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2014/10/11(土)の聖教

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2014/10/11(土)の聖教


1、中国 南京理工大学が決定 池田大作名誉会長を名誉教授に

 南京理工大学は、1953年の創立以来、技術工学を研究する最高学府として発展。
 国家が推進する「211工程」(21世紀の重点100大学)に選ばれたほか、2011年には「985工程」(30校の世界トップクラスの名門校を建設する中国教育部のプロジェクト)の「優秀学科創設のプラットホーム」にも選出されている。
 「以人為本、厚徳博学」(人をもって本となし、徳厚き博学の人たれ)との建学の精神のもと、多くの人材を輩出し、中国の科学技術の発展を支えてきた。
 現在、工学をはじめ、文学、経済、法学、教育、哲学、芸術など、多岐にわたる学科に約3万人が学ぶ。また、これまで100校に及ぶ海外の大学と教育交流を推進するとともに、20を超える国や地域から留学生を受け入れるなど、国際性豊かな総合大学として進歩を続ける。
 今回、寄せられた決定通知書には、次のように記されている。
 「池田先生は長年、国際間の相互理解と積極的な平和推進のため、世界各国を駆け巡り、国際問題の専門家、文化、教育界などの識者と対談されてきました。その影響力は高く評価され、人類文化、教育文明の発展に傑出した貢献をされてきました」
 日本の軍部政府による蛮行の爪跡が刻まれた南京――。
 その地にキャンパスを置く大学が、日本人に名誉学術称号を贈る意義は極めて大きい。
 授与の決定に際し、同大学の王暁鋒学長は語った。
 「中日友好に人生をささげてこられた池田先生に名誉教授の称号をお贈りすることは、わが校にとっても大変に栄誉なことです」



2、福島 大熊中学校へ図書贈呈 被災地の「心の復興」を支援

   「読書の町」として知られる大熊町。約10年前から町内の幼稚園・小中学校で、授業開始前の「朝読書」などに、活発に取り組んでいる。
 贈呈式は、昨年4月に会津若松市内に完成した仮設校舎で行われた。
 同校の小野田敏之校長は「良書は生きる支えになります。感謝の思いを胸に、さまざまなことに挑戦していきましょう」と呼び掛けた。
 生徒の代表からは、「つらい避難生活の中で実感したのは、読書ができることの素晴らしさでした。きょう頂いた本を大切にし、多くの知識を身につけ、豊かな心と想像力を養っていきます」との声が寄せられた。



3、わが友に贈る

 大型台風が接近中!
 暴風雨や土砂災害
 河川の増水に警戒を!
 配達員の皆様は
 安全・無事故第一で!



4、名字の言   中国には、こんな言葉があるという。「口先では『重要』、行う時には『次要』(二の次)、忙しい時には『不要』」。だが本来は逆である。

  明年6・7月の民音公演・舞劇「朱鷺」のプレビュー上演会が7日、都内で行われた。中国人民対外友好協会はじめ諸団体と民音が、4年の歳月をかけて共同制作したものだ▼トキは日中友好の象徴。日本で野生絶滅種となり、1999年に、中国から2羽が贈られた。トキをモチーフにした愛と共生の物語を、日中の各界の来賓が鑑賞した▼中国には、文化をないがしろにする態度を戒めた、こんな言葉があるという。「口先では『重要』、行う時には『次要』(二の次)、忙しい時には『不要』」。だが本来は逆である。文化は友情の土台であり、友好を切り開く〝武器〟となる。人間と人間であれ、国と国の関係であれ、それは同じだ。米中対話の端緒を開いたピンポン外交(71年)、中国から上野動物園にやってきたパンダのブーム(72年)も、広い意味で「文化が開いた関係改善」といえよう▼中華文化促進会の高占祥主席は、池田名誉会長との対談で語る。文化の力とは「科学の進歩や経済の発展、社会の繁栄などに無限の力を与える原動力です。言い換えれば『人類の第二の太陽』」と(『地球を結ぶ文化力』潮出版社)▼創価大学では「池田大作と中国展」も開幕した。東アジアに文化の懸け橋を、強く太く、幾重にも結びたい。(朋)



5、寸鉄
 

★   中国・南京理工大学の名誉教授に決定。師が築いた友誼の「金の橋」は不滅

★ 「師子王は前三後一」と蓮祖。油断なく目に見えぬ所でこそ真剣な幹部に

★ 「この信心は、やってみなければわからない」恩師。青年よ 実践第一で輝け!

★ 優れた温暖化対策技術、半分が日本発。世界貢献へ哲学と行動も模範たれ

★ 安全・安心なまちづくりの日。防犯・防災の基本は声掛け。地域の絆を強く



6、信じ抜く 教育本部が平未来 第9回 青年教育者を支えるために 
(作業中)



7、池田華陽会御書30編に学ぶ 上野殿御返事  信心根本に苦難と戦い幸福と勝利の道を
    (作業中)



8、未来の翼  世界が君を待っている 第7回 カナダの滝 

 大地を揺るがす轟然(ごうぜん)たる水音が、体の芯まで響いてきます。
 “世界三大瀑布(滝)” の一つ、カナダ・トロント近郊のナイアガラの滝の迫力は圧倒的です。悠然と流れる紺碧(こんぺき)の水が一気に落下し、豪快に砕けると、真っ白い飛沫(ひまつ)が空へ舞い上がり、光を浴びていくつもの虹を描きます。
 地球の大いなる生命力の交響曲が、そこにはありました。

 「滝の如く 激しく
 滝の如く 撓(たゆ)まず
 滝の如く 恐れず
 滝の如く 朗らかに
 滝の如く 堂々と」

 こう私は綴ったことがあります。その滝の大王者が、カナダの誇るナイアガラの滝なのです。

 滝を登り切った魚は、竜になる――この「竜門の滝」という中国の故事を引いて、日蓮大聖人が励ましを送ったのが、未来部の皆さんの大先輩である南条時光です。
 魚が滝を登るには、激しい水の抵抗に打ち勝たねばならない。鳥や漁師からも狙われる。 それらを勝ち越え、登り切ってこそ、竜となって、天まで昇ることができる。
 人もまた、何があっても、自分自身の決勝点を見失うことなく、挑戦し抜いた人が勝利者である。
 ゆえに大聖人は、そのお手紙の中で、呼びかけられました。
 「願(ねがわ)くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561㌻、「上野殿御返事」)と。
 わが弟子よ、大いなる目的に生きよ!――時光が7歳の時に出会って以来、その成長を楽しみに見守ってこられた大聖人が、広宣流布を託されたのです。この時、時光は満20歳でした。
 それは「熱原の法難」という、入信間もない農民信徒たちが迫害された大難の渦中のことでした。その時に、大聖人が心から信頼され、期待を寄せられたのは、青年です。今でいえば、未来部の出身者なのです。
 広宣流布を決するのは、若き後継の人材の流れです。末法万年尽未来際へ、世界の平和と人類の幸福を確立する戦いだからです。
 思えば、ナイアガラの滝も、1万2000年という長い時間をかけ、形成されてきたといいます。
 「未来」は「今」決まります。
 私は、広布の全てを、信頼する未来部の君たちに託します。
 仏法では、「心清ければ土(ど)も清し」(同384㌻、「一生成仏抄」)と説かれます。
 大いなる国・カナダは、心美しき人々が住む、美しき国土である――私はそう思ってきました。
 面積は、ロシアに次いで世界で2番目に大きい。神秘的な森と湖、氷河が織り成す大地は、国旗に「メープル・リーフ(カエデの葉)」が描かれている通り、秋になると紅葉の一大絵巻に染め上げられます。極北地方では、夜空を彩るオーロラも見られます。
 有名な 『赤毛のアン』 の物語の舞台であり、「世界で最も美しい島」と讃えられるプリンス・エドワード島も、この国にあります。
 ユーラシア大陸から渡ってきた先住民が住む大地に、やがてヨーロッパ人が移り住んだこの国は、多くの民族、多くの文化、多くの言語が共生しています。
 近年は、世界の各地で紛争や動乱があるたびに、そこから逃れてきた人々を迎え入れてきた「人類の安全地帯」なのです。多くの国と仲良くして国際協力にも積極的な役割を果たし、平和に貢献しています。
 現在は、実に200を超える民族が暮らし、新聞・雑誌などは40カ国語以上で発行されています。民族や人種の違いを尊重し、平等に国づくりに参加できる「多文化主義」を世界で初めて政策に掲げた国として尊敬されています。
 それは、私の恩師・戸田城聖先生が示された「地球民族主義」の理想へ進む国でもあったのです。

 世界から多くの人々を受け入れてきたカナダはまた、多くの偉人を世界に送り出してきました。
 その一人が、私の敬愛する友人、ジョン・ケネス・ガルブレイス博士です。長年、ハーバード大学で教壇に立った博士は、このアメリカを代表する名門大学の歴史のなかで最も著名な学者と讃えられる人物です。
 博士は、ルーズベルト政権やケネディ政権の頭脳として活躍され、20世紀を代表する経済学者として広く知られています。
 私のハーバード大学での2度目の講演(1993年9月)の際には、講評もしてくださいました。〈博士は講演を「私たちが希望し、」願望している 『平和実現への道』 を示した」と述べました〉
 97歳で逝去されるまで、若々しく人類の未来のために尽くされました。2メートルを超える長身の博士は、まさしく「知の巨人」でした。
 博士の生き方を決めたのは、カナダで過ごした少年時代に見た、お父さんの後ろ姿でした。お父さんは、熱心に農業をやりながら、学校の先生や会社の経営、町や郡の会計の仕事もしました。政治にもかかわり、演説もしました。父の手伝いをよくした博士は、世の中のさまざまな仕事に興味を持つようになりました。
 博士と日本でお会いした際、私は博士が何故(なぜ)、ご高齢にもかかわらず、これだけ元気に活動できるのかを聞いたことがあります。
 博士は、こう答えられました。
 「何よりも大事なことは、朝起きた時に、今日一日の計画が決まっていない、考えていない、といったことがないようにすることです」
 朝起きて、今日はこれをしよう、あれを学ぼうとワクワクした気持ちで、一日一日を快活に生きました。
 その日々の積み重ねが、博士を大学者へと育んでいったのです。
 皆さんも一日に一つ、何か新しいことに挑戦してみよう。自分らしい一歩前進で、かまわないよ。
 「いつもより5分長く、勉強する」「良書に挑んでみる」「あまり話したことのない友だちに声をかける」「お母さんの手伝いをする」など、何でもいいんだ。ワクワクするようなことを考えて、勇気を出して実行してみよう。
 月々日々に、チャレンジした分だけ、自分が大きくなります。
 私は、カナダの名門モントリオール大学のがん研究の第一人者であるシマー博士(元学長)、生命倫理の大家であるブルジョ博士(同大学終身教授)と、てい談集(『健康と人生――生老病死を語る』)を発刊しました。
 そのなかで、「健康」の定義についても語り合いました。
 ――健康とは、ただ単に「どこにも病気がない」ということではない。例えば、自転車が走っているかぎり倒れないように、常に躍動して、とどまることがない。何かに挑戦し、創造していく生き方こそ健康である。常に、「新たな探究」の生命が健康な人生をつくっていくのだ、と。
 朝のはつらつとした勤行から、創造的な一日への挑戦を開始する私たちほど、健康な青春、健康な人生はありません。

 10月2日は、私が1960年に世界への平和旅を開始した日です。この旅の中で、カナダを初めて訪れました。その折、訪れたナイアガラの滝で、水しぶきに映し出される虹を見つめながら、私は一緒にいた青年に語りました。
 「この滝にかかる虹も、一たび流れが途絶えれば、瞬時に消え失せてしまう。人生の希望の虹も、広布への躍動の前進があってこそ輝くものなんだよ。希望を捨てない人には、いかなる困難にも負けない強さがある」と。
 悠久の大河も、壮大なる滝も、全て一滴の水から始まり、たゆみない流れがあって初めて生まれます。この初訪問で出会った一人の友から、カナダの創価の希望の連帯は水かさを増していきました。
 93年には、東のモントリオールと、西のバンクーバーを訪れました。未来っ子たちが元気いっぱいに迎えてくれた情景が、今でも胸から離れません。緑の平和の大国の希望である、未来のリーダーたちに、最大の敬意を込めて、一人一人と握手を交わしました。
 「世界で最も住みやすい都市」と呼ばれるバンクーバーで、私は「素晴らしき人生」を生きるための5項目「バンクーバー宣言」を提案しました。未来部の皆さんとも、あらためて確認したいと思う。
 ①懸命に生きる人生は美しい。
 ②余裕ある人生は内実が豊か。
 ③快活に生きる人生は強い。
 ④仲良く生きる人生は明るい。
 ⑤誇りに生きる人生は崇高。
 今回、この五つに、新たに二つ加えて「 『未来の翼』 宣言」としたいと思うけれども、皆さん、どうだろうか。
 ⑥親孝行の人生は幸福。
 お父さん、お母さんを安心させ、大事にしていく人の家庭には、いつも笑顔があふれています。
 ⑦学び抜く人生は勝利。

 学ぶ人が偉い人です。学び続ける人が勝利者です。苦労して学び抜いたものは、生涯、君を、貴女(あなた)を、支えてくれます。
 
 『赤毛のアン』 で、主人公の少女・アンは語っています。
 「小さな障害は、笑いの種だと思い、大きな障害は、勝利の前兆だと考えられるようになったの」
 苦難は敗北ではない。悩みがあることが不幸なのではない。むしろ、自身を最高に向上させ、周囲に喜びを贈りゆく、「笑顔の種」であり、「勝利の前兆」なのです。
 だから、今日も進もう!
 立ち止まってはならない。
 水は流れ続けるから清らかだ。
 滝も、とどまらないから硬い大地を削り取るのだ。
 日蓮大聖人は、南条時光に、「水のごとくと申すは・いつも・たい(退)せず信ずるなり」(御書1544㌻、「上野殿御返事」)とも教えられました。水の流れる如く、題目を唱え、信心に励んでいく人は、必ず最後に勝つのです。
 
 20世紀のカナダの偉大な指導者で、ノーベル平和賞を受賞した、ピアソン首相は語りました。
 「人類は、外なる世界を征服してきた。しかし、いまだ内なる世界を征服できずにいる」と。
 勝つべき相手は他の誰でもない、自分自身の心です。人と比べる必要はない。弱い自分に打ち勝って、一歩前進するのです。
 10月は、体育祭や運動会、文化祭など心踊る行事がたくさんある。勉学にも、クラブ活動にも素晴らしい季節だ。新たな躍進の時を迎える皆さんに、私が青春時代から大好きな言葉を贈ります。 
 「世界を制覇せんとするものは、汝自身の悲哀を制覇せよ」
 昨日の自分を超えゆけ!
 そのたゆみなき今日の挑戦が、君の、貴女の、明日を輝かせるのだから――。

 モンゴメリーは 『アンの愛情』 掛川恭子訳(講談社刊)。ガルブレイスは、 『ガルブレイス わが人生を語る』 (日本経済新聞社刊)、ペギー・ラムソン著 『ガルブレイス』 八木甫訳(プレジデント社刊)などを参照した。

-2014年10月1日付「未来ジャーナル」より-



9、希望の虹  世界の偉人を語る 第7回 インド独立の父 ガンジー

 スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋……みんなは、どんな充実の秋を過ごしているかな?
 気温が下がってくるので、かぜには十分、気をつけてね。

                   * * *

 「10月2日」という日は、私と世界の友をつなぐ記念日です。
 私は、1960年のこの日に、「この世から、一切の不幸と悲しみをなくしたい」と願われた師匠・戸田城聖先生の世界平和の夢を実現するため、初めて海外に旅立ちました。上着の内ポケットには、戸田先生のお写真を入れていました。
 それから54年――私は、世界をかけめぐり、対話と友情の道を開いてきました(世界54カ国・地域を訪問)。
 この10月2日は、一人の偉大な平和の指導者の誕生日でもあります。1869年に生まれたインドの「独立の父」マハトマ・ガンジーです。今も、12億人の国民から尊敬され、世界のお手本になっています。
 それは、ガンジーが、平和を築き、民衆を守るために、一切の暴力を使わず、戦ったからです。相手に暴力を使われても、仕返しをせず、対話と誠実な行動をつらぬいて、インドの独立(1947年)を勝ち取ったからです。
 これを、少しむずかしい言葉ですが、「非暴力」といいます。
 私はインドを訪れた時、ガンジーがなくなった、首都ニューデリーにたつ記念碑に花をささげ、記念館で講演も行いました。また、ガンジーの弟子やお孫さんたちと出会いを重ね、非暴力の精神を語り合ってきました。
 暴力は、強そうに見えて、じつは、おくびょうな人が使う武器です。相手がこわいから使うのです。暴力は、暴力を呼んでしまう。そうして、暴力はくり返され、どちらも深く傷ついてしまいます。国と国の間なら、ざんこくな戦争が続きます。
 平和を築くのは、対話と誠実な行動です。それには、まず自分のこわがる心を打ちやぶる勇気が必要です。自分の心が変われば、相手の心が変わる。非暴力は勇気ある人の武器なのです。
 この大切な勇気の心を学んでほしいと思い、30年ほど前、私は創価学園の生徒たちとともに、映画「ガンジー」を鑑賞したことがあります。きょうは、いっしょに映画を見ているような気持ちで学んでいきましょう。

                   * * *

 最高の “勇気の人” ガンジーは、いったい、どんな少年時代だったでしょうか。じつは意外なことに、とても、はずかしがり屋で、弱虫でした。
 学校が終わると、友だちにからかわれるのが心配で、走って家に帰りました。寝る時も、おばけやドロボウやヘビがこわくて、明かりがなければ寝つけませんでした。けれども、まじめなお母さんの教えがあり、決めたことをやりぬく、がんばり屋でした。
 そのガンジーが、大きな勇気の一歩をふみ出した事件があります。
 それは、努力して弁護士になった若きガンジーが、仕事で南アフリカに行った時のことです。列車の一等車(一番いい客室の号車)に乗っていると、駅員が来て、「君は貨物車に乗るのだ」と言いました。同じ客室にいた白人が、茶色い肌のインド人といっしょに乗りたくないと、駅員に文句を言ったのです。ガンジーは、ちゃんと一等車のきっぷを持っていたにもかかわらず、貨物車に移らなかったために、列車から降ろされてしまいました。
 人種差別といって、この国では当時、肌の色で人間に上下があると決められていたのです。
 季節は冬でした。ガンジーは暗く冷え切った駅の待合室で、寒さにふるえながら一夜を明かしました。
 このあと、どうするか。がまんしたまま仕事をすませ、ふるさとに帰る道もあったでしょう。
 しかし、ガンジーは、自分のことだけでなく、人間が人間をバカにして、いじめること自体がゆるせませんでした。ガンジー青年は “勇気の人” に生まれ変わりました。この国に21年間とどまって、差別に対して非暴力で戦い抜きました。そして、ついに、この国に住むインドの人々を守る法律を勝ち取ったのです。
 勇気は、青年を強くします。
 とくに人のため、正義のため、勇気をもって立ち上がる時、青年は最も強くなるのです。

                  * * *

 その後、ガンジーはインドにもどり、悪には従わず、非暴力で戦う独立運動のリーダーとなります。
 当時のインドは、強力な軍隊をもつイギリスに占領されていました。きびしい差別があり、イギリス人が上で、インド人は下でした。
 この不正をただすために、彼は戦いを開始しました。悲しい出来事や失敗もありました。何度もたいほされて牢屋に入れられましたが、信念をつらぬきとおしました。どこに行くにも腰布にサンダルばきの姿で、まずしく、一番差別に苦しんでいる人々の味方となって行動したのです。
 勇気は、人から人へ伝わっていきます。その有名な出来事が「塩の行進」と呼ばれるものです。
 この時代、インド人は、生活に欠かせない塩を自由につくったり、売ったりすることが禁止されていました。
 ガンジーは、さけびました――人は塩がなくては生きられない。この海からの贈り物を取りあげる権利が、だれにあるのか!
 1930年3月12日の朝、ガンジーはイギリス政府に反対するため、78人の弟子とともに約400キロはなれたインドの西海岸へと歩き始めました。浜辺に行き、自分の手で塩をつくるというのです。60歳のガンジーが、しっかりした足取りで進んでいく姿を見て、多くの人が次々に加わり、やがて数千人の大行進となりました。
 海岸に着いたガンジーは天然の塩をひろい、これはわれわれのものだと、ほこらしげにかかげました。ガンジーも弟子たちも、たいほされましたが、ひるみませんでした。ぼうでなぐられたり、けられても、決して暴力に負けませんでした。このガンジーとともに、何万もの人々が牢屋に入れられました。それでも、民衆の大闘争は止まりませんでした。
 同じく1930年の11月18日、創価学会は牧口常三郎先生、戸田先生の師弟によって創立され、だれもが幸せになれる社会を目指して、平和への歩みを開始したのです。

                   * * *

 勇気の人は、朗らかな人です。ガンジーは、よく笑ったので、まわりもいっしょにいるだけで楽しくなり、勇気がわきました。
 勇気の人は、あきらめません。ガンジーは「善いことというものは、カタツムリの速度で動く」と言ってねばり強くがんばりました。
 勇気の人は、先頭に立つ人です。ガンジーは「一人の人に可能なことは、万人に可能である」と信じ、大変なことは自分から始めました。
 みなさんも、勇気を出したい時があるでしょう。はずかしくて声をかけられないけど、友だちになりたい。授業中に手をあげて、答えたい。いじめられている友だちに、自分は味方だと伝えたい……。
 もしかしたら、「自分には勇気がない」と思っている人がいるかもしれません。でも、勇気がない人なんていません。だれもがみんな、勇気の心をもっている。問題は、思い切って、その勇気を引き出せるかどうかなのです。
 だれにでもできる、勇気を引き出す合言葉が「南無妙法蓮華経」です。
 「南無妙法蓮華経は師子吼(ししく)の如(ごと)し」(1124㌻、「経王殿御返事」)です。題目を唱えれば、自分の心の中にある「ししの心」が目覚める。すると、知恵も、希望も、勇気も全部、わいてきます。
 さあ、自分の夢や目標に向かって、勇気の一歩をふみ出そう!
 輝く未来からやってきた「平和の勇者」の君よ、貴女(あなた)よ!
 きょうもまた、強く朗らかであれ!

※ ガンジーの言葉は、坂本徳松著 ガンジー インド独立の父』 (旺文社文庫)、『ガンジー自伝』 蝋山芳郎訳(中公文庫)から。参考文献は、マイケル・ニコルソン著 『伝記 世界を変えた人々9 ガンジー』 坂崎麻子訳(偕成社)、クリシュナ・クリパラーニ著 『ガンディーの生涯〈上〉』 森本達雄訳(レグルス文庫)。
 -2014年10月1日付「少年少女きぼう新聞」より-



【社会の情勢】
 

◆  テロリストの財産凍結イスラム国やアルカイダ対象 閣議決定
◆  女性活躍に向け包括策 政府
◆  統一地方選法案が成立 来年4月12、26日投票
◆  ノーベル平和賞 マララさんら受賞 子どもの教育権利に努力 史上最年少


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