北日本

2014/12/5(金)の聖教

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2014/12/5(金)の聖教


1、池田名誉会長と中国・周総理との会見40周年 友誼の心を世々代々に

  きょう5日、中国の周恩来総理と池田名誉会長の歴史的な会見(1974年、昭和49年12月5日)から40周年を迎えた。名誉会長が今日まで一貫して日中友好の「金の橋」を築いてきた原点ともなった一期一会の出会い――。ここでは、会見の通訳を務めた林麗ウン氏(全国人民代表大会元常務委員)が、2011年8月にインタビューに答えた内容の要旨を紹介する。



2、青年部が推進した核兵器廃絶署名 500万人超える賛同の声

あすからの国際会議で提出

 青年部が今年7月から10月に、全国で推進してきた核兵器廃絶を求める署名に対し、500万人を超える賛同の声が寄せられた。
 512万8295人分の署名用紙が集まったほか、多数の賛同者がインターネットによる署名を行った。
 これは、核時代平和財団などの国際NGO(非政府組織)が進める「Nuclear Zero(核兵器廃絶)」キャンペーンに応じたもの。
 署名目録は今月6・7日にオーストリアのウィーンで開催されるICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際会議に合わせて提出される。
 橋元青年部長は「核兵器廃絶に向けた具体的な前進が生まれるように、国際社会において、平和を求める民衆、なかんずく青年の連帯を一段と広げていきます」と語った。



3、わが友に贈る

 風邪や流感に注意!
 帰宅後のうがいや
 手洗いの徹底
 防寒対策も万全に!
 健康が勝利の土台だ。



4、名字の言  逸材がそろっただけでは勝利はつかめない。

  プロ野球界で「ON」と称される王貞治氏と長嶋茂雄氏は現役時代、練習の鬼だった。王選手は文字通り「真剣」を握り、素振りに徹した。天才とうたわれた長嶋選手も、周囲が“何もそこまで”と思うくらい、練習には一切、手を抜かなかったという▼チームの9連覇を支えた両氏の貢献は、成績以上に、そうした姿そのものだろう。逸材がそろっただけでは勝利はつかめない。偉業に必要とされるのは、誰よりも汗をかく、真剣、かつ率先のリーダーの存在だ▼福島県の会津地域を担当する青年リーダー。広布の舞台は、東京都二つ分の面積を上回る広さ。ある日、地域内の尾瀬国立公園の山小屋に、短期の仕事で同志が来たことを知った。自然保護のため、マイカーは進入禁止。青年は小屋までの長い山道を歩き、激励に行った▼周囲はそのことを、後になって知った。青年は日頃の学会活動をやり切り、時間を工夫して足を運んだのだ。普通なら二の足を踏むような遠路もいとわず、激励の手を差し伸べる。その真剣さに、多くの友が信頼を寄せ、団結は強まった▼「率」の字には、「しぼり尽くす」の意味もある(『字通』)。知恵をしぼり、力を尽くしてこそ、率先の人となる。その姿が全軍を勝利へと導く。(白)



5、寸鉄 

★ 周総理との会見40周年。飲水思源の信義の対話。平和・友好の橋を万代に

★ 大阪が大追撃!庶民の都にひびく勇気の師子吼。歓喜の万歳を世界が待つ

★ 埼玉・茨城・群馬・栃木が総立ち!敢闘精神に限界なし。断固、逆転勝利を

★ 国連総会で核兵器廃絶の決議採択。高まる国際世論。民衆の熱で具体化へ

★年末は空き巣が増加と。短時間の外出でも戸締まりを徹底。心の守り固く



6、周恩来総理との会見40周年――特集 ㊤  民衆外交こそ永遠の友情の源
  (作業中)



7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (16)

  山本伸一の満腔の期待が込められたあいさつに、万雷の拍手が沸き起こり、いつまでも、いつまでも鳴りやまなかった。
 ここで、合唱団による「広布に走れ」の合唱となった。
 力強く、さわやかなコーラスが会場にこだました。それは、平和の長征へと旅立つ英知の友への讃歌であった。
 合唱が終わると、伸一は言った。
 「上手だね。もう一回!」
 再び歌声が響いた。そして、さらに、アンコールの拍手が鳴り続いた。
 「では、もう一度だね」
 合唱は、何度も続けられた。
 「最後に、参加者全員で大合唱しよう!」
 伸一が、こう提案した時、場内にいた一人の青年が叫んだ。
 「先生! みんなでスクラムを組んで歌っては、どうでしょうか!」
 すかさず、伸一が皆に諮った。
 「みんな、どう? スクラムを組んで歌うのも、学生らしくていいんじゃない」
 賛同の拍手が起こった。
 「それじゃあ、今、発言したあなたが、歌の指揮を執ってください」
  
 ♪広き曠野に 我等は立てり
  万里めざして 白馬も堂々……  

 若人の情熱のスクラムが、大波のように、右に左に揺れた。それは、滔々たる新時代の潮流を思わせた。伸一は、皆の顔を眼に焼きつけるように視線を注ぎ、身を乗り出して、盛んに手拍子を打った。
 学生たちは、誓った。
 使命の曠野に、敢然と挑み立つことを! 世紀の勇者となって、新時代の舞台に躍り出ることを! 革新の英知光る、慈悲と哲理の学徒となることを! 正義の対話を展開し、恒久平和の人類史を創造しゆくことを!
 新しき歌は、新しき世代を鼓舞し、新しき時代を開く力となるのだ。



8、社説  「無縁」から「多縁」へ社会を転換 国際ボランティア・デー

  環境や社会への貢献のための「エシカル(倫理的、道徳的)消費」が、若者を中心に定着してきたという。買い物の時に途上国の発展につながる品物を選択する「フェアトレード」も、その一例だ。「無縁社会」といわれる現代を「有縁社会」「多縁社会」へ――人々の社会参加や社会貢献に対する意識が変化し始めている。
 きょう5日は、国連が定めた「国際ボランティア・デー」。ボランティア活動への認識を深めることを目的に、1958年(昭和33年)に制定された。
 「ボランティアは他者に対して良い変化を生み出す手助けをする一方で、ボランティア活動を通じて自分自身の生活そのものが変化を遂げることがしばしば起こります」。国連の潘基文事務総長が述べているように、他者のための行動は、自他共の「善き変化」を促す。
 このような生き方を、仏法は「菩薩」と捉える。御書には「人のために火をともせば・我がまへあきらかなる」(1598ページ)と。また「須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祈らん者か」(同31ページ)とも仰せになっている。
 私たちの日常を振り返ってみても、励ました相手が困難を克服する姿に、かえって励まされることが多い。他者との関わりを通して、人は生きる意味を見いだし、生きる力を得る。
 台湾SGI(創価学会インタナショナル)の学生部は、14年にわたり、学習環境に恵まれない地域の小学生に教育支援を行う「サマーキャンプ」を開催している。児童たちは学生部員の姿を見て、「お兄さん、お姉さんのように、他人のために行動できる人になりたい」と話す。
 触発を受けているのは子どもたちだけではない。学生部のメンバーに誘われてキャンプを手伝った友人は、同世代の学生が他者に尽くす姿に感動。翌年、別の友人を誘って参加し、次の年には、その友人がまた別の友人を誘って参加したという。
 そしてこの3人は自ら進んで入会。さらに3人そろって難関の司法試験に合格を果たした。
 人に尽くす行動を起こした時、成長のドラマは始まる。
 「仏法は『自他ともに幸福になっていく』道です」と池田名誉会長が語るように、創価の対話活動は、「無縁から多縁へ」と社会を転換する大道である。
 一人から一人への関わりは、限りない広がりとなって平和と幸福を築く。この確信を胸に、共生と調和の新時代を実現する原動力となっていきたい。



9、きょうの発心 御義口伝、748㌻ 【正義の師を宣揚し抜く弟子に】

御書 師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり(御義口伝、748ページ・編1594ページ)

通解 「師子吼」の「師」とは師匠が授ける妙法、「子」とは弟子が受ける妙法であり、「吼」とは師弟が共に唱える音声をいうのである。. 

 師と弟子が共に妙法を唱え、弘めゆくことが「師子吼」の意義であると仰せです。

 1973年(昭和48年)、愛媛の旧・新居浜会館で池田先生にお会いしました。当時、高校2年生だった私に先生は「創価大学で待っているからね」と。私は受験を決意しました。その後、5期生として創大へ。大学4年生の時には先生と懇談する機会に恵まれ、「何があっても私と一緒に戦うんだよ」とまで激励していただきました。
 79年、本部職員となり、第1次宗門事件のなか、翌年1月には「さんふらわあ7」号に乗り、先生のおられる神奈川へ。帰路、神奈川文化会館からライトを振って私たちを見送ってくださる師匠の真心に涙しました。
 81年、再び先生との懇談の機会が。生涯、正義の師を宣揚し抜く弟子にと決意。翌年、2世帯の弘教を実らせました。結婚し香川で夫婦共に活動に励むなか、12年前、東京・中野へ転居。長女の不登校など試練に遭いましたが、誓願の題目で乗り越えてきました。
 世界一、仲の良い中野の同志と共に使命の道を歩み抜きます。
東京・中野総区副婦人部長 古谷みかさ



10、希望の虹 世界の偉人を語る 第9回 音楽の大英雄 ベートーベン

 今年も、あと1カ月だね。
 一番、いそがしい季節にも、社会のために一生けんめい行動されている、みなさんのお父さんや、お母さんに、私は最大の尊敬の心で、題目を送っています。
 世の中が、あわただしい時期なので、みなさんも交通事故などに、くれぐれも気をつけてください。かぜも、ひかないようにね。
 この季節になると、日本の各地で演奏される名曲があります。ドイツの音楽家ベートーベンが作曲した「交響曲第9番」です。多くの人から「第九」と呼ばれて、したしまれています。
 曲ができて190年たった今でも、世界の人たちに愛されています。私も大好きな曲です。
 この「第九」には、交響曲にはめずらしい、「歓喜の歌」という名前の合唱の部分があります。
 今年、行われた創価青年大会で、九州の友は「歓喜の歌」を大合唱しました。みなさんの中にも歌った人がいるでしょう。
 きょうは、いっしょに、音楽の大英雄ベートーベンの曲をあじわう気持ちで学んでいこう!

                 * * *

 ベートーベンは、1770年の12月16日、ドイツのボンという町に生まれました。おじいさんは貴族が住む宮殿の楽団の楽長で、お父さんも楽団の歌手をしていた音楽一家でした。
 すぐれた歌手でもあったおじいさんはベートーベンの誕生を、たいそう喜び、美しい声でよく歌を歌ってきかせたといいます。おじいさんのことを、ベートーベンは、とても誇りに思い、大人になっても忘れませんでした。
 お父さんは、ベートーベンをおじいさんのような、りっぱな音楽家にしようと、ピアノやバイオリンを教えました。とてもきびしい練習で、朝から晩まで、来る日も来る日もピアノの前に向かわなければなりませんでした。
 時には泣いてしまうくらい、たいへんでしたが、やさしくて大好きなお母さんがいたから、ベートーベンは安心でした。へこたれず、めきめきと上達していきます。
 そして、7歳の時、演奏会に出演して初めて人前でピアノをひきました。人一倍の努力が実り、演奏会は大成功を収め、みんなから才能をみとめられるようになりました。
 でも、“いよいよこれから” という16歳の時、お母さんは病気で亡くなってしまったのです。
 この深い深い悲しみも、ベートーベンは、ぐっとこらえました。仕事がうまくいかないお父さんや2人の弟の生活を、支えないといけなかったからです。オルガン奏者やピアノ教師として、ただ一人、働き始めました。まさに、嵐に立ち向かう青春でした。

                  * * *

 嵐の中の青春――。
 それは、私の青春の日々でもありました。戦争が終わったばかりで、食べるものも満足にない時代のなか、病気に苦しみながら、師匠・戸田城聖先生の会社を立て直すために、けんめいに働いていました。
 そんな私の楽しみは、レコードをきくことでした。とくに、ベートーベンの音楽は大好きでした。
 「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」と始まる、ベートーベンの交響曲第5番「運命」を、初めてきいた時の感動は、今も忘れられません。アパートのせまい部屋が、あたかも宮殿になったような気持ちになりました。
 音楽は、言葉以上に、それを作った人の心を伝えます。私はベートーベンの曲をきくたびに、「負けるな!」「がんばれ!」とはげまされているように思え、運命に挑む勇気をもらいました。それは、きっとベートーベン自身が苦しみや悩みと戦い、自分自身をふるい起こしていたからに、ちがいありません。

                  * * *

 1792年11月、21歳のベートーベンは、音楽の都として有名なオーストリアのウィーンに行きました。そこで、さまざまな曲を発表し、ウィーンの音楽界でも有名になりました。
 こうして、やっとうまくいくように見えた生活でしたが、30歳になるころから、耳の病気になってしまいました。医者にみてもらいましたが、どんどん耳が聞こえなくなっていきました。
 ――このまま聞こえなくなってしまったら、音楽家としてどうしたらいいのだろうか。
 ベートーベンは、音楽家にとって「命」ともいうべき耳が聞こえなくなっていくことに、不安ときょうふでいっぱいでした。しかし、子どものころからひき続けてきたピアノの音や、そこから生まれてくる、いろいろなメロディーは忘れていませんでした。
 ベートーベンは、音をうばわれた、とてつもない苦しみの底から、命をふるい立たせて、交響曲第3番「英雄」、第5番「運命」、第6番「田園」などの名曲を発表しました。
 46歳で耳の病気が悪化し、その後、音がまったく聞こえなくなり、補聴器をつけても会話ができなくなりました。人と話す時は、言葉をメモ帳に書いてもらい、相手の言いたいことを理解しました。
 こうした不自由な生活の中でも、ベートーベンの作曲の意欲は失われませんでした。むしろ病気が悪くなればなるほど挑戦を重ね、思いを曲にこめていったのです。
 「自分はこれまでの仕事に満足していない。今から新しい道を歩む」と。
 そして、53歳の時、「交響曲第9番」が完成します。この曲を初めて演奏する時、ベートーベンは指揮者として舞台に立ちました。
 演奏が終わると、人々はあまりのすばらしさに、大きな拍手を送りました。しかし、ベートーベンには聞こえません。演奏者を見ていたベートーベンはうでをひかれて、後ろをふり向いた時、初めて観客の大拍手に気づいたのです。

                 * * *

 大好きなお母さんとの別れ、きびしかったお父さんの教え、まずしい一家を一人で支えた孤独、聞こえなくなった耳……ベートーベンの一生は、悩みの連続でした。
 しかし、どんなにつらい悩みがあってもベートーベンは、「上手になろう」「成長しよう」「いい曲を作ろう」という「向上する心」を失いませんでした。そして、生涯で300以上の曲を作りあげたのです。ベートーベンは、そうした気持ちをこめ、「悩みをつき抜けて歓喜にいたれ」と書き残しています。
 成長しようとする人には、必ず苦しみや悩みの嵐が吹き荒れます。成長しているからこそ悩むのです。その時は、とてもつらいかもしれないけれど、悩みは自分自身が大きく成長している証明なのです。
 悩みに負けず、勇気をふるい起こして、つき進んでいけば必ず大きく成長できる。運命だって変えられる。自分も家族も、大きな希望と喜びにつつまれていくのです。
 戸田先生は、ある年の12月、悪戦苦闘する私に、「大ちゃん、人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて、信心もわかる、偉大な人になるのだ」と言われました。
 ベートーベンは負けなかった。音楽の大英雄として勝ちました!
 ししの子のみなさんも、悩みに負けるはずがない。断じて、自分の夢に向かって勝利していけると私は信じ、祈っています。
 来年もまた、みなさんと語り合えることを楽しみにしています。
 どうか元気で、よいお正月を!

 ※ ベートーベンの言葉は、 『新編ベートーヴェンの手紙(上)』 小松雄一郎編訳(岩波書店)、ロマン・ロラン著 『ベートーヴェンの生涯』 片山敏彦訳(岩波書店、一部表記を改めました)から。参考文献は、パム・ブラウン著 『伝記 世界の作曲家④ ベートーベン』 橘高弓枝訳(偕成社)、加藤純子著 『子どもの伝記⑤ ベートーベン』 (ポプラ社)。
            2014年12月1日付「少年少女きぼう新聞」より



【社会の情勢】 

◆ 地域おこし協力隊 後押し 総務省方針
◆  温室ガス、最大の14億トン 火力発電で燃料消費増 環境省
◆ 李首相 日中友好委と面会 首脳会談受け関係改善方針

2014/12/6(土)の聖教

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2014/12/6(土)の聖教


1、中国・紹興周恩来記念館から池田大作名誉会長に「名誉顧問」称号

  中国・紹興周恩来記念館から、池田名誉会長に「名誉顧問」称号が贈られた。授与式は5日、東京・信濃町の広宣流布大誓堂内で行われ、同館の曾紹暉館長、王瑛副館長、フウヨウ主任助理が出席。代理の池田副理事長に「名誉顧問」の証書が託された。名誉会長は、同館に真心の漢詩を寄せた。

           

 授与式の冒頭、曾館長は述べた。「きょう(12月5日)は、永遠に記念すべき日です。40年前のこの日、尊敬する周恩来総理と池田先生が会見されました。2人の出会いが、中日両国の友好に多大な影響を与えたのです」
 感動の面持ちで、言葉をつなぐ曾館長。「池田先生は、当時の誓いを忘れず、一貫して周総理から託された中日友好に尽力してこられました。『名誉顧問』称号の授与は、わが記念館の設立以来、初めてです。これは、全職員が心から待ち望んでいたものなのです」
 紹興周恩来記念館が立つのは、中国の東部沿海に広がる浙江省の文化都市・紹興。文豪・魯迅や、女性詩人・秋瑾の生誕地としても知られる。
 周恩来総理は生前、自らを「紹興人」と称した。紹興は周総理の原籍地であり、祖先が暮らした住居がある。1939年には現地を訪れ、人民を温かく激励した。
 同館は、この周総理ゆかりの住居が一般公開された84年を創設の年とし、現在は記念広場などが併設され、周総理に関連する文物も展示されている。
 「人民の総理」として、今も慕われ続ける周総理。中国には、周総理の記念館が各地にある。その中で、国の歴代指導者の記録などを残す、中国共産党直属の中央文献研究室が設立した「中国周恩来思想生平(生涯)研究会」に所属する記念館は、全国で五つ。紹興周恩来記念館は、その一つである。
 同館では先月、同研究会の年次会議が開かれ、姪にあたる周秉徳氏など周総理と深き縁で結ばれた人物が集った。まさに同館は、周総理の足跡をとどめ、精神の継承を担う重要拠点なのである。未来に伝え残すべき周総理の志とは、一体何か――。
 曾紹暉館長は強調する。「一番大事なのは、自らを顧みず、どこまでも民衆の幸福のために生き抜く『大公無私』の精神です」
 ――池田名誉会長と会見した74年12月、周総理は病で入院中だった。記録によると、入院直前の5カ月間で、24時間、寝ずに仕事した日数は5日もある。一日の仕事量が12時間を下回った日は、わずか13日。名誉会長との会見も、医師たちの反対を押し切って臨んだものだった。
 「池田先生もまた、全民衆の幸福を願い、行動を続けてこられました。その『仁愛』の精神は、周総理の信念と完全に一致します。私たちは先生の精神を、わが中国でも宣揚していきます」
 今回の「名誉顧問」称号の授与は、2年前から検討を始め、中国周恩来思想生平研究会と紹興市観光局の承認、さらに周総理の親族や秘書らの全面的な賛同を得て、全職員の総意で決定されたものである。
 晴れの式典では、曾館長から池田副理事長に「名誉顧問」の証書が手渡された。さらに、周総理の揮毫の拓本や、総理について書かれた書籍などの記念品が授与された後、名誉会長が詠んだ万感こもる漢詩が贈られた。
 漢詩を手にした曾館長は、深くうなずきながら、その一文字一文字を目で追った。そこには、周総理の人生を貫く「至誠」などの言葉が、ちりばめられていた。
 「貴重な漢詩です。大切にします。先生の深いお心を、中国に戻ったら必ず関係者に伝えます」
 固い握手を交わし、友好と平和の未来を約し合った授与式。
 曾館長は芳名録に力強く書き記した。「飲水不忘掘井人(水を飲む時、井戸を掘った人の恩を忘れてはならない)」「周恩来総理と池田大作先生の会見40周年を記念し、中日両国の人民の世々代々の友好と池田先生のご健康を祈りつつ」



2、わが友に贈る

 「今一重強盛に
 御志あるべし」
 いよいよの決意が
 諸天を動かす!
 さあ今日も前進だ!



3、名字の言  団結。大切なのは、「私がやる!」と立ち上がること。

 広島県安芸高田市吉田町で先月、行われた中国農漁光部の大会。戦国時代、中国地方を統一した毛利元就の里らしく、会場に「百万一心」の言葉が掲げられていた▼伝承によると、同町に築かれた郡山城の拡張工事の際、石垣が崩れた。当時、強固な城を造るために人柱を立てる風習があったが、元就は人間を埋めることを禁じた。そして人柱の代わりに、先の言葉を刻んだ石を埋めさせた。〝人柱よりも、「百万の人々が心を一つにする」ことのほうが大事である〟と▼「百」と「万」の字は、あえて崩し、「一日 一力 一心」と読めるように刻まれている。一人一人が日々、力を合わせ、心一つにして臨めば、不可能なことはない、との叫びだ▼団結とは、互いに寄り添い、もたれ合うことで生まれるのではない。「一見、矛盾するようであるが、自らが『一人立つ』こと」と池田名誉会長は語る。「『誰かがやるだろう』と、安易に考えている限り、どこまでいっても、真の団結を築くことはできない」と。大切なのは、「私がやる!」と立ち上がること。この「一人立つ」勇者と勇者の連帯こそが、真の団結を生み、歴史をつくる力となる▼心を合わせ、力を合わせ、何よりも祈りを合わせて、盤石な「創価の人材城」を築いていこう。(側)



4、寸鉄 

★  人道貫く三代会長の道徳的勇気に敬服―識者。平和への行動に世界が刮目

★ 兵庫が電光石火の奮闘! 団結も固く総力の拡大。関西魂燃やして勝ち進め

★ 愛知・三重・岐阜の友よ対話の大波で勝利つかめ! 堅塁の誇り高き民衆城を

★ 御書「信心の心を師匠とすべし」。全て題目根本に進め。真剣な祈りは通ず

★ 世界の平均気温が観測史上最高の可能性。自然災害の原因とも。対策急務



5、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (17)

 さあ、歌おう!
 紅燃ゆる〝わが魂の歌〟を!
 高らかに、〝歓びの歌〟を!
 誇らかに、〝正義の凱歌〟を!
 晴れやかに、〝民衆の讃歌〟を!
  
 草創期以来、創価の同志の痛快なる人間ドラマは、常に歌とともにあった。広宣流布の伸展も、庶民の朗らかな歌声がこだまするにつれて、勢いを増していった。
 歌は、闇夜を破る勇気の雷となる。そして、荘厳なる旭日をわが胸中に昇らせゆく、希望のファンファーレとなる。
 山本伸一が作詞作曲した、学生部歌「広布に走れ」は、学生部のみならず、瞬く間に日本中の友に愛唱されていった。
 発表翌日の七月一日に行われた、東海道本部長会で、東京支部長会で、大分県総会で、婦人部の人材育成グループの集いで、全国各地で、はつらつと歌い上げられたのである。
  
 伸一は、「広布に走れ」に引き続いて、直ちに新しい男子部歌の作詞作曲に着手した。
 男子部は、この七月を、「結成二十七周年記念月間」として、「跳べ! 広布丈夫の勇者」をテーマに掲げ、県総会などを企画していた。伸一は、その男子部にも、新しい飛躍の歌を贈りたいと思ったのである。
 このころ、時代の急速な変化のなかで、自己を確立することができず、社会に対して積極的に関わろうとしない若者たちが増加しつつあることを、伸一は憂慮していた。
 大人になりきれず、無気力、無関心、無責任などに陥る「モラトリアム化」現象が、次第に青年層全般に広がりつつあった。
 その解決のためには、自分という存在の根本的意味を知らねばならない。法華経には、その明快な解答が示されている。
 それは、皆が本来、この世から不幸をなくし、万人の幸福と平和を築くために、こいねがって妙法流布の使命を担い、悪世末法に出現した地涌の菩薩であるということだ。



6、みんなで学ぶ教学 【9】新会員のための仏法入門 異体同心 
 師を求め抜く時、絆は強固に!(
作業中)



7、きょうの発心  生死一大事血脈抄 1338㌻ 【広布拡大の実証で師恩に報いる】

御書 相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ(生死一大事血脈抄、1338㌻・編402㌻)

通解 強く心して強盛の大信力を出し、南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念しなさい。生死一大事の血脈をこれよりほかに決して求めてはならない。. 

 御本尊を信じ抜いて唱題していく信心にこそ生死一大事の血脈が流れ通うと仰せです。

 学生時代、交通事故で入院。その際、自身の宿命を感じ、学会に入会しました。
 卒業後は、地元・香川で木工所を継ぐことに。男子部時代は、創価班、また会合の会場設営等を担う「達人会」で薫陶を受け、金の思い出を刻みました。
 1981年(昭和56年)11月、四国研修道場で行われた「香川の日」記念幹部会に参加。池田先生は「もう一度、私が指揮をとらせていただきます!」と師子吼されました。第1次宗門事件の反転攻勢を叫ばれたのです。師匠と共に戦い抜こうと決意しました。
 壮年部に移ってからも、師恩に報いる大切さを心に深く刻み、妻の病気や仕事の不振などを、この御文を胸に乗り越えることができました。
 本年9月、「新時代第1回全国男子部幹部会」が四国で開催されました。その誇りを胸に、報恩の心で、広布拡大に勝利してまいります。
香川創価県長 徳田信一



【社会の情勢】
 

◆ 自公連立で地方創生 阿部首相 公明・いなつ候補を応援 北海道10区
◆  景気指数 2カ月連続改善 半導体製造装置で持ち直し 10月
◆ 2007年以来の120円台円安進行 産業界から懸念の声も 東京市場
◆ インフル流行始まる 手洗い、過失寐十分な休養を

2014/12/7(日)の聖教

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2014/12/7(日)の聖教


1、ブラジル ケイマドス市が 池田大作SGI会長を名誉市民に

全ての人間が歩むべき平和の道を教えてくれた

ジャペリ市からは顕彰状

 ブラジル・リオデジャネイロ州のケイマドス市から池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長に「名誉市民」称号が贈られた。平和・文化・教育の活動を通し、同市の発展に寄与した功績を讃えたもの。授与式は11月18日、隣接するノーヴァイグアス市に立つブラジルSGIのミゲル・コート会館で盛大に挙行された。席上、同じく隣接するジャペリ市からの「顕彰状」も授与された。

 1990年に市政が発足した人口16万人のケイマドス市。産業施設が次々と建てられるなど、発展著しい未来都市である。
 ブラジル第2の都市・リオデジャネイロ市から北西に約50キロ。SGIがリオで開いた環境展などを通し、創価の運動への共感が広がる。
 ジョゼ・アウヴェス・デ・カルヴァリョ市議も、SGIの催しに参加して理解を深めた一人。“良き市民”として地域に尽くすメンバーの姿に、“池田博士の哲学こそ地域の発展に欠かせない”と確信。SGI会長への「名誉市民」称号の授与を発議し、市議会の全会一致で決議された。
 授与式の席上、カルヴァリョ市議は力を込めた。
 「池田博士をわが市の名誉市民としてお迎えでき、大変に光栄です。わが市に大きな平和の潮流が生まれることを確信します」
 「平和とは、全ての人間が進むべき道です。平和・文化・教育を推進し、その道の模範と輝く池田博士とSGIの皆さまを最大に尊敬します!」
 また授与式では、ジャペリ市議会から学会創立84周年を寿ぐ「顕彰状」が贈られた。
 授与理由について、発議者のアウヴァロ・カルヴァリョ・デ・メネゼス・ネト市議は、決議書に綴っている。
 「創価学会は、池田博士のリーダーシップのもと、教育と文化の力で平和建設を推進してきました。創価学会は、人道的な努力を貫く世界市民を育み、世界平和の使命を果たしておられるのです」



2、オランダ ブレダ市で開幕 「核兵器廃絶への挑戦」展

ファン・アフト元首相が開会式で基調講演

生命尊厳の時代を! 私達の子孫のために

 SGI(創価学会インタナショナル)制作の「核兵器廃絶への挑戦」展がオランダ南部の主要都市ブレダで開かれ、反響を呼んでいる(12月12日まで)。
 来場者は語る。
 「素晴らしい展示会です。平和を築くためには、まず、われわれの意識を変えていかなければならないとの熱いメッセージが伝わってきました」
 「大変に感銘を受けました。この展示会を、私の住んでいる都市でも、ぜひ、開催していただきたい」
 同展は、池田大作SGI会長の平和提言に基づき、核兵器廃絶への潮流をつくるために制作されたもの。世界各国の主要都市で開催されている。
 11月14日、ブレダ市庁舎で盛大に行われた開会式には、ファン・アフト元首相、ファン・デル・フェルデン市長ら来賓や市民が出席した。
 市長は、多様化する時代の中で発生する諸問題を解決するには、「相互理解」が不可欠であると訴えた。
 基調講演に立った元首相は、人間の限りない欲望と利己心のために、人類が直面している諸課題に言及。その中でも、核兵器廃絶の課題は大きい。本展を通して、多くの市民が意識を持ち、関わってほしいと望んだ。
 そして「われわれは何としても私たちの子孫に今より悪い環境を残してはいけません。そのためには、『生命尊厳の時代』をつくることが最善の解決方法です」と強く語った。
 開会式の模様は、地元新聞などのメディアで大きく報じられた。



3、わが友に贈る

 人生の真の宝は
 苦闘の中に輝く。
 不屈の挑戦で
 わが境涯を開きゆけ!
 創価の新時代の勝鬨を!



4、名字の言  感謝は、自分と周囲の人の心をつなぎ、豊かにしてくれる。

  テレビを見て、少年がつぶやいた。「僕も、こんな主人公みたいに偉くなりたいなあ」。それを聞いた祖母が言った。「人として本当に偉いのは、みんなに、『ありがとう』と感謝できる人だよ」▼少年は、一人で「ありがとう運動」を始めた。自分が起きる前から朝ご飯を用意してくれるお母さん。体操着を真っ白に洗ってくれるおばあちゃん。夜遅くまで働くお父さん……皆にお礼を言うと、家族全員が笑顔になった。少年は、その日の日記に書いた。「僕の毎日は『ありがとう』でできている」▼これはかつて、未来部員会で聞いた話だ。食事の支度をする母、洗濯をする祖母、職場の父。それを実際には見ていなかったとしても、感謝の気持ちを持つと、見えなかった、見逃してきた大切なものが見えてくる。感謝は、自分と周囲の人の心をつなぎ、豊かにしてくれる▼寒さが厳しくなり、各地で本格的な雪も降った。雨や雪の日の朝、ポストには、決まって、ビニール袋に包まれた本紙が入っている。夜明け前、風雪から守るようにして届けた無冠の友(本紙配達員)の真心を思うと、胸が熱くなる▼きょうも、陰で黙々と使命を果たす人がいる。その人たちに、感謝を声にして伝えよう。幸福社会の構築は小さな挑戦から始まる。(代)



5、寸鉄

★   学会は平和創造における民衆の力を実証―博士。立正安国の実践今こそ。

★ 九州が一瀉千里の攻勢!戦いは最後まで攻め抜いた方が勝つ。栄光の峰へ

★ 千葉の行進は昇る旭日の如く!大聖人直系の闘魂は脈々。信念の勝利劇を

★ 「日蓮が一門は師子の吼るなり」。青年よ勇気の師子たれ。決定打を放て

★ 歩きスマホ、7割超が経験。ながら歩きは事故の因。多忙な時ほど冷静に



6、名誉会長と共に 新時代を開く 【43】わが同志に栄光と功徳あれ

 北海道をはじめ各地で大雪に見舞われ、冬本番の厳しい冷え込みが続いています。どうか、体調を崩さぬよう、また絶対無事故の前進をお願いします。
  わが愛する創価家族の皆様! 皆さんこそ御本仏から「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(御書1467㌻)と託された、誉れの使命の人でするしばれる寒風の中で広宣流布の行動を重ねゆくご苦労が、痛いほど胸に迫ってきます。
 御聖訓には「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群弧に笑わるる事なかれ」(御書1589㌻)と仰せであります。
 何があろうとも、師子王の心で、勇んで戦う生命こそが、仏となる。忙しいからこそ、宿命転換も早い。いかなる壁も、断じて打ち破ることができる。
  いよいよ勇気ある信心を奮い起こし、師子となって走り、叫び、広布と人生の大躍進を、断固、成し遂げてまいりたい。

                                        *  *

  日蓮大聖人は、大事な広布の戦いに挑む門下へ「但偏に思い切るべし」(御書1451㌻)と仰せになられました。そして、今こそ名をあげるチャンスではないか。“釈迦仏・多宝仏・十方の仏よ、集い来って、わが身に入れかわり、我を助け給え”と強盛に祈り抜いていきなさい――と励まされております。
 大聖人に直結して祈り戦う我らに、偉大な仏の力が出ないわけがありません。言うに言われぬ苦労に徹した分だけ、未来永劫にわたる大功徳が、厳然と、皆さんに現れないわけがないのであります。
 世界一の異体同心の団結光る同志の皆様方! 断じて油断なく、強く楽しく朗らかに、人間革命の勝利劇を示していこうではありませんか。「大切な宝の同志の皆様を、梵天帝釈、護り給え」と、祈り深く強く、題目を送っております」



7、周総理との会見40周年――特集㊦ 対話から広がる友好の大河

  周恩来総理との会見以来、より力強く日中友好のために尽くしてきた池田名誉会長。その行動は、両国で友誼の実を結んできた。ここでは、周総理夫妻と親交のあった、工学院大学孔子学院の西園寺一晃学院長の談話を掲載するとともに、会見から現在に至るまで名誉会長が進めてきた友好事業を紹介する。

◆鄧頴超夫人との絆

 「人民のお母さん!」
 池田名誉会長は鄧頴超夫人をこう呼んだ。出会いは8回。両国で和やかな語らいは続いた。
 夫人は「池田先生にお会いすると、恩来同志の若き日を思い出します。本当の革命家でした・・・」と語ったこともある。
  1979年4月12日、東京・迎賓館での3度目の会見。名誉会長が学会の会長辞任の意を伝えると、婦人強く言った。
 「まだまだ若すぎます。何より、あなたには人民の支持があります。人民の支持がある限り、やめてはいけません。一歩も引いてはいけません!」
  最後の出会いの90年5月。夫人は思いを託すように、周恩来の形見だった象牙のペーパーナイフと、夫人が愛用した玉製の筆立てを贈った。
 夫妻との友誼は、日中友好の歴史の中に刻まれている。

◆創大留学生の往来

 「桜の咲くころに日本を発ちました」。名誉会長との会見で周総理は、日本留学の経験を語った。「ぜひ、また、桜の咲くころに日本へ」との名誉会長の要請には、「願望はありますが、実現は無理でしょう」と。
 日中国交正常化の後、創価大学は新中国から初めての国費留学生6人を受け入れた(75年)。創立者・池田名誉会長が自ら身元保証人となった。周総理との会見の翌年である。
 同年11月、名誉会長の提案により、中国人留学生と創大生の手で「周桜」を植樹した。
 これまで数多くの留学生が往来を重ねてきた。創大を舞台に、日中友好の心を携えた両国の若者が陸続と育ちゆく。

◆両国に咲く文化の花

  「東方歌舞団」や「中国国家京劇院」など文化の振興に心を尽くした周総理。民主音楽協会(民音)や東京富士美術館を創立した池田名誉会長。「文化が民衆の心を結ぶ」との、2人の信念が響き合う。
 74年の初訪中の折値名誉会長は文化交流を約束。翌年、北京芸術団の来日公演が実現して以来、民音は多数の芸術団体を招へい。明2015年には、中国人民対外友好協会と民音の主催で、「上海歌舞団」の舞劇「朱鷺」が、日本で公演される。東京富士美術館も「中国敦煌展」(85年)などを開催してきた。
 友誼の精神から生まれた文化交流の大輪は、両国の民衆の心に咲き薫っている。

◆次代を担う 青年の連帯

 学会青年部と中国最大の青年団体・中華全国青年連合会(全青連)の交流が始まったのは、84年の第6次訪中での提案が契機である。
 翌年、中国青年代表団の胡錦濤団長(前国家主席)かぜ来日し、交流議定書が交わされた。
  学会青年部と全青連は、日中関係がいかなる状況にあろうとも友情を育み、交流団を派遣してきた。本年も、交流団が互いに訪問した。
 名誉会長もまた、自ら、多くの中国の青年リーダと直接会い、両国の未来を語り合ってきた。
  周総理との会見から始まった両国友好の「金の橋は、さらに強固に、輝きを増している。



「人々の幸福と平和のために」大目的が結ぶ友情は現代の鑑 
              工学院大学 孔子学院 西園寺一晃学院長
 

   私の父・西園寺公一は、最後の元老(戦前の政府最高首脳)である西園寺公望の孫として生まれました。
 戦後、父は平和運動に没頭。日中の民間交流を進める立場となりました。
 そんなこともあり、1958年(昭和33年)、私は中学3年生で、両親と共に北京へ移り、周恩来総理、鄧頴超夫人と親交を結ぶことができました。
 私は根周総理と初めてお会いした時、「中国でたくさんの友だちをつくりなさい。必ず財産になる」「ありのまま、中国の悪い点ははっきりと言いなさい。私たちは正直に批判してくれる友を望んでいる」と言われました。なんと謙虚な方なのだろうと感動しました。
 以来、何度も自宅に招待していただきました。気さくで温和な夫妻の人柄に、「人民の総理」「人民の母」として万人に愛される理由がよく分かりました。
 そんな総理にとって、池田先生はどうしても会いたい人でした。
 74年12月5日の会見の当時、「周総理を、海外の要人と合わせない」というのが、政府、医師、秘書団の方針でした。がんが全身に転移していたからです。
 しかし、池田先生の帰国前日となり、周総理は「池田先生には、どんなことがあっても会わねばならない。お呼びしてほしい」と言ったそうです。会えば命が縮まる。困り果てた医師団は、会見を止めるよう鄧頴超夫人に相談します。しかし夫人は医師に伝えます。
 「ぜひ合わせてあげてください。命を縮めてもやらなければならないことがある。」命を縮めても会わなければならない人がいる。それが、今です」
  私は、周総理が池田先生に会いたかった理由が2つあると思います。
 一つは、恩人である池田先生に直接、お礼が言いたかった。
  68年9月8日、池田先生は「日中国交正常化提言」を発表されます。このころ中国は激動の時でした。
 世界が資本主義と社会主義に分かれた冷戦の最中。中国は西側の盟主・アメリカとの対立が激化し、さらに同じ東側のソ連とも、国境問題などで激しくぶつかります。
 対外的には世界の2大超大国が敵となり、国内は文化大革命の嵐。交流のあった第3世界の国々まで距離を置くようになり、中国は世界から完全に孤立したのです。
 文革で4人組が暗躍し、周総理の失脚を狙ったのもこのころ。こうした四面楚歌の状況の時に発表されたのが国交正常化提言でした。周総理は闇に光明を見た思いだったでしょう。
 私は後に、鄧頴超夫人から直接、伺いました。周総理が「池田会長の講演内容は大変素晴らしいものだった。尊敬と感動に値する内容だった」と語っていたことを。一番苦しい時に、本物の友人が分かる――周総理はこう思われたのだろうと思います。
 周総理が池田先生に会いたかったもう一つの理由は、両国の未来に向けて思いを託したかったからではないでしょうか。
 会見の中で、周総理は述べられます。
  「今後われわれは、世々代々にわたる友好を築かねばなりません」
 総理が人生を懸けて貫いてきた中日友好を、池田先生に引き継ごうとされたのでしょう。この凝縮された30分間の会見は、総理が中日関係の未来を池田先生に託した“遺言”であったように思えてなりません。
 その総理の期待以上に、池田先生は平和、文化、教育運動を通し、40年間変わらず友好を貫かれました。先生を見ていると、周総理の言葉を思い出します。
 「人間は、一時的に一つ二ついいことをするのは、そう難しくはないだろう。しかし、継続的に一生かけていいことをするのは、至難の業である」
  先生の行動は、まさに生涯かけて貫かれた平和闘争です。
 そして今、その友誼の魂は、学会青年部の皆さんに引き継がれていると思います。昨年、日中関係が冷え切ったなかでも訪中団を結成して多くの中国人民と交流されたことは、その証左です。
 40年前の周総理と池田先生の会見は、現代にも大きな意義があります。
 周総理は共産主義者であり、池田先生は仏教指導者です。本来、全く価値観が異なります。しかし、その二人が人民の幸福と世界平和という大きな目的観に立った時、深い友情と後世に残る精神の柱を築くことができたのです。価値観が多様化した現代を生きる私たちにとって、最高のお手本ではないでしょうか。
 現在、通信手段が発達し、価値観の同じもの同士が寄り合い、違うものを排除するといった傾向がみられます。しかし、いつまでもこんなことをしていては、世界は崩壊してしまいます。
  私たちは今こそ、周総理と池田先生の会見から、多様な文化の相互理解と共生の心を学ぶ時なのです。



8、社説  「新・人間革命」に学ぶ  悩める友を励まし抜く人間力

 11月18日に連載が開始された小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章。1978年(昭和53年)、学会歌「広布に走れ」が発表された学生部結成記念幹部会の様子が描かれる。
 その中で山本伸一は、将来さまざまな困難に直面するであろう学生部員に、どんな時も学会から離れてはいけないと呼び掛ける。「“いよいよ自分の信心が試されているんだ。負けるものか!”と、歯を食いしばって頑張り抜いてほしい」。組織から離れれば、自行化他の信仰の正道を踏み外すことになる。
 御書には「夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよ(強)きすけ(扶)をかひ(介)ぬれば・たうれず」(1468ページ)――植えた木であっても、強い支柱で支えれば、大風が吹いても倒れない――と仰せである。人は、あまりにも大きな苦悩に打ちのめされることもあろう。そのとき、周囲の励ましこそが、最大の安全網となる。
 宮城県気仙沼市に暮らす婦人部員は、東日本大震災で最愛の夫を奪われた。ぼう然と自宅に引きこもる生活が続き、心配した婦人部の同志が足しげく通った。顔を出せないこともあったが、彼女は徐々に元気を取り戻す。「婦人部の先輩が、何でも話を聴いてくれて、励ましてくれてホッとする」と。それが、立ち上がるきっかけとなった。
 大事なことは、友の支えを受けながら、彼女がもう一度、自分の足で人生を歩み始めたことだろう。自力だけでも、他力だけでもない。池田名誉会長は米ハーバード大学での講演(1993年)で、大乗仏教では「二つの力が融合し、両々相まって絶妙のバランスをとっていくことが慫慂されている(=勧められている)」と述べている。
 近年、「助けて」と言えない人が増えているとされる。「自己責任」という言葉の陰で、今の悪い状況は全て自分のせいと思い、他者に協力を求めることができないのだ。独り苦悩する友に寄り添い、その“声なき声”に耳を傾け、励まし抜くのが、創価の人間主義の世界である。
 山本伸一は訴える。
 「二十一世紀の大指導者となる使命を担った諸君は、苦悩する友人一人ひとりと相対し、徹して励まし、仏法対話し、友を触発する指導力、人間力を、仏法への大確信を培っていってください」
 年末の慌ただしい今だからこそ、あの友、この友の顔を思い浮かべよう。一言、声を聞くだけでもいい。寒風に負けず、温もりあふれる友好の輪を広げたい。



9、きょうの発心  西山殿御返事 1474㌻ 【青年を先頭に師弟共戦の歴史を】

御書 夫れ雪至って白ければそむるにそめられず・漆至ってくろければしろくなる事なし、此れよりうつりやすきは人の心なり(西山殿御返事、1474ページ・編963ページ)

通解 雪は、極めて白いものであるから、染めようにも染めることができない。漆は、極めて黒いものであるから、白くなることはない。雪や漆と違って、移りやすいものは人の心である。. 

 強盛な信心の実践で、自身の生命を仏界に染め抜いていく大切さを教えられています。

 20歳の時に大阪で入会。その後、東京へ転勤し、25歳の時に大分に帰郷しました。どの地でも創価家族は温かく、感動したのを覚えています。やがて、交通事故や病気をきっかけに本格的に発心。先輩から、この御文を通し、清らかな信心の大切さを教わりました。
 1992年(平成4年)2月29日、池田先生が大分を訪問してくださいました。その翌日、大分新世紀総会・レインボー音楽祭の会場へ向かわれる先生にお会いし、原点を刻むことができました。この時、私は幼子を連れ、身重の体でした。2人のわが子は、共に創価大学に学ぶことができました。
 その後、悩みに押しつぶされそうな時もありましたが、信心で全てを乗り越えてきました。師への恩返しをする時は今、と心に決め、本年、2世帯の弘教を達成。
 12・8「県の日」から、青年を先頭に、師弟共戦の歴史を築いてまいります。
大分牧口県婦人部長 岡田 京子



【社会の情勢】 

◆ 公明が景気回復実現を 山口代表
◆  「道の駅」で就労体験 観光学部の学生 国交省
◆ 米就業者、32・1万人増 11月
◆ 「職場はブラック企業」労働者の4人に1人 連合調査

2014/12/8(月)の聖教

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2014/12/8(月)の聖教


1、仏法源流の大国に、地涌の人材が陸続と インド総会・青年文化祭にSGI会長がメッセージ

 仏法源流の大国に、地涌の人材が陸続と! 世界広布新時代第2回インド総会が11月30日、首都ニューデリー近郊の創価菩提樹園の講堂で開催された。
 これには、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長が万感のメッセージを贈り、祝福した。
 爽やかな青空が広がる創価菩提樹園。40回目の佳節を迎えたインド総会には、全土から代表2100人が意気軒高に集った。
 その中にマーナス・ブーヤンさん(男子部本部長)がいた。東インドのグワハティから、メンバーと共に38時間かけて列車で駆け付けたのだ。
 「第1回総会が開かれたのは、東インドのコルカタでした。だからこそ、40回目となる今回の総会には、東インドの一員として何としても参加したかったのです」
 ――1975年(昭和50年)10月に行われた第1回インド総会。その時に集ったのは5人の新来者を含むわずか17人だった。4年後の79年(同54年)2月、訪印中のSGI会長と約40人のメンバーとの出会いが実現。そこからインド広布は飛躍的に発展していった。
 「35年前、池田先生は“ガンジス川の悠久の流れも一滴の水から始まる”と語られました。今こそ師に続き、広布の大河の一滴一滴として世界広布を進めていこうではありませんか」――インド創価学会(BSG)のビシェーシュ・グプタ議長の叫びに、場内は割れんばかりの拍手に包まれた。
 ギタンジャリ・シン女子部長、ビネイ・ジェイン副壮年部長の後、東インドのオディシャ総合本部・ベルハンプル地区のプラナイ・マンダル男子地区リーダーが活動報告を。
 2010年10月、4人のメンバーで初の座談会を開いた同地区。13年に大型サイクロンによる甚大な被害に見舞われた時は、徹して目の前の一人を励まし抜いてきた。今、120人に拡大した同地区は8割以上が青年部員。躍進の喜びを披歴したマンダルさんは「どこまでも師と共に人生勝利の道を歩みます」と力を込めた。
 青年部有志の決意みなぎる合唱の後、3人が体験を発表した。

 最初に登壇したのは小学5年のアールシュ・バット君。生まれつき全盲だったバット君は3年前、初めて少年少女部の集いに参加。以来、勤行を覚え、御書を学んだ。すると、何でも自分で挑戦する意欲が湧いた。パソコンで点字を習得。クリケットや水泳もできるまで成長した。今、日本語を勉強するバット君。「昨日より今日、今日よりも明日へ、自身の限界を決めずに前進します」と述べた。
 次いで、男子部のクシャール・バルマさん、婦人部のナミタ・ロイ・ゴーシュさんが信仰体験を語った。
 婦人部コーラスグループ「サンシャイン」による美しい「母」の歌声の後、ラシ・アフジャ副婦人部長が明年のBSGのスローガン「活力あふれる座談会を通じて、歓喜の前進を」を発表した。
 総会に引き続き、屋外の特設舞台で「青年文化祭」が開催。「師匠と共に、勝利への誓願」をテーマに、世界広布新時代を開く気概にあふれた青年たちが演目を披露し、拍手喝采が送られた。
 圧巻のフィナーレでは、出演者全員でベートーベンの「歓喜の歌」を大合唱した。



2、インド総会へのSGI会長がメッセージ

  わが敬愛してやまぬインド創価学会の皆さん方!
 広大な全国各地から、誠に誠にご苦労様です。グプタ議長を中心に、インド創価学会の大発展が、私は何よりもうれしい。
 釈尊が説かれた、無量千万億の地涌の菩薩が涌出して無量の光明を放ちゆく法華経の会座とは、一体いずこにあるのか。それは、ほかのどこでもない。久遠元初からの誓願のままに、いずこにもまして宿縁深き皆さん方が勇み集われた、ここ創価菩提樹園にあります。私の生命も、今、菩提樹園の皆さん方と一緒です。

  一、きょうの総会を記念して、私は3つのエールを贈らせていただきたい。
 第一に、誇りも高く「常寂光の都」を築き広げゆけ! ということであります。
 日蓮大聖人は、命にも及ぶ佐渡流罪の只中で、悠然と仰せになられました。
 「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩も行かずして天竺の霊山を見・本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申し計り無し」(御書1343㌻)と。
 人類が、この地球上のどの地にあっても、自他共に最極の仏の生命を輝かせながら、幸福と平和の「常寂光の都」を築き広げゆく道を、釈尊、そして大聖人は示し残してくださいました。その永遠なる原点の天地こそ、我らのインドであります。
 妙法を唱え、弘めゆく地涌の菩薩の皆さんに、変毒為薬できない試練など、断じてありません。なかんずく、インドの皆さん方が、いかなる苦難に遭っても、励まし合って、一つ、また一つ勝利の実証を打ち立て、それぞれの使命の宝土を、常寂光の都と光輝あらしめていくことこそ、世界を、そして未来を照らしゆく、限りない「希望の太陽」なりと、私は声高らかに断言したいのであります。

一人が変われば!

  第二に申し上げたいのは、一人を大切に「人間革命」の朗らかな大連帯を! ということであります。
 「一人が変われば、全人類が変わる」──これは、マハトマ・ガンジーと、創価の我らが深く分かち合う信念であります。
 私も親交を結んできたマハトマ・ガンジーの令孫であるアルン・ガンジー博士が、「一番好きなおじいさんの思いで」を紹介されたことがあります。それは、マハトマが、孫のアルン少年に語った寓話です。
 ──ある日の朝、浜辺に無数のヒトデが取り残されていた。太陽が昇れば、ヒトデは死んでしまうだろう。すると、一人の男性が、ヒトデを拾い上げては海に戻し始めた。周囲の人間は「何になるのか。全部は救えない」と冷笑した。しかし、男性は、一つのヒトデを海に戻しながら言った。「そのヒトデにとっては大きな違いさ」と。
 このマハトマの教えの意味を、アルン博士は、「一人の命に触れ、その命を救うことができれば、それこそ私たちが作り出せる大きな変化である」と受けとめています。
 インド創価学会も、まさしく「一人」を大切にし、「一人」と仏縁を結び、「一人の生命を蘇生せしめていく戦いを、たゆまず大誠実で貫き通してきたからこそ、これほどの人間主義のネットワークを作り上げることができました。とりわけ、世界の模範であるインド婦人部の皆さんの慈愛の力は計り知れません。
 これからも、一人ひとりが強く賢く朗らかに「人間革命」の歓喜の舞を舞いながら、「二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや」(御書1360㌻)との仰せ通り、仲良く堅実に、社会へ共感と信頼の連帯を拡大していっていただきたいのであります。

青年の熱と力こそ

 第三に託したいことは、世界一の青年力・人材力で尽未来際への広布の源流たれ! ということです。
 「仏法西還」という御本仏の未来記は、現代の奇跡たるインド広布によって見事に成就されました。その主役である皆さん方の功徳も、栄光も、永遠に不滅であります。
 草創の皆さん方の尊い尊い「陰徳」は、世界一と仰がれゆく後継の地涌の菩薩の陣列という「陽報」となって、あまりにも厳然と現われております。
 ご存じの通り、すでに17年前、私はニューデリーでの講演で、21世紀は、巨視的に見て、貴国インドとアメリカ、中国の三国が主軸になるであろうと展望しました。世界の潮流は、その方向に動いているといって過言ではないでしょう。
 何よりも頼もしいことは、貴国の深遠なる哲学性・精神性の真髄を抱いた、最優秀の創価の青年たちが澎湃と成長してくれていることです。
 「閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃茶等に其の便を得しむること無かれ」(法華経601㌻)とは、釈尊・大聖人の御遺命であります。
 一閻浮提への広宣流布、末法万年尽未来際への令法久住──その汲めども尽きない正義の中の正義の源流を、私は、不思議な使命を帯びたインドの青年部・未来部の皆さんにこそ、託しておきたいのであります。
 思えば、私がインドへ第一歩を記したのも、1961年の「躍進の年」、33歳の若き熱と力に燃えた青年時代でありました。その意味において、明年の「世界広布新時代 躍進の年」は、私が最も信頼し、期待してやまぬインドの若人たちが、全世界の青年を牽引していってください。
 人類の宝である、異体同心のインド創価家族の健康とご多幸、栄光と勝利を、私は妻と共に、これまでにもまして強盛に祈り抜いてまいります。
 インドの不二の友に、須弥山の如き、無量の大福運あれ!  皆さん、お元気で!  (大拍手)



3、今週のことば

 厳寒の中の大奮闘を
 仏天も御照覧なり。
 極楽百年にも勝る
 一日の功徳を積みながら
 共に凱歌の総仕上げを!



4、名字の言  “星の時間”と大きな運命的な瞬間

  時間をきっちり守る男が、彫刻家のアトリエに招かれた。約束の時刻に着いたのに、彫刻家は外出からまだ帰らない。ふと、そばにあった本を手に取る。読みだすと、たちまち引き込まれた――作家ツヴァイクが、ロマン・ロランの小説『ジャン・クリストフ』と出あった瞬間だ▼この偶然の巡り合いを経て、後にロランはツヴァイクにとって人生最良の友となった。芸術家には、ひらめきをつかみ、美を創造する瞬間がある。同じように、歴史にも決定的な時がある。それをツヴァイクは「人類の星の時間」と呼んだ。星の瞬きのように鋭い光を放つ、歴史が動く瞬間である▼ワーテルローの戦いで、英国のウェリントンに敗れたナポレオン。その決戦を評し、ツヴァイクはこう結論した。大きな運命的瞬間は「尻ごみする者」を押し返し、「大胆な者」だけを英雄たちの天堂に引き上げる、と(片山敏彦訳『人類の星の時間』みすず書房)▼芸術や、歴史と同じように、一人の人間にもまた、“星の時間”があると思える。成長か後退か、勝利か転落かを決定づける運命の瞬間だ▼その「時」を鋭く感じ、逃すことなく打って出られるかどうか。そこに、信仰の真価が試されるとさえいえよう。大胆に、また大胆に、人生を切り開こう。(会)



5、寸鉄
 

★ 仏教発祥のインドで歓喜の総会。「仏法西還」の実証。学会の正義は燦然

★ 静岡が「民衆の幸福」へ前進! 炎の言論で勝利開け 胸中に勇気の太陽赫々と

★ 御書「此の事にあはん為なりけり」。いよいよの大闘争。いざ決勝点へ邁進

★ 支部・地区の幹部が奮闘。戦いを決するは勢いと執念。情熱満つ指揮を頼む

★ 携帯電話・書類等管理に注意。情報の扱いは厳重に。無事故第一心に刻め



6、わが町わが誇り 長野 上田圏、上田南圏

  「日本一の兵」とうたわれた真田幸村(信繁)ゆかりの上田城跡。白雪光る四方の山々。千曲川の悠久の流れ──長野県の上田地域には、日本の原風景を思わせる四季折々の美しさがある。
 「上田の地には、あたかも千曲川の川面がキラキラ光っているように、実に多彩な広布の人材が輝いています」
 1986年(昭和61年)8月11日、池田名誉会長は上田平和会館(当時)を訪れ、模範の人材城をたたえた。旧会館は、千曲川のほとりにあった。
  「仏法は勝負。この原理は、個人にも、一家、社会、国家、世界にも通じる」と、「信心即社会」の活躍を念願した。
 この後、寸暇を割いて立ち寄ったのは、上田広布の功労者である斎藤君登さん(故人)・よし子さん(圏副総合婦人部長)宅。家の前で車を止めた名誉会長は、窓を開け「約束は守ったからね」と。
 上田圏の副圏長だった君登さんに、何度も上田訪問を懇請されていた。その約束を果たしたよ、という意味である。
 君登さんは“折伏の達人”と、友に慕われた。よし子さんも、78年(昭和53年)に完成する長野研修道場の整備を支えた一人。岩石が埋まり、雑草が茂る湿地帯を、緑と花の園林に変えるため、土づくり、草取り、花壇づくりに足しげく通った。
 学会のため、同志のためなら、どんな苦労もいとわない──そんな両親の背中を見て育つた長女の恵理子さん(地区副婦人部長)。ボランティア団体を立ち上げ、今年9月には、NPO法人の認可も得た。
 行政と連携しつつ、少子高齢社会に対応した地域の支え合いに寄与する活動を開始。育て支援や観光など、福祉とまちづくりに多くの学会員がリーダーとして活躍することを喜びつつ、「信心即社会」の実証を誓う。

                                     

 名誉会長の足跡は現・上田市の旧丸子町、旧真田町の菅平高原にも。
  丸子町の春原正治さん(副本部長)・豊子さん(婦人部副本部長)宅を夫妻で訪問したのは、82年(昭和57年)8月5日。春原さんは酒店を営み、自宅を内村支部の会場に提供していた。
  店に入った名誉会長は、続いて、隣のカレー店で、支部の代表と懇談。春原さん宅の仏間では、支部の発展と一家の幸福を心から祈念した。
  後日、名誉会長は歌を贈った。
 「歴史ある 内村支部を通りけむ 友の幸をば祈り走りて」
 妻の豊子さんは思った。“草創の先輩方の苦労を全部、分かってくださっているんだ”
  正治さんは、「地域で実証を」と誓った。現在は、農作物を販売する事業に転じ、地域で喜ばれている。
 名誉会長夫妻が菅平高原を訪れたのは、30年前の84年(昭和59年)7月29日。縵沢不二雄さん(副本部長)宅の個人会場「烈士塾」だ。
  縵沢さんは、川上善弘さん(副本部長)、正木清郎さん(副本部長)と共に「三羽がらす」と呼ばれ、菅平広布を開拓した歴戦の勇者である。
 名誉会長の第一声は「とうとう菅平へ来たよ。いいところだねえ」。
 空は青く澄み、渡る風が心地よかった。
 名誉会長は、そのまま屋外での記念撮影を提案。庭にいすを出し、しばしの懇談となる。
 そして2階の会場へ。「池田先生 菅平へようこそ」の横幕が迎えた。訪問にあわせて書いたのではない。ずっと張られていたものだ。
 いつか池田先生を菅平に──それは、同志の積年の願いだった。
  名誉会長は「皆さまのご健康と、ご長寿をご祈念させていただきます」と言い、勤行を。そして励ました。
 「妙法の長者になってください」
 「幸せがどこか遠くにあると思うのは間違いです。全て自分の中にある。仏子が幸せにならないわけがないのです。あとは確信です。確信の上に立った知恵が大事です。負けちゃいけない!」
  「烈士塾」は名誉会長の提案で「菅平スイス会館」に。本年6月からは、中継行事の会場にもなった。
 川上さんの親類の智範さん(地区部長)、縵沢さんの長男・光俊さん(支部長、正木さんの長男・幸一さん(圏男子部主任部長)をはじめ、師と菅平の絆は、後継の友に受け継がれている。
 ──86年の上田訪問で名誉会長は語った。広布のための活動は“生命の勲章”となることを。
 「私たちは日々、『歴史』をつくっているのです」「その時は平凡で、ささいに見えても、時とともに深い歴史となり、輝きを増していく。これが仏法の不思議な方程式です」
 上田圏、上田南圏の友には、師と共に、新たな勝利の歴史を築き行く誇りに輝いている。



7、この時に誓う (13) 池田副理事長 中国・周総理との会見40周年

 揺るがぬ信念で万代の友情を

  池田先生の日中友好への原点は、1968年(昭和43年)9月8日、第11回学生部総会で発表された「日中国交正常化提言」です。未来部の世代だった私も、学生部の先輩に連れられ、日大講堂に参加していました。
 東西冷戦に加え、中国国内は文化大革命の混乱の中にあり、中国は国際的に孤立し、日本との関係も悪化していた時期です。当時、そうした政治状況を詳しく知っていたわけではありませんが、1万数千の学生に平和を訴える先生の情熱を、肌で感じました。
 あの場に居合わせたことが、私にとっても、日中友好に携わる原点になっています。

常に変わらず

  40年前の周総理との会見は、父からの提案で、冒頭の記念撮影のあとは、同行者も聖教の記者も同行せず、父と母の2人だけで臨みました。
  内容を記録する役目を負った母は緊張したと思いますが、そうした形になったことで、闘病中だった周総理のお疲れをやわらげ、形式張らず、心を通わせる会見になったのではないでしょうか。
 会見の意義については繰り返し語られているとおりですが、最も重要なのは、会見した2人の年齢差です。総理は76歳、父は46歳。命の短いことを自覚されていた総理が、父に日中友好の未来を託したということです。
 父はその思いを受け、国際情勢がどう変化しようとも、日中友好の信念を実行した。ぶれなかった。長い歴史を持ち、長期的な視野で物事を判断する中国の方々は、40年の一貫した姿勢に信頼を寄せられておられるのです。
 さらに言えば、今、創価学会、創価大学と交流する中国の方々は、ほとんどが、周総理を肌で知らない世代です。総理を敬愛し、その生涯を宣揚する池田先生という存在を通じて、周総理の精神を知る──そんな印象さえ受けるほどです。
 一昨年4月、総理のご親族の一行を東京牧口記念会館にご案内した折、そこに置かれた総理の像や、ゆかりの品々を見て、目を潤ませておられた姿は、特に印象的です。
  先月、創価大学の「周桜」を見学した中国青年代表団の万学軍団長も、こう語っておられたと言います。「涙が出るくらい感動しました。総理が隣国で、これほど尊敬されているのか、と」
 紹興恩来記念館の名誉顧問称号の授与式が5日に行われ、父の名代として、出席しました。
  天津の周恩来鄧頴超記念館も、名誉会員称号を贈っています。
 また、中国のそうそうたる大学が名誉教授に迎え、池田思想研究のネットワークも広がつています。これらは、友好の「過去」を評価するだけでなく、巨大な中国の安定と発展という未来」のために、創価の思想から学びたいという表れではないでしょうか。

庶民を一番大事に

 私自身、中国を初めて訪れたのは79年(昭和54年)夏。学会教育部の訪中団の一員でした。その時、周総理の夫人・鄧頴超先生とお会いしました。前年に、父と母が北京で初会見しています。
 鄧先生は、私を見るなり「お母様に似ていますね」。そして「中日友好が世々代々に受け継がれている証しを見る思いがします」と言われた。
 「世々代々」──これこそ私たちの使命です。
 79年4月、父は第3代会長を辞任する直前、その意向を、来日した鄧先生に打ち明けました。
  “人民の支持あるかぎり、やめてはいけません”と、鄧先生は止められた。学会が庶民の団体であるという本質を、的確に捉えておられた。
 政治体制を超えて、父母と周総理夫妻は、“民衆を最も大事にする”という一点で結ばれていたと思うのです。
 ここに世々代々の友好の根本が示されています。すなわち、日中の民衆と民衆の交流です。この道を真っすぐに進み、次の世代へ伝えていきたいと決意しています。



8、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (18)

  青年には、次代の社会、世界を担い立ち、人びとの幸福と平和を実現する使命がある。
 もしも、青年が自己の小さな殻に閉じこもれば、社会は希望を失う。青年が理想を捨てたならば、未来は闇に包まれる。
 山本伸一は、“創価の青年よ。次代建設のリーダーたれ!”と心で叫び祈りつつ、新男子部歌の作詞作曲にあたってきた。

 一、若き地涌の 丈夫は
   舞いゆけ大空 空翔ぶ鷲と
   民衆を守りて 正義の羽は
   勇み勇みて 友よ起て

 二、見よや彼方に 虹かかり
   いざいざ征かなん 決めたる道を
   地を征く王者と 走りぬ師子は
   朝日夕陽に 友よ起て
  

 三、広布のロマンを 一筋に
   打てよ鳴らせよ 七つの鐘を
   やがては誉れの 凱歌の世紀
   花に吹雪に 友よ起て
  

 歌の題名は「友よ起て」とした。
 七月三日付の「聖教新聞」に、この歌の歌詞と楽譜が発表された。
 「7・3」は、恩師・戸田城聖が軍部政府の弾圧と戦い、二年間にわたる獄中闘争の末に出獄した日であり、伸一が選挙違反という無実の容疑で逮捕された日でもある。いわば、学会にとっては、権力の魔性を粉砕し、民衆勝利の時代を築く誓いの日である。
 ゆえに伸一は、七月三日付の新聞に掲載できるように、歌の制作を進めてきたのだ。
 彼は、歌を発表したあとも、多くの人たちに意見も聴き、さらに、曲に手を加えた。そして、六日付の「聖教新聞」に再度、歌詞と楽譜を発表したのである。その歌は、まさに、「広布のロマン」に生きる丈夫たちの、雄壮にして力強い、誓いの歌となった。
 青年とは、広布のロマンに生き抜く人だ。



9、座談会 世界広布新時代の旭日【100】 勇気と闘魂で眼前の壁を破れ

揺るがぬ「誓願」で極限に挑戦

公明党の政策実現力を識者も評価

 橋元 今から103年前の12月14日。ある探検家が、「極限」への挑戦をやり遂げ、人類で初めて、南極点に到着しました。

 竹岡 北欧ノルウェーのアムンゼンですね。実は、彼が最初に目指していたのは南極点ではなく、正反対の北極点への初到達だったそうです。しかし、準備を進める最中に、別の探検隊による北極点到着のニュースが舞い込んできます。

 橋元 事態が急変し、狼狽したかと思いきや、彼は右往左往も意気消沈もしなかったそうです。即座に、方向を転じ、一段と戦う魂を燃え上がらせたのです。

 竹岡 ええ。まず、南極点を踏破し、その後、北極点を目指す。最終目的は同じですが、さらに遠大な計画に拡大したわけです。それから15年後、アムンゼンは見事に、南北両極点到達の夢を実現します。

 原田 そうした史実を通し、池田先生は綴っています。「たとえ、途中で環境や条件の変化があっても、めげるどころか、ぱっと頭を切り換え、新たなチャレンジに、それまで以上の勢いでぶつかっていく」「自ら定めた『誓願』だけは揺らいだりしない。断じて勝ってみせるという『闘魂』は、いよいよ燃え上がらせていく」――この「新たな課題に挑みゆく勇気」そして「眼前の壁を突破する力」こそ、我ら創価の師子の魂であると。

 正木 仏と魔との壮絶な闘争である広宣流布は、世界の平和と人類の幸福を実現する聖業です。ゆえに熾烈です。しかし、その分、功徳は大きい。宿命転換も早い。

 杉本 日蓮大聖人は仰せです。歴史上、屈指の激しい決戦であった、劉邦と項羽の天下分け目の戦いも、広宣流布の大法戦の厳しさを超えるものではない(御書218ページ、趣意)と。

 原田 私たちは、この崇高な広宣流布という法戦に連なる使命と福運を自覚し、勇気凜々と前進してまいりたい。

福祉、環境に真剣

  先月、公明党は結党50年を迎えました。この50年間、国政に登場した政党は60を超え、その大半が、さまざまな風雪に淘汰され、消えていきました。

 橋元 「今回の選挙で投票した政党が数カ月後になくなっていても、別に驚かないよ」と自虐的に語る友人もいるほどです(笑い)。

 正木 しかし、それでは、せっかくの一票がムダになってしまいます。政党が掲げる理想や政策を実現するためには、存続は絶対に不可欠なことです。

 吉井 作家の佐藤優氏は、「『福祉』は既に公明党の基準が日本の基準になっています」と言います。

 原田 「福祉や環境は票にならない」と揶揄された50年前から、公明党が、どこよりも真剣に、「福祉」や「環境」に力を入れてきたからこその評価です。

 杉本 今や、どの政党も福祉や環境について語りますが、義務教育の教科書無償化、児童手当、イタイイタイ病の公害病認定など、50年間の公明党の積み重ねがあるからこそですね。

ぶれぬ信念と行動

 吉井 注目の若手論客の一人であり、NPO法人代表の駒崎弘樹氏は、公明党について、「左派政党のように現実離れした空論を並べるのではなく、つねに現実を見据え、漸進主義で政策実現に取り組む――その姿勢に好感が持てます」と語ります。

 竹岡 こういう識者の方々の声は多いですね。たしかに毎回のことながら、選挙になると、根拠の甘い財源や、具体性を示さずに耳ざわりのいいことばかりを並べる政党が多い。

 橋元 国民は厳しく政治を監視し、そうした甘い言葉には決してだまされてはいけない。

 吉井 「今でこそ、若者の雇用問題は世間で大きな関心をもたれていますが、この問題に最も早く反応を示した政党は公明党です」と述べるのは、人事コンサルタントの城繁幸氏です。

 杉本 今も公明党は軽減税率の導入を強く訴えています。これも、かつては、どの政党も聞く耳を持ちませんでしたが、「国民のためには絶対に必要」との深い信念に基づき、粘り強い交渉を重ねてきた結果、実現まであと一歩のところまできています。

 正木 「公明党の特長は、市町村議会議員と都道府県議会議員、国会議員の連携が綿密に取れていることだ。こういう政党は公明党以外にないと思う」と指摘するのは、医師で作家の鎌田實氏です。

 杉本 「他党の国会議員には大所高所から物事を見る癖がついており、生活の隅々にまでなかなか目が行き届かない。政治には下から積み上げる『虫の目』と、上から俯瞰する『鳥の目』の両方が必要で、(中略)そういう意味では、地方議員による『虫の目』と国会議員による『鳥の目』の両方を兼ね備えた公明党は強い」とも鎌田氏は評価していますね。

 原田 この視点があるから、一貫してぶれずに「軽減税率」の必要性を訴えることができるのです。「国民の8割が必要」と考える政策を公明党の手でぜひとも実現してもらいたい。

 正木 民主党政権時代に低迷していた景気は、自公政権の誕生を機に、着実に回復しつつあります。それは、株価が2倍に増え、企業の倒産件数が24年ぶりの低水準となったことなど、いろいろな経済指標を見れば明らかです。これを確かな軌道に乗せるのが、これからの政治の役目です。

 原田 残り6日間。こうした期待の声を背に、公明党は最後の最後まで堂々と訴え抜いてもらいたい。



10、社説  就活に挑む友へ 創価の庭は主体性を磨く土壌

  日本経済の回復傾向は、若者の就職状況からもうかがえる。
 来春卒業予定の大学生の就職内定率は68・4%(今年10月1日時点)、高校生の内定率は54・4%(同9月末時点)と、いずれも改善。有効求人倍率は22年ぶりの高水準を記録した。
 そうした中、若者の就職活動を支援する新たな動きも生まれた。昨年、日本経済団体連合会(経団連)は、倫理憲章を改定し、2016年春の卒業予定者の採用について、会社説明会等の解禁時期を大学3年時の3月(これまで12月)、面接など選考活動の開始時期を4年時の8月(これまで4月)へと、それぞれ繰り下げた。
 就職活動期間の長期化、選考中の拘束時間など学生の負担を軽減し、「学業に専念する時間」を確保するのが目的という。
 倫理憲章はあくまで自主的なルールであり、外資系のような非加盟企業は対象外だが、好ましい変化といえよう。
 近年、大学内の「業界研究セミナー」には、企業から支援を受けているものも少なくない。そうした会社説明会に準ずるイベントを活用するのは、就活を有利に進める方法の一つだ。あるいは、企業の「インターンシップ」の利用や、企業情報の早期確認など、就活生は近年の変化を踏まえつつ、その備えに怠りないよう努めたい。
 独立行政法人「労働政策研究・研修機構」は昨年、「構造変化の中での企業経営と人材のあり方に関する調査」を実施した。「若年者の正社員採用で重視している能力・資質」を問う項目では、「仕事に対する熱意・意欲、向上心」との回答が73・6%。全項目の中で最も高い割合を示した。主体性を重視する証しであろう。
 もちろん、職種・職務に応じて必要なスキルは異なるが、どんな仕事でも、いかなる状況でも、主体的に働く人は、上司や同僚との良好な関係を築きやすく、成長する機会に恵まれる。
 ある学生部員は、学会活動に取り組む中で、自身の一念が変われば、周囲の環境も変わることを実感。普段から自身の興味や関心を大切にし、主体的な行動を心掛けるようにした。就活でも自身の特性を存分に発揮し、今年4月、世界的に有名な会計コンサルティング会社から内定を得た。採用の決め手は「熱意」だったという。
 挑戦する心を鍛える私たちの広布の庭は、主体性を磨く最高の土壌である。人生の大きな選択を迫られる就活も、自身を高める絶好の機会と捉えたい。



11、きょうの発心  王舎城事 1138㌻ 【信心根本に「一番星」と輝く!】

御書 御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよはく・太刀つるぎにて・つかう人の臆病なるやうにて候べし(王舎城事、1138ページ・編677ページ)

通解 祈りが叶わないのは、弓が強いのに弦が弱く、太刀や剣があっても使う人が臆病なようなものである。. 

 決定した強き信心こそが、妙法の偉大な功力を引き出す要諦であることを述べられた御文です。

 1959年(昭和34年)、私は6歳の時、家族と共に入会。両親は毎日、求道心を燃やして、先輩方と学会活動に走っていました。
 両親がうれしそうに語る池田先生の話や同志の方々との交流の模様を聞くたびに、妹と一緒に感動したことを覚えています。
 当時、わが家には、病気や経済苦の宿業が競い起こっていました。その苦境の中でも前を向き、懸命に人を励ます両親の姿に、信心の偉大さを学んだのです。
 師匠・池田先生との忘れ得ぬ原点を築いたのは、84年9月30日、阪神甲子園球場で開かれた世界平和文化祭です。池田先生は役員や音楽隊員など、裏方で奮闘する同志に渾身の激励をしてくださいました。役員として参加していた私は、師と共に、生涯、広布のために生き抜こうと固く心に誓いました。
 昨年11月2日に、待望の神戸北文化会館が完成して1年。今こそ、報恩の実証を示す時です。青年部を先頭に団結し、「広布の一番星」と輝いてまいります。
兵庫・神戸北総区長 山田 博史



12、世界の体験プラザ 韓国SGI  羅栄蘭さん 仁川で保育所の所長として活躍
人間教育に徹し社会で輝く実証

健康な食べ物プロジェクトが好評

  東アジアの国際ハブ空港を擁し、首都ソウルへの空の玄関口である仁川広域市は、釜山に次ぐ韓国第2の港湾都市でもあります。私は、その仁川税関にあって、2007年から、主に職員家族のための保育所の所長を務めています。
 “子どもたち一人一人の心を大事に”がモットー。そのためには今、何をなすべきか、何が求められているのかを常に保育士たちと話し合っています。
 今年、取り組んできたのは「健康な食べ物プロジェクト」です。共働きが増え、どうしても普段の食事でインスタント食品が多くなってきているからです。
 まず、家庭の冷蔵庫に入っている食材で、親子で一緒に食事を作ることを提案し、レポートを提出してもらいました。それを参考に、月一度ほど、園児と保護者に集まってもらい、全員で夕食を作る機会を設けました。
 ここで不足しがちな栄養素を含む献立や減塩メニューなどを一緒に学び、後日、再び家庭で一緒に作ったメニューを写真にとってもらうのです。これを3月から9月まで、計8回続け、大変好評を得ました。
  このような取り組みが高く評価され、先月27日、ありがたいことに、国の保健福祉部長官表彰を受けました。
 これまでにも仁川広域市模範保育員表彰(2009年)、関税庁表彰(2009年)、仁川・中区庁長表彰(2013年)など、さまざまな賞をいただいています。園児たちのはじける笑顔に接し、今、最高に充実した“教育者生活”を送ることができていると実感しています。幼いころの自分を思い返すと、このSGIの信仰のおかげで、夢見ていた以上の人生を送れていると、感謝の思いでいっぱいです。

自身の使命の開花が家族の幸せに

  信心する以前、一家6人が暮らす部屋は狭く、病気と貧困に押しつぶされそうな家庭でした。私が小学生のころ、母は心臓病で寝込んでいて、家事もままならない。ガラス加工の会社で働く父が、家族の面倒を見てくれるものの、一日3食が満足に食べられない日もありました。
  そんな窮状を見かねた母の友人の勧めで、家族全員で韓国SGIに入会したのは1974年、私が13歳の時でした。出席した会合で聞いた、永遠の指針「一家和楽の信心」が、とても心に残りました。
 その後、小説『人間革命』を読む中で、戸田第2代会長が語られる「家族そろって信心していく目的は、一人一人が幸福をつかむためだ」「利他の行に励むということは、人のために尽くしているように見えるが、自己の崩れざる幸せを築く要諦なのだ」との言葉が胸に響きました。
 “そうか、私は、家族のために犠牲になるしかないと諦めていたけど、自分の使命を開花させることが、家族全員の夢をかなえることになるんだ”。目の前が一気に開けたのを覚えています。
 私も人のために役立ちたい。もう諦めない。挑戦の青春を送っていこう。初代、第二代会長が教育者だったことを知り、私も“大学に行って教育者になる”と、目標を掲げました。
 ところが、大学受験に失敗。意気消沈しましたが、浪人時代に、女子部の先輩に励まされ、再び「必ず博士になる」と奮起できたのです。
 ちょうどそのころ、“人生のもっとも基礎となる幼児期の教育”に深い意味を感じ、猛勉強と唱題で仁川大学の幼児教育科に合格できました。
 大学卒業後は、保育所で働きながら、大学院にも進学し、2000年に修士課程を修了。2006年からは博士課程に進み、2009年に終了することができました。

全ての子どもに無限の可能性が

 保育所では、一人の忘れられない男の子との出会いがありました。友達にひどいいたずらをする子で、他の保護者から、保育所を移りたいと、強い講義があるほどでした。しかし、私は、決してその子をしかりませんでした。
 「私は、あなたが本当はいい子だと知っているわ。だから友達にも、そのことを分かってもらいたいよね」と、粘り強く語り掛けました。やがてその子も“何があっても信じてくれる”と感じたからでしょうか、ある時、涙を流して、深くうなずいてくれました。
 そして、いたずらをした一人一人に「ごめんね」と伝えに行き、相手も驚きながらも、「ありがとう、大丈夫だよ」と仲直りできたのです。それをきっかけに、もっとも仲の良いクラスになりました。これは、私にとって、忘れられない教育実践になりました。
 どんな子どもにも、必ず無限の可能性がある。そして何か問題が起っても、子どもの心をくみ取るいいチャンスにできる。子どもたちに、心の宝の大切さを気づかせる機会にしよう──信心で得たこの確信が教育者である私を支えています。2001年からは所長という立場に。園児一人一人を大切にするためには、保育士一人一人を大切にすることからと、意見交換を重視し、良い人間関係を保っています。
  ありがたいことに、一家和楽も実現できました。父はすでに他界しましたが、母と姉はSGIメンバーとして活動し、兄は地区幹事、妹は地区婦人部長で、乳がんも乗り越えることができました。
  私の夫は、結婚当初は信心に理解がありませんでしたが、今は勤行に励むように。2人の子どもは大学生になり、華陽リーダーの娘は歌手を、ビクトリー・リーダーの息子は航空会社を目指して、日々、頑張っています。
  胸を張って誇れる、人間教育に徹したに16年間の実証。これからも“全ての子どもに可能性がある”“一人の人格として尊敬する”という信念で、走り続けていきます。



【社会の情勢】 

◆ 農業支え日本の未来開く 菅官房長官 北海道10区、公明・いなつ候補を応援
◆  退職シニア、子育て支援 新事業で現役世代サポート シルバーセンター
◆ 新枠組み交渉 各国対立  COP20前半 20年以降、温室ガス削減


2014/12/9(火)の聖教

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2014/12/9(火)の聖教


1、オーストリア・ウィーンで核廃絶への宗教間会議 人道の連帯で平和の世界を

 【ウィーン6日】SGI(創価学会インタナショナル)、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)、WCC(世界教会協議会)共催、レリジョンズ・フォー・ピース協力の宗教間会議「希望を灯し勇気を奮い起こす――核兵器廃絶へ宗教者の連帯」が6日午後2時(現地時間)から、オーストリアのウィーン市内で行われた。

 同会議はICAN主催の「市民社会フォーラム」の一環として開かれたもの。キリスト教徒で国際司法裁判所の判事・副所長を務めたクリストファー・ウィラマントリー氏が基調講演。仏教、イスラム、ヒンズー教の宗教者が核兵器の問題について倫理・道徳の観点から議論を交わした。仏教者としてアメリカSGIのアケミ・ヘイニー婦人部長が登壇した。(記事・写真=南秀一)

 世界各地から運ばれてきた人々の熱気が充満していた。
 70カ国100団体の620人が参加した市民社会フォーラムでは、建物のいたるところでテーマ別の小会議やブースが開かれ、活発な意見が交わされている。
 午後2時前、列をなした人々が、宗教間会議の会場となった最も大きなホールへ。
 「宗教コミュニティーは多くの平和運動で重要な声を発信してきました」。参加者が詰め掛けた会場に開会を告げる司会の言葉が響き、会議は始まった。
 ――核兵器の問題は人間の可能性に対する「希望」か「諦め」かの闘争であるといえる。人々に“希望の選択”を促す原動力として今、宗教コミュニティーの役割に注目が集まっている。
 「原水爆禁止宣言」(1957年9月)を発表した戸田第2代会長は、核兵器が人間の生存の権利を脅かすものであると喝破し、その廃絶を「遺訓の第一」とした。
 その志を継いだ池田大作SGI会長は、「核兵器の問題と向き合うことを通して、地球上から悲惨の二字をなくすための民衆の連帯を築き上げる」ことを目指し、不断の対話によって、国境・文化・宗教を超える人道のスクラムを広げてきた。
 今回の会議は、本年4月にSGIがアメリカ・ワシントンで開催し、反響を呼んだ宗教間シンポジウムに続くもの。
 SGIの代表が諸宗教者と共に民衆の熱願を結集しようと語り合う光景は、SGI会長が貫く“人間主義の対話”の精神が、世界大に広がっていることの証左であった。
 会議では初めに、元アメリカ戦略軍総司令官のリー・バトラー氏のビデオメッセージが紹介された。
 氏は、90年代に大統領の核戦略アドバイザーを務めた経験を踏まえて、「核兵器の廃絶は保有国だけの問題ではなく、人類全体で立ち向かわなければならない倫理的命題である」と強調。使用された場合に起こる悲惨な結末を伝えていくことで、関心を持たない人々を“廃絶を求める側”に導いていかねばならないと述べた。

 ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とは 2007年に立ち上げられた核兵器廃絶を求めるNGO(非政府組織)の連帯。90カ国・地域以上に300を超えるネットワークがある。SGIは、ICANと共に反核展示を制作するなど、設立初期から交流を重ねている。



2、インド洋の宝石・スリランカに新会館 人間主義の拡大へ新体制で出発

 インド洋の“宝石”スリランカの港湾都市コロンボに、待望の新「コロンボ文化会館」がオープンし、記念の第1回幹部会が11月30日、同会館で開催された(写真)。
 席上、スリランカ創価学会の新理事長にサマン・バラスリヤさん、新婦人部長にスバシニ・ジャヤスリヤさんが就任したことが発表され、場内は二重の喜びに包まれた。
 バラスリヤ理事長、ジャヤスリヤ婦人部長は「池田先生のスリランカ初訪問55周年となる2016年を目指して、心を一つに、人間主義のスクラムを縦横に広げていきましょう!」と力説した。



3、御書とともにⅡ 名誉会長が指針を贈る 【39】いよいよ強盛に前進!

御書 いよいよ強盛の御志あるべし、冰(こおり)は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる(乙御前御消息 1221㌻)

通解 いよいよ強盛な信心を、起こしていきなさい。氷は水からできるが、水よりも冷たい。青い色は、藍という草から生まれるが、重ねて染めれば、藍よりも色が鮮やかになる。

【同志への指針】

 信心の極意は「いよいよ」の実践だ。大聖人は、門下のそれまでの健闘を讃えられつつ、「今一重強盛に」と励ましを贈られている。
 “さあ、これからだ”と祈りを深め、挑みゆく一念が壁を破る。
 本因妙の仏法である。新たな一日を、新たな勇気で、いよいよ強盛に前進していくのだ。あなたも、皆も、我ら創価家族は、藍より青く!



4、わが友に贈る

 慌ただしい時期。
 絶対に事故を起こすな。
 積雪や路面凍結にも
 十分な警戒を!
 油断を排して進め!



5、名字の言

  10周年を迎えた東京・信濃町の民音音楽博物館。同館では現在、日本で最初に音楽博物館の設立を提唱した音楽学の権威「田邉尚雄」展が開かれている▼氏は1883年に信濃町に生まれ、生家は同博物館のある民音文化センターと1番地違い。日本を西洋文化の模倣国家ではなく、一流の文化国家に育てる志をもち、民音の発展にも限りない期待を寄せた▼論文「道徳と音楽」で氏は、シューマンの「最高の芸術は道徳と一致す」等の言葉を引き、洞察する。「音楽は道徳の手段ではなく、正しい音楽芸術それ自体がすなわち道徳というものである」。音楽は本来、余興や、何かの手段の地位に甘んじるものではない。精神の深みから生まれた一流のそれは、人に生きる希望を与え、社会を動かす力さえ持つ▼本紙連載の小説『新・人間革命』では今、学会歌「広布に走れ」の誕生などが描かれる。この1978年夏、池田名誉会長は未来部歌「正義の走者」、方面歌「常勝の空」「この道の歌」などを次々と同志に贈った。長く歌われてきた学会歌の名曲ばかり。師弟の絆を断とうとした障魔の嵐の中だからこそ、激しく友の胸を打った▼本物の歌は心を燃やし、心と心を結ぶ。広布の旋律、師弟の曲を命に響かせ、総仕上げの12月を完走しよう。(宗)



6、寸鉄
 

★  欧州で核兵器廃絶の宗教間会議。人道の世紀へSGIが率先。民の声結集

★ 常勝関西が総攻撃! 限界突破の拡大を。万代に崩れぬ錦州城を築くのは今

★ 「風大なれば波大なり」御書。人間革命の好機! 大激戦の天地で勇み勝て

★ 奨学金貸与の高校生3人に1人がアルバイト経験と。学徒支援更に手厚く

★ 公明には日本の発展を牽引する使命がある―作家 平和先進国への舵を取れ



7、地平線を越えて SGI会長との心の絆  ネパール㊤ 真の豊かさは「美しき心」に

  池田SGI会長は1995年、釈尊生誕の国・ネパールを訪問。多くの友と不滅の出会いを刻んだ。
 明年は、それから20周年の佳節にあたる。同国SGIの発展の様子を、メンバーの活躍とともに紹介する。

                                   ☆☆☆

 ネパールの大地に、広宣流布の灯がともったのは80年。前年に日本で入会したケシャブ・シュレスタさんが、ネパールに帰国したのが始まりだった。
 数年後、彼は仕事でネパールに赴任してきた日本のメンバーと知り合い、学会活動を共にするようになる。
 国民の大半が伝統宗教を信奉する同国。無理解の壁に直面することもあった。だが、粘り強く語る中で、一人また一人と広布の水かさは増していく。
 92年、12人のメンバーが隣国インドでSGI会長との出会いを果たす。翌93年、ネパールSGIは法人として認可され、ケシャブさんが初代理事長に就任した。
  そうした発展のうねりの中で、95年、SGI会長の訪問は実現したのである。
  SGI会長を乗せた飛行機が首都カトマンズのトリブバン空港に降り立ったのは、10月31日の午後8時半ころ。乾期を迎えたネパールの空は澄み渡り、夜空は満天の星で彩られていた。
 「池田先生、ようこそお越しくださいました!」
 愛するネパールの大地に、尊敬する師匠を迎えられた喜び。ケシャブさんは込み上げる感動を胸に、タラップの下でSGI会長を迎えた。
  彼は会長との懇談の中で、率直にネパールの現状を語った。
 メンバーは増えてはいるが、まだ少ないこと。そしてネパールは小さくて、貧しい国であること・・・。
 それを聞くと、会長は間髪を入れずに言った。
 「そんなことは関係ありません。本当の豊かさは、心の美しさで決まるんです。ネパールの人々は、何ものにも勝る“美しい心”を持っています」と。
 6日間のネパール滞在中、SGI会長は国王との会見、名門トリブバン大学での講演、同大学「名誉文学博士号」の授与式、カトマンズの名誉市民称号の授与式など、数々の公式行事に出席。
 幾多の指導者や識者と友誼を結び、文化・教育交流の新たな道を開いた。
 その合間を縫って、会長はネパールSGIの一人一人を抱きかかえるように励ました。友の美しい心に、最大の「真心」で応えていったのである。

                                   ☆☆☆

  当時、副婦人部長だったサハナ・シュレスタさんは、夫のケシャブ理事長と共に空港でSGI会長一行を迎えた。婦人部を代表して、香峯子夫人に花のブーケを手渡した。
  翌日からの行事でも、師の振る舞いを目の当たりにしたサハナさん。
 「先生は、SGIのメンバーだけでなく、ホテルの従業員や庭師、近隣の人たちにも、温かく声を掛け、心を通わせておられました。どこまでも一人の人を敬い、大切にする姿に、リーダーのあり方を学びました」と述懐する。
 この時の会長との出会いを原点に、彼女は夫と共に広布の道を歩む。だが、その道のりは平坦ではなかった。
  2002年、ネパール広布に人生を捧げてきたケシャブ理事長が、病で世を去ったのだ。48歳だった。
 多くのSGIの同志や地域の人たちが彼の死を惜しみ、「ケシャブさんの励ましのおかげで、私は幸せになれました」と、感謝の思いを語った。彼の紹介で入会した友や、その励ましで立ち上がった人は数知れない。
 気丈に振る舞いながらも、妻のサハナさんの悲しみは深かった。残された3人の子どもを、どう育てていけばいいのか、大切なSGIの組織を、どう守っていくのかという不安もあった。
  そんな彼女のもとに、SGI会長から厳愛の励ましが届いた。
 「ケシャブさんは強い人でした。将軍のようでした。本当の弟子でした。将軍が強いのであれば、それに続く人たちもまた、強くなければいけない」
 この言葉に、彼女は涙し、奮い立った。母として、広布のリーダーとして、強く生きよう!  生きて、生き抜いていこう!
 亡き夫の後を継ぎ、サハナさんは理事長に就任。以来12年、師の心を抱きしめて、ネパール広布の前進を力強くリードしてきた。
 今、ネパールSGIは、環境保護の運動や文化・展示活動などを通して、地域社会に大きく信頼を広げる。
 メンバーはSGI会長の訪問時の8倍に。組織も3支部11地区の陣容へと大発展した。
  彼女の子どもたちは、世界広布の人材へと成長。長女はカナダ、2人の息子はオーストラリアを舞台に活躍している。
  現在、副理事長としてネパールSGIの前進を支えるデヴェンドラ・シンさんも95年に、SGI会長との出会いを結んだ。
 彼は、SGI会長が滞在していたカトマンズにあるホテルのロビーで、ばったりと会長と出会う。入会3年目のシンさんは、悩んでいたことを率直に打ち明けた。
 一つは家族のこと。シンさんは、女手一つで彼を育ててくれた母を6年前に亡くしていた。その数年前には、国王の英語教師を務めた、尊敬する祖父が他界した。
 自分の人生の支えとなってくれていた家族の死──。その悲しみから、まだ立ち直れていなかったのだ。
 もう一つは、仕事のこと。友人と共同経営する会社の業績が伸びず、経済的に苦境に陥っていた。
 シンさんの話に、SGI会長はじっと耳を傾けた。そして、彼の目を真っすぐに見つめて語った。
 「偉大なおじいさま、お母さまだったのですね。大丈夫です。お二人とは、生命の次元で必ずつながっています。お題目を送ってください。私も題目を送ります」
 そして、こう強く言った。
 「絶対に幸せになってください」
 彼は振り返る。「先生の励ましを受けて、私の胸には大きな希望が湧きました。幸福は自分で勝ち取るものだ。決して負けてはいけない──先生はそう教えてくださったのだと思います」
 シンさんは、信心根本に全てに勝利しようと決意。仕事に全力で取り組むと共に、自宅を広布の会場として提供。壮年部のリーダーとして、メンバーへの激励にも、さらに力を注いだ。
  やがて事業は軌道に乗り、大きな開花の時を迎える。
 2003年に家具販売会社として独立。一家で経営を行い、首相官邸や一流企業にも家具を提供する会社へと発展している。
 シンさんは語る。
 「先生との出会いは永遠の原点です。社会でさらなる実証を示しながら、後継の人材の育成に取り組んでいきたい。                                                      



8、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (19)

 七月六日付の「聖教新聞」には、男子部歌「友よ起て」と並んで、女子部の人材育成グループである「白蓮グループ」の愛唱歌「星は光りて」の歌詞と楽譜も発表された。
 山本伸一は、八日に同グループの日を迎えることから、新しい出発を祝って、愛唱歌を作詞作曲して贈ったのである。
 「白蓮グループ」は、学会本部をはじめ各地の会館で、会合の受付や整理役員などの任務を担当してきた。
 彼女たちの、さわやかで、はつらつとした凜々しい姿は、多くの学会員の希望であり、誇りとなっていた。
 伸一は、“学会の宝”である、清らかな“白蓮の友”を守り抜こうと、固く心に誓っていた。また、彼女たちを讃え、励まそうと、愛唱歌の作詞作曲を進めてきたのである。

 一、ふじの花手に ひとみ清らか
   心美しく 地涌の友まつ
   優しく強く 人と人との
   とびゆく蝶は けなげに舞わん
  
 二、白ゆりを胸に 姿りりしく
   疲れたる友に さわやかな声
   星は光りて 月は語りぬ
   ああ この汗に 満ちたるかんばせ
  
 三、白蓮の華は 幸の香りも
   しずかに流れゆく 城と城をば
   涙の人をも 喜びゆかんと
   晴れの姿を 見おくる姫らは
  

 「白蓮グループ」は、八日、東京・荒川文化会館で、グループの日を記念して総会を開催。藤色の制服に身を包んだメンバーが、弾ける笑顔で、「星は光りて」を大合唱した。
 歌いながら、皆が“白蓮”の崇高な使命と伸一の思いをかみ締めていた。
 そして、彼女たちは、“疲れた友にも、涙の人にも、さわやかな声で、晴れやかに蘇生の風を送ろう”と、深く心に誓うのであった。



9、教学随想 日蓮仏法の視座 「実践の教学」で極悪を打倒!
  (作業中)



10、壮年部のページ 勝利の決定打はわれらの手で!

  池田名誉会長の小説『人間革命』『新・人間革命』に込められた師弟共戦の精神を胸に刻む3人のリーダーの実践と決意を紹介。また、それぞれが糧とする一節を紹介した。


【人間革命の一節】 「広宣流布とは、魔との壮絶な戦いなんです。昨日まで、どんなに懸命に頑張り抜いてきても、少しでも前進の歩みが止まれば、魔に付け入る隙を与えてしまうことになる。(中略)それに勝つには、日々前進、日々挑戦、日々向上していくしかない。自転車は止まれば倒れる。一生成仏の戦いも同じです」(『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章)

◆執念 総埼玉壮年部長  大高政則さん

 「戸田の名代として、毅然として行ってきなさい!」──恩師・戸田先生の激励を受け、池田先生は1951年(昭和26年)から足かけ3年、埼玉の志木支部川越地区で御書講義を担当されました。
 「奮迅」の章では、この地区講義での様子を述懐され、師弟不二の道を教えてくださっています。
 埼玉は一昨年、昨年と、師弟共戦の心を燃やし、鉄桶の団結と執念の闘争で連戦連勝の歴史を刻んできました。
  “私が師の名代”との自覚で、埼玉壮年部は日々発心し、勇躍前進していく決意です。そして、最後の最後まで走り抜き、わが地域に“師弟常勝の人材城”築いていきます。

【人間革命の一節】 「長い人生であり、長い広宣流布の旅路です。いろいろな困難もあるでしょう。しかし、その時が、宿命転換の、人間革命のチャンスなんです。“負けるものか!”と、不屈の闘魂を燃え上がらせて、信心を貫いていくことです。そして、ひたぶるに、お題目を唱え、広宣流布に走り抜いていくんです。信心に行き詰まりはありません」(『新・人間革命』第22巻「命宝」の章)

◆祈り 総広島壮年部長 上内公総さん

 池田先生は、小説『新・人間革命』の原稿を、1993年()平成5年8月6日、広島の「原爆の日」に書き起こされました。
  私は、“広島の地”で生きる自身の使命をあらためて自覚。『新・人間革命』の一節一節を命に刻んで戦おうと固く誓いました。
 わが家は、今までさまざまな苦難に直面してきました。そのたびに、自らを鼓舞し、広布拡大に挑戦。夫婦で唱えた題目が5千万遍に達したころ、全てが大きく開けていったのです。
 自分自身の、目の覚めるような発迹顕本を断じて成し遂げ、「世界広布新時代 開幕の年」の掉尾を勝ち飾ります!

【人間革命の一節】 「新の団結というものは、人の意志と心がけだけで、できるものではない。御本尊に対する、純粋で強盛な信心の絆で、自然と固い団結ができるのだ。ここが、利害を基にしたほかの団体とは、根本的に違うところだ」(『人間革命』第2巻「車軸」の章)

◆団結 総愛知壮年部長 小林知明

 この一節をかみしめ、「日々唱題! 日々訪問激励!」の実践に徹してきました。同志と共に「真の団結」を目指す中で、池田先生が築いてくださった団結の城ともいうべき「堅塁・中部」の重大な使命を感じます。
 草創の先輩方の信心の結晶である堅塁・中部。私たちもまた、どこまでも信心の団結によって、時に想像もできなかった力を発揮し、さまざまな広布の峰を敢然と越えてくることができました。
 来る12日は「中部広布原点の日」です。この日を圧倒的拡大で荘厳するため、愛知壮年部は燃えています。
 壮年部が団結の要となってこそ、広宣流布の偉大な勝利が輝きます。堅塁・中部の新時代へ、私自身が全力で祈り、戦い抜きます。



11、未来の翼  世界が君を待っている 第9回 ドイツの大河
 

 天も輝き、地も輝き、友の心も輝きわたる――。
前々日まで降り続いた雨で、水かさを増したライン川に、明るい陽光が降り注いでいました。
川は、滔々(とうとう)と、たゆまずに流れ続けていきます。
 その流れに乗って進む観覧船で、私は、ドイツの高名な教育学者のデルボラフ博士と “船上対談” を行いました。さわやかな風が心地よい1983年6月のことでした。
 数々の古城を望み、伝説で知られるローレライの岩を眺めながら共に歌を歌ったことも、忘れ得ぬ思い出です。
 船を下りた後、私たちは河岸の街オーバーベーゼルへ行き、900年前に築かれた古城シェーンブルクで対話を重ねました。
 名門・ボン大学の名誉教授であるデルボラフ博士とは、「人間」や「文化」や「平和」などをテーマに縦横無尽に語り合いました。私たちの対話はやがて、対談集 『21世紀への人間と哲学』 に結実しました。その最後に、博士が強調されていたことがあります。
 それは、「自己の胸中のかすかな希望の花を萎(な)えさせ、枯死させてしまうのであれば、事実上、自己を放棄することになる」と。
 少し難しい表現ですが、希望こそが人間の証しであり、人間性の輝きである。ゆえに、生きている限り、断じて希望を手放してはならないとの励ましです。
 博士は、その希望の源泉は「宗教」であると結論されました。
 未来部の皆さんは、若くして、「太陽の仏法」を持(たも)っています。どんなに苦しいことや、思うようにいかないことがあっても、わが胸中から、希望の太陽を輝き光らせていけるのです。
 今年一年を振り返ってみると、頑張れたこと、もう一歩だったこと、さまざまあるでしょう。
 でも、少しでも前進できたことは自分でほめ、失敗したことは前向きに次に生かしていけばよい。
 そして、朗らかに「躍進」の明年へ船出しよう!
 ライン川の流れのように、あせらず、じっくりと、一日また一日、一年また一年と、自分自身を深め、広げていこう! 今の皆さんの挑戦の汗と涙が、やがて人類の未来を開く希望の大河となっていくからです。

 ライン川には、1万2000もの支流があるといいます。
 ある区間は、世界遺産に登録されており、50もの古城が河畔(かはん)の山々にそびえ立っています。
 ゲーテが「ここから見るライン川が一番、美しい」と絶賛した場所には、私たちSGI(創価学会インタナショナル)のヴィラ・ザクセン総合文化センターがあり、市民の心の交流の広場となっています。
 「父なるライン」と呼ばれる、このヨーロッパの大動脈は、国と国をつなぎ、人と人を結び、文化の軸となり、歴史の絵巻を綴ってきました。
 ドイツは古代、ゲルマニアと呼ばれ、中世には神聖ローマ帝国の中心として栄えました。近代に入ってドイツ帝国が成立します。
 第1次世界大戦によって帝政は終わり、共和国が誕生しました。しかし、その後、独裁者ヒトラーが率いるナチスの台頭によって、第2次世界大戦が引き起こされ、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の悲劇がもたらされました。
 敗戦後には、資本主義の西側諸国と社会主義の東側諸国が対立した「冷戦」が始まり、ドイツは東西に分割されてしまいました。そして、東ドイツ領内に位置したベルリンの街も、市内が東と西に分断されたのです。
 私がドイツ(当時は西ドイツ)を初めて訪れたのは1961年。「ベルリンの壁」が築かれ始めた直後でした。ベルリンの境界線では、東ドイツ側から西側に逃げようとした人が射殺されるなど、危険な状況が続いていました。
 私は東西ドイツの融合と冷戦の終結を願い、恒久平和を築くことこそ仏法者の使命なりと心に期して、ベルリンの壁を訪れました。
 東西に引き裂かれた人々が、兵士の目をかいくぐって、境界線越しに手を振り、安否を確認し合う姿に、私は胸を痛めました。車を運転してくれた方も、大好きな伯母が東ドイツにいることを、涙ながらに語ってくれました。
 人間の絆を切り裂く権利など、誰にもない!――底知れぬ権力の魔性に対し、私は抑えきれない憤りを感じました。
 境界線にある、ブランデンブルク門の前に立ち、私は深く祈りを捧げ、同行していた青年たちに言いました。
 「30年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう」
 当時、東西の対立は、永遠に続くかのように思われていました。ベルリンの壁がなくなるとは、誰も想像できなかった時代です。
 私は、単なる予想や願望を口にしたのではありません。「平和を求める民衆は、必ず一つになれる」という確信を語ったのです。私自身が世界平和のために、「対話」を武器に戦い抜くという誓いを語ったのです。
 以来、私は、東西両陣営の国々を訪れ、友情を広げ、平和を訴えてきました。民衆と民衆、青年と青年の心を結ぶ「文化」と「教育」の交流を重ねてきました。
 ドイツ初訪問から28年後の89年11月、ベルリンの壁は崩壊し、12月には東西冷戦が終結しました。不可能だと思われていた夢が、現実となった瞬間でした。

 「大切なのは、互いに尊敬し合って、見つめ合うことです」
 これは、哲人政治家と讃えられた統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領が、東西統一以後のドイツの未来を展望して、私に語ってくださった信念の言葉です。
 私たちの語らいは、東西ドイツ統一から8カ月後の91年6月。当時、西ドイツは発展しており、経済的に遅れた東ドイツに問題がある、という考えが一般的でした。
 しかし大統領には、同じ人間として尊敬し合えば、心の中にある “見えない壁” を崩していけるという信念があったのです。
 相手を尊敬することは、最高に美しい人間性の光です。
 日蓮大聖人は、「鏡に向かって礼拝する時、そこに映っている自分の姿もまた自分を礼拝する」(御書769㌻、通解、「御義口伝」)と仰せです。
 友を敬い、大切にすれば、自分も大事にされるのです。
 もちろん、「ちょっと苦手だな」という人もいるかもしれません。
 その “見えない心の壁” を打ち破るのが、「尊敬の心」なのです。
 尊敬といっても、特別なことではありません。友達の素晴らしいところを見つけていくことです。自分にはない「良さ」を知っていくことです。
 人間なのだから、誰にだって短所はあります。それだけにこだわって、長所の輝きを見過ごしてしまうのは、もったいない。
 「あの人のここが嫌い」ではなく、「こんないい所もあるんだ」と、光を当てていくことです。
 勇気を出して語れば、心の扉が開かれます。そこには、新しい発見があります。そこから、新しい仲間も広がります。この心と行動が、世界平和の出発なのです。

 ヴァイツゼッカー大統領は戦争で、お兄さん(次兄)を亡くしました。自らも18歳で従軍し、戦争の悲惨さを胸に刻みました。
 終戦から40年が経過した85年、ナチスの犠牲になった全ての人々に思いを馳せて、大統領は演説を行いました。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」との叫びは、今もなお、世界に不滅の光を放っています。
 川が流れるように、時は流れる。
 人にも、国にも、目をそむけたい過去があります。
 しかし、勇気を奮って「これまで」と向き合えば、「今」何をなすべきかが分かる。「これから」に希望がもてる。
 未来は、断じて変えられる。
 青年には、その勇気があります。
 私の恩師・戸田城聖先生は、私たち青年に言いました。
 「指導者は、歴史に学ばねばならない。謙虚に歴史に学んでいってこそ、真実の平和主義の道があるのだ。歴史を蔑(ないがし)ろにする人間は道を誤る」と。
 なかんずく、平和の世界を築くために、青春時代に正しい歴史観を身につけていくことは、極めて重要です
 哲人大統領が期待してやまなかったのもまた、青年でした。
 「若い人は何でも積極的に取り組み、解決していく力がある」「若い人々は控えめにならず、どしどしものを言ってほしい」
 正しいことをするためには、遠慮などいりません。自らが信じる道を、堂々と歩み抜いていくことが、青春の特権です。

 統一から四半世紀――。今やドイツは、欧州連合(EU)統合の要(かなめ)として、世界から尊敬される大国と輝いています。わがドイツSGIの友も、「欧州は一つ!」を合言葉に、生き生きと社会に貢献してくれています。
 ドイツを訪れると、私は心がほっとします。日本とドイツの国民性に、どこか似ているところがあるからかもしれません。日本が明治維新以降、近代化のモデルにしたのはドイツでした。日本にとってドイツは「大恩の国」なのです。
 さらにドイツは――
 ゲーテやシラーを生んだ「詩心の大国」です。
 ヘーゲルやカントを生んだ「哲学の大国」です。
 バッハやベートーベンを生んだ「音楽の大国」です。
 レントゲンやアインシュタインを生んだ「科学の大国」です。
 人々が無限の可能性を発揮し、偉大な歴史を開いてきた「人間の大国」なのです。
 私は敬愛してやまないドイツの青年たちに、長編詩「君に 『王者の月桂冠』 を」を贈りました。

 「君は 君が思っているよりも
 大きい 深い 広い そして
 君が 君自身となるためには
 内なる生命の大地に
 深く根ざさねばならぬ
 そして 星々の森厳なる
 調和の軌道を仰ぎ
 永遠にして 『妙』 なる宇宙の法を
 生涯かけて 探求することだ」

 青春そして人生は、自分自身の生命を大きく開きゆく旅です。一粒一粒の努力の汗によって偉大な勝利の流れを創りゆく冒険です。
 大河は、太陽の光をたっぷりと浴びて輝きながら、人々を癒(い)やし、大地を潤(うるお)し、堂々と大海へと注ぎ込んでいきます。
 その流れのように、たゆみなき向上の日々を送りゆこう!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ヴァイツゼッカー統一ドイツ初代大統領の言葉は、 『荒れ野の40年――ヴァイツゼッカー大統領演説全文』 永井清彦訳(岩波ブックレット)。
                 2014年12月1日付「未来ジャーナル」より



【社会の情勢】 

◆ 東証、一時1万8千円台に 円安輸出関連株が好感
◆  GDP改定値1・9%減 設備投資や個人消費低迷 7~9月期
◆ 米英初参加、核廃絶を議論 非人道性会議が開幕
◆ 日欧EPA交渉始まる EU、輸出障壁の改善要求
◆  ノーベル賞3氏が記念講演 青色LED開発の苦労語る

2014/12/10(水)の聖教

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2014/12/10(水)の聖教


1、若き力で核兵器なき世界を SGIオーストリア訪問団 国際会議で500万署名達成を発表

政府間会議に先立ち市民社会の声を届ける

 【ウィーン7日】SGI(創価学会インタナショナル)オーストリア訪問団は6、7日(現地時間)、ウィーン市内で開催されたICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)主催の「市民社会フォーラム」に出席。6日午後4時過ぎから行われた全体会で、日本の青年部が取り組んだ核兵器廃絶を求める署名が500万人を超えたことを発表し、団長の寺崎創価学会平和委員会議長が署名の目録をマーシャル諸島共和国のトニー・デブルム外相に手渡した。7日午後0時半からの分科会では、SGI青年部の代表が、各国の核兵器廃絶への取り組みなどを紹介した。

 全体会で講演を終えたデブルム外相が、演壇を離れようとしたその時だった。
 司会から「本日は、大きなサプライズがあります。本年、日本の創価学会の青年が500万人を超える核兵器廃絶署名を達成しました!」とアナウンスが流れた。
 驚きの表情を浮かべる外相。登壇した寺崎議長が「青年たちの心を託す思いで、ご報告させていただきます」と述べ、目録を手渡すと、万雷の拍手が会場を包んだ。
 明年は広島・長崎の被爆70年であり、4・5月には、アメリカ・ニューヨークの国連本部でNPT(核拡散防止条約)再検討会議が開催される。
 節目の年に向けて、青年部は本年、池田SGI会長の平和闘争の精神を受け継ぐべく、核兵器廃絶などを柱とする「SOKAグローバルアクション」をスタート。
 被爆体験を聞く集いを全国各地で40回以上にわたり実施したほか、被爆前の広島の爆心地の復元映像を上映するなど、核兵器のない世界実現への潮流を確かなものとするために、全国で草の根の活動を展開してきた。

青年部が実施した核兵器廃絶署名
橋元青年部長が談話
平和求める青年の声を国際社会の潮流に

 平和とは、忘却との戦いであります。
 日本の被爆者手帳を持つ方の平均年齢は79歳を超えました。
 戦争と原爆を身をもって知る世代が高齢となり、その悲惨さをじかに伝え聞く機会は、年々、失われつつあります。
 核兵器廃絶に向けて今、私たちが取り組むべき課題は、国境や信条を超えた連帯の構築とともに、いかに戦争・被爆体験の風化を防ぎ、継承していくかということです。
 青年部では本年、「SOKAグローバルアクション」と題する平和運動を展開し、特に若い世代の意識啓発に取り組んできました。年頭から、被爆・戦争体験を聞く「平和の誓い」フォーラムを各地で推進。そして7月からは、核兵器廃絶の署名を通じた対話運動を開始しました。
 核兵器の非人道性を学んだ若者たちが、友人と平和の語らいを重ねる姿が、全国で見られました。対話の裾野が広がる中で、“国際社会の現実がどうあれ、核兵器は廃絶されなければならない”という強い思いを、日本の青年が共有していることが、あらためて分かりました。
 本年3月に青年部の代表としてアメリカを訪問した際、国連軍縮室のスタッフの方が語っていました。
 「核兵器というと、一般には難しく、なかなか関心を持ってもらえません。しかしSGIでは一般の人、特に青年が関心を持ち、主体者となって行動している。大変に素晴らしいことです」と。
 池田先生は世界青年核廃絶サミットの開催を提唱するなど、一貫して青年に期待し、見守ってくださっています。そうした師の心を胸に、世界の青年たちと手を携えながら、今後も核兵器廃絶を望む青年の声を国際社会に訴え続けていきます。



2、青年を先頭に躍進! タイで平和の集い

   青年を先頭に、平和と友情のスクラムを広げゆくタイ創価学会の集いが、11・18「創価学会創立の日」を記念してバンコク近郊のタイ本部で盛大に行われた(11月16日)。
 プリパーク青年部長のあいさつの後、音楽隊、鼓笛隊が祝賀演奏や華麗な演技を披露。
 バンコク第7総合本部のキエンタレー地区の代表が、座談会を軸に対話が大きく進む模様を報告した。
 ポーンチャイ壮年部長、ウサニー婦人部長、ブンラット男子部長、ウィーラワン女子部長が、明「世界広布新時代 躍進の年」へ朗らかに前進をと呼び掛けた。
 ソムサック議長は、一人一人が自身の人間革命に挑戦し、友の幸福のために尽くそうと語った。



3、わが友に贈る

 愛する関西よ
 師弟誓願の団結固く
 いざや大前進だ!
 わが誉れの錦州城に
 常勝の旗よ輝け!



4、名字の言  言葉の言い換えを勧めている。「忙しい」は「充実している」と、自らを励ますように。

 年の瀬の慌ただしい中、つい「忙しい」と口にしがちだ。しかし、外資系企業のトップを歴任した新将命氏は、積極的な言葉への言い換えを勧めている。「忙しい」は「充実している」と、自らを励ますように▼他にもある。うまくいかない↓成功の途中だ。嫌い↓魅力を発見しよう。時間がない↓時間をつくろう。疲れた↓よくがんばった。氏はこのことを、近著『世界標準のNEMAWASHIの技術』(CCCメディアハウス)で強調している▼悪いイメージのある日本的な「根回し」。だが、対話による合意形成の意味では評価すべきで、氏はこれも、「NEMAWASHI」と表現の転換を試み、世界で通じるコミュニケーション能力を磨こう、と同書で訴えている▼苦悩から歓喜へ。宿命を使命に。救われる人から民衆を救う人に――仏法は言葉だけでなく、自行化他の唱題を根本に、実際に人生の転換を成し遂げていく大法である。それも遠い未来ではなく「今」「ここ」から勝利の実証を、と教えている▼仏法はまた、この世界の大転換を促す「立正安国」の哲理である。21世紀も、間もなく15年目を迎える。私たちには、対話の力で友を励まし、ともどもに平和の世紀への潮流を確かなものにしていく偉大な使命がある。(杏)



5、寸鉄
 

★  池田先生は思想の壁越え友好結ぶ手本―中国学者 歴史を開く対話を我らも

★ 北海道の岩見沢・滝川・深川・留萌よ、もう一歩だ。断固、執念で攻め勝て!

★ 東京・山梨が果敢なる拡大! 本陣の勇者の真価見せよ。最後まで語り抜け

★ きょう「世界人権デー」 生命尊厳と万人平等の哲学が柱。皆が輝く社会へ

★ 各地で火災が多発! 火の元を確認また確認。互いに声掛け油断の火を消せ



6、響き合う魂 SGI会長の対話録 第52回 中国の「人民の母」 鄧頴超夫人


私は負けない。理想があるから
私は幸福。戦い続けられるから   


 
「実は、お答えしにくい質問です。思い出すと涙が込み上げてくるからです」
 感傷を嫌う池田SGI会長が「涙」という言葉を口にした。
 夫・周恩来総理の無二の同志であり、「人民の母」と慕われた鄧頴超夫人との最後の語らいについて、2003年4月、中国目中央文献研究室のインタビューを受けた時のことである。
 1990年5月28日、SGI会長夫妻は、北京の夫人の自宅を訪ねた。入院し、車いすが必要だった夫人が、総理と31年暮らした場所にわざわざ戻り、玄関に立って2人を待っていた。当時86歳。8度目の会見だが、夫人にもSGI会長にも、これが別れになるという予感が、胸の奥深くにあったに違いない。
 SGI会長は、インタビューへの答えを続けた。
 「鄧先生は、日本を心から愛し、私どもを心から大切にしてくださった――」

                                    

 世界の指導者の中でも、周総理夫妻と結んだ友誼が格別であることを、SGI会長は何度も語り、書いてきた。
 総理との一期一会の出会いは74年12月5日にさかのぼる。
  既に全身をがんに侵されていた総理は、入院中の305病院で、SGI会長夫妻を迎えた。
 病状の重さから、医師団が反対する中、会見を後押ししたのは鄧夫人の一言だった。
 “中日友好の恩人である池田会長と会う”という総理の意志が固く、翻意は難しいと見た医師団から説得を頼まれると、夫人はこう返したという。「命を縮めても会わなければならない人がいる。それが、今です」
  鄧夫人とSGI会長夫妻の初会見は、78年㋈17日。北京の人民大会堂である。総理の逝去から、2年半がたっていた。
 夫人は真っ先に言った。「私は来年、『桜が満開のころ』に日本に行きたいと思います」
 それは、SGI会長と周総理の「会話の続き」だった。
 「50年前、桜の咲くころに、
私は日本を発ちました…」
  曽遊(そうゆう)の地・日本への思いを語った総理。来日を期待するSGI会長に、こう続けた。「願望はありますが、無理でしょう」
 夫人の言葉は、その総理の願いを、私が代わりに果たしますよ、という意味である。
 翌79年4月12日、“総理の分身”は東京の迎賓館で、SGI会長夫妻と再会した。
 春嵐に散った東京の桜の代わりに、SGI会長は、東北の八重桜を届けた。創価大学の「周桜」「周夫婦桜」の写真もアルバムに収め、手渡した。
 鄧夫人は「私たちは家族です」といい、「時間が許せば、池田先生の自宅にお伺いしたかった」と、ほほ笑んだ。その笑顔が真剣な表情に変わったのは、SGI会長が、第3代会長を退く決心を告げた時である。
 「いけません。まだまだ若すぎます。何より、あなたには人民の支持があります。一歩も引いてはいけません」
 革命の河を渡り、長征の剣難の峰を越え、文化大革命の謀略の嵐をしのいだ。総理と「生命の不息、戦闘不止(生命の続く限り、戦いを続ける)」誓い合った。その夫人だからこその、真実と正義の声だった。

                                          

  「前も敵でした。後ろも敵でした。毎日毎日が、そうでした。何年間、何十年間、そうでした。私たちは戦いました」。鄧夫人が、SGI会長夫妻に語ったことがある。
 革命の中、仲間を鼓舞した。「私たちは革命という信念があり、理想があるのよ。絶対負けない。恐れたら負けよ」
 80歳にして言った。「私たちは幸福です。生き抜いて、戦い続けることができるのですから」
 私利私欲など眼中にない。「全心全意、人民に奉仕する」が総理夫妻の約束であった。
 SGI会長夫妻が2度訪れた北京の自宅も、厳格なまでに質素なたたずまいであった。華やぎを与えるものといえば、庭に咲く海棠(かいどう)の花ばかりである。
そんな夫人が、90年の最後の会見で切り出すのである。
 「私は、生前の総理の池田先生への心情をよく知っておりますので…。これをご覧になって総理を偲んでください。先生と総理の友情の形見として」
 総理愛用の象牙のペーパーナイフと、夫人愛用の玉製の筆立てが、その場で贈られた。
  SGI会長は言った。「周総理の“魂”を頂いたと思います」「日中の友好は私の信念です。全力を尽くして進みます」
 SGI会長夫妻の車を、鄧夫人は、両脇を抱えられ、玄関の外まで出て見送った。SGI会長は車を降り、何度も手を振って、別れを告げた。

 時は去り時は巡り
 現(うつ)し世に移ろいあれど
  縁の桜は輝きまして
  友好の万代なるを語り継げり
  年年歳歳花開くとき
 人々称(たた)えん
  人民の総理と
 人民の母の誉れの生を――

  SGI会長が夫人に贈った長編詩「縁の桜」。それをもとに作られた曲「桜花の縁」は、中国賓客が来訪するたび、創価大学の「周桜」の前で歌われるる
 11月に訪れた中国青年代表団も、今月4日に訪れた紹興周恩来記念館の一行も、学生の歌を聞き、感動を新たにした。
  「私の心は老いません。もっともっと人民に奉仕したいのです」――鄧夫人の誓いは、SGI会長の誓いと一つになって、青年の心に呼び掛け続ける。



7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」 (20)

  東北が生んだ文豪・高山樗牛は叫んだ。
 「君、歌へ、大に歌へ。理想を歌ひ、人道を愛し、進歩を信じ、無窮に進む、是れ詩人たる君が天職也」(注)と。
 七月八日付の「聖教新聞」には、壮年部の新部歌「人生の旅」の歌詞と楽譜が紹介された。山本伸一が、八月二十四日の「部の日」をめざして進む壮年部の奮闘を期待し、部歌を作詞作曲して贈ったのである。
  

 一、彼の峰も あの坂も
   ああ幾山河 妻子と共に
   光求めて 苦楽を越えて
   いざや来たらんや 暁仰げば
  
 二、あの風も この雪も
   ああ幾歳か たどりたる
   今に厳たり この生命
   ああ鐘は鳴る 幸の城には
  
 三、彼の人も あの友も
   ああ幾百万 旭日に揃わなん
   元初の炎は 消えるなく
   讃え謳わなん 誉れの門出と
  

 壮年は、一家の大黒柱である。社会の黄金柱である。人生経験が豊富で、社会の信頼を勝ち取ってきた壮年が、地域建設に立ち上がる時、広宣流布は大きく加速していく。
 日蓮大聖人御在世当時を見ても、富木常忍、大田乗明、曾谷教信らの壮年信徒が、門下の中心となり、地域広布を担ってきた。
 壮年が、率先垂範で広宣流布を推進していってこそ、学会の重厚な力が発揮され、社会に深く根差した運動を展開していくことができるのだ。たとえば、学会の最前線組織である各ブロックに壮年の精鋭五人が集い、団結のスクラムを築くならば、地域を支える堅固な新しい柱が立つ。その柱が林立すれば、地域社会に、未来を開く創造と励ましのネットワークを広げることができよう。
 壮年の力で、足下から幸の園を開くのだ。



8、社説  きょう「世界人権デー」 一人一人が輝く励ましの世界を

  「文明の程度は、それが弱い人、頼るところのない人をどのように尊重しているかによって測られるのです」とは、平和運動家としても著名なノーベル文学賞作家パール・バックの言葉である。わが国の“文明の程度”は、いかほどのものだろうか……。
 きょうは「世界人権デー」。1948年12月10日、第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択されたことに由来する。その翌年、日本では毎年12月4日から10日までを「人権週間」と定め、啓発活動を続けてきた。
 今年の人権週間では、17の強調事項が掲げられた。そこには女性や子ども、外国人らの尊重とともに、「アイヌの人々に対する理解を深めよう」「刑を終えて出所した人に対する偏見をなくそう」「性的指向を理由とする差別をなくそう」などもあった。これらの項目だけを見ても、現代の日本社会が抱える人権問題がいかに多様で課題も多いか、よく分かる。
 先述のパール・バックがいろいろな社会活動を推進していったのは、自身が、知的障がいのある娘を抱えて奮闘した一人の母だったからに他ならない。
 いわゆる“社会的弱者”である障がい児などを、真に守り、支え、育んでいくことがどれほど大変か。彼女は、直面する試練も、忍耐も悲哀も熟知していた故に、「他の人たちがこのようなことで苦しむことのないように、わたしのできることならなんでもしよう」(伊藤隆二訳)と戦った。彼女の苦闘と超克の体験は名著『母よ嘆くなかれ』に詳しい。
 かつて池田名誉会長も、『法華経の智慧』の中で、その内容に触れつつ、永遠に“民衆のために”戦い抜いていく学会の在り方について語っている。
 名誉会長は、日蓮大聖人が自ら「旃陀羅が子」(御書891ページ)と宣言され、大迫害を受けながらも“差別する人間たち”との人権闘争を展開したことを紹介。さらに、人間が人間らしく助け合い、幸福に生きていくための社会と平和を実現していく上で、「その根本が、法華経の真髄である日蓮仏法の『不軽の精神』です。『一人の人を徹底的に大切にしていく』哲学です」と強調した。
 悩める人がいれば駆け付け、寄り添い、励ます。この学会員の日常こそ「常不軽菩薩」――“常に人を軽んじない菩薩”の生き方だ。それがそのまま「軽慢」「暴力」といった反人権との激闘となる。わが国の“文明化”のためにも私たちは喜び勇んで使命の道を走ろう。



9、きょうの発心 御義口伝、790㌻ 【使命の地で後継の人材を育成】

御書 一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり(御義口伝、790ページ・編1636ページ)

通解 一念に億劫の辛労を尽くして、自行化他にわたる実践に励んでいくなら、本来わが身に具わっている仏の生命が瞬間瞬間に現れてくる。いわゆる南無妙法蓮華経は精進行である。. 

 1957年(昭和32年)、家庭の貧しさに悩むなか家族で入会。以来、創価の庭で育まれた私は内気な自分を変えたいと唱題し、高専時代には、近所に住む夫婦を入会に導きました。
 ある日、師弟直結の人材を待望する聖教新聞の見出しが目に留まり、さらに創価大学が創立されることを知り、池田先生のもとで学びたいと決心。就職を望んでいた父を説得し、創大に入学しました。
 学生時代、先生の指導を学ぶなかで、“自分らしく責任と使命を果たせるように”と祈り方に変化が。良き先輩・友人に巡り合い、崇高な哲学をもつ世界に生きていることを実感しました。自身の振る舞いで学会の正しさを示そうと決意。男子部になり、八王子の男子部長、東京牙城会委員長等の大任を拝するたび、この御文を心に刻み、真剣な唱題は仏と同じ力用を引き出すことができると、祈り戦い抜きました。
 今、後継の人材を育てる創大で働く使命に感謝し、ただただ題目根本に仕事と活動に取り組み、広布に精進してまいります。
東京・八王子総区副総区長 佐々木秀勝



【社会の情勢】 

◆ 肥満男性 増加に歯止め 生活習慣、20代など課題  厚労省
◆  受動喫煙の対策望む場所 路上、飲食店 4割超える
◆ 鉄道 体験型施設が続々 関西各社
◆ 原油、5年ぶり安値 下落続く
◆  全国学力テストの学校別成績  5県教委が一部公表 文科省調査

2014/12/11(木)の聖教

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2014/12/11(木)の聖教


1、ボリビア国立ベニ自治大学が決定 池田SGI会長に名誉博士号

 南米・ボリビア多民族国の名門学府である国立ベニ自治大学が、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の世界的な平和、教育への貢献を讃え、「名誉博士号」を授与することを決定した。
 このほど、ルイス・サンブラノ総長が署名した決定通知書が届けられた。
 同大学は、1967年11月18日の創立以来、地域や国家の発展に貢献する、人間性豊かで、かつ優れた技術を習得した人材を数多く輩出してきた。
 メーンキャンパスがある同国北東部のベニ県の県都トリニーダは、雄大なアマゾン川の支流・マモレ川流域に位置。同大学は、沃野での農業や牧畜業、環境保全の研究に力を入れてきたことでも知られる。
 現在、8学部に医学、薬学、看護学、工学、法学、経済学、経営学、教育学など25学科が設置され、約1万5000人の学生が学ぶ。
 これまでボリビアSGIは、市民の意識啓発のため、「自然との対話――池田大作写真展」「環境と開発展」「世界の少年少女絵画展」などの展示会を相次いで開催。ボリビア社会に大きな共感を広げてきた。
 こうした活動を通して、SGI会長の哲学と行動が知られるようになり、2002年には国家勲章「シモン・ボリバル市民功労大十字勲章」がSGI会長に叙勲されている。
 昨年6月、同大学でSGIの「女性の世紀――世界の女性とボリビア女性への賛歌」展が開催。女性が輝く社会を築く重要性を訴え続けてきたSGI会長に翌月、同大学から「感謝状」が贈られた。
 今回の名誉博士号の授与は、長年、SGIの活動に注目してきたサンブラノ総長が「わが大学の最高の栄誉を授与すべき」と、自ら同大学の学術評議会に提案したものである。
 決定通知書では、SGI会長が世界市民としての強い責任感で、生命尊厳の哲学を基調とする運動をリードしていることを賞讃。「現代社会において貴殿の『平和の文化』の発展と興隆への貢献が、ますます重要となっていくことは間違いありません」と記されている。



2、御書とともに Ⅱ 名誉会長が指針を贈る 【42】 わが声が広宣の歴史築く

御書 言(ことば)というは心の思いを響かして声を顕すを云うなり  (三世諸仏総勘文教相廃立、563㌻)

通解 言葉というのは心の思いを響かせて、声に表したものを言うのである。

【同志への指針】

  私たちの肉声が広宣流布を開拓する。
 友を励ます慈愛の声、正義を訴え切る信念の声、無明の迷いを晴らす確信の声――我らの日々の対話こそ、間を打ち破り、妙法の力を社会に漲(みなぎ)らせていく、偉大な「仏事」すなわち「仏の仕事」なのだ。
 真剣と真心から初する誠実な言葉の響きは、必ず相手の生命に届く。勇気凛々(りんりん)と、広布と人生の凱歌を轟かせよう!



3、わが友に贈る

 自分に勝つことが
 全ての勝利の根本だ。
 今という瞬間を
 今日という一日を
 悔いなく生き抜け!



4、名字の言  論理とは別の次元で、「絶対」と心に決めることから、生まれるものがある。

  ある人が乗った高級車ロールスロイスのシャフト(回転軸)が、砂漠の真ん中で折れてしまった。困って本社に電話したところ、ヘリコプターでシャフトを取り換えに来てくれた。その後、1年以上たっても請求書が来ないので、再び問い合わせてみた。応対した事務員は答えた。「何かのお間違いじゃございませんか? わがロールスロイスのシャフトは絶対に折れません」。この誇りと潔さが大好きだと、作家のつかこうへい氏が述べていた(『殺し文句の研究』読売新聞社)▼物事に「絶対」はない。しかし、論理とは別の次元で、「絶対」と心に決めることから、生まれるものがある▼放射線治療に携わるドクター部の壮年が、自分の体に腫瘍を見つけた。“この状態から見て、生存率は……”と、データが頭を巡る。だが、「絶対に大丈夫!」と同志に肩をたたかれ、動揺が消えた。闘う決意が固まり、病を乗り越えた▼夫を亡くし、娘がうつ病を患った婦人部員。「多宝会」の先輩に苦しい思いを打ち明けた。「題目で、絶対に乗り越えられる!」。何度も聞いた言葉だが、あらためて断言されることで、前を向くことができ、人生が開けた▼「あるか、ないか」ではない。絶対に勝つ――そう定めた心が現実を動かしていく。(洋)



5、寸鉄
 

★  広布とは万人の幸福を勝ち取る人権闘争―恩師。立正安国の大理想へ邁進

★ 茨城「つくば」が猛追! 持ち前の勇気と粘りで。逆転勝利の大金字塔を。

★ 愛知・三重・岐阜の友よ 正念場だ。師子王の闘魂を滾らせ敢然と競り勝て

★ さあ「壮年部」の出番! 豊かな経験・確信・信頼こそ模範。凱旋将軍たれ

★ 置き引き・ひったくりに要注意。貴重品等は肌身離さず。警戒心緩めるな



6、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (21)

  山本伸一は、二十一世紀を見つめていた。
 日本人の平均寿命は、年々延びている。それにともない、学会員の男性の場合、男子部よりも、壮年部として活動する期間がますます長くなっていく。やがては、壮年部歴四十年、五十年という時代も来るにちがいない。
 つまり、人生の半分以上を壮年部員として活動することになるのだ。そして、そのなかで、定年後は、多くの人たちにとって、地域が一切の活動の舞台となる。
 伸一は、壮年部が地域に積極的に関わり、活躍する時こそ、地域広布の総仕上げの時代であると考えていた。
 学会にあっては、草創の時代から、地域での活動の推進力は、主に婦人であった。家事や育児などに追われながら、学会活動に励むとともに、隣近所のために心を尽くし、交流を重ね、地域に信頼の基盤を広げてきた。
 しかし、二十一世紀には、いよいよ壮年部が、本格的に地域へ躍り出る時代が到来するのだ。壮年の力で、学会の盤石な組織を築き上げ、さらに、地域社会のかかえるさまざまな問題の解決にも真っ向から取り組み、わが地域に人間共和の城を築き上げていくのだ。
 かつては、定年後の生活を“余生”ととらえる人が多かった。しかし、これからは、長年培ってきた力をもって、地域に、希望を、活力を与える“与生”であらねばならない。
 仏法即社会であり、地域広布即地域貢献である。一人ひとりが、地域のため、人びとのために、何ができるかを考え、果敢に貢献の行動を起こしていくなかに、幸せの拡大があり、広宣流布の建設もあるのだ。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書七五八ページ)
 人びとが苦しむ問題があれば、それをわが苦ととらえ、その解決のために奮闘していくのが、仏法者の生き方といえる。
 壮年が、その使命を自覚し、地域建設の中核となり、推進力となっていってこそ、わが地域の建設も、繁栄も、勝利もある。



7、座談会   世界広布新時代の旭日 (101) 執念とは諦めない忍耐力

「いまだこりず候」――攻めて攻め抜け!  

公明が「軽減税率」実現へ

 橋元 社会に真実の正義を訴えた「立正安国論」の提出以来、日蓮大聖人の御一生は、大難に次ぐ大難の連続でした。

 竹岡 竜の口の法難、佐渡流罪など、それは命にも及びました。しかし、御本仏は微動だにされませんでした。一切の魔軍を「せめ返し」「押し返し」「打ち返し」ていかれたのです。

 吉井 大聖人は厳然と仰せです。「此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候」(御書1056ページ)と。

 原田 池田先生は、この御文について、「『いまだこりず候』――ここに、日蓮仏法の真髄の負けじ魂がある。正義の魂は絶対にこりない。魔王の方が『こりた』と音をあげるまで、攻めて攻めて攻め抜くのだ」と言われています。

 橋元 さらに、“この御金言には、天をも焦がさんばかりの、燃え立つ執念の炎がある。それが、広宣流布の勝負を決する力だ”とも語られています。

 正木 広布の決戦の時には、岩盤に爪を立ててでも険難の峰を登攀する、飽くなき「執念」が不可欠です。

 原田 「執念」とは、諦めることなく突き進む忍耐力であり、粘り強さです。最後の最後まで、ますます闘魂を燃え上がらせて戦う敢闘精神です。何ものも恐れぬ勇気です。

 杉本 真実を語り抜くのは並大抵のことではありません。それには、「砂漠に水を撒くような執念が必要だ。右を撒くうちに左は乾き、左を撒くと右が乾いてしまう。でも、根気よく撒き続けることだ。また、岩を砕く波のように、何度も、何度も、粘り強く繰り返すことだ。忍耐がなければ、人の認識を変えることはできない」とも先生は教えてくださっています。

 正木 時は瞬く間に過ぎ去ってしまいます。広布の舞台に躍り出て、戦うべき時を逸してはいけません。

 原田 今生の最高の思い出となり、財産となるのは、自身の生命に刻んだ行動の歴史です。さあ、世界広布新時代の誓いに燃え、「常勝の道」「誓願の道」「師弟の道」を、朗らかに進みゆこう!

すでに各国で定着

 竹岡 いよいよ衆院選の投票日が目前に迫りました。今回、公明党は、「軽減税率」の導入、消費税率引き上げの延期、さらなる経済再生の推進を、提案の柱にしています。

 吉井 特に、「軽減税率」は国民生活に大きな影響を与える政策だからこそ、その必要性を重ねて訴えていますね。

 橋元 「軽減税率」を一貫して主張しているのは、公明党しかありません。公明党が躍進しなければ、この政策が実現されることもないのです。

 竹岡 各紙の社説でも取り上げられるようになり、毎日新聞(7日付)は、2017年4月の消費税引き上げと同時に軽減税率を導入することが「不可欠」と書いています。

 杉本 友人と語り合っていても、多くの人が納得してくれる政策です。

 原田 少子高齢化が急速に進む中で、社会保障を守り抜くために、その財源として消費税率を引き上げることは避けて通れないかもしれません。しかし、食料品などの生活必需品の税率を低く抑えることで生活者への負担は軽減されます。

 杉本 世論調査では8割の人が導入に賛成し、すでにヨーロッパなど世界各国でも長年、定着している政策です。

 原田 自民・公明の与党協議で、導入を「めざす」ところまでは決まりました。いまこそ、軽減税率実現へ――公約通り、公明党は力の限り走り抜いてもらいたい。

学校耐震化を推進

 吉井 それ以外にも、公明党には多くのアピールポイントがあります。その一つが、「学校耐震化率100%」の取り組みです。

 杉本 2002年の段階では、44・5%と低迷していた耐震化率が、来年度で、ほぼ100%へと飛躍的に向上するのは、ひとえに公明党の力です。

 吉井 災害時の避難所ともなる公立の小・中学校の耐震化は「災害に強い国づくり」に向けて重要です。

 杉本 発生から3年9カ月がたった東日本大震災においても、公明党は復興へ力を尽くしています。

 正木 定期的に仮設住宅へのアンケートを行い、県に要望するなど、現場に即した粘り強い取り組みを続け、村井嘉浩・宮城県知事は「地道なアンケート活動を継続しているのは公明党だけ」と評価しています。

 橋元 さらに除染を実施し、18歳以下の子どもたちの医療費無料化につながる県民健康管理基金、県の復興財源の基盤となった復興基金などを成立させた、福島県の内堀雅雄知事は「公明党の支えがなければ復興は進まなかった」との言葉を寄せています。

 竹岡 公明党は、40人を超える国会議員が、福島県の双葉郡8町村を含む被災3県に密着。地元議員と密接に連携を取りながら、被災地に今、必要なことを即座に吸い上げています。

 正木 復興の第一歩となる、がれきの処理が、ほぼ終わり、今後は住宅再建、まちづくり、被災者のケアなどが課題となります。

 原田 被災地と被災者に寄り添い続け、「人間の復興」を成し遂げられるのは、綱領に「人間主義」の哲学を掲げる公明党しかない。「大衆とともに」と立ち上がった結党から50年。公明党は今回の選挙を断じて勝ち抜いてほしい。 



8、社説  寒さや雪・凍結に注意を 「無冠の友」の絶対無事故を祈る

 12月に入り、真冬並みの寒気が列島に押し寄せる。本紙の配達をしてくださる「無冠の友」にとって、厳しい寒さとの戦いの時期となった。
 日の出の時刻が遅いことも冬の特徴だ。夏なら既に明るい空も、冬の同じ時刻はまだ真っ暗。路面が凍結して足元が悪い箇所も……。「無冠の友」は、日々、広布のため、はつらつと地域を駆ける。
 配達員の苦労は多い。毎月、進展・変化する配達先の確認。集金に回る苦労。配達を終え、帰宅して家族の食事を作る、慌ただしい朝のひととき。雨の日、雪の日――大切な「広布の便り」を濡らさないように、と懸命に工夫を重ねる姿には胸を打たれる。
 奮闘する「無冠の友」にとって、最も肝心なことは無事故。広布と社会の第一線を走る中、疲れがたまらないよう、配達・集金中の事故やケガなどがないよう、周囲も真剣に祈り、配慮を心掛けたい。
 各地の配達員会でも、地域の実情を踏まえた注意の呼び掛けが行われた。
 北海道のある地域。降雪時には普段より30分早く起き、十分な準備と心の余裕をもって配ることを確認。路面の状況によって配達ルートを変えること、階段の凍った所では一段一段、足元を確かめながら上り下りすることなども話し合われた。徒歩や自転車での配達には、支給された反射材の活用が有効とも。
 坂道が多い中国地方の一地域では、靴に装着する滑り止めの活用が話題に。山道では動物などの不意な飛び出しに備えて車やバイクのスピードを落とすこと、地域の防災マップを広げて崖崩れや土石流の危険箇所も確認し合った。
 事故は時に、予想もしない要因から起こる。注意すべき諸点に留意し、「事故は絶対起こさない」との強い一念と、細心の注意を怠らないことが何よりも大切だ。
 自身も新聞配達の経験を持つ池田名誉会長は「無冠の友」に心からの励ましを送ってきた。「『一日』の始まりに、誰よりも早く広宣流布を担い立ち、朝日と一緒に力強く行動されゆく皆さまは、日々、新たな人生の勝利劇を誰よりも深く刻んでおられる方々です」と。
 明年は販売店・配達員制度の発足から60周年。広布に率先する活動が幾重にも織りなされて、今日の学会は築かれた。「無冠の友」は、その先頭を走るランナーだ。尊き同志を守るため、私たちも日々、絶対無事故を祈っていきたい。



9、きょうの発心 (四条金吾殿御返事、1143ページ ㌻ 【広布の電源地から勝利開く!】

御書 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ(四条金吾殿御返事、1143ページ・編880ページ)

通解 苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。. 

 いかなる時も唱題し抜いていくことこそ最高の幸せである、との仰せです。

 1983年(昭和58年)3月、兵庫池田講堂(現・西宮平和講堂)で行われた兵庫県代表幹部会に役員として着任しました。会合終了後、池田先生が役員を呼び、“大楠公”をピアノで弾いて激励してくださったのです。生涯、師と共に、広布に邁進することを誓いました。
 その後、結婚し、3人の子を出産。次男の学校でのトラブルや長男と長女の進路の問題など、さまざまなことがありました。
 あるとき、先輩から「苦楽全てを御本尊にぶつけるように祈るのよ」と激励され、何かあればすぐに唱題するように。活動にも一歩も引かず取り組みました。
 次男は今年、創価班大学校に入校し、4人の友に弘教を達成。10月の全国男子部幹部会には、合唱メンバーとして出演も。真剣に“大楠公”を合唱する次男に感動しました。長男や長女も、後継の道を真っすぐに歩んでいます。
 祈りを根本に、「広布の電源地」の誇りも高く、新しき勝利の歴史を開いてまいります。
兵庫・尼崎王者県総合婦人部長 古川富士枝



【社会の情勢】
 

◆ 特定秘密保護法が施行 運用基準、監視機関を整備 政府
◆  大企業 景況感プラス 財務省「景気は緩やかに回復」 10~12月期
◆ 核兵器廃絶強く求める 非人道性国際会議が閉幕
◆ 被害者に「身隠す場」を  ストーカー対策広がる 公営住宅提供など

2014/12/12(金)の聖教

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2014/12/12(金)の聖教



1、第3回核兵器の非人道性会議 市民社会の代表としてSGIが出席

  【ウィーン9日】オーストリア政府が主催する第3回「核兵器の非人道性に関する国際会議」が8、9の両日(現地時間)、ウィーン市内のホーフブルク宮殿で開催された。世界158カ国の政府代表団をはじめ、国連、国際機関、NGO(非政府組織)などが参加した同会議には、市民社会の一員として招聘を受けたSGI(創価学会インタナショナル)のオーストリア訪問団が出席。同訪問団は2日目に行われた一般討論の席上、核兵器廃絶を求める宗教コミュニティーを代表して、宗教間会議(本紙9日付既報)に基づいて起草された共同声明を発表した。

              

 「核兵器の非人道的影響を懸念する宗教コミュニティーを代表して申し上げます」 荘厳な会議場に、SGI代表の凜とした声が響く。「政治指導者の皆さん、勇気を奮い起こしてください。人類社会の存続を阻み、共通の未来を脅かす、不信の連鎖を断ち切ろうではありませんか。核兵器の廃絶は倫理的必然であるのみならず、種としての人類の真価が問われる問題なのです」
 同声明は、6日にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)主催の市民社会フォーラムの中で行われた「宗教間会議」に基づいて起草されたもの。同会議のパネリストであるアケミ・ヘイニー氏(仏教〈SGI〉)、ムスタファ・チェリッチ氏(イスラム)、エラ・ガンジー氏(ヒンズー教)、ジョナサン・フレリックス氏(キリスト教)、クリストファー・ウィラマントリー氏(同)の連名となっている。
 声明は①核兵器の非人道性、非道徳性、危険性を語り継いでいく②廃絶は倫理的必然であることを広めるために、幅広く対話を重ねていく③世界の被爆者たちの声を心に刻み、耳を傾けるよう訴えていく④禁止への行動を促すべく、非人道性の議論等を広く活用できるよう国際社会と連携を深める⑤非人道性の観点から禁止を求める動きを支援していく、ことを謳っている。
 人道主義を貫く信仰者たちによる共同声明が読み上げられると、共感の拍手が鳴り響いた。核兵器が実際に使用されれば、長期間にわたって、どれほど多くの人々が苦しむのか。こうした「非人道性」の議論は近年、廃絶に向けた見通しが立たない状況を打開すべく、非保有国などが中心となって進められてきた。
 SGIは、核兵器廃絶への声を上げ続ける池田大作SGI会長のリーダーシップのもと、民衆の声を政府間の議論に届けるべく、第1回(ノルウェー)、第2回(メキシコ)と「核兵器の非人道性に関する国際会議」に出席してきた。第3回となる今回の会議は、被爆70年の明年を目前に「私たちはもうこれ以上待てない」(被爆者のサーロー節子さん)との声が高まる中、核兵器保有国である米国と英国が初めて参加するなど世界的な注目を集めた。
 2日間にわたる会議は、開幕式、分科会、一般討論、議長総括の順に進められた。2日目の一般討論では、日本の被爆者から始まり、多くの政府代表団・市民社会から、核兵器の禁止に向けた動きを求める声が上がった。議論が終盤に差し掛かった午後6時すぎ、SGIの代表が宗教コミュニティーの共同声明を発表した。
 約100団体の発言が終わり、会場全体が熱気に包まれる中、主催国オーストリアのアレクサンダー・クメント軍縮大使が登壇。議長総括を発表した。
 総括では、多くの代表団が「最終的な核兵器廃絶は、共通の法的枠組みによってなされなければならない」「安全を保障する唯一の方法は、核兵器の完全な廃絶と禁止である」との認識を持っていることが示された。
 回を重ねるごとに参加国も増え、次への期待をはらむ大拍手の中で幕を閉じた会議。この日、クメント軍縮大使は語っていた。
 「今回の会議では、核兵器を規制する法的枠組みの可能性や倫理的観点について有意義な議論ができました。核兵器は人間の生存に対する脅威であり、世界中の市民の声を集約する必要がある。だからこそ、SGIなど市民社会が議論に参加することは、核兵器に関する議論において非常に重要なのです」
 終了後、会場のいたるところで、政府関係者らに交じり、市民社会の代表が真剣に語り合う姿から、少しずつではあるが着実に、核兵器のない世界に向けて国際社会が動き始めている手応えが感じられた。
 核兵器の非人道性に関する国際会議とは 核兵器が及ぼす非人道的な影響を科学的・技術的観点から議論する会議。「核兵器のない世界」の実現に向けた新たなアプローチとして、大きな注目を集める。第1回の会議は昨年3月にノルウェー・オスロで、第2回は本年2月にメキシコ・ナヤリットで開催。SGIの代表は招聘を受け、市民社会の代表として両会議に出席した。



2、新春の箱根駅伝へ 創価大学で壮行会

  新春を彩る大舞台へいざ出陣! 創価大学の箱根駅伝壮行会が11日、東京・八王子市の同大学で行われ、多くの学生・教職員らが参加した。
 奥富学生部長のあいさつ、チアリーディング部「パンサーズ」の演目に続き、山口修平主将が「チームが一丸となって、皆さんに元気を与えられる走りを見せたい」と抱負を。瀬上雄然監督は「たくさんの声援を力に変え、シード権獲得を目指します」と語った。



3、わが友に贈る

 一番苦しい時にこそ
 無量の功徳は積まれる。
 最高の境涯が築かれる。
 満々たる生命力を燃やし
 不撓不屈の大前進を!



4、名字の言  「対話力」とは、突き詰めると「責任感」に帰着する。

  デパートの食品売り場はお歳暮商戦の終盤戦。「破竹の勢いで売りまくる」という店員に話を聞いた。その婦人は現役を退いた身ながら、68歳の今も、この季節になると声が掛かる。現役時代、47カ月連続で前年度の売り上げを超える驚異的な結果を出した。表彰も数えきれない▼その秘訣は、客の心を一瞬で見抜く「対話力」だ。贈り先は親戚か、友人か、会社のお得意さまか。相手に合った品を、ほんの「一言」から見極める。さらに「今いる場所で勝つ」心構えが婦人の持ち味▼毎朝の勤行で一日の目標を掲げる。「達成したい、ではなく『必ず達成してみせる』という祈りが根本です」。また、自分を顧みず同志の悩みに寄り添う学会の〝励ましの文化〟の中で、客と一緒に喜べる自分を培ったという▼「対話力」とは、突き詰めると「責任感」に帰着する。〝どうしてそんなに人の心をつかめるのか〟。そう聞かれたとき、池田名誉会長の答えは一貫している。「それは真剣だからです」。今しかない、この人を幸せにするのは自分しかないと心を決めることから、知恵は生まれる▼「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(御書790㌻)と。瞬間、瞬間を真剣勝負で、心を結ぶ対話に走り抜こう。(満)



5、寸鉄
 

★ 核廃絶会議でSGIが市民社会代表し発表。平和世紀へ強き連帯、世界に

★ 三代城・北海道が鮮烈な反転攻勢!友の勝利を皆が祈る。栄冠つかみ取れ

★ 埼玉・茨城・群馬・栃木が団結光る奮闘。勝ってこそ正義!全力で押し切れ

★ 現金の「送付型」詐欺が急増。「レターパック、宅配便で送れ」は全てウソ

★ 保育施設の定員、5万人不足の見通しに。公明よ待機児童0へ知恵尽くせ



6、地平線を越えて SGI会長との心の絆  ネパール㊥ 地域から励ましの力を世界へ

  仏教の創始者である釈尊は、ネパール西部の村・ルンピニで生まれた。このことを、同国の人々は大きな誇りとしている。
  1995年、ネパールを訪問した池田SGI会長は、名門トリブバン大学の卒業生への学位授与式で「人間主義の最高峰を仰ぎ見て──現代に生きる釈尊」と題して講演した。11月2日のことである。
 講演は、釈尊が残した精神的遺産を、「智慧」と「慈悲」の二つの角度から考察した内容だった。当時の大学副総長は、こう感想を述べた。
 「素晴らしい講演でした。釈尊を語る人はいても、釈尊を実践する人はいません。SGI会長は、平和と人間主義という釈尊のメッセージを、今、この場で学生たちに教えてくださいました。

                                      ☆☆☆

 ナビン・マナンダールさん(副壮年部長)は、トリブバン大学の出身。「池田先生が母校で講演されたことが本当にうれしく、誇らしい気持ちでした」と述懐する。
 民衆に語り掛け、民衆と共に生きた釈尊。その精神は日蓮仏法に生き生きと脈動し、SGI会長の振る舞いに現われていると感じた。
  会長の滞在中、彼は役員として諸行事の運営を支えた。その中で、一人一人に気さくに声を掛け、陰で奮闘する友を見つけては労をねぎらう、師の姿を目の当たりにしたのである。
 「世界的な指導者でありながら、先生は少しも偉ぶらず、人間味にあふれていました。『目の前の人を、励まさずにはいられない』という、師の思いを知りました」。マナンダールさんは語る。
 98年、彼は友人の車に乗っていた時に事故に遭う。命を落としてもおかしくない大事故だったが、ギリギリのところで助かり、ケガから回復することができた。
 その時に拝した御書が、「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(986㌻)との一節だ。「御本尊に守られた命だ。わが人生を広宣流布に捧げよう」と心が定まった。
 その後、創価班の委員長、男子部長、青年部長などを歴任。あの時の師のように、一対一の対話を重ねながら、悩める友の輪の中に飛び込み、人材育成に励んできた。

                                     ☆☆☆

  講演の翌3日、トリブバン大学から池田SGI会長への「名誉文学博士号」の授与式が、同大学の記念ホールで行われた。
 大学首脳が待つキャンパスの広場に、SGI会長を乗せた車が到着する。隊列を組んだ政府の音楽隊が、祝賀の曲を奏で始めた。
 車から降りたSGI会長。真っ先に足を運んだのは、その音楽隊のもとだった。
  驚く音楽隊のメンバー。会長が列の端の青年に近づくと、彼は握手するそぶりを見せたが、すでに演奏は始まり、両手は楽器でふさがっていた。はにかむ青年・・・。ほほえましい光景に、温かな笑いが広がった。
 会長は、胸に手を当てて、深々と敬礼して感謝の意を表した。
 総合婦人部長のビーマ・シンさんは、この場に居合わせた。
 「大学関係者が待つ中で、先生は陰で式典を支える青年を一番最初に激励されたんです。高名な識者に会う時も、先生は変わらない。最大の敬意を持って接しておられます。その姿に心から感動しました」
 シンさんの入会は、この前年の94年。他人と比べ、自分を卑下してしまう性格を変えたいと祈っていた。
  だが、SGI会長との出会いをきっかけに、祈りはより前向きなものに変わっていく。
  今も心に残るのは、カトマンズの「名誉市民称号」授与式(4日)におけるSGI会長の謝辞だ。会長は語った。
 「泥沼のごとき現実の真っただ中で、地道な奉仕の行動を貫き通す『実像の人』にこそ、永遠不滅の『栄光』が輝くのであります。
 なかんずく、身近な郷土を大切にし、再生していくことこそ、一切の原点でありましょう。
  聡明なる民衆が、それぞれの地域に立脚しながら、心のネットワークを世界に広げていくとき、新たな『人道の世紀』が開かれる──。第二次大戦中、平和の信念に殉じ、獄死した私どもの先師・牧口常三郎初代会長の焦点も、ここにありました」
  自分も、人と社会に貢献できる人材になろう!──その思いで、96年、シンさんはカトマンズに幼稚園を開園し、園長に就任した。
 競争が激しい幼稚園教育にあって、仏法の人間主義を育成理念の根本に据え、一人一人の成長と幸福が尊重される環境をつくっていった。その教育方針は評判を呼び、入園希望者が相次いだ。
 彼女が引退した今も、同幼稚園では、未来を担う多くの子どもたちが成長の日々を送っている。

                                      ☆☆☆

  副婦人部長のラクシュミ・バジラチャーリヤさんは、SGI会長と、思いがけない形で出会いを結んだ。
 婦人部のメンバーと共に、SGI会長の滞在先で打ち合わせを終えた直後のこと。エレベーターを下りると、その先に会長の姿があったのだ。
 皆でSGI会長のもとに駆け寄った。
  会長は一人一人を見つめ、「皆さんの真心に感謝します」と語った後、バジラチャーリヤさんに言った。
 「良きお母さん、良き婦人部のリーダになってください」
 その時、彼女は1児の母だった。だが小さな家で、夫・スバルナさんの兄弟の家族と一緒に暮らしており、生活は貧しかった。
 加えて、当時はまだ入会したばかり。
 「『良き母』『良き婦人部のリーダー』からは、程遠い自分でした。でも、絶対に先生の期待に応えようと決めました」とバジラチャーリヤさんは語る。
 その後の人生も、試練の連続だった。
 第2子を授かるも、流産。体は衰弱し、病院で数ヶ月の安静を余儀なくされた。
 唯一の収入源だった夫の事業も、暗礁に乗り上げた。
  だが苦しい時ほど、師からの激励を思い起こした。
  「良き母に」──彼女は家族の世話や家事に、それまで以上に汗を流した。家庭を守ろうと奮闘するその思いに、家族も応え、皆で内職を始めた。やがて経済苦を乗り越えることができた。
 「良きリーダーに」──彼女はその実践として、日々の唱題を根本に弘教に励んだ。そして家族や親戚を含む9人を入会に導いた。
 やがてバジラチャーリヤさんは、2人目の娘を出産した。夫の不動産会社の経営も軌道に乗り、新しい自宅も購入することもできた。
 今。自宅は広布の会場として提供している。大家族が一つとなり、“一家和楽”の信心に励む。
 バジラチャーリヤさんは言う。
 「一番苦しかった時に先生は、母として、リーダーとして成長するのだと、私を励ましてくださいました。師匠への深き感謝を胸に、幸福の連帯をさらに広げていきます」



7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (22)

  七月八日の夕刻、山本伸一は、東京・練馬区の北町地域の支部長・婦人部長、区幹部ら十数人を招いて、港区内で懇談会を行った。
 伸一は、集ったメンバーに、温かい視線を注ぎながら語り始めた。
 「いちばん苦労した人を、いちばん讃え、励ましたいというのが、私の真情であり、信念であります。また、最も苦労し、不幸に泣いてきた人が、最も幸せになれるというのが、仏法です。私は、そうした思いで、北町の皆さんを見守ってきました」
 北町一帯では、三、四年前に、御本尊に不信をいだいた一部の幹部らが、組織を攪乱するという出来事があった。それに翻弄されて、学会を離れていった人もいたのである。
 そのなかでメンバーは、互いに励まし合いながら、試練の嵐を乗り越えてきた。
 そして、この一九七八年(昭和五十三年)一月、広布第二章の支部制発足とともに、希望の大行進を開始したのである。
 伸一は、言葉をついだ。
 「北町の皆さんは、荒れ狂う怒濤に敢然と挑み、障魔を粉砕し、大きな飛躍を遂げられた。弘教も、これまでにないほど、大きく進んでいると伺っております。まさに、見事な変毒為薬の姿であり、諸天諸仏も讃嘆されていることは間違いありません。
 そこで、皆さんを賞讃するために、北町の支部歌を作詞作曲させていただきました。私が作った、全国で、ただ一つの支部歌です」
 参加者の顔が光り、拍手が起こった。
 カセットデッキのスイッチが入れられ、軽快な調べが流れ始めた。
  
 一、あの緑 この天地
   私もあなたも 歩く道
   朝日の功徳を 身にあびて
   共に語らん この広場
  
 伸一は、“子どもからお年寄りまで、自然に皆が口ずさみたくなるような、明るく軽やかなテンポの歌を”と考え、作詞作曲したのだ。
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■語句の解説

 ◎変毒為薬/「毒を変じて薬と為す」と読む。苦しみの生命(毒)が、そのまま幸福の生命(薬)に転ずる、妙法の大功力を表した言葉。



8、社説  仏縁結ぶ一対一の対話 自身の思いを「声の力」を託す

  なぜ、人間が「言葉」を使うようになったのか――この謎に迫った研究がある。人の祖先は「マンモスを狩りに行こう」などと、歌のようなものを仲間同士で歌い合い、そこで共通して頻繁に出てきたものが「マンモス」などの単語となり、言語が生まれたのではないかという。「はじめに言葉ありき」ではなく、「歌ありき」だったのではないかというのだ(岡ノ谷一夫著『言葉はなぜ生まれたのか』文藝春秋刊)。
 こうした知見にもある通り、人が発する「言葉」「声」の一つ一つには、人を結び付け、相手の心を揺り動かす力が凝縮されているように思えてならない。
 御書に「声仏事を為す」(708㌻)、「此の娑婆世界は耳根得道の国」(415㌻)と仰せのように、日蓮大聖人は、人間が持つ「声の力」を重視された。〝人間の声が仏の仕事を行う〟〝この娑婆世界では、人の声を耳から聞くことで成仏する〟との意味である。
 悩み苦しむ人を救い、成仏へ導くのが、仏の仕事である。だが、どれほど偉大な「法」であっても、その「法」を語り伝えなければ、人を救うことはできない。「声の力」によって、人は、自らの生命に具わる偉大な「法」に目覚め、真の幸福境涯を開くことができる。
 ゆえに、釈尊も大聖人も一対一の対話を重んじられた。権威ぶらず、自ら進んで声を掛け、仏縁を結んだ。反発する人々にも、堂々と仏法の正義を語った。
 その対話の精神を現代に受け継ぐ地涌の友は、人々の幸福のために、声を惜しまず、勇気を奮って弘教に励んできた。「声の力」で結ばれた妙法の同志の連帯は、今や世界192カ国・地域に広がる。
 大聖人は「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(563㌻)とも仰せだ。声に託した「心の思い」が相手の心に響く。語る人の思い一つで、言葉の力は何倍にも増す。
 庶民の人権を守る弁護士として活躍し、ブラジルSGIの婦人幹部を務めるメンバーは少女時代、一家で入会した。そのきっかけは、ポルトガル語を片言しか話せない日本人の学会員との出会いだった。「南無妙法蓮華経! 願い、かなう!」。たどたどしい言葉だったが、経済苦に悩む一家の幸せを願う情熱が、家族の心を揺さぶったという。
 勇気ある「声の力」は、人間の不幸な運命を打開し、地域や社会を明るく照らす。さあ、本年の総仕上げへ、確信の対話に勇んで挑戦していきたい。



9、きょうの発心  顕仏未来記 509㌻ 【子どもの幸福のための教育を】

御書 浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり(顕仏未来記、509㌻・編562㌻)

通解 浅い教えは信じやすく理解しやすいが、深い教えは信じ難く理解し難い、とは釈尊の教判である。浅きを去って深きに就くのが仏の心である。. 

 浅い爾前権教を捨て、深い法華経につくことが、仏の心であり成仏の直道である、との釈です。

 札幌創価幼稚園での2年間、池田先生から数々の激励を頂きました。私は〝先生のように振る舞える教師に〟と決意。大学受験では、この御文を心に、猛勉強したものの不合格でした。真剣に祈りながら自身の使命を模索する中、児童心理学を学ぶ決意を固め、大学へ進学しました。
 ところが、大学生活は想像とは異なり、勉強の内容に充実感を感じられないこともありました。私は〝このままではいけない〟と、唱題根本の生活を心掛けました。
 そんなある日、大学の教授から、子どもの可能性を開き、共に成長していける社会教育のあり方を教わりました。それに感動した私は、児童館の指導員になりたいと、新たな夢への挑戦を開始。2年間の努力の末、夢は実現し、現在、大好きな子どもたちと充実した日々を過ごしています。
 「子どもにとって最大の教育環境は教師自身」をモットーに、子どもの笑顔と幸福を実現する教育を実践してまいります。
北海道女子青年教育者委員長 齊藤有衣



【社会の情勢】
 

◆ あと一歩、もう一押し! 激戦続くいなつ候補・北海道10区を応援  山口代表
◆  採用増企業、14%に拡大 景気改善や人手不足に対応 16年大卒
◆ 太陽光受け入れ 政府認定量の半分 電力5社
◆ 平和賞受賞マララさん 全ての子どもを学校に 記念演説
◆  子ども誘拐下校時多発 警視庁

2014/12/13(土)の聖教

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2014/12/13(土)の聖教


1、池田大作名誉会長と周総理との会見40周年を記念 中国・南開大学で青年フォーラム

  中国・周恩来総理と池田大作名誉会長との会見40周年を記念し、周総理の母校である南開大学と創価大学共催の青年フォーラムが6日、天津の南開大学で開催された。
 同大学の紀亜光教授と学生団体「周恩来・池田大作研究会(周池会)」を中心に企画されたもの。
 これには、同大学の劉景泉副学長、創大の田代理事長をはじめ、池田思想研究者や学生、同国に留学中の創大生らが参加。名誉会長が祝福のメッセージと、周池会に真心の漢詩(別掲)を贈った。
 今回のフォーラムのテーマは「周恩来・池田大作と21世紀の青年文明対話」。
 開幕式のあいさつに立った南開大学の劉景泉副学長は感慨を込めて語った。
 「周総理は、わが南開大学の傑出した卒業生であり、今なお多くの民衆から親しまれております。そして池田先生は、世界の平和と発展のために大きな貢献を果たす思想家、社会活動家であり、中国の古き良き友人です」
 1974年(昭和49年)12月5日、北京の305病院で周総理と名誉会長の一期一会の会見が実現。両国友好の未来を語り合った。あの歴史的な日から40年――。
 会場では両氏を慕う研究者や学生が、じっと話に耳を傾ける。
 劉副学長は続けた。
 「創価大学のキャンパスには、周総理夫妻をしのんで植えられた『周桜』『周夫婦桜』があり、毎年、桜が咲く季節に、学生たちが観桜会を開催していると伺っております。一方、南開大学には、学生団体である『周恩来・池田大作研究会(周池会)』があり、お二人の思想を学び深める活動を続けております。今回は、その学生たちが中心となって開催できたことに深い意義を感じます。今後も、お二人の友誼が、両大学の学生に受け継がれ、両国の明るい未来を開いていくことを念願しています」
 次いで、名誉会長のメッセージが紹介された。名誉会長は、青年をこよなく愛した周総理の真情に言及し、「皆様こそ、周総理の意思を継ぎ、平和のため、人民のため、未来のため、勇気をもって前進している方々です」「青年と青年、民衆と民衆の交流こそ、最も確かな平和友好への道です」と強調した。
 そして「共に、周総理の心を、わが心とし、勇気の対話、勇気の行動を更に広げて、友誼の道を歩んで行かれんことを、心より期待しております」とメッセージが結ばれると、両国友好を固く誓う参加者から、万雷の拍手が送られた。
 フォーラムでは、周恩来平和研究院の周暁芳理事長、広東省社会科学院の温憲元副院長、創大の田代理事長、文学部の高橋強教授らが基調講演。その後、南開大学と創大をはじめ天津師範大学、山西大学、遼寧師範大学、燕山大学、瀋陽工程学院、大連工業大学等の研究者・学生らが研究成果を発表した。
 閉幕式で登壇した、南開大学思想文化教育学院の馬亜男副院長が力を込めて訴えた。
 「池田先生の思想を学ぶ私たちには、未来への“使命”があると思います。それは、先生の思想を実践する使命、自分自身を常に高めていく使命、そして、世界の平和を実現していく使命です。これからも、この使命を果たすべく、切磋琢磨しながら、研究を深めていきましょう!」
 フォーラムの模様は発行部数100万部の日刊紙「中国青年報」に大きく報じられた。

 名誉会長、周池会に漢詩を贈る

 幾度風霜冷眼経
 桜花池畔周天星
 千秋万代金橋固
 携手前行最楽栄

 〈大意〉
  尊敬する周恩来総理の御心を心として
  私たちは幾度も試練の風霜を
  冷徹なる眼で見極め、乗り越えてきました。
  桜花咲き薫る池の畔に立って空を仰げば
  満天の星が輝いています。
  千秋万代にわたって
  平和友好の金の橋は強固であります。
  共々に手を携えながら前へと進むことこそ
  最も楽しく、そして光栄なのであります。



2、スペイン・ローマクラブとSGIがシンポジウム

  スペイン・ローマクラブと同国SGI(創価学会インタナショナル)主催のシンポジウムが9日、首都マドリード市内で開かれた(写真)。
 これには、ローマクラブの名誉会長で池田大作SGI会長と親交の深いホフライトネル博士が出席。各界の来賓も数多く参加した。
 席上、環境教育の専門家のマリア・ノボ博士が基調講演した。
 その中で、世界の環境破壊が進行する背景には先進諸国の過剰な消費主義があると指摘。ローマクラブが1972年に“物質的豊かさ”の追求の限界を示した報告書「成長の限界」に触れつつ、持続可能な社会の実現に向けて、“心の豊かさ”を育む宗教の役割に期待を寄せた。
 また、同国SGI・カプート理事長の進行のもと、カトリック、福音教会、ユダヤ教、イスラム、仏教など各宗教の代表が、より良い社会の建設へ、活発な議論を交わした。



3、わが友に贈る

 「始より終りまで
 弥 信心をいたすべし」
 「戦い続ける人」に
 人生の栄冠は輝く。
 広布の道を走り抜け!



4、名字の言  どうすれば“ありのまま”に生きられるのか。

   ディズニー映画の主題歌「ありのままで」は今年の大ヒット曲。競争社会の現代にあって、“自分らしく生きる”ことを歌う歌詞が共感を呼んだ▼では、どうすれば“ありのまま”に生きられるのか。単なる“今のままの自分でいい”という現状肯定では、幸福は得られないだろう。自分は今のままでいたくても、周りの環境は変化していく。結局は、常に環境に縛られ、ありのままに生きることは難しい▼日蓮大聖人の仏法は、こうした安易な自己満足の考え方とは大きく異なる。御義口伝には「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(御書732ページ)と仰せである。「煩悩即菩提」や「生死即涅槃」の「即」について大聖人は、真剣でたゆみない仏道修行によってこそ、煩悩に翻弄される自身を、知恵を発揮していく自分へ、苦悩に満ちた生死を、揺るぎない大安心の涅槃へ転じていけると教えられた▼現代的に言えば、信心を根本とした「人間革命」の実践によってこそ、万人に本来そなわる“ありのままの自分”すなわち、仏性を開くことができる▼「ありのままで」の歌詞も、“自分の可能性を試したい”“変わりたい”という誓いを歌っていた。幸福になるには、挑戦が要る。その積み重ねの中に“ありのままの自分”が輝く。(明)



6、名誉会長と共に 新時代を開く 【44】 今、新たな躍進の船出を!

  充実の一年の総仕上げへ、わが同志は勢いよく進んでいる。
 苦難に負けてなるものか!
 一人も残らず幸福勝利を!――そう祈り、共に立ち上がって、一切を希望へと転換しゆく、功徳の連鎖、人材の連鎖が広がっている。
「未来の果を知らんと欲せば其(そ)の現在の因を見よ」(御書231㌻、「開目抄」)である。
 今日の一歩が未来を開く。
 楽しく悔いなく走り切ろう!
 寒風の中、勇敢に正義を師子吼する若人がいる。
 広布のためにと労苦をいとわぬ多宝の父母(ちちはは)がいる。
 尊き奮闘を、心から讃え、感謝申し上げたい。

         *   *

 先日、懐かしい神奈川文化会館を訪れ、私は全同志の健康・勝利・幸福を深く祈念した。
 思えば、昭和54年、私はここで筆を執り、「正義」「共戦」と認めた。
 あれから35年。当時、約90カ国・地域だった創価の平和・文化・教育の連帯は、192カ国・地域へ発展した。
 今再び、横浜港から太平洋へ広がる海を見つめ、世界広布新時代の大いなる躍進を誓願した。
 今こそ夜明けだ。黎明だ。
 出航の汽笛も高らかに、希望の銅鑼(どら)を轟かせ、立派に育った後継の人材群と、心新たに船出しよう!

         *   *

 北の凍(い)てつく大空に北極星がいよいよ冴えわたる今、常勝の民衆城は、、烈風にも、いよいよ堂々たる偉容を見せる。
 我らは、勇気ある信心を奮い起こし、異体同心の団結も固く、あらゆる諸天善神を揺り動かしながら、全世界を人間革命の光で照らしている。使命の闘争を断固と貫き通す中にこそ、偉大な陰徳陽報の劇がある。
 私も題目を送ります。どうか、全員が、何ものにも負けない大幸福境涯を築いていっていただきたい。



5、寸鉄 

★ 人類の幸福へ民衆の連帯結ぶ学会に期待―識者。草の根の対話は世界の光

★ 北海道の岩見沢・滝川・深川・留萌に大勝旗を! いざ歴史打ち立てる一日

★ 広島・岡山・山口・鳥取・島根が混戦突破へ猛攻。中国の人材山脈の底力!

★ 「途中に何があろうと最後に勝て!」恩師。不屈の魂燃やせ。今を悔いなく

★ 部品の不具合で自動車の回収相次ぐ。命が最優先だ。万全の安全対策求む



7、『新・人間革命』 第28巻  第1章「広宣譜」  (23)

  山本伸一は、集った人たちに、歌詞の説明をした。
 「一番は、希望弾む朝を歌っています。
 次の二番が昼。三番が夜です」
  

 二、あの人も この人も
   幸せの風 青空に
   笑顔と笑顔に 蝶舞いて
   共に学ばん この法を
  
 三、あの家も この家も
   星に囲まれ 歌声が
   お伽の都と 讃えてる
   共に築かん 北町広布
  

 歌を聴き終えると、拍手が響いた。
 伸一は、皆に笑顔を向けながら語った。
 「北町には、四つの支部があり、それぞれ、すばらしい支部歌がありますので、それは大切にしてください。そのうえで、“この歌もいいな!”と思うなら、北町四支部の共通の支部歌として歌ってください。
 また、ほかの支部の皆さんが、この歌を歌いたいと思った時には、『北町広布』のところに、自分たちの支部の名や、地域名を入れてくださればいいでしょう。
 広宣流布というのは、わが町を、そして社会を繁栄させていくことでもあります。仏法即社会であり、社会に立正安国の勝利の旗を打ち立てていくのが、仏法者の使命です。
 この歌は、日本で、いや世界で、ただ一つの山本伸一作詞作曲の支部歌になるでしょう。大事なことは、その事実を、皆さんが、どう受けとめてくださるかなんです。
 “よし、それならば、日本一、世界一の模範の支部にしよう! どんなに苦しいことがあっても、断じて勝ってみせる!”と、誓いを新たにしてくだされば、この歌は、最高の意味をもちます。しかし、『会長が支部歌を作ったよ』と言って終わってしまえば、なんの価値も生まれません。歌に価値をもたらしていくのは、皆さんの決意と実践です」



8、池田華陽会御書 30編に学ぶ 聖人御難事 「師子王の心」で勇敢に広布へ前進

  (作業中)


【社会の情勢】
 

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